三節 動揺1
◇
「動いたら苦しみが長くなるだけ。ジッとしてればすぐ終わらせてあげるよ」
「無理して動いたら体が裂けるからね?」
「苦くて飲めない? 死にたいのなら飲まなくてもいいけど?」
「何をやってるかって? 無事に終わったら教えてあげる。あ、寝たら死ぬから起きててね?」
ここは診療所。そのはずが、聞こえてくる喧騒は戦争における最前線にも引けを取らないほどだ。機竜小隊に所属してから戦争の最前線になんて配属されたことは無く、最前線の惨状は物語る教師から聞いた知識しか無いのだが。
あれだけ眠りの浅かった俺の体は、失った血を作り出すのに躍起になって、これまでの睡眠不足を取り戻すかのように眠りこけた。お陰で神の雫による反動で重なっていた鉛のように重かった体も目を覚ました後ではすっかり軽くなっていた。
外を眺めれば陽光はほぼ真上から降り注いでいることを確認すれば、俺が半日以上眠っていたのだと分かる。
間借りしている診療所の片隅で上体を起こして待っていると、メアが軽快な足取りで戻って来た。
「それじゃあ、後はよろしくね~」
「……メア。お前、一体、あの人達に何をしたんだ?」
「おわっ?! 起きてたんだ?」
俺は寝惚けた頭で整理が追い付かない状況を改めてメアに問いかける。衝立が置かれて頻りになっているため、寝息を立てていた俺の姿が向こう側から見られることはなかったとは言え、逆にこちら側から診療所の内部を見ることも叶わないのだ。
衝立を超えて聞こえてくる内容だけでは、想像することしかできないから問い掛けたのだが、目を覚ました俺を見てメアが必要以上に驚く様を見せる。
「……君、丸一日眠ってたんだよ?」
「は?」
メアの口からもたらされた、予想だにしていなかった答えに俺は思わず思考が停止する。
俺はてっきり半日も眠っていたのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
正確には、一日半、眠っていたというのだ。信じられないと口に出す以前に、乾いた口腔を舌で舐めてから一息吐く。
「一昨日……つまり僕たちがこの村に付いた日、だね。その日の夜にささやかだけど歓待の宴が開かれたのさ。僕たちはそんな必要無いから、ってんで断ったんだけど、信徒からしたら救世主様を迎えて歓待の宴の一つも開かないなど恥ずべき行為だ、なんて言われて、渋々参加したんだよ。もちろん君もね。覚えていないかい?」
「いや、全然……」
「あんなにはっきりと喋っていたのに?!」
寝惚けていた俺は一体何を喋っていたのか。
メア曰く、村人の前からはすぐに退散したから変なことは言ってないようだが、俺としては安堵よりも心配が勝る。
しかし、今更過ぎたことを嘆いても仕方がない。項垂れつつ開き直るしかできない。覚えていないのだから反省のしようもない。悔いるべき事があるとするなら、昨日を丸一日睡眠で潰したことの方だろう。
お陰で体が軽くなったと言えるが、やはりまだ血が足りないような気がしていた。
「……すっかり白衣姿が板についているな」
「おおっと。君ってば、白衣萌えなのかい? ふふん、どうだい? 可愛い僕にはこんな姿も似合っているだろう?」
前の医者は大柄だったのだろう。小柄なメアがその白衣を身に纏うと袖が余ってしまい、折らなければならない。裾も引きずられて黒ずんでしまっている。
そんな愛らしい姿は村人たちには好評らしく、患者たちの間ではメアがむけてくれる笑顔を「天使の微笑み」だとかなんとか言って熱狂されているのが今日一日仕切りの向こう側から聞こえてきていた。確かに男の俺から見ても可愛らしい中性的な顔付きと、触れてしまえば折れてしまいそうな華奢な体躯も相俟って可愛く見えるのだろうが、その中身を知っている俺からすれば、彼の持つ注射針が怖くて仕方がないと言うのが本音であった。
「フッ」
「鼻で笑うことは無いだろ。リリスちゃんにも好評だったんだから。君が気に入ったならその内、彼女も白衣を着てくれるかもよ?」
「リリスもメアも、好きな恰好で居てくれればいい。自分らしい恰好が、一番似合っている」
言いながら、誰よりも自分らしさというものから縁遠い俺が何を言っているのかと自嘲せざるを得ない。それはメアも同じだったようで、彼は肩を竦めて深々と溜め息を吐いた。
「ハァ~。君がそれを言うのかい? まぁいいや。さ、腕を出して」
そう言って、メアは脈拍の確認から血液の採取、それから紫水晶に浸食された右目の周辺を検診していく。
「……うーん。やっぱり、広がっているね。視界に何か変化は?」
「いや、今のところ、何も。……と言うか、広がっているって、何がだ?」
「言うまでもなく、君の呪い人化だよ。言ってなかったっけ? 神の雫が発禁指定された理由」
神の雫は、その名が示す通り聖神教会が生産、販路、及び売買を管理している。これが売られている店は教会から認可が下りたとして評判も上がるという代物。俺がこれを始めて口にしたのは、師匠の訓練の時だった。
師匠から投げ渡された神の雫。師匠も実験的に用いたつもりだったのだろう。だけども、これを飲むことで自分は強くなる、なんて言う一種の自己暗示による身体強化は、成功と言う形で実を成してしまったのだ。
それからと言うもの、俺は戦線に出向く際や、交戦時などで常飲するようになったのだが、神の雫の本来の用途は知らぬままだった。
だが世界が一変してからというもの。町で神の雫を扱っている店はどこにもなく困っていたのだ。お陰で、変異種相手に生身で戦う羽目にもなった。
神の雫が発禁指定されていることも初めて知ったくらいだ。その理由がなんなのかは、メアの態度と言葉からなんとなくだが察せられる。
「理由……」
「神の雫は、呪い人の呪いを進行させるんだ。だから、発売を禁止、及び制限された。そして神の雫を使用した君の呪いも、着実に進行している、ってわけさ」
「……そうか」
「後悔してる? それとも、恨んでる?」
「後悔? 数えればキリがない。だからと言って、メアを恨むことはない。お前には、感謝しない暇がないくらいだ」
「そうかい? 僕としては、もう少し君にしっかりしてもらいたいのだけれどね」
「痛ッ!」
照れ隠しなのか、本気でそう思っているのか。メアは包帯の下の傷に障るように小突いていくる。
あの瞬間。例え、差し出された神の雫にそんな副作用があるのだと知っていたとしても、俺は躊躇なく服用していただろう。副作用があると知ってもなお、これからも必要であれば使用することに躊躇うことはない。もし躊躇う瞬間があるとすれば、限られた本数を気にするときだけだろう。
「そもそも、紫晶災害が起こらなければそんな副作用なんて判明すらしなかっただろうね。むしろ、呪いに作用する物質さえ判明すれば、それの性質を解析して呪いを進行させる薬や、君の本懐である石化の解除薬だって見つかるかもしれない」
「本当か!」
「仮説段階だけどね。それに、以前から気になっていた君の傷の治りがやけに早いことも、神の雫が関わっていると思うんだ。これにはきっと、聖神教でさえも知らない作用がまだ隠されているのかもしれないね……」
くつくつと笑うメアに誘われ、笑みを零す。メアはきっと、自分のためにやるんだ、と言うだろうが、結果的に俺も救われる。この男は、そういう男なのだ。
一頻り笑った後、メアは再び俺の検診に気を取り直す。
「それで、体の調子は? どこか痛んだりしてない?」
「あの時と比べると体が重く感じられる……のは当たり前なんだが」
「なんだが?」
「それ以上に、なんだかずっとソワソワするような感覚が残り続けているんだ。火種が燻り続けている、というか、そんな感じのが、ずっと」
違和感と言えば違和感。くしゃみが出そうで出ない感覚がずっと内側を漂っていると言えばいいのか。しかし、こんなことを伝えようにも、主観は俺の感覚の問題である。メアには伝わらないだろうなと思っていたのだが、思いの外理解ある眼差しで頷いていた。
「ほうほう。二日以上経っても抜けてない、か。噂に違わぬ効力だねぇ。これはもう、発散してもらうしかないね」
「噂? 発散? メアは、これが何か知っているのか?」
「そりゃあ、もちろん。これまでも、神の雫を使った戦闘後は決まって飲みに行っていただろう?」
「酒で、どうにかなるのか? だが、こんな環境で酒なんて用意出来るわけが……」
「君を限界まで飲ませて記憶を失くさせるのは大変だったんだから」
「は……? もしかして、意図して度数の高い酒を飲ませていたのか?」
「そうだよ? でもこれは君の身を守るためのものさ。怒られる筋合いは無いさ。ていうか、神の雫の本来の用途、知らないで使っていたのかい?」
「本来の用途……?」
神の雫の価格は、銀貨一枚。これは決して手が出せない価格というわけではなく、ちょっとした高価な外食と同等と言ったところだろう。特別騎兵としての俺の給金からすれば安く見えるが、一般市民からしてみれば数か月に一度捻出できるかどうかの金額だ。
では、果たしてそれをどのようにして使うのが正しいのか。
軍人でもない一般市民にも買える神の雫。誰もがそれを俺のように自己暗示に使うとは到底思えなくて。
「……祈りに使う、とか?」
「その使い方もあるにはあるね。中には毎朝一匙ずつ飲むことが祈りの習慣だったりする人もいるとも聞いたことがある。何せ、聖神教お墨付きの神様の雫だ。その正体がなんであれ、信徒にとっては大切な物なんだろうね。でも、一般的な使い方は別さ」
匂いはそれなりにキツく、味も良いわけではない飲み物、神の雫。それの本来の用途が知りたくて「それは?」と問い掛ける。
「それはね……、精力剤さ」
「せっ?!」
想像だにしていなかった答えに、俺は思わず噎せ返す。
「大丈夫ですか、ウェイドさんッ?!」
「り、リリスッ?!」
咳き込む声を聞き付けたのか、いつの間にか寝床の傍に立っていたリリスが駆け寄ってくる。それに驚きふためく俺に対して、メアは一切驚く素振りも見せずに応対する。
「普通に出てきなよね。隠れた状態でそこにいるの、逆に変質者っぽいよ」
「今戻って来たんですよ! そ、それよりウェイドさんが目を覚ましたなら教えて下さいと言ったじゃないですか! それに、どうしてこんな目に……!」
「僕だって今気づいたんだからしょうがないだろ~」
「お、驚いただけだ。離れてくれ」
「神の雫の本来の用途、精力剤としての使い道について教えたら、ウェイドってば驚いたようでね。君とは違う理由とは言え、軍の中にも気合を入れる目的で神の雫を戦いの前に飲む子もいたよ? もちろん、瓶一本丸ごと、なんて馬鹿みたいな使い方はしてないけどね」
「そ、そうなのか……?」
「薬も過ぎれば毒になる。少なくとも、僕が君を知った頃には一本丸ごとイってたと認識しているが。いつからそんな使い方をするようになったんだい?」
「初めから、だが」
「初めから?! ……ハハッ、君ってば、本当に馬鹿だね。いや、ジャガーノート伯が馬鹿なのか? その時どうなったか覚えているかい? 言い当ててあげよう。ぶっ倒れただろ?」
メアの言う通りである。
師匠の言う通り神の雫を初めて一気飲みした俺は、信じられない勢いで気絶した。話に聞けば、泡を吹いていたらしい。ただ、それが功を奏したのか分からないが、その瞬間から自己暗示に成功した、と言う経緯があった。だから使用する時は一本丸ごと飲んでいたのだが、メア曰く、スプーン一杯が適量なんだとか。あの小瓶であれば、十杯分。つまりは用量の十倍を一度に摂取していた訳で。そんなもの、ぶっ倒れて当然だ。今考えて馬鹿だとしか言いようがない。
それを何で知っているんだと問いかけると、メアは呆れた眼差しで「君らが馬鹿だからだよ」と言って答えた。否定できないのが悔しい。周囲から見れば、もっと馬鹿なことを仕出かした自覚があるから。
「それくらい強力な精力剤。何せ、貴族御用達の精力剤でもあるんだからね。これが無いと勃たたない貴族は相当数いるくらいだ。そんなものを一気に飲めばどうなるか、少し考えれば分かりそうなものだけど。要するに、今の君はムラムラしてるのさ」
「つまり、発散するには……」
「そうそう、下の世話をしてあげるのが手っ取り早い、ってこと」
メアのその話を聞いて、俺は頭を抱えた。
今この瞬間、さっきメアに啖呵切った「後悔してない」と言う言葉を撤回しそうになっている。何故かリリスが顔を赤らめてチラチラ見てくるが、見ない振りだ。関わっても碌なことにはならないと分かっているから。
「……待てよ。じゃあ、もしかして、今まで酔い潰れた後に俺は……」
「……何を考えているのか知らないけど、気持ちの悪い想像はやめてくれないかなぁ? というか、記憶はあるはずでしょ。単純に体力を使い果たしたってだけさ」
「それじゃあ、普通に体力を消費すればいい話なんだな? 紛らわしい言い方しないでくれよ。焦っただろ」
困った顔をすると、メアは心底愉快そうに微笑む。人を愉悦の道具にしないで貰いたいが、メアに言ったところで止めはしないだろう。メアにとって嫌がらせとは、呼吸と同じだろうから。
「分かった。少し体を動かしてくる」
「あ、安静にしてないと……!」
「いいの、いいの。ウェイドならある程度動いても平気だから。あんまり人に見られないようにね」
背後に掛かるメアの声に短く返事だけを残して、俺は外套を被る。
「それじゃあ、リリスちゃんは報告ね。片手間で聞いてあげるから、さっさと話してよ」
「か、片手間って……」
「僕なんてやるべき事が山積みなんだから。ほら、報告終わったらもう一回──」
「うぅ、私も、ウェイドさんと一緒がいいのに……」
ハァ、と聞こえる深い溜め息を背に、俺は体の奥底で燻る火種を鎮めるためにそそくさと診療所を後にするのであった。
補完と言う名の、言語解説。
【呪い人化】
紫晶災害によって呪いを受けた人物を呪い人と呼ぶ。
その呪いは体の一部が紫水晶に変化するというものであり、時間の経過と共に体に体に広がっていく。体の一部が紫水晶に変わると言うが、それが体の組成を阻害するわけでは無く、呪いを受けた部位によって血流が滞ることはなく、以前と変わらず体を巡ることが確認されている。
では、呪いが全身に行き渡ればどうなるのか。それは現時点では不明である。全身に行き渡った人物が存在しないから。では、呪いが誰かに移ることは有り得るのか。それも不明である。
呪い人に関しては、不明なことが多く、脅威であるため誰もが遠ざける。害があるのかどうか。今はただ「あるかもしれない」という段階であるが、ゼロではないという時点で人間が恐怖するには十分すぎる可能性であった。




