終節 現実直視
これにて二章、終了です。
また一週間か二週間ほど時間を頂いてから三章投稿開始、出来たらいいなと、思っています。
◇
「……これでいい。これで、良かったんだ」
今頃、あの場所ではメアがリリスをフォローしていることだろう。
これより先に起こる未来を見据えて、そこからの流れを円滑に進めるために、これ以上の不和は避けたいとでも考えているはずだ。そうでもなければ、メアが沈んだ人を引き上げるために手を差し伸べるなんてことは、絶対に有り得ない。辛うじて縁を掴んだ手を、一本一本指を引き剥がして高笑うのがメアだから、自分に利の無ければ人のために動くことは絶対に無い。
だからきっと、俺のいない間に二人が密談を交わす、などという最悪の想定は俺の頭の中だけの話に違いない。その点においては、メアは信頼のおける男と言えるだろう。
そもそも、メアがリリスや師匠と共同して動いているとしたら、俺に勝ち目は無い。だから、そんなことは考えるだけ無駄と言うものだ。
……それだけは、無いと信じる他無い。
「……森の中は、嫌なことを思い出させる」
岩に腰掛け、木漏れ日溢れる、森の奥を睥睨する。
そこには誰も居ないはずなのに、石化の浸食が進む右目に、記憶にしかいないはずの人の影が映り込む。
全ては、森から始まった。
あの時、振るう必要のなかった肥大化した正義感に駆られたせいで、全てが狂い始めたんだ。
……あの時、死に物狂いで機竜を隠滅していれば。あの時、カタリナを始末していれば。
全てが「たられば」の話。今更後悔したって、もう遅いんだ。
それに……もしかしたら、世間知らずの俺よりももっと大人が彼女を拾っていれば、結果は違ったかもしれない。真っ当な教育が施されれば、彼女は神獣としてではなく、人として生きれたのかもしれない。
俺のような、身勝手で自分勝手な願いなんて、口にしなかったかもしれない。
カタリナが全て悪いわけではない。罪の深いのは、俺の方だ。裁定の天秤は、俺に傾くに違いない。
「シャーリィ……」
その最も罪深き行為の一つ。
目の前で石になった──否、俺が石に変えてしまった少女の名をポツリと零すと、煙草を吸ったみたいに胸の中は罪悪感でいっぱいになる。
肺の中身が全て煙で埋まってしまったかのような錯覚は苦痛が生じるものの、その感覚に俺は抵抗する素振りを見せない。
一瞬にして呼気が薄くなる感覚に喘鳴を繰り返すが、この苦痛は俺への罰だと考えると、自然体のままそれに抗うことなく、俺は苦しみに身を委ねた。
「──ゲホッ、カ、ハ……ッ!」
自ら絞めた首は息苦しさに悶え苦しみ、骨が砕けるような咳を繰り返し、嗚咽を零す。
やがて俺の体は腰かけていた岩から転げ落ち、泥に塗れる。その見すぼらしい恰好は、罪人の俺にお似合いだろう。
だがしかし、俺が願った以上にその苦しみも長くは続かず、直に落ち着きが取り戻されてしまう。
冷静になった俺は、体に付着した汚れを払うこともせずに岩にもたれかかり、漠然とした疑問を口にした。
「どうして、彼女は石になった……?」
カヒュ、と気道を抜けるか細い音を発しながら、果てしなく無責任な言を吐く。
何度も思考を巡らせ、幾度となく答えに辿り着いているはずの、分かり切っている疑問。
きっと俺は、誰かにこう言ってほしかった。
──君の所為じゃないよ。
と。
それは、桃のように甘く、青臭くい現実逃避。
そんなことは断じて許されてなどいないというのに、俺は未だに目を背けたがる。
甘ったるい声を期待して放った問いは、空気に溶けて消えて行く。
その、はずだった。
誰も居ないはずの森の中で、泡のように消えるはずだった問いに答えが返ってきたのは、その時だった。
──分からない振りをするな。逃げるための言い訳をするな。目を、背けるな。
「?!」
誰もいないはずの森の中。
それでも聞こえてきた答えは、鏡の中の自分が答えてきたようなもので、俺は慌てて辺りを見回す。
だけども当然、この場所には誰も居なくて。聞こえてくるのは、木の葉が擦れる音と、小動物の小さな鳴き声だけ。
それでも確かに聞こえた人の声は、俺の耳に深く残っていて。
……あぁ、そうだ。俺は、あの瞬間に起こった全てを知っている。理解している。
他の誰でもない、俺自身だ。
「あの時と……シスターフィオナの時と、同じだ」
奇跡的に、天文学的数字の偶然で、突発的に、紫晶災害が降りてきた──などという現実逃避に意味は無い。
カタリナは、もういないのだから。
「俺が、やったことだ。……カタリナの力が、まだ、残っていたのか」
シスターフィオナと、シグにアキ。
俺の心の弱さが招いた、最悪の災厄。
何がきっかけで発動し、どんな代償があるのかも分からない、授かりものの力。それが、力を発揮したのだ。誰も望んでいない、あの状況で。
誰があんなことになると想像つくだろうか。……望んでいないから罪にはならない、などという甘い考えは捨てるべきだ。悪魔に誑かされただけ、なんて言うのは都合の良い言い訳に過ぎない。
自分の行動には責任が問われるのが常識。俺はもう、自分で自分の尻も拭けないような子供ではないのだから。
例え、俺のことを「兄」と呼んで慕ってくれる人が誰も居なくなったとしても、その矜持だけは、決して捨ててはならなかったのだ。
初めから、現実逃避なんてしている場合では無かった。もっと早く前を向いて、自分の身に起こったことを理解することに務めるべきだった。そうすればきっと、シャーリィがあんな目に逢うことはなかったかもしれないのに。
……どれもこれも、全て過ぎ去った後のことだ。
たられば話ばかりが頭に過る。後悔ばかりが、募る。
俺にはもっと、やるべきことがあった。やらなければならかったことがあったはずなのに、俺は現実逃避などという無為な時間に費やして、また後悔して。
「……笑えてくるな」
「──何か、面白いものでも見つけたのかい?」
「……メア」
「ちょ~っと、目を離した隙にそんな汚れて。猫や犬じゃないんだから、しっかりしてよ」
「……リリスは、どうした」
「リリスちゃん? 心配なら自分で見に行けば……って言いたいところだけど、今はまだ距離を取ることを勧めるよ。彼女なら今、ぐずぐずしながら立ち直りかけてるからね。いやあ、彼女のメンタルの強さは強敵だよ。君とは大違いだ」
「それは立ち直っていると言えるのか」
「知らないよ。大体ね、あれは君の所為なんだから、君がどうにかするべきなんじゃないかな。僕は君らを繋ぎ止めるために引き合わせたわけじゃないんだからね。……とまあ、そんなことはどうでもいいのさ。僕は君に、聞きたいことがあるから様子を見に来てあげたんだ」
「聞きたいこと?」
「言ってただろ? 君は、俺にはやるべき事がある、ってさ。そのやるべき事ってのを、聞きに来たんだ。……現実を思い知った今でも、君の覚悟が揺らいでいないか確かめに来てあげたんだよ」
地面に腰を下ろして胡坐をかく俺と目線を合わせるように屈んだメアは、そう言って俺の目を覗き込む。
人の目と、紫水晶と化した二つの眼を。
だが、それは俺も同じで。俺もまた、こちらを覗き込むメアの瞳を見つめ返す。
メアの双眸は、俺の返答次第で如何様にでも動くことを物語っていた。詰問に対して、もしも彼の意にそぐわない返答をしたらならば、この場で俺の首を斬り落とすのも躊躇いない、とでも言わんばかりの目だ。
彼がどうしてそこまで他者に対して警戒し続けるのかは興味をそそられるが、しかし安心してほしい。俺が俺のやるべき事を達成するためには、メア程の人物の協力が必要不可欠なのだから。今更お前の手元を離れて飛び立っていくほど愚かではないし、無謀ではないと自負しているつもりだ。
「……石化した人々を、元に戻す。これが俺のやるべき事……、俺が、やらなくちゃいけないことだ」
「ふぅん」
責任があるから、というのも尤もな理由だが、これは俺がどれだけ手を尽くしてもやるべき事だった。
ただ日常を生きていた数多の人々から、未来を奪った、責任。
俺はこの現実から、この責任から……、これ以上目を背けてはならないことを知った。知らず知らずのうちに逃げてきた全ての責任と向き合わなければならないのだと、俺はここにきてようやく自覚した。
向き合うべきはいつかではなく──、今なのだと。
「……遅すぎると笑ってくれても構わない。ただ、俺はそのためならば、どんなことでもすると誓おう。俺に出来ることなら……なんでも」
「確かに、ずぅっとうじうじしてたよね。見てるこっちが呆れるくらい。心変わりしたのは、シャーリィちゃんのことが切っ掛け、ってこと?」
「そうとも言えるし、そうではないとも言える。シャーリィをはじめとする、全ての石化した人を救う。それが俺に許された、唯一の贖罪なのだと思うから」
「随分と大きく出たものだね。……それで? もしも僕の目論見が君のやるべき事と逸れていたら、どうするつもり? まさか僕に諦めろ、なんて言わないだろうね?」
「……お前に両立する方法を見つけてもらう。それで問題無い」
「おや? 我儘の雲行きが怪しくなってきたね?」
「そのためなら、いくらでも俺は身を削ろう。だからメア。俺とお前、二人の願いを叶えるための方法を探し出してくれ」
「それは随分と、僕を買い被り過ぎじゃないかな? 僕は、君と違って人間なんだ。そんな夢物語が成立すると本気で思っているのかい? だとしたら、君は現実が見えていないと言わざるを得ないね。そんな夢物語を成立させられるのは、不可能を可能にできる常識の埒外に居る存在……即ち、物語の主人公と呼ばれる特別な存在だけだ。でも残念ながら、僕たちは主人公ではないのさ。主人公が生まれるのは物語の中でだけ。生憎、ここは現実で、僕たちは主人公にはなれない。……それに、そもそもが問題だよ。君は、君の立場で僕にそんな無理難題を押し付けようって言うのかい? 僕がこうしろと言えば、君は従う。そうじゃなきゃ、僕は協力しない。そんなこと、僕に言われずとも理解していると思っていたんだけどね。……目が覚めたのはいいけど、どうやらまだ頭は寝惚けたままのようだね」
苛立たし気にトン、と繰り返し俺の額を指で突くメアは、お得意の説教を俺に浴びせ掛ける。言葉の雨のような彼の言い分は、尤もだろう。
人間の石化現象──紫晶災害については、帝国における知識の宝庫とも呼ばれる研究塔でさえも、数か月という時間が経過しているにもかかわらずその一端にすら手が届いていない。
だがしかし──、
「……それがなんだというのか。世界を敵にする無理難題だとしても、それが諦める理由にはならない。挑戦しない理由には、ならない」
「ようやく現実が見えてきたのかと思いきや、どうやら違うらしいね。……君が言っていることは、正しいのかもしれない。けどね、現実を理解している僕から言わせてもらえば、君のそれは、横暴だよ。……傲慢とも言えるね。それが許されるのは、最も力のある者だけだ。自ら歴史を作り出す者だけだ。そして、それらは往々にして主人公であるのさ。物語の……、歴史の……、あるいは、世界の──」
メアの言葉は、俺に言い聞かせているようでその実、自分にも言い聞かせているかのようにも聞こえた。どこかメアらしくない物言いに、俺は違和感を抱く。
そんなメアはまだ何か言い足りない様子であったが、俺の視線に気が付いたのか、それともここまで語る予定ではなかったのか、言葉を切って軌道修正を図る。
「──とまあ、中途半端な僕や、死神と呼ばれる君のような者とではそんな彼らと比べると立っている舞台が違う、と言いたいのさ。死神が振り撒くのは、絶望だけ。そうでなくちゃいけない。そうであるように世界は作られているのさ。つまり、僕たちは所詮、舞台装置に過ぎないってこと。物語を動かすことは出来るけど、大きく関わることはできないようになっているのさ。中途半端な僕と、死神の君。二人の願いを両方叶えるなんて高望み、誰も許してはくれない。凡人の僕たちに叶えられるのは、どちらか片方のみなんだ。だとすれば、僕の願いが優先される。そうだろう?」
命を預け合った者同士だから分かる、普段から誰に対しても隙を見せたがらないメアにしては、珍しい取り繕いっぷり。
それはまるで、彼自身のコンプレックスの表れのようにも見えて、俺は衝動的に口を挟んでしまう。
「……俺たちは、主人公じゃないって言ったよな? だとしたら……、なんだって言うんだ?」
「……だから、言ってるだろ? 僕たちには歴史を動かすことも、世界を変えることも出来やしない、ってこと。精々が悪役ってところじゃない? それなら、悪役は悪役らしく、僕のほんのささやかな願いを叶えるために奔走すべきだ、って言いたいの! ウェイドを助けたのは、そのためだって言ったよね? 君は、僕の願いを叶えるためだけの道具なんだから」
「難しい話は、俺には分からない。要するに、主人公ではないから、俺の目的は実現不可能だと?」
「そうだよ。そう言ってるじゃん」
「……ハッ、馬鹿らしい。何を言うかと思えば……メア、お前らしくないな」
「なに……?」
俺が反論すると思わなかったのか、それとも自論に自信を持っていたのか知らないが、メアにしては珍しく、不満を隠しもせずに笑った俺を睨み返した。
メアが自信を喪失しているだなんて、俺に釣られでもしたのかと、コンプレックスと言う名の目隠しを剥ぎ取るように言い返す。
「不可能を可能にする特別な存在にはなれない? 主人公にはなれない? だとしたら、なんだって言うんだ。特別な存在になど、なる必要は無い。俺たちは俺たちのやり方で、解を探せばいいはずだ。今までだって、そうやってきた。そうだろ?」
そう言うと、メアは目を丸くして瞬きを繰り返す。
今の俺は、正直なんでも口走れる。そんな気がした。
どん底も底の底。これ以上下がるところを知らないところま落ちたお陰か、プライドなんて捨て去った俺は、恥も外聞も無くメアを頼ることが出来るようになっていた。
「……アハッ、まさか、ウェイドにそんなこと言われるなんてね。……うん、そうだよね。ちょっと、慣れない環境で焦っていたのかも──」
「それなのに、今のお前はまるで、言い訳を探しているようにしか見えないぞ。お前らしくもない」
「え? あれ、今、僕いい感じにまとめようとしてたよね?」
「俺の知るメアという男は、どんな状況でも飄々としていて、人を舐め腐った態度で、常に小馬鹿にするような笑顔を張り付けていて、人の不幸を啜って生きるモンスターのような存在だが──」
「あれあれ? 僕、もしかして、知らない間にウェイドからヘイト買ってたっけ?」
「──頭の切れと、度胸と、卓越した戦闘技能に関しては、俺が知る誰よりも上だ」
「おっと、突然の手放しの賞賛が僕の心を襲うぅ! リリスちゃんはきっとこれにやられたんだね……分かるよ。今、僕も胸がときめいたから」
「だから、言い訳で自分を納得させるような、卑下する真似は止めて欲しい。俺は、お前ならできると信じて頼んでいるんだ。必要とあらば、俺は全てを捧げる覚悟だってある。だから頼む。俺に、力を貸してくれ」
「…………ハァ~~」
言いながら、地面に額を擦り付ける勢いで、頭を下げる。
言葉だけではない、せめてもの誠意の表し方だ。
俺に出来るのは、知恵や力を貸すことではないから。それら全て、俺の持ち得る全てのものを駆使したとて、上手くいかないかもしれない。だから万事上手くいくように、俺を上手く使えるメアに全てを託すしかないのだ。
それはメアに全責任を押し付けるのではなく、俺が、俺の意思でメアを頼るのだ。そこに責任の所在など求める必要もない。
そう思って暫くの間頭を下げていたのだが、頭上から聞こえてきたのは、深い、それはもう深い溜め息一つだけ。返事の来ない不安に駆られて何事かと思って顔を上げると、そこにはすっかり呆れた表情のメアと目が合うのであった。
「メア、大丈夫か?」
「いやあ……、余りにも君が、それを言うか、案件だったものでね。ちょっと呆れているところだよ。こんなにも嬉しくもあり、嬉しくもないプレゼンは初めてだよ。どうしてこうも、変な方向に思い切りが良いのかと感心していてね」
「それは、褒めてくれているのか?」
「いや、全然。……でも、こういうところはリリスちゃんと似ているのか」
先程までの切羽詰まった様子とは違い、すっかり毒気を抜かれたような、晴れ晴れとした顔色を取り戻したメアは、立ち上がってズボンに付いた土を払う。
「それで、答えを聞いてもいいか?」
「ん」
「ん?」
差し出される右手。
そっぽを向いているせいでメアの表情をは読み取れないが、俺は僅かな逡巡を経た後、その手を右手で握り返す。
「了承、ってことで、いいのか?」
「検討の段階に入れてあげる、ってこと。どうなるかは、君の働き次第さ。何せ、世界最難関の謎に挑むわけだからね。不可能を可能にするのがどれだけ難しいか、その身でとくと味わうといいさ。その上で、もう一度同じことを言えたなら、前向きに検討してあげる。それでも、いいなら」
メアの言葉に、俺は口元を緩めて、立ち上がる。
頭一つ小さなメアを見下ろして、握った手に軽く力を込めた。
「それでいい。俺が、証明すればいいんだろう。そのために、メアは思う存分俺を使ってくれ」
「自信満々に他力本願だね。まぁでも、口ごたえされないって考えると、そっちの方がいいのかもしれないけどさ」
コンプレックスが鳴りを潜めたメアは、いつものように素直じゃない素振りを見せる。
それでこそ、いけ好かないメアだ。
「落ち着いたようだし、荷物のところに戻るよ。今後のことを話しておこうと思ってね。僕たちがこれからするのは、ただのピクニックなんかじゃないからね。そこのところ、二人には覚悟を決めてもらわないといけないのさ」
「……」
「何か言いたげだろうけど、黙っていてくれよ? 必要なことなんだから」
前を歩いて行くメアは、後をついてくる俺の胸中を振り返ることなく言い当てる。
しかし、メアがそう言うのであれば、俺は俺の意思を封殺すべきだ。きっと、それが最善だろうから。
それに、俺の想いは既に清算し終えたつもりだから。
だから、一言だけ。
小さく「分かってるよ」とだけ零して、元の場所に戻って行くのだった。
補完と言う名の、言語解説。
【紫水晶の右眼】
カタリナから授けられた神獣の瞳。人の身には過ぎたる力を有する。
以下、詳細不明。




