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二節 現実1

 


 ◇


「──いいですか、ウェイドさん。その包帯は、人目のある場所では絶対に取ってはいけませんからね」


 旅装束に身を包んだ俺とリリスは、セナ村を背にして最後の確認に入っていた。

 帝都行きを口にしてから早三日。俺とリリスは、共だって帝都に戻ることになった。

 旅程は来た時よりも少し長い期間を設定し、無理のない道順を組んだつもりだ。

 帝都行きに際しては一悶着あったものの、行くと決まった瞬間からリリスは協力的になり、俺よりも力を入れて旅支度をしてくれていた。

 

『……傷付きますよ。ここで私と一生を過ごすのは、どうしても駄目ですか……?』

『駄目じゃない。現に今も、その未来を手放したくないと強く望む自分がいるのも、また事実。だけど、俺はそれを望む立場にない。俺にはやるべきことが……やらなくちゃいけないことが、あるから』

『酷い目に逢うって分かってるのに、行くんですか。きっと、ウェイドさんの想像なんて遥かに凌駕するくらい、外の世界はあなたに牙を剥いてきます。もっと傷付くのに、もっと苦しむかもしれないのに……。本当に、行くんですね?』

『あぁ。俺は行くよ。行かなくちゃいけないから。それに、傷付くかもしれないっていうのは、行かない理由にならない。挑戦しない理由には、ならない。……傷付くことも、苦しむことも覚悟の上だ』

『なら……私も行きます。ずっと、あなたの傍に居ますから』


 俺はと言うと、リリスの語ってくれた外の世界の話を聞いても、決して外に出るという覚悟は揺るがなかった。

 そんなやり取りがあったのが、三日前。

 そして今日。俺たちはリリスの愛馬に跨り、帝都に向けて旅立つ。

 荷物を鞍に引っ掛けて、彼女の愛馬を横に、出発前のやり取りを交わしていた。


「蒸れそうだな」

「我慢してください!」

「……怒ってるのか?」

「怒ってません!」

「怒ってるじゃないか」

「いい加減、しつこいです! 私は私で、納得してついて行くんですから、これ以上聞かないで下さい! それとも、私が嫌だって言ったら行くの止めてくれるんですか? 違いますよね!」

「俺は、一人でも行くつもり、だったけど……っと。手を、貸そうか?」

「問題ありませんし、もう、知りません! いつの間にか、馬【エース】もウェイドさんにすっかり懐いていますし……」


 文句を言いながら、リリスは補助なしの軽い身のこなしで馬に跨ると、前に座る俺の腹に手を回す。

 ピタっと密着してくる仕草と、ツンケンとした口調が微妙にすれ違っているリリスに苦笑しつつ、俺は握った手綱を引く。ぶるん、と鼻息荒く頷いた馬が落ち着いた歩様で歩き始める。


 遠くなっていくセナ村の景色。

 別れを惜しんで、振り返ることはない。振り返れば、切り捨てられない未練が溢れ出してくるから。

 別れは済ませたとは言え、この村を出るという決断には相応の覚悟がいった。

 リリスの与えてくれる安らぎは、心地良い。短期間で俺がここまで回復できたのも、彼女が一緒に傍にいて、余計なことを考えないでいい時間を作ってくれたからだ。

 彼女は俺に感情を取り戻してくれた。そう言うと、きっと彼女は謙遜するだろうが、俺はリリスが思っている以上に恩を感じているし、感謝もしている。


 ……そんな心安らぐ環境から、リリスが望んでいるにもかかわらず、どうしてわざわざそこから抜け出すような決断をしたのか。


 それは、俺がセナ村を見て回って、改めて俺の犯した罪の大きさを思い知ってしまったから。

 見知った顔の村人たちが石にされた姿を、一軒一軒回って確かめたことで、俺は俺自身を心安らぐ環境に身を置いていることを責めずにはいられなかった。

 帝都のように夜でも活動的なわけがない農村は、日が昇ると同時に活動を始め、日が落ちれば床につくのが基本。

 ゆえに、誰もが就寝時の姿のまま、石にされていた。

 また明くる日に目が覚めるのを待っていたまま、永遠に覚めない眠りにつかされたのだ。

 それを為したのは、誰か。


 ……俺だ。俺がカタリナに願ったから、罪のない村人たちが石にされた。


 俺はその事実から目を背けようとしていたことに気がついて、我を疑った。

 リリスとの日々という幸せなぬるま湯に浸かったまま、俺は気付けば自分の罪から目を背けようとしていたという、その事実に。だから俺は、立ち上がらざるを得なかった。


 ……リリスが止めようとするのも、分かる。彼女の口から聞いただけでも震え上がるような現実が俺を待っている。それに恐怖を感じる。だが、今ここで立ち上がらなければ、俺は一生立ち上がれなくなるだろうということも分かっていた。

 このままでは、きっといつか、俺は自分の罪さえ忘れてのうのうと生きていくことになるかもしれない。そうなったら最後。俺は、俺を許せないだろうから。だから俺は、俺自身を許せるように、認めるために、セナ村を発つ。

 胸に宿り、肩にのしかかる自責の念を忘れる前に、俺は現実と、自分の罪と向き合わなければならなかった。


 例えどんなに苦しくても、前に進む。


 どんなに傷付こうとも、前に。


 前に進むことを、心に決めて、帝都へと向かって行く。


 ……次にセナ村に帰ってくるときは、この身に、この魂に縛り付けられた罪を雪いだ後だ。


「行ってきます、みんな……」


 そうでなければ、みんなに会わせる顔が無いままだから。




 ◇




「荷物の補給をしてきます。ウェイドさんは、ここで待っていて下さい」

「いや、俺も行く。荷物持ちくらいは、させてくれ」

「いえ、でも……」


 帝都に至るまでの旅程は二週間を超える大規模なものであり、途中立ち寄る村や町の数も少なくない。

 ただ、リリスの計らいによってその数は限界まで減らされており、俺たちはその一つ、帝国南部地域最大の交易都市、マカロアに立ち寄っていた。

 セナ村に帰る途中も、カタリナと立ち寄ったことのある都市だ。


 そんな大規模な街にも、俺たちは寄るだけ。泊まりもしなければ、休憩も取らない。そんな強行軍に、この無理な旅程を組んだ彼女の意図を汲み取ってこれまで黙ってついてきていたが、旅程も半分に差し掛かったこの場所で、俺は口を挟まざるを得なかった。

 リリスの顔に、はっきりと疲れの色が濃く見えてきたからだ。


「俺が帝都に行くって言い出したんだ。町に入る用事を全てリリスに押し付けたままじゃ、話が違うだろ。荷物持ちがいれば、リリスも多少は楽ができるはずだ。それに、今日くらいは町で宿を取ってもいい」

「それは一理ありますけど……。はあ……、もう、分かりました。一緒に行きましょう。でも、そのためにはウェイドさんに守ってもらいたい条件があります」

「街中では一言も話さない、くらいなら聞けるぞ」

「それも悪くないですが、そこまで厳しくはしません。街中で守ってほしいのは、一つだけです」


 人差し指を立てたリリスの言葉を待つ。


「……絶対に、人助けをしようなんて思わないで下さい」

「人助けを? ……困っている人がいれば、助けるだろ。それも、駄目なのか?」

「はい。絶対に誰にも優しくしないで下さい」

「リリスにも、か?」

「わ、私は別というか、特別というか……コホン! と、とにかく! 街の誰にも、親切心を向けようとしないで下さい。これから向かうマカロアは特に、交易都市なだけに様々な人種が混じり合った都市です。……正直言って、紫晶災害を経て、街の中がどうなっているか想像できません。私が抜けてきた時でさえ、既に混乱が広がりつつあった状況でしたから、今はそれ以上と考えるのが妥当でしょう。……あれから時間が経った今、マカロアでは呪い人(ネビリム)が一体どんな扱いを受けているか……」


 そこで言葉を切ったリリスは、更に疲れた顔を見せて溜め息をついた。

 交易都市マカロアに至るまで、街を二つ、村を三つ、経由してきた。町や村に寄る度にリリスは補給を担い、俺は(エース)を労う役目を担ってきたが、今思えばそれは彼女なりの気遣いだったのだろう。


 俺に辛い現実を見せないようにするための、気遣い。

 お陰でこれまでの道中ではリリスの言う『悪意』、というやつに触れて来ずに、心の平穏を保ちながらここまで来られた。

 だが、それでは駄目なのだ。

 俺はその悪意を、真正面から受け止めなければならないのだから。


「……リリスの言いたいことは分かった。気遣いも感謝している。だけど、これ以上、余計な気は回さなくていい。俺は現実と向き合うために帝都に行くんだ。……帝都だけじゃない。世界各地で起こる不幸の全てと、俺は向き合わなくちゃいけない。だから俺から、咎めを受ける機会を奪わないでくれ」

「でも、それだと、ウェイドさんが……!」

「これは、俺の罪だ。それは、俺の罰だ。願ってしまった、叶えてしまった、俺への罰だ。お前が背負う必要は、無い。リリスが思いつめる必要は、無いんだよ」

「……っ、私、にも──」


 追い縋るリリスの声が、背後で風に流され消えて行く。

 手綱を引く(エース)が、ぶるる、と鳴いて俺の袖を引っ張るも、俺がマカロアに向かう足は止まらない。しかし、人の機微を察することができるくらい賢い馬の首元を撫でて落ち着かせた後、少しだけ歩様を緩めると、リリスが隣に並び立つ。


「……」

「……」


 だが、二人の間に会話はない。

 巻き込まれた(エース)がぎこちなく二人を交互に見ているが、重く沈んだ空気のまま、俺たちはマカロアへの門のところで入都審査を受ける。


「国民証の提出を──っと、二人は兵士、片や士官殿でしたか。お疲れ様です!」

「はい、ご苦労様です。南部の配属からの帰還で街を寄るだけです。すぐに帝都に向かわなくちゃいけないの」

「それはそれは……。ただ、そちらのお連れの兵士の目元、確認させていただいてもよろしいですか?」

「やめておいた方がいいですよ。包帯の下は、配属先の事故で酷い火傷が残っているだけですので。呪い人(ネビリム)を警戒しているようでしたら時間の無駄とだけ伝えておきますよ」

「これはとんだご無礼を、失礼しました」

「一つ、聞いてもいいか?」

「ああ、いいぞ」

「もしこの段階で呪い人(ネビリム)が発覚した場合、どのような処置を取れと命令されている?」

「発覚次第、街には入れるなとの領主命令を受けている。市民の協力のお陰でここマカロアは、気味の悪い呪い人(ネビリム)の恐怖から解放されつつあるんだ。あんた達はそう長居するつもりはないだろうから心配ないが、くれぐれも貧民街(スラム)には近寄らないようにな。あそこはまだ兵士の人手が足りてないがゆえに、数多くの呪い人(ネビリム)が隠れ潜んでいる。呪いを感染(うつ)されたくなければ、近寄らないことだ。酷い火傷に加えて紫晶の呪いまで受けた日にはきっと、死んだ方がマシな目に逢うだろうからな」

「……そうか。委細承知した」


 マカロアへ入るための審査は、二人の兵士による問診のみ。

 下士官である兵士の二人は、直属では無いとは言え遥か高みにいる士官のリリスには恐れ多いのに対して、同じ下級兵の俺にはフランクに接してきた。

 マカロアの玄関口を通って堂々と街中に入り込んだ俺は、大勢の動く人々の姿に一瞬言葉を失い、何とも言えない表情で振り返る。


 ……紫水晶の彫刻は、ここには見当たらない。


「……っ。あの男からは、悪意を感じられなかった。ただの善意で俺の嘘を心配していたし、俺たちの身を案じていた……。なぁ、リリス。呪い人(ネビリム)は本当に、化け物か何かなのか……?」

「いいえ、ウェイドさん。呪い人(ネビリム)は、紛れもなく人です。同時に、人として扱われない存在……。今の兵士たちの言い草は、まだ優しい方ですよ。領主命令という大義名分を得た市民の方が、呪い人(ネビリム)に対して辺りがキツイですから」


 場所を移動するため、その言葉だけを置いてリリスは俺の手を引いて歩き出す。

 俺がリリスの口から聞かされた呪い人(ネビリム)と、彼らの口にしていた呪い人(ネビリム)。その二つが同じものだとは思えないほどに彼らの言葉は悪意に満ちていて、その口は善意で動いていた。

 溢れ返る矛盾に問い質す暇もなく、我に返った頃には見慣れた人々の営みが繰り返される日常に俺は降り立っていた。


 その間を割るようにしてリリスに手を引かれ、俺たちは当初の目的である補給のためにマカロアの中心で行われている市場に足を運ぶ。


「いらっしゃい! そこのお兄さん、うちの新鮮野菜はどうだい?」

「最近じゃあ貴重になりつつある油! 無くなる前に買っていきな!」

「うちの肉はここいらじゃ最高の品質だよ! 寄って行ってくんな!」


 そこは確かに交易都市の名に恥じぬ盛況ぶりであったが、やはり、と言うべきか。圧倒的に、人が少なく感じられる。

 以前来たときは、カタリナと二人で市場を巡るのもやっとな盛況ぶりだったが、それと比べると今はどうだ。

 道は馬車が通ってもなお余りあるほどに余裕があるほどに人の数が目に見えて減っており、街の活気も薄れている。それだけでも俺は、この街から活気を半分以上も奪ってしまったことになる。それがどれだけ罪深いかなど、考えるまでもない。


「……少し、休憩されますか?」

「いや、いい。平気だ……これくらい」

「……私が、少し疲れたんです。どこか、休憩させてもらってもいいですか?」


 にへら、と笑って休むことを催促するリリスを見て、俺は一瞬、口ごもる。

 気遣いは不要だと言っておきながら、彼女の抜け目のない気遣いに救われている自分がいることに気が付き、恥じ入るような気分を味わったからだ。


「……ありがとう」

「えへへ。迷惑じゃ無ければ、良かったです。マカロアには人気のカフェがあって、そこに行ってみたいなと昔から思っていたんです!」


 それに怒りを覚えることなど言語道断。俺はただ、ああ言った手前、それを上回るような彼女の気遣いに完敗しただけである。

 俺の沈んだ気分を浮上させようと努めて明るく振る舞うリリスに手を引かれ、中央広場から外れたマカロアの街並みを歩いて行く。

 しかし、少しだけ心が落ち着きを取り戻し始めた頃、俺たちの耳に不穏な声が聞こえてくる。


「──さっさと街から出て行けよ、呪い人(ネビリム)!」

「警邏を呼んで来ようぜ! それとも、仲間の居場所を吐かせるか?」

「おい、見ろよこれ! こいつ金持ってるぞ! 貰ってやるから、離せよ」

「だ、駄目、です……! これは、薬を買うお金で……!」

「薬だぁ? 呪いとバカにつける薬は無ぇってこと、知らねぇのか?」


 その声が聞こえてきたのは、路地の裏。気になって覗き込むと、そこには数人に囲まれた、一人の少年がいた。

 数人の市民に囲まれ足蹴にされる少年は必死に抵抗する姿を見せるが、その折に、彼の纏う外套が剥がれ落ち、布に隠された少年の姿が太陽の下に晒される。


 彼の表皮が、天から降り注ぐ光を反射させて輝きを放つ──が、それはすぐに陰る。周りを取り囲う青年たちに、再び足蹴にされて地面に転がされたからだ。


「っ……!」

「ウェイドさん、駄目です……! ここでトラブルを起こしたら……、帝都には行けません……!」

「でも、俺は──」


 飛び出して行こうとした俺の手を引いて、リリスが俺を引き留める。

 そうだ、手を繋がれていたのだ。


 ……だから、なんだと言うのか。


 それでも俺は構わず飛び出して行こうと、その手を振り払おうとした、瞬間。悔しさの滲んだリリスが歯噛みする表情を目の当たりにして、俺は引かざるを得なくなる。

 リリスもまた、同じ思いなのだ。繋いだ手に、力が込められる。俺はただ、彼女の言う通り、目の前の光景から遠ざかることしか出来ないのであった。


「や、やめて……止めてください! どうして、こんな、酷いことを……!」

「あ? 知らねぇのかよ。お前たち呪い人(ネビリム)とは違って、俺たち善良な市民には呪い人(ネビリム)の報告は奨励されているんだよ。ついでに報奨金も出るしな。それが国の政策ってやつ? 一昨日なんて、五人も見っけたっけなァ?」

「な、なんだよ、それ……なんなんだよ、この世かぃ──ぐうぅッ!」

「はい、うるさいでーす。出来れば、お仲間の場所も吐いてくれると助かるんだけど」

「言う、もん、か……!」

「ちなみに……、突き出す時には呪い人(ネビリム)の生死は、問わないんだぜ?」

「ヒッ──」


 そこで、顔を上げた少年と俺の目が合う。

 助けを求める目だ。けれども、リリスが掴む手は俺を繋ぎ止めるかのように、強く握られたままで。


「あぁん? 何見てんだよ。こいつは俺たちの獲物だぞ? さっさと失せな」

「それともなんだ、こいつを助けるつもりか? 無駄無駄! 俺たちってば、お国のために働いてるんだっての! 俺たちもこれで、最強無敵の帝国軍人の一員、ってか?」

「……」

「な、なんだよ、その目……!」

「……」

「け、喧嘩売ってんのか?! アァ?!」

「……」

「く、来るなら、来い──って、あぁッ?! 呪い人(ネビリム)のガキが、逃げた!」

「チッ、クソ! まだ遠くに逃げて無いはずだ! 探すぞ!」

「てめぇ、次見かけたらぶっ殺すからな!」


 チンピラの男たちは、最後に俺を指差してそれだけ言うと、逃げた少年を追って路地の奥に消えて行ってしまう。果たして、あの少年は無事に逃げ延びることはできるのだろうか。

 俺は最後まで一言も発さず、マカロアの闇を睥睨し続けていた。


「ウェイドさん……ごめんなさい」

「……お前が謝ることじゃない」


 ここを通ったのはただの偶然だ。リリスが意図してあの少年を嵌めたわけでもなければ、チンピラをかき集めたわけでもない。

 不幸が重なって、俺の目の前であの悲劇が繰り出されたのだから、俺は万事においてことごとく見放されているのだと痛感せざるを得ない。

 拳を固く握り過ぎたせいか、爪が手のひらを食い破って血が流れる。

 リリスがそれを見て泣きながら包帯を巻いてくれるが、俺は自分の手のひらが傷付いたことさえ、気付いていなかった。


「……これが、現実なんです。これが、今の世界の現実、なんです……! ……っ、お願いしますウェイドさん。もう……、もう帰りましょう。一緒に、逃げませんか? セナ村で……二人だけで、一緒に暮らしませんか……? きっとこの先、帝都に行ってもウェイドさんは傷付くだけです。これよりも酷い現実が待ち受けているだけです。……自ら苦しい思いをする必要なんて、無いじゃないですか!」


 怒っているのか、悲しいのか、悔しいのか。俺には分からない感情を吐露して胸にしなだれかかるリリスを、俺は抱き留められない。

 そんな魅力的な提案を断ることは、それこそ舌を噛み切るような思いを抱く。だがそれでも、俺が俺の罪から逃げるわけには、いかないから。


「……駄目だ。俺は、帝都に行く。俺が仕出かしたことの大きさを、知らなくちゃいけない」

「っ! どうして……! ウェイドさんはもう、十分苦しんだはずです。もう十分、罰を受けたじゃないですか……」

「罰が、足りないからだ」


 リリスが何を言いだすかと思えば。


 ……俺がいつ、罰を受けたというのか。


 ──家族を失ったこと?


 それは俺が願ってしまった罪だ。


 ──神が応えてくれないこと?


 神に矛先を向けるような真似をしたのだから当然で。


 ──シスターフィオナを奪われたこと?


 それは俺が無力で、脳の足りないバカだったせいで。


 ──戦って血塗れになったこと?


 孤児院を、家族を守ることは当たり前のことで。


 ……俺は何一つ、罰なんて受けていないじゃないか。


 過去を振り返ってみても、リリスの言う苦しみや罰は何一つ思い当たらない。


 俺はただ、あの孤児院で、帰るべき場所で、ぬくぬくと惰性で生きてしまっていただけの存在。

 犯した罪から、受けるべき罰から逃げ隠れていただけの卑怯者なのだ。

 そうしてセナ村で引きこもっていた結果、苦しむべき俺ではなく、呪い人(ネビリム)の少年が、俺の願いのせいで生まれた多くの呪い人(ネビリム)が苦しんでいる。


 ……ならば俺がすべきことはただ一つ。


 彼ら以上に、俺が苦しむべき。彼ら以上に、俺は罰を受けるべき。

 そのために、過酷な現実が待つであろう帝都に進む。苦しみを、罰を求めて、帝都に向かう。

 己の罪を、告白するために。


「……すまない、リリス。休憩は、無しだ。旅路を、急ごう」

「ウェイドさん……」


 背後から掛かる声にも、振り返らない。

 手を包む布に血が滲むのを厭わずに再び固く拳を握り締め、口を閉ざす。

 必要なものは、覚悟だけだ。


 そうして歩き進める俺の中で、何かが軋む、音がした。






補完と言う名の、言語解説。


【交易都市マカロア】


帝国南部地域最大の交易都市。

南部地域の品々が全て一か所に集うとあって、その規模は広大。

東西南北、帝国にはそれぞれに位置する場所に交易都市が設けられているが、中でもマカロアは帝都から最も離れている場所に位置しているものの、帝都から馬車で一週間以上かかる場所に位置しているマカロアは、四都市のうちで最大の規模を誇る街であった。

その発展を手助けするのが、更に南下した場所にあるアウフグス山脈に眠る「虹の鉱脈」から採れる鉱物資源が全て。そのため、マカロアは四都市の中で最も豊かで煌びやかだと謳われ、またの名を「宝石の都」とも呼ばれていた。

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