二節 傷痕1
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「──いやあ、なんとお礼を申し上げたらよいか! アレには私達もほとほと手を焼いておりまして! 魔法士殿が一度は追い払って下さったのですが、その魔法士殿は負傷してしまって再起不能になってしまいまして……。そんな風に頭を悩ませていたところに、森の方から戦闘音を聞き付けましてな!」
「お優しい方で良かったです! ブランたちを見ても差別しないどころか、涙を流して下さるとは! ましてや、話を聞かずとも手を差し伸べて下さって……。隊長! あの御方こそが、ポラス神様が御使いなさって下さった、我々をお救い下さる救世主様なのではないでしょうか?!」
「救世主……?」
「救世主様は、救世主様です!」
「聖典に記された、迷える民をお救い下さる女神ポラス様が遣わしてくださる救世主様です。ご存じありませんか? 近頃では、北方でも救世主様を題材とした演目や小説が流行っているので目にする機会は多いと思うのですが」
救世主。
二人の言う通り、聖典にもその姿は記されている。流行りの中心たる帝都でもその人物を題材とした演目や小説は確かに流行っていたが、そう言った娯楽に打ち興じる余裕は俺には無かったため、小耳に挟んだ程度の知識しかない。
曰く、救世主とは信徒の祈りに呼応するように姿を現し、信徒を窮地からお救い下さるのだとかなんとか。目深に被ったフードで表情は窺い知れず、純白のシルクによって編まれた長いマントがトレードマークの救世主。そのマントは、信徒を苦難から包み隠すためのものだと言う。包み込まれた後、再び顔を上げた時には、その者に救済が与えられる、と言うのは有名な話であった。
男性と女性曰く、それが俺の事かと。
とりわけ女性の方が目を輝かせているが、決してそんなことは有り得ない。
何せ俺は、そんな輝かしい存在とは間逆の人間なのだから。
「……」
「救世主様と言うのはですね──」
「いや、いい。道案内を、頼む」
黙り込んだ俺を見て知らないと踏んだのか、再び解説を挟もうとしてくる二人を退け、俺は彼らから目を背けるようにして離れ、後方を歩き直す。
『──助けて下さい』
俺たちに会いにやって来た二人の話を要約すると、その一文にまで縮めることが出来た。
彼らは、呪い人。俺たちが危惧している帝国の追手ではなかった。
だからと言って信用できるわけでは無いが、俺には二人を無視するわけにはいかず、メアやリリスを待たずして話を聞いてしまったのであった。
警戒心を露わにして対峙したは良いものの、二人の人柄の良さを前にすると、すっかり肩透かしを食らった気分であった。そんな彼らから話を聞くと、彼らはどうやらマスカレードクロウの変異種によって操られた群襲燕の群れに生活を脅かされていた人達であり、衰退もやむなしと言う状況の中で森の中で鳴り響いた激しい戦闘音を聞き付けて偵察にやって来たのだという。しかし、彼らの苦難は魔物の群れによる脅威に留まらず、俺たちのような強者を必要としているようだった。
そんな事情を聞きかじっただけの俺は、助けを乞いにやって来た彼らの風体と事情を察し、それ以上のろくな話を聞かずして二つ返事で頷いた。
……頷いてしまったのだ。
その結果、リリスがメアを連れて戻ってくる頃には勝手に話が進んでいる状態であり、俺の返答に希望を抱いた様子で咽び泣く二人を見て、さしものメアですら「それは無かったことに」とは言えない雰囲気を放っていた。
結果、俺たちは彼らの案内に従って森の中を進んでいる状況であった。
前を行く鎧姿の二人をリリスに任せて、その後ろで俺は、研究を邪魔された上に自分の意見も他所に勝手に話が進められたことに不機嫌極まりない様子のメアに話を通していた。呆れて物も言えないメアから、説教を食らっている最中であった。
「……それで、勝手に請け負っちゃった、と? バカじゃないの。君」
「ぅぐ。わ、悪いとは思ってる。だけど、彼らのことを思うと……」
「いいや、大馬鹿だね、君は。それでなくとも、最低限話を聞いてからにしてくれないかな? せめて、僕が戻るまでは適当に話を聞いて時間を伸ばすとかさ、色々とやりようはあったはずだろ? あまり勝手な行動をするようなら、僕だって考えがあるからね」
「も、もう二度と、勝手な真似はしないと誓う……。だからこの件は俺が一人で……」
ねちねちと反論できない正論で責め立ててくるメアに対して、俺が歯噛みしつつそう答えを返すと、メアはその返答が気に食わなかったのか、余計に熱を上げたかのように捲し立ててくる。
「なんとかする、って? 出来るわけ無いだろう。これは君が思っているよりもずっと厄介な問題なんだよ。何度も言うけど、君は本当に何も分かっていないね。首謀者の君ならどうこうできる、なんて話じゃないのさ。その線はもうとっくに超えているんだよ。気付いていないとは言わせないよ? 文字通り、世界が違うんだから。世界の変遷は不可逆。死んだ生物が生き返らないのと同じで、引っ繰り返った世界を元に戻すことなんて出来ないのさ。それこそ、もう一度紫晶災害級の何かが起こらない限りね。とは言えそれは前の世界に戻る訳じゃあない。だから今の世界のまま変えるしかないって言うのに、君はそこんところ、認識が甘いんだよ。甘々の甘ちゃんだね。帝心堂のババロアよりも甘いと言わざるを得ないね。君がやろうとしているのは、そういう領域の話だと理解してからものを言ってほしいものだよ。いい加減、身の程を弁えたらどうだい? 君如きの力では何も変えられない。君のやり方では何も変わらない。あれだけ痛い目を見たんだからいい加減そのことを理解してくれたと思っていたんだけどね。どうやら違うようだ。君の評価を今一度、考え直した方がいいのかもしれないねぇ? ま・し・て・や。大人しく僕を頼るならまだ可愛げがあるものを、勝手に一人で突っ走っていって? 勝手に壁にぶち当たって? その上、今回は僕たちを勝手に巻き込んでいる分際で、僕たちは関係無い、とでも言うってのかい? それこそ君はどんな身分でモノを言っているんだい? 君はあくまでも僕の駒だ。それをどう動かすかは僕が決めるし、君が動いた先での責任は僕にある。君の行動には僕の未来が関わっているということを腹の底で理解させてあげようか? うん? ……そして、一人で行動した末に、また、君は傷付くんだろう? 君が傷付くことで悲しむ人がいることも知らずに。あぁ、勘違いしないでくれよ。僕は君が苦しんだところで気にはしないよ。どうだっていいからね。その上で、もう一度聞かせてくれたまえ。……本当に、一人でなんとかできるんだろうね?」
男とも女とも取れない中性的なメアの顔が、下から睨み付ける。
普段であれば撒餌のごとく可愛げを振り撒いているはずの顔が激昂を宿している様というのは酷く恐ろしく思えてならない。
加えて、メアは罰だと言わんばかりに包帯の上から未だ塞がっていない傷口を指先で小突いてくるため、身体的にも心が痛い俺は何も言い返せずにいると、こちらの会話が聞こえていたかのように前を歩くリリスが振り返って、ばっちりと目が合う。不安げに揺れる瞳に見つめられ、俺は咄嗟に目を逸らしてしまう。
「……」
「……君の気持ちは分かるよ。だって彼らは、君が不幸のどん底に突き落とした、呪い人なんだものね」
メアのその声に、俺は肩を震わせる。
図星の反応だ。それを出させずとも、分かり切ったことではあったが。
助けを求めてきた彼らは、呪い人。
俺が彼らを拒めなかったのも、彼らに救いの手を差し伸べたのも全て、メアの言う通り。彼らが、体表が紫水晶に変化してしまった、呪い人だったから。
……俺の身勝手な願いで不幸にされた、かわいそうな人たちだっただからだ。
被害者である彼らに助けを乞われて無視することなど、出来るはずが無かった。声が掛からずとも、俺は彼らを助けなければならない義務があるから。責任があったから、俺は詳しい話を聞く以前に、頷かざるを得なかった。
中年の男性は首元に。まだ年若い女性は、頬が。共に、紫水晶に変わっていた。
ただそれだけで、人々は彼らを拒絶する。明朗な会話と横柄ではない態度で助けを乞う姿を見ただけでも彼らの人間性と言うのは窺い知れる。二人は決して悪人ではない。むしろ善人と呼べるだろう。だからそんな人たちが人々から敬遠され、拒絶される光景と言うのは俺に吐き気を催させる程の罪悪感を思い出させるには十分過ぎるものであり、そんな彼らの手を打ち払うような真似など、出来るはずが無かった。
しかし、メアに言わせれば、それはとんだ被害妄想だと言う。それも分かっているが、俺が彼らを拒絶したら最後、メアやリリスが「そうするべきだ」と言ってくれたとしても、俺が自分自身を許せない。
だが、ここまで俺の思いを理解していながら、メアはそうではないと言う。
「君の気持ちは分かるけども、今君が考えるべきは気持ちじゃなく、理屈だ。さあ、君の答えを聞かせてくれよ」
言外に、さっさと断れ、と俺を追い詰めるメアの姿。
メアにとってみれば、俺が俺自身を許す許さないは、関係無い。エルフに会いに行く、という目的のために彼らを助けに寄り道をすることは不要であるから断るべきだと、メアはそう言いたいのだろう。俺だって分かってる。分かっているつもりだ。もしもこれが俺に関係が無いものならばそうするべきだとメアの意見に同調できるが、そうではない。そうではないのだ。
俺は、彼らを不幸にした張本人だから。
しかし、かといってここでメアの意見に異を唱えることが間違っているとも思えない。今ここで呪い人を助けるために動くということは、メアの信頼を裏切ることに繋がる。裏切られる辛さというのは、己が身をもって経験している。痛いほど思い知っているつもりだ。だからその苦痛を、命の恩人以上の恩義を感じているメアに味わわせるのか。それをしたら最後、俺は人でなくなってしまうような気がして。
俺が俺である方を選ぶべきか。
それとも、俺が人である方を選ぶべきか。
……どちらを選ぶべきか考えあぐねた結果、俺は不意に足を止めてしまう。
「……」
「ウェイドさん?」
メアが足を止め、リリスが振り返って足を止める。それに釣られて、前を歩いていた呪い人の二人も足を止めて振り返る。
「救世主様?」
「些か歩が早かったですかな。これは失敬を。舞い上がった末に、逸る歩調でお二方ともに怪我人であらせられることを失念しておりました。心よりの謝罪をさせていただきたい。ですがご安心を。これより向かう先には医療道具の一式が揃っておりますから、そこでゆっくりと療養に務めて下さればと気持ちが逸ってしまいまして」
「お医者様は、いないんですけどね──ヒッ、ごめんなさいなんでもないです……」
「うん?」
自分達が危機に瀕している状況だと言うのに俺の方を慮るような素振りに、俺は固く握っていた拳を解く。
答えは、出た。
舌が唇を撫で、隙間から漏れる息は尾を引くように伸びて、やがて流れて消えて行く。
否。答えなど、初めから一つだけだったようなものだ。メアの言う通り、俺たちは先を急ぐべき。彼らの無事を祈る。それがせめてもの償い。そう考えるようにしなければ、俺は今ここで先程食事したものを全て吐き戻してしまいそうだった。
頭のてっぺんから足の先まで血の気がサッと引いていく。体の芯まで凍えるような感覚。これもまた、罪悪感がなせる業なのか。
二人が気を遣ってくれるが、俺は今から君たちの信頼を裏切る。
許してくれとは言わない。恨むなら、好きなだけ恨んでくれていい。
だから──
「悪いが──むごごぐが」
「……ちょ~っと、詳しい話、聞かせてもらっていいかな?」
「ふむ、何か聞きたいことでもございましたか?」
いざ言葉にしようと俯いた頭を持ち上げた途端、俺の口はメアの手によって封じられてしまい、言葉の続きが出てこない。
俺とメアの突飛な行動に前を歩く三人から訝し気な目線を向けられるが、俺も同じ目をメアに向けていることだろう。何故止めるのかと口にしようとも、メアの手の中でくぐもった声にならない音だけが二人の間でのみ形成される。
「……少し黙っていてよ」
「もごごふ」
「どうして、じゃないんだよ。話が変わったからだよ」
「それで、聞きたい話とは?」
「ああ、ごめんね。医者がいないのに、道具だけがある、って話さ。そう言えば、向かっている先の話をまだ詳しく聞いていないなと思ってね」
「お、お医者様がいない、と言うことに気を悪くした、というわけでしょうか……? そ、それは、その、意図して黙っていたわけでは無くて、ですね……」
「別に、怒っているわけじゃないさ。まともに話も聞けない飼い犬を躾け直していただけの話で、君たちに怒りを向けることはないから安心して。それで、君たちが案内する先を、もう一度、最初から教えてくれるかな?」
「少々、長い話になるので……休憩しながら話しましょうか?」
「いや、いい。もうじき森に夜が訪れるだろうからね。その前に君たちの住処に着いておきたい。このまま歩きながら聞かせておくれ。疲れてなんてないからさ。ねえ、ウェイド?」
「ああ、問題無い……」
「そうですか! それは良かった。私達も、日が暮れる前には辿り着きたかったもので。それではます、これより向かう先、私たちの生活拠点について話しましょう──」
先とは打って変わって乗り気になったメアは、呪い人たちの話に意気揚々と耳を傾ける。話を聞けば、彼らの問題に片足を突っ込むことになる。メアの事だからそれを最も危険視して避けていたように思えていたのだが、一体何が彼の琴線に触れたのか全く見当もつかない。
俺を放り出して前を歩く二人の下へと弾む足取りで向かったメアの背中を見送る。
メアの意図が分からないまま解放された俺は、不服そうにしつつもろくに覚えていない彼らの身の上話を、改めて聞くのであった。
補完という名の、言語解説。
【帝心堂】
『帝都のおやつは帝心堂』。
帝都を中心に、帝国領内各地に店舗を構える菓子店。
城に献上する程に高いクオリティのスイーツを擁するものの、一般市民にも手が伸ばせるように価格帯は高すぎず、安過ぎずをキープしている。各種味を揃えたババロアが主力商品でありながら、毎月新作のスイーツを繰り出していくハングリー精神は常に帝国内での話題の中心を作り出すほど。
今月の新作スイーツは、バニ・オッズ。




