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二節 傷痕4

 



 ◇



「メア様、ありがとうございます……!」

「か、体が軽くなりました! あんなに苦しかったのに!」

「メア様のお陰で旦那が楽になれたと仰っていて……」


 診療所として解放されている場所には、外から見ても分かる通り人でごった返していた。村の住人の大半がこの場所に集まっているのではないかと思えるほどの人口密度。その騒ぎの中心に、メアはいた。


「もっと感謝したまえ! そして僕に血を寄越すんだね。僕の研究の糧になれることを喜ぶといいさ! アハハハ!」


 いつの間に手に入れたのか、白衣に身を包んだメアは医療器具を手に掲げて高笑いを披露していた。その様はどこからどうみても彼の嫌う研究塔に片足どころかどっぷり肩まで浸かっているような振る舞いにしか思えないのだが、それを言うとメアは機嫌を損ねるので俺は口を噤む。


「……メアさん、なんだか研究塔の一員みたいですね?」


 しかし、俺が喉元まで出掛かってなんとか堪えた文言をリリスが俺の耳元で呆れた声音で囁いてしまう。なんたる愚行。案の定、耳聡く聞き届けたメアが人垣を割って俺たちの元に迫って来るではないか。


「今、聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたんだけど、どこのどいつが研究塔で無駄な出費だけを重ねて何の徳にもならない成果ばかり挙げて評価されないのを周りの所為にしていそうだって?」

「そ、そこまでは言ってないんですけど……」

「いいから、この場の状況を説明してくれ。何をどうしたら、この短時間で彼らをここまで狂乱させられるんだよ……」

「ふふん。気になるかい?」


 白衣はファッションだったのだろうか、俺が気になって尋ねるとさっさとそれを脱ぎ捨ててウォルマンに投げ渡すメア。ウォルマンも付き人のようにそれを恭しく受け取るのはなんなんだろうか。

 メアが歩けば、診療所内の患者たちからメアに感謝の言葉が投げかけられる。


「良い話と悪い話がある。どっちから聞きたい?」

「良い話だけ、っていうのは選択肢にないのか?」

「無いね。どちらも僕たちに関係ある話だからね」

「それじゃあ、悪い話から聞かせてくれ」

「そう言うと思ったから場所を移したんだよね。適当に腰掛けてよ」


 診療所の一角にある仕切りの置かれたスペースで、メアは雑多に積み上げられた荷物の上に腰を下ろす。それを真似て俺とリリス、ウォルマンも揃って腰掛ける。

 周りの目線を遮るとは言え、ここは仕切りが置かれただけの場所。ここで話した会話など筒抜けだろう。


「筒抜けだが、いいのか?」

「構わないさ。仮に僕たちに企てがあったとして、この村の呪い人(ネビリム)達にそれを止められるとも思わないしね。そうだろう? ウォルマン」

「……メア様に考えがあることは承知の上でございます。神の御使い様、とお呼びさせていただいておりますが、その実、お三方様はただの人間にあらせられる。むしろ何かしらの目的がある方が私としても安心できるものです。その目的を、明らかにしていただければ尚のこと、ですが」


 メアの問い掛けに一瞬表情を悩ませたものの、声を絞って淡々と語るウォルマンに俺は思わず瞠目してしまう。あれだけ信心深い様子を見せていたのが嘘だったのかと、騙された気分である。それはリリスも同じだったようで、二人して驚愕しているのを見てウォルマンは小さくホホホ、と笑った。


「周りの方のように信心深くない、と言うだけで、信仰心は人並みにございますよ? ただ、ブランのような信仰心がとりわけ強い者達は恐らく、皆様を救世主様と信じて疑っていないでしょうね」

「はた迷惑な事には、変わりないな」


 だからブランは頑なに俺を「救世主」と呼ぶことに固執しているのだろう。そう口にすると、ウォルマンは「そう仰らずに」と言って笑う。

 もしかしたら、そうやって持ち上げられて調子に乗りでもしていたら、ウォルマンのような信仰心と理性を併せ持った人物からは見限られていたのかもしれない。メアはその辺、きちんと弁えて上手く立ち回ることができるからいいが、俺はそうではない。……とは言え、俺の精神は今更持ち上げられたくらいで調子づく程安定してはいない。せめてマイナスがゼロに近付くだけだろう。それも、果てしなく遠い位置にある数値が、一や二と言った極僅かな数値分動く程度だ。誤差に過ぎない。


「それで、悪い話って言うのは?」

「……うーん、これは遠回しにする必要もないか。うん、それでね、悪い話って言うのは……この村唯一だったドクターが死んだ、ってこと」

「なんと……! いえ……。やはり、手遅れでございましたか」

「ウォルマンはずっとメアに付き添っていたんじゃなかったのか?」

「いえ、私はメア様に言われて村のあちこちから使える物をかき集めていたので……」


 出会って間もないウォルマンを使い走りにするなんて、メアにしか真似出来ない豪胆さである。


「その件でウォルマンには聞きたいことがあってね。ドクターは、いつまで生きていたのかな?」

「い、いつまで、ですか……? ブランと共にこの村を出るまで、危篤が続いていると聞いておりましたが……」

「ということは、今日……ないし今の今まで君はドクターが生きていると思っていたんだね?」

「はい……。先の襲撃によって傷付き重篤な状態に陥った者達はまとめてこの診療所の奥で療養されていましたから様子を確認することは叶いませんでしたが、看病は先生の指示を受けて村の女衆が手伝っていたと記憶しておりますが……」

「ふむ、それはおかしいね。だって、僕が見た限りだと……ドクターは、死後一日以上が経過している」

「なッ?!」

「それって……」

「勘が良ければ分かるだろう? 明らかにおかしい、ってことが」


 俺たちを迎えにやって来たブランとウォルマンの話によれば、呪い人(ネビリム)の集団が住まうこの村が群襲燕(ブレイブシューター)の群れに襲われたのが、五日前。

 その時に迎撃に出た男たちの多くが大小さまざまな怪我を負ってしまったと言う。健康体そのものに見えるウォルマンも怪我を負ったそうだが、【自己治癒】と言う生得魔法によって他の者より軽傷で済んだのだそう。その際に、村の唯一の生命線とも呼べる医者も、群襲燕(ブレイブシューター)によって深い手傷を負ったのだと言う。

 本来であれば何故前線に出るはずの無い、後方支援の要とも呼ばれる医師が危機に晒されたのかと言うと、それは群襲燕(ブレイブシューター)の規模の大きさが全てだろう。俺たちの襲われた群れの規模であれば、こんな小さな村を取り囲むのなんて容易な話である。実際に五日前に群れと対峙したウォルマンとブランの話によると、村の南側に男衆が総出で群襲燕(ブレイブシューター)を追い払っている際に村の中から悲鳴が上がったのだそう。急いで駆け付けると、そこには血を流して倒れる医師の男の姿が。

 怯えていた女衆の話を聞けば、自分達に襲い掛かって来た魔物から身を挺して庇ってくれたのだという。不幸にもその場には医師以外に男性はおらず、考えるより早く身体が動いてしまったのだろうと憶測していた。


「……話に聞く限りでは、襲われてからもその医者は意識があったんだな?」

「ええ、はい。先生の言う通りに私が応急処置に当たりましたから。ですが、医療器具の使い方など知らぬ私に出来ることは数少なく、すぐに手隙の女衆に看病を任せたのです。重症だったとはいえ、朗らかに笑っておられたのでてっきり無事なものかと……。くっ! 不甲斐ない自分が、嫌になる……!」

「反省会は後にしてくれよ。目の前でウジウジやられると空気が汚染されるから」


 そう言ってメアは俺の方を見る。

 悪かったな、いつまでもウジウジしてるような代表が近くに居て。


「僕が聞きたいのは別のことだ。看病の世話役を任された女たちは何故、そんな大事なことを黙っていたのか、だ」

「い、言われてみれば確かに……! い、いえ、彼女らは、先生が亡くなったことに気付いていなかっただけでは?」

「確かに、その可能性が無いとは言えないね。一流の医療知識が集う帝都でも、生者を死者と誤診したという例がいくつかあるし、何の設備もない村で人が死んでいるかどうかの判別なんてのは、より難しいのかもしれないね」


 死者の判別は医者、もしくは聖職者が担うことが多い。

 誰かが病に掛かれば隣町まで走って医者を呼びに行くような医者の常駐がされないセナ村でも、ハーヴリー神父が死者の魂に祈りを捧げる役割を担っていた。詳しくは分からないが、専門的な知識が要ることだけは分かる。


「外で騒いでいるのは、その医者と一緒に重傷病者として眠っていた人達なのか?」

「ええ。ですが、メア様による適切な処置のお陰で、皆一様に起き上がることが出来て感謝しているのです」

「いやあ、お医者さんってのが、立派な人で助かったよ。医療道具一式は使い込まれているとはいえしっかりと手入れされていて、清潔さを保っていたからね。相応の施設が無いとは言え、こんな辺鄙な場所でこれだけの高等医療を施せるだなんて思ってもみなかったよ。彼、相当名うてな医者だったんだろうね」


 医療道具の一つを手で弄びながら言うメアの目は、どこか虚しさを漂わせていた。あのメアが誰かをそれ程評価するだなんて、相当な腕を持つ名医だったのだろう。彼もまた、呪い人(ネビリム)だったのだろうか。だとしたら俺は、彼が救うべき人をも不幸にしたことになる。

 ……忘れてないさ。俺の罪の重さは、俺が思っている以上だということは、とっくに思い知っている。


「──それはともかくとして、良い話をしよう。良い話って言うのは、医者に代わって僕が彼らの面倒を見ることになった、ということさ。医療道具一式も使い放題。やったね」


 たった今浮かべていたアンニュイな表情は嘘のように掻き消え、パッと喜悦に満ちた表情に一瞬にして切り替わるというのは些か恐怖が湧くと言うものだ。

 だがしかし、それは確かに良い話である事には違いない。ただし、両手でピースをしながら、褒めてくれ、と顔に書いてあるメアに素直に賞賛を送るのはなんだか癪に障って。俺は表情がやかましいメアを無視して話を続けた。


「……あの様子を見れば何となくわかったが、何をしたらあそこまで支持を得られるんだか」

「前に居た医者の後釜、と言えば聞こえが悪いけど、僕ってば、そんじょそこらの医者なんかよりよっぽど腕がいいんだよね。設備さえ整えば手術だって出来るくらい。そんな僕が、ある程度とは言え医療道具一式を手にしたんだ。彼らくらいの傷病者であれば簡単に処置して上げられるって言うもんさ。環境を整えて、適切な処置を施す。医者ってのはそれだけで名医と呼ばれるけど、そこから上に至るには、彼らを処置に前向きにさせる話術ってのが必要になるのさ。……救世主様の力だ、とか神様からのお告げだ、とか言えばすぐに乗り気になってくれる信者ってのは、扱いやすくて良いよねっ」


 長く深い付き合いだと言うのに、メアがそんな腕を持っていただなんて、知らなかった。メアのことだから医者の真似事もやって出来ないことではないと薄々感じていたが、まさか医者の真似事どころかそれ以上の腕前を持っていただなんて。

 第三機竜小隊遊撃隊として、短いとは言え濃密な時間を過ごし合った俺やワーグナーでさえもメアの本当の実力と言うものを知らない。だからここに来る道中で見かけた、抱き合って生の実感を喜び分かち合う呪い人(ネビリム)達をどれだけ深い絶望から引き上げたのか分からない。

 それだけの知識と技術を持ち合わせているものの、彼はそれを遊び半分でしか行使しない。メアにしてみれば、この行為も遊びや彼の中にある過程の一つに過ぎないのだろう。あれだけ人を幸せにできる力があると言うのに。もっとも、メアがその知識と技術を手に入れたのも遊びや知的好奇心の赴くままに動いた結果なのだろう。つくづく天才というものを見せつけられてうんざりする。

 いつの頃からか、メアの天才ぶりに動揺しなくなったものだ。それ以上に、いつものことのように言ってのけるメアのやり口にドン引きしてしまうからだ。


 リリスと揃って、引き攣った笑みを隠せなかった。


「詐欺師じゃないか……」

「詐欺師、ですね」

「アハハハハ! 聖典には嘘も方便、とある獣人族には犬と鋏は使いよう、という言葉があってね。どの地方、土地柄であっても、必要な嘘というのは用いられるものなのだよ。ちなみに、人を上手く騙すには、話の中に真実と嘘を織り交ぜるのがポイントさ」

「た、確かに、聖典にはそのような文言があったかと認識しておりますが……それは却って真実と言えるのではないでしょうか?」

「そこまで聖典を理解していらっしゃるとは、やはりメア殿は信心深い御方なのですな」

「いや、それは違うよ」


 聖典を小馬鹿にするようにも、聖職者としての在り方を説くようにも聞こえるメアの言葉に、ウォルマンが納得したように頷き繰り返す。彼は後者のように受け取ったのだろう。だが、メアはそれをつまらないものでも見たかのような表情で否定した。


「聖典を読んで自分なりに理解した上で、僕は信仰しない自由を選択したまでだよ。……ウォルマン君、君は何を見て、何を知った上で聖神教を信仰しているんだい? あぁ、答えなくていいよ。答えが知りたくて問い掛けたわけじゃないからね。なんとなくでもいい。曖昧なままでもいい。確かに帝国と聖神教は切っても切り離せない関係だから、理由無く信仰していても良いんだ。……でも、もし君が、助かりたいがためだけに聖神教を信仰していると言うのであれば、僕はこう言ってあげよう。──聖神教は、君たちを助けてはくれないよ、とね」

「ッ……!」

「おいメア。人の信仰に口を出すなよな。何を信じようが、その人の自由だ」

「そうだね、自由だ。信仰心と言うのは、時に強靭な武器にもなるし、心の支えにもなる。こんな話がある。……かつて、一つの宗教が邪教と呼ばれ、世界中から異端と呼ばれるようになった。邪教徒は捕らえられ、様々な拷問を受ける中で改宗を迫られた。長い時間が経った。ある日、邪教認定というのは誤りだったと世界が手のひらを返したのだ。だけどもその頃には様々な人が拷問の末に改宗を果たさざるを得なかったり、激しい苦難の末に死に至ったりと、邪教徒と呼ばれる者は皆、指折りで数えられる程度しか残っていなかった。そんな彼らは、どんな人だと思う?」

「強靭な男だった、とか?」

「拷問も躊躇われる愛らしい見た目……いえ、これは無いですね」

「どちらも違うね。正解は──」

「──最後まで、邪教を信じ抜いた者。……聖神教典第一章、第十九項。邪教崇拝の話、ですね」

「良く知ってるね。その通りだ。世界から邪教だと貶められても、彼らは自分で信じ抜いた信仰を、最後まで手放さなかった。これは、彼らの信じる神が救いをもたらしたのではない。彼らの信じると言う意志が成し遂げた奇跡だ。それはつまり、信仰とは神の救いを得る為ではなく、日々を生きる糧にすること。それを自分が心の底から信じていなければ、根元から揺らいでいくという意味だと、僕はそう捉えたね」

「信仰は、日々を、生きる糧……」


 信仰心など折って捨てた俺と、元から信仰心の薄いリリスには響かない言葉でも、ウォルマンには刺さったようで。

 ウォルマンの目を見つめているメアの目は、ここではないどこか遠くを見ているようで、儚い印象を植え付けられる。儚さと神秘は紙一重であり、一掴み程度の信仰心さえあれば、人は神秘を理解できる。理解できる風体を装えるのだ。それに加えて、もっともらしいことを説かれた日には、説かれた側が神秘性を理解しようと勝手に頭の中で置き換える。そうやって宗教は神格を得ている。神などいないと言うのにかかわらず。

 ゆえにウォルマンは今、メアのもっともらしい話に感銘を受けている最中に違いなくて。


「……あぁ。なんと慈悲深きお考えなのでしょうか。私は信仰と言うものを、浅く考えておりました。一度、考える時間をいただけないでしょうか? 必ずや、自分の中で答えを出してまいりますので!」


 人の頭で理解できるからこそ、神秘を理解しようとしてしまう。

 蕩けたような顔をしたウォルマンはそれだけ言うと立ち上がり、「私は今この瞬間、生まれ直したのだ……」と訳の分からない言葉を発しながら去って行く。その背をのんきに微笑んで見送ったメアに、冷めた目線を送るわけで。


「……詐欺師だな」

「詐欺師ですね」

「やだなぁ、そんな人聞きの悪いこと言わないでよ。むしろ、こんなに可愛い僕に騙されるなんて本望だと思わないかい?」

「騙していることは否定しないんですね」

「宗教ってのは如何に多くの人を騙して金を搾り取るか、っていう仕組みだからね。慈善事業なんかじゃないのさ。奉仕の心ってのは、それと引き換えに金をせびる言い訳。人の良心に付け込む下衆以下の手法さ。それと比べれば僕のやっていることなんて可愛いものだろう? 何せ、誰も傷付かないんだからっ」

「……それで、ウォルマンに席を外させて、何を話したかったんだ?」

「んふふ? 流石だウェイドだ。良く分かってるね」


 きゃぴきゃぴきゅるるんっ、と目を瞬かせるメアを華麗にスルーしつつ、俺はさっさと本題に移れと訴える。

 ウォルマンであれば席を外してくれと頼めば素直に頷いてくれそうなものだが、メアは敢えてそれをしなかった。ということは、これから話す内容は聞かすことは疎か、匂わすことすら危ういと言うのだろう。何のことか分かっていない様子のリリスを他所に、メアがシッ、と人差し指を鼻先に当てると俺たちは互いに身を寄せ合ってメアの小声に耳を傾ける。


「……実はね、医者の他にも、貴族らしき人物と、それからウォルマンと同程度の実力者が数名、亡くなっているんだ。すぐに明らかになるとは思うけど」


 明らかになる話であれば秘匿する必要もない。俺とリリスはそんな分かり切っていることをわざわざ口にしたりはせずに、その向こう側にあるメアの抱える秘密に目を凝らす。


「……彼らは全員、殺された可能性が高い」

「っ、それ、って……!」

「……死んだ、のではなく?」

「……まだ確定情報じゃないからウォルマンには伏せたけど、僕の所見を述べるのであれば、まず間違いないだろうね」

「傷が悪化した、というわけではなく……?」

「……言っただろう? ここの医者は優秀だったと。彼の指示で、近くの川の水を煮沸し、蒸留した水を使うようにしていたんだ。清潔さには人一倍気を遣っていたんだと思う。こんな環境じゃ、衛生面が悪ければすぐに全滅していただろうからね。そんな環境を整える人物が、傷が膿むことを黙認する、なんてことは考えにくい。傷を受けたときに最も恐れるべきは感染症。これは全世界での共通認識だからね」

「……傷が悪化する環境では無かった? 首でも、絞められていたのか?」

「……それならまだ良かったけど、事態はもっと深刻だよ。恐らく……毒殺だ」


 そう口にしたメアの表情から、笑みが消え去る。いたって真剣そのものであり、そんなメアの怒気に煽られるように、俺とリリスも言葉を失う。毒殺という明確な人の悪意を感じる忌むべき殺害方法に憤慨しているのだろうか。それとも、メアが手放しに褒め称えるほどの貴重な人材が失われたことに対して腹を立てているのか。


「……僕の手に掛かれば毒殺に使用された毒物の解析も可能だろうけど、かなりの時間が掛かるだろうね。しばらくは、この村に滞在するよ。いいね?」

「問題無い。メアこそ、大丈夫か?」

「誰の心配しているのさ。それより君は、自分の心配をした方がいい。血を流し過ぎた上に、神の雫(ミューズ・ア・ムール)反動が来ているはずだろ? その経過も調べさせてもらうからね?」

「ぐ……!」


 バレていたか、と渋い顔をするも、メアに隠し事は出来ない。

 正直、ここまで歩いて来れたこと自体、奇跡に近い。少しでも気を緩めれば意識がプツリと切れてもおかしくないほどの疲弊感に苛まれている。


「そ、そうだったんですか……?! うぇ、ウェイドさん、今すぐ寝ましょう。寝床を用意しますから……!」

「今すぐにどうこうなるというものでもないから平気だ」

「今すぐにどうこうなるというものだよ。我慢されても迷惑だ。リリスちゃんは、既に言った通り、任せるから」

「リリスにも、何かやらせるのか」

「当たり前でしょ。働かざるもの食うべからず、って言う言葉を知らないのかい? それとも何か、君は自分の大事なものは自分の腕の中に閉じ込めておくタイプだったりするのかな? 束縛激しいタイプは嫌われるよ?」

「い、いえ……わ、私はいっそ、束縛されたいと言いますか……」

「……大事なのはメアもだろうが。それより、リリスのことを信じていいのか、と言う話だ」


 売り言葉に買い言葉、と言うには些か買い叩かれたような気がするやり取りに、何故かメアとリリスが揃って顔を赤くさせる。


「うぉっ……不意打ちだねぇ……」

()()()……って! ()、って……! 今!」

「はわわだねぇ!」


 一瞬だけ視線を泳がせたメアも、自分以上に狂喜乱舞するリリスの姿を見て落ち着きを取り戻したのか、リリスに合わせておどけて見せる。

 俺如きにとってはメアもリリスもかけがえのない大切な存在だ。例えそれが一方通行だったとしても、俺は二人に救われたことは紛れもない事実だから。けれども、こうして俺の想いを弄ばれるのは見ていて心地の良いものではなくて。


「……やっぱり先に休んでいていいか? なぁ?」

「あー、あー、ごめんってば。拗ねないでよも~!」


 やけに上機嫌に笑うメアに引き留められて浮かした腰を再び下ろした俺は、興奮冷めやらぬと言った様子のリリスも含めて今後のことについて軽く擦り合わせをした後で、診療所に用意された薄手の布団に潜り込むや否や、早々に意識を手放すのであった。








補完と言う名の、言語解説。


【現代医療】


アーティファクトの発掘と共に掘り出される旧世代の資料によって、医学の進歩は数百年近く飛躍したと言われている。魔法やポーションと言った、人の身体を癒す技術が浸透しているが、それらを手に出来るのはあくまでも限られた人数であり、一般市民の誰もが受けられる恵みではない。しかし、発掘された資料によると、その行き届かない層にこそ医療が手を差し伸べる領域であり、技術の波及は帝国の発展に直接繋がるとあって、三代前の皇帝、第二代皇帝によって医療技術は発展を遂げた。当時は人体を切り開くような手術に聖神教が否を唱えるなど、様々な問題が重なり合い一時は帝国内部での争いにまで広がったりしたものの、第二代皇帝は医療技術の発展に注力したことにより、第三代皇帝の頃には帝国人の平均寿命が十年伸びるまでに至っている。

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