四節 自戒2
◇
森も村も、何もかもが寝静まった早朝。
木剣を担いだ俺は、一人森の中を歩んでいた。警戒しなければならない状況でおかしなことをと思うかもしれないが、毎朝の素振りの時間というのは、俺にとって欠かせないルーティーンである。
「静かな朝だな」
以前までは軽く身体を動かすまでは眠気との戦いだったのだが、紫晶災害以降まともに眠れなくなってからというもの、こうしてまだ朝と言うには早い時間から動き出していた。眠気に邪魔されることがなくなったとは言え、代わりに別の問題が浮上してくる。
「……この辺なら、問題ないか」
場所を選ぶ、という一件だ。
俺が眠くないとは言え、メアやリリス、村に至っては大勢の村人たちが夜を越している。そんな彼らの睡眠を妨害してしまうため、俺の朝のルーティーンは場所を選ぶのだった。
だからこうして未だ夜の暗闇が支配する森の中を歩いてやって来たのは、以前トラブルのあった川辺である。ここならいくら音を立てたとしても村まで届きはしない。
まだ薄暗闇に支配された場所で俺は木剣を正眼に構えてから、素振りを開始するのだった。
「一、二、三──」
──素振りは剣の腕を磨くためのものではない。
師匠に言われたことを思い出しながらカウントを進めていく。その言葉には、基礎の型を忘れないためのものである、と続く。
何事も基礎が肝心。口酸っぱく言われた言葉の意味を思い知ったのは、まともに剣が振れるようになってからのことだった。感応魔法で超速反応が出来ても、まともに剣を振れなければ体が追い付かない。魔力による身体強化の出来ない俺にとってそれは致命的であって、それまでは修行だと称して滅多打ちにされていた師匠の剣を、初めて感応魔法で捉え手に持った剣で受け止めることに成功した瞬間と言うのは、基礎の重要性を思い知らされた瞬間でもあった。
「フゥ……」
素振りの回を重ねるごとに神経が研ぎ澄まされていき、余計な思考が削ぎ落されていく。
一万の数を数え終わったところでようやく一息を吐いて汗を拭うと、いつの間にか空が白んでおり、朝が到来していることに気が付く。
剣を握る者であれば、当たり前の回数。初めの頃は一万回の素振りを終えた後は腕も上がらず、剣を握る握力すらも抜けた状態で息も絶え絶えだった。それが今やあと五セットやっても問題無いと思えるほどに成長したのだから、慣れとは恐ろしいものである。しかし、垂れ流された発汗だけはどうにもできず、俺は流れの止まない川へと足を踏み入れていく。
夜をかけて流れてきた朝露の川の冷たさに驚きつつも、すっかり朝を迎えた空を見上げて独り言ちる。
「……着替え、忘れたな」
下着までずぶ濡れになった後で気付いたが、最近の陽気であればすぐに乾くだろうと考えて、衣服を絞ってから着直す。
なんだか湿っている気がするが問題無いだろう。リリスがとやかく言うだろうが、気にしないことにしようと切り替えて村へと戻る道を歩き始めた。
この時間なら二人とも起きているはずだ。
メアからはいつも通りでいいと言われたが、一晩が経過して冷静になった頭はデゲントールを危険視している。ならば奴の行動範囲を探るべきか、なんて考えながら歩いていると、そう長い時間もかからずに村へと辿り着く。
どうせなら水汲みを買って出れば良かったかと思い至るも、村の人々にとって生命線でもある水を不届き者である部外者には任せられないか、と考え直して診療所へと向かう道を急いだ。
しかし、診療所が見えてきた辺りで、異変に気が付く。
診療所の周りが、何やら騒がしいのだ。
「何か、あったのか……?」
そう呟くと同時に、その「何か」に思い至って緩やかだった歩調が速度を増す。
診療所の周りはここ最近常に騒がしかったのだが、どうやら普段の様子とは違う。
言うなれば異質な騒がしさというべきものを感じ取った俺は余計に頭を過るその「何か」が形を成して浮かび上がってくるのが恐ろしくなって早足で診療所へと向かうのだが、診療所へと向かう道を阻む存在が俺を待ち構えていた。
「……久し振りだな」
「イム、さん」
獣耳と、大きな尻尾、小柄な体躯が特徴のスキウ族。
呪い人として救済を求める獣人は少数なれどもみかけるが、この村にスキウ族は一人しかいない。
イム・ウィ・アルルサップ。
彼は、俺の機竜整備班の一人であると同時に、俺のせいで石にされた少女、シャーリィ・ウィ・アルルサップの父親だ。つまり、俺に対して憎悪を抱き、今にも殺しにかかってきてもおかしくないほどの眼光を宿していたとしても何らおかしくない。そんな男性によって道を阻まれたことで、診療所へと向かう俺の足は止まらざるを得ない。
「森に入れ」
「先に、診療所の様子を見てからでもいいですか」
「お前に俺の誘いを断れる権利があると思っているのか?」
「……分かり、ました」
引け目のある俺が彼の誘いを断れるはずもない。
彼の手には、鎌が握られている。それを突き付けられずとも、俺は彼の言うことに従うつもりではあった。
けれど、その時だった。
診療所の様子を気に掛けつつも頷く他無い俺の耳に、診療所で起こった異変が伝わったのは。
──医者の男が、倒れたんですって。
──それも、泡を吹いて、だと。
──死んだ、死んだに違いない!
──神の御使いを騙ったからだ。
──天罰よ。女神ポラス様の逆鱗に触れたんだわ!
「ッ?!」
口々に天罰だと喚き出す信徒たちの声を捉え、俺は息を飲んだ。
彼らの言う医者は間違いなくメアのことだ。
あのメアが、泡を吹いて倒れた?
こうもあっさりと、死んだ?
そんな訳がない、と頭で否定を繰り返すが、彼ら信徒の集まりが天罰だ、と言って歓喜と畏怖に沸く声が否定にノイズを走らせる。
「足を止めるな。さっさと歩けよ、犯罪者」
「……っ、お願い、します。先に、診療所の様子だけ、確認だけさせて、ください」
──メアが死んだ。
昨日あれだけ注意しろと言っていた彼が、容易く死ぬなんてあり得ない。
天罰など、神などいないと知っているからこそ、誰かの手であることは確か。メアが警戒している以上、それが叶うなど絶対にあり得るはずが無いと分かっているのに、俺は心臓の音がうるさくて思考が纏まらない。メアに対する信頼は確かにあるが、それだけでは信徒たちの声によって俺の中に生まれた不安が拭い去れないのだ。こうして診療所から遠ざかれば遠ざかるほど、小さな不安は徐々に大きさを増していき、俺を飲み込まんと襲い掛かってくる。
この不安さえ解消されれば、イムさんの先導する先へとどこへでも付いて行くつもりだ。そう思って足を止めてまでもそう嘆願したのだが。彼は俺の提案を飲むどころか、嘲笑うように小さな体を大きく揺らして笑い声を上げた。
「──アッハハハハハハ! 何を、何を言うかと思えば……まさか、俺に頼みごととはなァ! 自分の立場と言うものを理解できていないのか?! こんな愚図に、俺は娘を、家族を奪われたのか?! バカにするのも大概にしろよッ!」
狂ったように笑うイムさんであるが、その笑みには憤怒の感情が多分に含まれていて、有無を言わせぬ迫力を前に俺は息を飲む。
分不相応な申し出だということは理解していた。ある程度の罵倒は覚悟していたが、先日垣間見えたイムさん以上に苛烈な物言いに、俺は二の句が継げなくなってしまう。俺が言えた事では無いが、先日までは微かに残っていたシャーリィの面影が、今やすっかり消え失せ、穏やかで家族思いだった彼の一面すら見えなくなっていることに、違和感を抱いた。だがそれを追求する権利は俺には無い。
むしろ、発言を許されていること自体寛容であるとさえ思わなければならないほどのことを、俺は仕出かしているのだから。
だが、それでも、メアの事が心配で。
「お願いします、メアの無事さえ、確認できれば……」
「何でも言うことを聞く、か? 今ここで殺さないだけでも譲歩していることを知れよ、ド腐れ野郎。そんなに知りたいなら教えてやるよ。あの男はなぁ、リーダーに逆らったから殺されたんだ。そして次は……お前の番だ」
「なっ、これ、は……」
尚も引き下がらない俺の元に詰め寄って来たイムさんが、不意に俺の首に手を回す。かつてのエリカのように甘い雰囲気ではなく、ガチャリと耳障りな金属を鳴らして首元に違和感が走る。
「リーダーが用意してくれた、魔力封じの首輪だそうだ! 犯罪者にはお似合いだなぁ! これでお前は、死ぬまで逃げられないぞ。あぁ、それもそう遠くない未来だ。安心しろよ、すぐに全員、同じ場所に送ってやるからな。全員、地獄になァ!」
「ん、ぐっ?!」
鉄の首輪。
首輪からは縄が伸びており、イムさんの手に繋がったそれを引かれると、首が引かれ前のめりになる。耐えられない程ではないが、無理に抵抗すれば首の肉が抉れてしまう。ゆえに俺は強引に引きずられるようにして彼の後を付いて歩く。まるで馬の手綱、飼い犬のリードのようなそれで引かれること、数分。
すっかり診療所から離れ、村からも飛び出した森の中で、ようやく彼の足が止まった。
「さて……。ここでなら、人目を気にせずに、お前を始末できる」
「イムさん……落ち着いて、冷静になって下さい」
「安心しろ、俺は冷静だよ。冷静に、静かに、怒りを燃やしている。それにこれは、天罰でもあるんだから、俺の怒りは正当なものなんだ」
彼は再び、鎌を俺に向ける。その鎌は見ただけでも分かるように、良く研がれた、朝の陽ざしを反射するような、殺意の宿った鎌である。その鎌の持ち手には長いロープが結ばれていて、ロープの伸びる先は、俺の首輪だ。分銅の代わりに俺の首が繋がった鎖鎌のような扱いの難しい武器だ。それを、イムさんは慣れた様子で構える。
首輪がある限り、俺は逃げられない。
だが、悲しいかな、イムさんが手を汚す必要は無い。一般人であるあなたの手を汚させるわけにはいかない。
イムさんが手を汚した、なんて知れば、シャーリィは悲しむだろうから。あんなにも良い子を育てた父親だ。人格者であることに間違いないはず。そんな彼が後になって苦しまなくていいように、俺は彼を諭さねばならなかった。
それが俺に出来る、せめてもの償いの形だった。
「天罰……。デゲントールに何を吹き込まれたか知りませんが、あなたが手を汚す必要は無いはずです。……俺は、全てが終われば、死ぬつもりですから」
嘘ではない。メアには気付かれているかもしれないが、もしも全てが上手くいって、世界中から呪いが消え、石化が溶けた日には、俺は自ら命を絶つつもりだから。
生かされた命を無駄にするべきではないと誓ったけれども、生かされた理由の全てを成し遂げた後であれば、銭貨一枚の価値すらない俺の命など、無い方がいい。
だけどもイムさんは、そんなことどうだっていいとばかりに言い放つ。
「いいや、お前は俺が殺す。これは、天罰なんだ。俺は選ばれた。神の代行者として、お前を始末する役目に。だから、お前は俺が殺す。俺が始末する。家族を、シャーリィを奪った恨みを晴らすために……。見ていろ、シャーリィ。お父さんが、お前の仇を討つからなぁ……」
彼は遠くを見つめ、腰を落とした。イムさんの横顔は、既に正気では無いことを物語っており、俺はそれ以上声を掛けることを諦める。彼にはもう、話が通用しないから。
ならば、話が出来るようになるまで耐え忍ぶほか無い。
先程俺は死んでもいい、と言ったが、それは全てが終わってからのこと。すなわち、全てが終わるまで俺は死ねないということにもなる。
相手の手には、切れ味抜群の鎌。俺の手には、木剣一本のみ。ただし、縄に繋がれた首輪付きだ。おまけに、この首輪には魔力封じの効果まであるらしい。俺はゴクリと唾を飲んだ。
「……正念場だな」
遠くを見つめていたイムさんは肩の力を抜いて、向き直る。明らかに纏う空気が変わったのを感じ取った俺が素振りの時と同じ正眼に構えた姿を見て、彼は鼻で笑う。
「……救世主を騙る罪人には、天罰を。神の刃を、受け入れろ」
「申し訳ないが、死ぬ予定はまだ先なんです。だから、まだ死ねない。それに何より、俺はあなたと戦う理由が無い」
「お前に無くとも、俺にはある。それで十分だ。だから、死んでくれ。殺されてくれ」
聞く耳を持たないとはまさにこのこと。纏う空気を変えたイムさんは、これ以上の対話は不要、とでも言わんばかりに大地を蹴った。
「──シイィッ!」
迫る、鎌の斬撃。
スキウ族は小柄と言えども、獣人の一種である。
獣人の身体能力は、非常に高い。帝国軍ではその身体能力の高さから重用されており、俺も何度も手合わせをしたことがある。
彼らは素の身体能力のみで、身体強化を施した人間を圧倒できると言えば、その身軽さが分かるだろう。更に彼らは、身体強化も併せ持つ。そんな彼らに人間が勝っているとすれば、策と技術である。人間は、不足している部分をそれらで補える。それに足る研鑽を積むことが出来るのだ。
その中でもスキウ族は、その小柄な体躯を生かした俊敏性が特徴で、すばしっこいトリッキーな動きから放たれる攻撃は、速度が乗れば乗るほど重さを増す。
スキウ族と戦うのは初めてであるが、彼らに対する先人の知恵は頭に入っている。ゆえに、彼の鎌の一撃も、直撃すれば容易く致命傷足り得ることになることは十分理解していた。だからいつもの如く感応魔法に頼って避けようとした途端、違和感に取り憑かれる。
「なん……っ?!」
それは、言うなれば、呼吸の仕方を忘れてしまったかのような感覚。
感応魔法を発動した時の、世界が広がっていくような感覚が無く、俺はただ茫然とその場に立ち尽くすばかり。それが魔力封じの首輪の効果だと気が付くのに、一秒もかかってしまった。
「──取った」
刹那。粘り付くような殺意と共に間近で聞こえた声に、頭を上げる。
目の前にあったのは、鎌を振り上げたイムさんの顔に不気味な笑みが張り付けられている光景。
俺がそれを認識すると、頭に浮かんだのは「不可避」の三文字。
我に返った俺が防御姿勢を取ろうとしたのとほぼ同時に、鎌が振り下ろされた。
「痛っ……?!」
鎌は、振り下ろされた。
そして、間違いなく俺の肌を傷付けた。
しかし……。
「……なんだ、ソレはァッ?!」
森に轟くイムさんの混乱した怒号。
もう一度言おう。振り下ろされた鎌は、確かに俺の肌を傷付けた。
しかし、ガリッ、という人の肌を切り裂いたとは思えないような音を立てて切り裂かれたのは、包帯で隠された下の、右眼の辺り。
そこにあったのは、彼ら呪い人と同じ、石化の呪いに侵された肌で。
もしもその場所がただの肉と骨であったならば、そこを鎌で傷付けられたのであれば痛いで済むはずが無い。まず間違いなく肉も骨も断たれていたに違いない。
だが現実はそれで済んでいる。
咄嗟に僅かとは言え体を後ろに引けたのは、本能的に死を避けたからだろうか。つまりは、俺の意思に反して体が動いていなければ、俺は今頃頭が二つに裂けていたかもしれないということだ。
奇跡的な反射は、奇跡か、それとも基礎の積み重ねか。その答えは、誰にも分からない。神でさえも分からない奇跡だった。
棒立ちになった俺の脳天を確実に切り裂くのが目に見えていた彼からすれば、手に渡った感触と目の前にある光景から考えても怒り心頭はごもっともだろう。ただでさえ人を切りつけたときの手応えとは異なる感触に困惑の色を濃くしているイムさんは、腹を立てながら包帯が落ちて露わになった俺の顔を注視した。
「呪い人とは聞いていたが……それを隠していたということはつまり、お前はその呪いを隠すべきものだと思っていた訳だ。俺たち呪い人は隠すことを止めて一つの仲間になっているって言うのによぉ……。あぁそうかい、お前はお前の手で広めた呪いを、受け入れてないのか。恥ずべきものだと認識しているんだな? あぁ、なるほどな。ようやく腑に落ちた気がする。……家族やシャーリィのことを抜きにしても、お前が気に入らなかった理由がようやく分かった。同じ呪いを共有する呪い人だと言うのに、お前は俺たちを見下していたんだ。そうだな、そうだろう。あぁ、そうに決まっている。だから……」
「違いますッ! 俺は、そんなつもりでは──」
先程までの憤慨する様子から一転。冷静に言葉を選んでいくイムさんの発言を、俺は否定しないわけにはいかなかった。
「じゃあ、どういうつもりで隠していたんだ?」
「どういう、つもりも、何も……」
だけども、いざ問われると俺は、何も言い返せなかった。
図星だったからではない。俺は呪い人の彼らを見下したことなんて一度もない。彼らは俺の犯した罪に対する罰のような存在。だがそれは彼らをマイナスに捉えるのではなく、俺自身を非難するためのもので、決して彼らを下に見ているわけでは無い。むしろ、呪い人を見る度に俺こそが最底辺である事を自覚させられる。呪いを解く、という悲願が逐一募ることは悪では無いから。
だからこそ、どうしてこの目を隠していたのか。俺はその問いに答えることはできない。なぜなら、その理由を口にすることは何よりも憚られることだったから。
隠さねばならないものを隠す。隠していた包帯が無くなったことで、俺がそれを隠すために手を重ねるのだが時すでに遅かった。見逃さなかったイムさんに、それを指摘される。
「……その、耳ぃ!」
「こ、これは……!」
包帯で隠したかったのは石に侵される右眼ではない。俺が本当に隠したかったのは、この屈辱の証。
半分斬り落とされた右耳のことだった。
「欠けた耳は、犯罪者の証。あぁ、お前はやはり、帝国が定めた大罪人で違いなかった……。だから、俺のしていることは大義だ。何も間違っていない。……身の程を弁えろよ、犯罪者。お前は、大人しく、俺に殺されるべきだ。天罰を、受け入れろ!」
これは大義なんだ、と言って笑う彼の目は、濁って見えた。
イムさんはその濁った眼を細めて、大義を成すことに充実感すら見出している。天罰の執行人というのは余程誉れ高いのだろうか。お陰で彼の中で会話の終着点が、すなわち「俺は死すべき」という結論で定められているため、俺と彼との間では会話が成立しない。
「クァハハハハッ! 大義は俺にアリ! これは天罰なのだ! 神の許しを得た行為なんだ! 俺は、神の御使いに選ばれたんだッ!」
俺の言い分など聞く耳持たずの様子で再び鎌を構えたイムさんが再び距離を詰めようとしてくる。
だけど、俺は彼の言い分に疑問を抱く。
「っ、あなたは俺を殺すのが目的じゃなかったはずだ! 娘の、シャーリィのために俺を恨んでいたはずなのに、どうして……」
「黙れッ! これは、天罰なのだ! 世界のために、お前を殺す! それが全てだ!」
彼の濁った眼は、天罰のことしか考えていない。シャーリィのことなど、忘れてしまっているかのようで。それが酷く恐ろしくて、悲しく思えてならず、俺は眉をしかめる。
だからと言って、もう一度棒立ちのままでいられるわけもない。先のような奇跡をもう一度願うなど、有り得ない話である。しかし、俺には変わらず彼と戦う理由なんて無い。
だから剣を下ろして戦う意志が無いことを示す他無いのだが、それで彼が手を引いてくれるほど理性が残っているように見えなかった。
そう考えながら身を引こうと動き出した瞬間。鎌を握る手とは反対の手で縄が引かれ、首輪に繋がった縄がピンと張って俺の体が振るわれた鎌へと向かって倒れ込んでいってしまう。
「くっ……!」
「なぜ、生きようとする? これは天罰だぞ! 仲間のところに導いてやると言っているのに!」
戦う理由が無ければ振るうつもりもなかった木剣を間に滑り込ませて鎌の一撃を受け止めると、イムさんは仰々しい物言いで口角泡を飛ばす。
自分が正しいと信じて疑わない彼の頭の中に今、果たしてシャーリィは居るのだろうか。
「ッ……。今一度問います。イムさん、あなたが俺を憎んでいるのは、シャーリィの名誉を取り返すため、そうですよね?」
「あの子の名をォ、口にするなッ! お前はただ天罰を受け入れればいいだけ、ただそれだけだッ! 抵抗することも、口答えすることも許されていないッ!」
重たい一撃を弾き返して問いかけるも、理性の失った彼は俺の問いに答えるどころか、更に苛烈さを増して襲い来る。
「どうして、どうしてですか! どうしたら、あれだけの思いを無視できるのですか?! デゲントールに、何かされたのですか?! あなたが俺を憎む理由は、シャーリィのためでしょう! そうでないなら俺は、あなたと戦う理由が出来てしまう!」
「黙れ黙れ黙れ黙れェッ!」
一歩下がっては縄を引かれ、彼我の距離が縮む。かと思えば右に倒され、左に倒される。体の軸がブレる中で俺は鎌による攻撃を全て捌き切ることは叶わず、徐々に傷が増えていく。
そもそも、感応魔法による超反応があって初めて身体強化した帝国軍人に勝てるのであって、身体強化した帝国軍人と同等の身体能力を有する獣人、とりわけ俊敏性に秀でたスキウ族の成人相手に剣技しか持ち得ない俺が彼の動きを捉えることなんて夢のまた夢のような話だった。
「いくらでも憎んでくれていい、恨んでくれて構いません! ですが、俺はあなたとは戦いたくない! 彼女のような人を育てたあなたなら、分かっているはずです!」
「お前に、あの子の何が分かるッ! これ以上、喋るなぁああああ!」
「俺よりも、誰よりも傍に居て、昔から彼女のことを知っているあなただからこそ分かるはずです! 俺を殺したところで、彼女は帰って来ないと!」
「黙れ黙れ黙れッ! お前がそれを言うな! 天罰を遂行した後で、必ず救いの手が下されるはずだ! お前さえ、始末してしまえば、後は──!」
「……誰が、救ってくれるんですか。誰が、どうやってシャーリィを救ってくれると言うのですか。シャーリィが救われたとして、あなた達呪い人に救いの手が伸びるという確証は、有るのですか」
村にいる多くの呪い人は、気づいているはずだ。
デゲントールが自分達を救うつもりなど毛頭ないということに。だが、彼らは総じて気付いていることに気が付かない振りをしている。
それは何故か。
そうしている方が、楽だからだ。
俺にも経験があるから理解できる。そうやって神に縋って救いを待つだけというのは、非常に楽だから。救いがもたらされなければ、神を詰ればいい。神を騙った神父を謗ればいいのだから、現状を変える為に動くよりもよっぽど楽なことに違いない。
だが、その先にあるのは緩やかな衰退だ。後悔だけが残る滅亡だけだ。
俺たちを排除したところで、村に残された彼らに、幸福な未来が訪れることは決してない。これだけは、断言できる。
「黙れッ──! お前は敵だ。呪い人を惑わす悪だ! ゆえに、神が使わせてくれたリーダーの言う通り、お前たちに天罰が下る! その執行を俺が果たす! さすれば、神はもっと俺たちに応えてくれる!」
「違います! 神は、あなた達を救ってはくれない!」
「お前も、神などいないとでも言うのか! その程度の妄言など、聞き飽きた! 神はいる! 今こうして俺がお前に天罰を与えることこそ、神の導きに他ならないのだからなぁ!」
イムさんの鎌による攻撃を弾き返しながら、思案に耽る。そんな余裕など、無いと言うのに。
俺は、神を信じていない。そのクセ、未だに未練がましく十字の首飾りを下げているのだが、俺の事情を彼に言ったところでイムさんとの溝は既に決定的な程に深いため、共感を誘うことなど無理な話だ。
だからと言って神はいる、と自分に嘘をつくのは憚られるもので。
「どうした、動きが鈍ってきているな! 抵抗を諦めるのであれば、疾く送ってやろう。地獄へとな──ァッ?!」
甲高い音を立てて、木剣が鎌を弾く。
体中に出来た細かな傷が血を流すが、それらに構う事無く俺は彼の目の間に立ち塞がる。
繋がった縄を掴んで、対峙する彼を改めて直視すると、やはり濁った眼に光は戻っていなかった。
「……神様がいるとしたら、どうして誰も不幸にならない世界が実現されないのですか。どうして紫晶災害などという大多数の人間が不幸を強いられる事態が起こったのですか。神様がいるのなら、こうして俺とあなたがいがみ合わなくても済んだんじゃありませんか」
「黙れ! 紫晶災害を引き起こした大罪人の分際で、知ったような口を利くな! 神は我々信徒に試練を与える。不幸は、幸福へと繋がるプロセスなのだ。そう、お前を殺すことで、世界は平和になる! それとも何か……。お前はその程度で、神はいないとでも言うつもりだったのか?」
「……神様を信じている人の前で、わざわざ居ないなどと声高に叫ぶような無粋な真似はしません。ただ、あなたは間違っていることだけは確かだ。神様は確かに救いをもたらしてくれるだろう。でも、ただ救いを待っているだけの人の元に、救いは訪れない。神様は俺たちの行くべき道を照らしてくれるだけ。その道を切り拓くのは、いつだって自分の手だ」
「……もう喋るな。神がいないのなら、なら……誰が、どうやって俺たちを救ってくれるんだ? 世界から疎まれる俺たちに、何が出来るって言うんだ? なんなら許してくれるって言うんだ? なぁ?!」
絞り出された震える声音のイムさんに対して、俺は構えを解いて言い放つ。
「──俺が、全て元に戻します。あなた達も、石にされた人々も、全員、俺が元に戻して見せます。もちろん、シャーリィも」
揺るがぬ声で、揺るがぬ覚悟で、揺るがぬ信念でもって口にした言葉は、俺の首に輪がかけられたような感覚。だが、それは望んでかけた首輪だ。この拘束は、きっと全てを成すか、俺が死ぬまで外れることのないものだ。そこに悔いはない。
あるのは、全てを為すと決意した、覚悟だけだ。
「……」
イムさんは言葉を失い、目を泳がせる。
彼の頭の中では今、どんな会話が繰り広げられているのか。
──神様は照らしてくれるだけ。その道を往くのは、いつだって私たち自身だから。
シスターフィオナから教わった言葉の受け売りではあり、当時はそれのどこに神様を敬う点があるのかと思ったものだが、彼女の言いたかったことは違う。信仰に縋り過ぎるなという、聖神教の一つの教えだったことを知ったのは、帝都に来てからのことだった。
セナ村と比べることすら烏滸がましいほどに発展した都会、帝都。だがそこでは、セナ村以上に聖神教が市民たちの生活に密接に関わっていて驚いたものだ。その中で、聖神教の頼りなしには生きていけない人たちを大勢見た。浮浪者だけではない、手に職を持った人たちですら、信仰無しでは生きていけないと訴える姿を見て、俺は初めてその言葉の意味を知ったのだ。
村の呪い人達は皆、総じてその状態にある。その言葉を告げた途端、イムさんの動きが止まったのを見るに、彼らもこの教えを知っているに違いない。そのことに違和感を抱かなかったのは、デゲントールによる作為的なものなのか、それとも集団心理なのか。
そして、俺の示した覚悟は彼らに届いてくれるのか。
これで冷静になって考えを改めてくれれば、お互いに武器を下ろすことに繋がるのだが、と祈りにも似た願いを胸にしたためた、次の瞬間。
「──まれ」
「イム、さん?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ! うるさいうるさいうるさいっ! 俺は、天罰ををををを……!」
脂のような汗を垂れ流すイムさんは、頭を抱えて俺を睨む。足元はふらついていて、今にも襲い掛かってきそうな程に様子がおかしかった。思わず俺が身構えた──直後だった。俺と彼の対峙に介入があったのは。
「大人しくして下され! 同胞をこの手にかけるのは忍びないですが……御免ッ!」
「ぐぅわぁあああ! 離せ、邪魔をするな! 俺は、天罰を、てん、ばつを……!」
介入者はイムさんを背後から襲い、倒れた彼を慣れた手つきで拘束した後、彼の頚部を圧迫して無力化を図る。イムさんは抵抗していたものの、拘束は固いようで抜け出せず、次第に勢いを削がれていった彼は遂には意識を失ってしまうのだった。
「……ウォルマン! 殺した、のか?」
「ふぅ、間に合って良かったです。いえ殺してはいません。少し、眠っていてもらうだけです」
「そうか……それなら、良かった。ありがとう、助かった」
介入者とは、ウォルマンであった。
彼は村人のほぼ全員が俺たちを敵視する村の中で、唯一と言っても過言ではなく俺たちを信じてくれていた呪い人である。そんな彼が草陰から飛び出してきてイムさんを背後から襲ったのであった。
卑怯とは言うまい。あのままでは説得は不可能のようであったから。だからと言って、俺がイムさんに手を上げる訳にも行かず。最悪の場合、手を出さざるを得ない状況にまで追いやられていたかもしれない。そう考えると、ウォルマンの介入はお互いにとって助けられたというもので。
「……いやはや、それにしても、実に素晴らしい啖呵でございました。私感激したしました! やはりお三方は救世主に違いないと、確信に至ったのです!」
「いつから見ていたんだ……」
「殺したい程憎まれていても尚、相手の信仰や思想を慮るその貞淑な態度……正に清貧を体現したかのような在り方に私、感涙を禁じ得ませんでしたよ! ウェイド殿、私、一生貴方様に付いて行きます。貴方様の生き方は、私に刺激を与えてくれて、何より──」
「ちょ、ちょっと待て。そんな風に持ち上げられても、俺は何も持っていないからな。それに今は一刻を争う事態で、早くメアのところに戻らないといけないから……」
「ああ、それでしたら──」
傷の手当ても放り出して元の道を戻ろうとした俺に、ウォルマンの口から衝撃の事実が告げられるのだった。
補完と言う名の、言語解説。
【魔力封じの首輪】
その名の通り、かけられた対象の魔力を封じるアーティファクト。それに準ずる拘束具と言うのは数多発掘されており、そのノウハウを生かして魔法具として多く広まっているが、首輪の魔法具は存在していない。即ち、それは紛れもなくアーティファクトであり、アーティファクトを手にすることが出来る人物と言うのは限られてくる。なぜなら、アーティファクトとは帝国が維持、管理している国の財産であり、裏ルートを通して手に入れた物だとすれば違法の品であることは間違いなかった。




