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終節 陽動作戦



 ◇



「──十三区、隅から隅まで捜索しておりますが、何も見つかっておりません!」

「貧民街という立地が、捜索を妨げているな……」

「ええい、冷静な分析は私の役目だ! 私の役目を取るな! 応援は、まだなのか……?!」

「し、しかし、これ以上兵士を集めれば、目立ってしまいます! 民間人の間でどんな噂が広まるか……」

「不安を煽る結果になる、と? バカなことを言うな! 今ここで大罪人を逃す方が大問題である!」

「ですが、これだけの規模で探しても見つからないとなると……」

「まだ足りぬということだ。十二区、十四区にも捜索範囲を拡げろ! 南一門から東七門までは完全封鎖を続行! 逃げ込める範囲の下水道も、片っ端から虱潰しだ!」

「ハッ!」


 城下の現場を取り仕切る尉官が歯噛みしつつ、命令を飛ばす。



 ──帝都に紫の光が降りた。



 その報告があってから、もう二時間が経過していた。


 帝都の民にとって……否、世界中の人々にとって紫の光と言うのは、今現在、恐怖の象徴のようなもの。こうして大勢の兵士が街中を忙しなく動いているのを見ると、余計に不安を煽るというもの。だが、今の軍部には民の不安を煽らないようになどという余裕を割いている暇はなかった。


 世界を震撼させた紫晶災害から三か月半。ようやく人々の傷が埋まりつつあった今日日、あらたな石化被害者がでるだなんて、誰が予想していただろうか。

 紫晶災害はもう終わったもの。今はただ、災害によって受けた傷を癒しながら、研究塔の帝国が石になった家族や恋人、友人を元に戻す手立てを見つけてくれることを祈るのみ。……それが日常となりつつあったと言うのに、ここへ来て、紫晶災害の再来である。


「そんな話が市井に漏れてみろ……! パニックは、押さえ込めないぞ……! 内々で済ませられる領域はもうとっくに超えてんだよ……! 上は現場のことを何にも分かっちゃいない!」


 昨夜の時点から帝都には兵士が多く駆り出されており、ただでさえ国民の警戒心が高い状況でのこの事態。


 尉官は自分の首が飛びかねない状況で頭を掻き毟るが、この場でそれを注意できる人材は、不在。何せ、上からは「昨日の時点で逃亡犯を捕まえておけばこんなことにはならなかった」と言われる始末。人海戦術が必要な場面において、ただでさえ足りていない人手を要求しても昨夜から突っぱねられてばかり。

 探せ、と言っておきながら探すための人手を寄越さない上の連中を呪い殺さんばかりに苛立つ上官を慰める言葉など、詰所に集められた十二、十三、十四区の統括を任されていた准士官兵らでさえも持ち得ていない。


 何せこの尉官もまた、昨夜の逃亡犯騒ぎでようやく寄越された上の立場の者なのだから。


「──各区より、応援が到着しました!」

「そうか! では、各種人員配置についてもらい……いや、それでも人では足りていない! 帝都は、広いのだ」

「手の空いている人材と言うと、機竜小隊の面々か……。一癖も二癖もある連中だぞ。来てもかき回されるだけでしょう」

「それも、そうかもしれん。最終的には冒険者に頼るということも……」

「それだけは絶対に在ってはならない! 国の威信にかけて、帝国に仮所属している身分の連中の手など借りては、醜聞に繋がってしまう! 奴らに頼るのは、敵が帝都の外に出た後だけだ」

「先程と言っていることが矛盾しておいででは?」

「ええい黙れ黙れ黙れ!」

「そんな贅沢、言っていられないのでは……?」

「……だから、我々も出るのだ。この場は、連絡兵を残して全員が捜索に加わる! 何が何でも、逃亡犯を見つけ出す! 付いて来い!」

「陣頭指揮はどうなさるおつもりですか、少尉殿」

「現場で執るに決まっている! つべこべ言ってないで、お前たちも動け!」


 そう言って飛び出して行く尉官が、一年前に士官学校を卒業したばかりのまともな現場も経験していない、所属期間だけでこの場の指揮官を任されたぺーぺーだということを、この場の勤続十年以上の准士官らが知るのは、この事態が一段落ついた後のことである。


 人海戦術による捜索活動において、指揮官が出払うなど見たことも聞いたこともない作戦である。いくら人手が足りないとは言え、犬や猫を探しているわけではないのだ。捜索対象は、あの紫晶災害を人為的に起こせる可能性を有した危険な人物であることには変わりない。もし指揮官の身に何かあってからでは、十三区の兵士らは総崩れだ。そうならないために、各区の管轄を収める准士官らがサポートに回っているのだが、二つも三つも混合となる兵士の統括など、彼らにも経験が無い。


 そんな最悪の想定を危惧して、彼らもまた指揮官の後を追っていく。


 そうやって少しずつ人手を増やして捜索に乗り出すが、しかし──


「何故だ! なぜ、見つからない……ッ?! 報告が上がるのは忌々しき呪い人(ネビリム)ばかりではないではないか……! 千里を占める帝都は広し、と謳えども、十三区という限られた区域内だぞ! 隠れられる場所は限られているはずなのに……! 考えられるは下水道だが、それらしき痕跡が見つかったとの報告もないではないか! ……そもそも、十三区の連中が初めから下水道のマッピングをサボっていたのが悪いのではないか。そうだ、俺は何も悪くない。下の奴らが普段から真面目に職務をこなしていれば──」

「……オホン。お言葉ですが少尉殿。我々は日頃より、与えられた職務を全うしています」

「ッ! ぬ、盗み聞きとは、趣味が悪い。さ、流石は、下賤の民だな」


 どれだけ探そうとも見つからない逃亡犯に苛立ちが募り、それはやがて自分の立場を脅かす不安へと変化していく。


 不安に駆られた少尉が零した愚痴を耳にした准士官らが、彼に鬱憤の溜まった眼差しを向ける。もちろんそれは彼個人にだけ向けられたものではなく、貴族が占める上官らに向けた眼差し。それを代表して受けた少尉は、思わずたじろいでしまう。

 けれども、彼の貴族としての矜持は、吐いた唾を地面に這いつくばって舐め取るなどという屈辱的行為は到底許容できるものではないため、ふんぞり返って言い返す。


 しかし、少尉の打ち返した球は緩やかな放物線を描くもので、敵から見ればラッキーボールである。現場勤続十年以上の戦士たちが、それを見逃すわけはなく。


「──帝都の一日を通しての警邏、国民の訴えに応じる雑務、日々の訓練、報告書等の書類作り、その他緊急時の対応など……紫晶災害によって減った人の数を補うため、残された兵士たちは全力で取り組んでくれています。休みを返上して、たった数時間の休憩だけで出ずっぱりの兵士だっているのです。あなたにとって兵士は駒のような存在だとしても、彼らが居なければ我々の仕事は回りません。ゆえに我々はお国のため、最善を尽くすには不足している人員の補充を常日頃から上層部に訴えてきたものの、今日この日に至ってもまだ、その答えを頂けておりません。……今一度、問わせていただきたい。──この事態は、本当に我々下士官兵のみの所為でしょうか?」

「うっ、ぐぬぅっ……!」


 ふわりと浮いたその球を、准士官兵らは砲弾が如き一撃で叩き落とし、その上で「お前たちにも責任があるよな?」と凄んでくる。


 もしこれが一人や二人であれば、尉官の貴族権限を振るって黙らせることも可能だったかもしれないが、相手は自分よりも十も二十も年齢を重ねた屈強な兵士たちが束になって見下ろしてくるのだ。

 たかだか一年ちょっとの士官候補生を経て士官兵になったばかりの若造がそれに立ち向かうなど、へそで茶を沸かすよりも難しいことだった。

 最終的に尉官は折れざるを得ず、すごすごと引き下がる他なかった。


 だがしかし、准士官兵らの言っていることも理解できるがゆえに、今この場で謝罪は出来ずとも、自らを正当化させようと思い口走った、今も尚街中を駆け回っている兵士らを侮辱するような言葉を取り消すことはできるのだった。


「そ、それで。話があるのではなかったのか? お前たちが、揃って顔を見せるということは」

「あぁ、そう言えば報告をしようと思って来たんでした。繰り返し報告をしてくれていた連絡兵の消息が、途絶えました」

「はぁ?」

「うちもです」

「私も、同じく」


 十三区の統括准士官のみならず、協力体制にある十二区、十四区の兵長も同じ報告をする。


「じゅっ、重大な報告ではないか! 何故、もっと早く言わない! 連絡兵が襲われたのかもしれないのだろう?!」

「分かってはいたんだが、聞き逃せない話が飛び込んで来たんで、つい」

「うぐっ……! それを言われると……」


 どちらにも非があることを認めつつある尉官が「それは置いておいて」と口にした直後。

 後方より、悲鳴が上がった。


「──ッ! この声、中心街の方か!?」

「門を目指していた訳では、ないのか? いや、しかし、あの場所には……!」

「間違いない。あそこには勾留所があったはずだ。この騒ぎに乗じて呪い人(ネビリム)を解放しに動いているのか? それとも、逃亡犯がわざわざ目立つような真似をしたのか……? 一体、何を考えている? この帝都で、一体何が、起こっていると言うのだ……? 陛下は、何をしていらっしゃる?」

「考えている時間も惜しい! 行くぞ!」


 この状況下で兵士に手を出す奴は限られてくる。即ち、騒ぎを起こしたのは逃亡犯と見ていい。

 イレギュラーが乱入してきたとて、三区画連合の我らに死角は無いと判断して、尉官は多くの兵士を引き連れて騒ぎのあった十三区に向かって駆けていく。

 こんなことならば初めから詰め所で待機していれば良かった、なんて声が統括兵士長らから聞こえてくるが、そんなことに噛み付いている暇もなく現場に急行する。


 しかし、自ら無辜の民を石化させておいてこの場で危険を冒してまで呪い人(ネビリム)を助けに動くなど逃亡犯は何を考えているのかさっぱり分からない、などと考えていた尉官は、騒ぎの中心に辿り着くや否や鼓膜を震わす声を聞いて絶句せざるを得なかった。



「──お見えになられましたか。あなたが、この場所を取り仕切る指揮官ですね。お初にお目にかかります、私の名前は、ハリス。呪い人(ネビリム)の皆さんを救うために、少々手荒な真似をさせていただきました」



「な、あぁっ……?!」



 否。絶句のみならず、目玉が零れ落ちそうな程に瞠目せざるを得なかった。


 現場に辿り着くと、目の前に広がっていたのは死屍累々と言った様相。

 聞こえてきたのは慇懃ではない、礼儀を尽くした言葉。


 多くの兵士が倒れ伏す道の真ん中で、誰もが目を奪われるような麗人が、そこに佇んでいたのだ。

 それがどれだけ特異で奇怪な光景かなど、誰かに尋ねるまでもない。


 大勢の兵士が地面に転がされている。

 麗人が口を動かしている今なお、その数は増えていっている。そして驚くべきは、それだけの人が倒れていながら、血の匂いが一切しない、ということだ。

 それはつまり、この場で倒れている兵士全ては気絶させられているだけで、一人も死んでいないことになる。


 それが何を意味するか分からない程、尉官は無知では無かった。


「な、なんだ、あいつは……?!」


 同じ事実に気付いた准士官らも尉官と同じ反応を示すのだが、尉官の驚きはそれだけにとどまらない。

 何せ、戦場に舞い降りた麗人の正体を、尉官だけは知っているのだから。


「は、は、は、は、は……!」

「ははははは? 笑ってる場合じゃねえだろ、少尉殿」

「は、ハリス・ロック・フロレンシア……?! なんでそんな奴が、ここに……?! 俺が追っていたのは、ただの逃亡犯のはずだろ……!」

「知り合いですか、少尉殿」

「し、しし、知り合いなわけあるか! 俺が、一方的に知っているというだけだ。あの肩にはためくマント。あの紋章が見えるか」

「剣と、鳥……? いや、あれは、鷲ですか?」

「違う。あれは、グリフォンだ。グリフォンは、守り人の象徴にして最高峰。そしてその紋章を刻むことが許されているのは、極一部の人間のみ。……ハリス・ロック・フロレンシア。彼は、皇帝陛下を守護する最強の剣にして最強の盾である、近衛騎士だ」

「ッ?!」


 近衛騎士。

 帝国軍における佐官以上の称号、それが騎士。

 その騎士の中で最上位に君臨するのが、近衛騎士。

 一般兵からしてみれば、上司の上司の上司の上司の上司の上司。といった雲の上の存在である。いわゆる、天上の人。


 額に汗を浮かばせ、瞳孔が開いたままの尉官の口ぶりは鬼気迫るものがあり、例え彼のことを良く知らなくても、彼の言ったことが嘘ではないと分かる。

 それは傍に居た准士官らのみならず、彼らの盾となるべく展開された兵士たちも揃って心臓を跳ねさせたことで彼らの警戒がより一層強まったことからも分かるだろう。


 今自分達が対峙している相手がどれだけの強者たるかを知り、十三区に暗雲が立ち込める。

 何故、帝国の上層部に君臨する近衛騎士が我らに剣を向けるのか。恐怖と共に疑念が湧き、兵士の誰もが及び腰になってしまう。


 そんな中で最初に我に返ったのは、准士官兵らであった。


「……だとしても、だ。俺たちがここで退くわけには、いかないよな」

「その通り。敵が強大であろうとも、私たちが退く理由にはならない」

「ま、ままま、待て! ハリス・ロック・フロレンシアは、かつて帝国を脅かしていたほどの敵国にさえ怖れられた、『鬼』なのだぞ! 見た目とは裏腹に、あの男は、何をしでかすか分からない! 怖くは、ないのか……?!」

「少尉殿に言われなくても、あの男がヤバい、ってのは見ただけで分かる。だけど、これも仕事だからな。敵に事情があるように、俺たちにも仕事っつぅ事情がある。帝都の治安を守る、立派に胸を張れる大事な仕事の一つだ。ここで退いたら、俺たちの歴史に泥を塗る羽目になる。……少尉殿は下がってな。敵に指揮官殿が触れられたら、俺たちの任務はお終いだからな」

「そう言うことです。それでも止めたいと言うのなら、命令でもなんでもすればよろしい。俺が願うのは、一刻も早い救援ですけどね」

「ハハハ、違うでしょ。私たちが倒してしまってもよいのだろう? でしょう? さぁ、鬼退治と行きましょうか──」


 准士官兵らに続いて、彼らの言葉に感化されたであろう多くの兵士たちがハリスに向かって突き進んでいく。


「そんなことを言われて、止められるものか……!」


 彼らの言う通り、兵士たちは命を削って職務を全うしようとしている。

 それを侮辱するようなことを口走った自分がどこまでも愚かしく思えてならない尉官は、彼らを止める権利など有していないと、歯を食い縛って涙を湛える。

 視界が歪んで見えたとしても、決して目を背けることはできない。彼らの勇姿を、その目に収めることこそが自分の使命であると、心が訴えていたから。


「君たちだけでは、私は止められませんよ」


 尉官の目線の先で、細剣(レイピア)を手にするハリス・ロック・フロレンシアと目が合う。

 彼の声など絶対に届きはしないような喧騒の中で、しかしはっきりと聞こえた声に、尉官はすかさず思考を回転させる。


「ひ……っ、クソッ……! 俺に出来ることは、なんだ! 見届けるだけだと?! そんなもの、士官兵としての責務ではないだろ……! あいつらは職務を全うしているんだ。ならば、俺も俺の責任を果たすべきなんだ……! 俺の責任……俺の責任とは、なんだ……! 俺の責任とは──あいつらを、生かすことだ。ならば、何をすれば良い?! 何が正しい?! ……俺に出来ること、それは──」


 そうだ、と思い至る、一つの答え。

 最も近くにいた兵士を捕まえ、その答えを実行に移すための作戦を伝え、実行に移した。



「──動ける者は、剣を取れ! 総員、突撃ィ──ッ!」



 高らかに響き渡る声。


 それに気付いたハリス・ロック・フロレンシアは、つまらなさそうに眉をしかめた後、俄かに表情に笑みを差す。


「嘘が下手ですね。……ですが、いい判断です」


 総員、と尉官は口にしたが、ハリス・ロック・フロレンシアに向かって行く兵士の数は、見えるだけでも兵士の半数のみ。

 尉官はこの土壇場で、人員を半分に割いたのであった。


 残る半数は何処に向かうかと言うと、全ては救援要請を飛ばすため。

 どこの誰でもいい。ハリス・ロック・フロレンシアを止められるのであれば、冒険者でも誰でもいいから救援を呼べ、と尉官は命令を飛ばし、兵士らはその命に従い、散開していく。


 帝国には鬼が居る、とまで謳われた彼が、何を思って帝国から追われる立場に身を費やしたのか、これまでどこに潜んでいたのか、そして何故今になって帝国軍に反旗を翻したのか。

 あらゆる疑問は尽きないが、尉官にあったのはただ一つ。



 ──帝国のために命をかけて戦っている彼らを、誰一人として死なせたくない。



 そのために、強大な敵を前にして指揮官として取るべき最善の策を弄したのであった。

 そしてこの場に残る半数の兵士がやるべきことは、ただ一つ。

 散開していった仲間たちが救援を引き連れて戻ってくるまでの時間稼ぎである。


 そこにはもちろん、士官兵である尉官も含まれており、


「続け続け続けェ──ッ! 奴に休みの暇を与えるな! 攻めて攻めて、攻め続けろ! 例え敵が強大であろうと、所詮は人の身体! 動けなくなるまで、数で攻め続けろ!」


 兵士を鼓舞しながら尉官もまた、突き進む。

 が、しかし……。

 ハリス・ロック・フロレンシアはその程度では決して止まらない。


 大勢の兵士が生み出す、彼に攻め寄る波の先。

 尉官の位置からではまだ先の先で交戦が繰り広げられている。

 しかし、彼が手にしていた得物は、細剣(レイピア)である。細剣(レイピア)はそのしなやかな剣身と先端の鋭さにより、斬るよりも突く行為、刺突がメインの武器。

 だというのに……前方で天高く打ち上げられる兵士たちは、一体なんなのだろうか。


 尉官の目には、前方で何が繰り広げられているのか、全くと言っていいほど想像がつかない。

 もしもその場で行われていることが尉官に伝わっていたなら、尉官は全てを諦め、投げ出していたかもしれない。


 なぜなら、ハリス・ロック・フロレンシアは、背後に控える大勢の呪い人(ネビリム)を庇いながら戦っているからだ。

 迫り来る大量の兵士たちは、呪い人(ネビリム)に指一本触れられずに意識を刈り取られている。多方面から迫る肉壁を、ハリス・ロック・フロレンシアはものともせずに、蹴散らしていく。

 その事実は兵たちの士気を削ぐには十分過ぎるものであり、知らない方がいいことであった。


 何故、細剣(レイピア)で人の身体が浮くのか。

 何故、刺突武器で血が流れないのか。

 何故、この数を敵にしても彼は倒れないのか。


 何故、なぜ、ナゼ。


 疑問が疑問を呼ぶが、答えは甚くシンプルだ。



 ──彼が、ハリス・ロック・フロレンシアだからである。



 至極単純にして圧倒的絶望の前に、指揮官を任された尉官は胸をざわつかせる。

 その答えの先に待つ結末は、敗北の二文字しかないことに、徐々に気づき始めていたからだ。


「っ、ひ、怯むな! 前進あるのみだ! 必ず奴には隙が生まれるはず──」


 そう言って、前進を続ける。

 先陣を切った准士官兵らは既に意識を刈り取られ、近隣の家の屋根の上に放り投げられたり、壁に埋まったりしている。

 事ここに至って、ようやく尉官は気付き始める。



 ──自分がハリス・ロック・フロレンシアと言う名の『鬼』を、人間の枠に捉えていたことを。



「あ、あの御方は……、奴は……人間じゃ、ない……!」


 どうして斯様な麗人のような御人が『鬼』だなんて呼ばれているのか、知らなかった。

 だが、こうして対峙して、初めて理解した。

 彼を人間と同じ枠組みで考えることが、どれだけ愚かなことだったか。

 それに思い至った今、尉官は今すぐにでも逃げ出したかった。


 だが、そこで不幸にも、尉官には待ちに待った希望が届けられる。

 尚も前進を続ける尉官の元に、散ったはずの兵士が救援を連れて戻ってきたのである。

 腕自慢の冒険者、魔法士、他の区画から集って来る兵士たち。


 それらにも協力を仰ぎ、彼のハリス・ロック・フロレンシアを止めるために尽力してもらう。

 一人目を皮切りに、次から次へとその数は、その規模は増していく。


 どう考えても人一人のために用意する戦力とはかけ離れた人数。それらを前にした尉官や、兵士たちの顔色に、「もしかしたら」という喜色が孕む。


 援軍は、まだ止まず。

 遂には──、


「──お待たせしました! 陛下の説得に時間が掛かってしまい、遅れてしまいました! ですが、ここより先は私に任せて下さい!」

「フュリーズ・グノーシア様……!」


 帝国の新兵器、機竜を操る小隊の一員にして、国内有数の魔法士と名高い公爵家の令嬢が駆け付けてくれたことに尉官が顔を綻ばせる。

 彼女が来てくれたのなら、もう安心だ。そう思えるだけの信頼と実績が、彼女にはあったから。


「敵はこの先で間違いありませんね……と、尋ねるまでもないですね」

「この、先に、ハリス・ロック・フロレンシアが……!」

「ええ、分かっています。だから私も、手加減などできそうもありません──ンッ!?」


 言いながら、フュリーズが魔法の発動に差し掛かった、次の瞬間。



 ──フッ。



 まるで耳元で囁かれたかのような、吐息を吐く声が聞こえ、その場にいた全員の身に、怖気が走った。

 それは、たった今駆け付けてくれた我らが希望たる、フュリーズも例外ではなく。


 しかし、それを認知した刹那の一瞬。


 尉官の前に広がった兵士や協力者で埋まった波が──大きく、爆ぜた。



「カ、ハッ……!」



 かと思えば、尉官の傍にいたはずのフュリーズの姿が掻き消え、遅れて轟き渡った破壊音が、尉官の鼓膜を震わせた。



「………………は?」



 絶句。


 尉官がこれまで見ていたものは、ただの演目。ただの戯れであったとでも言わんばかりに、全ての兵士や協力者が、文字通り──蹴散らされた。


 フュリーズ・グノーシア。

 この場の希望になり得る存在もまた、同じくして意識を刈り取られている。

 彼女の到着から、一分と経たない間に起こった出来事……否、ハリス・ロック・フロレンシアという存在が現れてから、ものの十分しか経過していないという事実に、尉官は震えて声も出せなかった。



「……彼女を引きずり出せただけでも十分ですね。ジャガーノート伯が来られたら流石の私も引かざるを得ないところでしたが……。ですが、陽動はこのくらいで十分でしょう。流石の私も少し、疲れましたけど」



 腰が抜けて動けない尉官の目の前には、波を割って悠然と歩を進める鬼の姿が。

 レイピアには血の一つどころか、その身に傷一つ無ければ、息すら切れていないハリス・ロック・フロレンシアの姿があった。


 三区画合同編成に加え、数多の協力者を含めて、総じて三百余名。

 上位中隊規模の人数を真正面から打ち破る人間など、それは最早、人ではない。


「お、鬼だ……」

「懐かしいですね、その呼び名は。ウェイド君に聞かれたら、少し恥ずかしいですが。……あなたが、この隊の指揮官ですね。本来ならあなたの首一つ持って帰るところですが、今はその首にも用はありませんのでこのまま失礼します。あぁ、それと。……彼らは気絶しているだけですので、ご心配なく」


 この場の空気とは裏腹に、穏やかにそしてたおやかに笑みを湛えてそう言い放つ姿が、尉官には人ではないものに見えて仕方がない。

 何をしたんだ、と泣き叫んで問いかけたいところだが、何事も無かったかのように剣を収める『鬼』を前に、尉官は恐ろしくなって股間を濡らしてしまう。

 彼はそれに嫌な顔一つせず一瞥した後、本当にこれ以上の用が無くなったのか、中央街を歩いて門へと向かって行く。

 数多の兵たちが守らんとしていた、門へと向かい、進んでいく。それはつまり、尉官らの敗北と同時に作戦の失敗を意味するのだが、尉官はただ絶望を叩き付けられ、放心状態であった。


 その後に続くように、彼の背後で守られていたであろう呪い人(ネビリム)たちが解放される喜びをその顔に湛えながら、帝都を去って行く。

 最早意識の残っている兵の誰もが、それを止めることなく、見送っていく。

 誰もが皆、恐怖に染まっていたのだ。


「……」


 根源的な恐怖を植え付けたハリス・ロック・フロレンシアの姿が見えなくなった頃。

 瓦礫の町と化した十三区の中心街に、手足の震えが止まらない尉官が立つ。


 その中心で、彼は叫んだ。



「だ、誰か……! 誰か、動ける者は、いないか……! この、ことを、報せなければ……! 早く、誰かに──」






 ──この日、ハリス・ロック・フロレンシアを含む元近衛騎士改め、反逆騎士ら四名に加え、逃亡犯であるセナ村のウェイド、それの幇助をしたガルメア・エディクレスの六名が帝都を出奔。同時に、人質として連れ攫われたリリス・アルバートを含む七名を、帝国は指名手配する。


 しかし、それは同時に帝都で起こった人為的な紫晶災害の話が広まると同意であり、過ぎ去ったと思えた紫晶災害の恐怖は、再び帝国を席巻していくのであった。










補完と言う名の、言語解説。


【ハリス・ロック・フロレンシアと言う男】


鬼。そして、最強。

帝国における最強の称号、近衛騎士隊長を有する帝国最強の両角における一角。

丁寧かつ笑顔を絶やさない雰囲気は親しみやすいが、彼の信頼は皇帝陛下にのみある。

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