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二節 現実2

 


 ◇



「来たな」


 グルル、と地鳴りのような唸り声を響かせ、多くの同胞を引き連れた食い裂き牙狼、ストーカーファングが森の奥から姿を見せる。


 マックスの言った通り、体からいくつも紫水晶を生やす姿は不気味で、情報の無い状態で出会えばまず間違いなく敗北を喫するだろうというプレッシャーをヒシヒシと感じる。

 マックスの雇った護衛の腕前がどれだけのものかは知らないが、いざ変異種を前にしてみれば、彼らが護衛としての職責を果たせなかったのも責めるに責めれない。

 彼の言葉を借りるようだが、目の前の変異種は確かに、化け物だ。


 ……そんな変異種も、俺の願いの余波で生まれてしまったのだとすれば、俺が責任を持って始末しなければならない。

 これも、俺の罰なのだろうか。


「そんな驚いた顔をしてどうした? 配下から聞いた情報と違って焦っているのか?」


 剣を担いで、目を凝らす。

 俺の声に怒気を強めたように見えるのは気のせいじゃない。変異種は、恐らく人間の言葉をも理解している。

 人の言葉を理解できる知能。人間で言えば、七から十を数える子供と同程度の知能にまで発達したということだ。実に脅威と言える。

 狩りのなんたるかを知っているのは、ストーカーファングの頃から染み付いた記憶か。変異種が一吼えすると、取り巻きの数体が飛び掛かってくる。


「手下程度じゃ、俺は仕留められないぞ」


 その程度であれば、簡単に捌き切れる。


「本気で仕留めたいなら、お前が来るんだな」


 取り巻きでは俺を仕留めることが出来ないと悟ったのか、変異種はもう一度吼えて、取り巻きのストーカーファングを控えさせる。

 取り巻きは数に限りがあると理解しているのだろう。

 俺たちの策に、まんまと溺れているようだ。

 知能があるとは言え、所詮は子供同然。

 情報整理に長けた大人(リリス)の編み出した策の前に、見事に転がされているのが良く分かる。

 俺は更に変異種を惹き付けるべく、拾い上げた小石を投げつける。


「……出来れば、取り巻きももう少し減らしておきたいところだが、果たして。


 投擲した飛礫が命中して、キャイン、と鳴く取り巻きのストーカーファング。

 それを見かねて、変異種が一歩前に出てきた、次の瞬間。

 変異種が吼え。体表の紫水晶が煌めいた。



 ──ガァアアアアアッ!



「ッ! ……これが、飛ぶ斬撃、ねぇ」


 刹那、殺意漲る咆哮と共に眼前の草木が爆ぜたかと思えば、構えた剣に降りかかる、重い圧。

 ギィィィ、と耳障りな音を立てた数瞬の迫り合いを経て、俺は無傷で変異種の前に立ちふさがった。


「……不意打ちのつもりだろうが──」


 瞬間、身を開いて待ち受けていたのは、防御の後隙を突いて狙ってくる取り巻きのストーカーファングたち。

 統率の取れた動きのように見えて、ストーカーファングたちはそれぞれが俺の首一点を狙って襲い来る。狙いが分かれば、一歩、二歩と後ろに下がって狙いを空振りさせた後、一匹ずつ首を切り裂いてやればいいだけだ。


「──取り巻きじゃあ、相手にならないと、言っただろう?」


 ストーカーファングの群れは、本来であれば等級を一つ跨ぐほどに脅威であるが、それは巨体種の出現によるもの。

 どうやら変異種は、巨体種よりも統率力は低いらしい。

 実際に賢いのだろうが、知能が上がった分、より傲慢になったのだろう。人間と同じだ。強いだけの王では、下は付いて来ない。


「魔物相手に聞くことじゃないだろうが──敢えて聞こう。……準備運動は、済んでるか? こっからは、命がけの追いかけっこだからな」


 視界の端で、変異種の動きがブレる。


 瞬間、俺がさっきまで立っていた地面が大きく抉れる。目に見えない飛ぶ斬撃は、直撃すれば間違いなく致命傷を避けられない。その特殊能力が脅威なのは違いないが、それ以外の身体能力はストーカーファングに付け焼刃程度。それはつまり、十分対処可能だということだ。

 そして、それ即ち、作戦の成功を意味するわけで。


「どうやら、連発出来る、ってわけじゃないようだな?」


 出来るなら、こうして距離を詰めてくる意味が無い。それさえ分かってしまえば、俺は挑発するように変異種に砂をかけ、背を向けて走り出す。



 ──グルァアッ!



 駆け抜ける森の中、俺が通り過ぎた後の木が切り裂かれ、倒れて行く。

 木々の間を縫うように駆け抜ける……なんて芸当は、それこそ森に生きて森に死んでいくエルフのような生粋の森に染まった種族にしか許されていないため、俺のこの動きは入念な下見の結果によるもの。努力の賜物である。

 時折後ろを確認して走っているが、正直、変異種が不可視の飛ぶ斬撃を放つ度に、俺の背に冷たいものが落ちる。

 一歩でも間違えれば背中から真っ二つにされる恐怖の追いかけっこ。正直、生きた心地がしない。


「ふ、ハハ──ッ!」


 だと言うのに。

 どうして俺は笑みを零しているのか。

 どうして俺の血や肉が湧いているのか。

 自分が死の淵に立たされていることの何が可笑しいのか。

 自らの笑みに不快な気分を味わわされながらも、俺は自分の置かれたこの立場こそが俺の居るべき場所なのだと自覚してしまう。


 一歩間違えれば、命を落としてもおかしくない状況。そこに身を置くことで、俺は初めて、生の実感を得る。教会で願いを聞き届けてくれない神に祈るよりも、よっぽど俺の肌に合っている。

 身勝手な願いで大勢の人を巻き込み、世界中の人々を不幸のどん底に陥れた大罪人の俺には、想像を絶する苦痛がお似合いだと、俺自身が囁く。


 ──贖え、と。


 ここでもし足を止めてしまえば。

 頭に過るもしもを振り払って飛来する斬撃から生き残る度に、俺は罪悪感に駆られる。今ので死ねたはずなのに、と。

 俺が願わなければ呪い人(ネビリム)も生まれなかった。変異種も生まれなかった。マックスも苦しみを背負わなかったし、誰も死ななかった。

 全てが俺の所為だと分かっていても、生きるために動く足は、止まらない。


「全部、俺が片を付ければいい……。そういう事だろ! ……リリスッ!」

「はい! 隠匿魔法、解除っ!」


 森の中を迂回する形で飛び出すと、開けた場所に出る。

 俺を追って来る変異種は当然、最短距離を抜けてこようと、迂回せずに真っ直ぐに突っ込んでくる。そのまま迫れば、俺に追い付くから。普通に考えれば、そうする。普通のストーカーファングであれば素直に追って来ただろうが、変異種はなまじ知能が発達しているから、間違いなく最短距離を選ぶと踏んで、見事にその予想が当て嵌まる。

 だから俺は、その場に控えていたリリスに合図を出す。

 リリスの声が聞こえてきた刹那。変異種の目の前で、とある変化が起こった。



 ──ガアァァァッ?!



 聞こえる轟音。上がる絶叫。濡らす鮮血。


 被せてあった布を剥ぎ取るように出現した即席の槍衾が変異種の進行方向……即ち最短距離の道中に出現し、スピードを緩めることを知らない変異種は見事にそこにまんまと突っ込んだのだ。

 大きな音を立てて粉砕される、槍衾。しかし、槍衾は破壊されても尚、変異種の体を大きく傷付ける。

 槍衾の材料は、砕け散った荷馬車の残骸と、亡骸と化した冒険者の得物から拝借したもの。……そう、俺が変異種を誘き寄せたのは、マックスにとって因縁とも呼べる、自分が変異種による種劇を受けた場所だった。


「リリス、あともう少しの辛抱だ! なんとか耐えてくれ」

「はぁ、ふぅ……。ウェイドさんの無事な姿が見れただけで、少し楽になりました」

「マックスは、どうした?」

「調子に乗って穴を掘って魔力切れで倒れてます」

「完遂したってことで、いいか」

「はい。後は放り込むだけです。……ウェイドさん、後でその怪我、ちゃんと手当させてくださいね」


 誘き寄せる最中に砕けた木片が掠ったり、進行方向を塞ぐ形で飛び出して来たストーカーファングに邪魔されたりと、無傷では済まなかったのを指摘されて俺は口を閉ざす。世話焼きの心配性は、ストーカーファングの如くしつこいのだ。

 とは言え、自分も魔力の限界が近いというのに、額に汗を浮かばせているのにも関わらず人の心配が先に出てくるのは流石と言えよう。


「下がっていろ。後は、タイミングだけ見てくれればいいから」

「はい……」


 刹那。もうもうと立ち込めた土煙の中から、斬撃が飛来する。

 地面を削って飛来する斬撃は、不可視と言えども対応は易い。

 けれども、受け止めた俺の足は後退を強いられる。


 ……ここにきて出力が上がるとは。奴も本気、ということか。

 特製の槍衾を苛立ちを込めて踏み砕きながら身を乗り出した変異種は、顔に、胸に、足にと無数の傷を作っており、自慢の毛並みを自分の血で汚していた。



 ──グガアアァァッ!



 怒り心頭、と言った様子の変異種に対して、俺は邪魔な包帯を地面に放り捨て、身構える。


「ほら、変異種(お前)の大好きな呪い人(ネビリム)だぞ、かかって来いよ。簡単には、食わせてやらんがな」


 一瞬姿を見せることになったリリスに牙が向けられないよう、俺は両目で変異種を捉えて正眼に構える。

 間も、静寂も無い。変異種は、飛ぶ斬撃を放ちながら迫って来る。


「馬鹿の一つ覚えだなあッ!」


 槍衾による不意打ちが効いたのか、精彩を欠いた動きに変異種の攻撃のタイミングがずれる。その隙を縫って、変異種の突進を剣で迎え撃つ。



 ──グゥ、ガァアアア!



 ベロ、と口端から剥がれ落ちるみたいに血糊を吐いて上がる雄叫びは正しく、鬼気迫るものがあった。


 放った剣閃は爪によって弾かれ、俺は変異種に一撃さえも見舞えない。

 これだけの反応速度と、自信のあった一撃すらも容易く弾かれる膂力。

 もしもこの変異種と普通に戦っていれば、死線の一つに数えられただろう。差し違えてようやく勝てる、と言ったところだろうか。欠けている俺にとってはそれくらい強敵であり、その強敵は体の開いた俺の隙を、見逃さなかった。

 途端、体を翻した変異種の後ろ脚が、俺の胴に向かって放たれる。


「ぐぅううううっ……?!」


 咄嗟に腕を引き戻して剣を間に挟むことが出来たものの、鋭い爪が体に届いてしまう。爪は肉を削ぎ、強靭な後ろ脚から放たれる蹴りの衝撃は想像を絶した。


「カ、ハッ──?!」


 一瞬にして肺の中身を全部吐き出され、刹那の時間、俺の意識はブラックアウトする。


「あっぶねぇ……。でも──」


 宙を舞う刹那、咄嗟に息を吸って態勢を整えられたのは、奇跡と言えよう。

 しかし、変異種の一撃を受け止めた俺の手はビリビリと痺れてしまい、上手く剣を握ることが出来ない。爪の傷も、決して浅くは無い。早々に止血しなければ、立つことさえままならなくなることだろう。

 最早飛ぶ斬撃も受け止められない状態の俺に向かって、変異種は体を低くしてトドメを狙う。

 奴が狙うのは、俺の首だろう。ストーカーファングは、急所を理解しているから。



 ──グルルルル……、ガァアッ!!



 大地を蹴って、開いたはずの彼我の距離をゼロにしようと突っ込んでくる変異種。もちろん、飛ぶ斬撃もセットだ。



「ここが正念場だ。踏ん張れ、気張れ、死ぬ気で動けよ、俺の体ァ……!」



 ……変異種と俺の間にある、明確な差。


 不可視の飛ぶ斬撃。恐らく魔法の一種だと考えられる、それ。

 恐らくどんな人でも……。それこそ、俺の師匠でさえも、直撃すれば致命傷を免れない絶死の一撃。ストーカーファングの機動力に加えて不可視の斬撃など、天は二物を与えすぎだと言えよう。

 だが、天を恨んだところで、俺に何かが授けられるわけでもない。持ち得る手札で勝負するしかない。


 感謝すべきは、変異種に三物が与えられなかったことだろうか。


 奴は、その最大のアドバンテージを生かして遠距離からの一方的な攻撃に専念すべきだった。不可視の有利性を生かして、マックスを襲った時のように不意打ちに特化すべきだった。そうすれば、俺たちは手も足も出ないまま一人ずつ殺せたというのに。


 奴は、自分の力を過信し過ぎた。

 今もホラ、奴は取り巻きを散らしたまま、こちらに突っ込んでくる。

 変異種として授かった力があれば負けることなど無いと、一ミリも疑う様子を見せずに、自分だけを信じて真っ直ぐ斬撃を放っているではないか。

 それら全てが、お前の敗因に繋がるのだ。



「──言っただろ。馬鹿の一つ覚えだ、って」



 不可視だろうと、俺の感応魔法の前では見えているも同然。

 しかし、腕は痺れている。

 だからと言って、受け止める必要なんて、無い。

 先に到来した斬撃を、俺は体を横に逸らすだけで、回避する。そしてそのまま、剣を握った腕を振り被る。



 ──まともに振れないのなら、まともに振らなければいい。



 邪道と言われようと、勝てば良い。その為に俺は足を踏み込み、剣を変異種目掛けて投擲する。



 ──グァッ?! ガ、ラァッ!



 しかし、投擲した剣は痺れもあって狙いを外し、変異種の眼前の地面に突き刺さった。一巻の終わりである。

 変異種は俺の特異な行動に目を瞬かせたが、それも無駄に終わったと知り、得物を手放したのを好機と捉えたのか、顔に笑みを宿す。牙を剥き出しにした、邪悪な笑みだ。

 足場の悪い左右の瓦礫を避ける為か、変異種は驚きの行動に出る。

 奴は、俺を嘲笑うかのようにその剣を踏み台にして、頭上を飛び越えたのだ。



 ──ああ、そうだよな。お前は知能がある分、そう動くよな。



 今度は、俺の顔に、笑みが宿った。



「リリス!」


「──解、除……ッ!」


 どこからともなく力尽きる声が聞こえてきた、その瞬間。



 ──ガァアッ?!



 変異種の跳んだ先。俺の背後にあったはずの地面が消え去り、代わりに出現したのは、底の深い大穴。

 変異種がそれを目撃した刹那、どうにか軌道を逸らそうと空中で藻掻くも、俺たちの術中に嵌った変異種の身体は、自ら描く放物線のまま、穴の中に吸い込まれていく。

 変に体を動かしたせいか、穴の縁に頸を激突させ、キャイン、という悲鳴と共に大きな音を立てて穴の底に落ちていく。


「落ち、たか……?」


 槍衾での負傷の様子からして、変異種の体はストーカーファングとそう大差ないことが分かった時点で、勝算は九割近くまであった。

 もしあそこでほぼ傷が無かった場合、俺が死ぬ気で手傷を負わせるつもりだったのだが、そうならなくて良かった。

 知能のある魔物はただ狡猾なだけでなく、戦闘センスも磨かれるということを見落としていたため、普通に戦っていれば問答無用で死んでいたかもしれない。


 暫く穴の方向を見ているが、這い上がってくる様子は無い。


「勝、った……?」


 それを見て、俺は安堵の息を吐く。

 ──俺たちの、勝利だ。

 三人中二人は魔力切れで困憊中。俺は戦闘による疲労と苦痛で困憊中。

 見るも無残な結果だが、どんなに泥臭くとも勝ちは勝ちだ。

 俺は地面に大の字になって、拳を掲げる。



「俺たちの……勝ちだ」



 俺たちの、作戦勝ちである。







補完と言う名の、言語解説。


【変異種】


体表に紫水晶が生えた個体の総称。

自然発生したとは考えられず、紫晶災害の余波にて生まれた悲しきモンスターである。

人間の体が紫水晶に侵されていくのに反して、魔物の体には紫水晶が生成される。それがどんな苦痛を伴うのか、それとも伴わないのかは不明。

変異に際して、変異種は生得魔法のようなものを獲得しており、本来の魔物であれば持ち得るはずの無い特殊能力をその身に宿しているため、危険度が格段に増している。そのため、研究材料としてのサンプルが集まらない、というのも研究が進まない理由の一つ。

また、研究塔の中では変異種と呪い人ネビリムには密接な関係がある、という仮説が立てられており、変異種についての調査を深めることで紫水晶に変えられた人々を救えるかもしれない。

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