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俺はもう覚悟を決めたから。

これにて第三章終幕です。

第四章は開始まで一か月ほど時間をください。




 ◇




 ……声が、聞こえる。

 けれどもそれは雑音のように聞こえて何も聞き取れない。

 誰かいるのか。何が起こっているのか。さっぱり分からない。


 僕は──いや、俺は、一体どうなっている?


 世界が薄紫色に染まっていて、何も見えない。いや、見えないだけじゃない。呼吸しているかどうかさえも分からない。なんだ、コレは。なんなんだ、コレは。


 それどころか、瞬き一つすら自分の意思で出来ない。指を動かすことさえ、俺には出来ないではないか。


 ──まるで、()()()()()()()()()()()な。


 そこまで思い至った俺の脳裏に、記憶が巡る。


 あれは、星明りも陰る夜の暗闇に包まれた世界だった。

 手探りで進まなければ危険な夜の闇の中で、ただ一人だけ。右眼を妖しく輝かせた偽物に猛り狂った記憶が蘇るのだ。


 何一つとして陰りの無い鮮明な記憶として、脳裏を駆け巡る。

 目の前で母親のように接してくれていたシスターが、双子同然に育てられたシグが、石にされていく光景がフラッシュバックする。

 しかも、それを為したのが、俺とシグを拾ってくれて、生きる術を教えてくれた尊敬に値する兄であるウェイド……の姿をした偽物、だと言うのが俺の感情を振り切らせた。


 あの時の感情は、思い出すだけでも目の奥が燃えるように苛烈だった。目の前が真っ赤に染まるような激しい怒りの感情をあそこまで抱いたのは、俺の人生で初めての事だった。


 ──()()()


 あぁ、違う。全然違う。

 この感情は、過去の記憶なんかじゃない。過去のものなんかにしていいものじゃない。

 ましてや、一時でさえも忘れられる記憶じゃない。脳裏に焼き付いた目を覆いたくなるようなあの光景は、忘れたくても忘れられない。染み付いた激情もまた、忘れられなくて。


 だから鮮明に思い出せるし、新鮮なまでの激情が俺の体を激しく揺さぶるのだ。


 ──あの男を、この手で必ず、殺す。


 その一心で、俺は俺の身体の末端に至るまで熱を走らせる。

 シスターとシグの仇を晴らすために、そして何よりも、ウェイド兄ちゃんの姿で、声で、俺たちを騙し討ちしたあの偽物を生かしてなどおけない。だから早く、一刻でも早く目を覚まさなければならないのだが、俺の体はほんの少しも動いてはくれない。


 ……そもそも俺は、果たして眠っているのか? 眠っていたのか? いつ、どのようにして目を覚ましたのか? それすらも分からない。もし仮に眠っていたのだとすれば、なぜ目覚められないのか。こんなにも意識がハッキリとしているのに、なぜ。


 疑問はそれだけに尽きない。それ程までに激しい感情を抱いたにもかかわらず、俺の記憶はそこで途切れている。ウェイド兄ちゃんの偽物に向かって死すら願うほどの感情を向けたのが最後。それ以降の記憶を思い出せないんだ。


 どうやって意識を失ったのか。

 どうして眠っていたのか。


 そこだけ記憶を抜き取られたかのようにすっぽりと抜け落ちている。長い期間、眠っていたかのようだ。だとすれば、どうして──と、延々と疑問が巡ってしまう。


 だけども、あの偽物に対する感情だけは本物だ。それだけは間違いないと言い切れる。なぜなら今も、あの偽物をこの手で殺したくてたまらないから。


 それさえあれば、後はどうだっていいとすら、思えてきてしまうもので。


 怒りと疑問が頭の中でぐるぐると巡る続ける中で再び、外から声が聞こえた。


「──すが、おか……う。こ……だが、……いのき──」


 だけども声はくぐもっていて、上手く聞き取れない。

 声は聞こえているのに、言葉を文章として認識できないのだ。誰が喋っているのかすら判別できない。


 男か、女か。それすらも判別できない。


 最後の記憶を辿った俺が思い至るのは、この声の主がもしもウェイド兄ちゃんの偽物だとしたら、という仮定のみ。


 もしかしたら、俺は眠ってなんかいなくて。

 意識を失ったのはほんの一瞬だけで。

 本当は今もまだ目の前に石に変えられたシスターとシグがいるのだとすれば、俺はこんなところで眠ってなんかいられるはずがない……。家族を傷付けたあの偽物を、この手で殺さなければならない。だから、一刻も早く目を覚まさなければ──と、そこまで思い出した俺は、肝心な記憶を思い出すに至る。


(そうだ。……俺も、石に変えられたんだ)


 二人と同様に自分の体が石に変えられていったことを、思い出す。


 だが、だと、すれば。

 絶望にも近しい状況を思い出して、俺の胸には希望が宿る。


 ならばなぜ、どうして俺には意識が残っているのか。

 そう思い至った刹那。俺は怒りとは別に、どうしようもないほどに覚醒を促す衝動に駆られる。



 ──二人とも、まだ生きているかもしれない。



 それが本当なら、俺はこんなことをしている場合ではない。

 早く、二人を助け出してあげなければ。


「──いっ……したぞ!」


 外から聞こえていた声も、聞き慣れれば明瞭になってきて、次第に言葉として認識できるようになってきた。

 声の主は一人、二人、三人。段々と区別が付くようになっている。だが、今はそんなことどうだってよかった。声の主がウェイド兄ちゃんの偽物では無いと分かれば、それが誰であるかなど最早考えるに値しない。

 

 俺はただ、二人を助けたい一心のみで、石を砕く──。



「──ッ!」



 石同士をぶつけて砕き割るような音が、俺の体から聞こえてくる。

 奇妙な感覚だ。爪の薄皮を剥くような感覚に、似ている。体の細かな振動で石が崩れていくのだが、感覚的には、体中を覆う薄い膜を破っているような感覚だ。

 息が出来ないのに、息が切れる感覚を味わいながら、俺は耐えず全身に力を込めていく。

 止まっていた血流が、再び流れ出して全身に行き渡っていくかのようである。


 体の奥底から鳴り響く脈動のリズムによる衝撃は振動を生み、断続的に続くそれはやがて全身に伝播していく。


 そして遂に、体を覆う一部分が、剥がれ落ちる。


「ッ……?!」


 最初に世界に産声を上げたのは、目元だった。


 どれだけの時間光を受けずにいたのか、窓から差し込んでくる光が余りにも眩しくて、一瞬世界が黒に染まる。それでも、何も変わり映えしない薄紫の世界よりずっと多種多様な物が映る世界をこの目で見たい一心でようやく光を取り戻した左の視界に映るのは、俺の記憶とは大きく異なる光景。


「生きてる! お前は生きているぞ! 今、助け出してやるからな! 待っていろ!」


 まず目に映ったのは見慣れない大柄の男性と、鎧兜を身に付けた集団。

 その視線の数に俺は狼狽え、動揺を意味するかの如く左目が泳いだ。


 彼らに対してお前たちは誰だ、と問う以前に口はまだ石の中。

 明らかに記憶と違う目の前の光景に理解が追い付かずにいると、素直に歓喜の色を表情に浮かべた大男がこちらに向かって手を伸ばしてくる。


「ジャガーノート様! 慎重に、慎重にお願いします!」

「分かっておる! ……安心しろ、今すぐに助けてやる!」


 俺の理解が及ぶ前に、大男の手によって少しずつ、俺の体を覆う石の欠片が剥がれ落とされていく。

 見かけによらず丁寧な手捌きによって痛みを感じる間もなく、俺の体は徐々に露わになる。


「……っ」


 鼻が……、口が、空気に触れてもまだ、俺は解放されていく実感が得られなかった。あれだけ一秒でも早く俺を閉じ込めている世界から出せ、と熱望していたにもかかわらず、だ。


 体中を覆っていた紫水晶の欠片は、首元まで人の手によって剥がれ落ちると、後は茹で卵の殻を剥く時みたいに全ての欠片が崩れていき、剥がれ落ちていった。

 その時になってようやく、俺は自分の手足が動くことに感動を覚え、掠れた吐息だけが漏れていた喉を震わせられるようになっていた。


 ……ただ一つ気になることがあるとすれば、両腕の体表に生えた紫の結晶だ。

 こんなもの、意識が途切れる前には無かったはずのもの。閉じ込められていたことと直接関係あることは想像に難くない。だが、それに指で触れたところで痛みも無ければ、触れられた、という感触も無い。

 この不自然な物体に恐怖を抱くが、それ以上に優先すべき事実が目の前に迫ってやって来ていた。


 否、飛び込んできていた。


「よく頑張ったな! まずはゆっくりと休んでから──」

「──アキッ!」


 聞き慣れた、けれどもそこに落ち着きを加えられたような声に、俺は思わず表情を弛めてしまう。

 声が聞こえた方に視線を向けると、何か言っている様子の男越しに見えたのは、たった今駆け付けた様子の()()()()()()()が、部屋の入口に見えた。


 見覚えがある、どころではない。見覚えしかない彼女。


 彼女はそう、共に石にされたはずの、シグで間違いなかった。


「し、シグ……! 無事、だったの……?」


 絞り出した声は、聴くに堪えない程に掠れていて。

 それでも彼女の名前を言葉に出来たのは、沸き上がる感動を言葉にしたったからだろう。だが、そうして感動に打ち震えていた、次の瞬間だった。


「ぅおわぁっ?!」


 男の肩越しに見えていたはずの彼女の、シグの姿。

 それが何故か、瞬き一つした刹那の間に、俺の目の前にまで迫って来ていて。


 振り絞ってようやく口に出来た彼女の名前をも上回るほどの絶叫が上がると同時に、俺は彼女の腕に抱き締められていた。


「シグ……お前、今……?」

「あはは! アキだ! アキが、生きてるよ! 変な声もアキだ! ……でもどうせなら、ちゃんと受け止めてよね」

「無理言わないでよ……」


 訳も分からず飛び込まれて受け止めきれずに床に尻餅をついた俺を見て、情けないなぁと笑うシグ。辛うじて腕を拡げて受け止めることが出来たことは褒められることだと思うのだけれども。

 それでもシグがどれだけ心配してくれていたかは、俺の無事を確かめる素振りを見れば聞かずとも分かった。


 だけど俺は、シグに問わねばならない。

 たった今目の当たりにした異様な光景に加えて、何よリもまず彼女自身について尋ねなければならなかった。


「……なぁ、お前、本当に、シグなのか?」

「はぁ? どれだけ寝てたとしてもフツー、幼馴染を見間違える?」


 俺だって目の前の女性が、物心ついた時からずっと一緒に育ってきた幼馴染のシグだって言うことは分かっている。

 所作と言うか、雰囲気と言うか、全てが彼女を意味している。だけど、そうじゃない部分もあるからと俺は問いかけざるを得なかったのだ。


 そう、例えば、シグのその長い髪、とか。


「だってお前、髪が……」


 シグはいつも髪が鬱陶しいと言って、シスターに短くしてもらっていたはずだ。ただ、前髪のヘアピンだけはお気に入りで。


「あぁこれね。あたしもついさっき起きたばっかりだから分からないけど、なんか伸びたっぽい!」

「ぽいって、適当だな……。それに、体も……」

「フフン。そうでしょ、少しグラマラスになったでしょ?」

「いや、全然」

「そこは嘘でも頷いときなさいよ」

「……シグの、足も」

「あぁ、これ? 別に痛くもないし痒くもないから、別にいいかなって。それに……それを言うならあんたの腕だってそうでしょ。あんたもだい~ぶ、変わってるわよ?」


 そう言ってシグが手に取ったのは、床に転がっていた透明度の高い、手のひらサイズの紫水晶の欠片だった。光の加減を調節するかのように傾けて覗き込ませると、そこに映り込む俺の姿は自分の認識とは大きく違っているものだった。


 言うなれば、成長している、とでも言うべきだろうか。


「なっ……んだこれ……! 俺……?」

「お、俺?! ぶはっ! アキが、俺って……、俺って言った! ぶはははッ!」

「ンなッ、い、いいだろ、そのくらい……!」


 吹き出したシグは、お腹を抱えたかと思うと、手の平で盛大に床を叩いて笑い転げる。……そこまで笑わなくたっていいだろうに。

 骨ばった顔付き、自分ではあまり気が付かなかった伸びた髪なんかも違う。自分の変わった体をしげしげと見ていると再びシグが「なんかキモい」と言って来たので小突いてやった。いつまでもやられてばかりの俺では無いのだ。


 しかし、感動の再会はそれまでだった。


「……幾許かの休息が必要かと思えたが、どうやらその必要も無さそうだな。感動の再会を邪魔するのは忍びないが、儂らにも儂らの事情と言うものがあるのでな。少しばかり、お前たちの話を聞かせてもらうぞ」

「ええと、シグ。この人たちは……?」

「知らない。あたしもさっき目覚めたばかりだって言ったでしょ? 目が覚めてすぐにあんたが目を覚ましたって聞いたから、この人たちの話をほっぽって駆け付けたんだから。だからあたしも、詳しい話はまだこれから」

「儂の名は、ファリオン・エムズ・ジャガーノート。オリア帝国にて軍事顧問をしている者だ」

「じゃ、ジャガーノート……?! それって、帝国の英雄と同じ名前だ……!」

「それって凄いの?」

「シグ、知らないの?!」

「あたし、そーゆーの興味ないし」

「こ、この御方は、凄い人だってこと!」

「ふーん。そんな人が何でこんな田舎に。それも、ただ事じゃない雰囲気をぶら下げてやって来たんだろうね?」


 シグの言葉に視線を巡らせると、英雄様のみならず、鎧兜を身に付けた帝国の兵士たちが物々しい様子で俺たちを見ている。俺とシグを警戒している、と言っても過言ではない雰囲気だ。しかも、良く見れば彼らの鎧兜は帝国でも一握りしかいないとされる騎士団のマークだ。なんでそんな重鎮とも呼べるべき人達がこんな辺境の片田舎にやってきているのか。

 冷静に彼らを疑問視するシグと違って、高揚した頭で困惑した俺は目覚めたばかりの頭を冷やすために辺りを見回した。


 そう言えば、この部屋はどこなんだろうか。

 俺たちは確か、教会の庭先で石にされたはず……。見覚えがあるとすれば、教会にある俺たち孤児の寝室だが、あの部屋で紫水晶の欠片がこんなにも散らばっていた記憶は無い。何しろ、床には俺の分を遥かに凌ぐ量の欠片が散らばっているのが見て取れる。

 もしや彼らが散らかしたのかと疑問が浮上してくるが、彼らは帝国の模範とも呼ぶべき規範意識を持つ、農民の俺たちよりもよっぽど優れた人達だ。そんな人たちが、こんな真似をするだろうか。


 浮上した疑問を一度横に置く。置かざるを得ない。何せ、情報が少なすぎるから。

 まだまだ自分たちの置かれた状況を把握するには時間が掛かりそうだと頭を悩ませていると、英雄様から信じられない言葉を突き付けられた。


「──儂がこんな辺境にまで足を運んだ理由はただ一つ。世界的災厄、紫晶災害を起こした主犯、セナ村のウェイド。奴を追ってのことだ」

「ウェイドが、災厄ぅ……? は、ハァ? おじさん、何言ってんの……? 寝惚けたこと言ってると……」

「いいや、シグ。俺たちは覚えているはずだ。俺たちを、こんな目に合わせたのは誰かを」

「……」


 英雄様に食って掛かろうとしたシグの肩に手を置いてそう告げると、シグは渋々といった様子で斜め下を向いた。足元には、紫水晶が転がっている。それを彼女は、足蹴にしていじけた様子を見せる。


 やはり、シグも覚えている。

 あの紫水晶の中で彼女が何を見て、何を感じたのかは分からない。だけど、俺と同じようにウェイド兄ちゃんによってこの体を石に変えられていくあの瞬間を、覚えているんだ。


「ふむ……奴が逃げて来るのであればこの場所だと踏んで来たが、まさかこんな拾い物をするとは思ってもいなかった。あぁそうだった。お前たちの名を、聞いていなかったな」

「……」

「こ、こっちはシグで、俺はアキです」

「ふむ、良い名だな。神父に付けてもらったのか」

「いえ、ウェイドに……」

「……そうか。それは、残念だったな」

「そ、その!」

「む。どうした?」

「……ウェイドを、殺す、のですか」

「……だとしたら、どうする? 庇い立てるつもりか?」


 ウェイドの名を出す度に英雄様の目が剣呑になっていく。

 流石は英雄様だ。彼の放つプレッシャーを真正面から受け、身震いが止まらなくなる。彼から目を離したくなるが、目を逸らしたら負けだ。もう二度と、俺はこの人に勝てなくなる。だから瞳が渇こうと、口の中がカラカラになろうと、俺はここでこれだけは言っておかなければならなかった。


「い、いいえ。俺が言えるのは、一つ、だけ。……あ、あのウェイドは、()()です」

「ハァ?!」

「ほう、偽物だと?」


 そうやって意を決して言葉を口にした先で、英雄様は初めて瞳を瞬かせた。


 俺の怒りは、シグの無事を確認してもまだ収まるところを知らない。英雄様が、騎士団の彼らがどのような思いで、覚悟でセナ村にやって来たかは知らない。けれども、奴だけは……あの偽物を殺す覚悟だけは、誰にも負けていないと自負している。だからこれだけは、誰にも譲りたくなかった。


 シグが信じられないものを見るような目を向けてくるが、これは俺の覚悟の表れなのであった。


「……ウェイド兄ちゃんは、俺やシグを、家族のことを一番に考える優しくて、強くて、頼りになる、誰よりも尊敬する人です。でも、あの時のウェイドは……違った。俺の知るウェイド兄ちゃんなら……絶対にあんな真似、しない。目の前の責任から、逃げたりなんてしないから」

「アキ、あんた……」

「それで、奴は偽物だと?」

「そ、そうです。だから、俺はあいつを許せない。あの偽物を殺すのなら、俺にやらせてください! ウェイド兄ちゃんの名誉のために……! 俺たちの、屈辱を晴らすために!」


 俺の覚悟を受け止めてくれた英雄様は、横顔を向けて僅かに思考の間を挟む。

 その沈黙が、とにかく怖かった。きっとこれは、千載一遇のチャンスに違いないから。ここを逃したら、もう二度とあの偽物と対峙する機会は得られないかもしれない。そんな気がした。

 だから俺は、喉の渇きも忘れて彼の一挙手一投足に注視する。

 隣から刺さる何か言いたげな視線には気付かない振りをして。


 それからしばらくしてから、にやりと彼の口元が動いたのが見えた。

 笑みは肯定的な意味だけを有していると解釈しつつも、言葉こそが全てである。英雄様の口が発する言葉を一言一句聞き逃さぬよう集中する。


「……いいだろう」

「ジャガーノート様?!」

「あ、ありがとうございます!」

「だが、使えないと分かればすぐに捨てるぞ?」

「……おじさんなんかより、ウェイドの方が強かったらどうするの」

「し、シグ!」

「ハッ! 儂が、奴より弱いなどあってたまるか」

「ウェイドは強いんだから! あんたなんかより、ずっと──」

「──なぜなら、儂は奴の師匠だからだ」


 英雄様の近くに居れば、ウェイドの偽物に近付けるかと思っていたのだが、それがまさか英雄様に鍛えてもらえるなんて、と思っていたのも束の間。

 シグの挑発的な言葉から繰り出された返答に、俺は思わず言葉を失った。


「奴は儂が育てた。……もっとも、今では縁を切ったのだがな。だから正確には元師匠、だ。つまり、儂は奴より強い。納得できたか? できたのであれば、諸々の話を聞かせてやる。お前たちが、石にされた後の世界の話をな。だからお前たちも、協力してくれ。何せ此度の件、謎が多すぎる上に、情報が少なすぎるのだ。ここで何があったのか。お前たちの身に何が起こったのか。それを答えてくれるだけでいい」

「……分かったわ」

「精々、気が狂わないでくれるとこちらの手間も省けるというものだ」

「ありがとうございます!」

「では、こちらへ……」


 慌てて頭を下げるが、シグは終始不満げな顔をしたまま、去って行く英雄様の背中を見つめていた。

 代わりに別の兵士が俺たちを伴って別の部屋へと移動していくのだが、その間もシグは眉間に皺を寄せたままだった。


「これより語るのは、全て事実です。全て起こったことです。この世界は一夜にして──」


 そうして移動した先で語られたのは、大きく変わったと言うこの世界の話だった。

 生活が、価値観が、全て引っ繰り返ったというのだ。僅か一夜にして。

 到底信じられないような内容に耳を疑ったのだが、世界の事情を語ってくれた騎士様の話しぶりに、嘘や誤魔化しは一切感じられなかった。

 当然、全てを飲み込むことは出来ない。だがそれも含めて、少しずつ実感していってほしい、とのことだった。


 長い長い説明を終えた騎士様が部屋を出て俺とシグが二人きりになった後、俺たちは揃って深い息を吐いた。


「信じ、られるか……? 世界が、変わってしまっただなんて……」

「……」

「あれから、三か月()()()()()()()()んだぞ?! なのに、この、体……! 訳が分からない……!」


 ようやく吐き出せた声は震えていて、俺はこの世界に起こった変革に恐怖を抱いていた。


 一生のほとんどを、生まれた土地で過ごす。

 多くても、二つの場所で暮らすのが精一杯だと言われている中で、俺はウェイド兄ちゃんの背を見て育ってきた。俺もいつか、ウェイド兄ちゃんみたいにセナ村だけじゃない、外の世界に飛び出して行くような、冒険者になるのが夢だった。だから色んな知識を蓄えていたし、この知識はウェイド兄ちゃんの助けにもなる、なんて大それたことを思ってすらいた。あわよくば、連れて行ってもらおうと。


 だが、その世界が、たった一夜にして崩壊してしまったのだ。


 あの夜、たった一晩のうちに起こった災害によって、全てが変えられたのだと言う。


 しかも、それは人の手で引き起こされた災厄である、とまで。

 それを為したのが「セナ村のウェイド」であると聞いて、俺は息を飲んだ。英雄殿の口振りや、物語る騎士様の様子から、それは窺い知れた。だからこそ、ウェイドの偽物が俺やシグ、シスターだけではなく、世界中の人たちを巻き込んだと知って尚更怒りの感情は熱を増していた。


 騎士様が教えてくれた話の中でもとりわけその勢いが強くなったのは、この教会についてのことだ。


 あの、俺たちの寝室で床に散乱していた紫水晶の欠片。

 足の踏み場もないくらいに散らばっていた破片。俺一人分にしては数が多く、仮にシグの分と合算したとて計算の合わないそれらがかつての家族だったものだと聞かされた瞬間、俺は泣き崩れた。


 一体何を、どう考えたら、家族をその手にかけられるのか。

 俺には考えられない。考えたくもない。理解したくもなく、ただひたすらに、あの偽物に対して憎悪だけが募っていく。

 ましてや、孤児であった俺たちを広い心で迎え入れてくれた神父様でさえ、書斎で跡形もないほどに粉々にされていたのだという。ハーヴリー神父は、寡黙な父親のような存在だったと言うのに。


 唯一、形あるままで残されていたのは、俺とシグ、それからシスターだけだった。残るシスターは今、教会の別の場所に安置されているが、俺やシグのように目覚めて動き出す気配はないそうだ。


 その話を聞いて、俺はより一層ウェイドの偽物に対して怒りが募った俺は、知っている限りの話を打ち明けた。

 あの夜の話を。ウェイドの偽物は、紛れもなく真犯人であると。彼によって、様々な不幸が起こったのであれば、それを見ていて止められなかった俺がその責任を果たすべきだと、より一層意気込んで全てを話したのであった。


 ただ、そんな俺の横でシグは終始黙り込んだままだった。俺が泣いていた時も、彼女がどんな顔をしていたかは分からない。それでも、悲しんでいたのは間違いないだろう。

 そんな彼女がまともな反応を示したのは、今日でその紫晶災害から三か月もの時間が経過している、ということについてのみ。更には、唯一口にしたのは「アキと同じことしか知りません」という丁寧な説明をしてくれた騎士様に対する、明らかな拒絶の意思であった。


『無理をして戦う必要は、ありません。ジャガーノート様はああ言いましたが、あなた達を受け入れる準備は整っていますから、安心してくれていいですからね』


 シグの拒絶の態度を前にしても騎士様は大人な対応で流してくれて助かったが、その騎士様が去った後、俺も落ち着きを取り戻して来たところで、俺はシグに詰め寄った。


「シグ、お前な──」

「……アキ。あんた、どういうつもり?」


 しかし、彼女の剣幕は俺の想像以上であり、俺は却って問い詰められる形になってしまう。


「どういうつもり、って、なんだよ」

「ウェイドが偽物だとか、なんとか。アレ、本気で言ってるんじゃないでしょうね」

「……っ、じゃあ、お前にはどう見えたんだよ! あの時、ウェイドはシスターを殺して、俺たちを見殺しにした! それに、今の話だって聞いただろ! あいつは、家族を全員石に変えて、全員を粉々に……自ら手を下したんだ! あいつが、みんなを殺したんだぞ?! ましてや、俺たちの育ての親すらもだ! そんなの、そんなの……ウェイド兄ちゃんなんかじゃ、ないだろ……! ウェイド兄ちゃんが、そんなこと、するはずない……! 信じてるから! だから……」

「アキ……」


 思わず声を荒げ、呼吸を乱して発露させた感情を目の当たりにしたシグは、尚も怪訝な眼差しを向けたままであったが俺は既にこの決意を変えるつもりは無い。


「俺は、やる。やるよ。むしろ、俺がやらなくちゃいけない。俺が、あの、偽物を止めなくちゃいけないんだよ。そのために、俺はこうしてまた、動けるようになったのかもしれないから」

「……ハァ、分かったよ。あたしもやる。あんた一人だと、心配だし」

「シグ!」

「言っておくけど、あたしはまだ、あの兵隊さん達を信用してないから。……誰かが全部見たって言ったの? 全部、状況証拠からの憶測じゃない。証拠はどこにも無いし。だから、ウェイドがやったなんて信じられないからこそあたしはあの人達を疑い続けるけど」

「……信じられないからこそ、信じるんじゃないか! 俺たちは今、与えられた情報でしか判断できないからこそ、彼らを信じるんだ! そうじゃなきゃ、何も始まらないだろ……」

「……あっそ。好きにすれば?」

「あっ、おい、シグ!」


 納得しかねない、と横顔が物語るシグはそれだけ言うと部屋を飛び出して行ってしまう。


 アキにもあの時の記憶があるのだから、ウェイドがやった、というのが嘘ではないことは重々承知のはず。だがそれを認められないのは、彼女がウェイド兄ちゃんに恋心を抱いているからだろう。ずっと傍でシグを見てきたから分かる。俺も同じだから。俺もずっと、強くて賢くて優しくて、勇気のあるウェイド兄ちゃんに憧れていたからあの人がそんな事するはずがないと言う気持ちは、痛いほど分かるんだ。


 だからこそ、俺たちの手で止めてあげなければならない。

 責任を持って、終止符を打たねばならないのだ。


 目が覚めたらいきなり世界が変わっていて、大切な人はみんないなくなりました、なんて聞かされて「はいそうですか」なんて納得できるわけがない。シグは今、心細いだけなのだ。その感情を共有できればその心細さも少しは和らぐかと思うが、それはできない。


 なぜなら俺は、もう覚悟を決めたから。


 だけどそれも、明日になれば話が通じるだろう。

 シグは不真面目なくせに、頭は誰よりも賢かったから。時間はかかるだろうけど、きっと分かってくれるはずだ。


 俺はその日、成長した慣れない体と、突如として詰め込まれた信じられない内容の情報に頭も体も、それから心も疲弊してしまっていた。

 お陰で、横になった途端すぐさま寝入ってしまう。


 そのため、この体に芽生えた新たな力を自覚するのは、翌日以降のことだった──。












補完と言う名の、言語解説。


【石化】


人が紫水晶に変わる現象。

その人を包む紫水晶は魔力体の結晶であり、自然界に存在する鉱物としての紫水晶とは組成自体大きく異なるため、全くの別物である。また、その硬度は人によっても異なっており、軽く叩いただけで脆く崩れるものから、ハンマーやミノで殴っても傷一つ付かない物まで存在している。

その紫水晶の中で人が生きているのか、それとも死んでいるのかは不明。石化が解けるのかも不明。成分分析でも未知の物質として扱われるため解析も難航している。そんな中で研究塔は石化した人間を砕いて新たな魔力物質体に変換する方法を水面下で模索中。それが実現されれば、石化された人達は人ではないとされ、人権が剥奪されかねない事態に陥ってしまう。一方で、セナ村で発覚した石化から人間に戻るという稀有な例。そんな貴重なサンプルをファリオンが逃すはずもなく、この情報はすぐにでも帝都に持ち帰られることだろう。

ファリオンが持ち帰るアキとシグという二つのサンプルは果たして、時間経過と共に問題と謎だけが増えていく紫晶災害を解明し、帝国が再び世界一の国として復旧する手立てとなり得るのか。それとも、国を二分する争いの種と化すのか。それは誰にも分からない。

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