一節 没頭4
「変異種じゃ、無い──?!」
手の中にある、変異種の死体──ではなく、手に持っているのがただの群襲燕の死骸であることに気付いた俺は、声を上げる。
「どういう、ことだ……? 俺は、確かに変異種をこの手で掴んだはず……!」
俺は確かに、紛れもなく頭部に紫水晶を生やした個体を掴んだはずだ。
あんなにも分かりやすいものを見間違えるはずが無い。
だが、実際には、そうではなかった。
俺の手の中にあるポッキリと頸を折られた群襲燕の亡骸がその証左で。
「なら、まだ、どこかに変異種が……?!」
しかし、その事実に呆然としつつも、いつまでも打ちひしがれていられる状況では無い。体は既に、自由落下を始めている。
何も邪魔するモノがない自由な空の下、散り散りになって逃げ惑う群襲燕たちを見回すが、変異種の姿はどこにも見当たらない。紫水晶が体に生成されていればすぐに見つかりそうなものだが、焦るばかりで何も見つからない。
もし仮に見つけたとして、自由落下の最中である俺には遥か頭上を飛んで逃げていく鳥の背を追いかけることは出来ないのだが。
……機竜に跨っていた時は空に不自由を感じたことなんて無かったのだが、人間に翼はまだ早かったのだろうか。
「いや、待て……。変異種は、初めから上空には、居なかった……?」
余計な思考を排除して、真っ逆さまに落ちていく中で考えを検める。風を切る音が聴覚を塞いでくれるため、思考に集中できるのだ。
地上から変異種の姿を見たのは、メアだけだ。
俺には、見えなかった。
……もしもそれが嘘だとしたら。
だが、何のためにメアは嘘をつく必要があったのか。
……メアが、嘘をついていないとしたら、どうなるか。
俺の手の中にある変異種に見せかけたただの魔物の死骸。
それがもし、メアには変異種に見えていたのなら、話が変わってくる。
それこそが俺たちが相対している変異種の能力なのだとすれば、意味するものはただ一つ、答えだ。
──変異種は、別にいる。
「ッ! メアッ!!」
脳裏に過ったその答えに、投げ出された空中で俺は態勢を整える。
答えが湧くと共に、突如として全身を貫いたのは、危機感で。
変異種がまだどこかに隠れ潜んでいるのだとすれば、上空で無防備な俺を見逃す理由は無い。あるとするならば、呪い人である俺を放ってでも脅威となるメアを仕留めるために動いた、としか考えられない。
だから慌てて地上に視線を向けると、そこには、上空とは異なる状況が広がっていた。
「メア……?」
地上に残された多くの群襲燕は、俺の帰還を待たずして森の奥へと動き出したメアに追随するかのように動き出しているのが、上空からでも確認できる。
地上に一人残れば攻撃の餌食になると分かっていたが、森から立ちこめる気配は、どこか様子がおかしいと感じ取れる。
……先程までの俺たちの動きを阻害するような連携ではなく、群襲燕たちは互いに射線が交差しようとも関係無く、メアに襲い掛かっている。
まるでも何も、手あたり次第に攻撃しているようにしか見えないのだ。
木々の隙間から、メアがそれらを回避しながら森の奥へと進んでいく一部始終が確認できる。
群襲燕の動きには、俺とメアを追い詰めた巧みな連携も、卑怯とも取れる最善手を苦も無く選択する冷酷さも何も無い、ただのがむしゃらな攻撃のようにしか見えないのであった。
加えて、俺は更なる事実に到達してしまう。
「メアは……逃げているわけじゃ、ないのか? あいつは、何かを、追っている……?」
群襲燕に追われて森の中を駆けているように見えていたが、メアの行く先に小さな影が動いているのを見つけて、思わず息を飲む。
「なんだ? アレ……」
薬で体のリミッターが外れているとは言え、視力までは良くならない。上空にいたはずの変異種を見つけられなかったのと同様に『何かが居る』ということだけが分かるのでやっとだ。むしろ、良く見つけたというべきで。
間もなくして俺は自由落下の終着点、地上に降り立つ。降下態勢に身構えつつ、少しでもメアのいる方へと体を傾ける最中、メアの言葉を思い出す。
──良く分かってるじゃあないか。地上は僕に任せてよ。それじゃあ、頼んだよ。絶対に逃がさないでね?
……群襲燕の変異種を仕留めれば終わりだと考えているなら、彼には見えていた上空にある変異種を俺が仕留めるかどうかの心配をするだけで良かったはず。わざわざそんなことを口走る必要もないだろうに、メアは敢えて口にした。地上は僕に任せてよ、と。ということはつまり、メアはこの群襲燕の異常発生は、メアが見つけたであろう上空の変異種とは別の魔物、もしくは今彼が追っている小さな魔物が絡んでいるのだと見抜いていたのだろう。
……それを俺に伝えなかったのは、何故か。
信用ならないから?
魔物相手に互いを疑う必要がどこにあるのか。
戦果を独り占めしたいがために?
可能性は無きにしも非ずだが、俺もリリスも、どちらも戦功を重要視するタイプではないし、得られる戦果も変異種の素材くらいだ。言ってくれればいくらでも譲る。だからメアがそんな短絡的な事をするとは思えない。
であるならば、残された可能性は、一つだ。
──敵が、メアの想定を上回っているかもしれないから。
メアが黙って行動に移ったのだとすれば、その可能性が必然的に高まると言うもので。
変異種として進化した個体がどんな能力を獲得しているのか、事ここに至ってもまだ不明のままだ。未知は恐怖に値する。
変異種は限りなく発達した頭脳を保有していることくらいしか分かっていない。メアは恐らく、それを最も警戒したのだろう。
俺の手の中で眠る変異種の偽物がただ群襲燕をかき集めるための道具、もしくはただの囮なのだとしたら、どこかに隠れているもう一体の変異種は俺の想像などを遥かに超えるような魔物なのかもしれない。
……今更になって、怖気が走る。
それでも、俺がやるべきこと、やらなければならないことはハッキリしていて。
樹上より上の高さから見えたメアの最後の居場所を記憶し、枝葉に体を傷付けられながら間もなくして地面に降り立とうと言う、その時だった。
「──っ、なんの、光だ?!」
メアのいる場所より放たれた輝きに、息を飲んだのは。
「……っ」
瞬く閃光は、大した光量ではない。
されども、俺の元へと届いた閃光は脳を駆け巡り、過去の記憶をフラッシュバックさせる。
それは、思い出したくない記憶。忘れてはならない記憶。
呼吸が乱れ、姿勢を崩して着地する。
「やめろ、やめてくれ……っ!」
今でも夢に見る、最悪の記憶だ。
また失うのか。また、目の前で大事な人が、かけがえのない人達が、石にされるのか。光が明けた先で待っているのは、地獄に他ならない。
頭の中を過る最悪の想定。それを否定するために、俺は駆け出していく。
手に持っていた死骸も投げ捨て、力が入らずに縺れる足を何とか前に進めようと奥歯を固く噛んで、ようやく踏み出していく。
地面を強く踏み鳴らし、フラッシュが見えたあの場所へ向かって、一直線に森の中を駆け抜けた。
その先で待っていたのは──
「メアッ!!」
大量の鳥の魔物が奇声を発しながら一つのモノに群がる光景だった。
「──メア、から……、離れ、ろォオオオオッ!!!」
メアの姿すらも認識できない程に群がる群襲燕たち。
群がる鳥の魔物たちの中に見えた紫の輝きに、俺は頭の中が真っ白になる。
けれどもその足を、その手を止めることなど出来るはずがなかった。
そして振り抜くは、銀閃。
その動きは、俺がこれまで繰り出して来たどの剣閃よりも、凶暴であった。
どの魔物も一閃の下に屠るのが師匠の教え。無駄に苦しめる行為は、悪であると教わって来た。ゆえに此度の銀閃によって一振りの内に死ねた群襲燕は、幸運だっただろう。息絶えれなかった魔物は、苦しみの中で藻掻きながら死ぬ羽目になるだろう。
それを分かっていながら、俺はメアに群がる群襲燕を蹴散らしていく。
だが、その中で俺は、目撃した。
感応魔法を張り巡らせて群襲燕が荒れ狂う中で。
群襲燕の中に紛れた、変異種の姿を。
しかし、群れに紛れ込んでメアに襲い掛かっていたそれは俺と目が合うと、その身を翻し、途端に姿を消し去ってしまう。
二度目の見間違いかと脳が処理しかけた、その時だった。
「──ウェイド! そいつを、逃がすなッ!」
背後から聞こえた、メアの声。
剣が描いた銀の輝きと感応魔法によってメアが石化したわけでは無いことはとうに理解していた。しかし、いざ実際に彼の声が聞けるのとでは安心感が大きく異なるもので。
だけど状況が状況である。胸を撫で下ろすのは後に回して、俺はメアの声が掛かるとほぼノータイムで行動を切り替える。
「そいつが、大元の変異種だッ!」
「スゥ──」
短く息を吸って、足を運ぶ。
変異種の能力は、姿を紛れ込ませる能力か何かだろう。
今も、無数の群襲燕に阻まれてその姿を視認できずにいる。
だが、しかし。
俺の感応魔法は、変異種の存在を捉えて離さないでいる。
移動した先で大きく木の葉を散らた俺は、何も無いはずの虚空へ向けて──、一閃。
──ン、ケェ……?!
瞬間、景色が歪んで現れる、頭部に紫水晶を生やした変異種の姿。
それは紛れもなく本物であり、分かたれた首が宙を舞い、力無く地面に落下していった。
「……ハァ。まさか変異種如きにここまで苦しめられるとはね。少々、評価の度合いを考え直さないといけないかな」
「メア……。生きて、たのか……!」
変異種が倒されたと同時に、ここら一帯に集まっていた群襲燕たちはこれまで脇目も振らずに俺たちを襲っていたのが嘘のように弱々しい悲鳴と共に慌ただしく羽音を立てて飛び去って行く。
そうしてこの場に残されたのは俺とメアだけになる。
「本当に……、無事で、良かった……!」
困難な戦闘を潜り抜けた後だと言うのに、達成感を宿さずに険しい表情のまま歩み寄るメアの無事な姿を目の当たりにして、俺は途端に張り詰めていた糸が切れたかのように全身から力が抜けて、地面に横たわる。
「ハァ? 何勝手に殺してくれてるのさ。というか、これが無事に見えるのかい? ……あーもう、最悪だよ。旅立って早々にプランを練り直さないといけないだなんて誰が思うもんか」
「は、ハハ……!」
「何笑っているんだい? と言うか、まだ動けるのならさっさとリリスちゃんを迎えにでも行ってきてくれないかな。僕は変異種のサンプルを採らなきゃいけないんだからさ」
「いや、無理だ。もう一歩も動けない。血を、流し過ぎた」
「…………チッ!」
「ぐふっ」
メアの命とも言える髪の毛と素肌を散々傷付けられて腹立たしい思いを募らせたメアは、俺が使い物にならないと分かるや否や俺に向かって今世紀最大の舌打ちをお見舞いした後、大の字になって指一本動かせない俺を足蹴にして去って行く。
なんだかんだ言って、メアは面倒見が良いのだ。
その後、大の字になったままの姿で目を閉じた俺を見て勘違いしたリリスが、ぎゃあぎゃあとうるさくて目を開けるのだが、それでもまだわんわんと泣き叫ぶものだからその声に釣られて違う魔物が寄って来たのは、また別の話である。
補完という名の言語解説。
【群襲燕】
先頭に立った一匹に付いて行くことしか能の無い魔物。
大きさは全長三十から七十センチと個体によって異なる。ダークブラウンの羽は素材として使い勝手が良いため需要が高く、駆け出し冒険者の主な収入源にもなる。罠や魔法具を使えば一般人でも狩猟出来る。
普段の群れの規模は大きくても三十から五十と言った程度。今回ウェイドたちを襲った変異種が率いる群れの総規模は、凡そ五百から千にも及ぶ。メトロジア大森林全域の群襲燕をかき集めたと言っても過言ではない規模の群れは、本来であれば帝国軍が出張る規模。それをたった二人で討伐せしめたのは偉業と呼んでも過言ではないが、それを知るのはたった三人のみ。




