一節 共犯3
◇
俺とメアが揃って村に戻ると、やはり向けられる奇異の目線。
それが気にならないと言えば嘘になるが、堂々と胸を張って歩くメアの横で縮こまっている訳にも行かず、村の真ん中を突っ切って俺たちの暫定的な住処と化した診療所まで戻る。
途中、ウォルマンが心配そうに駆け寄ってきて「あの男は」と聞いて来たものの、メアが「明日話すよ」と言って追い返していた。これまで親身になってくれたウォルマンに隠し事をするようで申し訳なく思えるが、彼は一言「分かりました」とだけ言って下がるのだった。
「……メアさん。私がどうして怒っているか、お分かりですよね?」
そして現在。
メアは怒りの形相で食事を用意して待っていたリリスに臆することなく堂々と文句を言い放っていた。
「うん、今日も森の恵みが青臭くて美味しくないね。食感もボソボソだし、食糧事情を改善する方が先なんじゃない? まあでも、これ以上長居する訳でもないし、我慢だね。僕は我慢が出来る子だから」
「平民の食事なんて、こんなものだ」
「お生憎様、僕は貴族なんだ。口に入る物にはうるさくするよ」
「文句があるなら食べないで下さい」
夕食のメニューは、ほぼ水分の麦粥の中に魔物肉と野草の団子が入っているものだ。セナ村では、肉と言えば噛み切るのも難しい筋ばった部位の、しかも切れ端を食べることさえ稀だったため、こうも手の込んだ肉料理は贅沢品とさえ呼べるものだ。
「残念ながら僕ってば育ちが良いんだ。出された物を下げさせるような真似はしないさ。ほら、僕の分もお食べ」
「お口に合わなかったのでしたら結構です!」
「……俺としては、話が見えないんだが」
「ああ、リリスちゃんがお冠な理由? 約束してた時間から大幅に遅れたからだよ」
「ちなみにその時間は?」
「ん~、夕暮れ前には帰るって言ったような」
「……んぐっ、お昼前、です!」
上品にも口に物が入っている時は喋らないを徹底していたリリスの横でメアが好き勝手言っていると、ようやく飲み込んだリリスが怒気を強めて言い放つ。
リリスの言葉を受けて改めて開け放たれた鎧戸の外に視線を向ける。
「……今、もう日が沈む間際だったよな」
俺とメアが村に帰って来たのは、森の木々の高さまで陽が傾いた時頃。
二人の手合わせに熱中し過ぎてしまったのだ。
昼前に戻ると約束したのであれば、この時期なら五時間以上待たせたことになる。
それは、些かリリスが可哀そうに思えてくるもので。
「……済まなかった。そんな約束をしているとは、知らなかったんだ」
「い、いえ! ウェイドさんが謝ることでは……!」
「へいへーい。僕とウェイドの扱い全然違くなーい? 元はと言えばウェイドが苛烈に僕のことを求めてきたからじゃないか!」
「ッ?!」
「誤解を招くような言い方をするな……」
「ど、どういうことなんですか?!」
「俺も遅くなった理由の一因を作ってしまった、というだけだ」
あの後、勝敗で言えば俺が全勝だった。
だが、どれも完勝と言えるものばかりではなく、辛勝と呼べるものもいくつかあって。メアの戦法には手を焼くものが多かった。
見た目の荒々しさとは異なり、帝国軍兵士の模範とも言うべき教本通りのワーグナーの戦法とは違い、メアの戦法はまるで盤上遊戯のよう。
一手ごとにこちらが追い込まれていく感覚は他では味わえないものであり、失った感覚を取り戻さずには勝ちきれない戦いばかりだった。
しかし、こちらが追い詰められれば必然的にメアの行動も絞られてくるというもので。ゆえに、メアの行動も読み切りやすくなった。とは言え、メアがそのことに何の対策もしていないとは限らず、幾度となく裏をかかれることもあった。それでもメアの繰り出して来た手を全て捌き切って勝利に繋げるに至った。
結局、全てが終わった頃には始める前まで体が鈍っていたとは思えない程に動きにキレが蘇っているが、それでも全盛の頃と比べればまだ万全とは言い難かった。
その後、火照った体と汗を流すと言う名目で水浴びをしたのだが予想外にもメアは烏の行水で済ませていた。その反面、俺はじっくりと川の冷たい水で体を冷却させていたため、俺のせいで遅れたと言うのは些か過言ではあるが、リリスを待たせたその責任の一端を背負うべきであることには違いなかった。
その一連の流れを説明した上で謝罪を口にしたのだが、リリスは俺の謝罪を受け取ってはくれなかった。
「いいえ、それはどう考えてもメアさんが悪いです」
「ええー?!」
わざとらしいメアの反応に、リリスの頬がひくつく。固く握り締められた拳をテーブルに落とさなかっただけでも彼女は理性的だと言えよう。
「当然です! ウェイドさんはまだ十分に傷が癒えてないんですよ?! 安静にしてなきゃいけない状態なんです! それを分かっていながら、メアさんはこき使って……」
「まぁまぁ、お陰で収穫もあったんだから、文句は無いだろう?」
「……あの男から、何か聞き出せたんですか?」
「それも含めて今から話すさ」
そう言ったメアは、半分程度残った皿の中身を俺の皿に移してから、口元を拭う。確かに言葉通り、メアは出された物を「残していない」わけだ。
「──さぁ、恒例となりつつある、情報共有の時間、だよッ!」
メアが俺に分け与えた食事をもそもそと食みながら、意識はそちらに向ける。この時間、俺の出番は無いから黙っていても問題無いだろう。
「まずは、リリスちゃんから聞かせてもらおうかな。ウェイドに説明する意味も込めて、一週間の経過と村の様子を教えてくれる?」
「……釈然としませんが、まあ、ウェイドさんのためなら」
依然としてメアに抗議の視線を向けるリリスだったが、彼女もまた口元を拭った後にしずしずと語り出す。診療所の、俺たちが団らんするスペースと区切るように置かれたパーテーションの向こう側であったことを。
「……今では落ち着いていますが、彼女たちをここに運んでから三日間は、私もまともに眠れませんでした。酷く衰弱していることに加えて、尊厳を弄ばれた彼女たちは深く傷付いていましたから。……正直、このまま楽にしてあげるのも一つの選択肢だと思えるくらい、彼女たちは苦しんでいました」
「話には聞いていたけど、実際は想像を絶するものだね。リリスちゃんたち同性の子らに任せて正解だったかもね」
「判断は、正しかったと思います。意識を失っている際に検診だけでもしてくれたことには感謝しています。お陰で、今ではそれなりに安定していますから」
「それで。誰か一人でもいい。まともに話せそうな子はいる? 直接確認したいことがあるんだよね」
「それでしたら、ブランが一番安定しているので、彼女なら。むしろ、その件に関しては私の方から願い出たかった事です」
「へぇ。そんなにも異性を会わせるべきではないと言いながら、どうして」
「それが、彼女自身が希望していることで、私にも詳しくは」
「それなら、明日にでも会いに行った方がいいかな?」
「いえ、それが、誰でもいいという訳ではなく……」
そこで何故か、肉団子を噛み締めている俺の方に視線が向く。
「意外だね。ウェイドなら、今の話を聞いて悔し泣きするくらい気色悪い共感性を持っていたと思ったけど、どうやら成長したのかな?」
「気色悪くて悪かったな」
メアの言う通り、以前の俺であれば、リリスの話を受けて奥歯が割れんばかりの圧力で歯噛みしていたことだろう。だが今は、落ち着きを保っていた。
確かにリリスの話は残酷な現実を突き付けられるものだったが、俺もいい加減割り切ることが出来るようになった、と言える。正確には、身の程を知ったと言うべきか。
──紫晶災害による不幸の責任を全て取る。
その心意気は未だに変わっていないつもりだ。だが、そんなことは土台無理な話だったのだ。そのことに、ようやく気が付いた。
俺が両腕で抱えられる物事など、所詮はたかが知れた数しかない。それを、俺は今まで、目につく不幸全てに手を伸ばしてきていた。ただ手を伸ばせばいいのだと思い込んで。だが、そんなことをすればどうなるか。
抱えていた物が、零れていく。自らの行いで、抱えていたものを取りこぼすのだ。
それがどれだけ愚かな話か。萬話と言われてもおかしくないほどの滑稽さだ。
俺はこれまで自分の意思で守れたはずの人を捨てて来てしまっていた。それに気が付いたのは、イムさんとぶつかり合った時だ。正確には、気付いたことに気付いたというべきか。
あの時、俺は思い知ったのだ。有言実行の難しさに。覚悟を込めて発した言葉の重さに。
それに連なるようにこれまでの自分の行いを振り返れば、メアの言っていた「身の程を知る」と言うのがどのような意味か、理解するのに時間はかからなかった。
それでも、まだまだ悩み続けるべきだと思っている。
俺がどうしたいのか。どうするべきなのか。
それらを含めて、悩み続けるべきなのだ。
「……ブランは、あの時助けに来てくれた人に会わせてくれと、言っているんです。あの子の救世主に会わせてくれと」
「それが、ウェイドだと?」
「……いえ、彼女が名指ししたわけでは無く、ただ『救世主様に会いたい』とだけ繰り返していて」
「つまり、その子の指す救世主っていうのが、リリスちゃんはウェイドだと思ってるわけだ。まあ、救い出した時の事を考えると妥当な考えだと思うよ」
「いえ、それだけじゃなくて。あの時、ブランを包んであげたのは、ウェイドさんだったので……」
「なんでもいいさ。俺で役に立てるなら」
「それなら、僕の方にも付き合ってもらおうかな。イム・ウィ・アルルサップ。彼も会いたいって言ってるんだ。他ならぬ君にね。でも、現状は精神干渉系の予後だ。彼に深く刻まれている君を会わせて何が起こるかはまだ分かったものじゃない」
イムさんに、ブラン。二人から会いたいと言われて、俺は微かに反応を示す。
イムさんは俺を憎み、恨み、殺意を乗せた刃を向けてきた相手である。だが、それら全ては俺に非があるし、イムさんにとって当然の権利を主張しただけだ。だから、例えあの時命の危機に瀕したとは言え、どんなことがあっても、俺は彼に生きていて欲しかったし、きちんと向き合って話がしたかった。
「イムさんは、無事なんだな? 生きては、いるんだろ?」
「女性たちと同じさ。精神干渉系の魔法による精神汚染の結果、自我が薄くなっているんだ。彼の場合は経過が良好なだけに、却って心配なんだけどね。一方で、デゲントールを信奉していた村の人たちは信仰心が厚かったというのもあって、精神汚染は微量で済んでいるけど、慰み者にされた女性たちや思いのままに操られた彼はその比じゃないというだけさ。生きてはいるよ。生きてはね……」
メアが言うには、イムさんの経過であれば本来ならもう自由に歩き回れるくらいには回復しているとのことだが、彼はベッドの上から動かないらしい。
メアから見れば、ベッドの上から動かず何かを待っているかのように見えるのだという。それが俺だと言うなら、いくらでも会いに行こう。
しかし、被害女性の方が今は心配だ。
彼女たちの受けた苦しみは、きっと異性である俺には一生かかっても理解できないものかもしれない。それでも、理解してあげたい。その苦しみを、少しでも和らげることが出来るのであれば、俺に出来ることは何でもする。
……ただ息をして虚空を見つめているだけの人間は、本当に生きているとは言えない。
紫晶災害が起こった日からしばらくの間、俺はその状態だったから言い切れる。それはただ死んでいないだけだ。断じて生きているとは、呼べない。
彼女たちの苦しみに共感を示すことは難しいが、俺にはデゲントールの被害者たちが味わう無気力な感情を理解できる。理解できるからこそ、なんとかしたかった。
あの状態から立ち直るには、体だけではなく心を突き動かしてくれる相当なきっかけが必要なのだ。もしも俺がそのきっかけになれるのだとすれば、いくらでもこの身を貸そう。
「今からでも行けるが、どうする?」
「フットワークが軽いのは君の良い所だけど、ブランちゃんにも、イムさんにも会いに行くのは明後日にしよう。明日は君は完全休養日だ。君の状態もチェックしたいしね」
「……メアが言うなら」
「そうですよ! ウェイドさんはしっかり休まないとダメです。というか、メアさんが酷使したんですよ? 分かってます?」
「ハハハ、酷い言われようだ。でもね、今回ばかりはウェイドが自分から進んでやるって言ったんだ。僕も僕でやることがあったからね。彼の申し出は非常に助かったのさ」
「そ、そんな嘘で私を丸め込もうなんて……!」
「いや、嘘じゃない。俺がやるって言ったんだ」
「ウェイドさん?!」
「俺とメアは……共犯だからな。メアにばかり汚い真似をさせるわけにはいかない。それと、だ。……リリス、俺はお前が思ってるような、綺麗な人間じゃない」
「っ!」
俺がデゲントールから情報を聞き出していたことを、彼女はメアの差し金だと思っていたのだろう。
拷問をしていることに良い顔をしていないことも、メアやウォルマンから聞かされていた。そこにどんな意味があるのか、分からない程鈍感ではないし、過去に直接告げられてもいる。
しかし、あんなことがあって以来、その言葉が本心であるかどうかさえ信じるに値しないが、彼女の中で俺がどれだけ美化されているのかは普段の接触から察することが出来ていた。それを鬱陶しく思うこともあれば、それを裏切ることに申し訳なさを抱くこともあった。
だが何よりも、彼女を心配させていると考えるのも億劫に思えていたのも、事実で。
それはきっと、俺が背負うべき荷物ではないから。
彼女に夢を見せ続けるのは、誠実じゃない。
だから、はっきりと言うべきだと思った。
彼女に向けて放った言葉が、全てだった。
「……っ」
息を飲んだリリスは、何度も口を開閉させて言葉を探しているようだったが、結局彼女の口から反論の一つも吐かれることはなかった。
自惚れるな、と言った罵詈雑言を覚悟していたのだが、リリスは何やら思い詰めた様子で黙り込んでしまう。
明朗だったリリスが思い悩む様子で黙り込んだことで、露骨に空気が重くなる。
ただし、そんなことを気にしているのは俺だけで。
「それじゃあ、僕の番といきますか」
「おい……いや、なんでもない。言っても無駄だよな、分かってる」
一人納得して頭を振る。
メアはこの状況下でリリスにフォローするような言葉を掛ける男ではない。ましてや、空気を良くするために俺を諫めるような事もしない。あくまでもメアは自分をベースに生きている。
むしろメアの場合、ここで他人に迎合しようとするリリスに自論を展開して人間関係をこき下ろすような物言いをして追い打ちするなりしてもおかしくない奴だったはずだ。だがそれをしなかったのは、メアも人の心が分かるようになってきたということだろうか。
「ここ一週間、じっくり【解析】に集中する時間が出来たお陰で、面白い事実が発覚したよ」
「そう言えば、言ってたな。その面白いこと、っていうのはなんだ?」
「呪い人の再覚醒について、そのプロセスの一端を解明できたのさ」
「呪い人の、再覚醒……?」
聞き慣れない言葉に思わず聞き返す。
「あぁ、そう言えば君、あの時寝てたもんね。端的に言えば、もう一つの生得魔法に目覚めるということさ」
「な、ぁ……?!」
「期待通りの反応をありがとう」
「もしそれが本当なら……、呪い人の立場は、大きく変わるぞ」
生得魔法とは、人類の誰しもが持つ才能である。
ある者にはあって、ある者には無い。けれども、誰もが持っている才能。帝国領内において、生得魔法が未発覚の人物と言うのは未だに出現していないため、人類であれば役に立つ立たない関係なく、誰もが保有していることになる。
魔法士や錬金術師など、生得魔法が無ければ就けない職があるように、生得魔法とは生きる力にもなるわけだ。
誰もが一度は考えたことはあるだろう。自分にあんな生得魔法があれば、ということを。
道具や才能と同じように、生得魔法は使い方次第で大きく化ける。もしかしたら、今持っている生得魔法を更に伸ばすものだったり、使い道のなかった生得魔法が輝くようになったりと、二つ目の生得魔法と言う事実だけでも可能性は無限大だ。
「そうだね。もし可能となれば、こうして地図に乗らない廃村にまで追いやられた呪い人達が、時代の覇権を手に入れることになる。その意味も含めて、聞いてくれたまえ」
「っ」
二つ目の生得魔法。
無限大のその可能性を肯定するかのようなメアの言葉に、息を飲む。
それは間違いなく、紫晶災害とは異なる意味で世界を変えるものだ。
その事実が広まった時、世界はどう動くのか、見当もつかない。
生得魔法で人間の上下が決まるわけでは無い。だが、事実として生得魔法ありきの魔法士や錬金術師、研究塔の面々らが優遇されている事実は明らかであり、生得魔法によって上下が決まるという事実を否定できないのは確かだ。
そんな世界で呪い人を排斥した人々が、呪い人の方が優れていると知らしめられた時に、どう動くか。
度を越えた排斥か、呪い人との和解か。
少なくとも、後者を選んだとしても、呪い人の彼らが元の生活に戻ることは出来ないだろう。失われた命だって数え切れない程にある。もしもお互いに手を取る日が来るとしても、それはそんな簡単な話じゃない。だってそうなれば、世界は再び、変わってしまうのだから。
ましてや、世界の頂点がレオポルドであることを考慮すれば、後者が選ばれる可能性は限りなく低いだろう。あの男は、自分が頂点でなければ気が済まない人種だ。あれはもう、性格を矯正できるとか、是正させられるとか、そんな段階ではない。あの男が人を見下すのは、それがあの男を形成する素材として彼を彼たらしめる一本の柱に埋め込まれているからだ。それが外れた時、レオポルドはレオポルドではなくなってしまうだろうから、和解が選ばれることは絶対に無いと言える。
そうなると、選ばれるのは前者……度を越えた排斥である。
ゆえに、この話を公開して選ばれるのが必然的に前者である可能性が高いとなれば、この情報は丁寧に、かつ慎重に扱わなければならないものだと思い知った。
「呪い人の再覚醒において大前提として、再覚醒を果たせるのは呪い人だけだということ」
「……当たり前だろ? だって、呪い人にしか再覚醒がなされないのだから」
「勘違いする人が出てきても困るからね。呪い人になれば再覚醒が出来るという訳ではないと言う点が重要なのさ。呪い人になった上で、何かしらの作用が働くことで初めて再覚醒が促される」
「呪い人に、何をさせるんだ?」
「何も。強いて言うなら、僕たちに出来ることは見守ることだけさ」
「は?」
「だから、呪い人の再覚醒に僕たちが関与できることはない。何故なら、再覚醒とは、呪いの進行と同じ事だからさ」
呪いの進行。
それを聞いて、俺は今までの認識を改めざるを得なかった。
俺の右眼や、この村で過ごしている彼らの肉体に起こった変化。呪いとは、体表が紫水晶に侵される状態のことを呼ぶ。
たった一夜にして周囲の人間の多くが紫水晶の彫像と化したあの日から、紫水晶とは多くの人々にとって恐怖の象徴となった。
ゆえにその呪いを忌避し、遠ざけようとした人々の声が波及し続けた結果、根拠のない「感染する」という噂が出回り、レオポルドの地盤固めにそれが使われた結果、国に背を押された波は呪い人の徹底的な排除へと動いたのであった。
俺はそのことを、帝都で嫌というほど思い知らされている。だから未知の呪いを人々は遠ざけようとしたし、呪いを受けた人を本来は汚れ仕事を担う下男下女を侮蔑する際に用いる差別用語である『穢れ人』を文字って『呪い人』と呼んでそれとそれ以外と言う形で自分達と区別した。
しかし、実際に呪いを知り、呪いを理解していけばいくほど感染することのないものを恐れている姿が哀れでならない。俺の目標として呪いは呪いじゃなくなる日が来ることばかり考えていたが、その反面、俺はその呪いというものを、重く捉えられていなかった。
当然、呪い人の彼らには同情したし、逃れられない罪悪感にも苛まれ続けている。
だけども、呪い自体には注視していなかったのだ。
「……呪いが、進行するのか?」
「うん? どうして今更そんなこと……って、もしかして君、呪いは呪いのままだとでも思っていたのかい?」
軽妙に図星を突いてくるメアに、俺は黙り込むことしか出来ない。
それもそのはずだ。だって、体の一部が紫水晶に変わったところで、日常生活に問題など無いから。
俺の右目が紫水晶に変わっても、右の視界は変わらず保たれている。足が紫水晶に変わろうとも歩けるし、手が紫水晶に変わってしまっても物を持てる。果てには、胸から背中まで紫水晶に変わってしまったとしても、変わらず生きていられるのだ。呪い自体に危機感を抱く必要は無いと思い込んでしまっていた。
しかし、それが進行するとなると、話は変わってくる。
呪いが進行した先に何があるか。
俺の立場をしてその答えを聞かねばならぬと問いかける。
「進行すると……どう、なるんだ?」
「……体表に、結晶体の紫水晶が生成されるようになる。この村の住人でも二人ほど、それは確認できたよ。その先は、依然不明だけどね」
「結晶体……」
明言を避けるようにメアが視線を向けてくる。分かっているよね、と言わんばかりに。
メアの言う通り、俺は知っている。
俺はそれを、この目で見ていたから知っている。
この右眼で実際に変化させたの確認しているから知っている。
デゲントールに向かって右眼の力を行使し続けた結果、彼の紫水晶に変化した部分から、結晶体の紫水晶が生成された。
床に結晶体が生成されたことから、体に生えた結晶体も俺の力なのかと思い込んでいたが、それはどうやら違ったらしい。デゲントールの体は、呪いが進行した状態だったということだ。
「つまり、その二人は、再覚醒をしているんだな?」
「その通りさ。僕の解析魔法で調べてみたところ、一人は元々所持していた『整頓魔法』と新たに覚醒をして『歩行魔法』を。もう一人は『裁縫魔法』に再覚醒して『無痛魔法』を手に入れていたよ」
確認も取れている、と付け加えたメアの言葉に、俺は押し黙る。
もしも今日、数時間前の時点でデゲントールも同じ状態だとメアが気付いていなかったら、どうなっていただろうか。デゲントールはあの時、もう一つの生得魔法に覚醒していた。だとすれば、あの場で首輪を外させていたら、俺たちは、今頃……。
リリスの口から精神干渉を受けた被害者らの様子を既に聞いているから、余計にゾッとしてしまう。
「ただ、生得魔法の再覚醒に関してはまだまだ問題が山積みさ。そもそも、どの段階で呪いの進行度を確認するのか。呪いが進行した先で呪い人の身にどんな影響があるのか。再覚醒における生得魔法の選出基準は何なのか。結晶体は有害なのか……とかね。パッと思い付くのだけでもこれだけ出て来るんだ。でも、いかに実用的ではないとは言え、二つ目の生得魔法さ。どう捉えるかは、その人次第なんじゃないかな?」
それは些か分の悪い賭けが過ぎるんじゃないかと思いつつも、そこから変異種の解析についての結果を楽しそうに語り出すメアを邪魔する訳にもいかないと口を噤んでいると、別の方向から声が上がる。
「……ごめんなさい。少し疲れたので、先に休ませてもらいます」
これまで黙り込んでいたリリスが立ち上がりそう言うと、パーテーションの向こうへと消えて行く。メアだけがその背に向かって「おやすみ」と告げていたが、俺は黙ってその背を見送るのみで済ませた。
「……おやすみ、くらい言ってあげればいいのに。挨拶程度で勘違いされるとでも思っているなら、それは自惚れすぎじゃないかな? それとも、そう言うつもりじゃないんだとしたら、君も随分と人間味が増したと言える」
「どういう意味だ。……それに、何も深い意味は無い。これ以上リリスを関わらせる意味は無いと思っているだけだ。……リリスには、幸せになってもらいたいんだ」
「俺と一緒にいたら、不幸になるぞ~……、って? それを決めるのは君じゃない。リリスちゃんの方だ。それにさぁ、それを言うなら僕は不幸になってもいいってことにならない?」
「俺とお前は共犯だろ。今更アレはナシだって言っても無効だからな」
それだけ言ってメアの食べ残しを処理し終えた俺の前に、俺を笑いの種に出来なくて不貞腐れたようなメアはそれを挽回するかのように得意げな笑みを湛えながら一つの小瓶を差し出してきた。
神の雫の物よりずっと小さい小瓶の中には粉末状の物が積もっていて、開け放たれたままの鎧戸から差し込む夕陽に翳すと、キラキラ輝いて見えた。
「これ、なんだと思う?」
「……星粒のようだ」
災害以前の帝都では、『星の砂』と呼ばれる品が貴族を始め下級層に至るまで、市民の誰もが欲しがる垂涎の品が存在した。それは貴族であっても簡単に手に入れられない品であると同時に、一般市民でも手に入れられる可能性があると言う、権威に括られない珍品であり、幸運の品とも呼ばれていた。俺も弟妹やシスターフィオナへの土産にそれがあればと思い探し求めたことがあったが、ついぞ見つけることは叶わなかった。
小瓶の中の粒の輝きを見て、もしやそれではないかと期待を込めてメアに視線を向けると、返ってきたのは満面の笑みで。
「!」
「うん。それ、呪い人の子の体表に生成された紫水晶を削ったものさ」
「っ?!」
「そもそも、今の話の流れでとうやったら『星の砂』を出すと思ったのさ」
期待を込めて目線を向けた先で、返って来たのは期待を裏切る言葉で。
露骨にがっかりとした反応を見せたせいか、メアがいつになく嘲弄するような顔で俺を見てくる。
言われてみればその通りで、俺はぐうの音も出せない俺を見て、メアは「無様だねぇ」とふんぞり返っていた。
「結晶体を削った物って……平気なのか?」
「それは被験者の方が? それともこの物体の方?」
「前者に決まってるだろ。体に異常が出たりとかはしてないのか?」
「後者であっても問題無いけどね。なんだったらこれは、二人が日常的に削っているとの話を聞いて、それならその削りカスを譲ってもらえないかと交渉の末に手に入れたものだからね」
呪いの第二段階、と言うべきか。結晶体が生成された肌を隠したい二人の再覚醒者らは、毎日結晶体を小さくするために削っているのだそう。明らかに人とは違う見た目。呪いが侵食していると言う事実を隠し、目を逸らすための行為だとしても、誰もその行為を咎めることはできない。
こうして俺たちは再覚醒者の発見を目的に向かって一歩前進したことに喜びを感じているが、当事者たちからすれば恐怖に違いない。彼らを排斥した健常者たちは彼らを未知として忌避したが、呪い人の彼らもまた、自分の身に起こる変化は未知である。
正体不明の存在が隣にいるのと、正体不明の何かが自分の体の内側に巣食っているとでは、恐怖の度合いはまるで違う。比較対象にすらならないとさえ言えるだろう。
そんな中でメアにこれを託してくれた二人の村人に対して尊敬の念を抱きながら、俺はその小瓶をテーブルに置いた。
「結晶体……呪い……。こうして人の体から離れて見ると、本当にただの宝石みたいだな」
「それがただの宝石か、可能性に満ちているのか……それとも絶望の種か。これからじっくりと調べるつもりさ」
もしここが行きつけの酒場であったなら、二人ともにここで酒を傾けていただろう。
久しく口にしていないエールの味を思い出して手元に視線を落とした後、俺は声量を落として呟く。
「……俺の力は、役に立てるか?」
「君の力は、恐らく紫晶災害の根源に近い。あの男の有様を見ただろう? 断言できるよ。君の力は──呪いを広めるものだ」
「……」
間違いない。メアの口から吐かれたその言葉に、俺は天井を仰ぎ見る。
そんなことない、なんて否定の言葉も口に出来ずに、ただ、背の高い天井を仰ぎ見ることしか出来なかった。
──やっぱりか。
言葉が出なかったのは、ショックを受けたからじゃない。
これは、認めたくない事実を突き付けらえたことによって言葉を失っただけのこと。
薄々感じてはいたのだ。デゲントールの姿を見て、それが決定的になったと言うべきか。もっとずっと前から、そんな気がしていた。
初めて自覚のようなものを得たのは、それこそ、セナ村で目を覚ました時だ。あの時、記憶を浚った俺は、ひたすらに嘆いた。嘆いて、喘いで、咽び泣いて……神に縋った。あの時、それを自覚していたらきっと、今この場に俺はいなかっただろう。
──人を石に変える力が与えられた。
目の前で世界で一番愛していた家族を石に変えられ、破壊され、心を壊された後の俺であればまず間違いなく自分に問うまでもなく、問答無用で自分の首を掻き切っていただろう。こんな忌々しい力など、無くて良い。願ってなどいないのだから。
だから帝都であの日、シャーリィを石に変えてしまうまでずっと、その事実には蓋をして、鍵をかけて、何重にも鎖をかけて封じていたものだった。それが、本当に何気ない会話の中で力が発動し、より一層その封印は強まった。
だからこれまで、頑なにこの右眼と向き合う事から避けてきた。
怖かったのだ。その仮定が確固たる事実に変わることが。
しかし、いつまでも目を逸らし続けられるわけでは無い。
それがここにきて、この力と向き合う機会を得たのも、この力を友好的に使おうと思えたのもどちらも、時間が経過したことに加えてイムさんとの邂逅というのも大きな一因であった。
……否、イムさんだけではない。この村で生きる、呪い人の人たちを見て、向き合わなければならないと自覚するようになったのだ。
「……再覚醒による呪い人の地位向上、なんて大それたことは望まない。彼らを元に戻す。それだけが俺の祈りだ」
「つまらない、とは言わないよ。君らしくていいじゃないか。君は、初めからそうだったもんね」
「新たな力を手に入れるために呪いを進行させたとして、彼らは本当に元に戻せるのか?」
「それは正直……やってみなきゃわからない。でも、君の最終目標は、石化した人間すらも元に戻すことだろう? 呪いの進行だって、そこに至るためのプロセスなのかもしれないよ?」
やってみなきゃわからない。確かにその通りだろう。
俺とメアは、未知のものに挑戦しているのだ。リスクはあって然るべき。一の成功のために百の失敗は大前提。そのつもりで立ち向かわなければ到底解決の出来ない問題に立ち向かっているのは百も承知で、俺はメアの目を見た。
「……約束してくれ。呪いが進行して、もしも呪い人の彼らが変異したとしても、彼らを助けるために手を貸してくれることを。……どうか、頼む」
そして、深々と頭を下げた。
これだけは、決して譲れない。それこそが、彼らへの報い。
そのくせ、自分ではどうにかできる力も頭も無い。
そのための努力を惜しむつもりはないが、メアの協力が無ければ話にならない。
悔しいことだが、俺はメアに比べれば無能である。
だが、メアは天才だ。
俺は確信している。メアならば、間違いなくこの紫晶災害を終わらせられると。
ガルメア・エディクレスという男は、歴史に名を遺す人物だ。俺とは違って、美名として歴史に名を遺すに違いない。
だからこそ、そんなメアに見放されぬよう、必要とあればいくらでも頭を下げよう。いくらでもこの身を捧げよう。
だから、どうか。
「……」
その一心で頭を下げていると、返ってくるのは身動ぎによる衣擦れと、重みすら感じられる沈黙の間。
「……あの男にも言ったけど、僕は、約束は守る男なんだ。それに、研究に協力してくれた人らを無責任に放り出すのは、僕の主義に反する。君は、僕が彼らを見捨てるとでも思っていたのかな? それはそれは、大層な名誉棄損に当たるけども、そこんところ、どう考えているのかな?」
その沈黙を破るように淡々と、それでいて俄かに怒りを宿した声音で語られたメアの言葉に頭を上げると、メアの手刀が頭部を襲った。
「痛いな」
「共犯、ってのは、死ぬまで共犯なのさ。どちらかが死ぬまでじゃない。お互いにくたばるまで、共犯関係は消えないんだ。そんなことも分かっていない君は、もしかして勝手にどこかでくたばろうとしてるのかい? そんなの僕が許さないからね。君が死ぬ時は、僕の反感を買って僕の手で殺されるときだ。平和な老後を過ごして子や孫に看取られる最期なんてのも許さないよ。君は、僕が殺す。そして僕を殺すのも、君だ。これは、そう言う契約なんだから」
「……それは、長い付き合いになりそうだな」
そう答えると、メアは露骨に表情を顰めてそっぽを向いてしまう。これは照れ隠し、だろうか。
しばらくあらぬ方向を見ていたメアだったが、深い溜め息を吐きながら立ち上がる。
「……言った通り、君は明日、完全休養日だ。もう夜も近いからね。さっさと眠るように。あの男から聞き出した話は明日の内にリリスちゃんに共有しておくから」
「あぁ、おやすみ」
「……おやすみ!」
きちんと休むように、と念を押して去って行くメアの背に向かって声を掛けると、メアは苛立たし気に返事をして出て行くと、診療所の片隅に残されたのは俺一人になる。
「……長い、一週間だったな」
久しく感じていなかった心地良い疲労感に包まれる中で、一週間ぶりの寝床に横たわる。
横になって目を瞑りながら、明日のことを考える。
しつこいくらいに言い渡されたように、明日は完全休養日。とは言え、休養日とは何をすればいいのか。一日中素振りをしていたら、また怒られるだろうか。なんて考えていると、明日のことに思いを馳せると言う行為ですら久しいことに気が付く。
──明日はどんな一日になるだろう。
そんな平和な思考。
最後にそれを考えたのは、いつのことだったか。
記憶を浚うために深く呼吸を繰り返していくと、段々と意識も沈んでくる。
それから間を置かずして、俺は夢の世界へと旅立っていくのだった。
補完という名の、言語解説。
【穢れ人】
最下層の人間を指す差別用語。
貧民街にすら居場所のない、街をうろつくだけの浮浪者や犯罪者、特定の仕事を行う下男下女を侮蔑するためにしか存在しない呼称であり、主に一般市民が蔑称として口にすることが多かった。
貴族間では穢れ人と一般市民の区別がついていないという意味でもあった。




