一節 共犯2
「こ、この鍵で本当に、外せるんだな……?」
「そんなに心配? 元々は君の持ち物だった物だろ? 鍵くらい見覚えあるだろう。もっとも、その辺に転がしておいてあったくらいだ。覚えていなくても仕方ないけどね。……まあでも安心したまえよ。それは紛れもなく正真正銘、その首輪の鍵だ」
目の前まで森の草木が茂る小屋の前で、デゲントールは待ちきれない子犬みたいな顔で受け渡された鍵を眺めている。そこに畜生ほどの可愛さも無ければ、愛でられるほどの愛嬌も存在していないが、共通点を挙げられるとすれば欲望に忠実なところだろう。それは子犬であれば可愛いで収められる範囲だが、人間単位となれば悍ましいとすら言える表情で。
拘束が解かれたデゲントールは、前にメア、後ろに俺と挟まれて地上に上がって来たのだが、その間にもメアに媚びを売り、俺とは距離を取ろうとしていた。囚人と看守のような間柄であるからその態度にどうこう思うつもりは無いが、デゲントールが浮かべるその表情を見て確信した。
──この男は、微塵も反省などしていない。
と。
もちろん、俺が言えた義理ではない。むしろ俺がそう思われてもおかしくない立場だからこそ、デゲントールの振る舞いに抱く腹立たしい気持ちを、拭うことが出来ないのであった。
メアに鍵が本物であると言われて確信を得られたデゲントールは、早速その首輪の鍵穴を探し出す。
だが、そこで、メアが動いた。
「……首輪を外すのは、まだ早いよ」
「ヒィッ……?! な、なんで、どうしてだよ?! あんたらの欲しい情報は、全部話しただろ! や、やっぱり、俺を生かして返すつもりなんて、無かったんだな!」
しゃなり、と耳心地の良い音を立てて鞘から引き抜かれた剣がデゲントールを牽制する。
嘘つき、と叫ぶその口は、一体どの立場で物を言っているのか。
「話は最後まで聞きなよ。君が首輪を外すのは、僕たちの視界から外れてからだ。それまでに首輪を外すような素振りを見せたら……殺すから」
「な、なんで、どうして……!」
「君ってば、都合の良い頭をしているね。君のその立場で言うこと全てを信じてもらえると、本気で思っていたのかい? だとすれば、相手は相応に間抜けだよ。それとも……僕はそれだけ、君に軽んじられていた、という意味でもあるのかな?」
「ち、ちがっ……!」
「だとしたらがっかりだ。僕ってば、こう見えてもプライドだけは高いんだよね。馬鹿にされるのが一番……腹が立つ」
「わ、分かった! 分かった! 分、かりました……! い、言う通りにします! だから、その剣を下ろして……!」
メアの静かな怒りを前にして、デゲントールは大人しく両手を上に挙げて無抵抗を示す。
それでも、メアは剣を下ろすことなく、対峙する。
「……言う通りにする。お前たちの言うことに従う。だ、だから……そっちも、後ろから何かするような真似は、やめて、ほしい……」
「君が何か注文を付けられる立場にあると思ってるの?」
「うぐ!」
「まぁでも、君が何もせずに立ち去るなら、何もしないと約束してあげる。ほら、時間を無駄にしないほうがいいよ。あと四時間もすれば日が傾く。そうすれば、森の中は真っ暗闇だ。明るいうちに進めるだけ進んだ方がいいんじゃないかな? この森は、広いからね」
せめても、と頼み事を繰り出したデゲントールは、一切交渉の余地など無いと切り捨てるメアの言葉に、忌々し気に突き付けられた剣先を睨んだ。
「く、食い物とか、水、とかは……」
「自分で確保しなよ。……日暮れまでが君の寿命だとしたら、ほら、こんな問答している時間も勿体ない。さっさと行動に移るべきだと思うけど?」
「う、ぐぅ……! この、人でなし共め……ッ!」
メアはわざとらしく金の懐中時計を取り出して文字盤を見せつける。
デゲントールが時計を読めたかどうかは分からないが、どの口が、と思わせる言葉を吐き捨てて背中を向けたデゲントールは、森の中へずんずんと入り込んでいく。
鬱蒼と茂る木々の合間から覗く紫水晶の輝きが、彼の存在を主張する。
その光がいかに小さくとも、目敏い森の獣や魔物にとっては絶好の的である。あの様子では、彼の命もそう長くは続かないだろう。
「……生きて出られると思うか?」
「さぁ? 悪運が強ければなんとか生き延びれるんじゃないの?」
「メアでも、分からないのか?」
「これに関しては分かる分からないの問題じゃないさ。それこそ、未来予知でもしなきゃ分からないよ。……あの男には、次にこの村の周辺に姿を現したら問答無用に出合い頭で殺す、って言い含めてあるからそう易々と戻ってきたりはしないと思うけど、ああいう輩は総じて、悪運が強いことがあるからね。もしかしたら、と思ってるだけさ」
メアの言わんとしていることは、なんとなくだが伝わってくる。
悪人と言うのは、生き汚い存在だ。生への執着と言う点であれば、漫然と生きている一般人と比べて何倍もの執着心を心に抱いている生き物だ。かく言う俺自身も、これまで幾度となく憎んで来た存在の仲間入りを果たした内の一人である。あれだけの罪を犯しておいて、まだ生き延びようとしている。そして、更に人に言えぬような罪を重ねている。
どこまでも救いがたい人間だ。自分でも、反吐が出る。
「……なぁ、メア」
「うん?」
遠ざかっていく紫水晶の輝きを目で追いながら、俺の声にメアは耳だけを傾ける。
暗澹たる思いを言葉に乗せて、厳かに言い放つ。
「もしも、俺が取り返しのつかないことをするようなら……、メア。その時は、お前が俺を殺してくれ」
「……」
この先、どんな未来が待ち受けているのか分からない。ただ、明るいだけの未来は絶対に訪れないということだけは分かっていて。それでも俺は進み続けなければならない。この道を進んでいくと決めた、メアに助け出されたあの時、俺は誓ったのだ。だからどんな未来が待っていようとも、俺はこの足を止めることは決してないと言い切れる。
だが、俺の心は、別だ。
シャーリィが石に変えられた後で心を保っていられなくなったように、俺の体が壊れるより先に心が崩壊することが、あるかもしれない。そうなれば、俺はただ息をするだけの肉人形だ。そうなってしまえば、俺は俺のまま目的を達することが出来ないまま生きながらえることになる。足を止めざるを得なくなる。他にも、何もかもに嫌気が差して、この力を傍若無人に振るうようになるかもしれない。
俺が進むと決めた道から逸れそうになった時、足が止まった時、メアには、俺を殺して欲しかった。
「……」
あらゆる可能性を考慮すると、その可能性が全くないとは言い切れない。かと言って、それが必ず起こるとも言いがたい。結局は、俺の心持ち次第。
だから、これは言うなれば保険である。メアならきっと、俺に向かって何のためらいもなく剣を振るえるだろうから、彼に頼んだ。
しかし、いつもの軽妙なトークが断続するメアにしては珍しく、俺の言葉を受けたメアは反応を示さなかった。
彼は、ただ黙って、森の奥へと消えて行くデゲントールを示す輝きが完全に見えなくなるまで、見つめている。
五分か、十分か。相応の沈黙が続いた後で、ようやく剣を鞘に納めたメアが振り返って俺の方を一瞥すると、そのまま小屋の中に入って行ってしまう。
「……急、だったよな」
話をするのに適した環境では無かった。
感情のままに言葉を口にするのは、余りに幼い行為だっただろうか。メアからすれば訳が分からなくて当然だ、と自省を繰り返してその場に立ち竦んでしまう。
忸怩たる思いから視線を地面に落としていると、再び小屋のドアが開く音がして顔を上げると、そこにはいつもの笑みを湛えたメアがいた。
しかし、先程まで持っていなかったものを手にして。
「久しぶりに、手合わせしよう」
人を小馬鹿にしたような軽妙な笑みから、好戦さを増した獰猛な笑みへと切り替えた彼は手にした剣を手渡しながら、そう言った。
「構わないが……どういう風の吹き回しだ?」
メアが手渡してきたのは、俺の剣だった。
エルフの森で拾った、一振りの剣。解析魔法を持つメアが言うには、刃毀れを防ぐための耐性を付与する魔法だけがかけられている普遍的な剣らしい。遺跡からの発掘品にはこれよりも良い品が溢れており、それらの品は一般兵の手にすら渡るほどだ。
遥か過去の、古の遺物。その時代では、剣が火を噴き、雷を起こし、吹雪を吹かせるのだそう。それすらも量産品である、なんて言われれば、ただ丈夫なだけの剣など、なまくらもいい所だろう。
だが、それでもこの剣は俺の相棒としてこれまでやってきてくれたかけがえのない存在だ。何よりも、手に馴染む。きっとそれら過去の遺産を手に入れたとて、俺はこの剣を手放す日は来ないだろうとすら思えている。
それを持って来られて「手合わせしよう」とは、どういう了見か。
しかも、刃を潰したものではない、れっきとした真剣での手合わせなど、正規の訓練でも数えるほどしかしかやったことがないものだ。
「ここ一週間、君はこの小屋に籠りっきりだっただろ? まともに体を動かしていないんじゃないかと思ってね。それとも……短い期間で、君の腕は錆びついちゃったかな?」
「安い挑発を……」
自分で言っていて可笑しいのか、メアは口元を押さえてケタケタと笑う。
しかし、メアの言う通り、俺はここ一週間、まともに剣を振れていない。というのも、寝ても覚めても右眼の力に振り回されていたからだ。
力の行使が終われば俺は気絶するように倒れるし、数えられる程度しかない起きている時間の全てを捧げて、ようやく制御のコツを掴むことが出来た、といった程度。一週間前のように視界に入った一定範囲内のどこかを石化させるのではなく、きちんと狙った場所を石に変えられるようになったとは言え、今もまだ右眼の力を使えば体力の損耗は著しい。もちろん、それが出来たとて、この力が忌むべきものであることにはなんら変わりないことだが。
そしてその間、日課の素振りすらもまともに出来なかったことを言い訳はしない。
俺はメアに付き従う形で、川辺に足を運ぶ。
「防具も無しに真剣での試合なんて、戦場でも体験できないぞ」
「命知らずだよね。でも、そこがいい。感覚を取り戻すのなら、ヒリヒリした感覚を味わわないと。さて、ウェイド。……準備運動は、必要ないよね?」
一定の距離を取って見合いながら、軽口の応酬を繰り返す。その間に手首や足首と言った関節周りの調整をしていると、突如としてメアの纏う雰囲気が一変する。
言いながら、身体強化を発動したのだろう。
身体強化は無しだろ、なんて甘い言葉は口にしない。
それが使えないことには、もう納得している。
それを羨んだのは、もう過去の話だ。
一切手加減する気配の無いメアに対して、俺は握った剣のグリップの感覚を確かめながら対峙する。
「今日で、君に初めての黒星をプレゼントするよ」
「この状況で黒星と言うと、ただでは済まないんじゃないか?」
「寸止めくらいはできる、さ──ッ!」
短く息を吐いて単純な疑問を口にした直後。メアは会話を途中で切って、直進してくる。この一瞬だけは、決して瞬きをしてはならない。俺の経験がそう叫んでいた。
「ぐっ、く……?!」
「やぁるね~。帝国剣技は先手必勝、そのクセは忘れてないようだ」
案の定、メアは何の細工も無い、純粋な膂力のみで敵を葬り去るべく一直線で剣を振った。スピード、威力ともに優れた一撃は、感応魔法など無くとも足音でリズムを計ればタイミングを合わせるのはそう難しいことではない。難しいのは、それを真正面から受け止めることだ。
「でも、そんな隙、晒していいのかな?」
「くそっ! 痺れが……!」
受け止めるつもりは無かった。
各種一撃を受け流して反撃を狙うのが、身体強化した相手と戦う上での一種の定石と化している俺の戦闘スタイル。だが今回は、明らかに反応が遅れた。一週間剣を握らなかっただけで、こうもあからさまに腕が落ちているのを実感させられると、こちらもムキになってくる。
「そぉら!」
一歩後ろに下がった俺に向かって、メアは気の抜けた掛け声とともに突きを放つ。
だがそんな掛け声とは裏腹に、その勢いは苛烈であり、容赦がない。
ウォーミングアップも兼ねて感応魔法は使わずにいたが、そんな手を抜くような真似をしていたら、一生消えない傷が出来る。下手をすれば、手足の一本や二本持っていかれてもおかしくはない。
寸止めできる、なんて言っていたが、メアは寸止めするつもりもないようだ。
……寸止め、する必要もないってか?
それは一種の、俺の当てつけのようであり、挑戦のようであった。
ゆえに、メアの放った剣先が、拡大した知覚範囲に入るのとほぼ同時に、大きく回避行動を取った。
「……感応魔法、使ったね」
「っ、たり前だろ。使ってなきゃ、死んでたぞ。寸止めする気、無いだろお前」
「散髪程度で済んだから、結果オーライでしょ? さ、次行くよ──」
余裕を持って回避行動を取ったにもかかわらず、メアの攻撃は俺の髪の毛を掠めた。散った毛髪が地面に落ちるのを見て、改めて真剣を使っていることを認識した俺は意識を改め、メアの次の行動に注視する。
「ハッ!」
「……く、うぅっ!」
わざわざ距離を取ったものの、確保した距離を無かったかのようにたったの一歩で距離を詰めてくるメアの攻撃を受け流すべく手足を動かす。
受け止めるのではなく、受け流す。
身体強化を施した剣士の一撃など、俺には到底受け止めることなど出来やしない。だから受け流そうとするのだが、体が思うように動かない。これが一週間ほとんど寝たきりだった弊害か。
……師匠が、こんなことを言っていたのを思い出す。
──修練を一日怠れば、取り戻すのに二日かかる。二日怠れば、四日かかる。
一週間も怠れば、感覚を取り戻すのに二週間も要する。俺とメアは同じ状態のはずなのだが、メアの動きには淀みが無い。これがもし身体強化を使える者の特権なのだとすれば、羨ましくて腹立たしい。
「余計なこと考えてる暇……あるのかなッ?!」
横薙ぎからの、袈裟懸け。
帝国剣技では、連ね技と呼ばれる一連の動きは素早く、正確である。それでいて隙の無い動きは、いかに見慣れていようとも対処は難しい。
瞬く銀の閃きに、俺はみっともなく地面を転がって避けることしか出来ない。
それこそ、見知った動きならば本調子であれば反撃も見込めるのだが、生憎と俺の体は言うことを聞いてくれない。
そんな言い訳を零さざるを得ないことにも腹立たしく、同時に、一縷の隙も無いメアの動きを見て確信を抱く。
「チッ。メア、お前……もしかしなくても、剣、握ってただろ?」
「卑怯だなんだは受け付けて無いから。君に一度でもいいから勝つ。そのためにはこれくらいさせてもらうよ。これも作戦の内さ」
「……まあいい。俺も、ようやく体が温まって来たところだ」
ただ戯れるつもりであったが、メアがその気なら、俺も容赦はしない。
感応魔法は、言うなれば完全手動の後出しジャンケンだ。俺の息が続く限り、相手の持ち得ることごとくをカウンターで返すのが理想の形。
当然ながら俺はその境地にはまだない。
そんな真似は出来るはずもないが、それに似た真似ならいくらでもできる。
臨機応変こそが俺の真骨頂なのだから。
「それじゃあ、ここからは本気で行こう。お互いに、ね」
お互いに呼吸を入れて、構え直す。
これが本当に命のやり取りであるならば、次に剣を振った瞬間に終わる。命のやり取りと言うのは、本当に短く、儚いものだ。そこには何の意味もなく、立っていた者が勝者であり、敗者は死ぬだけだ。
だがこれは違う。ただの試合。そのはずだ。
だから俺は、試合を意識して立ち回らなければならない。それは命のやり取りよりも繊細な動きを求められる。しかも、手に持っているのは真剣ときた。きっとこれにもメアの考えが張り巡らされているのかと思うと、相変わらずメアの考えていることは良く分からない。果たして、剣を交えれば分かるのだろうか。
「──フッ!」
激しい睨み合いもそこそこに、先に動いたのはメアだった。
繰り出して来たのは、突き技。先程も見た一撃。けれども、その鋭さは先とは比べ物にならない程で。
「速ッ……!」
速度も威力も、段違い。
先程回避行動が間に合ったのは、メアが手加減してくれていたというのをありありと見せつけられ、俺は防御姿勢を取るのがやっとであった。
金属同士が擦れ合い、火花が散るような刹那の間で覗き見たメアの表情は、どこか楽し気に笑っているように見えた。
「ボディが……がら空きだよッ!」
突きを放ち終えたメアは言いながら体を捻り、回し蹴りを放つ。
鉄製のブーツが俺の腹を蹴破らんと迫る中、感応魔法でその動きを捉えた俺の脳裏に過ったのは、「不可避」の三文字。突き技を逸らすのに使った剣を引き戻して盾にする時間もない。ゆえに俺に出来るのは、両足を地面につけて、腰を落とし、腹に力を込めて受け止めることだけだった。
「ぐっ、うぅ……ッ?!」
──重ッ?!
仰向けになった状態で人の頭ほどの鉄球を高い位置から落とされたような、そんな衝撃に俺は思わず目を白黒させる。
大きく後方に蹴り飛ばされた俺は、辛うじて受け身は取れたものの、離れた場所で胃液を撒き散らすに至る。ここしばらくまともな食事を取った覚えが無いからか、黄ばんだ酸っぱい匂いの液体だけが地面に撒き散らされる。
「ぉえっ!」
「そぉら! まだ終わって無いよ!」
地面に膝をついた状態を晒した相手を見逃すわけがなく、地面を抉り裂くような斬撃が迫る。反撃をさせず、退路を絞ると言う点における、追撃として選ぶには最適な攻撃手段である。
……相手が、俺でなければ。
「──隙を、見せたな」
すかさず感応魔法を発動させた俺は、迫る刃が止まって見えるようになる。
確かに追撃を放つメアの姿には一分の隙も無い。脇は締まっていて、足腰は踏ん張りが効いている。ならばどこに隙が見えるのか。
それは、メアが反撃は無いと思い込んでいるところにこそ、隙を見出すのだ。
メアが思い込んでいるのは、剣による反撃。それ以外は恐るるに足らないと確信しているからこそ、俺はその隙を突く。
「……そこッ!」
本来であれば反撃を牽制し、メアの右手方向にのみ退路を狭める一手だ。確かに帝国剣技では姿勢を崩した相手に地面から斜めに切り上げる斬撃は有効、セオリーとまで言われるものだが、そこに隙が無いと思い込むことは却って隙を生むことに繋がる。
「はぇ?」
メアがひょんな声を上げたのは、俺が剣を落としたからだろう。
立ち上がった俺が向かった先は、メアが想定した方向ではなく、メアの進行方向とは逆。即ち、すれ違う形になる。
一歩でも踏み出す足を間違えば、手加減無しの剣閃が俺の身を襲う。
腰から肩に掛けて裂かれ、俺は臓腑を撒き散らして絶命に至るのだろうが、ようは、一歩でも間違えなければいい。
的確に、適切に、最適に。
メアの剣の柄に手を添え半身同士、体を添えて態勢は整った。
そこで繰り出すは、当て身。
指先を刃のように固くさせ、一瞬の隙を縫うように差し込んだ右手は見事にメアの顎下に刺さり、メアは何が起こったのか分からない様子のまま地面に背を打つのであった。
そこで俺は浮ついた様子のメアの手から剣を奪い取ると同時にメアの胴体に体重を乗せて無力化するに至るのだった。
「…………痛いんだけど」
「負けを認めるか?」
「……何、今の」
「何って、ただの武術の応用だ。近接戦において、剣術以上に感応魔法と相性が良いから収めておいたんだ。とは言え、身体強化ばかり使う相手には手も足も出ないのが常だったけどな」
帝国での武術指南は、生得魔法の使用は厳禁。ゆえに身体強化のみでの戦闘となるが、当然俺には身体強化は使えない。結局一般兵相手に負けっぱなしだったものの、基礎は覚えることが出来た。
だからと言って、武術を習得した人物であれば誰でも今回と同じように隙を突いて懐に入れるかと言われれば、それは無理だと答えられる。
そもそも、本来ならばメアに隙など一切無かった。俺の剣の動きを完全に制していたし、あのまま剣で戦っていたならば、今頃はメアが俺を見下ろしていたことだろう。
俺はただ、感応魔法によってメア自身でさえも気付いていなかった隙を見つけてそこを突いたと言うだけの話。
言葉にするなら、戦闘中に針と糸を持って、その針の穴に糸を通すような行為だろうか。それも、その針の穴は常時移動しているのだと考えれば、その難度の高さが分かるだろう。俺はそれを、感応魔法によって人より考える時間を多くとれると言うだけの話である。何も凄くはない。もしかすれば、師匠やそれと同等の人物であれば、当たり前のように同じ真似が出来るかもしれない。そちらの方が、よっぽど凄いことをしていると言えるだろう。
「はぁ~あ! 折角ウェイドを出し抜いてやろうと思って対策も完璧にしてきたのになぁ! また負けたし! 最悪!」
「やっぱり、そういう考えだったか」
その点で言えば、メアは完璧に俺を封じていたと言える。
感応魔法の弱点は、それを使う俺自身だ。突き技からの一連の流れは見事に俺の手を封じていたし、そこからの流れも完璧だった。俺が武術を使うというのを頭に入れておけば、俺の動きも読んだ上でメアは行動に移っていたに違いない。
だが、この勝負。俺の勝利だ。
武術が使えることを隠していたのって卑怯じゃないですか、と言われても勝ちは勝ちである。
「……ほら、放してよ」
「あぁ」
勝利の余韻に浸っていた俺に対して、最後まで鹿爪らしい表情でいたメアは立ち上がり、土埃を手で払う。
そう言えば何の話だったか、と俺が首を傾げていると、メアは何故か再び剣を手に取り、身構えるのだった。
「さ、もう一勝負と行こうか」
「まだやるのか?」
「そりゃそうさ。この一週間で編み出した作戦をまだ一つしか試してないし……」
そこで言葉を切ったメアは、感触を確かめるように剣を振る。
慣れた手つきで剣を弄びながら、明日の天気について尋ねるみたいに本題を口にした。
「それに、なんだったっけ? 君が、取り返しのつかないようなことをするって? ハッ、そんなの……今更だろ。君はもう既に歴史に名を遺す大悪党だ。そんな奴が、何を今更怖がっているんだ」
「……そう、だけど」
「あぁ、いい。皆まで言わなくて結構。君のうじうじした愚痴を聞いていると耳にカビが生えるからね」
「そこまで言わなくても……」
「大方、使えるようになった力の大きさに怖気づいたんだろ、どうせ。そんなもの、考えるだけ無駄さ。そんなことを考えている暇があるなら、それをどうやって防ぐかに注力したまえよ。初めから駄目だったときの事なんて、考えるべきじゃ、ない」
そう言い切って、風を切る音と共に俺に向かって突き付けられた剣先。
そこに迷いはなく、奥に見えるメアの鋭い眼光が俺を捉えていた。
「……っ」
当たり前だが、メアが見えているのは俺だ。俺を見ている。俺を通した誰か、ではなく、俺をきちんと見てくれている。
そのお陰か、気圧されそうな眼光だが決して心臓を掌握されたような冷たさは感じられない。むしろ、メアの視線と共に突き付けられた感情は温かく、心地良さすら感じられるものだった。
──これはきっと、信頼と呼ぶものだ。
忘れていた感覚だ。この感覚は、機竜小隊時代、メアやワーグナーから幾度となく受け取っていたはずのものである。それを、いい加減目を覚ませと言わんばかりに平手打ちされたような衝撃に、俺は思わず黙り込んでしまう。
メアが「それと」と付け加えるように口を動かす。
今この瞬間だけは、メアが何を言わんとしているのか手に取るように分かる。俺は黙って、メアの言葉に耳を傾けるのだった。
「……僕と君は、共犯だ。君が不味いことになれば、必然的に僕の立場も終わる。そのことを頭に入れておいてくれよ」
そう言って剣を下ろしたメアは、緩やかな歩幅で距離を取る。
──共犯、か。
メアの口から直接「信頼」や「信じてる」なんて言葉が聞けるとは思っていないが、その言葉は正しく、俺とメアの関係を表わすのに最適な言葉だろう。
「……いざとなれば、俺を切り捨てるんじゃなかったか?」
「そうなったら、君の首を手土産に持って帰るしかないから、君に勝てる作戦を一つでも多くしておかないとだ」
「それなら、まだ負けられないな」
軽口の応酬をしながら、俺とメアは互いに剣を構える。
そこからというもの、俺とメアは気が済むまで真剣勝負を繰り返すのだった。
補完という名の、言語解説。
【帝国武術】
オリア帝国の前身、人間国家が出来る以前の修練の型を元に編み出された武術。
それは人を殺すための帝国剣術とは異なり、自分の身を守るため相手を無力化させるための武術とも言われ、その習得には長い年月と弛まぬ努力が不可欠となる。
長い修練の果てに極みの道に進んだ者であれば、神から授かりし力である身体強化も合わせ、人は己の身と拳一つで竜をも屠るとされている。




