天は私を見放した。
◇
「実に素晴らしい朝ですね。そう思いませんか?」
「り、リーダー……。こ、これで、本当に良かったのですよね……?」
ハーブティーの香りに包まれ、ここ数日とは大きく異なる爽快感に満ちた朝を迎えた私は、小屋の外から聞こえてくるただならぬ喧騒に耳を傾ける。普段ならば下等種族の奏でる耳障りな不協和音にしか思えない喧騒も、今日だけは帝都一の楽団が奏でる優雅な劇場音楽に聞こえてなりません。
達成感に満ちたこの感覚を、一刻も早く肉欲に変え、手に持つハーブティーを勝利の美酒へと昇華させたくてたまりません。ですが今は、全てが終わるのをただ座して待つべき。笑みを浮かべるのは、油断するのはその後でなければならないのです。
「わ、笑っておられるのですか……?」
……おっと。私としたことが、感情が先んじてしまっていたようで。
オホンと咳払い一つして表情を取り繕い、対面に座した男に向き直ります。
彼は一体何が恐ろしいと言うのか。恐怖を顔に張り付け、必要以上に怯えた様子で震えています。折角のハーブティーも冷めてしまうではありませんか。呪い人の彼らには、私特製のハーブティーはあまり喜ばれないらしい。飲んでくれたのは、あの脳足りんな兵士の娘と、殺した下位貴族の男だけでした。こんなことなら、私の優雅なティータイムのためにも残しておくべきだったかと今更になって後悔してしまいそうになるも、過ぎたことはいいかと切り替えられるのが私と言う人間。自分のことすら騙して気の持ちようを制御できる。それが詐欺師と言う職業。プロフェッショナルとはこう言うことです。
「何を怯える必要があるのですか? 彼らは神に背いたからその罰を受けただけです。そこに私たちのような人間の思惑が入り込む余地など、どこにあるのでしょう。これは偶然でしょうか? それとも必然? いいえ、全ては神の思し召しです。我々の祈りが神に届いたということ。惜しむらくは、神の怒りに触れた彼らを改心させることができなかったことでしょうか。私の不足たる事実です。信徒の皆さんは、私の不甲斐なさを恨んでくださいと、お伝えください」
「し、神父様が頭を下げる必要はございません! そうです、神父様の言う通り、奴らは神の怒りに触れた、だから殺された……」
「神の教えに従っていれば道を誤ることはありません。ついでと言うと失礼ですが、天罰が執行されたかどうか、それを確かめて来てもらえますか? もしも関係のない者にまで神の怒りが届いてしまっているとすれば、危険ですので」
「かしこまりました! すぐに行って参ります!」
神父の振りは、最早いくら濯いでも落とせないところまできている。
私の口は考える前にもっともらしいことを走って、小屋を後にする信徒の背に声を掛けてしまう。私の商売道具にして唯一無二の相棒は実に頼もしい限り。
「……自らの感情すらも姿なき神に委ねるとは、追い詰められた人間は実に、御しやすい」
感情の制御。これは詐欺師で無くとも一角の人間であれば誰しもが出来るものです。子供ならまだしも、大人であれば出来て当然。ゆえに、大人になってもまだ感情のままに生きる冒険者のような野蛮な生き物は人間ですらない。では彼らにそれが出来るかと言えば、それができないからこそ、神に縋るしかないのです。呪いに侵され正常な判断を失った呪い人たちには難しいものなのです。
そんな状態の人物は、詐欺師にとってカモでしかない。騙してくれと言っているようなもの。その規模が大きければ大きいほどリスクは増しますが、リターンは増える。そう、今の私のような状況に。
ですが、だからと言って私は彼らを愚かだとは思いません。
呪いに蝕まれたことは避けられない事象、つまりはそれが彼らの運命でしたから。彼らにどうしようもないことをあげつらうのは、弱者のすること。私は搾取される側の弱者ではない。搾取する側。強者である。それは決して揺るがぬ事実なのです。
ゆえに私は彼らの精神の隙間に軽く踏み入っただけ。
人の精神とは、植物のようなもの。大樹だろうと、草花のようであろうと、根幹はどれも同じ。地に根を張って生きる生き物なのです。植物の根っこが土や砂利、砂礫などで頑丈に硬められているから揺るがないのと同じように、破滅や危機を前にした人はその根に隙間が生じ、往々にして地盤が緩むのもの。その隙間を埋めるために、信仰はある。救いがあると言う安心感こそが、彼らの隙間を埋める唯一の手段となり得るのです。本来であれば、親しい間柄の人物が傍に居て寄り添ってくれるだけでその隙間は埋められたはず。ですが、世界がそれを良しとしなかった。だから世界に代わって、私が彼らを安心させてあげたのです。そこに私の実利や思考は関係ない。「救いをもたらした」という事実だけが、彼らの根っこを安定させたと言うだけの話。
人は一度信頼した相手を疑うのは難しくなる。その人の悪い部分には目を瞑るか、良い方向に見ようと解釈するようになってしまうからだ。
人間の心理とは、実に詐欺師にとって恵まれた環境だと言えよう。
つまり、彼らが正常な判断力を取り戻す前に、私と言う常識を隙間に当てはめてあげただけなのです。そうして入り込みさえすれば、後は単純。信頼させ、私こそが正しいのだと思い込ませる。
詐欺師の仕事で最も大変なのは相手の中に入り込むことですから、初めから門扉の開いている呪い人の彼らは、私に騙してくれと言っているようなものでした。それに、彼らはどうせ中の世界でも外の世界でも生きられない半端者。そんな彼らが今現在こうして寝床を確保できているのは偏に、私のお陰。そう考えれば、信仰の私物化だって許されると言うものでしょう?
「……どうやら、私は知らず知らずの内に慈善行為をしていたようですねぇ……。すっかり心も聖職者、と言うべきですかね」
飲み残されたハーブティーを流し捨てながら、外の景色を眺め見る。
ここ二、三日は彼らのお仲間であった品のある女が見張っていたため、滅多な行動が取れませんでしたが、まとめて始末した今では最早私の邪魔をする者は誰も居ません。これからこの場所は私の王国。私が王として君臨するのです。
「フッ、フフフ……、クフフフフッ!」
ようやく念願叶うと思うと、漏れ出る笑みを押さえ込めません。
ですが、まだです。完全に笑みを浮かべるにはまだ、早いのです。
じゃあいつになったら良いのか問われると、もう間もなくとしか答えられない。この一瞬が、永遠のように長く思えるのです。
ですが、油断はいたしません。確実に彼らの亡骸を確認してからが本当の勝利ですから。
伝言を頼む代わりに死体の確認に向かわせた男が戻ってくるのを待つのです。
それに、今頃は軽く催眠強度を上げた獣人の男がもう一人を始末しているところでしょうから。そちらも確認が終わってから、私は本当の意味で王になれるというものです。
迷える子羊の話を聞く限り、もう一人の幸の薄い顔をした男は獣人の男に対して相当な引け目があるようでしたし、診療所を牛耳る男の指示なしでは動けないような、信念もなければ理念もない、夢も希望も持ち得ない思考停止した愚か者だと聞いていますからあちらの心配は要らないでしょう。
……気がかりがあるとすれば、やはり診療所の方。
「……あの男を殺す毒にしては、弱かったでしょうか」
殺すために使った毒は、ブラガの実。その種子を乾燥させて粉末状に砕いた物。
毒性が極めて強いものではなく、これを使ったからと言って、相手はすぐに死ぬ、というわけではありません。この毒の真骨頂は、麻痺毒。対象の神経を狂わす効果のある毒物。麻痺毒としての即効性とその効果量においては、この毒の右に出る者はいないでしょう。
これは、特殊なルートで手に入れた逸品。医師も貴族も、反感を抱いた者も、これで始末しました。あんなにも私にとって都合よく魔物の襲撃が起こるなんて、やはり天は私に味方しているとしか考えられない。ゆえに今回も、と強行を取らざるを得ませんでした。
ですが、不安が無いわけではありません。
重傷の者であれば少量で息絶えさせることは可能でしたが、今回の男は手傷を負っているわけでは無い。ゆえに、今回は通常の三倍の量を使用しました。貴重な品の全体量の半分にも及ぶそれを使うと言う意味が分かる者はこの村には存在しないのが悔やまれますが、これだけ使ったのなら中毒死は免れないはず。常人であれば致死量の毒素です。それに加えて、彼は医療知識に長けている様子でしたから、毒の知識もあるに違いない。それを踏まえて、見抜かれる限界の許容量を溶かし込んだ水を用意したのですから作戦に抜かりはない。
だと言うのになぜでしょうか。一度冷静になると襲い来る、この底冷えするような不安は。
「……寝込みを襲わせる方が得策でしたか? いえ、それだとあの男の思う壺で……」
殺せるのであれば確実に殺せる手法を。
その言葉の通りであれば確実に息の根を止める手段も考えなかった訳ではありませんが、相手は仮にも救世主たる器。救世主と呼ばれるだけの実力を有しているのです。下手を打った場合のリスクがあまりに大きいがゆえに、その手段を取るに取れなかった。
……あの時、この場所で起こった一瞬の邂逅で、私は思い知らされたのです。今夜やらねば、殺られると。
明日以降に彼らに自由に動き回る時間を与えてはならない。そう直感したからこそ、私は行動に移ったのです。今思えばあの男に、行動に移されたと言っても過言ではないことが屈辱ではありますが、もし仮に殺せていなくとも、彼らの行動を封じられればそれで十分。今日を乗り越えさえすれば、私の勝利は揺るがないものになる。
私は自分にそう言い聞かせて、報告を待ちました。
「──リーダー!」
それから時間を置かず、確認に向かわせた信徒が飛び込んできました。
飛び込んで来た彼の様子を見るに、余り色好い返事は期待できなさそうですね。
「落ち着いて下さい。それと、ノックを忘れていますよ。……その様子では、天罰を免れたのでしょうか? ですが、彼らはまともに動くことなんてできないはずで──」
「い、いえ、それが……、確かに死んでいました!」
「は……?」
「男は天罰を受け、死んでいました。ただ……」
「あの男が、死んでいた? 生きながらえたのではなく?」
「え、ええ、ですから、そう申しているではないですか」
あの男が、死んだ。
その事実さえ確認できてしまえば、こっちのものです。彼だけが、私の作戦の中で残った唯一の懸念点。それが死んだとなれば、最早何も恐れることはありません。
「くっ、くくっ、クククッ……!」
「し、神父様……? もしや、悲しんでおられるのですか?! あぁ、なんとお優しいのでしょうか。神を裏切り、天罰を受けた者の死まで悼むとは!」
顔を伏せ、肩を揺らしていただけでその捉えよう。彼にはさほど催眠魔法をかけていないのにもかかわらずこれである。実に、愚かだ。
「……失礼、取り乱しました。それで、他にも何か言いかけていたようですが?」
「はっ、忘れるところでした! その、男は死んでいたのですが……」
「女の方は、生きていたと? 幸運だったのですね。天罰を免れたことに感謝し、繋ぎ止めた生を無駄にしないよう生きてもらいたいものです」
女の方が生き残ったのだとしても、一人で何が出来ると言うのでしょうか。品の溢れる女ではありましたが、私の食指を動かすには至りませんし、信徒の褒美にでも使いましょうかと思案を巡らせていると、信徒の男が「そ、そうではなく!」と私の思考を断ち切りました。
「そうではない……?」
「はい。その、なんと申しますか……生死不明、と言うべきでしょうか。診療所に男の死体はあったのですが、女の死体は疎か、生きている姿形すらも消えてしまったのです」
「女が、消えた……?」
予想外の答えに私の思考が停止する。それが何を意味しているのか、一瞬理解が出来なかったからです。
彼の発言に、先日あの男が隠し持っていた死骸の幾つかを盗み出すよう命じたことを思い出します。その後で彼らは灰にしたのですが、まさか、それの意趣返しでもしようと言うのでしょうか。いや、ですがあの男は死んだ。たった今、それを目撃してきた彼がそう言っていたではありませんか。私はもう、何も恐れることはないのです。天は私に味方している。それは紛れもない事実なのですから。
「村の全体を調べたのですか? どこかに逃げ隠れしている可能性は」
「い、いえ、時間が無かったので、聞き込み程度ですが。診療所に集まっていた村人からは、騒ぎが起こってから今まで、それらしき人物は見ていないとのことで……」
冷静になって考えてみると、彼が出て行って戻ってくるまでの時間でそれだけの確認ができる余裕は無かったはず。これは尋ねた私の方が悪いですね。
例えこの村がとりわけ狭いとは言え、全てを見て回るのには相応の時間がかかる。けれども、隠し通すのは絶望的に不可能だと言えるでしょう。死体はともかくとして、あの女が村のどこかに隠れていれば見つかるのは時間の問題……。
ですが、問題は、村のどこにも隠れていなかった場合です。
もし仮にあの男が私の行動を予測した上で女だけを先に逃がしていたとしたら、どうか。
夜の内に逃げたとなると、女は夜の森に入って行ったことになります。戦闘力皆無の女が、一人で魔物の出る森に入って行くなど自殺行為。まず有り得ないと考えるべきでしょう。
ではもし、有り得なくなかったとしたら?
「リーダー? どうしましょう……」
急に黙り込んだせいか、不安そうにこちらを見つめる信徒の男。私は頭に過った最悪を想定しつつ、指示を出します。
「信徒の皆さんと協力して、村の中を捜索してください。くれぐれも、信徒の皆さんの不安を煽るようなことは言わないように。見つかればそれで良いのですが、もし見つからなかった場合……」
と、そこで言葉を切ると同時に、ガンガンガン、と乱暴に戸を叩く音が聞こえる。信徒の男が自分のことは棚に上げて「何事ですか?!」と扉を開けると、雪崩れ込んでくるのは別の信徒でした。
「し、失礼します! 神父様に、お、お伝えしなければならないことが……ッ!」
「その様子、ただならぬ気配ですが、いかがしたのですか? まずは息を整えてから話してください」
「そ、それが……! お、男の、男の死体が……!」
私の助言も疎かに話し出した信徒から放たれた言葉は、彼の態度を肯定するかのように危急なものでした。
「診療所から、男の死体が消えました!」
「ッ、なんだと?!」
「……それは、確かなのですね?」
思わず神妙さを醸し出した声音で問いかけると、事が深刻であると伝わったのか、信徒の男たちは黙りこくって頷き繰り返す。ですが今の私にはそれを取り繕う余裕などはなくて。
「お二人は先程伝えた通りに動いて下さい。私はあの小屋を見に行きますので」
「お、お一人でですか?! それは危険かと……!」
「もしバレていたとしたら、彼らが向かうのはあの場所です。バレていなかったら、大人数で向かうのは却ってリスクを伴うでしょう。これは合理的判断です。早速、行動に移って下さい。何事も無ければいつものように合図を出しますので」
有無を言わさずそう言うと、信徒二人はまだ何か言いたげであったけれども小屋の外へと向かって行った。そうです、私に逆らわなければ、甘い蜜を吸うことが出来るのですから黙って従うのが賢い生き方というもの。馬鹿の相手をするのは疲れます。
彼らが出て言った後、私は即座に二階へと向かい、二階の一室にあるクローゼットを開く。
開拓村に不要とさえ思われたクローゼット。その中にあった小棚を動かすと表れたのは幾何学模様。その上に立って、私は独り言ちる。
「……死んでいなかった? 死んだふり? 致死量の麻痺毒を前にそんな真似が出来るとは思えない……! くっ、完全に後手に回らされた! あの場所も、既にバレている……? クソッ、分からない。何も分からない……! 分からないということが腹立たしい! あの男の狙いは間違いなく私だ。それが分かっていたから行動を起こしたのに、奴は一体、どうやってそれを掻い潜ったんだ……ッ!」
私の常に一歩先を行かれる男の存在に腹を立てつつ、足元から光に包まれていく。
そうして幾何学模様が放つ光に飲まれた私の目に次に映ったのは、とある木造の、とある部屋の中。これを行うのは何度目か。慣れた様子の私は部屋の状況を確認するまでもなく歩き出し、廊下から下に伸びる階段を降りて行く。
部屋があったのは、二階。そこから降りて一階に辿り着くと、ワンルーム程のリビングを散策する。誰かが立ち入った形跡が無いかどうかを、事細かに調べる。既に入られているとしたら、見たもの全てを忘れ去ってもらうか、死んでもらうかの二択。
けれどもリビングでは侵入者の痕跡は見つからなかったため、更に下の階を目指す。見られてはならないものは、地下にあるからだ。
「……人の気配は、感じられませんね。やはり、私の思い違いでしたか……? いえ、まだ気を許すのは早い、か。慎重に、冷静に、迅速に……」
降りて行くのは、地下への階段。薄暗い階段は足元が不安だけども、慎重に降りて行けば問題はありません。自分に言い聞かせるように独り言を零しながら懐からナイフを取り出し、身構える。いざとなれば、殺すことも厭わない。非力な私に殺せるか否かは分からないが。
階段を降りた先、そこにある扉の前で静かに深呼吸をして胸の鼓動を宥めると、私は静かにドアを開きます。その先で待っていたのは……。
「……」
赤ん坊のように言葉にならない言葉を吐いて部屋中を寝転がる女たちだけでした。ただ一人、まだ催眠の甘い女だけが「救世主様」とうわ言のように呟くのを見届けた後、ホッと胸を撫で下ろす。
安堵した途端に溢れ出してくる疲労感に、私は女の柔肌に手を伸ばす。香のお陰で狂った女は、触れられただけで甘い吐息を漏らす。
それが私を高めてくれるような感覚が堪らなくて、そんなことをしている場合ではないと分かっていても、嬌声に誘われるかのように私がその弾むような肉体に釘付けになった、その直後だった。
「──はい、お邪魔するよ~っと」
扉が大きく蹴破られ、そこに現れた三人の姿を目の当たりにしたのは。
補完と言う名の、言語解説。
【デゲントールのハーブティー】
彼が好んで飲用しているハーブティー。北方のスラムで生まれ育ったデゲントールが知っているのは、泥水の味だけ。清潔な水の味と言うのを知ったのは強制労働中のことだった。それまでは安物のかび臭いエールや渋みの強いワインしか口にしておらず、彼がハーブティーだと喜んで口にしているのは、雑草を乾燥させた葉っぱを煮出しただけのえぐみの強い汁。彼はハーブティーの味も香りも知らなければ、それをハーブティーだと思い込んで日夜飲み干している哀れな人なのであった。
ちなみに、あの日三杯ものえぐみの強い汁を飲み干したブランはその日に体調を崩しており、歓待の宴の後でデゲントールに助けを求めたところで催眠魔法を受け、徐々に心神を喪失していった。




