四節 自戒1
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「さて、と。それじゃあ早速、お馴染みとなりつつある情報共有をしようか。あの小屋で何を見て何に気付いたのか。……君たちは、何か気が付いたみたいだしね」
村人たちからの非難轟々の嵐を抜けて戻って来た診療所内部でも、これまで積み上げてきた信頼と言うものが崩れ去ったらしく、患者の中からも俺たちを疑問視する声が上がり始めていた。それでも強く出れないのは彼らの命綱をメアが文字通りその手で握っているからだ。
耳を澄ませば聞こえてくる不安げな囁き声に一切耳を傾けることなくどっかりと腰を据えたメアを見て、俺は溜め息交じりに呟く。
「……正直、ここまでする価値があったかどうかも疑問だけどな」
「た、確かに……。折角診療所の皆さんから信頼を勝ち取って居場所を得たのに、それをむざむざと捨てるような真似しなくても……」
「はァ?」
俺とリリスがその件に関して口を挟むと、返って来るのは期待外れもかくやと言わんばかりの冷酷な反応だった。
「何を言うかと思えば……。この場所を要塞と化して篭城するに至ったのは彼らの信頼を手に入れることができたからだと本気で思っているのかい? もしもそうだとするならば、僕は君らの評価を改めなければならないね」
「でも、実際にそうだっただろ。お前が何を考えているか分からないが、結果的に……」
「結果的にぃ~? ……君らは何を見てきたんだか。情報共有の前にこれだけは言っておこうか。──彼らの中の誰一人として、僕たちを信頼して残っている者は居ない。ただ単に、自分の身可愛さに残らざるを得なくなっているだけさ。なぜなら、僕らがいなくなれば彼らの身の安全は保障されないからだ。傷病の類は回復する見込みがなくなる。上を向き始めた経過が逆戻りになるかもしれない。だから僕らの敵になるわけにはいかない。──それが、彼らの置かれた立場だよ。つまり、そこには打算しかないってこと。僕は彼らの信頼を買ったわけじゃない。彼らが逃げることのできない状況を作り出したんだ。分かったかい? そもそも、不特定多数に信頼されるなんて状況は常軌を逸している。そんな渦中の中心になるだなんて、想像しただけでも怖気が走るよ」
ウォルマンのように俺たちを信じてくれている人は一人くらい居るんじゃないか、と口を挟みかけたが、分かりやすいくらい気味悪がっているのを見て言葉を噤む。
しかし、改めてメアの作り出したこの状況を言語化して説明されると、彼がどれだけ性格の悪いことをしているかが良く分かる。しかもそれを敢えて作り出しているというのがまた、彼の業の深さを感じさせると言うもの。だが、それを咎める筋合いは誰にも無い。事実、メアは傷病者らを確かに治療している。過程や思想がいかに下衆だとしても、メアのしていることは褒められてしかるべきものである。
俺が一人納得している隣で、リリスはふと思い至ったかのように呟く。
「だとすると、神父様なんて立場は、相応に負荷が掛かるものですね」
「いいや、それは違うね」
「違うのか? 彼らも、信徒たちから慕われているだろ」
「信徒が見ているのは、神父の向こう側にいる、神だ。神父など、神を見るための形代でしかない。突き詰めれば、もっともらしいことを言ってくれれば誰でもいいってことになる」
「なんだよそれ」
「だって、神様は救ってくれるんだろう? 何でも知っていて、何でもできる。そんな存在になら、何を願ってもいいと、信者共は本気で思っている。だって相手は、神様だから。存在自体が定かではないものを見ているんだから、その形代が何者であるかなんて、どうだっていいのさ」
「神父様を騙るとすれば、メアさんでも出来る、というわけですか?」
「絶対嫌だね。信者共は、その魔法が溶けた瞬間に手のひらを返してくるんだ。神様なんて存在を信じていたくせに、責めるときは人を責めてくる。神には手が出せないと分かっているからだ。……本当に、醜いと思わないかい?」
「……出来ないわけじゃ、ないんだな」
まるで実際に見てきたかのように語るメア。恐らく彼は、実際に見てきたから分かるのだろう。
メアの幼少時代は分からないが、彼ならばそれくらいやってのけてもおかしくないという確信が俺とリリスにはあった。だからこれ以上は突っ込むことはしなかった。
「ま、そんなことはどうだっていいのさ! 情報共有だよ、情報共有。あの小屋で、何か気が付いたことがあるんだろう?」
「小屋の中に怪しいものは見つけられなかったな。徹底的に調べる時間があったわけでは無いから全て見たわけでは無いが、妖しい所はなかった」
「私も、同じくです……」
「なんだいなんだい、二人して収穫無しかい?! まぁ、君たちに期待していた訳じゃないからいいけどさ!」
「……そう言えばリリス。お前、デゲントールを見て首を傾げていたが、何かあったのか?」
「その……、メアさんの提案であの小屋に乗り込んだじゃないですか。その直前まで、私はデゲントールの家を見張っていて、そこに確かにあの男の姿を確認していたんです。だから乗り込む際にあの男の姿がないのを確認してもまだ、すぐに戻ってくるって言ったじゃないですか」
確かにあの時、小屋に突入するのをやけに渋っていたリリスと、やけに自信満々で「平気だから」と連呼して俺たちの腕を引いたメアと言ったように、二人は対極な反応を示していた。しかし、結果を見ればメアの言う通りだった。
デゲントールは、物色からかなりの時間が経過してから現れた。リリスはその件がずっと引っ掛かっているのだろう。
「私がウェイドさんの元に戻って話を聞いてから小屋に乗り込むまで、一時間もかかっていません。なんだったら、三十分ほどしか目を離していないんです。それなのに戻ってくるのにあれほど時間が掛かるなんて、どう考えてもおかしいんですよ」
リリスの言い分に、今度は俺が首を傾げる。彼女の言い分に対して、それはおかしいな、と共感しきれないからだ。
もしも四六時中リリスに見張られていて外出も何も出来ないのであれば、その目が見えなくなった瞬間を見計らって行動に移ることは何もおかしなことではない。信徒に目を配るなり、汗を流したり、時間が掛かるようなことをしていても不思議ではない。だと言うのに意外なことに、メアがリリスの言い分に頷き返すのだった。
「それは確かに、おかしいね」
「珍しいな。メアが、他人の意見に同調するなんて」
「真っ当な意見であれば僕だって聞く耳の一つくらいは持つさ」
それはつまり、機竜小隊の頃から振り返って俺の出した意見は全て真っ当では無かったという意味か。しかし、それが分かったとしても俺は口には出さない。これ以上話が逸れるのを望んでいないからだ。沈黙は金。俺に欠けていたもう一つのモノである。
「なんだか納得いかない、って顔してるね。でもまぁ、君のその疑念は関係無いから置いておくとして、問題はデゲントールの行方だよ。君も知っているだろう? この村は、村の中を横断するのに十五分と掛からない狭い空間だ。それを、往復換算で三十分以上も開けていた理由が見当たらないのさ。その距離ならもっと早く通達が届き、戻って来てなくちゃおかしい。となると、彼はあの場所から三十分以上かけなければ戻って来られない場所にいた、と考えるのが妥当だろう。娯楽も無ければ、行動範囲も限られているこの場所で、どうやってそれだけの時間を潰せるって言うのかが謎なんだよ」
「……確かに、言われてみると妙だな。それなら、すれ違いざまに感じた違和感が、デゲントールがどこに行っていたか示すヒントになるかもしれない」
「違和感? そう言えば、君も無い頭を傾げていたね?」
「一言余計だ。俺が感じ取ったと言うか、嗅ぎ取った違和感は……匂いだ。デゲントールは普段、聖神教の司祭が纏うビャクダンの香りを纏わせていたのだが、現れた奴はその香りを纏っていなかったんだ。あれは……嗅いだことの無い匂いだったな」
「ふぅん……」
焚火や保存食の燻製を作った時に体に付着する匂いではない、確かなお香の匂い。香水という可能性も無きにしも非ずだが、帝都で流行し始めたばかりの香水を、それもビャクダン以外の香を纏うことを禁じられている聖職者が、身分を偽っているとは言え手に入れることが出来るだろうか。それならばまだ、ビャクダンとは異なる別種のお香を隠し持っていると考える方が現実的だ。
加えて、香を纏っているということは、室内にいたという証明でもある。村の家を調べればその香の匂いが染み付いているからすぐに見つかるはずだ。でなければ、デゲントールの纏っていた香を使用した建物は、この村の外にあることになる。そしてリリスの証言にあった通り、移動に三十分以上かかる場所にその建物があるのだとしたら──。
同時に、二人もその答えに辿り着いているのか、リリスは驚いた様子を、メアは相変わらず軽妙な笑みを湛えて顔を上げていた。
「そこまで分かっている、ということは、相手にも僕たちの考えが筒抜けだって考えていいだろうね。むしろ、そう考えるべきだ」
「だが、これだけ分かれば、後は奴の居城を丸裸にするだけだろう。捜索範囲は限られているんだ。何かされる暇もないだろ」
「チッチッチ。甘いね、ドルン・ノ・エランよりも甘いよ」
「あ、あのドルン・ノ・エランよりもですか?!」
「なんだよそれ……」
ドルン・ノ・エラン。
リリス曰く、『黒い宝石』を意味するスイーツらしく、帝都では超高級スイーツとして巷を賑わせていたのだそう。貴族であっても手に出来るのはほんの一握りしかいないらしく、一般市民には幻のスイーツがあると噂が経つほど。一瞬だけリリスが「食べたことあるんですか?!」とそちらの話題に逸れそうになったところで軌道修正を図る。
「それはもう、舌の上で舞踏会が開かれているような味わいでね、様々な味が躍り出すのさ。多種多様な味が舌を刺激するのだけども、一つ一つの味は決して喧嘩せず、それぞれがそれぞれの味覚を支え合うような繊細さもあって、足りないところを補い合った結果、更にワンランク上、いや、ツーランクもスリーランクも上の高みまで僕を連れて行ってくれる──」
「い、いいから、俺の何が甘いか教えてくれ」
久しく甘いものを口にしていないからか、メアが恍惚とした表情で語るのをリリスと揃って前のめりになって聞き耳を立ててしまい止めるのが遅くなる。それすらもお見通し、とでも言うかのようにメアは「仕方ないなあ」と居住まいを正した。
「デゲントールは明日にでも行動を起こすってこと。彼の根城を探している時間なんて無いかもしれない、ってことさ」
「奴は、そんな短慮だったか?」
「いいや、あの男は輪をかけて慎重だね。だからこそ、決断する時は一瞬だ。一番は、僕ならそうする、ってことだけどね」
「そんなこと、明日になってみないと分からないだろ」
「……事が起こってからじゃ遅い。僕たちにきちんと明日が訪れるかどうかなんて、確約されているわけじゃない。そのことは、君が一番理解しているはずだ。骨身に染みているだろ?」
「……そう、だったな。それじゃあ、俺たちはどうすればいいんだ?」
デゲントールが明日から、ないし今夜から動き出すのであれば、俺たちはそれにどう立ち向かうべきか。俺の判断では上手くいった試しがない。ゆえに、メアに任せるのだ。しかし、メアが言い放ったのは予想外の回答で。
「いつも通りでいいよ」
「いつも通り? だが、それだと……」
「君は、いつも通りで良いのさ。むしろ、そうしてもらわないと困ると言うか」
「……また、俺には言えない事か?」
「おっ、良く分かったねぇ。別にこれは何も君を信用していないからじゃない。言わない方が効率が良いから黙っているのさ」
「リリスは、知っているんだな?」
「あ、ええと……はい、まぁ……」
「なら、一つだけ聞かせてくれ。……リリスに危害は及ばないか?」
「全てが裏目に出れば、リリスちゃんだけじゃない。僕も、君も命を落とす可能性はいくらだってあるさ」
「俺が聞きたいのはそうじゃない。全てが上手くいった場合だ」
「そうだね……うん、リリスちゃんは無傷で済むよ。全てが上手くいけばね」
「それが分かれば十分だ。お前に任せれば、全て上手くいく」
「…………照れるねぇ」
学んだことだ。こういう時は、出しゃばる必要は無い。メアの中で、解決までの道程が出来上がっているのであれば、後はただ俺はその上を駆けていくだけ。それで十分なのだ。
「君は思うままに動いてくれて構わないよ。僕とリリスちゃんに任せといて」
「あぁ、頼んだぞ」
「……それにしても、愛されてるねぇ?」
「聞こえてるぞ」
「おっと、これは失礼。過保護で困っちゃうね」
「過保護でもない。俺はただ、リリスが足手纏いにならないかどうか、お前の作戦を失敗に導くのではないかと心配してだな……」
「それってつまり、僕の方が愛され過ぎて困っちゃうってことかな? いやあ、照れるなぁ」
「……もう、それでいい」
「め、メアさん! 横取りしないで下さいよ!」
建物内外から聞こえていた俺たちへの非難の声も、会話に夢中になっていたおかげで聞こえなくなっていた。
「……そう言えばメア。お前はあの家の二階で、何も見つけなかったのか?」
「ん? あ~……」
「そう言えばそうですね。メアさんの話は聞いてないじゃないですか」
「……何も無かった、かな?」
「何ですかそれ」
「……全部終わったら、話してくれるんだろ?」
「ふっふーん、やっぱりウェイドは僕のこと良く分かってるね! うん、そうだね。ネタバラシは最後にしようか」
「私はウェイドさんみたいに甘くないですからね。全部吐いてもらいますよ」
「残念ながら君もウェイドと同じで何も知らないまま働かされるのさ!」
「働き方改革を要請します!」
デゲントールとメアからは、同じ匂いを感じる。
これは鼻が嗅ぎ分けた体臭ではなく、あの二人はどこか似ているように思えるのだ。だが、似ているのであればメアは負けない。俺の知る限り、メア以上に性格の捻くれた人間を見た事が無いからだ。
即ち、デゲントールはメアには勝てない、ということだ。
これは、ほぼ確信に近い感覚だった。
そんな直感が働くお陰か、俺は安心してメアに身を任せられる。これも言わば一つの信頼の証なのかと思えるが、メアに向けている感情をリリスに向けられるかと問われれば、否だ。
俺はまだ、リリスに身を委ねることは出来ない。それはきっと、今後も永遠に続く……そんな予感がしていた。彼女がいくら俺に心を砕いてくれたとしても、俺はそれを返すことが出来ない。心を開くことを、拒絶しているから。だけどももし、何か心を開くきっかけがあるとするならばそれはきっと、想像を絶するものとなるだろう。そんな予感が、していた。
そうしてまともに眠れない夜を超え、俺は、俺たちは、明くる日の朝を迎えるのだった。
補完と言う名の、言語解説。
【香水】
聖神教の影響の強い帝国では、主に香木を焚いたお香が嗜好品として嗜まれており、香水は庶民のものとして低クオリティのものが主流であった。それが昨今、精油の精製技術の向上により香木には無かった多種多様な香りを身に纏えるとあって、貴族の間で流行り始めていた。香木の生産、販売も神の雫やポーションと合わせて教会の大部分占める収入であるため、そのことに危機感を抱いた教会が香水事業に端を発するなどしたものの、新規事業の邪魔をするな、という声も少なくない数が上がっていた。帝国建国当時から強い力を持っていた聖神教だが、こう言った些細な声が積み重なるとやがて、聖神教の声と言うのは届かなくなっていくのだろう。時代の流れと共にその一強の時代は終わりが近付いているのかもしれない。




