三節 残酷4
「私たち近衛の心臓。魂の根幹……ロベリア陛下の、御前だよ」
遅れて近衛たちも部屋に飛び込んでくるが、ハリス様はそちらに目を向けることなく、部屋に明かりを灯した。
途端、暗闇の中に浮かび上がるのは、光を反射させて紫輝を放つ、紫水晶の彫刻。
「……陛下」
数えるほどしかその姿を目に収めたことはないけれども、存在そのものが文化財のような陛下の印象は強く、鮮烈に覚えている。
その記憶通りの姿。目の奥に焼き付いたままの状態。紫水晶と化しても尚、圧倒的な存在感を放つ御姿で、陛下は空間に座していた。
話には聞いていたが、実際に目にするのとでは与えられる印象がまるで異なる。
一国の王。帝国の竜骨とも呼べるその人を、俺は亡き者にした。
帝国が今沈没の未来へと舵を切り出したのも全て、俺の所為。
その事実をようやく受け入れた今、頭の奥に楔を打ち込まれたような衝撃に襲われ、俺は堪らず部屋を逃げるように飛び出して行く。
「ぅぷっ……!」
出入り口にいた近衛を押し退けて部屋を出た後、俺は暗闇に包まれる廊下の隅で、盛大に胃の内容物を撒き散らした。
「は、吐きやがった、こいつ……!」
「不敬極まれり、だな」
「リザ、殺気、漏らし過ぎ。まだ陛下の御前だぞ」
「迷子のフルベルトは黙ってろ! ハリス様! やはりこの男は、今、ここで処断すべきです!」
近衛騎士に見られながらハリス様に介助されながら嘔吐を繰り返す俺の胸には更なる惨めさが積み上がる。それがより一層、吐き気を催させるもので。
「……何が君をそんなに苦しめているのか、私には分からない。私の未来予知は、誰かの力になることもできない不器用なものだ。だが、これだけは言える。私が予知した未来は、必ず起こる。君は間違いなく、陛下を救う。この国を救う、英雄になれる」
……ハリス様の言葉は、俺の欲しいものではない。
俺は、英雄になどなりたくなんてない。
どうしてそれを分かってくれないんだと喚いたところで、俺のそれは駄々でしかない。
だって、いかにハリス様に未来予知の魔法があろうとも、俺が紫晶災害を起こした張本人だなんて知る由もないのだ。知らなくて当然。知られていなくてホッと胸を撫で下ろした俺は、とんだクズ野郎だ。
近衛騎士は、俺がその重荷で挫けたと思っているのだろう。それがお門違いだとも知らずに。
「……」
はらり、と右目を覆っていた包帯が落ちる。
ランタンの灯りに照らされて、俺の紫晶化が進む目元を目の当たりにしても、ハリス様はその言葉の通り、何の反応も示さない。しかし、周りの近衛騎士は別で。
「呪い人……! その男も、被害者だって言うの……?!」
「だから道中、あんな反応をしたのだな。納得だ」
口からは涎を、目からは涙を垂れ流す。
虚ろな意識の中、ハリス様の耳障りの好い声音に吸い寄せられるように、俺は耳を傾ける。
「あの日、最後にした約束を覚えているかい? 次に再会したとき、私は君の、君は私の願いを。お互いの願いを叶える、と言う約束さ。私が無理難題をお願いしていると言うのは重々承知しているつもりだ。だからウェイド君、君の願いを聞かせておくれ。何でも叶えよう。私にできることであれば、なんでも。だから……、君の願いを、私に聞かせてくれないか?」
「──ッ」
耳に馴染む──いや、耳にこびり付いて離れない言の葉が聞こえ、俺の朧気な意識は、視界に二つの人影を見る。
一つは、俺を気遣うハリス様。それが俺の機嫌を窺うものなのか、それともハリス様の人間性なのか、短い付き合いでは判別不可能だ。
もう一つの人影は、感情と言う感情を宿さない紫水晶の眼球でこちらを見上げる、幼子。全ての罪過を俺に背負わせた悪魔の如き神獣、カタリナ。
重なることの無いシルエット。その二つが重なって見え、頭の中を虫が這いずり回るような気色の悪さを感じて、俺は口から悲鳴を上げた。
「う、うわあああああぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁああッッッ?!」
「うぇ、ウェイド君ッ?!」
伸びてきた手を、叩き落とす。
「また……また、俺から全てを奪うのか?! あれだけ奪ったというのに……、まだっ!」
「ウェイド君、落ち着いてくれ! 君は、何を言って……いや、君の目には、一体何が見えているんだ……?」
「あっ、ああァ……うああっ……!」
頭が割れんばかりの激痛が、目が裂けているのではないかと錯覚してしまえる程の疼痛が、胸が張り裂けて何かが這い出ようとしているような苦痛を感じ、俺は目の前にいるカタリナから逃がれようと後退る。
「来るなっ! 近寄るな──」
追い縋るハリス様を拒絶した、刹那。
甲高い音と共に走る、頬への衝撃。視界が一瞬、ブラックアウトしたことにより、俺の目からカタリナの幻も消えてなくなる。
それが知覚出来ない速度で平手打ちを食らったのだと気付いたのは、口の中に鉄の味が広がり、頬に走る痛みに意識を集中したときだった。
「ぁ……?」
白黒明滅する視界が捉えたのは、呆気に取られたハリス様と、手を振り切った状態の無表情のフルベルトの姿。
「……狂うのはいいが、他人に迷惑はかけるな。ハリス様はお優しいからそう言ってくださっているだけで、これはお願いではない、命令だ。勘違いするな。この災害は、貴様がなんとかする──それが決定事項なのだ。分かったのならいつまでも赤子のように喚くんじゃない。帝国男子だろう。歯を食い縛れ」
頭上から見下すフルベルトは、そう言って二発目の平手を容赦なく放つ。
今度は、確かに迫る手のひらをその目で収めつつ、俺は盛大に地面に転がされた。
「……痛い」
「冷静になったか? 貴様の口はなんのためにある? ただ喚くためだけのものか? そんなこと、赤子はもちろんのこと、犬猫でも出来ることだ。人間ならば人間らしく理性的に、理知的に問題を解決してみせろ」
頭がぐわんと揺れている。頭を起こすのも億劫に思えるくらい、気分は最悪。
それでも、俺は立たねばならない。
何故だか分からないが、そう思って仕方がないのだ。
口に溜まった血を吐いて、おもむろに立ち上がる。
それを見てフルベルトだけが「良し」と頷くが、残る近衛たちは怪訝な眼差しを向けてくる。
……思考が纏まらない。
だが、何か言わなければ──
「……俺が、紫晶災害を、起こした」
そう思って口にしたのは、最悪の事実だった。
「は……?」
「俺が、世界全てが無くなればいいと願った、から……紫晶災害が起きた。……俺は、その罰を受けるために……帝都に、戻って来た」
「──ッ、お前!」
……俺は今、何を口走った?
それを理解する間もなく女騎士が動いたのが見えて、俺は思わず目を瞑る。
しかし、彼女の剣閃は再度、ハリス様によって防がれる。
「ハリス様! こいつは今、自供したではないですか! 殺しておくべきです! 陛下を石に変えたのは、こいつです! 我々だけでなく、多くの人々の家族や友人、恋人が石にされているんです! 放っておけば、二度目の紫晶災害が起こるかもしれないんですよ?! この男は、不幸の温床です! ここで始末するのが得策、だから……だから、そこを──」
「……正直、私も驚いています。……けれど、けれども! それでも彼は……ウェイド君は、私たちの希望なのです。……それと、話は最後まで聞くように。彼の言い分ではどうやら、協力者がいたようなので」
「っ、そんなの、戯言でしょう! 私たちは修道女ではありません。懺悔を聞く必要なんてありません! 騙されないで下さいハリス様! それに……陛下だけじゃありません! 私も、ジルヴァもダンテもフルベルトも……それこそ、ハリス様だって、紫晶災害によって家族を石に変えられているではありませんか! なのに、どうしてこの男を庇い立てるのですか!」
「……何度でも言います。彼が、唯一の希望だからです。彼が紫晶災害を起こした、と言う話に加え、協力者がいるという話……。フルベルト、あなたはこれを知っていたのですか?」
「いえ、初めて聞きました。まさかこんな爆弾を抱えているとは思ってもみませんでした」
「お前……下手したらその爆弾、爆発してたかもしれねえんだぞ? お前の家じゃ、赤子も殴るのか?」
「少なくとも俺は、物心ついた頃からそうやって育てられたぞ」
「お、おお……そうか。あんまり触れない方がいいな、これ」
焦点が定まらない。思考が右に左に揺れ動いて、周りの音が音として認識できない。目に映るのは、鋼鉄の鈍い輝きだけ。
「ウェイド君……私を見て。私の目を、見てくれ」
「……」
頭を両側から抑えられ、双眸にハリス様の顔が覗き込む。
ハリス様の琥珀が如き透き通った瞳に、酷い顔をした男の顔が反射して映り込んでいる。それが自分だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「目を……逸らさないで。今ここには、私と君しかいない。安心して。だから教えて欲しい。君は一体……あの夜に何を見たのか──……いや、違うな。何があったのか、教えてくれるかい?」
「お、俺は──」
少しずつ明瞭となっていく意識。落ち着きを取り戻していく心拍。
……俺は、ゆっくりとあの日の夜に起こった一幕を語っていく。その先に待つのが死か、それとも侮蔑か。何が待っていようとも構わないという気概で、俺はカタリナに翻弄された一夜の出来事を語った。
「神獣……。まさか、そんなことが……」
「──ッ、そんなの、子供の癇癪じゃない……! そんなことで、私の家族は……陛下は石にされたって言うの……?! 冗談じゃないッ!」
「ジルヴァ」
「──ハッ。リザ、こっちに来い。頭を冷やすのが先だ」
「離してッ──」
「どっちが子供なんだか」
「まったくだ」
「……フルベルト、お前も似たようなもんだからな?」
「まっこと心外なり」
話し終えた途端、視界が開けたかのようにハリス様以外の面々が目に入る。
それと同時に彼らのことを思い出して、息を飲んだ。殺されるのではないかと。
事ここに至ってもまだ死ぬ勇気が得られない俺は、漂う殺意がいつ形を伴って襲い来るか気が気でなかった。
それでも、俺の話を聞いて殺意を抱いたのは女騎士一人だけで、その女騎士も別の近衛の男に連れ出されて行った。
残されたフルベルトとは異なる意味で覇気の無い近衛騎士の男は、俺の腐り落ちた脳味噌では何を考えているのかも分からない。
「ウェイド君……。君は、今までずっと……辛かっただろう、苦しかっただろう?」
「……慰めないでください。俺が欲しいのは、罪に対する罰だけ、です」
ハリス様が伸ばしてくれる手を断って、俺は右斜め下を向く。
ハリス様が向けてくる慈愛が、とにかく居心地の悪いものだったから。
女騎士が向けてくるような明確な憎悪であった方が、まだ良かった。
俺の仕出かしたことを打ち明けてもまだその感情を向けられるのは、マックスに続いて二度目である。
だけれども、それについて踏み込むことはできない。
それはきっと、今は分からなくとも、踏み越えてはならない一線だということだけは分かるから。
奥の歯が砕けんばかりに感情の多寡を噛み潰し、目を逸らす。
下水道でゴミのように転がっていた数多の呪い人の死骸を目の当たりにした時のように。石に変えられた陛下の姿を目の当たりにした時のように。
目を逸らしようもない現実こそが、俺の欲している罰なのにもかかわらず。
それなのに俺の心は、どうしようもないほどに弱い。触れれば壊れるほどに弱くて、脆い。だから、すぐに誰かの手を取ろうとする。そんな資格など無い癖に。
その自覚があるからこそ慰めを否定し、罰を欲しているように見せかける。そうでもしないと、俺はリリスの与えてくれる甘い毒に溺れてしまいそうになるから。
……平穏や幸せなど、俺とは縁遠いものでなければならない。
そんな心の誓いも、罰を受ける覚悟も、何もかも。いくら心を強く持とうとしたところで罪に対する罰の重みの前では何の意味もなさずに、簡単に砕け散る。
心も、信念も、覚悟も。何もかも、全てが、弱い──
だから俺は、罰を求める。
苦しむことこそが、俺に与えられた罰だと信じて。
だからそれを取り上げようとする人々を、遠ざける。リリスのように、ハリス様のように……。
「……そんなの、辛いだけじゃないか。苦しいだけじゃないか。それじゃあ、君が救われる日は、いつ来るんだい……?」
「そんな日は、来ませんよ。もしも……もしもハリス様の言う通り、俺が石にされた人々を救えたとしても、今度は彼らの失った時間を取り戻すための罰を受けます。その果てに待つのはきっと……、何もない」
「…………そんなことは、私が認めない。罪には罰をとは言うが、罰には許しがあって然るべきだ」
「俺は、そうは思いません。罰に、終わりは無い」
……終わりなんて希望は、相応しくない。だから、無い方がいい。
だと、言うのに──
「私が、そう思っているんだ。そこにウェイド君の意思は関係ない。あわよくば君の考えが変わることを祈っているが、これは私の戒めとして記憶することにするさ。だからウェイド君。勝手ながら、君に誓うよ。私は近衛として陛下に魂を捧げたが、ただのハリスとして君に誓う。……君の唯一無二の親友として、君を救うことを。……私は、ウェイド君の願いを捻じ曲げ、自らの願いを叶えた愚かな神獣【悪魔】とは違う。君が救いを求めるとき、私は必ず君の力になると、ここに誓おう。私は──君の味方だ」
「──っ」
……どうして。
どうしてリリスも、ハリス様も、俺に希望を見せてくれるのか。
彼の言葉に、目を、見開く。
力強い眼差しが、ハリス様の魂のこもった言の葉が嘘偽りないことを証明している。
ハリス様の誓いは素直に嬉しく思えるが、俺は歓喜に沸く身体を必死で押さえつけなければならなかった。
……喜んではならない。楽になってはならない。希望に身を委ねてはならない。
それが、俺の誓いでもあったから。
だがしかし。
渇いた土壌に恵みの雨が染み込むことを止めることが出来ないかの如く湧き上がる喜びは留まることを知らず、俺は堰を切って流れ出る涙を隠すように俯くことしか出来ない。
だって、どうしようもなく、
──彼の言葉は、嬉しいものだったから。
厳重に鍵をかけて閉じていたはずの心の扉は、いつの間にかひび割れていて。
それを最後に叩き壊してくれた言葉に、俺は喜びで胸を膨らませる。
この瞬間、俺は嬉しくても涙が溢れてくることを思い出す。
とめどなく流れ出る涙で、希望を霞ませることしか出来なかった。
「……っ、あ、ありが、とう……。ありがとう……っ」
嗚咽交じりに吐いた声は自分でも聞き取りづらいもので、涙を飲み込むようにして平静を取り戻すことに務めるのであった。
◇
「──それで、これからのことですが……。どう致しますか? ハリス様」
「正直、これまでの計画は結果を重視し過ぎて、過程を無視してきたように思えます。これではあまりにも……ウェイド君の負担が大きすぎる」
「それでもやるしかないのだから強いるべきです。この男に選択の余地など与える必要などないように思えますが。大罪人ですし」
「リザ、言葉を慎みなさい。石にされた人を……ひいては陛下を元に戻すためにはウェイド君に頼る他ありません。それはあなたも求めていることでしょう」
「……しかし」
「ハリス様、リザの心情も汲んでやってください。こいつは家族を石に変えられ、愛した男は呪い人にされて失ったんです。それを悪魔に踊らされたとはいえ、仇を目の前にして落ち着けってのも酷な話です」
「承知しています。それでも、私たちがウェイド君に賭ける他ないことには変わりありません。我々には彼の協力を仰ぐ他ないのですから」
所変わって、俺たちは元の部屋に戻って話し合いを再開させる。
その頃にはリザ、と呼ばれる女騎士も戻ってきていたのだが、俺に対して友好的なハリス様と敵対するような物言いの女騎士は、対立……とまではいかないまでも険悪な空気を醸し出してぶつかり合う。
結果、話の方向性は平行線のまま、なかなか進まないでいた。
「……俺は、何をすれば──」
「黙れ! お前に発言権は与えられていない!」
「リーゼンベルク! これ以上は私も見逃せませんよ」
「っ、ハリス様は何故、こんな男に対して諂うのですか?! 所詮は可能性の一つにしか過ぎないというのに! 私には、この男が再び紫晶災害を起こす可能性の方が高いと考えられます。よってこの男は処断するべきだと、再度進言致します!」
「言葉が過ぎると言っているのです! そもそも、あなたの意見には私情が過分に含まれていて、選考の一助にもなり得ません」
「私情ではなく、事実です! それが分からないあなたでは無いはずです! その男が自供した話を元に……そもそも、私情と言うならハリス様の方が──」
加速していく睨み合い。
女騎士の言っていることも、分からないでもない。
紫晶災害を起こしたのは紛れもなくカタリナではあるが、あの時、シスターフィオナとシグ、それからアキを石に変えたのは、俺だ。
記憶は曖昧だが、カタリナから授けられた力が、俺の願望を歪めて実現させたのだ。
だが、その力はその一度きりで、その代償として俺の右目は呪い人のように半紫晶化している。ゆえに女騎士の言っていることは否定できるのだが、それを言ったところで俺の言葉を信じてくれるはずもない。かといって口を挟めば、俺に味方しようとするハリス様とで言い合いは加熱の一途を辿るとしか思えない。
だから俺は、俺の所為で悪化した空気の中で耐え忍ぶしかなかった。
「……いい加減にしろ、リーゼンベルク。一旦冷静にならんか。ハリス様もです、言い合いしている暇は、ないのでは?」
そんな折、二人を止めに動いたのはジルヴァと呼ばれた近衛の中でも最高齢の男性。凛とした声音は空気を裂き、新たな風を誘い込むかのように二人の熱を冷ましていく。
「リザ、私たちはハリス様の予知を元に、この男が狂気を纏っているか否かを確認した。その結果次第で受け入れるか否かという話で、私たちは認める他無かったはずだ。それをお前は、いつまで囀っているつもりだ? 近衛としての自覚は叩き込んだはずだ。先ほども忠告したぞ? ハリス様の最終決定に逆らうのであれば切り捨てると。そのつもりで、良いのだな?」
「……っ、ジルヴァも、その男の味方をするつもりですか」
「質問に質問で答えるというのは、俺の問いを肯定すると言っているようなものだと判断するぞ」
「…………裏切りも、の──ッ?!」
瞬間、女騎士の顔面真横に、剣が立つ。
彼女の烈火のように赤い毛髪が、束になって地面に落ちる。
「今だけはその言葉、聞かなかったことにしてやる。だが、次はその額を貫くぞ。もう一度だけ問う。……リザ、お前はハリス様の最終決定に逆らうのだな?」
「……………………いえ。出過ぎた、真似でした。仰せの通りに──」
剣を振るったジルヴァに対して、女騎士は額に玉のような汗を大量に浮かべてその場に跪く。彼女の青褪めた顔は、死を垣間見たからか、それとも自分の行いを顧みた結果か否か。
「……ジルヴァの旦那ぁ、少しやり過ぎなんじゃないか? リザの言うことも一理あるわけだし──」
「ダンデ、お前もだ。余計な口を挟みおって。ハリス様の決定を無視するつもりか? ……それから、我らは一蓮托生だ。陛下の御身の在処を知った以上、我らの別れは死、唯一つのみ。それゆえに、ハリス様の決定は重い。二度と、輪を乱すような真似は取るな。手間だけが増える」
「ひぇ、おっかねぇ……」
「それから、フルベルト」
「はい!」
「お前は…………いや、お前には何にも言うことはないな」
「ええっ?!」
一人ずつ切り捨てて行くかのようなジルヴァは、最後にハリスに向く。
「……礼は言いませんよ、ジルヴァ。ですが、私も冷静さを失っていました。こういう時こそ、冷静にあらねばなりませんね。ただ、一件だけ。私はこういうやり方を、好みません」
「承知の上でございます。私の出番は、今回キリにしていただけるでしょうか」
「嫌な役をやらせました。私の力不足です。……リザ、あなたの意見も分かりました。折れてくれ、とは言いません。あなたはその意見のまま、ウェイド君を見ていて下さい。その上で、また話し合いましょう」
「……申し訳、ございませんでした」
丸く収まった、のだろうか。
俺が分かったのは、ジルヴァという近衛騎士を怒らせてはいけないということだけ。
ハリス様同様に、ジルヴァの動きはまるで目に追えなかった。感応魔法があったとしても、知覚した瞬間には斬られている、なんて事になりかねない。
「──コホン。それでは本題に移りましょうか。石に変えられた人を元に戻すために何をするか。ウェイド君に、何をしてもらうかを。まず考えられる手としては、研究塔ですか。……研究塔については、近頃キナ臭い噂を耳にしていますが、その実、どうなのか教えてくれますか、ジルヴァ」
「ええ、ハリス様の仰られる通り、紫晶化の謎を解くには研究塔の力を借りる他無いでしょう。しかし、その研究塔は今現在、ブラックボックスと化しています。レオポルド殿下の即位後、殿下は研究塔を囲い込みました。何かを企んでいるようでしたので探りを入れていたところ、つい先日、その伝手が消されました。恐らく、モーリスの手先でしょうな。我々が帝都に潜伏しているのも、バレていると見ていいでしょう」
モーリス。
どこかで聞いたことのあるような名だ。
話を耳にした俺は先んじて口を挟む。
「俺がその研究塔に忍び込んで、その成果を盗んでくればいいのでは」
「本来であればそうするのが得策ですが、どれがレポートかなんて、分からないでしょう? それをウェイド君に叩き込むだけの時間も、そもそも資料もありません。手当たり次第に持ってこいなど、下策も下策ですから」
「潜伏がバレてるってなると、あまり時間的猶予は無いのでは……」
「いえ、その件に関しては問題無いでしょう。我々と同じく、帝国軍は人員不足。地下下水道の調査を任じられる程、どこの隊にも余裕はありません。言っては何ですが、市民の反感運動が功を奏していると言える状況です」
「かと言って、面が割れている私やハリス様が赴くわけにもいきませんな」
「ですが、研究塔の成果物。それが無ければ、話になりませんね。どうにかして、それを盗み出せないか……」
俺の意見がばっさり切り捨てられたのを見て、横で跪いたままの女騎士が鼻で笑う。こいつ、反省する気ゼロだろ。ハリス様に言いつけてやろうか。
そんな俺と女騎士を他所に、この場において本当に近衛なのかどうか密かに怪しんでいた男が立ち上がる。
「──俺に、妙案があります」
「……フルベルト」
自信ありげに声を上げたのは、何を考えているか分からない男代表。
その男の名前を呼んだジルヴァの声音に込められた感情は、まるでこの場の空気を代弁するかのようであった。
それはハリス様も例外ではなく、僅かな不安を覗かせるような思案する時間を挟んだ後、言うだけ言ってみろ、と促すとフルベルトは誰も想像だにしていない作戦を口にする。
「まず、この男を牢屋にぶち込みます」
「はぁ?!」
「それから──」
俺を指差してそう言ったフルベルトの作戦に耳を疑ったものの、続くフルベルトの口から語られた作戦は実現性が高く、それでいて成功率の高さも見込める作戦。
決してただの嫌がらせではないことを説明されて、ハリス様もジルヴァも納得させられていく。
嬉々としてその作戦に賛成の意を表明したのは女騎士だけだったが、他の面々も徐々に俺を牢屋にぶち込むことを前提とした作戦に頷いて行く。
その、結果。
……俺は見事に、帝都の牢屋にぶち込まれることが決定したのであった。
「ざまぁみろ!」
そう言ってジルヴァに頭を引っ叩かれた女騎士。お前だけは絶対に許さないからな。
補完と言う名の、言語解説。
【ぺリース】
左肩に掛けるマント。ぺリースマント、とも呼ばれる神聖な儀礼用装束の一つ。
ただし、深紅の布地に金糸の刺繍のものは近衛騎士だけが身に纏える。
市街でそれと同様のものを販売した場合、即刻逮捕となる。
刺繍には意味が込められており、近衛騎士の場合は「剣」と「グリフォン」。
剣は言わずもがな、皇帝陛下をお守りする剣として、力の象徴。
グリフォンは帝国領内では過去に数回しか遭遇した事例の無い魔物であり、鷲の上半身に獅子の下半身を有して尋常ならざる生命力を持っていることから転じて、不屈の精神を象徴するものであった。




