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三節 残酷2

 



 ◇


 両手を拘束されたまま連行される俺は、一切の抵抗をせずにされるがままに兵士の後をついて回る。

 しかし、その兵士の足取りは奇妙で、まるで追っ手を撒くような動きをしていた。

 やがて入り組んだ路地の先、人気が完全に消えた道で兵士はその足を止め、俺は何故か、拘束から解放された。


「……連行するんじゃ、無かったのか? ここはどうにも、檻には見えないけどな」


 どこかの家に立ち入る訳でもなく、建物と建物の隙間で兵士と向かい合う。

 疲労……とは様子の異なる、興奮で乱れた呼吸を整える兵士に怪訝な目を向け、俺はそれとなく距離を取った。


「ハァ、ハァ……っ。ここまで来れば、問題は無いな。まずは謝罪から……、突然こんな真似をして、済まなかった。だが、私が聞いた話を合算すれば……、貴様であれば抵抗できたはず。それなのにしなかったということは……ずばり。私たちの目的を、分かった上で付いて来たんだろう?」


 兜の下で目を光らせる兵士。


 ……こいつは何を言っているんだろうか?


「……質問に質問で返すな。俺が聞きたいのは、お前が何者であるかだけ。抵抗しなかったのはその方が都合がいいから、ただそれだけだ。お前はただの兵士……というわけではないんだろう?」

「ハハハ、冗談は止してくれ。もう気付いているんだろう? 警戒する振りはいい。貴様には、私の手を振り払う理由がなかった。拘束されたままの方が都合が良かったんだろう、そうだろう!」


 だからそう言っているだろうに。


「……ん? あれ? 何かおかしいな?」


 ずばり、と言い当てたことに対して俺が何の反応も示さないことに首を傾げた兵士は、一旦場の空気を整えるかのように咳き込み、兜を脱ぐ。すると。その下に隠されていた金色の髪と、青い瞳が特徴的な端正な顔立ちが晒される。

 明るい髪色と虹彩の色は、生まれつきの魔力の高さによって彩度が変わる。金の髪と青い瞳は、上位貴族の証とも呼べるもので。


「……お前、貴族の出か。一兵卒じゃ、ないだろう」

「その通り! 私の名は、フルベルト・ジルウェル。ジルウェル家の令息にして、誇り高き近衛の末席に名を連ねる者だ」

「近衛……」


 皇帝陛下とその血族の近辺を邪な者から守護する近衛騎士隊。

 本来であれば平民出身で一兵士の身分の俺とは縁遠い存在である近衛騎士隊であるが、何故か帝都を出奔する直前に結ばれた縁を思い出す。

 その繋がりなのかと疑りかかるものの、そんな近衛騎士が、どうして守衛の真似事なんてしていたのかが全く理解できない。

 近衛と守衛。

 守る、という職責が両方に通ずるものがあるが、近衛が守るべきは皇帝陛下。その皇帝陛下は石に変えられ、今やあのレオポルド──陛下に仕えているはずだ。とすれば、近衛が俺を待っていた……、『待つ』というのも訳が分からないが、近衛が俺を導く先はレオポルドの下に違いない。


「ああ、口調を改める必要は無い。我ら近衛は今や解体され、ただ爵位を持っただけの騎士身分。今更我らの間に上も下も、右も左も必要ない、とはハリス様のご意思だ」

「……そうか」

「ここではまだ完全に人目を欺けるというわけでもない。ここより先で、お前を待っている人がいる。ついて来い」

「……いや、俺は──」


 フルベルト、と名乗った近衛騎士は、帝都の排水施設へと続く下水道の入り口に立って俺について来るよう促す。だが、俺の足は進むことを拒んでいるかのように重たい。


 ……レオポルド。あの男が俺を呼び付ける用事など、名目は数あれども、目的は一つしかない。

 苦い記憶を思い出して顔を顰めていると、それに気が付いたフルベルトが焦れた様子で俺の手を引く。振り払おうにも、その力は強く、抵抗するので精一杯だ。


「何を考えているか分からんが、貴様の考えているような事にはならん。むしろ、お前を必要としているんだ」

「俺を、必要と……? 何を言っている。レオポルドが、そんなこと……」

「なぜそこで殿下のお名前が──……あぁ、そうか。貴様を待つ人が誰か、伝えていなかったな」

「誰か、なんて分かり切っていることだ! 近衛が俺を運ぶ先など、一つしかない──」

「私に貴様を連れて来るよう命じたのは、ロベリア陛下の忠臣。陛下の御身を守護する懐刀にして、近衛騎士部隊の長……ハリス様だ」

「……ハリス、様?」


 聞き覚えのある名前に、俺は抵抗の力を緩めた。

 というより、聞き覚えがあるも何も、フルベルトを前にして思い出した『近衛に繋がる縁』、というものこそが、今し方フルベルトの口から告げられたハリス様その人である。帝城でやけに親し気に話しかけられたのを覚えている。

 別れ際、一方的に約束を取り付けられたような事も、思い出す。


 ……しかし、あのハリス様が、近衛騎士隊の長? 聞いていた話と違う。そんな御方に、俺は身分も考えず接していたかと思うと、途端に顔が青褪める。


「……おかしいな。ハリス様からは、自分の名前を出せば貴様はすぐに納得するとの話だったのだが……。まあいい、詳しい話は道中でするとしよう。私たちの行き先を見られる訳にも行かないし、多少強引だが──許せ」

「へ? おわぁッ?!」


 これ以上この場所で時間を取られるわけにはいかないのか、何かをぶつぶつと呟いていたフルベルトは、俺に許可を求める時間すら惜しいのか、短い謝罪一つと同時に背中に感じる軽い衝撃。不意に覚える、浮遊感。



 ──あ、落ちた。



 そんな心の声を露わにするかのような情けない悲鳴と共に、俺の身体は下水道へと続く穴に突き落とされるのだった。






「あ、危なっ……、ッ?!」

「──おっと、危ないぞ」

「こ、殺す気か?!」


 そこそこに深い穴を真っ逆さまに落ちた俺が四つ足で着地し、逸る心拍を落ち着かせようと試みるのも束の間、真上から警告の声と共に間髪入れずに落ちてくるフルベルトに気が付き、咄嗟に地面を転がる。

 辛うじて押し潰されることから回避し生き残った先で俺が非難する声を上げるのだが、反響した声を受けてもフルベルトは悪びれた様子もなく先へ進んでいく。

 どこか掴みどころのない男の背に、俺は溜め息を吐いて頭を振った。


「覚える必要は無いが、覚えたいのなら頭の中で地図を描けよ。下水道の地図は無いから頭に叩き込むしかない。──道順を忘れたら一生地上の光は拝めないと思え……というのは近衛になって最初に学ぶ事だ。旧文明の技術を流用して作られた下水道は帝都の拡張に応じて入り組み、その規模は複雑にして怪奇。噂では、帝都の下水の奥深く、光届かぬ場所には魔物も潜んでいるらしいから気を付けるように。明かりは要るか?」

「いや、必要ない」

「夜目が利くのか? それとも、こんな状況を想定して、その右目を隠しているのか」

「……さてな。それで、何処に向かっているのか。どうしてハリス様が俺を必要としているのか、教えてくれないか?」

「……言葉を直さないで良いとは言ったが、少しは躊躇してくれてもいいんだが?」

「悪いが、それは無理そうだ」


 言っては悪いが、フルベルトからはハリス様や辞令を伝えに来た近衛騎士と同じような、威厳が感じられない。

 彼が近衛騎士だと聞いて身が引き締まる思いをしたのは耳にした一瞬だけで、彼が纏う雰囲気に呑まれることはそれ以降なかった。


「あんまり話しかけないでくれ。集中していないと道を間違えそうなんだ。だから私が一方的に話すから黙って聞いてくれ」


 ……逆に、威厳が無さすぎて彼を信用して良いのかどうなのかとさえ思えてくる。

 どこか不安の残るフルベルトの背に、鼻を掠める悪臭に眉をひそめながら黙ってついて行く


「……紫晶災害によって人々の生活が大きく変えられた日。それはロベリア陛下が石に変えられた日でもある。その日に、近衛部隊の一部がハリス様に召集されたのだ。曰く、今日この日より、世界は大きく変わる。帝国にとって悪しき変革の日が訪れたのだと、ハリス様は我らに告げた。なぜ一部の近衛だけに告げたのかは、すぐに分かった。集められた我らは、ロベリア陛下に命を捧げると誓った者だけ。残された近衛は、レオポルド殿下に忠誠を誓ったのだ」


 皇帝陛下が直々に任命する近衛騎士は、クーデターなどの謀反による首のすげ替えが起こったとしても、その命が尽きるまで皇帝陛下の直轄として扱われるため、ロベリア陛下の命令無しにレオポルドに仕えることは、裏切りに値する。斬首刑が妥当な、とても重い罪である。

 しかし、新皇帝を名乗ったレオポルドの周辺には、紫晶災害を運よく免れた多くの貴族が支援を運び、その行為を咎める者は誰もいないのが現実。


 そもそもが紫晶災害は想定不可能な災禍であり、皇帝が石に変えられるという前代未聞な事態に急ぎ対応したレオポルドは、その点においてのみ。貴族から相応の評価を頂戴していると言うのが現状らしい。


「……それだけならまだ良かった。ハリス様の危惧した……いや、予言した未来が現実に起こるまでは」

「危惧した未来……?」

「今現在、帝国法では紫晶災害によって石に変えられた人物をどう扱うか決めかねている段階。つまり、意思になった人はまだ、死亡扱いされていないのだ。研究塔の一部の研究者らが、石に変えられた人たちを元に戻そうと研究に勤しんでくれているが、短期間ではめぼしい研究成果は得られていない。そんな中で、レオポルド殿下は最悪の行動に出たのだ」

「まさか……?!」

「そのまさかだ。レオポルド殿下は……、石に変えられた人々を死亡扱いにする法案を、通そうとしている」

「ッ?!」


 レオポルドが皇帝に就任した、というのは、あくまでも本人がそう言っているだけのこと。だが、皇帝は前皇帝が譲ることによって皇帝の地位を得られるため、現時点でのレオポルドは自称皇帝の座に就いている状況。

 緊急時においてのみ、帝国貴族の多数の指示によって正式に皇帝の座に就くことはできるのだが、それが叶うのは基本的に、クーデターの時のみであり、現在の帝国ではレオポルドの皇帝としての認可と不認可が半数。中立立場がごく少数といった状況であると、フルベルトは言う。


「……それはつまり。レオポルドは、ロベリア陛下を、殺すつもりだと……?」

「実の父親を、だな」


 ハリス様が危惧した未来、というものを知って、俺は言葉を失った。

 石に変えられたロベリア陛下は崩御したわけではない。崩御したわけではないけれども、ロベリア陛下が物言わぬ限り、レオポルドは一生自称皇帝のままなのだ。

 そんな事態を、プライドの塊のような男であるレオポルドが容認できるはずもなく、彼は自分の父親の抹殺に動いた。


 ……そして俺は、その機会を与えたわけで。


「レオポルド殿下はまず、陛下の御身を破壊せんと企んだ。しかし、それを予見していたハリス様の手によって陛下の御身は隠された。その結果、レオポルド殿下の愚行は加速し、石に変えられた人を亡き者として扱う法案を通すべく動き出して、今に至る……というわけだ」

呪い人(ネビリム)の排斥もその一環……なんだな」

「その通りだ。言うなれば、その法案を通すための事前準備のようなものだ。呪い人(ネビリム)はいずれ石に変わる。そしてその『呪い』は、人に伝染する、というあらぬ噂を流布し、恐怖を駆り立てている。そのお陰で、城下は大混乱に巻き込まれたものだ。……だが、帝国も一枚岩ではない。紫晶災害を生き残った半数以上の貴族がレオポルド殿下のその決断を非難し、最悪の未来が訪れることを回避しようと動いている」

「俺に……それを手伝えと?」


 左右を確認してから右に曲がったフルベルトは、下水の流れる横幅の狭い道を、自信に満ち溢れた足取りで進んでいく。


「さてな。私に任されたのは、貴様をハリス様の下に連れて行くことだけだ。目的は未だ知らされていない。……その為だけに、いつ訪れるかも分からないこの瞬間をずっと、あの場所で下働きしながら待ち続けたのだ」

「俺があの検問所に来るかも分からないのに、ずっとあそこにいたのか?」

「いいや。お前が来る、ということだけは知っていた。ハリス様の助言によりな。……残った近衛総出で陛下を匿った後、ハリス様が貴様を求めたのだ。彼は必ず来る、とだけ言ってな。あの日から、もう二ヶ月が過ぎた今日、ようやく貴様が現れたのだ。つい、はしゃぎすぎてしまったが、あの高揚は忘れたくとも忘れられんな。来る日も来る日も入出国者の顔を見定める日々というのは本当に変わり映えせず、毎日毎日、今日も貴様は来なかった、と肩を落とす日々……。変わらぬ仕事風景……。最近では、朝が来る度に頭がおかしくなりそうだった……」

「それは、なんと言うか……申し訳ない」


 想像以上の返答が返ってきて、俺はつい謝罪が口を衝いて出る。

 それくらい、フルベルトから滲み出る負のオーラに圧倒されたからだ。

 そんな折。すっかり下水の臭いを嗅ぎ慣れた鼻の奥を突くような、すえた臭いが鼻孔を襲ったかと思うと、その腐臭の正体に目を向け、俺は思わず足を止めてしまう。

 振り返ったフルベルトが俺を見る目は疑念に満ちていたが、俺の視線の先にあるものを見て、納得がいったかのように息を飲んだ。


 ……俺は、言葉を、失った。


「あぁ、呪い人(ネビリム)の死体だな。人目を避けるとなると、自ずと下水道に足を運ぶのは必然。しかし、下水道(ここ)に食料は無ければ、飲める水も無い。あるのはただ、汚物に塗れた排水のみ……だ。そして、この場所では彼らを弔うことも、悼むことも出来ない。ゆえに、我らは目を瞑る他無い。今、帝都では、呪い人(ネビリム)に許された未来は全て、これに帰結する。こんなことが、まかり通って良いはずが無いと言うのにな」

「……」

「触るな。死体は病原菌の温床だ。道中にも似たようなものがあっただろう。気が付かなかったのか? ……このまま時が進めば、いずれ帝都は闇に沈むだろうな。それこそ、呪いが蔓延していくように、この地下下水道より、じわりじわりと苦しみの果てに帝国が死んでいく。……そんな未来など、私は望まない。我々は、望まないのだ。ゆえに、レオポルド殿下を止めるために手を尽くさねばならない。恐らくハリス様は、その鍵は貴様にあるのだと考えたのではないだろうか」

「……」

 フルベルトが、何やら威厳ある言葉を口にしているのだろうが、俺の耳には何も聞こえてこない。

 耳元でかき鳴らすような心臓の鼓動の音と、酸素を求めて収縮を繰り返す肺に促されるまま繰り返す呼吸の音がうるさくて、周囲の雑音全てが掻き消されているからだ。


 ……見えていなかったわけじゃない。

 ……見ないようにしていた。


 俺は、道端に転がる、呪い人(ネビリム)の死骸たちを、意図して目を向けないでいたのだ。


「……うっ、ぉえっ」


 とりわけ腐敗の進んだそれを見て、俺は罪悪感から昇ってくる吐き気を催し、言葉を失った。

 言葉を失ったのは、体表に広がった紫水晶の浸食を見たからじゃない。

 兄弟と思しき二人が、折り重なって死んでいる姿を見て、その残酷さを目の当たりにしたからだ。

 彼らは、地上から逃げてきたこの場所で、死んだ。


 果たして、石を投げられて殺されるのと、安寧以外何も無いこの場所で死ぬのはどちらが幸せと言えるだろうか。──否、断じて否だ。幸せなわけがない。普通に暮らして、普通に生きてきた彼らから平穏を奪ったのは、どこのどいつか。……俺だ。俺が願ったから、彼らは不幸になった。呪いに掛かったのだ。

 俺こそが死んでも逃れられない呪いに呪われるべきだというのに、のうのうと生きている。呪われる謂れの無い彼らが呪われ、絶望に塗れて死んでいく。その現実を突き付けられたかのように胸が苦しくなり、俺は堪えきれずにその場で蹲ってしまう。


「おぉ……。貴様は随分と純真なのだな。元軍人のくせに腐敗した死骸を前にして過呼吸に陥るとは、情けない。落ち着くまで背中を擦っておいてやるから呼吸を整えろ」


 違う。俺はそんな綺麗な人間じゃない。

 自分のやったことから目を背けてきたツケを払わされているだけだ。どこまでも汚くみすぼらしいのが俺なのに、喘鳴だけを繰り返す俺の喉は真実を打ち明けられないままフルベルトに宥められるのだった。


「……すまない」

「落ち着いたのならそれでいい。ハリス様を待たせているからな。早く行くぞ」


 涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔を拭い、なんとか死骸から目を逸らすことが出来た俺は、すっかり口数の減った状態でフルベルトの背に黙ってついて行く。

 視界の端に映る、息絶えた亡骸を見かける度に、舌を嚙み千切りたい衝動に駆られるも、それが逃避である事を知っているがゆえに衝動を理性で黙らせる。


 呼吸一つ乱れていないフルベルトと、肩で息を繰り返す俺。

 それ以降二人の間に会話らしい会話は生まれず、下水道の中を巡ることおよそ一時間。


「なぁ……ここって」

「ふっ、皆まで言わなくてもよい」


 その頃には精神の平穏も取り戻していて、前を向いて歩くことが出来ていた。

 しかし、とあることに気が付いた俺は、迷いのない足取りが変わらないフルベルトを呼び止める。


「……この道、さっきも通らなかったか?」

「何故、そう思う? 根拠は? この私が迷っているという、証拠は?」

「……あの、二人。最初に見た奴だからだ」


 震える指先で指し示したのは、折り重なる二つの死骸。俺がこの未来を選ばせた、呪い人(ネビリム)の死骸たちである。


 ……訂正しよう。俺は前を向いて歩いているわけではない。何にも動じないように、心を壊して、平常な振りをして見せているだけだった。

 彼らの死骸を見慣れることは、決して無い、俺の罪の象徴たる呪い人(ネビリム)。その死体を見かける度に、俺の心は死んでいく。

 もう、どれだけ自らの手で自らを殺したか、数え切れない。


「……よく覚えているな。流石はハリス様に指名されるだけはある。貴様を試したのだ……、と言えれば良かったのだが」


 振り向いたフルベルトは、暗闇に端正な顔立ちに困った様子を浮かばせる。それを見て俺の脳裏には、最悪の想定がよぎった。


「……迷ってる、なんて言わないよな」

「おお、良く分かったな! 実を言うと、三十分前から迷っていることには気づいていたんだが、貴様相手ならそれがバレることはないと思い、堂々としていた次第だ。さて、迷子になったのが分かれば、やることは決まっている。……知っている道に出るまで、進むだけだ」

「……」

「気分が悪いなら、少し休んでいくか? 食い物も飲み物も何も無いが」

「……いや、いい。一秒でも早く、目的を果たしたい」


 呪い人(ネビリム)の死骸があちこちに転がっている。時に流されていく。

 そんな下水道をひたすら練り歩かねばならないことが決定した俺は、更に顔色を悪くして、笑顔のフルベルトから顔を背けた。

 明かりの無い暗闇だから気付かれることはないが、自分の精神がすり鉢の中で磨り潰されるような道を歩くというのは、想像を絶するほどに苦痛が生じるものだった。


「──……おお! この道だ、この道! 二ヶ月ぶりに歩くこの道を思い出すのに、まさかこんなにも時間も要するとはな」

「はあっ、はあっ……」

「そんなに疲れる道中だったか? 貴様、この空白期間に随分とぬるま湯に浸かっていたのだな」


 結局、フルベルトが見知った道を見つけるまでに、迷い始めてからさらに二時間以上が掛かった。

 その頃には死骸は見慣れたものになりつつあったが、それはきっと慣れではなく、これ以上磨り減るものが無くなった、と言うべきか。

 胸の痛みから断続的に続く右目の痛みに変わったのだが、それが何を意味するのかは俺にも分からない。


「長旅ご苦労。この先で、ハリス様が貴様を待っているぞ──」


 下水道のメンテナンスのためか、道に接する扉。

 フルベルトは解放感に満ちた様子でそう言うと、扉の奥に広がる通路へ我先にと先導していく。

 反対に、俺は体も心も傷付いたような顔で、壁に手を突きながらその背に追随する。


「……」


 俺が味わうべきは、苦痛だ。俺が目を背けてきた時間の分だけ、俺が生み出した苦しみの分だけ、苦痛を受けねばならない。だとすれば、この下水道で見てきた残酷な結末は、ほんの一匙の苦痛にしか数えられないだろう。


 ……であるならば。

 俺は今後一生、自分の罪に向き合う度に生じるこの苦痛以上のものと向き合っていかねばならないということになる。罪に対する罰を、受けなければならないのだから。

 一度受け入れ、踏み入れた苦痛はまるで底無しの沼のよう。

 抜け出そうと藻掻くことも、救いを求めて手を伸ばすことも、俺には分不相応。

 罰を受け入れ続け、いつか窒息して死ぬその日まで、俺は苦しみ続けなければならない。

 その覚悟は、いくらでも出来ている。

 どれだけ血に塗れようとも、涙を流すことがあったとしても、俺はこの底なし沼から脱したいと思う日はもう二度と来ないことを悟りながら、フルベルトの後に続いた。


 その先で待っていたのは──



「動くな。我々はお前を、信用していない」



 ──冷酷無比に突き付けられた剣先が俺を待っていた。







補完と言う名の、言語解説。


【下水道】


帝都に住まう住民全てに健全な水を行き届かせる上水と、汚れた水の排水及び浄水を担う下水道によって、帝都には疫病の発生を防ぐ衛生的な街づくりが実現できていた。

それら全ては、発掘品とアーティファクトによる技術の流用。綺麗な水こそが、清潔な都づくりを支えるのだと初代皇帝の意によって造られた、百年を超える施設。

しかし、帝都の地下には『始まりの地』と呼ばれる地下遺跡が存在しており、それを避けて組むように作られた下水施設は、地上の都市計画とは違って非常に混迷を極めることとなる。それを修正するためには十年から二十年近い歳月をかける必要があり、その長い期間水が行き届かないとなると問題が多発するのは火を見るより明らか。だということで、賢帝ロベリアと言えども下水道の整備には手が出せずにいた。

調査自体は進められていたが、全貌が明らかになる前に起こった紫晶災害。それによって空白の土地と化した下水道に、近衛は逃げ込んだのであった。

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