一節 邂逅3
◇
「……ん、暗い」
「少しの間だけだ、我慢してくれよ。……なんもないといいが」
第三機竜小隊が駆け付けた開拓村に降り立つ。ここには機竜小隊の臨時補給基地が建てられているから。
メアが先にレオ殿下に報告に行っている間に、俺はカタリナに目隠しを施す。目が見えないという設定だ。まあこれもあまり意味を成すとは思えない。だが、不用意に衆目に晒すよりはマシ、という奴だ。
それと、耳飾りは既に外してある。いつまでも興奮してキャンキャン騒いでうるさいので外してポケットの中に封じてある。
「なんだか、空気が妙だな」
機竜小隊に帰還の報せを伝えるためにカタリナを背負って開拓村を横切る動中で、違和感に気付く。正確には、背負われているカタリナが先に気付いた。
「……見られ、てる?」
「ああ、そうみたいだな」
目隠しをしたカタリナが向く方に視線を向けると、その先にいたのは数人の村人。開拓村に寄越されるのは、一攫千金を夢見る無謀な若者か、故郷を失った他民族など、世間の風当たりの強い人物ばかりだ。
その村人の視線が、やけに鋭いのだ。彼らは咄嗟に顔を背けて視線だけは逸らせたようだが、向けられていた敵意や害意までは隠しきれていない。
これは俺の感覚が鋭敏だから気が付くとか、そういうものではない。
問答無用で肌を差す悪意に、俺は歩を緩めて耳をそばだてる。
国民の生活を守るのが、兵士の役目。それは実生活のみならず、心の安穏も守らなければならない。それが、神父様とシスターフィオナから授かった教えである。そのためには、国民の声に耳を傾けなければならないのだが……、
「──もっと、早く助けに来いよ」
「何のための税金だ」
「六人も死んだ! 畑は燃やされて、足を怪我した母ちゃんはもう働けない……!」
「おい、聞こえるぞ」
「あいつらがもっと早く来てくれていれば、こんな事にはならなかった!」
鼓膜を震わせるのは、怨嗟の声。
助かったことを感謝するのではなく、助からなかったことを悲観する声。
そしていつしか、悲観する声は非難する声に変わっていき、昂らせた感情は行き場を求める。
「お前たちが、もっと早く来ていれば良かったんだ!」
どこからともなく、小石が放られる。それは見事に俺のこめかみにぶつかり、血を流させる。それでも尚、小石の投擲は止まらない。
「他の村は助けたのに、どうして俺たちの村はこんなに被害が出たんだ! お前たちが、見捨てたからだろ!」
「……血、出てる。痛く、ないの?」
「痛いさ。痛いけど、もう慣れた。よくあることなんだ」
背負うカタリナに被弾しないよう、庇うようにして歩む。
アーティファクトというオーバーテクノロジーがもたらした革命によって、常勝国家となり得た帝国。しかし、数百年に渡って侵略を続けて領土を拡大し続けた弊害か、最近では巷に、「戦争には勝って当たり前」、という風潮が高まっていた。
もちろん、そんなことは決して有り得ない。
今回のエルフたちのように、敵もまた、命を懸けて抵抗する。こちらの戦力を少しでも削いで、未来に繋ぐために。だから被害をゼロにすることなど、まずもって不可能。しかし、機竜小隊はその不可能を可能にするだけの力があると証明してしまったがゆえに、いつだって完璧を求められる。常に英雄以上の活躍を強いられている。
そのため、こうして敵のゲリラ戦に間に合わずに国民に被害が出ると助からなかった非難が兵士に浴びせられることは少なくない。俺も、何度も経験している。
いかに帝国最高の機動力を誇る機竜だとしても、帝都から国境までは全速力で飛ばしたとしても、早くとも二日はかかる。機竜の連続飛行時間は僅か三時間。その後の戦闘も考えれば、それ以上の強行は貴重な機竜の故障に繋がってしまう。
そのため、機竜小隊が駆け付けるまでの時間を稼ぐために辺境伯にはアーティファクトを与え、優秀な戦力を集中させていたのだが、今回は相手が悪かった。機竜以外では対処困難な、帝国の仇敵、エルフの飛竜部隊には手も足も出ないのだから。
村人の数人が死んだと言うが、こちらもその兵士たちを十数人と殺されている。誰も、どこも、無傷でなんていられない。それが戦争だ。……だが、それが戦争だからと言って、それを言い訳にするつもりはない。
間に合わなかったのは俺たちだ。彼らの怒りが全面的に間違っているとは思えないからこそ、俺はこの飛礫を甘んじて受けるのであった。
「……そう」
短く切った声がカタリナから上がる。彼女の無感情を惹くにはかなわなかった不幸自慢を口にした直後、今度は瞼を負傷する。流れる血で片目が塞がれる。
もう慣れた、なんて口ではそう言ったが、全然そんなことはない。貴族であるメアと同じく、小隊の多くのメンバーは、「助けてもらった分際で」と庶民の戯言だと聞き流しているが、俺は違う。
彼ら一般庶民かそれ以下の人たちの過酷な生活を知っている俺は、家族の誰かが働けなくなる苦しみを知っている。知っているがゆえに、彼らの怒りに正当性を見出してしまう。だからこそこうして目に見える形で彼らの捌け口になっているのだが、初めは前を向いて歩いていたこの凱旋の道も、いつの頃からか、俯くことしか出来ないでいた。
体についた傷はすぐに治る。だが、守るべき国民の手によって増える体の傷の痛みを味わう度に、俺の精神が摩耗していく気がしているのだ。
その度に、弟妹たちやシスターの喜ぶ顔を思い出すためにプレゼントを買いに走って、自分を慰めている。そんな気がして、ならないのだ。折角のプレゼントが、俺の心の澱で淀んで見えるのは、気のせいだと思い込みたい。
「……ウェイド、あそこ」
「ひぃっ?!」
「子供だろ。分かってるよ。放っておいていいから」
「……でも」
「いいんだ。放っておこう。俺なら問題無い。……というより、むしろこれから行くところの方が嫌なくらいだ」
「……そう」
俺の心の機微を悟ってくれたのか、それとも単に心配してくれたのか分からないが、カタリナという少女は俺が思っているよりもずっと、心優しいのかもしれない。少し不気味なだけで。
簡単な誤魔化しも、とっくに見抜かれているのかもしれない。首に回された手に力が込められ密着される姿はまるで、俺を慰めてくれているかのよう。
子供特有の高い体温を背に感じながら、飛礫の止んだ道を歩いていく。
心の澱が、晴れていくような感覚を味わいながら。
「──着いたな」
開拓村から歩くこと数分。
村から離れた開けた場所に、多くの天幕が見え、人の気配がする。
第三機竜小隊特設本部。
俺たち機竜小隊が出撃する先で立てられる天幕による仮の拠点をそう呼称する。第三機竜小隊の機竜が一所に集約する光景は、圧巻の一言に尽きるだろう。
そこに俺の機竜はいないのだけれど。
それならそこに着陸すればよかったという声が聞こえてきそうだが、メアの機竜だって連続稼働限界だったのだ。正直助けに来てくれるなんて思っていなかったから。
だから救援を諦めて自分で歩いて帰ろうと試みたのだ。恩着せがましい態度も冗談で取っているメアだが、今回の一件は本当に感謝している。今度なんか欲しいものでも探して渡そう。それくらいしか、俺が彼に感謝を示すには方法が無いからな。
「失礼しまーす」
特設本部の中でも最も大きな天幕の前に到着した頃、タイミングを見計らったかのようにメアが出てくる。
上官であるレオ殿下に大してこんな舐め腐った態度を取れるのは、帝国中を探し回ったとしてもメアだけだろう。それが許されるのも、メアだけだ。
ある意味、こいつはこいつでレオ殿下の特別とも言える。
俺から見ても、メアにはただの帝国貴族の三男坊というだけではない底知れない何かを感じずにはいられない。
噂では彼は、帝国軍の中でもトップクラスに優秀な人材しか選ばれない近衛騎士に選出されたとかなんとか。それを断って機竜小隊にいるんだとしたら、とんだ変わり者だ。
そんな変わり者は、数分前に見た顔と大きくかけ離れた状態の俺の顔を一目見て、嘲笑する。
「うわ、何その怪我。また黙って石投げられてきたの? マゾなの? いや、馬鹿だね。ウェイドは馬鹿だよ。いい加減、あの人達の意見を聞くの、止めた方がいいよ。命を短くするだけだから。適当に流す方法を見つけないと、そのうち本当に壊れちゃうよ」
「ご忠告どうも。だが、辞めるつもりはないな。これも神父様とシスターの教えなんだよ」
「神様の教え、ってやつ? ふーん。ま、僕は神様ってのは信じていないから分かんないや。僕からしてみれば、君みたいな大馬鹿者はかがり火に飛び込む羽虫みたいに見えるけどね。……それこそ、神様に押し付けられた呪いにしか思えないや」
言葉を吐き捨てるみたいにして言うメアは、やはり変わり者である。
帝国は一神教だ。帝国貴族ほど信仰は深く、教会への寄付金も多い。そしてそれはメアも例外ではないのだが、彼はどうやら神信者ではないらしい。
もしもここで俺が信心深い教徒であれば、その言葉は神への冒涜に値する、とかなんとか言って前言撤回を求めていたことだろうが、首から十字架を下げているからと言って別に俺は信心深いわけではない。神様を信じているわけではなかった。
俺が信じるのは、俺を育て上げてくれた神父様と、大好きなシスターフィオナの言葉だけだ。それが神の言葉だったとしても、俺が信じるのは親代わりのその二人だけ。彼らの背後に神様とやらを見ているわけではないのだ。
珍しく悪態を吐いたメアを横目に、俺は肩を竦めながらカタリナを下ろす。
流石に殿下の御前までは一緒に行けないからな。
「ふぅ……。まあ、でも丁度良いタイミングだったよ。カタリナちゃんは僕が見ておくから、さっさと殿下に報告してきなよ」
「勝手にバッカスのとこに連れて行ったりするなよ」
「研究塔の人間には一人じゃ絶対会いたくないからね、そこは安心してよ。一緒に待っていようね、カタリナちゃーん。はい、これ食べる?」
「……ん。あーん」
地に降り立ったカタリナは、俺の背を惜しむ様子もなければ、俺と離れることも惜しまずに、メアの手にしたお菓子に向かって一目散にかけていく始末。
……少しくらい、そう言った仕草を見せてくれてもいいじゃないか。
「……」
「おやおや、何か言いたげだね? 早速父親面かい? イタいねぇ~、君は」
カタリナの食い意地がそんじょそこらのものとは一線を隠すものだと思い出した俺は、今までのあれやこれやもあの時携帯食料を恵んでやった一宿一飯のお礼的なやつだったりするのだろうかと疑心暗鬼と言う名の崖の縁に立つ。
そこはかとないショックを受けて肩を落とす俺の背に、メアは「そうそう」と言葉を付け足した。
「──レオ殿下、めちゃくちゃ怒ってたから」
既に天幕の前に立ち、声を掛ける寸前だった俺の背に掛ける言葉ではないだろ、と言葉を返そうにも、俺の言葉はそれ以降紡がれることはなかった。
何せ、天幕の布地を裂くナイフの刃が、俺の首元に飛来したから──
補完と言う名の、言語解説。
【開拓村】
帝国の侵略行為によって敵国が破棄した、もしくは撤退した村や町を再び使えるようにし、前線への補給経路を生み出すための村。
そこに駆り出されるのは、借金苦によって身売りするしかなくなった者、もしくは犯罪者や、街にいられなくなった訳ありの者達。そこで一定の働きを認められれば帝国の一般市民としての市民権、国民証を与えられ、通常の生活に戻ることや開拓村での生活を約束してもらうことが可能になる。その逆の場合、働きが不足していると見なされれば、次の開拓村への派遣、もしくは鉱山での強制労働に移行する場合がある。