二節 傷痕3
◇
「ここが、私たちの村です!」
俺たちを村に招いた男女の二人組は、男性の方をウォルマン、女性の方をブランと言い、様々な職種や人種が集った呪い人の中でも数少ない軍属経験のある者達だと言う。
そんな彼らに出会い導かれた先で待っていたのは、目の前に広がる寂れた村。メトロジア大森林の中に拓かれた、唯一の開拓村なのであった。
「開拓村……というよりかは森に飲まれて捨て置かれた村、って感じだね」
「言葉を選べよ、メア」
「いえ、いいのです。本当のことですから。事実、私も同じ感想を抱いたものです。ここは、かつて帝国がメトロジア大森林を開拓しようとした名残……。失敗した歴史を残す負の遺産のようなものですから。お陰で、誰の記憶にも記録にも残されていませんので、身を隠すには最適なのですよ」
ブランは先んじて彼らの集団のリーダーに俺たちのことを報せに走って行き、残されたウォルマンはその時間稼ぎとばかりに案内を買って出て、言いながら隣でホホホ、と笑う。村中から向けられる数多の視線は他所に、俺たちはそのかつての開拓村を眺める。
森に隣接した箇所から、木々の浸食によって家々は飲み込まれて倒壊しているのが目立つ。中には傾きながらも同化しつつあるものさえ存在している。お陰で人間の生活圏は限られているようで、開拓村としての規模はセナ村よりも狭い。ここに話に聞いた数の呪い人が生活しているとなると、その生活が窮屈であることなどは想像に容易いものであった。
「ここに、話に聞いた人数が生活しているのか? 食料は、どうしているんだ」
「幸いにも、ある程度腕利きの者も多く、見て分かる通りこの森は自然が支配しております故、恵みも多い。狩りと採取でなんとか素材を集め、皆で知恵を出し合いながら、一日一食で食い繋いでおります」
「それは……」
飯の食えないひもじさは理解できる。
セナ村にいた頃、孤児院なんかでは一日一食が当たり前だったから、腹が空く度に子供たちを先導して森の中で木の実や魚なんかを採って食っていた。ここメトロジア大森林とは違い、魔物の少ない森であったが、子供たちだけで森に入ることの危険性はよく理解している。それがメトロジア大森林のように魔物蔓延る森に狩りに行かねばならないとなると、危険度はその比ではない。文字通り、命のやり取りだ。俺の事情とは比べ物にならないだろう。
俺の場合は森に入ったことがバレる度にハーヴリー神父には叱られ、ポラス教の清貧がなんたるかを長時間説かれたが、俺は何度もその行動を繰り返した。ハーヴリー神父にとっては、それも気に食わなかったのだろう。だけど、弟や妹たちが腹を空かせていることに俺は耐えられなかった。シスターフィオナが一食限りの食事を子供たちに分け与えているのを知って、何も出来ないことが悔しかったのだ。だからカタリナには好きなだけ食わせたし、久し振りに帰って見た弟妹達にいろんなものを振る舞いたかった。……あんなことが起こらなければ、もっとたくさん、美味しいものを食べさせてあげられたのに。
でなければ、今ここでひもじい思いをする呪い人も生まれていなかったと思うと、改めて突き付けられた現実に、奥歯を固く噛み締めた。
「どこから逃げてきたのかは知らないけど、道中に町や村もあっただろうに、そこから食料を盗まなかったのは英断だよ」
「ハハハ。そんな足がつくような真似はいたしませんよ。私達もそこまで愚かではありませんから……と、言いたいところですが、初めはそのつもりでした。非戦闘員が多いとは言え、私たちも決してく少なくない戦力を保有していましたから。村一つくらいなら、襲う余裕だってありました」
「じゃあ、どうして?」
「リーダーが止めて下さったからです。彼がいなければ、私たちはとうの昔に壊滅していたに違いありません。何せ、私たちは所詮かき集めの烏合の衆。世界のはみ出し者ですから。それに何より……受けた仇は、決して忘れません。だから、襲って奪おうという声も私たちの中にあったのですが、彼は教えを説いてくれたのです。敵は──」
「……敵は、己の中にあると知りなさい。己を、許すことを知りなさい。さすれば人は、人に優しく在れる」
ウォルマンの言葉に重ねて、俺が呟くと、全員の視線が俺を向く。
口にしたのは、聖書の一節。
耳にタコが出来るくらい聞かされた言葉を口にすると、途端に胸が苦しくなる。それはハーヴリー神父の声を、目を、顔を、あの手記を思い出すからだ。だけれどもそれは一瞬で、俺は知らずの内に手を伸ばしていた十字架の首飾りから手を離す。
「おお、流石は女神ポラス様の御使い様、ご存知でしたか」
「その呼び方は止めてくれ。普通にウェイドで良い。余計に遜る必要も、無い」
「では、ウェイド殿、と」
「それで、どういう意味なの?」
「聖典の解釈は人それぞれ異なるのを前提に言うぞ。この一節における敵、というのはつまり、自分の感情だ。怒りであったり、悲しみであったり、様々。それを許す……つまり、それも自分という一つを形成するものだと受け入れて認めてあげることで、人は成長できるということだ。そうすれば、人はもっと、人にやさしくなれる。人が人の世界を作り上げるのだから、全員が優しくなれば世界も優しくなる、という意味だと思っている」
「へぇ、流石は聖職かぶれのウェイドだね。君が言うと薄っぺらく聞こえるよ」
「わ、私はきちんと感動しました!」
「俺の場合は、ただ空腹に耐えられなかった時に聞かされた話だからな。言葉如きで腹が膨れるわけでもないし、そのストレスがまた別の方向に伸びていってシスターを困らせたんだけどな。……それで、そのリーダーとやらは続けて何か言ってなかったか?」
ウォルマンとブランの信心深さを目の当たりにしているお陰か、メアが珍しく言葉を選んだものの、それでも言葉の一端に一切の信仰心も芽生える素振りの無い神様泣かせなメアの言い分も分からなくもない俺は、悪びれもなくウォルマンに続きを促す。
ハーヴリー神父は確か、あの一節を説いた後にこう続けていたはずだ。
──聖神ポラス様は、いつもお前のことを見ているぞ。
「アリウス派の考え方ですな。やはりウェイド殿は神の御使い様で間違いないのでは? ホホホ、冗談です。確か、リーダーはあの時……『聖神ポラス様はいつでも私たちを見守ってくれている』と仰っていました。善行も、悪行も、必ず見られている。だからここで盗みを働かなかったという私たちの善行は、必ずポラス様が見てくれている。決して諦めるな、救いは必ず在る……と、そう仰っておりましたな」
ウォルマンの言葉に、俺は目を瞠った。まさかほぼ同じ文言が飛び出してくるとは思ってなかったからだ。これが単なる偶然か、それとも地域差や教えの流派によるものかは詳しく聞かなければ分からないだろう。
一節の解釈は異なるのは状況によって使い分けるためか。ハーヴリー神父は子供に対する簡単な脅しの材料として使ったのだろうが、俺には効果が無かった。しかし、ここまで避難してきた呪い人たちにとっては、ウォルマンの反応見れば分かる。子供騙しの文言ではなく、文字通り彼らの救いになっているのは間違いない。それに、そのリーダーとやらの放つ神の言葉を信奉する一心だけでここまで逃げ延びてきたのだとすれば、信仰心の強さが窺い知れるというものだ。
同時に、ハーヴリー神父と同じ言葉を操ると取れる状況は、俺にとって好ましくないのも事実で。
「あ! 救世主様! ウォルマン様! リーダーがお会いになるそうですよ!」
そんな話をしていると村の中心に居を構える小屋の前で、ぴょんこぴょんこと跳ねる影が。ブランだ。彼女には呼び方を矯正しても治らない。俺の名前を呼ぶなんて恐れ多い、と遠慮されるのだ。とんだ信仰心だと思うが、俺は救世主でもなんでもない。救済ではなく、不幸を振り撒く死神でしかないというのに。
「村の皆々には私たちの方から話を通しておくので、まずはリーダーと話をしてくだされ。リーダーは呪い人の私たちも救ってくれるという立派な考えを持った御方です。ウェイド殿もすぐに意気投合することでしょう」
「それじゃあ、挨拶は君たちだけでよろしくね」
「い、いえ、メア殿も……」
「医療道具を確認するにも時間が掛かるからね。もしも君たちの中に一分、一秒でも遅かったら助からない傷病者がいたらどうするのさ。いいからほら、早く医療道具のある所に案内してくれたまえよ」
「そ、それは確かにそうなのですが──」
それだけ言うと、メアはウォルマンの背中を押して去って行ってしまう。
言わずもがな、挨拶などという面倒くさい行為を嫌ったに違いないのだが、残された俺たちはどんな反応をすれば良いと言うのか。唖然とした様子のブランと目が合い、俺は何とも言えない反応を見せた。
「あ、あぇ~っとぉ……。とりあえず、中へどうぞ。リーダーがお待ち、ですので……」
うちのメアがすみません、と内心で謝っておいて、俺とリリスはブランに案内されてリーダーに面通るのであった。
◇
案内されて、とは言ったものの、案内されるほど小屋の中身は広いわけではなかった。
とは言え、道中に見られた他の小屋と比べて格段に大きな造りである二階建ての小屋は、元々村長用に造られたものなのだろう。セナ村でも特に村長の家は大きかったから。
開拓村の小屋、ということで、帝都の街並みとは大きく異なる木組み小屋。その中に踏み入ってまず最初に感じたのは、匂いだった。
「なんだか、特徴的な香りですね」
「……ビャクダンの香り」
「ややっ、救世主様はご存知でしたか。とても神聖な香なんですよ。それの着用が許されるのは一定の司祭以上の御方のみで、聖神教でも選ばれし御方なんです!」
知っているも何も、嗅ぎ慣れた香りだ。
五年後に再会したシスターフィオナも、ハーヴリー神父も、常にこの香りを纏わせていた。それが何を意味するか分からなかった俺は、今にして思えばどこまでも愚鈍としか言いようがない。一介の修道女に過ぎない彼女がそれを纏う理由など、一つしかないと言うのに。
嗅ぎ慣れたはずの香り。けれどもそれが鼻孔をくすぐるだけで、俺はたちまち吐き気に襲われる。それでも、逆流してくる酸っぱいものを必死で飲み下して平静を装う。
「……っ」
「ウェイドさん……?」
胸を押さえて足を止めたところでリリスが心配したのか声を掛けてくるが、前を歩くブランは気付かずリビングへと歩いて行ってしまう。
「リーダー、救世主様をお連れしました!」
「ありがとう。さぁ、こちらにどうぞ。救世主様」
「……あぁ」
ブランの溌溂とした声に返ってくるのは、思慮深さを感じさせる落ち着いた穏やかな声だった。
引き留めるようなリリスの手を下げさせて前に踏み出した俺は、その声の主が差し示したテーブルに腰を下ろす。人数分のハーブティーが置かれていたが、それには手を付けず、目の前に座った「リーダー」と呼ばれる男性を注視した。
「お茶菓子が用意できず、申し訳ない。なにぶん、こんな状況下でね。このお茶も、数少ない私の楽しみなんだ。口に合うと、いいのだけれど」
リーダー、と呼ばれる男。対面に腰を下ろしたその男に対して抱いた第一印象は、穏やかそうな好青年というものだった。
歳は俺たちと比べて少し上だろうか。
風が吹けば流れていきそうな赤い長髪と、長い睫毛の下、目の色すら見て取れないほどに細められた目は緩やかな弧を描いて柔和な笑みを湛えているお陰で、かなりの美青年に見える。加えて、落ち着き払った所作の一つ一つが洗練されていることもあって、細身の体にまだ年若いというのに、威厳のようなものすら感じられる。ハーヴリー神父も老齢ながら所作が丁寧であり、粗雑な村の人たちと比べてずっと大人に見えたのを覚えている。聖職者というのは、誰でもこのような雰囲気を纏っているものなのだろうか。
そう思いつつ横に視線を動かすと、ブランの姿が映る。彼女の口ぶりからも分かる通り、憧れや尊敬を抱いているのだろう。リーダーと呼ばれる男の真似をして落ち着きを取り繕ってカップに口を付けるブランの姿は、微笑ましい。聞いたところによると、彼女は俺たちと同年代らしいが、幼さの残る素振りは見ていて飽きない。
そんな彼女と比較して、俺とリリスが一切お茶に手を付けないのを見てリーダーの男が若干表情を曇らせる。だがそれ以上に、俺は気になった点が一つある。それは、
「……あなたは、呪い人では無いんだな?」
「どうして、そうお思いに?」
「勘だ。この村の人たちと比べて、あなただけは異質だと思えたからだ」
「だから、折角のハーブティーも飲んで下さらない、と?」
この村に住まう人々の目線や彼らの表情を見て、ブランやウォルマンの話が真実であったとすぐに分かった。それは決定的な証拠が、彼らの体表に紫水晶が見えたから、というわけではない。
呪い人の彼らは、総じて表情に陰を生んでいる。明るく見せていても、ふと意識を逸らすと顔色が曇る。森で出会った呪い人の商人、マックスもそうだったから分かる。この村は、全体を通して影が差すほどに呪い人の影が濃いのだ。
それに反して、目の前のリーダーの男から陰りは一切感じられない。もしかしたら巧妙に隠しているのかもしれないが、これは自信を持って断言できる。
この男は、呪い人ではない。
そんな俺の指摘を受けて尚も笑みを崩さないリーダーの男と対峙する俺の不和を察したのか、ブランが慌てて口を挟んでくる。
「きゅ、救世主様は喉が渇いていないのかもしれません! わ、わァ! 私、喉が渇いちゃってて、良かったら頂いてもいいですかぁ?」
引き攣った笑みで棒読みな台詞を吐いた後、ブランはごくごくと喉を鳴らしてハーブティーを二杯も飲み干してしまう。彼女はどうやら、想像以上に不器用らしい。お腹の中をちゃぽちゃぽ言わせて口元を抑えた彼女に、俺たちの視線が集中する。
「……」
「……」
「……」
「ご、ごめんなさい! うぅ……。そんなつもりじゃなくってぇ……。意図して黙っていた訳ではなくってですね……。り、リーダーは呪い人ではないですが、それでもブランたちの味方になって考えてくださる立派なお方なのです! これは言わなかったブラン達が悪いのです! だからどうか、矛をお納めになってください、救世主様……!」
テーブルに頭を擦り付けるブランを見ると、まるで俺が悪人のような気がしてくる。……ような、ではなくて実際に大罪人であるのだが。
「ハハ、失礼。私も、決して騙すような意図は無かったのですよ。ブランも、ありがとう。さぁ、席に着いて、自己紹介からやり直しませんか? それとも、私を裸にひん剥いて確認してからにしますか?」
「……いや、いい。ただの素朴な疑問だっただけだ。あなたが呪い人であろうと無かろうと、本心からこの村の人々のために動いてくれるのであれば、何も文句は無い」
誰が好き好んで男の裸をひん剥くと言うのか。
俺はただ意外だと思ったから口にしただけであって、まさかここまで大事にされるとは思わなかった。俺には決してそのつもりは無いが、ブランの言う「救世主様」の発言となると、大事にしないわけにはいかないのだろうか。俺にはそんなつもりもないから今すぐにでも止めてもらいたいし、辞めたいのだが。
「改めまして、私はデゲントール。かつては聖神教の司教を務めておりました。教会を離れても尚、その気持ちは変わっておりません。この変わりゆく日常の中で呪い人の排斥に疑問を抱き、救済の道を往く者。以後、お見知りおきを。……同胞からはリーダー、もしくはトール、と呼ばれています。お好きに呼んでもらって構いません」
「……ウェイドだ。こっちはリリス。それから、ここにはいないが、医療知識に精通しているのがメアだ」
「医療知識に精通、ですか。それは……。……手を貸してくれるのであれば、非常に助かりますね。それで、その御方はどちらに?」
「メア様は、一刻を争う傷病者がいるかもしれないと仰って、ウォルマンを連れて怪我人が収容されているところへ脇目も振らずに向かわれて……! なんて素敵な御方なんでしょう! 流石は、救世主様のお連れ様でございますね!」
「それは心強いですね。傷付いた者達も、不安がっていた者達も、これで胸を撫で下ろすことが出来るでしょう。力不足を否めませんが、実際問題、信仰だけで傷は癒えませんから。私からも礼を伝えなければなりませんね」
それから自分のハーブティーが冷めたことに気が付いたデゲントールは、俺たちのも含めて淹れ直すか尋ねてきたものの、揃ってお代わりを断って、彼の元を後にする。ブランは自分のも含めれば三杯も飲んでいたからな。今夜は覚醒して眠れない事だろう。
「ブランはこの後、歓迎の支度があって村の中を案内できないので、今すぐ代わりの者をお呼びしてまいります!」
「いや、メアの向かった先だけ教えてもらえれば大丈夫だ。俺たちだけで行ける」
「ほ、本当はブランが案内したいのですがぁ……!」
悔し涙すら流すブランは最後までペコペコと頭を繰り返し下げる。その度に彼女の豊満な体躯が揺れるのだが、俺は断じて注視したりなどしていない。彼女を見て思うことはと言えば、弟妹達を思い出すということだけだ。目を離せない不安定さと言うべきか。彼女の無邪気さ、溌溂さが今のこの環境においては頼もしくもあり、危うくもあるのが心配であった。この状況を作ったのが俺だということも忘れて、装備の金具を鳴らしながら去って行く彼女の背を見送ると、隣から不躾な視線を感じて向き直る。その先には不満げな目で俺を見つめるリリスがいて。
彼女が去った後でようやく、リリスは口を開く。
「……ウェイドさんは、やっぱり、ああいう子が、好みですよね」
「なんだ、藪から棒に」
「あの、その……ええっと。ぶ、ブランさんを見ている時の目が、少しだけ優しいような気がして……。私はあの子みたいに可愛げがあるわけでもないですし、おっぱいもある訳じゃないですし……。それに何より……呪い人じゃない。私は、ウェイドさんの見ている世界を、一緒に見れないですから……」
突然の卑下に、俺は呆れて物も言えなくなる。仮にブランが俺の好みだったとして、リリスに何の関係があるんだか。俺にハニートラップでも仕掛けるつもりか? 好みを把握して、手頃な女を用意するつもりなのだろうか。そうなってくると、俺は娼館でも気が抜けなくなること間違いないのだがそれは考え過ぎだろうか。
それに、ブランは確かに可愛らしくて胸も大きいが、好みかと言われると違うと言わざるを得ない。
救世主様、と言って目に見えない尻尾を振る姿は、俺の帰還を喜んでくれた弟妹たちそっくりで。けれども、彼らの最期も同時に思い出して傷付くのは、何度味わっても慣れることの無い感覚である。
胸に沸いた空虚な感情。それを見られないよう背を向けて、リリスを置いて歩き始める。
「……お前はお前らしくあればいい。自分らしくあればきっと、誰かが見てくれるだろうさ」
「私、は──」
後ろからついてくるリリスが返答に返答を重ねていたようだが、その声は蚊が鳴くより小さくか細いもので、俺の耳には届かずに終わった。
そこから俺たちの間に会話らしい会話は生まれず、無言のまま歩くこと約五分。教えてもらった村長宅の次に大きな小屋に辿り着く。
扉は開け放たれており、そこから聞こえる賑やかな騒ぎ。それを何事かと様子を伺う村の人々。……既になんだか嫌な予感がする。
開拓村は、徒歩であれば十分から十五分もあれば横断できるほどに狭い。麦畑が無い分セナ村よりも狭いということで、ブランが立候補してきたような案内など本来は必要無いのだ。半日もあれば村全体の把握も容易いだろう。
そんな村の中で騒ぎ立つ箇所があれば必然的に目立つというもので、目的の小屋の前では村の女性陣が集まっているではないか。その間を縫って出てくる人影が一つ。ウォルマンだ。
「ややっ! これはウェイド殿にリリス殿。リーダーにご挨拶は終わりましたか? 今お呼びに参ろうかと出てきた次第でございます」
「ああ、問題無くな。それで……これは一体、何の騒ぎなんだ?」
「いやはや、救世主様のお連れ様は物凄い御方ですな……。ああ、悪い意味ではございません。想像を絶すると言いますか……これは私の口から説明するよりも実際に見ていただいた方が早いかと。いえ、お連れ様のことでしたら、お二方の方が良く見知っておられますでしょうね」
デゲントールのような張り付けた笑顔とは異なり、人の好さがにじみ出るような朗らかな笑みを常に湛えていたウォルマンの顔から笑みが消えていた。代わりに、彼の表情は感嘆に満ちており、俺たちは人垣を割って中に進んでいくウォルマンの背に黙ってついて行くことしか出来ないのであった。
……この短時間で、メアは一体何をやらかしたんだろうか。
立ち込める不安を胸いっぱいに募らせながら、俺とリリスは薄らと薬の匂いが漂う診療所、と呼ばれる小屋へと人垣を割って入っていく。
補完と言う名の、言語解説。
【開拓村】
セナ村のように、街道が通らずに寂れていく村は少なくない。むしろ、活用されずに捨てられていく村は帝国の侵略上、多いくらいのものである。
このメトロジア大森林の中にある打ち捨てられた開拓村もその一つ。本来であれば帝国領内東部中央域を占めるメトロジア大森林を拓き、大森林の調査に加え、新たな侵略の道を拓くことが目的であったが、生態系が崩れることと、大森林の北部を迂回するルートが開拓されたため、計画のために開拓された村は全て放棄された。帝国は数だけは把握できているものの、詳しい位置などは記録に残されていない。そのため、広大なメトロジア大森林を彷徨い、未だ完全に森の一部と化していない開拓村に辿り着くのは奇跡のなせる技と言っても過言ではなく、呪い人の一行が数を減らしながらでもこの廃村に辿り着けたのは奇跡の中の奇跡であった。




