あなたに私の言葉は届かない。
◇
「数が、多いな」
「っ、ウェイドさん……!」
人目を避けようとした結果、最悪の場面に遭遇してしまったマカロアを出てから、四日。
ウェイドさんが戦う姿を、隠匿魔法で隠れた私たちは、気を揉んで眺める。
今思えば、あの時、あの瞬間が、突き進むことを決意した彼を引き留める最後の機会だったのかもしれなかった。
ウェイドさんはあの日を境に、口数がめっきり減ってしまった。元より多かった方では無いけれど、それが極端に減ったのです。まるで、楽しくおしゃべりすることさえ自分には相応しくないとでも言うかのように。
そんなウェイドさんは今、帝都に近付く程に増加する魔物の襲撃に怪訝な表情を浮かべながら、先程から襲い来る魔物を片端から切り捨てていく。
そうして最後の一匹の首を落としたところで、私はタオル片手に彼に駆け寄っていく。
「ウェイドさん!」
「自分で拭けると、いつも言ってるだろ」
「いえ! 隠れることしか能の無い私の代わりに戦ってくれてるんですから、これくらいはさせて下さい。それとも……労うのも、駄目ですか?」
「……好きにしてくれ」
私の生得魔法は戦闘向きじゃない。
士官学校で多少の戦闘訓練を受けているとは言え、ウェイドさんほどの実力者に混じって戦うには危険が過ぎる上に足手纏いなので、馬と一緒に隠れることしかできない。
そのことを歯痒く思いつつ、肩で息をするウェイドさんの汗と返り血を丹念に拭っていく。
たった一日で三度に渡る魔物の群れの襲撃は、流石にウェイドさんでも厳しい様子。
「──いやぁ、お見事、お見事! あんた、腕がいいねぇ! 助かったよ! あんた、さぞかし名のある冒険者か、退役した軍人ってところかい? よかったら俺に正式に雇われてみないか? 給料は、弾むからよ!」
私の隠れていた場所から、遅れてウェイドさんの手際を褒め称えながら姿を見せるのは、青年の男子。
彼の名はマックス。
道中、荷馬車も馬も護衛諸共失った、赤字確定の商人……、らしい。
如何せん、ウェイドさんが悲鳴を聞いて駆け付けた頃には荷物も全て魔物に壊された後で、彼の身分を証明する物は何も無いのだそう。
そのあまりにもな身の上を一方的に聞かされて縋るように隣町までの護衛を頼まれた結果、こうして行動を共にしている……というわけなのですが、ことあるごとにウェイドさんを勧誘するのだけが気に食わない。
「この距離感……あんたら、さては夫婦か? このご時世に夫婦で旅するなんて、訳アリだな? いいぜ、聞いてやるから話してみな」
「……この様子じゃ、野営は厳しいか?」
「そうですね。昨日からすれ違う人達はみんな武装しているか、多くの護衛をつけているかのどちらかでしたし……。どうしてこんなに魔物が多いのでしょうか」
「ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょぉい! 待て待て! 無視すんなって! 調子乗ってましたすみませんって謝るから、せめて会話には混ぜてくれよぉ! このテンションも訳ありなの! 不安から来るものなんだよ! だからせめて聞いて! もう死んだものかと思ってたから命が助かってテンション爆上がりしてんだよ! このまま娼館行ったら破産しそうなくらい盛り上がっちゃってんだよ!」
「「……キモ」」
「ぐはぁーーーっ!」
喧しい自称商人のマックスが気絶したのを放って、二人で旅程を組み直す相談をします。
魔物蔓延る森の中で、このまま野営をするには危険極まりない。かと言って、開けた土地に出るには森を突っ切るか、もしくはこのまま街道沿いに進んで途中の村や町に逃げ込む他ないのだけど、馬の安全と消耗を考えるとどちらも得策ではありません。
それに、的確にウェイドさんを狙ってくるような同じ魔物の襲撃というのも気にかかります。放っておける問題では無さそうだ、というのはウェイドさんと意見が一致しました。
となると、このまま夜通し歩き続ける、というのは選択肢から外れるはず……そう思っていると、ウェイドさんはまず真っ先にその案を口にするのでした。
「俺が守って進めばいい。それで全部解決だ」
それは唯一の戦闘要員であるウェイドさんの消耗が大きすぎて考慮の余地すらないと言ったはずなのに。そのくせ、
「なら、私が夜通し魔法を使ってみんなを隠せばいいってことでもありますよね」
「それは駄目だ。お前の負担が大きすぎる」
なんて言うものだから、困ったもの。
場面が違えば惚気たくなるくらい嬉しいのですが、今はウェイドさんの身を案じることのほうが先決。
「私も同じです。ウェイドさんの負担が大きすぎる作戦は、私も認めません。だからちゃんとした解決策を探しましょう? ね?」
ウェイドさんは、平気で自分を勘定から外す癖がある。
それが自分の罪に対する罰だというのなら、私は否定し続ける。
──彼が謂れのない罪を背負うと言うのなら、私もそれを一緒に背負う。
──彼が必要のない罰を受けると言うのなら、私もそれを一緒に受ける。
喜びも、怒りも、悲しみも、楽しいことも、全部を分かち合いたい。楽しいことは倍に、悲しいことは半分に。彼には、一緒にその道を歩んで行ける人が必要だから。私はそんな人になりたいと強く思うがゆえに、彼の無茶を止めなければならなかった。
「……そうなると、必然的に取れる選択肢は狭まるぞ」
「はい。魔物の群れの、ボスを倒す、ですよね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! あんたら、ボスを狩るつもりか……? や、やめとけやめとけ! あれはもう、バケモンだぞ! なんであんな魔物がここにいるのか知らねぇけど、あんなやつはもう見るだけでもちびっちまう!」
気絶した振りから目覚めた自称商人のマックスが、起き抜け一言目に泣き言を口にする。目障りで耳障り、とは実に愚かしいですが、この世界の男性が皆誰しもがウェイドさんのように素晴らしい男性ばかりとは限りません。
私は溜め息一つ吐いて、愚鈍な脳の持ち主に対して説明をする。
「勝算が無いのにこんな話をすると思いますか? あなたの積み荷の被害と、一定間隔で襲い来る魔物の群れ。それらを含めて考えられるボスは、入念な準備をして挑めば決して勝てない相手ではありません。このままジワジワ気力と体力を削られていくより、こちらから打って出る方が得策なのは自明の理。それともあなたは、このまま何も出来なくなるまで精魂尽き果てた状態でボス魔物と対峙したいんですか?」
「あ、あんた達はあのバケモンを目の当たりにしてないから知らねぇんだ! 俺の雇った護衛は決して安くない奴ら……銀級だったんだ! それが一瞬で蹴散らされた上に、ヤツはとんでもなく、賢いんだ。あんたの足音を聞いて、すぐに逃げて行くくらいにな! そんなヤツ相手に、どうやって勝つって言うんだよ?!」
「勝算は無くは無いが、決して高いとも言えない。だから今は情報が必要なんだ。勝算を万全なものにするために。その化け物と相見えて生き残った、お前の持つ情報がな」
ゆっくりと立ち上がったウェイドさんの言葉に、マックスは露骨に目を逸らす。
「っ……! バカ言っちゃいけねぇ。俺が言えることなんて、今ので全部だ。これ以上は何も出ねぇよ」
「ウェイドさん」
「いい、俺がやる」
「は、え、は……? な、何すんだあんた、ら──?!」
分かりやすい反応をありがとうございます、とだけ伝えて腰に持った護身用のナイフに手をかけたのも束の間、先に動いたのはウェイドさんの方。
抜き身のままだった剣を持ち上げ、マックスの喉元に添える。
少しでも動かせば頸動脈が傷付き、命が噴き出すのが目に見えているため、さっきまでお調子者のように軽やかだったマックスの表情はたちまち強張り、恐怖に染まる。
「……私たちは別に、お人好しって訳じゃありません。ただ、前に進むために情報が必要なんです。それを出し渋るようなら、脅すのも吝かではないというわけなんですが……ボス魔物に関して隠していること全部、話してもらえますか?」
「な、何かの冗談か? あ、あんたらは命の恩人だ。そんな人に、隠し事なんか、あるわけないだろ……? そ、そうだ、金か! 金が欲しいなら、生きて帰してくれればいくらでもやる! 一生をかけてでも払う! 約束する! だから……だから頼むよ。あの魔物からは、手を引こうぜ?」
「残念ながら、私たちお金には困ってないんです。欲しているのは、情報。あなたの持つ情報だけが欲しいんですよ。見たところ、ストーカーファングの上位種個体、キング個体が出現したのでしょうか?」
「っ……」
「分かりやすい反応をどうも。違うのですね。王の個体ではないなら、別の魔物? 別種の魔物に従うなど、話に聞いたこともないですね。初めて見える魔物と私達は対峙する訳ですが、その先で私たちが死のうと、あなたには関係のない話です。ですがここであなたの持つ情報を得られたなら、死なないかもしれない。勝つかもしれないのです。そうと知りながら、あなたはこのまま沈黙を貫き、私たちを見殺しにするつもりですか?」
「──ッ、わ、分かった! 分かったよ! 話す! 話せばいいんだろ! だからせめて、俺の命は保証してくれよ……?」
使い慣れた手法に想像力を働かせたマックスが血の気の失せた顔で懇願したのをきっかけに、ウェイドさんが剣を下ろす。
何を想像したのかは知りませんが、この手法を使ったのは今回で二回目ですが誰の命も奪ったことはないから安心していいというのに。
解放されたマックスは数分前よりも若干やつれた様子で背を曲げ、ゆっくりと話し出す。
「……俺を襲った魔物の正体。それは──変異種だ」
「変異種? ウェイドさん、聞いたことありますか?」
「いや、無いな」
「は、ハァ?! イマドキ、変異種を知らないのか?! チッ、なんだよ。それならそうと言ってくれよ……。変に怯える必要も無かったんじゃねぇかよ……」
マックスは首に添えられた剣が下ろされた時よりも強く安堵した様子を見せて、地面にへたり込む。
「進化個体とは、違うのか」
「あぁ、変異種はそんじょそこらの魔物とは一線を画す……、バケモンだ」
人間や各種族が生息域によって適応し、生態を進化させてきたように、魔物も時折進化の過程を経ることがある。
時に羽を得たり、周りより巨大な体を得たり、知恵を得て魔法が使えるようになったりと、その進化は多岐に渡る。長い歴史の中でも魔物の進化は世界各地で見られ、この魔物は有翼種に進化することがある、とか、巨体種に進化することがあるなど、魔物の生態については詳しく記録されている。
そうやって進化した個体はもれなく凶暴であり、彼らの広大な縄張りに侵入する人を好んで襲う性質を持つからだ。対策を用意しなければ、進化個体によって村や町が地図上から消える、なんてことは不思議じゃありませんでした。
だから今回もその一種なのかと思っていました。
先程からウェイドさんに襲いに来る魔物は、食い裂き牙狼。通称、ストーカーファングと呼ばれる単身では危機等級が銅級、群れになると銀級にもなる、油断ならない魔物。その進化個体は巨体種なのだけれど、マックスが口にした「変異種」なるものの記録は、私の記憶にはありませんでした。
へなへなと地面にへたり込んで項垂れるマックスに先を促すと、やさぐれた様子で語り出す。
「……変異種ってのは、紫晶災害の後から目撃されるようになった個体でな。詳しいことは知らねぇけど、噂じゃ、紫水晶を食った個体じゃないか、って言われてるんだ」
「紫水晶を、食った……?」
「呪い人みてえに体表が石に変わるんじゃねえ。変異種は、その体から紫水晶を生やしているんだ。俺が見た個体も変異種だったからな。んで、変異種は二つの特徴があって、一つは特殊能力を使えることだ」
マックスは指を二つ立てる。
「特殊能力?」
「あぁ。魔法なのか、それとも変異種に進化したことで備わった能力なのかは不明だが、俺が見た変異種は、目に見えない斬撃を飛ばしてくるヤツだった。会敵した瞬間に、護衛の一人の身体が切り裂かれたんだ。思い出すだけでもブルっちまう。そんで、能力を得た代わりなのか知らねえが、変異種は体のどこかに異常をきたしてる。それが二つ目の特徴だ。俺が見た奴は、多分……鼻が利かねえんじゃねえかな。少しの間とは言え、隠れてやり過ごせたんだ。あのストーカーファング相手にな。それから──いや、なんでもない。これで全部だ」
二つ指を畳んだ後、露骨に手を後ろに回す。
こんなに分かりやすくて良く今まで商人が出来ましたね、この人。
「それから? 三つ目の特徴があるんですね?」
「これで全部だって言っただろ」
「特徴は?」
「いや、だから、これで全部でして──」
「とくちょうは?」
「…………っ、はぁ。変異種は、呪い人を好んで狙うんだよ。紫水晶になった人間のこともな。魔物の考えてることなんざ分かりたくねぇが、普通の人間よりも美味そうに見えるんじゃねぇの」
「変異種……、新しい進化個体か」
「目に見えない飛ぶ斬撃、鼻の故障……暫定的とはいえ、かなりの情報です。早速準備に取り掛かりますか?」
視覚と聴覚。ボス級の相手が知覚できる範囲がその二つなら、やりようはいくらでもある。私も、ウェイドさんの力になれると思って張り切る。
「情報提供は済んだだろ。ならもう行ってもいいよな? 俺はさっさとおさらばしたいんだよ。こんな森も、あんた達とも!」
「……ストーカーファングの変異種は、どうして逃げたんだと思う?」
私も用済みだと思っていたマックスに向かって、ウェイドさんが不意に問いかける。
「あ? んなもん──……。そういや、確かに。どうしてだろうな?」
「ウェイドさんに敵わないと見たからですか?」
「それもあるかもしれないが、可能性としては低いだろうな。そもそも、マックスのことも、初めから切り裂いて始末すればよかったのに、変異種はそれをしなかった」
「……」
ウェイドさんの言葉にあからさまに沈黙したマックスを眺める。
なるほど、ウェイドさんの言いたいことが分かった気がする。
「変異種に、もしも呪い人を見分ける器官が備わっていたとすれば、奴は餌を見逃したことになる。獲物に固執するストーカーファングが、一度唾を付けた人間をみすみす見逃すと思うか?」
「さっきから餌、餌ってよぉ……。……もしかしてあんた、気付いてたのか?」
「……俺も、呪い人だからな」
「ッ!」
ウェイドさんが包帯を取って、紫水晶に侵された目元を晒す。
マックスはその光景に驚愕した後、自らも服をめくって見せる。お目汚しだと思って私は思わず顔を引き攣らせたが、貴族と市民の常識には明確に隔たりがあるのでした。
彼が捲った服の下には、腹部の三分の一程度が紫水晶に変化した肉体があった。背中が透けて見えるほどの浸食に、私は思わず絶句してしまった。
「……まさか、お仲間だとはな。こんな体でも生きてんのが不思議だろ? ……あんたの言う通り、変異種はきっと、呪い人を見分けることが出来るんだろう。だから、俺をすぐに殺さなかった。餌は綺麗なまま食うのがストーカーファングのやり方だ。それくらい知ってるよ。……だとしたら、なんなんだ? ……変異種は、俺を目的で襲い掛かって来たってことになるよな。なら、それってよぉ……、つまりは、俺が、あいつらを殺したみてぇじゃねぇか……! なぁ、そんなの、間違ってるよな……? 嘘だと言ってくれるよなぁ?! あいつらには、俺が呪い人だってことすら、言ってなかった。言えるわけ、ないよな。そんなこと言ったら、護衛なんて受けてもらえねえから……。でも、嘘ついたままあいつらが死んだってことは、俺が殺したことになっちまう……だから、怖くて……、言えなくて……! バケモンは、俺のほうかもしんねぇって思ったら、怖くなっちまって……!」
街の人が善意で言う、「化け物」という言葉。
それに自ら成り下がったと狼狽えるマックスの肩を、ウェイドさんは優しく抑えて言い放つ。
「お前のせいじゃない」
「でもよぉ……!」
「お前のせいじゃ、ない……! 絶対に、違う。呪い人は、化け物なんかじゃ、ない……!」
「っ、あぁあ、ああぁ……!」
ウェイドさんの言葉に、滂沱の涙を流すマックス。
それを私は、何も言えず眺めることしか出来なかった。
マックスと言う男は、確かに不幸だった。不幸だったのかもしれないけれど、それ以上に不幸な人が目の前にいる。
ウェイドさんはきっと、間違いなく、彼の不幸も背負っていくつもりでしょう。
……それが、どうしても許せなくて。
心の隅っこで、これ以上彼が不幸になるくらいなら、あの場で殺されていれば良かったのにと思ってしまった私は、酷い女でしょうか。
私がいくら同じ言葉を捧げても微動だにしなかったウェイドさんの心が、マックスという出会って間も無い男に同じ言葉を掛けていることさえ、腹が立つ。
腕を押さえて悔しがることしか出来ない自分を、醜く思う。
私は奥歯を強く噛んで、泣き喚くマックスと一人傷付こうとするウェイドさんに近付いていく。
「……ストーカーファングは、狙った獲物は逃がしません。あなたも、そしてウェイドさんも獲物認定された、ということでいいですか」
「あぁ、恐らくな。奴は今、狩りの最中ということだろう。この森にどれだけの規模のストーカーファングがいるか分からないが、俺たちが力尽きる方が早いのは必然。打って出るべきだ。そのためには、マックス。お前の力も借りるぞ」
「お、俺に出来ることなら、なんでも!」
「確か、襲撃は大体一時間おきだったな。……俺たちで変異種を、討つぞ」
そう言って立ち上がったウェイドさんの横顔は少し、影が濃くなったように見えた。
補完と言う名の、言語解説。
【ストーカーファング】
生体になれば二メートルを超す体躯の持ち主。
雌雄どちらも凶暴。繁殖期になると危険度増。
一匹の雄と、数匹の雌で群れを構成する。基本的に二つの群れが合算することはなく、縄張りも分けられる賢い魔物ではあるが、時折雌雄関係無く全てのストーカーファングを統率する「王」と呼ばれる進化個体が出現する。進化個体は体躯が倍以上になって凶暴性を増す。完璧に統率された群れは軍隊のようで、人の生活圏を脅かす存在と化す。
体表は毛皮に覆われているものの、硬くは無いため斬撃も魔法も有効。罠による捕獲も容易なため、しっかりとした準備をして挑めば苦戦を強いられることはない。
進化個体に関しては危険度が跳ね上がるため、後述。見かけたら逃げるべし。
討伐証は犬歯。肉や毛皮も状態次第では買い取ってもらえる。




