僕だって好きで嫌われているわけではないんだよ。
「──やぁやぁやぁ、近衛諸君。調子はどうかな? こんな湿った穴倉での暮らしは快適かい? それはそうと地上の騒ぎはもう既に聞きつけているかな? 早速だけど、計画は変更だよ。作戦決行は今夜だったけど、決行は今、この瞬間だ。これより、作戦を実行に移すよ」
買い物を終えたリリスちゃんを途中で拾って、向かった先は地下下水道。
初めから目を付けていた場所にある近衛の隠れ家は、昨日来て覚えている。ちなみに、ウェイドは床に置かれた麻袋の中でねんねんころりだ。
「……唐突にやって来て、どういうことだ。昨夜、我々はもう二度と会うことはないと誓ったはずだろう。……ハリス様、やはりこの男は信用なりません。ウェイド殿とは違い、誠実さの欠片も感じられません」
「……ジルヴァ、冷静に。彼が何の用もないのに来るはずがありません。話をしましょう。剣を仕舞って。リザも、真似をしないでください」
「……失礼。昨夜の出来事を、思い出しまして」
「チッ!」
「うわぁ。怖いなぁ。それに昨日教えてあげただろう? 交渉ってのは、テーブルに着いた時点で決着はついているものなんだよ。そして、君たちは僕の提案を前に……飲まざるを得なかった。それ即ち、敗北も同意だろ? それとも何か。君たち近衛騎士の持ち得る騎士道精神っていうのは、死ぬまで敗北を認めないことなのかい?」
「言わせておけば……ッ!」
「リザ、三度目はありませんよ」
「……はい」
確かに昨日、多少強引な手を使ったとは言え、ここまで嫌われているとは。
近衛がウェイドを欲していることを知りながら、僕はウェイドを保有しているという圧倒的有利な手札で彼らに勝負を挑んだ。自分じゃない誰かの命を転がしてまた別の第三者を転がすことが出来た時の快感たるや、筆舌に尽くしがたいものだった。
けれど、流石にやり過ぎたのだろう。僕が見ても底知れない近衛騎士団長、ハリス・ロック・フロレンシアでさえも、僕を見る目に剣呑さを宿している。彼の手の者を殺めたのも悪かったが、反省するつもりはない。彼もそれを分かっているのだろう。ここで事を起こす無意味さを理解しているようだった。
「そこに、ウェイド君がいるんですね?」
「ああ、もちろん。今は色々と訳ありでね。夢の中に旅立ってもらってるよ。それはもう、ぐっすりとね。なんだったら、一緒に添い寝でもしてみるかい?」
「えっ、いいのかい?! ──オホン。……ではなく、彼が眠っているのは、地上の騒ぎと直結しているのですね?」
意識していなければ冷や汗が止まらない程の威圧感を放っていたフロレンシア。しかしそれも、ウェイドの誘惑一つですっかり角の取れた美少年に生まれ変わる。
もしかしなくとも、強引な手立てなんか立てずとも、ウェイドを一日貸し出すとかなんとか言えば簡単に頷いたのではなかろうか。少なくとも、金に糸目をつけない太客が三人は釣れそうだし、いい商売になりそうだ。
「その通り。騒ぎに便乗する、という方法も無くは無いけど、それができるのは僕たちだけだ。君たちが逃げられないという事態は、どうしても避けたいのさ。僕たちはお互いに協力関係にあるのだからね」
「ふん、どうせ口先だけでしょ! 余裕ぶっちゃって、本当は私たちの助けが必要なくせに」
「おいおい、本当のことを申しただけなのに、それを疑うのかい? 一体、僕のどこに何を疑う要素があるんだい?」
「鏡でもお貸ししましょうか? 目、鼻、口、顔、手振りから指先の動き、頭のてっぺんから爪先まで全部。果てはあんたの放つ言葉まで胡散臭いのよ!」
「……貴族らしからぬボキャブラリーの貧しさだ」
「なッ?! そういうところも、本当に──」
「──リザ」
三度目はない、と言われた直後なのに愚かにも突っ掛かってくる女騎士、リーゼンベルク。直情的で煽り耐性の低い彼女は、昔から変わらずに本当に面白いくらい僕の望み通りに踊ってくれる。
とは言え、精神面でかなり劣っているとは言え、彼女もまた選抜された近衛騎士。勝ちはしないが、負けない立ち回りが得意な僕でも、彼女ほどの実力者を相手にするのは些か骨が折れるため遠慮したいところだ。だから怒らせ過ぎないようにしようと心掛けても、彼女の反応がいちいち面白いのでやめられない。
その点、リリスちゃんは鋭いから面白くないのだ。ウェイドとか、リーゼンベルクくらい良い反応をしてくれないと、面白くない。
「幼馴染殿が邪魔をしてくれるお陰で、話が全く進まないじゃないか」
「あんたと幼馴染だなんて、私の人生における唯一の汚点だわ……!」
「ハハハ、そんな照れなくていいのだよ。幼馴染殿?」
「……話を、進めさせてもらっても?」
「これは失礼。戯れにて本題を失念してしまったようで」
本当の敵は有能な敵ではなく無能な味方、と言うように、まんまと炙り出されてくれたリーゼンベルクには感謝だ。これでまた、僕は有利に話が進められる。
「地上での騒ぎは聞き付けています。なんでも、新たに石化した事案が発生したとか」
「流石、情報が早いね。事の詳細は、省いても問題無さそうだ」
「その前に、一つだけ確認させてください。……人を石化させたのは、本当に、ウェイド君で間違いないのですか」
「あぁ、そうだよ。彼がやった。とは言え、僕も実際に見たわけじゃない。彼女が、全てを見てくれたのさ」
そう言うと、事前の取り決め通りにリリスちゃんが魔法を解いて姿を現す。
それで驚愕を示したのは、この場で二名だけ。ダンデ・マピュースと、フルベルト・ジルウェル。
しかし、それだけだ。残る三名はいつからかは分からないが気付いていたらしく、一切の余念なくリリスちゃんと僕を視界に収めている。過半数に満たないとは言え、二人の近衛騎士すら騙してしまえるリリスちゃんの魔法には驚きだ。
しかし、リリスちゃんのような身を隠して潜む魔法はそう珍しいものではなくて、看破する方法もその分、数多く存在している。
例えば帝城や帝国にとって重要な施設などであれば、隠形をした状態で一歩でも踏み入れると即座に隠形が剥ぎ取られるという伝説級のアーティファクトが使われている。そのため、そういったアーティファクトが備えられた施設に忍び込む為には、個人の隠密スキルが必須となる。士官学生時代の寮生活で毎夜の如く抜け出していた経験のおかげで、地下牢からウェイドを助けられたと言っても過言ではない。
とは言え、ここは隠れ潜むための急ごしらえの隠れ家だ。そんなものを用意するより、場所がバレてしまった時点で移動する方が得策である。下水道にはそれこそ、いくらでも隠れ潜む場所があるのだから。
「……彼女は?」
「ウェイドのためならなんでもしてくれる子だよ」
「め、メアさん……!」
「なんでもするんだろう?」
「する、とは言いましたけど……」
「なぁんだ。君は、その程度の覚悟でウェイドと人生を共にしようと思っていたのかい? 彼は正真正銘の化け物だよ。ソレと正気のまま一緒に居られるとでも思っているんだとしたら、君は彼のことを何にも分かっちゃいないってことになる」
「……メアさんに言われなくても、分かっているつもりです」
「そう? ならよかった。……でも、いつまでも『つもり』のままじゃあ困るんだよね」
「ガルメア卿、それはつまり……彼女は協力者ではない、ということですか?」
「そう。あくまでも自称、ね。自称、協力者。何せ、リリスちゃんはあの、ジャガーノート伯と繋がっている疑惑があるんだから」
ファリオン・エムズ・ジャガーノート。
彼の名前を口に出すと、途端に空気が変わる。
リリスちゃんは何か言いたげで、近衛騎士団長に至っては分かりやすく落ち込んでいる。
「……ウェイド君が目を覚ましたら、伝えて欲しい。ファリオンのことに関しては、私たちの落ち度だったと。彼がウェイド君を恨んでいることに気付けなかったこと、本当に申し訳なかった、と」
「ハリス様?!」
「僕に頭を下げられても困るけどね。もう一度、彼に面と向かって謝る機会があることを祈っているよ」
言ってしまえば、ジャガーノート伯の方が一枚上手だったということ。僕が彼の情報を掴んだのも、本当に偶然のようなものだった。彼は、レオ殿下を裏切り、近衛を謀り、ウェイドを捕らえようとした。
フロレンシアの未来予知の話一つでそこに辿り着く、というのもよっぽどだが、後少しのところまでウェイドを引き寄せた強運は、彼の執念があってこそだろう。果たしてリリスちゃんや城内でのことも含め、どこまでが彼の手の内なのか僕にも読み切れない、というのが本音だ。彼は脳筋なだけではないのが厄介なところ。
「あぁ、小うるさい幼馴染殿が口煩く喚く前に言っておくけど、彼女はただの数合わせ。馬を持っているってだけ。戦力にはならないから、そこんところ、よろしくね」
「っ!」
「リザ、黙っていなさい。これ以上話が拗れるのは、私たちとしても困りますので」
「……はっ」
案の定封殺された幼馴染殿を見て、何か言いたげな彼女に向かってべろべろばあ、と繰り出す。幼馴染殿はそのうちこめかみの血管が切れるに違いない。
「ええと、それで、何の話でしたか?」
「ウェイドが、人を石に変えたって言う話だね。聞くだけでも化け物同然だね、これは」
「……何が面白いのか」
「ですがそれは、研究塔の研究成果と似通っている……。そうですね?」
「へぇ! 一晩であれだけの量を読み解いたの? 凄いねぇ。でも、概ねその通りだよ。僕の求める研究成果には辿り着けたかな?」
「読んでいるだけでも気分が悪くなるような論文ばかりでした。中でも、石化した人間を魔力へと変換する取り組みなど、本当に……反吐が出る。そして、ガルメア卿が注目した研究成果とは、これのことですね?」
近衛騎士の手の内には、昨日ウェイドを囮に使って手に入れた研究塔の研究成果がある。騎士団長が差し出して来たのは、その中の一つの論文。
こんな暗がりの中で頼りない明かり一つの下でこれを読めなんて言われたら、僕だったら十二時間は不満を垂れ流し続けるだろうね。暗くても見えるような田舎目の持ち主とは違うんだから。
とは言え、わざわざ読む必要は無い。だってもう既に読んだことがあるから。それに、内容もはっきりと覚えている。何せ、僕の行動原理を大きく変えた研究成果だからね。
その内容と言うのが、
「──呪い人の再覚醒。どう? 魅力的だったでしょ?」
パチン、と指を鳴らして、ついでにウィンクまでサービスすると、幼馴染殿から冷たい目が向けられる。
「……正直、これを読んでも我々にはあまりピンと来ていません。生得魔法は、一生に一度の授かりもの。そのたった一度きりの機会を覚醒と呼称し、呪い人となった人物が二度目の覚醒……つまり、二つ目の生得魔法を獲得するなど夢物語にしか思えない、というのが我々の感想です」
「でも、実際に呪い人の中に二つ目の生得魔法を獲得した人がいる。夢の中だけの話じゃあないってことだ」
「それも承知の上で尚も言わせてもらいます。──再覚醒など、夢物語だと」
この、程度の低い論文に目を輝かせるお前は馬鹿か、と訴えてくる近衛たちからの視線を受け、僕は肩を竦める。
確かに、この論文に記されている少ない実例は、二つ目の生得魔法など使い物にならないような代物ばかり。彼らの望む結果では無かったのだろう。
それも、いつ、どのようにして覚醒したかもアバウトな再覚醒者たちばかり。再覚醒など名ばかりの、突発変異種と呼ぶ方がしっくりくるとさえ思えるような中身では、石にされた陛下を元に戻すなど、それこそ夢物語だろう。
こんなもののために危険を冒したのか、という非難の声も聞こえてくるようだ。
「あの……それが、今必要なんですか? ウェイドさんを助けることよりも」
「ハハハ、せっかちだねえ、リリスちゃんは。そう焦んなくていいのさ。答えはすぐに出るよ。それにこれも、ウェイドを助けるために必要な過程なのさ」
「それなら、まあ……」
近衛騎士相手に「早くしてくれ」だなんて、ウェイドが絡むと考え無しになるリリスちゃんは要注意かもしれない。二人の心中に巻き込まれるなんて、ごめんだよ。
「素直にこの論文を褒め千切るようでは、僕も君たちとは手を組む価値が無いと思っていたよ。それくらい、この論文には、余りにも大きな欠点がある。……けれども、この論文に価値を見出せないようでも、答えは同じさ。僕は君たちとは、分かり合えない」
「それは……」
「……口ごもるということは、つまるところ、あなたもこの論文が決して夢物語を語っているだけ、というわけではないことに気付いているはずだ。ハリス・ロック・フロレンシア」
僕なりに真面目な顔を作ってそう告げると、別方向から大きな音が立つ。
「──魅力? この論文の価値? そんなもの、どこにあるものか! 同じ手は二度は食わん! ……研究成果を盗みに研究塔に潜入した傍らで、貴様は我々の手の者を殺した! その結果、持ち帰った論文はどれも陛下の石化を解くきっかけにもなりはしないようなものばかり! 貴様は、我らに協力を仰ぎたいのか、それとも愚弄したいのか、どっちなのだ。……返答次第では、ここで貴様を切り刻むのも止むを得ない。ハリス様、止めないで下さいよ」
大きな音を立てて噛み付いて来たのは、フルベルト・ジルウェル。
リリスちゃんと同じで、彼も性急だ。こんな性格でよくもまあ近衛になれたと言わざるを得ない。近衛を選出するのはフロレンシアの役目だが、最終決定権はロベリア陛下にある。僕と陛下では、きっと見えているものが違うのだろう。僕だったら彼や幼馴染殿、ましてや僕のような人なんかを近衛に選ぼうとなんてしないから。
「フルベルト・ジルウェル。君は確か、研究塔に忍び込み、この貴重な成果を手に入れてきてくれた人だったね? 研究塔に忍び込むのは容易じゃなかったはずだ。そんな君の言い分だから耳を傾けてあげようじゃないか。それが、情報提供者としての最低限の責務だろうからね」
「情報提供者……? 何を言っている。これは俺の確かな情報源からの──」
「あれ? 言ってなかったっけ? まあ、それはいいとして。……そんな苦労の果てに手にした成果が、この机上の空論にすら鼻で笑われてしまいそうな程拙い研究成果で、俺の苦労は骨折り損だ……と言いたいわけだね?」
「待ってください。情報提供者の件……研究塔の話はフルベルト、あなたが持ってきたはずです。そうですよね?」
フロレンシアも知らなかったのか、僕の突然のカミングアウトに近衛らがどよめき立つ。もちろん、こうなることを分かってわざと口を滑らせたんだけどね。
ほんと、僕なんかに頼るしかなくなるまでに追い詰められた人っていうのは、僕の思い通りに踊ってくれる。
「それは間違いありません! 私は、その情報を掴んで……」
「それは、誰から? 門番の兵士仲間だろ? たかが門番ごときが、研究塔が秘匿する情報を手に入れられるとでも? 少し考えれば分かることさ。彼らのような市井に繰り出す連中に話が回ればすぐにでも帝都中に広まるというのに、君たちはその話をどこか別の場所でも小耳に挟んだりはしたかい?」
「……性格悪っ」
「聞こえているよ、幼馴染殿? そしてこれは、宮中でも噂されることのない情報だ。有力貴族の中には、ジャガーノート伯のように、家族を石にされた貴族も少なくない。そんな中で研究塔がその家族に手を出すような真似、許すはずがないからね」
ははは、あのフロレンシアが呆れて物も言えない顔をしている。
そんな目で僕を見ないでくれよ。
それに、言ったはずだ。交渉は、互いにテーブルに着く前に終わっているのだと。
今はただ、僕の爽快な気分で送らせてもらっているカーテンコールを黙って見ることしか君たちに選択肢は残されていないのだから。
「それに、ハリス・ロック・フロレンシアはこの論文をただの机上の空論と笑ったりしていない。実現の可能性が限りなく低いと言っているだけだ。その上で夢物語だと判断したなら僕はそれを笑わない。けれども君は、その領域にすら達していない。だから僕は君のことを笑うのさ。ましてや君は……僕だけでなく上官の意見すら切り捨てるのかい?」
僕の言葉に渋い顔を浮かべたジルウェルは、まだ反論の余地があるとでも言いたげに論文を手に取ると、曖昧にしか書かれていない文章を指し示した。まるで自分の言い分が正しいことだと言うかのように。
「──紫晶災害による石化。石化した水晶体の硬度は、個体によって様々。そのどれもが魔力の高密度体であり、呪い人の体表を覆う紫水晶も同じ物体であるとするなら、新たな生得魔法の獲得、即ち再覚醒を果たした……、と記されているだけで、その方法も、過程も、何一つとして詳しいことは書かれていない! これのどこが、陛下の石化を解く鍵になると──」
「再覚醒に至る道……この研究の成果はこれ一つの論文で語られる程易くは無いよ。何せ、その規模次第では文明が滅んでもおかしくない程の大災害だ。もうじき三か月もの時間が経つというのに、被害の総規模さえ不明の大災害だ。その謎の解明など、正しく人類未到達の領域。まさか君は、これ一つを読めばロベリア陛下を元に戻せるとでも思っていたのかい? 期待させたようで悪いけど──ハッ……。てんで話にならないね。これは、謎を解くための鍵の一部だ。このピースを元に、僕たちは協力して鍵を作り上げていくしかない。それこそ、研究塔や帝国よりも早くね」
「何が、言いたい……?」
「この論文を一つのピースだと言うからには、これを裏付ける何かを所持しているのですね、ガルメア卿」
引っ込みのつかなくなったジルウェルを横に、フロレンシアが僕の手の内を見透かしたような言葉を放つ。これには僕も、嬉しくなってしまう。
「ご明察だよ、フロレンシア。これに関しては、情報が無いと話にならないからね。僕からの出血大サービスさ、これを読ませてあげよう」
「これは──紫晶災害の、ルーツ……?」
取り出したるは、たった一枚の紙切れ。
著者の名前すら載っていない、論文や研究の成果というには余りにもお粗末な出来のもの。けれども確かに僕を突き動かした最初の一枚である。
レオ殿下の下で仕事をしていると研究塔関連の書類を目にすることが多かったのだ。手癖の悪い僕みたいなのに重要書類を触らせちゃいけませんよ、と授業料の駄賃代わりにネコババしておいたのだ。
しかし……読ませてあげようとは言ったものの、目に優しくない暗闇の中でも平然と書類に目を通していく近衛の騎士たちを前に、僕は眉を寄せる。
夜目、なんて言う特殊技能がどうしてそんな平然と備わっているのかを疑問に思う。同じく覗き込もうとするリリスちゃんは何も見えなかったようで仲間を見つけて一人でニヤニヤする。
読み進めていくフロレンシアが目に留まった文章を読み上げていく。
「……石化には個体差がある。硬度、密度、魔力の濃度など、一定ではない。さらに調査を重ねた結果、その差は元となった個人に関与しているとは考えられない結果が示された。これには法則性があるのか、もしくは別の何かが指標となっている可能性が高い。私は後者を支持したい。とすると、石化された人間や呪い人にされた被害者の中で最初の人物、もしくはそれに連なる人物こそが指標になっている可能性が高い。これがもし真実であったなら、その人物を見つけ出すことこそがこの紫晶災害を終息に導く鍵となると仮定する。その人物を私は、一号と仮称する──」
「これは……。ハリス様の視た未来を後押しするような記述ですな」
これこそが、僕がウェイドに掛け金をオールインするに至った理由。
彼は間違いなく、この論文における『一号』だ。
……あの日、彼と共に発ったという、紫の少女。後に起こった、紫晶災害。憔悴した彼の隣から消えた紫の少女。
もしもウェイドの言っていることが嘘でなければ、「彼が一号である」という前提条件が整う。それくらい、ウェイドの身の回りには彼が一号であることを証明するかのように都合の良い条件が揃っている。
そのことにフロレンシアが気付き、副長のジルヴァリウス・フォークレアが唸る。
だけども──
「お、お待ちください! まさか、お二方揃って、こんな戯言を……、ウェイドの虚言を信じているわけではありませんよね?! 著者の名も記されていないこの紙切れを、本気で信じていると……? ダンテもリザも、私と同じ意見のはずだ!」
ジルウェルがそれを阻む。
自分の成果が直接実を結ばず、あまつさえ僕の踏み台に使われているのが気に食わない彼が反発すると言うのは目に見えていた。
このまま僕にこの場を浚われたら、きっと彼は自分の立つ瀬が無いと考えているのだろう。しかし、それは早計と言わざるを得ないのだが、最早引くに引けなくなった彼には冷静な判断など下せない。
そんな馬鹿相手に手を差し伸べる同僚はいないらしく、幼馴染殿とダンテの二名は、上官に異を唱えるなどという愚行は犯さず沈黙を選ぶ。それが賢い選択というものだ。
「ウェイドは錯乱していただけです! 狂乱していた……そんな男の言葉など、信ずるに値しません! どうか、本筋を見失わないでください! 我々の最優先事項は陛下の御身を救うことではありませんか! こんな男の戯言に惑わされないで下さい! 我々は我々のやり方で陛下の石化を解くべきで──」
「──フルベルト」
ジルウェルの言葉を遮るようにフロレンシアが彼の名を口にする。たった一言で急激に冷え切った空気が室内を支配した瞬間には、恐怖のあまり僕も顔が引き攣る。
「二度は言いません。我々近衛部隊は、ガルメア卿と手を組み、陛下の石化を解く。これは隊長命令です。従ってください」
「っ……、か、かしこまり、ました……」
ようやく己の犯した愚行に気付き俯いた発汗の目立つジルウェルだが、彼に同情できるほど僕は優しくは無い。だって彼のしたことは所詮、自らの保身に走った程度のこと。ロベリア陛下のためと名分を翳しておきながらその実、彼は自分の成果が微々たることに納得がいっていなかったのだ。
「私達に与えられた選択肢は、ガルメア卿と協力すること、ただそれだけです。通常であれば彼はこの情報を黙っている権利があった。それなのに開示してくれたということは、多少なりともこちらの意を汲んでくれるという姿勢の表れ。そう、信じても?」
フロレンシアの問いに、僕は肩を竦めるだけで答える。
「……それを無礼で返すなど、厚顔無恥も甚だしい。その非礼の詫びを、させてもらいたい」
そう言って頭を下げるフロレンシア。組織の長が軽々と頭を下げるものではないが、これは妥当な謝罪だろう。ジルウェルはそれだけの事をしたのだから。
フロレンシアの言う通り、近衛は僕と手を組む他無い。
帝国や研究塔、聖神教会、その他私設の団体といったものは数あれど、近衛の彼らの目的を確実に叶えることが出来るのは僕だけだ。他の団体と組めば、必ず利権が絡む。僕と言う個人を受け入れさえすれば、僕の我儘に振り回されるだけで、ほぼ無条件でロベリア陛下が返ってくるのだ。これ以上の好条件を棒に振るなど、普通は有り得ないから。
そんなことすら分からないジルウェルや幼馴染殿が残っている辺り、まともな人員は分かれたか、それとも全員石化したかのどちらかだろう。近衛の内情までは興味が無いからね。それを、教育が行き届いていないと憤るか、赦しを与えて慈悲を見せるかで今後の僕の優位は確立するだろう。
ならば、僕の取る行動は一つだ。
「……ただでさえ人手が足りなくて素人同然のリリスちゃんを連れてきたくらいだ。ここで近衛の人数が減るのは余りにも得策じゃないよ」
「寛大な処遇を、感謝します」
「それじゃあ、待ちに待った答え合わせといこうか? 待ちきれない子が半数以上らしいからね」
徐に立ち上がり、優位を主張するかのように狭苦しい部屋の中を悠然と歩き出して僕は語る。
全てを終わりへと導く、計画を。
僕の夢へと至る、悲願の道を。
「この二つの資料は、あくまでも欠片だ。問題解決に直接つながる糸口ではない。そもそも、そんなものがあれば研究塔は今頃とっくに石化を解く方法を見つけているだろうからね。これらは、ウェイドが鍵である事を証明するためのものなのさ」
「それは理解しています。分からないのは、どうやって石化の解除にこぎつけるか、です。ウェイド君が仮に一号だったとして、その後、どうやって石化を解く準備を進めるつもりですか? 逃げた先で、研究施設を乗っ取るつもりですか」
尋ねるフロレンシアは、それを非難する意味で尋ねてきているわけではない。
彼は、必要とあらば犠牲は犠牲として割り切ることが出来るタイプの人間。であれば何を聞いているかと言えば……、僕が裏切るかどうかだろう。
「これだけは約束しよう。僕は、研究塔を頼ったりはしない。僕は奴らを心の底から軽蔑しているからね。安心していいよ、研究塔や帝国にウェイドを高値で売りつけるなんて真似は絶対にしないから」
「……嘘臭い」
「信じてもらわなくても結構。一つ言えるとすれば、監視を付ける労力は無駄になる、とだけ言っておこうかな」
「……分かりました。その言葉、信じさせていただきます。それで、どのようにして石化を解くのか簡潔にでも良いので、聞かせていただいても?」
この答えで満足しなかったのかと思い、こちらを見つめるフロレンシアの目を覗き込む。するとそこには、純真無垢なる心配と疑問の色が見え、彼はただひたすらに目的遂行と、ウェイドの身を心配して窺っているのだと知る。
嘘偽りない彼をリスペクトするように、僕もまた、正直に答えるのだった。
「──さぁ?」
仰け反って薄ら笑いを浮かべ、どこまでも不遜に笑って答える。
途端、こめかみに青筋を浮かべたフォークレアとジルウェルがいきり立つも、フロレンシアが不意に零した笑い声に二人の勢いも削がれるというもの。
「ハリス様……?」
「フッ……アハハっ! さぁ、って。正直にもほどがあると言うか、なんと言うか……。私の決定は覆らないと知った上で、それを言うとは。……まさか、それで私達を丸め込もうと言うのですか? それは些か……私たち近衛を──舐め過ぎです」
そこで初めて、フロレンシアが声のトーンを落とす。彼女の声音に、確かに怒りが宿った瞬間だった。背中に冷や汗が流れるのを顔には出さず、相対する。
「気に食わなかったかな? でも、君たちは僕の提案を受け入れる他無い。僕がどうやって石化を解く術を見つけるのか気になったところで、君たちが僕のやり方を是正させる術はない。そうだろう?」
「確かに、ガルメア卿の言う通りです。ですが、私たち近衛は、あなた達の行動から目を離すことは絶対にありません。そのことを、努々忘れることの無いように。……それから、ウェイド君は、私の親友なので。泣かせたりしないで下さいね?」
それはつまり、僕に首輪をつける意味合いか、それともウェイド自身にか。
フロレンシアの細められた目と表情からは、何も読み取れないのが妙に気味が悪い。
「……親友、ね。頭の片隅に入れておくよ。それで十分かな? ハリス・ロック・フロレンシア」
そう言うと、暫しの間沈黙に包まれる。
フロレンシアの態度が虚勢だったとしても、フロレンシアは近衛騎士としての面子を保つことに成功した。それが今後どう活きてくるのかは分からないが、彼には僕にも見えていない未来が見えている。だとすれば、僕はもしかしたら選択を誤ったのかもしれない。もしくは、それに釘を刺したのかどうか。
……今の段階では、いくら考えても分からない事だ。
「……よろしい。ウェイド君のことはガルメア卿に託すことにします。私たちは、あなた達の行く末の支援に徹する。それがきっと、最善手だろうから」
僕の目がおかしくなったのでなければ、フロレンシアはどこか喜ばしい様子で僕の舐め腐った答えを受け止めたように見えるのだが、それはきっと見間違えなんかじゃないのだろう。
フロレンシアの内心が読み取れない僕は精一杯強がった事しか言えなくて。
「いいのかい? そんな簡単に決めちゃって」
「はい。誰にも文句は言わせませんよ。……ガルメア卿の立場なら、この場で適当に誤魔化すことも出来たのに、それをしなかった。それだけで、私はあなたを信じようと思えたのです」
「おやおや、近衛の騎士団長様が稀代の詐欺師に騙されそうになっているけど、誰も止めないのかなぁ?」
「ガルメア卿、あなたが仰ったのですよ。紫晶災害の謎の解明は、人類未踏の領域であると。きっと私達では、想像も及ばない可能性が、ウェイド君には秘められている。それを解き明かすのだから、今から想像がつくようなことを述べられても、逆に疑い深くなるだけでした。それに何より、ガルメア卿自身が、ウェイド君のことを友人だと考えているのが分かりましたから」
「はぁ……? 何を言うかと思えば、フロレンシアはいよいよ頭が狂いでもしたのかねぇ。……ウェイドが目を覚ましたら、僕は彼の体で人体実験をするつもりだよ。それこそ、体を切り刻んでね」
もちろん、事後承諾に決まってるけど、と付け足す。
どこかフロレンシアのペースに持っていかれそうな空気を必死で繋ぎ止めるべくそう答えると、目の前の美丈夫ではなく、背後の少女から悲鳴が上がる。君じゃないよ。
「……ガルメア卿、あなたならきっと、ウェイド君の嫌がることはしないと、そう思えるんです。これは、彼の友人同士として分かり合っている証拠ですね」
「恥ずかしげもなく良く言えるね、そんなこと」
顔を顰めてそう言うと、フロレンシアは深く息を吐く。
それだけで空気を換えてしまえる彼には、僕が有していないカリスマというものが備わっている証拠だろう。
彼は地下深くから空でも見上げるみたいに天井を仰ぐ。
途端、近衛の動きが慌ただしくなる。
「……帝都の南西部は兵士が多いですね。現場となった十三区周辺を虱潰しに捜索しているようです。下水道にも手が伸びてきている。反対に、北部や東部に接する門は守りが薄くなっていますね」
「では……」
「はい。行動を開始しましょう。我々は、ガルメア卿のサポートに徹します。当然、ロベリア陛下を連れ出すことにも全力で」
「……今のは、未来予知かい? 初めて見たけども、随分便利な生得魔法……いや、魔法としての域を超えているように思えるね」
「私としては、使い勝手の悪い相棒、という認識ですけどね」
「贅沢な悩みだね」
「ガルメア卿のような魔法があればもっと上手く立ち回れたかもしれませんね」
「ハハハ、冗談が上手いね。僕を手懐けるには、些か首輪が緩いんじゃない? それじゃあ、また会えるといいね」
「会えますとも。必ず」
「それも、未来予知で?」
「これは……確信に満ちた、勘です。では、黄昏れの彼方で、お会いできることを祈って」
「悪いけど僕ってば、敬虔な信徒じゃないんでね。それじゃあ、また。……さぁ、僕たちも動くとしようか。お待たせ、リリスちゃん。行こうか」
「えっ? あ……はい!」
一向に目を覚ます気配の無いウェイドを担ぎ上げ、フロレンシアがまとめる近衛たちと共に行動を開始する。
彼のカリスマで纏まっていると言っても過言ではない近衛に一抹の不安が過るものの、彼らの協力を取り付けた以上、僕にできるのはここまでだ。
後は野となれ山となれ。
運命の流れに身を委ねる、出たとこ勝負な人生の始まりだ。
「──さあリリスちゃん。正真正銘、国からのお尋ね者になる覚悟は、出来てるかい?」
不敵に笑うは自信の表れである。
肌がひりつくような体験が待ち受けているかと思うと、柄にもなく燃えてくる。
ここが一つの正念場だが、この程度を超えられなければ、今現在人類が直面している最大最凶の謎に挑むなど以ての外だ。
だからそのために、邪魔をする壁を打ち破る。
その自信がどこから来るかなんて、言わずともわかることだ。
何度でも言おう。……勝負は、テーブルに着く前に終わっている、と。
──何を隠そう、僕たちの、勝ちと言う結果でね。
補完と言う名の、言語解説。
【再覚醒】
十歳になって初めて生得魔法を得られる目覚めの時を一度目と仮置いて、呪い人となり新たな生得魔法に目覚めることを、生得魔法の再覚醒と呼ぶ。
現時点で再覚醒を確認できたのは、五件のみ。そのいずれも、再覚醒の条件、及び再覚醒に至る瞬間の記録は無し。そしてその五件すべてが、元より所有していた生得魔法より派生した魔法であった。例えば、髪を伸ばす魔法、「成長《髪》魔法」を所有していた呪い人が得た二つ目の生得魔法は「切断魔法《髪》」のように、元の生得魔法に紐づいたものが覚醒している。しかも、いずれの再覚醒した魔法は全て、元になった生得魔法よりも格段に出力が劣っている。
だがしかし、再覚醒は夢物語ではなく、確実にあると言える。これがもし研究が進み、再覚醒によって得られる魔法を選ぶことが出来るようになったらきっと、人間は生得魔法に縛られない生き方が出来るのではないだろうか。その為には一度、全人類には呪い人になってもらわなければならないが。その時にはきっと、呪い人という呼称も、祝福という意味に変わるのかもしれない。




