三節 動揺2
◇
外套を被って外を歩けば、村の人々から視線を注がれる、と言った事態にはならない。
それは村の呪い人達に顔を覚えられていないというのもあるが、村の中にも外套を被っている人がチラホラと見受けられたからだ。
呪い人しか居ないこの村の中でも、呪い人であることの証明、不名誉とも呼べる紫水晶の体を人目に晒したくないのだろう。その点で言えば、ブランやウォルマンは変わっていると言えよう。呪いは、あくまでも個性。病のように取り除く手段もないのだから受け入れるべきだという意見があることは彼らも理解しているのだろう。だけどきっと、呪い人に対する健常者らによる酷い仕打ちを目の当たりにした者ほど、自分の呪いに対する怒りや憎悪と言った感情は強く抱いているに違いない。呪いに侵された体のせいで失ったものが大きければ大きいほどに……。
当たり前だが、村に集まる彼らの表情はあまり明るくない。何せ、彼らはある日を境にこれまでの生活とはまるで違う生活を強いられることになった末に、ここまで逃げて来なければならなかった人達なのだから。
「……」
村の中を歩けば、世界が一変するような事変を起こしたのだと、否が応でも突き付けられる。息が苦しくなる程、罪悪感で胸がいっぱいになる。
それでも俺は、歩みを止めない。止めてはならないと知ったから。
前に、歩き続けることこそ、贖罪になるのだと理解しているからこそ、俺は重たくなった足を前に出すのだった。
「おや、ウェイド殿! 出歩いて平気なのですか?」
重苦しい空気を纏う俺に声を掛けてきたのは、ウォルマンだった。
フードで顔を隠しているのになんで分かったんだろうか。
「少しはな。軽く、体を動かそうかと思って」
「なるほど。では、私もお付き合いしてもよろしいですか?」
「付いて来ても何も面白いことなんて無いぞ。それでもいいなら」
そう言って、俺とウォルマンは村を出て森の中に分け入っていく。
どこかに行く宛は、無い。気の向くまま、足が向く方へとひたすらに進んでいくだけの道中。ちょっとした刺激でさえも膨れ上がりそうな火種を完全に鎮火すべく、辺りを散策していく。
その間、ウォルマンは頻りに話し掛けてきて鬱陶しかったものの、何も会話が起こらない空気よりかはマシだった。
「歓待の宴はお楽しみいただけましたか? 村の者達も、久し振りの豪華な夕食で英気を養えたのか非常に喜んでおりました。救世主様たちに感謝申し上げたい、と沸き立つ様子すらも」
「別に、俺たちは何もしていない。準備したのはお前たちだろう。それに、俺は早くに休んでしまったからな」
俺は覚えていないが、彼の話によればウォルマンやブランの二人に加え、呪い人の彼らにとってリーダー敵存在であるデゲントールの声掛けによって、俺たちに感謝の意を示す歓待の宴が開催されたらしい。
酒も振る舞われないような、宴と呼ぶには大層ささやかなものだったが、俺とメアが大量に切り捨てた群襲燕の肉を使った料理は村人たちにとって久し振りのご馳走だったようで、大層喜んでいたらしい。
腹が満ちれば気分も前を向く。
だが、村の人々にとっては前を向いても壁があるだけ。絶望と言う名の絶壁が、彼らの道を阻んでいるのだ。だから皆、顔を隠して下を向いて生きているのだ。救いが来ることだけを信じて、祈って、期待して。俺たちのような得体のしれない連中を「救世主様」だなんだと呼んでしまう程に、彼らは救済に飢えているのだろう。
一度でもその光に目を奪われたのなら、尚のこと。
「それでも、あの魔物の群れを壊滅して村を救ってくれたことには変わりありません。村を代表して、感謝だけでも伝えさせてください。本当に、ありがとうございました」
「感謝など……」
自称信心深くない男こと、ウォルマンはこうして話していても息が詰まることはない。俺たちよりもずっと上の年嵩であり落ち着いているから、というのもあるが、彼はブランとは違って俺に救世主を押し付けて来ないから、というのが大きな理由だろう。今も、彼が抱いているのは純粋な感謝の気持ちだけだ。
もう過去の事になりつつある、マックスの時と同じだ。
ウォルマンは俺たちに対して、本当に心の底から感謝している。それが分かるからこそ、胸が痛くて仕方が無い。ここで素知らぬ顔をして喜べるのは、自己愛の強いメアのような人間だけだろう。俺は、メアじゃない。メアのようには、なれない。
確かに、一度目の襲撃で村は壊滅的な被害を受けた。それこそ、もう一度同じ規模の群れに襲われたら、存続不可能であったかもしれないほどの被害である。
傷付いた人々。不安に駆られ未来に期待を抱けなくなった人々。俺はそれを、この村に来てからというもの、日常の光景として目の当たりにしている。そんな彼らにとってみれば、俺たちは正しく救世主なのかもしれない。
だが、俺たちは襲ってきた変異種を迎え討っただけであり、この村を救おうとして行動したわけでは無い。
結果的にそうだとしても、目的と過程に齟齬が生じているならば、それは健全なものではない。やはり俺は救世主たる器では、無いのだ。
ましてや、本来の群襲燕の群れとは異なる規模の大きさには変異種が大きく関わっていて、そもそも変異種などいなければ彼らが襲われることも無かった。
更に突き詰めれば、村の人々が呪い人にさえなっていなければ世界から爪弾きにされることも無かった。俺なんかのような人間を救世主だなんだと崇め奉ることも、無くて済んだのだ。今もきっと、彼らは笑顔で日常生活を送っていたはずなのだ。
……俺さえいなければ。
そうやって考えれば考えるほどドツボにハマっていく。
悲哀を抱くことすら烏滸がましいという結論に至ってしまう一方で、同時に、あの夜にエリカが教えてくれた感情を思い出す。
「……罪や罰だけじゃなく、正当な感情まで奪う権利は無い、か……」
「何か、仰いましたか?」
「いいや、何も。……感謝の気持ちだったよな。それだけで、十分だと伝えてくれ」
「いえ、それではあまりに釣り合わなく……」
「本当に、気持ちだけで十分だ。もしそれでも足りないというのなら、別の誰かが困っている時に助けてやってくれ」
「……ッ! 聖神教聖典、第二十五項、『感情の波及』ではありませんか! なんと懐の深いお考えを! やはり、ウェイド殿は……いえ! ウェイド様は、神の御使い様──救世主様に違いありませんな!」
「ちょっと、何言ってるか分からないな」
謙遜という訳ではなくただ事実を述べただけに過ぎないのだが、俺の言動のどこかがウォルマンの琴線に触れてしまったのだろう。彼は突如として慄き目を輝かせたかと思うと、その場に跪き、俺に向かって祈りを捧げるような真似をし出してしまう。
彼が望んでその行動を取ったのであれば俺がそれを止める謂れは無い。ただ迷惑だと思いつつも、彼のような純粋な思いが羨ましく、そして向けられて嫌な気分になるという訳ではないのが非常に困ってしまう。
俺はそこまで信心深いわけではないため、聖神教聖典、いわゆる聖書の項目や内容まで覚えていないため、俺の発言のどこに彼が感動したのかは分からず、俺は像のように固まって動かなくなったウォルマンに背を向け、鼻から空気を抜きつつ歩き出していく。
「こんなところに、川が……」
しばらくしてから我に返ったウォルマンを連れて森の中を歩いていると、川に出る。
「ここより更に南下致しますと、アウフグス山脈の一端に辿り着きます。この川は、その遥か下流の、それも支流の一部であるものかと思われます」
「アウフグス山脈……。かなりの距離だな。デラール川か?」
「ホホッ! 流石はウェイド殿。博識でございますな。その通りでございます」
「それなら、水質に問題は無いな」
「ええ、水の都を通る河川ですからね。我々もこの川の水を飲み水に活用しているのでございます。ウェイド殿たちが来ていただけなければ、飲み水も枯渇する寸前でしたから、村の者達は本当に感謝しているのです」
アウフグス山脈は、機竜に跨れば南方に必ず見えてくる、南の城壁とも呼ばれる巨大な山脈である。
大陸を横断するように東西に伸びる尾根はどれも数千メートル級であり、帝国が大陸の南部に侵略を進める上で最も頭を悩ませる存在。当然機竜小隊にもその話は通されていて──。
今は見上げることしか出来ない懐かしい地名に、南方攻略作戦という今頃は凍結されたであろう作戦が頭に過ったものの、俺はそれを振り払うようにして川辺にしゃがみ込み、川に手を突っ込む。
ウォルマンの言葉に「大袈裟だ」と返しながら、体の熱が川の流れに溶け込んでいくかのような感覚を覚える。
なんとか様付けと救世主様と呼ばれるのは免れたものの、ウォルマンから向けられる視線がやけに熱く感じるのは気のせいじゃないかもしれない。
「それじゃあ、軽く動くけど……ウォルマンはどうする?」
「よろしければ、お付き合いさせていただいてもよろしいですか?」
「好きにしてくれ」
そう言って、外套を脱いだ俺は軽い準備運動から始めていく。
柔軟から始まり、節々を伸ばすような運動から、やがて全身運動へと広がっていく。体の熱を冷ますために、体中に熱を伸ばすような感覚である。熱し過ぎれば、川の水で冷やせばいい。丸一日休んだだけとは思えないほどに筋力や体力が落ちている感覚がある。これも、神の雫の副作用というやつだろうか。
そう思って躍起になりながら一通り動き終えると、背後で息せき切る男の姿があった。
「はひぃ、ふひぃ、ほひぃ……! うぇ、ウェイド殿は、いつも、こんなことを……?」
俺にとっての軽い運動というのは、どうやらウォルマンからすれば過度だったらしい。俺が使った筋肉を伸ばしている横で、ウォルマンは地面に横たわって胸を上下させている。
「いや、いつもはこれに加えて五割増しくらいの強度でやっているな。お前も軍人なら、この程度楽に熟せるだろう」
「む、無理ですよ。身体強化を使わないと……」
「使ってもいいんだぞ」
「い、いいんですか?」
「ある研究によれば、身体強化を使って限界まで訓練した方が訓練の成果は出やすいらしい」
「なんと!」
確か、授業でそう習った記憶がある。その時は俺だけ身体強化が使えないから、同年代の貴族たちのみならず、教官たちからも良く馬鹿にされていた。
「では、ウェイド殿は今も身体強化を?」
「いや、俺は素の状態だ」
「はいぃっ?!」
使えないから、と言葉を続けなかったのは、目で見て分かるくらい注がれている熱視線を他所に、ウォルマンのことを信用できていない証拠か。それとも、メアに余計なことは言うなと釘を刺されているからか。
「なんと……。いえ、ウェイド殿ほどとなると、身体強化をしてしまうと体力を使い切れないのですな! ははあ……納得出来ますとも」
しかし、ウォルマンが一人勝手に納得してくれたので余計なことを言う必要も無い。
体力を使い果たしたウォルマンには見ているよう言って、俺は持ってきた木剣を手に取り、一人無心になるべく素振りをしていく。結局は基礎が一番肝心である。いかに身体強化ができようとも、剣は構え方と振り方が悪ければ、どれだけ切れ味が良い代物を扱おうとも、切れなくなる。鉄の棒を振るってるのと変わらなくなってしまうのだ。
しかし。だからと言って俺は剣の腕が優れているというわけでは無い。
俺が剣を使った試合でメアに連戦連勝を収めているのは偏に、感応魔法のお陰である。
俺が身体強化を使えないからと言って、メアも使わずに素の身体能力で戦ってくれるほどメアは剣の道に真摯でもなければストイックでもない。彼は容赦なく身体強化を使って、全力で俺の反応速度を振り切るべく切り込んでくる。もちろん、訓練用の木剣でも当たれば骨折くらいするもので。それをこめかみの血管が切れそうなくらい集中して捌き切ってカウンターの一撃を叩き込むと、試合終了である。
終わってみると、汗一つかいていないメアと、荒い呼吸を繰り返して汗だくの俺とで、一見するとどちらが勝ったか分からない試合だとワーグナーはよく笑っていた。
「フッ……フッ……フッ……」
「もしや、一振りごとに修正を施しておられるのですか……? なんと凄まじい集中力……! ウェイド殿の素振りの繊細さは、芸術の域に達しておりますぞ……!」
隣から汗を拭うウォルマンの声が聞こえるが、そんな褒められるようなものではない。
むしろ、褒めるべきところはここしかないと言うべきか。
才覚も無ければ、誰もが持ち得るものすら持っていない俺には、誰よりも多く剣を振ることしか出来ない。それが、師匠の教えでもあるから。
──才能が有ろうが無かろうが、努力をしろ。誰よりも練習すれば、誰よりも上手くなる。誰にも辿り着けない努力をすれば、誰よりも強くなれる。
その言葉だけを信じて、俺は今まで突き進んできた。教えを受けた恩すら、仇に変わってしまって。
「……」
それら今考えたところで、俺に答えは出せないことは分かり切っている。だから、ひたすら無心で剣を振る。
現実逃避のためではなく、答えと向き合うために心の研鑽に務めるのであった。
◇
「ハァ、フゥ……」
どれだけの時間、剣を振っていただろう。
ウォルマンの声も、いつの間にか、聞こえなくなっていた。体の火照りも、気が付けば収まっていて。空を見上げると日が傾き始めているではないか。
「お疲れ様でございました。ウェイド殿の素振りをお傍で見させていただき、私、非常に感動いたしました」
「そんな大層なものじゃない。それより、長いこと付き合わせてしまったな。ウォルマンは大丈夫なのか?」
「はい。ウェイド殿の御傍に居させてもらったことだけでも貴重な経験を得られましたので」
「そういう意味じゃ無いんだけどな。……ん?」
感銘を受けた、とばかりに大袈裟にモノを言うウォルマンに苦笑しつつ汗を拭っていると、こちらの様子を窺うような視線を感じてそちらに視線を動かす。
その先に居たのは、天秤棒を担いだ一人の小柄な男性だった。否、体躯の大きさは種族の特性によるもので、彼の種族からすれば平均的な大きさなのだろう。
問題は、彼の持つ大きな尻尾が目印の種族など、一つしか思い当たらないということ。
その姿を目の当たりにした俺は目を瞠り、全身から血の気が引いて行くような感覚を覚えざるを得なかった。
「ウェイドさん、ですよね? 救世主様の話を聞いて、昨夜は一目だけしか見られなかったのですが、やはりあなたは、ウェイドさん、ですよね! あ、あの、第三機竜小隊所属の特別騎兵……ウェイドさんで間違いありませんか?!」
「ぅ、あ、え……あ──」
「ウェイド殿……? 第三機竜小隊所属、特別騎兵の、ウェイド……?」
ザリ、ザリ、と一歩ずつ震える足に力を込めるような足取りで近付いていく男性の口から、恐るべき言葉が吐かれる。
その声に、汗を拭っていたタオルさえ落として、俺は慌てふためく感情を隠し切れないでいた。
機竜小隊は帝国人にとって希望の象徴。とりわけ、帝都に住まう人であれば尚のこと印象深い存在だ。大きな戦果を挙げた時には、レオポルドがそれらを全て掻っ攫って機竜が帝都の大通りを練り歩く凱旋パレードに付き添うことだってあったから、呪い人の中にだって俺たちのことを知っている人がいてもおかしくはない。
おかしくはないのだが。
だがしかし、目の前の男性が俺の思い描いた通りの人物であるとするならば、俺は今すぐにこの場所から逃げ出してしまいたかった。
だと言うのに、俺の足は地面にくっついたまま一切の身動きが出来なくなっている。
逃げることを、許されていないかのように。
全身から血の気が引くという感覚を始めて認識しながら味わう。口の中が干上がってしまう。熱を冷ましに来たとは言え、誰もこんな展開を望んでなどいなかった。心の準備が、出来ていなかった。
「それ以上近付くな! 救世主様は今、お疲れのご様子! どうか、後にしてくれないか──」
俺の様子がおかしいことに気づいたウォルマンが間に入り、男性がそれ以上近付くのを止めてくれたものの、男性はそれでも尚、俺に声を掛けることを止めない。
……それもそのはずだろう。俺は恐らく、彼の心配の種を知っているから。
「ひ、一言だけ、一言だけでいいんです! 娘が、家族が元気でやっているかを知りたいだけなのです! シャーリィ……、シャーリィ・ウィ・アルルサップをご存知でしょうか?!」
「──」
もしも願いが叶うのであれば、全くの別人であってほしかった。
そうやって知らない誰かを期待していたのだが、俺の期待というものはことごとく裏切られるもので。
──シャーリィ。
忘れもしない彼女の名を耳にした瞬間、俺の全てが停止するのだった。
補完と言う名の、言語解説。
【アウフグス山脈】
大陸を横断するように東西に走る尾根は、機竜でさえも越えられない壁として立ちはだかる。
また、機竜による観測の結果、大陸の東ほど山脈の高さは緩やかになっているため、帝国が東部に向かって侵略の手を伸ばしているのは南部への足掛かりと言う意味合いも強かった。
だが帝国もただ南方への侵略を東部侵略にのみ賭けているわけではなく、アウフグス山脈自体、有用な鉱物資源の宝庫であるため、南部地方では主に鉱業によって栄えている。研究者によると、アウフグス山脈はいくつもの山脈が合わさって一つの巨大な山として君臨しているらしく、採れる鉱物も一定の距離を隔てると変化すると考えられている。実際に、南部最大の都市は「宝石都市」と呼ばれる程に多岐に渡る宝石が集まっている。その中には紫水晶も扱われていたのだが、紫晶災害以降、紫水晶は厄災の石として忌み嫌われるようになり、価値が道端の石と同等かそれ以下の大暴落を果たしていた。




