二節 現実3
◇
「……何をはしゃいでいるんだ、俺は」
大地に寝そべって空を仰ぐ俺は、不意に我に返った。
頭上を流れていく雲をぼんやりと見つめながら、自分の愚かさを知る。
変異種を倒して達成感に浸るなど俺には過ぎた行為だと知れ。
元より変異種も呪い人も、俺が願わなければこの世に存在すらしていなかったはずの存在。
そんな変異種を倒して達成感に浸るなど、片腹痛い。
ましてや、その功績を褒め称えられることさえ、気色悪く感じるというもので。
「は、ははっ! すげぇ、すげえぜあんた! まさか本当に、あの変異種を倒しちまうとはな! 世界各地で変異種が目撃されているとは言え、倒された記録なんて、そうあるもんじゃねぇ! まさか俺が、その偉大な記録に一役買っただなんて、夢みてぇだ……!」
目を覚ましたマックスが手放しで褒め称える声を聞いて、俺は眉をひそめる。
彼の口から称賛の言葉が聞こえてくる度に、俺は吐き気すら催す。
自分が生み出した怪物から、自分が生み出した呪いに蝕まれた人を救う。とんだマッチポンプ。とんだ茶番劇ではないか。
そんなもの、どこまでも自惚れた作家が書いたくどいくらいの自己愛に満ちた出来の悪い脚本だ。俺はこんなことがしたいがために、外の世界に出たかったわけじゃない。
俺が求めたのは罪に対する罰であり、ナルシズムに支配された良心の呵責なんかじゃない。
一言で表すのなら、思っていたのと違う、という想像力の欠如した子供染みた言い訳であり、事ここに居たってもまだ現実から目を逸らそうとする俺には相応しい、一種の罰なのかもしれない。
なぜなら、変異種の存在を知った今日を境に俺は、変異種から目を背けられなくなったから。今後一生、俺は自分の罪の象徴である呪い人と変異種の両方と向き合って生きて行かなければならなくなった。
それが俺の罰だと言い聞かせるも、マックスから次々と放たれる賞賛の声に膨れ上がった罪悪感が胸を食い破らんとするような苦痛に苛まれ、喧しいマックスから目を逸らす。
俺は、賞賛される資格など無い。
マックスは「お前のせいだ」と謗る権利を有していながら、それに気付かない。
俺が自分から言うまで、彼の生涯でそのことに気が付くこともないだろう。
「──キャアッ?! うぇ、ウェイドさん?! い、いいいい、生きてますよね?! マックス! あなたは何をのんきにはしゃいでるんですか! まずはウェイドさんの手当てをしないと……! ほ、包帯! 包帯貰いますからね!」
「そう言えばお前、重体だな?! 何とか言えよ! 俺も喜び過ぎてすっかり忘れてたけどさぁ!」
そんなことを考えていると、マックス同様に気絶から復帰したリリスが目覚めて早々に騒ぎ立てられ、傷に障る。
無気力になった俺はリリスにされるがままの状態で傷の手当てをされるのだった。
「あんだけ褒め称えた手前言っちゃ悪いがよ……人形みたいだな、あんた」
「羨ましいか?」
「いや、全然……」
「そうだろうな。俺もだ」
誰が好き好んで自由を奪われる身になりたいものか。
リリスには返しきれない恩があるから彼女のやりたいようにやらせた結果、一人称でも三人称でも引かれる関係が築かれてしまった。
彼女の好意を知っている身としては利用しているようで気が引けるが、彼女がやりたくてやっていることを否定する訳にもいかないが、この関係をずるずる引きずる訳にもいかなくて。
帝都に到着したら、ケリを付けようと思っている。
彼女は、俺なんかと一緒に居るべきじゃない。もっと素敵な人との出会いがあるはずだから。俺のために貴族の地位を捨てるなんてタチの悪い冗談だろうし、帝都に戻れば自然と、俺とリリスの道は分かたれるだろう。
「穴ン中、見てみろよ。あいつ、まだ生きてやがるぜ」
手当てが終わった頃、手持ち無沙汰だったマックスが大穴の観察から戻ってきて、渋い顔をしてそう口走る。
彼の言葉に従ってリリスに支えられながら穴を覗き込むと、そこには……。
「睨んでいるな」
脚は折れ、受けた傷が塞がることなく命を垂れ流しにしている。首の骨も砕けているはずだというのに、変異種は目から光を失わずに、穴の底で喘鳴を繰り返していた。
「あの目に宿るのは、執念……でしょうか」
「恐らく、変異種は俺とマックス、二人の呪い人を食らうまで止まらなかった。それがストーカーファングとしての習性ゆえか、変異種の性質なのかは不明だけどな」
俺の言葉にマックスが一条の汗を垂らして喉を鳴らす。
今でこそ死に体の変異種を見下ろしている俺たちだが、一歩違えばこの立場は逆転していたかもしれない。
そう考えると俺の肌が粟立つのを感じるが、もう終わったことだ。俺たちが勝った。それは変わらないのだから。
「トドメは……、そうだな。お前が刺せ、マックス」
「え、ええッ?! 非力なこの俺に、穴に飛び込めと?! 手負いの獣は何するかわらねぇって言うのに?! 遠回しに死んで来いって言ってねえかそれ! 文字通り、死線を潜り抜けた仲だって言うのに!」
「嫌なら俺がやるが」
「……いや、俺に任せてくれ! これはきっと、ケジメをつける最後のチャンスだろうからな! それと、危なかったら助けてくれよ。マジで」
「間に合うといいけどな」
「怖いこと言うなよッ!」
なんのかんのと言いながら俺の手から剣を受け取ったマックスは、「マジだからな!」と言いながら、腰が引けた姿でずしりと重たい剣を引きずって穴の縁に腰掛ける。
そんな彼の奮起する姿を目の当たりにして、俺は、気付かされる。
マックスが持っているものを俺は持っていないことに気付たのだ。
俺に足りないのはずばり、素直さだ。彼のように、人に進んで助けを求めることが出来る彼を、俺は素直に羨ましく思える。
そんな彼が恐る恐ると言った様子で穴の下に降りようとした、その時だった。
──グルルルゥ……!
「うひゃあっ?! む、むむむむ無理無理無理無理! 無理だって! あいつ、絶対待ち構えてるって! 今にも動き出すぞ!」
牙を剥いて唸った変異種を見て、マックスは転がるように俺たちの方へ逃げ込んでくる。
しかし、それを情けないとは思えなくて。
俺とリリスも同様に、地の底から殺意と言う名の溶岩が吹き上がる活火山のようなイメージを抱いてしまえるほどに濃厚な殺意を感じたからだ。穴の底で息絶えるのを待つだけの変異種とは思えない殺気に、汗が滲んでいた。
「……俺がやっていいんだな? 後で文句言うなよ」
「言うもんかよ! いいからさっさとやってくれ!」
「ウェイドさん、気を付けて下さい……」
だが、いくら殺気を放とうとも、死体は死体だ。
頸の骨が折れていては首から下は動かせないはず。今の殺気だって、変異種の命が最後に見せた輝きのようなもの。
俺は壁を伝って、穴の底に降りた。
──グルルル。
「威勢が良いなあ、変異種。もう、動けないだろお前。……痛いだろう。苦しいだろう。今、楽にしてやるからな。……こんな醜い姿にさせて、ごめんな」
息をするのも辛いはずだ。読み通り、変異種は俺が目の前に迫っても、喘鳴と睥睨をするだけで、噛み付いても来ない。
それでも変異種は最後まで戦う意志をその目に宿したまま、俺の振り上げた剣先を見る。
俺が零した謝罪は、届いてくれただろうか。そもそも、虚空に溶けて消えゆく謝罪に何の意味があるのか。
「ただの、自己満だな……」
自問自答を尽くした俺は、変異種の心臓目掛けて、剣を突き立てた。
変異種の身体は一切の抵抗する素振りもなくそれを受け入れ、ごぽり、と血の塊が口から流れ出たのを最後に、変異種の目から光が失せる。
「終わったぞ」
「す、すげぇな、あんた。少しもビビッてなかったじゃねぇか……。なんか、このままだと俺が弱虫みたいに見えないか?」
「事実、弱虫ではないですか」
「この穴を掘った立役者にかける言葉がそれかよ! もっと優しい言葉をくれよ! 怖い思いをした俺を慰めてくれよ!」
「掘っている最中もずっと弱音を吐いていたじゃありませんか」
「そりゃそうだよ! 俺だって普段ならこんなでけぇ穴掘れるはずなかったんだから! 無理だって思ってたのに、やってみたら出来たんだよ! その功績、少しくらい褒めてくれても良いんじゃないの? 慰めてくれても良いんじゃねぇの?!」
「……引き上げるから、ロープか何か垂らしてくれないか?」
騒がしい地上の声に投げかけると、しばらくして長縄が落ちてくる。傷が開くからあまり大声は出させないでほしいのだが。
それで変異種を縛り上げ地上に戻った俺は、三人で力を合わせて変異種の死骸を引き上げた。
「ほ、本当に死んでるんだよな?」
「死体にビビる必要、あります?」
「お嬢が俺にキツすぎる件について。立役者の俺は処遇の改善を要求する!」
「変異種を落として殺すというアイデアはマックス無くして成立は難しいものだったしな。リリス、優しくしてやってくれ」
「ウェイドさんが言うなら……」
「なーんか納得いかねぇ! 第一級功労褒賞をもらってもいいはずなのに!」
「そんなわけないです! ウェイドさんが第一級功労褒賞に相応しいのですから! ウェイドさんなくして、この作戦は成立しませんから!」
「それは……確かにそうかもな! うんうん、俺と二人で褒賞は分け合おうぜ。相棒じゃねぇか!」
「俺たちだけじゃない、リリスも活躍しただろ。俺たち三人の内、誰か一人でも欠けていれば、今ここに立っていない。……そうだろ?」
「それもそうですね。作戦立案と隠匿魔法の発動と解除。この二つを行った私とウェイドさんに、あなたが同列で並ぶとは思えませんが、ウェイドさんがそう言うなら私もこれ以上は口を噤みます」
「……お嬢、俺のこと嫌い? それに引き換え、やっぱあんたは良い奴だなあ」
マックスが俺を持ち上げる度に罪悪感が芽を出す。
俺の手で彼が命を救われたからと言って、必要以上に美化する必要なんて無いにもかかわらず、マックスは俺を手放しで褒め称える。
危機が去ったことによる安心感も相俟って、一際目を輝かす彼に本当のことを言えないまま、俺は逃げるように変異種の解体に手を付けた。
「これが、変異種の討伐証かぁ……!」
ストーカーファングの討伐証は一際大きい犬歯であり、その大きさから魔物の脅威度が測れ、報酬も決まるという制度。変異種は体躯こそ進化個体の巨体種には及ばないものの、その牙の強靭さは普通のと比べても一目瞭然である。
それに加えて、マックスには変異種の象徴である紫水晶が寄生したような心臓と一緒に斬り落とした頭も渡して、変異種の討伐を証明する。
「ま、待て待て待て待て! こんなに貰ったら、あんたの分け前がなくなっちまう! 功労褒賞の話は冗談だぞ? 俺だって、変異種を倒した偉業を称えられるべきはあんただと思ってる! だからこいつは、あんたに返すよ──」
「トドメを刺す前に言っただろ。文句は無しだって。俺は変異種討伐の偉業なんて名声はいらない。全部お前に譲るよ。聞かれて俺のことを伏せる必要もない。どう答えるのも、お前の好きにすればいい」
「……っ、俺に、あんたたちを裏切れって言うのか? 仲間を、もう一度見捨てろって言うのか? この、俺に……っ!」
「ウェイドさん……」
マックスとは、帝都への道すがら、偶然出会っただけの関係。
そんな俺たちを、マックスは一緒に変異種に立ち向かった仲間だと認識してくれている。どこまでも人情深く、義理堅い男だ。商人の癖に、人を疑うことを知らないお人好し。それゆえに、これから打ち明ける真実に彼がどんな顔をするのかも、想像に難くない。
「いいや。裏切るのは、俺の方だ」
「は?」
「お前を……いや、お前だけじゃない。世界中の大勢の人を呪い人に変えたのは──、他でもない。……俺だ」
時が、止まる。
そう例える他無いくらい、マックスは俺の放った言葉に耳を疑う様子を見せ、絶句する。
この男は、命を懸けた戦闘を乗り越えたことで俺に最大限の信頼を寄せている。彼の書さ一つ一つからそれを感じているからこそ、彼の信頼を根本から崩すような真似に心が痛む。痛む心が、まだある。
信頼させて、裏切る。
ハーヴリー神父を刷り込みのように親代わりだと妄信した先でもたらされた結果。俺はマックスに対して同じ真似をしようとしている。
軽蔑されて当然。非難されて当然の告白に目を瞠るマックスから、俺は目を逸らさなかった。
この疼痛すらも覚えることさえ烏滸がましいというものだと、内心で毒吐きながら。
「ハッ、そんなこと……馬鹿げてるぜ。あんたらが訳アリなのはなんとなく分かってたよ。でもな……流石にそれは飛躍し過ぎだぜ。戦闘面はピカ一でも、ジョークのセンスは……どうやらないみたいだな。安心したぜ」
「信じてくれなくてもいいが、今言ったことが全てだ。お前も商人の端くれなら、俺が嘘をついていないことくらい分かるだろう」
「……ッ、嘘をついてないことが分かっても、それが真実だとは……限らないだろ! なぁ、そうだろ?!」
マックスはきっと、俺の言葉が嘘ではないことを確信している。
だから目線をリリスに移した。
だがリリスは、何も言わない。
肯定は自分の意思に反するし、否定は俺の意思に反するからだ。
だから彼女は、何も言えない。
そうやって俺は、彼女の好意さえも利用する。
クズだ。最低だ。どこまでも落ちぶれる俺には、リリスから向けられる好意さえも分不相応だ。何せ、好きだった女性も、愛した家族さえも殺した俺には、愛も恋も、それに付随する感情全てが相応しくないから。
俺に相応しいのは、正式な罰だけだ。
「嘘だ、って言ってくれよ……。なぁ……!」
マックスが表情を崩して、悲鳴を上げる。
しかし彼は、この中の誰よりも大人だった。
最後まで自分の中にある感情に振り回される様子を見せた後、マックスは一度だけ天を仰いだ後に、行動に出た。
差し出した変異種の討伐証を、包み込むという行動に。
「分かってくれたか」
「分かんねぇよ! 分かりたくもねぇけど……、分かんねぇんだよ……!」
彼は呪い人であるということを隠していた。だから呪い人としての被害は最小限のものだろう。それでも、同じ呪い人が迫害に会うのを見て今日まで、気が休まる日は無かっただろうというのは、想像に難くない。
本来では与えられるはずのなかったストレス。変わらないはずだった日常。
世界の敵とも呼べる俺が目の前にいるのだ。彼自身が精神をすり減らした分だけ好きなだけ罵倒でも暴力でもなんでも来いと目線で訴えたものの、マックスはそれ以降、行動を起こすことはなかった。
声を荒げて頭を掻き毟った後、顔を上げ、俺に向かって眼光を飛ばすに、留まったのだ。
「……あ、あんたには! 命を救ってもらった恩がある! だからあんたの言ってることが例え悪い冗談だとしても……、信じると決めたんだ。あんたが何を望んでそのことを打ち明けたとか、どうやってとか、どうしてとか……、色々聞きたいことはあるが、何も聞かねぇよ。きっと、俺が欲しい答えを、あんたは持っちゃいないだろうからな!」
罵倒も失望も嫌悪も無い、あらゆる感情を押し込めたような、そんな声でマックスは告げる。
「あんたが何を考えているか知らねぇけど……、あんたが俺たちのために命を懸けて戦ってくれたってことだけは知っている。……だから、俺は行くよ。返しきれない恩があることも、決して忘れないからよ。生きてたらまた、どこかで会おうぜ──、相棒」
彼の目に宿るのは、涙だった。
「……」
憐憫でもなければ、哀れみでもない。ましてや同情でもないような……そんな俺の知らない感情を宿して、マックスは拳を突き出した。
俺はただそれを呆然と見つめるだけで、拳を突き返すことすらできなかった。
困ったように表情を崩したマックスはそのまま背を向けて去って行く。
持つべきものを持って、去って行く。
その背は俺には些か眩し過ぎたものの、その背中が見えなくなってもまだ、俺はマックスの去って行った方を見つめ続けていた。
フイ、と目を背けた先、静寂を保つ空気の中で、リリスと目が合う。彼女の目にも涙が溜まっていて、俺と目が合うとその涙は限界を超えたのか、溢れ出す。
「……ウェイドさん。もう、自分から傷付きに行くような真似は、しないで下さい。私はもう、これ以上ウェイドさんが傷付く姿は、見たくないです……!」
うわっ、と泣き出してしまったリリスは、俺の服の裾を掴んで離さない。
彼女の涙の意味は分かる。
同情だ。
憐憫であり、哀れみでもある。
それを見てチクりと痛む胸に、一握の砂が落ちたような気がした。
リリスが泣き止むまで、俺は黙ってその場で立ち尽くす。
ボスの首を担いだマックスは森の中であればせめて同種には襲われないだろうな、なんて言うことを考えながら──。
ようやく泣き止んだリリスと共に、野営の準備に取り掛かった。
その前に、と戦闘中隠していた馬を迎えに行くと、変異種の討伐に伴って散り散りになったストーカーファングの一匹に襲われたのか、彼の足元には蹴り殺されたストーカーファングの骸が落ちていて一騒動あったものの、俺たちは無事に、魔物の脅威が薄れた森の中で夜を越す。
とは言え、群れとして弱体化したストーカーファングの脅威は無くとも他の魔物の脅威に備えるべく、火は絶やさない。
リリスが少しでも疲れが取れるように、と作ってくれた夕食に手を付ける頃には、すっかり日も落ちているのだった。
「……悪くない夜だ」
紫晶災害と呼ばれるあの日の夜以降、すっかり眠りの浅くなった俺にとっては火の番など苦痛でもなんでもない。まるで体が作り替えられたかのようだ。それに、夜の一人になる時間は嫌いじゃない。あの夜を忘れないよう、あの夜を思い出すことが出来るから。だから不寝番を買って出ているのだが、どうやら今日はリリスもなかなか寝付けないらしい。
毛布片手に揺れる明かりに照らされるリリスは、失礼します、と一言告げて隣に腰を下ろした。
「……寝ないのか」
「今日は、ウェイドさんと一緒に居たい気分なんです。ウェイドさん、寝床使ったこと無いじゃないですか。いつも待ってるのに……」
「テントはリリスが使うためのものだ。俺には必要ない」
「雨の日でもそう言ってるじゃないですか。風邪を引いたら元も子もないですよ」
隣でぴったりと密着しながら、リリスは囁くように頬を膨らます。
彼女が心配しているのは理解しているが、何と言おうと同衾の誘いは断るべきで。ゆらゆらと揺れる焚火に、全壊した荷馬車の破片を薪代わりに放り込んだ。
「……各町で、呪い人が迫害され、追放されるのを見てきた」
「そう……ですね」
「町の外に追い出された彼らは、今日みたいに、変異種に襲われるんだろう。時に、マックスのように多くの人を巻き込んで。迫害され、多くの人に恨まれながら死んでいくのだとしたら……その根源にいる俺は、どれだけの悪事を働いたことになる……? どうすれば、この罪を償える? どうして俺は、生きている……?」
夜になると、不安が増す。
だけどもそれは、俺に相応しい罰だ。漠然とした不安に駆られるのも、死の淵に立たされるのも全部、自業自得なのだから。
とは言え、この世界の誰よりも恨まれるべき俺は恨まれず、最も死すべきであるはずの俺が生きている。変異種という存在とその脅威を知った今、無実の罪で日常から爪弾きにされた呪い人たちが変異種という暴威に貪られるのは想像に難くない。
ゆえに、俺は改めて自身の罪の深さの自覚と、底を突くことをしらない死への渇望が湧き上がってきて、何の気も無しに夜空を見上げた。
空は満天の星空──……、なんてものは見えない。どんよりとした曇天だけが視界一杯に広がる。光の一つさえ反射しないような夜闇こそが俺の問いかけへの答えのように思えて、暗闇が支配する世界をただ茫然と見上げていると、肩にかかる微かな重みに視線を横に向けた。
「……私は、何度でも言いますよ。例えウェイドさんが世界中から恨まれたとしても、世界の敵になったとしても、私はあなたの味方です。あなたが修羅の道を歩もうとも、苦難の道を進もうとも、私はついて行きますから。……それで、もしも本当に辛くて、苦しくて、全てを放り出したくなったら何時でも言ってください。私があなたの逃げる場所になります。帰る場所になります。だからどうか、一人で居なくなろうとだけはしないで下さい。私はあなたの命の鼓動の一つさえ、消えて欲しくありませんから」
そう言ったリリスは、俺の顔を見上げて、フッと微笑む。
そんなリリスの言葉に、返す言葉はない。
俺には想像もできないような覚悟のいる言葉に返答も無いようではリリスも気の毒だと思ったものの、当の本人はケロッとした様子で雑談に興じる。
「……ウェイドさんは、帝都に帰ったらなにがしたいですか?」
「さあな。リリスはどうなんだ」
「私ですか? 私はですね──」
彼女の作り出す空気の前では沈むことさえ不自由なままで、俺は楽しそうに未来を語るリリスの声に耳を傾ける。
機竜に乗って帝都に帰って来た日が遠い過去の記憶のように思える。
彼女の雑談に身を委ねていると、聞こえてくるのは一つの小さな欠伸。
寝るのも惜しいくらいこの瞬間を楽しく思っていたのが伝わってくるような表情でこちらを窺うリリスを見て、俺はテントを指差して告げる。
「……眠いなら寝ろ」
「ならここで、眠ってもいいですか?」
「寝心地は良くないぞ」
「構いません。あなたの傍が、世界で一番安心できる場所なので」
リリスは俺の言葉を待っていたかのようにそう言うと、手にした毛布を広げて一枚の毛布で二人を包み込む。
手狭な感じは否めないが、リリスはそのことすら気に留めない様子で更に身を寄せてきて、幸せそうに笑う。そんな彼女から目を逸らすようにして焚火を注視していると、よっぽど疲れていたのだろうか、隣からはすぐに寝息が聞こえてきた。
「……調子が、狂うな」
体の右側にある確かな人の熱を感じながら、ズレた毛布を直す。
疲労の色を隠す彼女から告げられた言葉を思い返すと、告白と言い換えても妙ではないほどに甘い言葉に一瞬頭に熱が宿るも、すぐに冷えていく。
……リリスの甘い言葉に釣られた先で待っているのは、罠ではなく堕落。
ゆえに、リリスの好意が込められたその言葉からは目を逸らすのが正解なのだ。
「……俺には、過ぎた女だ」
変異種と、呪い人。
俺の罪の象徴たる現実を知って、俺には増々罰が必要だと知った。
変異種を知ったことで、人間だけではなく魔物にまで被害が及んでいることを知った。その変異種が新たな人類の脅威として猛威を振るっていることも、罪なき呪い人が襲われていることも知った。
だから俺は苦しまないといけないというのに、俺を本気で心配しているような言葉を受けた直後に自分を傷付けるような真似など、出来るはずがない。
それは、リリスを傷付けるから。
だから今夜は、リリスの思惑に黙って乗ろう。
生きたいと思えるほど心を強くは持てないが、死にたいと思えるほど弱くもなれない。要は、現状維持だ。
「まんまとしてやられた訳だ」
規則正しい寝息を立てるリリスの頬を突く。
変異種の討伐における立役者は、俺でもなければマックスでもない。マックスの生得魔法を聞いて即座に作戦の立案から決行までを編み出した彼女こそが、第一級功労褒賞に相応しい。
その夜。俺はリリスの願いを叶えるかのように、ただ浅い眠りを繰り返して夜が明けるのを待つのであった。
補完と言う名の、言語解説。
【馬】
アルバート家所有の超優良血馬。
男爵家のアルバート家がどうしてそのようなものを所有しているのかと言うと、過去にアルバート家が功績を立てた際に皇帝陛下より賜った馬の血脈を継いだ孫にあたるのが『エース』であるから。
その血を絶やさぬことは、アルバート家にとってみれば領地の運営の次に重要な使命として課せられていたのだが、エースはリリス以外にはあまり懐かない気性難。
本来であればウェイドにも「初めまして」のあいさつ代わりに後ろ蹴りをお見舞いするくらいのものなのだが、ウェイドの余りにも憔悴しきった姿にエースでさえも同情せずにはいられなかった。




