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四節 暗闇3



 ◇


「……なあ。一つ、聞いてもいいか? ワーグナーは──」

「石に、なったよ」


 地上への階段を上っていく道中、俺の呈した疑問にメアは被せるように答えた。


「……そうか」


 メアの答えが例え予見していたものだったとしても俺には堪えるもので、階段を上る足に重みが増す。けれどもその足は止まることなく進んでいき、遂に地上の光が見えてくる。


 前を行くメアという人物は、こんなときにフォローする目的で気を遣って声を掛けてくれるような男ではない。それだけ気を配れる男であれば、変わり者として貴族社会から煙たがられることはなかっただろうし。


 ……だから、顔だけを振り向かせて視線で訴える。


 メアは手に剣を。俺の手には、斜めに切断された鉄のパイプ。

 それぞれ凶器を手に持った理由は明白である。……人を、殺すためだ。

 メアが地上に続く扉を潜っていくのに合わせて、俺もその背に続いていく。


「……エディクレス卿。旧友とのお別れは出来ました、か──……ッ?! な、何故、その男を外に出しているのですか?!」

「──卿のご乱心だッ! 剣を取れ、バカや、ろう……ごふっ!」


 流石は宮中勤めの騎士だけある、と言うべきか、メアの不意打ちを見てからの反応で颯爽と庇いに動いた兵士の一人。そこにすかさず刺突に特化した鉄パイプを突き刺すと、兵士の見開かれた目と、目が合う。


 ……見慣れた帝国軍の鎧の隙間は、熟知している。


 途端、噴き出す鮮血。傾く身体。

 倒れ伏す障害物から逃れるべく、突き刺さったまま抜けない鉄パイプから手を放して後退し、メアと横に並ぶ。


 一方で、一人を犠牲に一命を取り留めた兵士は後ろに下がり油断なく剣を構える。

 残るはその一人を始末すれば俺たちは無事に脱獄成功……と、なるはずだった。


「……おい、メア。気のせいか? 一人だったはずが、五人増えているように見えるんだが」

「おっと。感動の再会に花を咲かせ過ぎたかな。でも、五人増えたところで誤差でしょ」

「……俺、素手だぞ」

「ウェイドならこの程度、死ぬ訳ないでしょ?」

「お前が一人で頑張ってくれれば済む話なんだけどな」

「こんなに可愛い僕を酷使させるつもりー? 酷い男だね、君は」

「はいはい」


 メアの戯言に適当な相槌を返すと、メアはそんな俺の態度に腹を立てつつも一歩踏み出していく。

 それを皮切りに、対面した兵士たちが続々と襲い来る。先陣を切るメアがいつになく集中した様子で切り結ぶのを見て、俺は一抹の不安を抱いた。


 ……この場において、メアは不利を強いられている。


 機竜小隊に選ばれたのだから当然、彼は機竜への適性が高い。しかし、帝国でも一握りの選ばれし機竜使いだからと言って、特別戦闘面に秀でているわけではない。騎士爵の嫡男であるワーグナーや、魔法士として将来を有望されるフュリーズのように、機竜小隊に選ばれるには極めて突出した実力を有していなければならない、というわけではない。それだと、俺も弾かれてもおかしくないから。機竜小隊は、あくまでも機竜への適性の高さ準拠であった。

 だからと言ってメアが特別弱いわけではない。むしろ、単独でも敵の首を取れるだけの実力を有している。問題なのは、有利不利の話で。


 そもそもメアは、俺と同じ囮や誘導役としての役割を期待されての遊撃部隊に所属しているため戦闘能力が必要ではないのは当然であり、どちらかと言うと、遊撃部隊のくせに機竜一機で主力部隊以上の戦果を叩き出した俺が異端だと言える。

 その点においては、メアは命令にも忠実で、命じられた作戦をいかに遂行するかを重視する隊員だった。敢えて言うのであれば、普通。俺のように軍規違反をしない、軍人の鑑とも呼べるような職務態度であった。

 そもそもの話。メアが弱いようでは、俺の決して短くは無い機竜小隊における活動の中で、メアに背中を預けられるわけが無かった。

 では、俺が一体メアのどこにそれだけの信頼を置いているのかというと……。

 メアの際たる特徴は、『負けない事』にあった。


 敵が好まない行動、嫌がるであろう行動を率先して取ることで自分の優位を決して譲らない。それがメアの戦闘スタイル。詳しいことは「ひ・み・つ」と言ってはぐらかされるため、詳細は不明。ただ一つ、メアは決して負けないのだ。それだけ分かっていれば、十分だった。

 そうして稼いだ時間で俺やワーグナーが駆け付け、敵を排除する。その結果、帝国に三つある機竜小隊の中で最も戦果の多い遊撃部隊としての戦法を確立したのであった。


 そんなメアの実力は、一対一でこそ真価を発揮する。

 もし仮に多対一を挑まれたとしても、城の警備兵もの熟達者であれば、三人を相手取るのが限界と言ったところだろう。だから今、メアは非常に不利な対面を強いられている、というわけで。


 ……だからと言って、メアが弱音を吐くわけでもなければ、俺も脱獄を諦めるわけではない。

 ここまで来た以上、俺も腹を括るべき。そういう事だろう。

 その点で言えば、メアは初めからこうなることも予見していたのだろう。覚悟の決まり方が違う。優柔不断な俺には真似できないことだ。


 そんなメアの実力を知る俺の元に早速、メアの意図したものか、それとも嫌がらせか、取りこぼした兵士の一人が、向かってくる──



 ◇



「……ふぅ」

「一息ついてる場合じゃないよー。ちんたらしてると、騒ぎを聞きつけた連中がやって来ちゃう」


 先を促す声に俺は「ああ」と短く返事した後、七人の兵士が伏した廊下から離脱すべく、メアの後を追う。


 ……戦っていた時間は、ごく短い時間だった。

 合計で、メアが三人。俺が四人を倒して、脱獄劇は幕を開けた。


 途中、俺たちの拘束が不可能だと断じた兵士が救援を呼びに動いたのを、メアは見逃さなかった。きっとあの兵士がこの場を離脱していれば今頃、俺たちは成す術なく数の暴力によって手も足も出なくなっていたことだろう。メアのファインプレーにお見事、と称賛の声を向ける間もなく、俺たちは先を急がねばならなかった。


「……おい、あれで本当にいいのか?」

「良いも何も、時間が無いんだからしょうがないでしょ。とにかく城から離脱する。それが今の僕たちに課せられた最優先事項。脱獄の証拠を消す時間は無いんだよ。仕込んであった逃亡ルートの偽装でも、どれだけ時間が稼げるか……」


 言いながら、逸る足で人目を避けるべくメアが向かう先は城の外……ではなく、宮中。外へと続く道から遠ざかるようにして城の内部へと進んでいく。

 人の目から逃れたいのに人の目がある方向に足を伸ばすのはいかがなものかと尋ねたところ、メアは「蝙蝠の巣に烏、だから」と答えるのだった。


 ──蝙蝠の巣に烏。

 これはマスカレードクロウという魔物が、見た目がそっくりなクロウバットと呼ばれる魔物の巣に寄生することから転じて、隠すなら似たものの中、という意味で使われる言葉。冒険者の間では、狩りをする際にクロウバットを目的で行ったはずが、マスカレードクロウの素材しか採れなかった、なんてことも珍しくないんだとか。


 しかし、メアは自分で言ってみたは良いが、実際にその魔物を目にした事が無いせいか、あまりしっくり来ていないようだった。


「……本音を言えば、兵士が着ているものを奪えたらより良かったんだけど」

「追いはぎするつもりだったのかよ」

「そんな小細工でも時間は稼げるのさ。むしろ……そうでもしなきゃここから逃げ出せないよ。帝城の守りは鉄壁。外からも、内からも、ね。それこそ……、フュリーズと会敵でもしたら、僕らは詰みだ」

「……追跡魔法」

「そう、つまり僕らは見つからないよう慎重に、かつ逃げ道を塞がれる前に迅速に逃げなくちゃいけない。そのためには、このルートを通る以外には有り得ない」


 どこで手に入れたのか、帝城の間取り図が書かれた地図を広げるメアは、ある一点を指差して答えを誘う。


「下水道か」

「ご明察。その感じじゃ、近衛の避難先も下水道にあるのかな?」

「そこまで知っていて、どうして近衛を暴かない?」

「知っているのは僕だけじゃない。レオ陛下も、研究塔の連中だって目星は付いてるよ。でも……如何せん下水道は入り組んでいる上に広すぎる。災害を経てただでさえ人員が不足しているのに、そこに人員を割ける余裕なんて今の帝国には無い。つまり、そこに逃げ込めば僕らも安泰ってわけさ。……もちろん、僕らも生きて出られるか分からないけどね」


 ロベリア陛下以前の時代から、帝都の下水道はブラックボックスであった。その状態で帝都は区画を拡げ続けていた。人が住む土地に治水工事は必須であり、ロベリア陛下が手を付けようにも、既に下水道は取り返しのつかない状態にまで拡張されていた。

 賢帝と名高い陛下をもってしても手が出せなかった、帝都の下水道。それを、たかがレオポルド如きの手腕では、全貌を露わにすることはまずもって不可能だろう。

 もしも下水道の捜索を強行したならば、下手な人数では大した成果も期待できない以上、より多くの帝国兵が動員されることだろう。そうなれば領内の治安維持や魔物からの安全確保に歪みが生じ、更なる暴動の種にしかならないのは火を見るより明らかだ。いかにレオポルドの周囲が太鼓持ちで囲われていたとしても、流石にそんな事態は許容できないに違いない。


 ……だが、その代わりの施策は打たれていて。


「なら早速行こう。案内してくれ」

「慎重に、って言ったばかりじゃないか。ここで問題が一つ」

「迅速に、とも言ったな。だが、問題というと?」

「臭い物に蓋をするかのように、帝城にある下水道への入り口の大半は塞がれている」

「それだと、逃げ場がないってことじゃないか」

「そう言うと思って、ちゃんと下調べはしてあるんだから、安心していいよ。むしろ褒め称えてよ。……下水道への道を塞いだとは言え、レオ陛下でも決して手を出せない下水道への出入り口がここにはあるのさ。それこそが……王族専用の、逃げ道」


 地図の上をメアの指が滑るように移動していき、別の場所を指差した。

 分かっていたなら最初からそう言えよ、という喉元まで出かかった言葉を飲み込むことが出来たのは、少しだけ心に余裕が出来たからか。


「僕について来れば基本的に問題は無いけど、はぐれる可能性もあるから目的の場所は覚えておいてほしい。下水道に負けず劣らず、帝城も随分と使い勝手の悪い道が多いからね」


 宮中勤めではない俺にとっては立ち入ることすら恐れ多い帝城である。城に立ち入るのはこれで二回目。経緯がどちらも軍規違反に逮捕時と言う不敬のダブルコンボを決めたと言う事実は実に情けないがゆえに、余計に肩身が狭く感じる。そんな俺にとってみれば、城内も下水道も大して変わらない。華美か、カビ塗れかの、違いだ。


 しかし、生まれながらにして宮廷貴族のエディクレス家出身であるメアにとってみればどうだろうか。城の内部は庭のようなものなのか、と問うてみれば「そんなわけないじゃん」と返ってくる。

 であれば、どうしてそんなにワクワクした横顔を見せるのか。

 珍しくメアの感情を読み取れはしたものの、メアが何を考えているかまでは読み取れなかった。


 それから暗号のような言葉で道順を説明され、そっくりそのまま頭に叩き込んだ俺を見届けると、メアの先導で城の中を進み出す。

 城の内部は最低限の巡回兵士を残すのみで、俺たちは比較的安全に目的地までの道を進んでいく。これはきっと、地下牢前でメアが仕込んだ仕掛けが利いているのだろう。メア曰く、なまじ優秀な宮中勤めには効果的だから、と言っていたが、士官学校時代から数えて五年も現場で職務に当たっていた俺からすると、騙される要素は無い共うのだが、果たして。


 メアの考えの通りまんまと引っ掛かっているとすれば、騒ぎが大きくなる前に下水道に降りられるかもしれない。

 そんな期待を胸に仕舞いこんで潜伏行動を取っていると突然、前を歩いていたメアが足を止めた。


「……最悪だ」

「どうした? また、兵士か?」


 角から向こう側を覗き込むメアが足を止めるのは、これで数えて五回目だ。宮勤めの侍女や執事であれば問題無いのだが、俺が脱獄した事を知らない兵士に見つかるのは絶対に避けるべき行動の一つであった。

 通りたい道の先に兵士がいる場合は、兵士の姿が見えなくなるまで待つのみ。今回もそうなるかと思っていたのだが、メアの顔色は今までとは違って……芳しくない。どころか、息を飲んで振り返ったメアの顔色は青褪めていた。

 そんなメアが意を決したように、声を殺して先にいた人物を口にする。


「鬼がいた……。ジャガーノートだ。君の……師匠がいる。これは非常に不味い」

「師匠が?」


 俺の師匠こと、士官学校の臨時教官。

 名を、ファリオン・エムズ・ジャガーノート。


 俺と同じ平民出身でありながら武功一つで貴族の位を勝ち取り、称号とも呼べるミドルネームまで与えられた、正しく超人。その上、ロベリア陛下とも親交の深いその男は、別名「人型アーティファクト」とも呼ばれる程に高い戦闘能力を有する、通称・戦術兵器的人間だ。

 師匠は陛下の申し出で士官学校の教官も担っており、無才の俺をここまで叩き上げてくれた恩師でもある。


 そんな師匠がいると聞いて、俺は思わず前のめりになって身を潜める角から顔を出そうとした瞬間、体が弾かれるかのようにメアに腕を引かれて、俺の体は角に引き戻される。

 余りにも粗雑な扱いに非難の声を上げようとしたところで、口元を手で覆われてしまったため、俺はもごご、と言葉にならない声を上げるに留まるのだった。


「──この期に及んで自殺する気かい?! バカなことをしないでくれ」

「ぶはっ! 殺す気か……!」

「最悪、その可能性も考慮したよ。ジャガーノートに僕も合わせて見つかるくらいなら、君を殺した方がマシだ。……どうして飛び出そうとしているのさ」

「どうして、って。師匠に手を貸してもらおうかと思って。師匠なら、訳を話せば助けてくれるから」

「はぁ……。引き留めて正解だったね」


 柱の陰で、メアがどうしてわからないかな、といった風に溜め息をつく。

 それは、俺の台詞だ。


 師匠とロベリア陛下は互いに親友とも呼べるほどに親交が深い。だから師匠はロベリア陛下を隠す近衛にも協力しているのだろう。だとすれば、俺も俺の事情を話せば師匠は匿ってくれるとまでは言わずとも、見逃してくれる可能性は大いに有り得る。ゆえに、メアが一貫の終わりとでも言わんばかりに焦るほど目の前の事態が深刻であるようには俺は思えなかった。


「師匠は、俺に言ってくれた。どんな時でも、味方で居てくれると」


 平民として、欠陥者と馬鹿にされる日々の中、士官学校で持たざる者である俺の面倒を見てくれたのは、師匠だけだった。

 他の教官は貴族ではない俺に媚びを売るのが馬鹿らしいのか、無理難題を吹っかけて退学に追いやろうとしてくるばかりだった。学び、という点であれば、あの行為が馬鹿げていると言うことを教えてもらったわけだが。

 そんな俺に同情したのかどうか知らないが、師匠は言ってくれた。


 ──俺はお前の苦しみを理解してやれる。今の生活は、辛いだろう。苦しいだろう。だが、今は耐えるときだ。これを乗り越えた先に必ず、お前の人生がある。……もし、乗り越えられず挫折しそうなときは、いつでも俺を頼りに来い。あんな連中にお前の可能性ある未来を潰されるなど、俺が気に食わん! いつでも来い。どんな時でも、俺はお前の……、馬鹿弟子の味方だからな。


 同情だとしても、嬉しかった。士官学校時代、あの言葉のお陰で、俺は一人じゃないということを認識できたし、死ぬほど辛い師匠の修行と言う名の授業を乗り越えることが出来た。

 その時の言葉を信じて再び立ち上がろうとした俺を、メアはやはり引き留める。


「……離してくれ」

「それを聞いて、増々行かせるわけにはいかなくなった。……君は、決戦兵器ことファリオン・エムズ・ジャガーノートの触れてはいけない三箇条を知ってるかい?」

「知ってるも何も、学生時代はそれを踏み抜かせないよう慎重に過ごしたからな。まず一つは、理不尽」


 筋の通っていないことは、例えロベリア陛下から頼まれたとしても、師匠は動かない生粋の頑固者。陛下はそれも込みで師匠に地位を与えたとかどうとか。


「二つに、舐め腐った貴族連中」


 平民出身だと侮って師匠のことを引き込もうとする連中を片っ端から完膚なきまでに扱いたというのは、あながち嘘では無い。


「そして最後に三つ目。師匠の、奥さんだ」


 師匠の幼馴染である、お嫁さん。奥さんもまた、平民出身。二人が結ばれるまでには様々なしがらみがあったのだそう。帝国でも数えるほどしかいない愛妻家として名高い師匠に愛されている奥さんは、師匠と同い年とは思えないほどの美貌とは裏腹に、師匠は奥さんに頭が上がらない。それくらい、師匠は奥さんを愛しているのだ。過去には、師匠に恐れ戦いた帝国貴族の一人が奥さんを人質に取ろうと動いた事件があった。それに対し、師匠は一人でその家を取り潰しまで追い込んだとの記録まで残っている程だ。そして奥さんもまた、師匠のことをとても深く愛しており、二人は最高のパートナーとして市民の間でも有名だった。


 メアに言われて述べたものの、師匠のいわゆる短気な性格が今の状況とどうかかわってくるのか。ここまで言われても、俺にはまだパッと思い付くことはない。


「……まだ分からないの? 答えを言っているようなものだけど。人型決戦兵器がこの城の内部にいる時点で気付いてもよさそうなものだけど、敢えて黙っていた僕も悪いとは思うよ」


 メアが何を言っているのか、俺にはさっぱり分からない。

 事実が点と点で置かれているだけで、それらが結びつく要素が無いからだ。


「……ジャガーノート伯はロベリア前皇帝を庇いたてる近衛を支援している。それだけでレオポルド陛下と衝突する謂れはある。それなのに、どうしてか彼は陛下の城の内部にいる。これは、どういう了見だい?」

「……師匠が、近衛騎士を、売った? そんな、まさか……!」

「そう、そのまさかだよ。彼は、近衛に味方する振りをしている。つまり、君のお師匠様は……君の味方じゃない、ってことさ」


 メアの言葉で、徐々に点と点が線になっていく。

 ロベリア陛下を抹殺することがレオポルドの本懐であるならば、それを守護する元近衛らの支援をする師匠を、住まいである城に立ち入らせるわけが無い。

 しかし、実際にこの角を曲がった先に師匠の姿が確認できる以上、師匠はレオポルドと敵対しているとは断言できなくなってしまう。傲慢さが服を着て歩いているようなレオポルドが自分より上の立場のように振舞う師匠を許すはずがないし、帝国貴族を煮詰めて嫌な所だけを抽出したようなレオポルドの下で働くなど師匠からもお断りだろう。


 お互いに交差することのない関係。

 敵対しないだけマシだと言える間柄の二人が、ぶつからずにいると言う時点で、両者の間に何らかの交渉が交わされたと考えるのが道理。

 親友を危機にさらされて黙っていられるほど、師匠は血も涙もない男ではない。

 となると、別の要因が絡んでくる。

 様々な可能性を排除した先で残っているものなんて、時勢柄、思い当たるモノは一つしかないだろう。



 ──紫晶災害だ。



 師匠が俺の味方ではないと断言した裏には、紫晶災害が絡んでいるに違いない。

 だとすれば、その被害にあったのは──


「うっ、おぇ……!」

「おいおい、ここで吐いて気付かれるくらいなら、僕はここで君を切り捨てるぞ? 幸運にも、まだ僕は誰にも見つかっていないからね」

「ご、ごめん……。もう……大丈夫だ」

「……大丈夫そうには、見えないけどね。落ち着いたならいいや。知らなかったとは言え、知ってて言わなかった僕も悪いしね」


 いや、メアが悪いわけではない。

 この段階に至ってもまだ俺は、俺の身の回りの人は大丈夫だと錯覚している。

 家族が、ワーグナーが石に変えられていることも忘れて。


 近衛にも災害による被害者が出ているという話を聞いて──否、それは言い訳だ。

 本当なら、もっと早い段階で気付くべきだった。

 近しい彼らにも、被害が及んでいるということを。


「……師匠の奥さん、ライラさんも、石になったのか?」

「ああ。鬼の守り人と名高いライラ女史。彼女も、石になったらしい。元に戻せと城に乗り込んで来たジャガーノート伯には誰も太刀打ちできなかったみたいだよ。結局、石になったロベリア陛下を見て引き下がったらしいけどね」

「くっ……」

「悔やむことも打ちひしがれることも、後でにしてくれたまえ? ……大方、ジャガーノート伯がレオポルド陛下と結んだ契約は、紫晶災害の原因を見つけること、だろうね。最も恩恵を受けていると言っても過言ではないレオポルド陛下が、勇み足で災害の解決に動くなんてまず考えられない。……そんなところに、君が現れたわけだ」

「紫晶災害を起こしたのが俺だと聞いて、師匠は何をするつもりなんだ……」

「それは、彼のことを良く知る君が一番分かってるはずだ。……まあ僕も、所詮は君の吐いた嘘なんて市井の子供くらいしか騙されないと思っていたけど、まさかそれを信じる人がいるなんて思いもしなかったよ。それも、とびきり手の付けられない奴が信じるなんてね」


 湧き上がる罪悪感が、胸に、頭に鈍痛をもたらす。

 最悪の気分だ……なんて言えるほど俺は余裕のある立場ではない。最悪なのは、愛する妻を物言わぬ石に変えられた師匠の方だから。


「……師匠は、味方じゃない、ということか」

「やっと分かってくれたかい? ……彼は、君をどうにかするつもりだよ」


 重々しく開かれた口が、認めがたい真実を口にする。

 ただそれだけで、背負う罪の重みが倍増したような気がする。


 ……だけど、まだ折れていない。


 折れちゃいけないと分かっていても、折れてしまいそうだ。


「……師匠、ごめん」


 俺に出来るのは、形の伴わない謝罪だけ。

 それでも、俺に出来ることがあるなら、それをやり抜くのみ。その答えを知っているであろうメアを信じて、前を向くしかない。


 ……まだ、俺の味方だと言ってくれる人はいる。

 信じられる人がいるから、まだ大丈夫だ。まだ、折れなくて済む。


「けど、ここからどうしようか。正直言って、最悪の次に不味い事態なのには変わらないからね」


 いつも張り付けている軽薄そうな笑みはすっかり鳴りを潜め、メアの顔に汗が滲んでいる。それだけ切迫した事態なのは理解できている。


「別のルートに移行するなら遠回り、か?」

「ちゃんと覚えていて偉いけど、ここまで近付いた以上、別のルートに移るには時間が掛かり過ぎる。もう仕掛けがバレていてもおかしくない頃だろうしね」

「……ということは、過ぎ去るのを待つしかない、ということか」

「そうなる、けど──……、うん? 待って。……誰か来た」

「誰か、って誰……、だ──」


 角から師匠を監視していたメアが更に息を殺したのを確認してから、二人して角から覗き込む。


 ……視線の先。目測で言えば三十メートル離れているが、これ以上近付けばもれなく師匠に勘付かれる。そのため、これ以上は近寄れない。だから目と耳を凝らす必要がある。


 実際に師匠を相手にした実践式訓練では、師匠の周囲十メートル圏内に入った時点で気配を察知されるという、俺の感応魔法も涙目の感知能力を師匠は有している。そんな化け物だから、細心の注意はするのが当たり前。


 限界まで気配を殺し、息も殺して覗き込んだ先で見たのは、ほんの僅かな隙すら見当たらない壮健な師匠の姿と、それに駆け寄ってくる、若い女性の後ろ姿。


 しかし、俺の目に捉えたその後ろ姿と、揺れる蒼空のような髪は見慣れたはずで。



「……リリス、か?」



「言われてみれば、そうかもね。ジャガーノート伯が呼んだのか、それとも彼女が呼んだのかで意味が変わってきそうだけど」


 ほぼ無意識に零れた人名を聞いて、メアは冷静に状況の判断を下す。そんなメアに反して俺は目を疑わざるを得ないが、生憎と一ヶ月以上もの時間を共に過ごした女性の後ろ姿を、見間違えるはずはなかった。

 どれだけ否定しようとも、後ろ姿が、横顔が、全て「是」であると答えを示している。


 頭を過る無数の可能性を否定し、肯定するために意識を限界まで集中させて、会話を盗み聞くべく耳をそばだてるのだが間もなくして、盗み聞いたことを後悔することになる。


「遅くなって申し訳ございません、先生」

「俺はもう、お前たちの教官ではないと言っているだろう」

「先生はいつまでも私たちの先生ですよ。それで……私を呼び出した理由を、お尋ねしてもよろしいですか?」

「……貴族のような言い回しはやめろ。俺は、気が長くないと知っているだろう」

「……()()()、ですよね。ですが、私は──」

「──リリス、お前の意思など関係無い。あるのはただ、結果のみ。今、こうして奴が……あまつさえ我が妻を愚弄するような真似をして捕まったのが全ての答えだ。──主命に則り、よくぞウェイドを連れ戻してくれた」

「……っ、私は──!」

「これで奴を、この拳で思う存分葬り去れる。よくやった──リリス」


 耳を疑うのは、これで何度目か。


 師匠は今、なんて言った?


 主命と、言ったのか?


 リリスは、主命を受けて、俺を連れ戻した、と言ったのか?


「……不味いな。ここは離れるべきだ。君と同じだ。僕も、もっと早く気付くべきだった」

「……」


 力が、抜ける。


 否。手足に、力が、入らない。


 地面に這いつくばって、胸を掻き毟る。

 体が熱い。嫌な汗が噴き出す。頭が割れるように、痛い。……反吐が出そうだ。

 目の前が真っ暗になったような感覚に包まれた俺は、メアに腕を引かれて持ち上げられる。


「私は、命令されてなどっ──」

「お前に聞きたいのは、一つだけだ。それ以外は喋るな。口を開くな。囀るな。……奴が、紫晶災害を起こした張本人だというのは、真実で間違いないか」

「……っ、それ、は……!」

「その反応だけで、十分だ。その事実が間違いではないことが分かれば、俺の覚悟は揺るがぬ」

「覚、悟……?」

「──帝国の主にして我が親友ロベリアを石に変え、我が最愛の妻、ライラをも石に変えた国賊に天の誅伐の代行を成す。明朝、奴の処刑が行われる。その執行官に、俺が選出された。恩を仇で返した馬鹿な弟子に、引導を渡すためにな」


 口の中に鉄錆が広がる。


 地面に血が撒き散らされたのだ。


 その血の色はまるで、俺の罪深さを象徴したかのように黒く、沸騰しているかのように熱かった。


「ぁがっ……うっ……!」

「……そんな目をしたって、悪いけど置いていけないよ。そんな顔で夢に出て来られたら、困るから」

「……自分で、歩ける」

「そうかい。なら、前の角まで走って。僕は痕跡を消してすぐに追いつくから」


 掠れた声に力は無く、けれどもメアはその言葉を信じて指を差す。


 刹那。城の内部に、怒号が響き渡った。



「──誰だッ!」



 気付かれた。


 この声を聞いて、多くの兵士が集まることだろう。

 否、それよりも早く、師匠の手によって殺される。

 罪悪感も、悲愴感も何もかもをかなぐり捨てて、俺は走った。今はただ、謝罪よりも前に、メアの足を引っ張りたくないという思いだけを抱えて。


「──っ!!」


 先に動いた俺は急いで死角に転がり込んだは良いが、痕跡を消し去る魔法具を駆使するメアがまだ通路に残っている。ライラさんが絡んだ師匠のあの様子では、メアと言えども出会い頭に叩き切られてもおかしくない。


 ……また、俺のせいで人が死ぬ。


 それでも、死角に姿を隠した俺が飛び出そうものなら、確実に師匠は目につくもの全てを切り裂く。ゆえに俺は姿を隠すしか選択肢は無く、例えメアが殺されるとしても、俺は彼を見殺しにしなければならない。

 それが最善だから。

 だが、叶うのであれば、見逃して欲しい。

 ただそれだけを祈り、メアを待つ。


 しかし、メアの作業は、まだ終わらない。


 足音が、近付き、薄れていく。代わりに、抜剣する音が張り詰めた空気を伝って骨身に染みる。


 そこでようやく作業を終えたメアが音を殺して動き出すも、時すでに遅く。

 岩のような手指が、角に掛かった。



 ──間に、合わない。



 敵を視認した瞬間、師匠の剣は届く。


 俺の目に、メアの背中が切り裂かれる瞬間が映る──、その時だった。




「──ファリオン様! 第一級犯罪者のウェイドが、逃亡しました!」




「なんだと?!」


 聞こえてきた兵士の声と同時に、角を曲がり、眼前に迫ったメアを、俺は音を立てずに受け止めた。



「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……! 死んだかと、思ったよ……!」



 人はこんなにも早く鼓動を動かせるのかと思えるほどに早い鼓動。


 滝のように噴き出す汗を垂れ流しながら浅い呼吸を繰り返すメアに、俺は声を掛けられなかった。ただ両手で受け止めただけで、安堵ともに襲い来る底無しの罪悪感に心が押し潰されてしまうばかりで、何も、言えなかった。


 だが、しかし。まだ、気は抜けない。


「……ここを確認した後、俺もすぐに向かう。決して逃がすなよ」

「ハッ!」


 金属の音を鳴り響かせて遠ざかるのは兵士一人の足音のみ。

 師匠の足音は距離を詰め、俺達のいた廊下を進んで、角を曲がる。


 ……俺たちが息を殺し、身を潜める角に、差し掛かる。



「………………気の、せいか。……ライラ、待っていろ。必ずお前の仇を討つ。例え、魂を売ったとしても、必ずだ」



 遠ざかる足音。高鳴る心音。殺す息。


 遠くから甲高い声が聞こえてくるが、それもやがて遠のいていく。


「……」

「──」


 場所は、柱の影。人一人挟まるのがやっとな隙間で、俺とメアは二人を一人にすべく互いにくっつき合って視線を交わす。

 ……行った、行ってない、と無音で交わされる会話はやがて音を得て隙間から抜け出すと、二人揃って、深い溜め息を吐き出した。


「はぁ~~~~~っ……! マジで死ぬかと思った! 覗き込まれてたら死んでたよ! 今の!」

「……本当に、ごめん。見つかったのは、俺のせいだ」

「本当だよ。……まあでも、見つからずに済んだから許してあげる。むしろ、あそこで飛び出して来なかったのは正解だったよ。偉いね、よく我慢できた」


 アハハ、と笑うメアを他所に、俺は一人沈み切って再度謝罪を口にしようとすると、メアに頭を掴まれて正面から見つめられる。


 メアの黄金の瞳に反射して、先の光景を思い出した自分の情けない顔が映り込む。


「……」

「正直、謝られても困るんだよね……。僕が言えるのは、一つだけ。考えるのは後にしろ。今はとにかく、城から抜けることだけを考えるんだ。分かったね」

「あ、ああ……分かった。行こう」


 力を込めた手足は、未だ震えが止まない。けれど、動けない訳じゃない。


 城内の騒ぎがより大きくなってきたのを感じながら、俺は先導するメアに続いて、目的の王族の抜け道を目指すのだった。









補完と言う名の、言語解説。


【魔法具】


敵に脅威を与え、生活を豊かにし、帝国を繫栄させる多種多様な道具の総称。

それは武器であり、それは日用品であり、それは機関を搭載した魔法具でもある。

そのルーツは様々で、アーティファクトを解析しそれを基に作り上げたものもあれば、歴史の研鑽の上で作られた時代の先端であったり、魔法士や研究員、果ては一般市民がアイデアを生んだ驚きの性能を秘めたものだったりと、多岐に渡る。

魔法具は、最新技術と呼ぶに相応しい代物が多く存在しているが、それらは往々にして悪事に活用される。

今回メアが使った痕跡隠しの魔法具。本来の用途は、こびり付いた汚れを落とすだけの魔法具。それを改造したものが今回使用された。

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