一節 没頭2
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「ウェイドさん、こちら……」
怪我の手当てもする時間の無い俺に、恐る恐ると言った様子でリリスが差し出して来たのは、一つの小瓶。
赤茶色の小瓶を受け取って覗き込むと内容物から刺激的な香りが立ち込み、傍に居たリリスが顔を顰める。だけども俺にとっては嗅ぎ慣れたもので、赤褐色の液体が揺れる中身を覗き込んだ俺は思わず目を輝かせた。
「神の雫! どうして、これを……」
「僕に感謝しなよ~? 発禁指定される前に裏商会に保管しておいた秘蔵の品だからね。見つかれば聖神教会からどんな目で見られるか……。決して安いもんじゃないから、お値段以上の働きは約束してもらうよ?」
「当たり前だ。これがあれば、俺もまだ、戦える」
決して体に良さそうとは思えない色の液体を口に含んで、飲み干していく。
リリスが信じられないものでも見るかのように潤んだ瞳を瞠っているが、お構いなしに。
赤褐色の液体が口腔を通り、喉を下り、胃に落ちていく。
途端、口腔内に広がる、薬の味。甘いとも苦いとも酸っぱいとも違う、独特な風味は味の感想を混乱させる。かと思えば、強烈なえぐみにガツンと殴られるような後味の悪さ。今すぐにでも口を濯ぎたくなる衝動に駆られるが、吐き気を押さえ込んで耐え忍ぶ。怯えて一口ずつ飲むのではなく、一気に飲み干すのが、この薬とも飲み物とも違う神の雫の飲み方だ。
耐えがたいほどのえぐみを超えると、スパイスやハーブのような香りが鼻に抜ける。しかし、生の臓物を口にしたかのような口腔内に染み付いたえぐみが抜けきれずに、爽快感は不快感に変わる。得も言われぬ感覚に支配されながら、耐え抜いた後で息を吐くと、吐いた息が熱くなっているのを実感する。これの良い所は、即効性である。
舌で唇を拭うと、次に襲い来るのは心臓の脈動。全身に血液が巡り、腹の奥底に眠っていた力が湧き出るような感覚。体の奥底で煮え滾るような熱が灯る。
……途端、体中を蝕んでいた苦痛が、まるで忘れ去られたように体が軽くなる。
「スゥ──、ハァ──」
体の中にある炉に鞴で風を送るみたいに、深呼吸を繰り返す。
すると、体の奥底で煮え滾る熱は更に熱量を増して俺の体を突き動かす。体の中に灯った熱が血液によって運ばれて行き、四肢を通って体の末端にまで行き渡る。
「あの……ウェイドさんに渡した薬は、一体……?」
「ああ、言ってなかったっけ? 神の雫は、聖神教会が製造、及び販売している薬の一種で……、言うなれば、そう、ただの興奮剤。貴族御用達の一級品の精力剤さ」
「興奮剤……?! そんなもの怪我人に飲ませたら……!」
「そうだね、危険だ。教会側も使用上の注意としてその旨を伝えているけど、今のウェイドにはこれが必要なんだよ」
「そんな、馬鹿な話が……!」
「そっかぁ、リリスちゃんは知らないのか。ウェイドってば、敵との戦闘になると常飲してたけど、上手く隠していたんだね。訓練でドーピングする訳にもいかないから、知ってるのはごく一部の人だけ。そうでもなきゃ、欠陥の兵士、なんて揶揄される彼が第三機竜小隊で一番の戦功をあげられるわけがないしね」
「で、でも、たかが精力剤一本で、戦えるようになるなんて……」
「それが、なるんだから不思議だよね。思い込みの狂気、ってやつなのか、コンプレックスの大きさか、はたまた……突然変異か。詳しいことは分からないんだよね。ウェイドってば超健康優良児だから数値にも表れない変化があるのかも。それに、神の雫が発禁になったのも呪い人が飲むと紫晶化が進むから、なんて言う事象が確認されたからで……。もしかしたら本当に、体質的に身体強化が使えるようになるって品だとしたら、それこそ、その名の通り、持ち得ない者へ神様からの祝福なのかもしれないね」
「そ、それって、ウェイドさんの体にも何らかの影響があるかもしれないってことじゃ……!」
二人の会話を他所に、それを何度か繰り返していると、発汗が目立つようになってくる。
これこそが、体が駆動し始めた、合図で。
俺は頭を囲う包帯を解いて歩み出す。今すぐにでも、この体の熱を発散させたい。高揚感と言う名の疼く衝動を晴らすためにも、一秒だってジッとしていられなかった。
「……メア、行けるぞ」
「りょ~かい。リリスちゃんはまた、隠れておきなよ。いつでも逃げられる準備をしておきながらね?」
「あ、あの……!」
「うん?」
「無理、しないで、下さい……ちゃんと、生きて、帰ってきてください……!」
「……」
「ほらあ、宛先は君なんだから、なんとか言ったらどうなんだい?」
「メアとなら、死なない。だからお前も、もっと上手く隠れていろ」
「わぁお」
「……っ」
肘でちょんと小突かれたから言われた通り答えると、返って来たのは束の間の沈黙。何故だか赤面するメアと、悔し気な目をするリリス。
訳が分からなくなって先に歩き出すと、後ろからメアが急いで駆け寄ってくる。
「も~、変なこと言うから不覚にもときめいちゃったじゃないか。そんなに僕のこと、堕としたいの?」
「何かを意識した物言いじゃない。ただ思ったことを言っただけだ。そんなことよりも、メア──」
「分かってるよ。準備運動は済んでるか、でしょ? どれだけ一緒に戦ってきたと思っているのさ。もしもここにいるのがワーグナーだったとしても、同じこと言うよ。……ばっちりだ、ってね」
腕を交差させて左右に引くメアの言葉に、自然と口角が上がる。
思い返せば、第三機竜小隊遊撃隊として、三人で果たしていくつの死線を潜り抜けてきたことだろうか。
だが、思い出に浸るのは今ではない。
あれだけ無茶に使っても、未だに刃毀れ一つない剣を担いで、騒ぎ声が聞こえる方角へ足を向ける。
「……作戦は、任せた」
「もちろんさ。相手の変異種に関しては、看破させてもらったからね。ただ、厄介なことには変わりないけどね」
「俺は何をすれば良い?」
「いつも通りさ。全員、殺せばいい。その上で、変異種が取る行動に合わせて僕が動く。だから君は、そこに合わせてくれればいい。猿でも分かる、単純明快な作戦だろう?」
「あぁ、実に分かりやすいな」
それは俺を馬鹿だと言っているのか、それとも、作戦の単純明快さを分かりやすく例えたのか、俺には判断付かない。
分かるのは、目先の地面に群がる群襲燕を全て切り伏せるということだけ。
久方ぶりの体の昂ぶりに、衝動が押さえきれない。体の端々にまで満ちる力の矛先を定めて、落ち葉と羽と泥が舞う戦場に向かって、一歩を踏み出していく。
「作戦、開始だ」
過ぎ行くメアの声を残光に、駆け出して行った俺は地面に落ちた群襲燕たちを一羽、二羽と切り刻んでいく。
例え風切羽を失ったとしても、群襲燕が空を飛べなくなるわけではない。姿勢制御を失った機竜のように飛びにくくなるだけ。加えて、失った風切羽は数時間もすれば生え変わるため、彼らの諸刃の剣を使ったとしてもすぐに飛び去れば危険は少ないと言うのにもかかわらず、俺たちを襲った群襲燕の多くは地面に着地して井戸端会議でも開いているかのようであった。
先の一幕で俺たちを仕留めたとでも思っていたのだろう。降って湧いた殺りくの機会に、奴らは戸惑いを見せるばかり。
地面に落ちた群襲燕など、なんの脅威にもならない。奴らの強みは翼だ。不可侵の上空から攻めることこそが奴らのアドバンテージ。それが無くなった今、爪か嘴で暴れるだけの小汚い鳥と化した奴らに対して、俺は片端から息の根を止めにかかる。
バターにナイフを入れるかのような手応えの無さで群襲燕たちの首が飛んでいく。胴が引き裂かれていく。剣の切れ味と、体の芯から湧き出る膂力によって、剣の技術なんて不要とさえ思えるほどの手際で魔物たちを屠っていく。
鳥たちの醜い叫び声が、軽快な音楽に聞こえる。
舞い散る鮮血は噴水。飛び交う血肉は炎による演出のようで。
世界を染める漆黒の羽毛は、祝福を呼び込むフラワーシャワー。
体が軽いと、こうも受け取り方が変わるのかと。
「出て来いよ、変異種。雑魚相手じゃ、折角温まった体が、渇いちまう」
「勝気な君は嫌いじゃないよ。でも、そう挑発しなくても、直に相手の方から来てくれるから……ほら、羽音が聞こえてきたでしょ」
メアに促されて耳を澄ますと、聞こえてくるのは甲高い鳴き声と、無数の羽音。
森の奥から、まるで虫のように這い出てくる。この点で言えば、喰い裂き餓狼と同じである。変異種は総じて、数は力だと思い込んでいるらしい。
「……変異種は巧みに姿を眩ましているね。探し出している間、僕は隙だらけになる。言いたいことは、分かるね?」
「全部、叩き落せと」
「違う違う。僕をお姫様だと思って大切に守ってよね? あ、無防備だからって、変なトコ触ったりしないでよね」
「……ふざけてる場合か」
「ぁ痛っ! 僕だって優しくしてほしい時くらいあるんだからね?」
「いいから、早くしてくれ」
「はいはい。人遣いが荒いんだから、もう。……配下に命を張らせて、自分は陰で潜んでばかり。自分の思い通りに戦況が動くのはさぞかし気持ちが良いことだろうけど……誰に喧嘩売ったか、思い知らせないとね」
「……お前と同じタイプだな」
「むぅ、失敬な! 僕は労多くして功少なしの方が燃えるタイプなんだから。不労所得には飽き飽きしているしさ」
「な、なるほど……? 良く分からないが、守り切ればいいんだろ? 簡単だ」
多少逃したとしても、メアならば対処できるだろう。
だが折角だ。久し振りのこの感覚でどれだけ振る舞えるか腕試しと行こう。
そう意気込んで羽音の聞こえてくる方へ剣を構えたのだが、何かがおかしいことに気づく。
向かって正面に構えているはずなのに、後方からも鳴き声が聞こえてくるのだ。
そう思って背後のメアを振り向くと、彼は悪戯が成功したみたいな顔で笑って見せる。
「全方位、囲まれてるけど、よろしくね?」
「……ぃ」
「かっこつけておいて、今さら無理、なんて言わないよねぇ?」
分かってて黙っていたな、と睨み返すが、そう言われて無理だと言えるほど、俺は諦めが良い訳では無くて。
「──やるよ! やってやる! だから……なるべく早く見つけてくれ!」
だから俺は、メアと背中合わせになって大きく気炎を吐く。
忙しくなるぞと、自分に言い聞かせるようにして。
今さら感応魔法の範囲など、メアにはとっくに知られていることだ。
だからそこから出るなよ、と言う手間を省いて俺は黙って神経を研ぎ澄ませる。
薬の効果で体の調子が良くなったとは言え、生得魔法の性能が変わるわけではない。今ならばあの羽の壁も怖くは無いが、同じ手を取るほど群襲燕の変異種も甘くは無いだろう。
──ケェン!
戦闘開始の合図は、何処からともなく響いて聞こえる敵の鳴き声だった。
「……礼儀が、なってないな。お前らに聞くのは酷だと思うが、これだけは言っておくぞ」
迷わずいの一番に突っ込んで来た群襲燕を斬り落として、俺はどこからか見ているに違いない変異種に向けて、言葉を放つ。
「……準備運動は、済んでるか? 後になって喚いても、知らないぞ」
メアが「厄介だ」とまで言った変異種だ。知能がかなり発達しているとすれば、人の言葉を理解して当然。それを肯定するかのように、再び群襲燕が俺目掛けて突っ込んでくる。
直情的で直線的な攻撃。やはり変異種となって知能を得たと言えど年齢一桁程度の人間の知能など、遅るるに値しない。今さら様子見程度では、この戦いの結果は、火を見るより明らかである。
「……【解析魔法】」
メアの呟きが聞こえたと同時に、様子見など生温いとでも言わんばかりに、群襲燕が全方向から一斉に襲い掛かってきた。
補完という名の言語解説。
【神の雫】
元気に不安を感じたらまず一本! 沸き立つ活力、失われた自信が取り戻される! 新しい自分に出会うため、神の祝福をその身に! これさえ飲めば、今夜も明日も怖くない。
──ポラス教販促宣伝部PRより。
原材料から製造工程、販売ルートまで聖神教が握っている値段も効能も高い精力剤。販売先は主に貴族だが、一般向けにも限られた数で販売されているが、店頭に並べば即完売。また数も限られているため、貴族だとしても確実に得られるとは限らない。その為、裏のオークションでは高値で売買されているが、研究塔との共同開発による疑似ポーションと神の雫が主な収入源となる教会にとっては、その希少性を狙って数を絞っているため、オークションには目を瞑っている。寄進だけでは賄えない。お金が無ければ救いも無い。決して表には出さないが、世の中とは世知辛いものなのである。
しかし、紫晶災害によって生まれた呪い人。その呪いがこれによって進行するという報告があったため、教会は自主回収をする羽目になった。
また、神の雫に身体能力を増強させる効果は無い。効能高い興奮剤ゆえに多少なりとも影響は考えられるが、身体強化を施したような劇的な変化は確認できていない。




