三節 動揺4
◇
シャーリィの父親、イムさんに秘密を打ち明けてから、三日が過ぎた。
彼が声高に宣言した通り、俺の話を広めたのだろう。
たった一夜にして俺の話は村中に広まってしまい、この狭い村でも噂は噂を呼び、尾鰭が付いて好き放題に泳ぎ回っている。すっかり居心地の悪い環境の出来上がりである。
だが、俺の居心地が悪いのは問題ではない。俺はどうせ、診療所の隅っこで安静にしているだけなのだから。問題なのは、俺と一緒に居るからという理由だけで同じ風評を得てしまったメアとリリスの二人のことだ。
しかし、俺のせいで活動の幅を狭められたはずなのだが、この三日の間、二人は忙しなく動いているようだった。
「ふぅ~、久し振りに休憩取れたよぉ。解析に当たるならまだしも、頭の悪い連中と会話するのは一苦労だね」
「お疲れ様……って、凄い隈だな。大丈夫か?」
「大丈夫か、じゃないよ! 睡眠不足は美容の天敵なんだからさぁ! 大体、誰のせいで僕がこんなに働かなくちゃいけなくなってるのか分かってるの? 分かってるなら、僕をこれでもかと労ってよね」
「もちろんだ。ここに寝そべってくれ」
「お、マッサージかい? 帝都にいる数多くの按摩師を泣かせた僕の魅惑の体を、果たして君如きが解せるのかな?」
自慢なのか自慢じゃないのか、イマイチ判断のつかないメアを寝そべらせて彼の一見して華奢のように見える体に手を伸ばす。
「っ!」
触れた傍から分かる、筋肉の質。
それは、彼の努力の証。
いかに彼が天才でなんでもかんでもそつなく平均以上に熟すとは言え、彼の凄い所はそれら全てに惜しみなく努力が出来る点である。
メアが努力をしていることは知っていたし、彼が戦う姿を彼のすぐ横に並んで見てきたつもりだったが、いざ実際に彼の努力をその手で感じ取ると、俺は静かに感嘆の息を漏らす。なぜこんなにも当たり前のことを今更になって驚いているのかと言うと、メアは一貫して努力している姿を見せないからだ。
──努力は見せないから努力って言うのさ。
いつかの酒の席で頬を赤らめたメアがそう言っていたのを思い出す。メアからすればそれは極めて普通のことなのかもしれないが、俺のような普通の人間からすれば、これだけ努力したのだからと成果を誇示し、より多くの人に認めてほしいと願うものだ。だが、メアはそう思っていない。認められようが認められまいが、どちらでも良いのだ。彼が重視するのは、良い意味で結果のみ。それが、今の帝国貴族の中では受け入れられなかったのだろう。彼は変人の名誉をほしいままにして奔放貴族を装い続けた。その陰にどれだけの努力があるのかを、ひた隠しにして。
その一端に触れた俺は、目を瞬かせるも、マッサージに取り掛かった手を止めることなく、彼の全身に手指を這わせていく。
「んあ~……。うん、いいねぇ。可もなく不可もなくって感じだよ、おぉ……!」
「どっちだよ。そんなことより、外は、どうなっているんだ?」
「気になる? 気になるよね、そりゃあ。でも、何も恐れる心配は無いさ。言っただろう? 診療所を、要塞化させる、ってね。……あ、そこそこ。そこ、重点的にお願い」
「その要塞化、とやらについてだ。もしや、この診療所そのものが動き出すとか、言わないよな?」
「あはは、面白いね、それ。いっそ武装化を施してここの連中をなぶり殺しにするのも悪くないかもねぇ」
「……物騒だな。そんなに手を焼いているのか? なんだったら、俺を──」
「はいはい。それで解決するなら僕は最初から君を差し出しているよ。人間の醜さってものを、君は思い知っているはずだ。十三区焼失事件を知ってもまだ同じことを言えるのかい?」
「……」
手を、止めてしまう。
俺の住み慣れた十三区で起こった、呪い人と健常者による衝突によって生まれた、紫晶災害以降における史上最悪の事件。呪い人と健常者の間に決定的な溝を作る要因ともなったその事件の傷跡を目の当たりにしたから分かる。あれは、正義感という悪魔によって唆された健常者たちが引き起こした事件だ。
それの恐ろしいところは、彼らの中の誰一人として悪い事をしたという自覚が無いこと。そしてそれは今、この村でも起こっていることで。
「正義感っていうのは、罪悪感を消す麻酔みたいなものさ。そんな甘い毒は、呪い人だろうが健常者だろうが、関係なく持ち得るもので。いや、むしろ、同じ目に逢った呪い人の方こそ、復讐という名の正義感を持ちやすいと言うべきか。……ほら、手が止まっているよ」
「外では、それと同じことが起こっている、ってことか?」
「んあぁ~、そこそこ。……端的に言えば、そうだね。まぁ、元より僕たちが救世主だなんて信じ込んでいる人の方が少なかった訳だし。そもそも、人ってのは信じたいものしか信じない生き物なのさ。僕たちの目が見たいものしか見ないように自分達に都合よく出来ているように、頭の中もそうやって作られているのさ。例えそれが嘘だとしても、それが自分に都合の良いものなら無心で縋り付く。信仰って言うのはそう言うものなんだよ。宗教と言うのは、実に合理的かつ、人を見下した考えだと思わない?」
言って、メアはケタケタと小馬鹿にしたように笑う。
事実、メアは信仰というものを下に見ている。そしてそれは、彼の中でさしたることではないのだろう。
帝国貴族は、もれなく聖神教の恩恵を与っている。そのため、偉くなればなるほど聖神教とは切っても切れない縁で繋がる羽目になる。例外は、それこそ皇帝陛下くらいのものだろう。そんな中で帝国貴族の伯爵位を授かるエディクレス家の三男として生まれているのにもかかわらず一切の信仰を持ち得ないメアは異質だと言わざるを得ないだろう。しかし、彼の言い分に納得してしまえる部分は確かにあって。
「なぁ、メア」
「うん? なぁに~?」
「……神様は、いると思うか?」
「さぁね? 言っただろう。人は信じたいものを信じる生き物だと。君が居ると思い込みたいのであれば居るし、居ないと思うのであれば居ない。不確定な存在と言うのはその程度のものさ。神様を始め、天使も悪魔も、救世主だって存在するかもしないし、しないかもしれない」
「メアの意見を、聞いてみたいんだ」
「そうだねぇ……」
凝り固まっているところを重点的に解していると、寛ぎながら目を細めたメアは考える素振りを見せた後、起き上がる。マッサージは十分なのだろうかと問いかけるより先に、顔を上げたメアの好戦的な笑みに俺の背筋に怖気が走った。
「……もしもそれら不確定な存在が居るのだとしたら、どうやったら殺せるか、試してみたいなぁ」
「神殺し、か?」
「神でもいい、使徒でも良いさ。存在している、ということは、今この瞬間も生きているってことだ。それって……殺せるってことでもあるよね? その場合、君ならどうする?」
「俺か? 俺はもう……世界に喧嘩を売った身だ。今更神様に喧嘩売るのも、大して変わらないだろ。メアについて行くさ」
「……アハハ! それもそうだね! 君も、たまには良いこと言うじゃないか!」
珍しくポカンとした様子のメアがぶはは、と吹き出したのに釣られて、俺も笑う。しばらくそうやって二人して笑っていると、メアの背後にジトっとした女の顔が、浮かび上がる。
「……何やら楽しそうなお話をされていますね」
「ぅおっ?! びっくりした……」
「おや、リリスちゃん。今帰ったのかい?」
「私には仕事を押し付けて、メアさんは優雅にウェイドさんとお話ですか? 羨ましいんですけど。私もウェイドさんとお話ししたいんですけど。後、メアさんの患者さん達が待っていますから早く行ってあげてください。そして私とウェイドさんを二人きりにしてください」
「二人きりだとまともに目も合わせられないくせに」
「うぐぅ~……!」
一息で抗議文を捲し立てたリリスに対して、メアは一言で撃退する。その様を横で見せつけられている俺は、どんな気持ちでいればいいのだろうか。
リリスはいつも、俺が怪我をすると一番に心配して駆け寄ってくる。それが嘘では無いのは段々と理解出来てきたが、俺はまだ、心のどこかで彼女のことを信用することが出来ないでいた。
……また、裏切られるかもしれない。
彼女の心配そうな表情も、楽しそうな笑顔も、裏に何が隠れているかが分からないのが怖いからだ。だから俺は、リリスの声に曖昧な返事をすることしか出来なかった。メアが言うには、時間だけが解決してくれるとのことだが、それが明日になるか、それとも一年後になるかは、誰にも分からない。
「とりあえず、報告からしてくれるかい? 外のことはリリスちゃんに任せっぱなしだからね」
「は~い。はぁ……」
チラチラとこちらの様子を伺ったリリスは、むくれた顔で報告を始める。
以前から知ってはいたが、メアは彼女に村の内部の様子を調べさせているらしい。
それも、生身で、だ。彼女の持ち得る武器、隠匿魔法があるにもかかわらず、彼女はこの村の状況下でデゲントールの動向を探っているのだという。しかしそれは、確実に彼女の身に危険が及ぶ。だが二人はその危険も織り込み済みなのか、もしくは対策済みなのか。俺の心配を他所に淡々と情報の共有を果たしていく。……メアが心配していないのであれば、俺もそれに倣うべきだろう。
「村の様子は、昨日とほとんど変わりませんね。誰もが皆、私たちの噂話に持ち切りみたいです。相も変わらず、診療所の外では抗議の声が止みませんよ。それから、リーダーの男……デゲントール、と言いましたか。あの男の元に、次々と追い出すべきだと言う声が集まっているようで、日増しにその声が大きくなっていっています」
俺は覚えていないが話に聞いた限りでは、俺たちがやって来た日の夜、歓待の宴で村人たちが向ける目線は懐疑的な視線が多かったけれども決して否定的な視線と言うのは少なかったと言う。
実際に、俺たちがこの村にやって来たことで、彼らの生活は変化した。人は変化を厭う生き物ではあるが、慣れる生き物でもある。
彼らと共に過ごして来たウォルマンが言うには、魔物の被害に怯えなくて済むようになり、魔物という食料が手に入ったことに加えて、寝たきりだった村の貴重な労働力に回復の目途が立ったのだ。それらに感謝こそすれど、憎むような視線は一つもなかったのだそう。
ブランのように、信心深い信徒たちからは、彼らこそ本物の救世主である、などという発言すらあったと言うではないか。
それが今や、見る影もなく。
『──救世主を騙った罪は重く、紫晶災害を起こした罪は計り知れません! 我々の期待を裏切っただけに留まらず、女神ポラス様の定められた奪わず、殺さず、犯さずの三箇条、その全てをあなた達は犯したのです! このまま沈黙を貫き通せるとは思わぬことです! 神は貴方を決して見逃しません! あなたの犯した罪を清算する時は、必ず訪れます! その時に後悔しないよう、自ら贖罪に赴くべきです! 我らを地獄へ落した大罪人よ、いい加減、姿を見せなさい! 罪人を庇うことは、罪にもなりますよ!』
俺がイムさんに語った内容は、わずか一晩で村中に行き渡った。
それを止めようとしてくれたのはウォルマンだけで、明くる日からは村中から遠巻きに見られるようになり、侮蔑の言葉を吐かれたり、明確な憎悪をぶつけられるようになった。
今も、診療所の外でデモ活動が行われている。
そして、その先頭に立つのは、ウォルマンと共に村へ案内してくれた、ブランであって。
『我々の希望を、返せ! 我々の未来を、返せ! 裏切り者を、引き渡せ! あなたは、地獄へ落ちるべきです!』
とりわけ信心深い彼女の言葉に続けて、他の信徒たちが言葉を飛ばす。
昨日と同じであれば、こんな話が朝から晩まで続くのだ。気分の良いものではない。
お陰で、診療所から患者も引き上げていってしまったものの、残らざるを得ない人々は大変居心地の悪い思いをしているようだった。
……十三区焼失事件の際も、このようなものだったのだろうか。俺も味わったものだが、顔見知りに謗られると言うのは、ガラス片の雨に打ち付けられ、心に修復不可能な傷がいくつも出来るような、そんな苦痛がある。
あれだけ「救世主様!」と甘い声で尻尾を振って喜んでいたような彼女に一転して「裏切り者!」と言われるのは、慣れないものである。
「診療所の目の前でやられてるからね、それは分かるよ。それで? デゲントールの方の調べは付いたかい?」
「いえ、それが、全く……。あの男は朝と昼に民衆の前で祈りの祝詞を読み上げるだけで、それ以後は小屋から一歩も出てきていません。村人たちが食料や着替え等の荷物を小屋へ頻繁に運び込んでいるだけで、男自身が出入りしている姿はほとんど見受けられないです。それと……、ウォルマンさんから。これは、ウェイドさん宛てにメッセージが」
「俺に?」
「はい。……謝罪と、あなたのお陰で真に信仰すべきものを見つけられました、とのことです」
「ウォルマンが……」
リリスから伝えられたその言葉の真意は、俺には分からなかった。
だが、女兵士ブランのように、俺を非難する言葉では無いことだけは分かった。
聖神教に染まるこの村の中で、救世主を騙ったどころか、世界を地獄へと作り替えた者に投げかける言葉としては相応しくないものをリリスに託したようだが、それがどれだけ勇気のいることか。
ウォルマンのように、堂々切って俺達を庇うような村人は他には居ない。だが、診療所で今もまだ治療を続けなければならない呪い人達は、ブランのように俺たちに向かって直接非難の声を向ける勇気は無いようで。文字通り、メアが命を繋ぎ止めているからだ。実際に、メアは非難の声を上げた患者を問答無用で外へ放り出し、その人物への治療を止めたケースがある。ようやく助かる兆しが見えてきたばかりなのに、そうなっては治療途中の患者からすれば救世主を騙ろうが大罪人だろうが自分の命の前では関係無い。彼らは口を噤む他無いのであった。
そして、それこそが、メアの言っていた診療所の要塞化。
俺たちを追い出すということはつまり、治療中の同胞たちを見捨てると言うことになる。そうなればきっと彼らの多くは命を落とす事になる。この村の寿命を縮めることにも繋がる。だから村の連中は俺たちの出頭を命じるという姿勢を取ることしか出来ない。私たちは怒っている、と態度で示すしか彼らに出来ることはないのだ。怒っているが、実際に出て行かれたら困る。そうしたジレンマに挟まれた結果、生まれるのは診療所内部に残らざるを得ない呪い人達と、村の呪い人達による意見の相違。患者らが村人側に擦り寄ったならば、メアが見せしめとして放り出した患者のように救いの無い未来を待つ他無くなるため、診療所内部の人々は俺たちを庇い立てするわけではないが、村人たちの意見に同調することもなくなる。診療所はやがて第三の勢力として中立分隊が出現する訳だ。それすなわち、呪い人の村で意見の対立が起こる、ということ。
メアはこれら一連の流れを『診療所の要塞化』と称し、ゼロから篭城作戦を組み上げたのであった。今こうして自分たちの怒りを言葉に変えて放つデモ隊も、全てはメアの手のひらの上。
そしてウォルマンのような俺たちの側につく勢力が発生すると、村の対立はより加速していくわけで。
「……罪悪感に弱い君が黙っていられるとは思っていなかったから、遅かれ早かれこうなることは見えていたよ。だから気に病むことはないさ」
「だったら言ってくれても……」
「君がそれを黙っていられると? なんでもかんでもペラペラ話すような君が?」
「わ、悪かった。だからそんな詰め寄らないでくれ」
「分かればよろしい。それじゃあ今度は、僕からの報告と行こうか」
距離を取ったメアは、気に入ったのかあれから毎日身に付けている白衣を翻して指を立てた。
「まず一つ。……解析魔法を使っていた医者と他数名の死体。それらが、無くなった」
先程まで浮かべていた笑みを消して真剣な面持ちになったメアは、静かにそう口にする。
「どういう、ことだ?」
「死体が、消える……? そんなことあるんですか?」
俺たちがこの村に来た時点ですでに事切れていた、医師の死体。
彼も含め、あの時メアが処置に当たるより前に亡くなっていた人数は、総じて十七名。メアは彼らの亡骸全てを解析鑑定しようと試みていたが、メアの解析魔法では一人の解析を終えるのに数日かかってしまう。その間も当然ながら亡骸は腐敗が進む。こんな村に死骸の腐敗を遅らせるための施設などあるはずもなく、メアは泣く泣く全ての亡骸を燃やす──振りをした。
メアは実は、亡骸の腐敗を遅らせる魔法具を隠し持っており、医師と他数名の亡骸を密かに隠し持っていたのである。それはメア本人を含め、俺とリリスのたった三人しか知らないはずの秘密。
その死体が消えていたと聞いて、俺がリリスに視線を移した一瞬をメアは見逃さなかったようで。
「……安心していいよ。僕たち三人の中で誰かがこの秘密を明かした、とは考えていないからね」
「当たり前です。私とウェイドさんがそんな真似、する必要もないですから。メアさんなら必要とあればするでしょうが、今回のことに関してはメアさんにメリットが考えられませんし。ね、ウェイドさん。そうですよね?」
「……」
「信用していないって意味で信用されているのは僕も鼻が高いよ」
トホホ、と笑うメアに対して、言葉と共に振り向いて微笑みかけてきたリリスから目を背けることしか出来なかった。
「……まあ、どこから漏れたとか、誰に見られていた、とかはどうだっていいのさ。状況証拠から考えられるのは、複数の死骸が全て持ち去られたということ。そして、死体を盗んだ相手というのが十中八九デゲントールの手の者だということだけだね」
「全部分かってるじゃないか」
「でもまぁ、これで確定したね。彼らが、魔物の襲撃の際に負った傷が直接の死因ではないということが」
「死体を隠したがる理由なんて一つだけですしね。ずばり、死因を隠すため……。流行りの推理小説でも参考にしたのでしょうか?」
隠したがるということは、バレたら不都合のある死因が隠されているということ。メアがそれに辿り着く前にデゲントールはそれらを隠したかった。だから行動を起こしたのだと言いたいのだろう。
「……どうしてデゲントールの仕業だと思ったんだ? 今や、俺たちの邪魔をしたい連中はいくらでもいるはずだろう」
「デゲントールは一歩も家を出ていないから怪しいって? チッチッチ。想像力が足りないよ」
わざわざ自分の口で舌を鳴らして指を振って見せるメア。
この村の精神的支柱である糸目の神父デゲントールは、確かに怪しい。
まず最も初めに疑うべきは、こんな世界で呪い人側に立つメリットも何も無いのに味方をしていることだ。だが逆に、こんな世界だからこそ聖職者として呪い人の味方をしているのであれば、見上げた人だと素直に尊敬に値する。
俺自身、聖職者というモノに痛い目を見させられているというのに、神の教えを遂行する聖職者に夢を見てしまうのは、刷り込まれた記憶がそうさせるのだろうか。
そんな風にいくら考えても、彼が死体を盗んだと断言できる証拠は見つからない。証拠が無い以上、怪しいというだけで人を疑えない俺は、疑問を呈さねばならなかった。冤罪ほど、惨いことは無い。その苦しみを痛いほど理解している俺自身が、声を上げねばならなかった。
そんな旨をメアに食い下がるように告げると、彼はニッ、と笑って指を立てる。
「うんうん、ウェイドの言うことも分かる。分かるけども、決定的に異なる点が一つ。そんな君にアドバイスを上げよう」
「アドバイス……?」
「他人に期待しないこと、だよ」
「他人に、期待しない……?」
すっかりオウム返しが得意になった俺が首を傾げると、メアは含んだような笑みを浮かべた。
しかし、彼の言っていることは分かるのだが、理解が出来ない。他人に期待しないとはどういうことなのか。俺はそんなにも、誰かを期待しているのだろうか。自分自身のことはすっかり分かった気になっていた俺は、メアの続く言葉を待った。
「君は……無意識なのかな。無意識のうちに、どこか他人に身を委ねているのさ。君が悩みに悩んでいる信頼、とは別の意味でね」
「俺が、無意識のうちにデゲントールを信頼している、と?」
「そういう意味じゃあないんだよね。そうだねぇ、言うなれば……先入観だ。例えるなら、教師。この職業を聞いて、どんなイメージが浮かぶ? はい、リリスちゃん」
「わ、私ですか? 私は、そうですね……真面目で、しっかりしていて、完璧、でしょうか?」
「俺も、似たようなものだ」
「うんうん。世間一般の印象も大体その通りだ。でもね、教師の中には、簡単に暴力を振るって言い聞かせたり、その立場を利用して悪事を働いたりする輩も出てくる。これでも本当に君達の抱く印象通りの教師だと言えるかい?」
「そんなの、人によるんじゃないですか? たまたまそういう人がいるって言うだけで。私の家庭教師の先生は立派な方でしたし」
メアの言うことにも一理あるものだが、一方でリリスの言うことにも頷ける。
だからこそ、リリスの反論にメアは楽しそうに微笑み返した。
「そう。その通りだよ。人による。これに尽きるのさ。教師にも、パン屋にも、八百屋にも、服屋にも、貴族にも、皇族にも……それぞれ人によって考え方が変われば、生き方も変わっていくのさ。それこそ、聖職者にだってね」
「聖職者の中にも悪い人が……?」
誰もが、清く正しく美しい清廉潔白なイメージを抱く、聖職者。ブランやウォルマンから話を聞かされた時には見上げた人物だと感嘆したのも、その先入観のお陰だろうか。多くの人々が彼のような聖職者の話に耳を傾けるのも、万人が共通して抱く聖職者へのイメージがゆえなのだろうか。
しかし、俺は知っている。聖職者の中に悍ましい考えを持つ人物がいることを。
俺は知っている。
知っていたはずなのに、俺は以前の記憶を頼ってしまった。
メアに言わせれば、前までの記憶に残っていた先入観で、デゲントールと言う男を見てしまっていたのだろう。だから、その考えを外してデゲントールと言う男について考えてみる。
その結果、辿り着いたのは極めて単純な答えだった。
「──もしかして、デゲントールが……殺したのか?」
「……その通り」
俺の答えに満足げに微笑むメア。彼は恐らく、この村に来た時点で少なからず怪しんでいたのだろう。それが診療所で傷つき苦しみ喘ぐ彼らを見て確信に変わったのだとしたら、どうしてその時点で言ってくれなかったのか。そう思わざるを得ないが、メアはもしかしたら、確たる証拠を掴みたかったのかもしれない。
デゲントールが、医師たちを殺したという証拠を。
そのためには、死体を解析するしかない。
そのためには、デゲントールに怪しまれるわけにはいかない。
だからすぐにボロが出そうな俺には言わなかったとなると、賢い選択だったと言わざるを得ない。メアの選択に、俺はぐうの音も出ないのである。俺は隠し事が下手な質だから、秘密の共有は難しいのだろう。だから今、こうして共有出来て、メアはこんなにも嬉しそうに微笑んでいるのだとすれば、可愛い奴だと言う他無い。
「こんなこと彼を信奉する呪い人達に言い触らせば、僕たちの立場はもっと悪くなっていたかもしれない。折角手に入ったこの道具たちも没収されかねなかった。それだけは絶対に避けなくちゃいけなかったからね。僕と言う存在を必要不可欠にするには時間が必要だったんだ。だからこうして無事にこの場所を要塞化させた今、この村は僕からしてみればもう用無し同然とも言える」
「死体が盗まれても平気ということは、解析が終わったのですか?」
「死因の特定ってのは、そう難しいものじゃない。専門的な高度な設備があれば、半日と経たずして究明できるものなのさ。……でもそんなもの、ここにはない。それに加えて、僕の解析魔法も万能じゃない。死んだ人間の中身を見透かすには最低でも一週間は時間が掛かる。それをこの数日で? ハハッ、馬鹿言っちゃいけないよ」
「じゃあつまり、分からないんだな」
「はぁん?」
「分からなかったんだろう? 死因が」
「はぁ~ん?」
長ったらしいメアの言葉を要約して言い直した途端、目尻を吊り上げたメアが纏う空気を一変させて睨みを利かせる。その視線を掻い潜り、俺はメアの肩に手を置いて、失態を気にした様子のメアに慰めの言葉を投げかけた。
「分からなかったなら分からなかったと言っていいんだぞ。そんなことで誰も責めたりしないからな」
「……チッ!」
……おかしい。気を遣ったつもりなのに、メアはこめかみに青筋を浮かべてさらに睨みを強めてしまう。何を違えたのか分からず首を傾げる俺の手を軽く払ったメアは溜め息を一つ。どっかり、と椅子に腰を下ろすと、彼の不機嫌さを表わすかのように大きく足を組んでふんぞり返って言い放つ。
「聞き捨てならない言葉が聞こえたねぇ? しかも当の本人は気付いた様子もないのがいっちばん、腹が立つ。リリスちゃん、そこの馬鹿に自分の失言を教えてあげたまえ」
「え、ええとですね、ウェイドさん……。つまり、メアさんは死因が分からなかったのではなくて、高度な設備も無ければ魔法も万能ではない環境のことを説明したかっただけで──」
「──その通りさ! いつ! 僕が! 分からなかった、なんて言ったのかな?! 君にも分かるように説明して上げているというのにさ! 今すぐ、前言を撤回したまえ!」
なるほど、と言いかけた瞬間にメアは椅子から立ち上がり、続くはずだった俺やリリスの言葉を遮るように詰め寄ってくる。リリスの表情から察するに、つまりはそう言うことなのだろう。
「……悪かったよ。謝るから、続きを教えてくれないか? 俺にも分かるように」
「分かればいいのさ、分かれば」
不機嫌さを張り付けていた顔も、居住まいを正すように白衣の裾を叩けば元の表情に戻って、再び解説を始めるメア。
そんな彼の抑えきれない喜色ばんだ笑みから察するに、メアは自慢がしたかったのだろう。こんな劣悪な環境でも僕なら出来る、という誇るべき栄誉を称えて欲しかったのだ。そんなことせずとも、俺の中では例えどんな卑劣な行動を取られたとしても、メアならば許せるくらいには地位が高いというのに、何をそんなに心配しているのか。それが覆ることも無いと言うのに。そんなことを考えながら慈愛の面持ちで自慢げに語るメアに視線を送っていると、再び睨まれた。今度は何が気に食わなかったのだろうか。
「コホン。……設備も無ければ、魔法で解析する時間も無い。そんな環境でも、僕にかかれば彼らの死因の特定なんて容易いのさ」
「特定、出来たんだな?」
「もちろんさ。言っただろう? 死因の特定は、そう難しいことじゃないって。限られた環境ってのは、死因を探る僕たちだけじゃなく、直接の死因を作り出す側にも有効なのさ。だから今回の件に関しては、実を言うと昨日の時点で判明していたのさ。それが今日、死体の持ち去りによって、暫定が確定したってわけ」
「持ち去りが? どうして」
「君のその謎に答えるために、一から説明してあげよう」
そう言って、メアは二本の指を立てた。
「今回の件で最も考慮しておかなければならないことが一つ。それは……デゲントール。彼には、呪い人を救うつもりなんて一縷も無い、ということだ」
「ですが、彼は毎日信徒と共に祈りを捧げていましたよ」
「……先入観を疑え、か」
「その通りだよウェイド。対象の心に入り込むには、話術が最適だ。君らはもしも、街を歩いている最中に鎧を身に付けた兵士に声を掛けられたらどうする?」
「相手の部隊の所属と、用件を聞く……と、言うわけじゃないんだろう? 一般人からの目線だとすれば、警戒するだろうな。何かがあったんじゃないかと、ソワソワする」
「私も、似たような意見です」
「じゃあ逆に、神父や修道士に声を掛けられたらどうだい?」
「寄進なら断るだろうが、話くらいなら耳を傾けるかもしれないな」
「私も……」
投げ掛けられた問いに頷く俺たちを見て、メアは鷹揚に頷き返す。メアの言いたいことが、なんとなく分かって来た気がする。
「つまり、そう言うことさ。君らが先入観でデゲントールなる男を判断していたように、この村の人々、呪い人の彼らも、デゲントールが司祭だからと安心しきっているのさ。彼が、本物の司祭であることも定かではないのに」
「……そうか、なるほど。そんな可能性が……! つまり、デゲントールは、司祭を偽っていると?」
「あくまでも僕の推定の域を超えないけど、九割九分確定でクロだろうね。あの男は、司祭を騙って呪い人に近付いたんだ」
「そ、そんなことは……! あの男は、確かに司祭を示す聖銀の首飾りを下げていました!」
「それが彼のものだという証拠は? このご時世だ。盗んだものではないという証拠は、どこにある? もしかしたら、殺して手に入れたのかもしれない。彼が本物の司祭かどうかを知るには、各地域の大聖堂に足を運ばなければならないけれど、そこまで行って確認したのかい?」
「そ、それは……」
「ちょっと待て。そこまで疑わなくちゃ、いけないのか……? それに、そこまで疑うとなるとキリがないだろ」
メアの言っていることは理解できなくも無いが、彼の話を鵜呑みに出来るわけでもない。何せそこまで疑うとなると最早誰のことも信じることができなくなってしまうではないか。ウォルマンやブランのことだって信じられなくなる。
彼らは本当に帝国軍所属の兵士だったのか。彼らは本当に呪い人なのか。そんな風に、相手にとって失礼なところまで踏み入れなければならない。それは最早、先入観を捨てるだけに留まらない領域のように思えて他ならなかった。
信じることに臆病な俺でも、そんな風に相手の存在意義まで疑うような真似、できそうにない。俺はどこまでいっても中途半端な存在のままのようだ。
「そうさ。キリが無くなるまで疑って……疑って、疑って、疑って。そうしてようやく、その人を理解できるようになるのさ。上辺しか見えていない状態じゃあ、正確な判断なんて下せないからね」
「……その結果、デゲントールが偽物だと判断したのか?」
「君らは性急だねぇ。まだこの段階では疑惑に留まるのさ」
「それじゃあ、死体を持ち去るよう命じたから偽物だと判断できたのですか?」
「それはあの男が彼らを殺したことを意味するだけであって、デゲントールが呪い人を救うつもりが無いかどうかには関わって来ないよ。そこで浮かんでくるのが、二つ目──この村に、希望が無いところだ」
「希望……?」
メアはまるで、好物を目の前にした子供のように目を輝かせて、目の輝きとは真逆のことを言う。
「この村を見て、君たちはどう思った? 僕には、未来が無いように見えた。今も変わらず破滅に向かっているようにしか思えないのさ」
「ちょ、ちょっと待ってください。話が飛躍し過ぎて、何が、何だか……」
「それならそれでいいさ。黙って聞いていてくれればね。救世主様だなんだと持ち上げられてたウェイド。君は、どう思った?」
「……そうだな。メアの言う希望が無い、って言うのがどんなものか知らないが、俺は、この村は呪い人達にとって楽園なんじゃないかと思った」
「へぇ、楽園? 聖神教が良く言う、浄罪の楽園か」
「それだ。ここは、世界からはみ出し者扱いされた呪い人が安心して暮らせる世界だ。信仰さえ揺るがなければ、ここで安全なまま死んでいける。これも一つの考え方だと思わないか?」
浄罪の楽園。聖神教信者であれば、口酸っぱく繰り返し、耳にタコが出来るまで聞かさられる教えの一つ。俺はそれを、この村に垣間見た。
「そ、それって、いい意味なんですか?」
「聖神教の教えは全て、受け取る側の個人によって解釈が異なっていいんだ。だから同じ聖神教でも、派閥があったりする。俺のこの考えは、誰のものでもない、俺個人のものだが……楽園なんて、無いと思っている」
「楽園が、無い……? それじゃあ、何のために生きているんですか?」
何のために生きるのか。エリカにも聞かれた話だ。あの夜、俺はなんて答えたんだったか。
リリスの問い掛けるそれは、極一般的な浄罪の楽園に関する解釈の一つである死後の楽園説だ。その解釈を信じる人々は皆、死後を豊かに過ごせるよう、現世で徳を積むのだとか。しかし、俺にとってそれは夢物語でしかなくて。俺に楽園は待っていない。行き着く先は地獄であって、楽園とは現世のことだと考えている。もちろん、俺のせいで死んだ弟妹達は楽園に居て欲しい。その願いはあれども、楽園の門は俺には閉ざされている。だから、今を生きるこの瞬間を楽しく、豊かにするために生きるべきだと、俺は考えていた。
「……呪い人達が、笑って暮らせる世界」
それが俺の目指す最後。夢を見る楽園だ。それを作り上げるために、俺は生きている。生かされているのだ。
「……」
「……ふぅん。それじゃあ、ここが君の思い描いた理想の楽園だと?」
「それに、近いんじゃないかと思う。だけどここには、笑顔が無い。メアの言う通り、希望も無い。なぜなら、未来が無いからだ。彼らは、終わりに向かって歩いているんだ。デゲントールはそうやって導いているように思えるんだ。それから、呪い人たちも、それを受け入れているような気がして」
「……言いたいこと、全部言われちゃったよ。君のその感覚は、概ね合っていると思うよ? 村にいる呪い人はみんな、ここを終の棲家にするつもりだ。あとはただ、死ぬのを待つだけ。だから暮らしを豊かにするでもなければ、これからどうするかを話し合うわけでもない。ただ、今この瞬間を生きてさえいればいい。この村には、そんな考えが蔓延しているんだよ」
だから空気が淀んでいるのさ、と自然に囲まれた環境の中でオエっと吐き出す素振りを見せるメア。本来であれば注意するべき素行であるが、メアの言い分も理解できるため、俺は何とも言えずに肩を竦めるのであった。
「ちょ、ちょっと待ってください。二人だけの世界に入らないで下さい。私も連れて行ってください!」
「も~、何さ。イイ感じに話がまとまって来たのに。要するに、彼らのこの私刑も、娯楽の一つに過ぎないってことさ。本気でウェイドを罰しようと思っている人なんて、誰も居ないんじゃない? それがむしろ、悪質さを増しているんだけどね」
「ええと、つまり……。デゲントールは医者を含む何名かを殺害していて、そのデゲントールは司祭を偽っている可能性があって、それを知ってか知らずか村人たちは破滅への道を歩いている……この認識で、合っていますか?!」
「わぁお。リリスちゃんがたったの三行に纏めてくれちゃったよ!」
肩を竦めて大袈裟に驚いてみせるメアの姿に、呆れて溜め息を吐く。以前に銀幕のスタァだかなんだかに選ばれたとか言っていたが、アレは嘘に違いないな。
「……だが、それが分かったところで俺たちはどうするんだ? このまま、彼らが滅びていくのを見届けるつもりはないぞ」
「んまぁ、君ならそう言うと思っていたさ。そんな君に朗報だ」
「メアさん、もしかして……」
「何か、手があるのか?」
「もちろんさ。リリスちゃんの思い描いたそのまさかさ。相手が僕たちを嘘つきだと糾弾する大義名分を得たように、僕らもまた正義を振りかざそうじゃあないか。詐欺師に騙された人たちを、解放してあげようか」
この瞬間を待っていた、とばかりに暗く、妖しく輝く笑みを湛えたメアの表情を見て、不安が募らないと言えば嘘になる。しかしそれ以上に、メアならばこの停滞した楽園に穴を開け、新鮮な空気を届けるのも容易いのではないかという信頼感の方が強い。
「気付いているかい? この村、初日と比べて人が減っているんだよ──」
その言葉で始まったメアの思い描いた脚本は、余りにも配役に無理があるような内容であった。
補足と言う名の、言語解説。
【メトロジア大森林の開拓村】
北方から逃げ延びてきた呪い人の集団が逃げ込んだ村。
道中、魔物に襲われたり、その道のりの険しさによって増減を繰り返していた呪い人の集団は、この開拓村に辿り着いた頃には約130人の規模であった。その後、突如として村を襲った魔物の襲撃により10名が戦死。約50名近くが負傷してようやく撃退に成功。その内、17名が負傷が原因で死亡。その後、救世主と呼ばれる存在が村に到来するも、彼らは偽物だった。その上、紫晶災害を引き起こし、自分達に呪いをかけた忌むべき存在だと判明し、天に変わって彼らに天罰を下した。その頃には村が疲弊しきっていたが、でも大丈夫。この村には、呪い人を救いに導いて下さる神父様が、デゲントール司祭様がいるのだから──




