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一節 発狂5



 ◇



「……朝、か」


 重たい頭を沈ませたまま、窓の外から聞こえてくる小鳥の囀りで目を覚ます。

 目を覚まして一番に見える景色は、何の変哲もない木組みの天井。

 鼻をくゆらすのは高貴な花の香。


「シスター……、フィオナ。あぁ……夢じゃ、なかったんだ」


 ここがどこで、俺が何者か。はっきりと分かる。覚えている。

 だからこの目の端から零れ落ちる涙の意味も、その罪深さも、全て理解している。

 ギシ、と音を立ててベッドを軋ませながら上体を起こすと、たちまち襲い来る体の怠さに吐息を漏らす。

 ベッドの脇に置かれた、洗濯された上着を肩から羽織って、歩き出す。


「……どれだけ、眠っていた? 歩くのも、重労働だな」


 体中に巻かれた包帯は何度も巻き直したのか、洗い落ちない血の跡が残っているものの、最低限の清潔さは保たれている。

 相応の締め付けを感じながらベッドから立ち上がり、俺は脇目も振らずに部屋を出る。

 向かう先は、孤児院の炊事場。


「水……」


 廊下を壁伝いに歩いただけでも息が切れる現状、村の共用井戸にまで足を運んで水を飲むことすら出来ないのは一目瞭然であった。

 ゆえに、水瓶が置いてあるはずの炊事場に足を向ける。

 それに、あそこなら体を拭ける。

 どれだけの間寝たきりだったのかは不明だが、体のあちこちが痒くて仕方がない。

 血の臭いは平気だが、不潔であることは容認できない。

 これは孤児として、平民として、一般社会で不用意に舐められないための作法。こんな状況になってもまだ俺の身体の芯に根付いた矜持が、そうさせている生き汚さに、苦笑を禁じ得なかった。


「──フンフンフフン、フ~ン」


 炊事場に近付くにつれて聞こえてくる鼻歌に誘われたわけではないが、音を殺して中を覗き見る。

 その先で見えたのは、揺れる青い髪と、肌に吸い付く水玉が窓枠から入り込む朝日を反射させて眩しく輝く、半裸の女体であった。


 一瞬、それは愚かな俺の頭が見せた幻かと疑いはしたが、確かな存在感を放つ彼女のその背は、俺にとって見慣れているもので。


「リリス……?」


 揺れ動く背中に、俺は声を掛けた。


「──キャアッ! うぇ、ウェイドさん?! 目が覚めたんですね! 良かった……」


 突如として掛けられた声に、彼女はビクリと肩を跳ねさせたのも束の間、声の主が俺だと分かった途端に彼女はこちらに駆け寄ってきて胸を撫で下ろす。

 そうなると必然的に、防御の緩んだ彼女の胸元が解放されるわけで。


「……これで、隠してくれ」

「ッ! み、見ました……?」


 紐で止めてあるだけの下着姿が俺の眼前にお披露目されたのを見ないように目を背け、肩に掛けてあるだけだった上着を差し出す。

 リリスが俺の手から上着を受け取ったのを手の感触だけで確認してから、じっくり三十秒を数えた後でリリスの方に向き直ると、そこには上着を手に持ったままの状態で胸元を隠し、頬を朱に染めたリリスが上目遣いでこちらを見つめてくる。


 ……なぜ、三十秒前より距離が近い?


 しかし、彼女の頬の赤みが羞恥なのか怒りなのか、俺には判別不能で。


「ウェイドさんの……えっち」

「スゥーーーーー……」

 喜悦を孕んだリリスの目から逃れるように、俺は眉をひくつかせて再び目線を逸らすのだった。



 ◇



「──それで、俺はどれくらい眠っていたんだ?」


 椅子に座らされた俺は、リリスに体を拭かれながら尋ねる。

 頑なに拒否したのだが、行水を覗いたことを盾にされると、俺としてはリリスの言うことを聞く他無い立場にあった。

 貴族子女には、婚約者にしか秘部を見せないと言うしきたりがあるらしく、数分前の出来事を無かったことにするべく、俺はリリスの提案を受け入れる他無いのであった。

 寝起きで思考力が欠如していたとは言え、今後はもう少し考えて行動しよう。


「一週間です。途中、何度か目を覚ましたのですけど、覚えていませんか?」

「いや、何も覚えてないな。……もしかして、腕の傷はその時の俺がやったのか?」

「やっぱり見たんですね?!」

「そういう意味じゃない。俺が、迷惑をかけた証拠だろう。痛かっただろう。済まない」

「はい、とっても痛かったです。でも、謝罪を受け取ることでこの話はおしまいにしましょう。私は、少しでもウェイドさんの力になれたなら、本望ですので」

「……約束する。もう、傷付けたりはしないさ」

「そんなに重く捉えないで下さい。私が、好きでやってることなので」

「それなら……。となると、リリスはもうここに来て、一週間になるのか?」

「そうなりますね。帝都も良かったですけど、こうした田舎での暮らしも悪くないなって思えてきました」

「順応してるな。そもそも、どうしてリリスがここに居るのか、とか、帝都がどうなっているのかとか、色々と聞きたいことがある」

「はい。私もウェイドさんに聞きたいこと、たくさんあります。でも幸いにも、時間はいくらでもありますからね」

「……でも今は先に、水浴びを終わらせてからにしよう。前は、自分でできる」

「別に恥ずかしがらなくていいんですよ? もう……見慣れていますから」

「顔を赤らめるな。それとこれとは、話が別だ」


 ぶーぶー、と声を上げるリリスの手から布を奪い取り、痺れの残る手で体を拭き始める。

 包帯を取った下には、これまでの軍人生活でも見たことが無いくらい傷痕だらけで、自分でも目を疑ってしまった。

 極め付きは胸元から腰辺りまで伸びる傷痕だろう。

 リリス曰く、彼女が施したのは応急処置程度であり、ポーションを使ったわけでもなければ、医療に精通していた訳でもない。止血し、これ以上傷が悪化しないように清潔さを保っていただけだという。


 だが、果たして、それでこの傷が塞がるのだろうか。


 背中の傷だってそうだ。

 俺の頭に残る最後の記憶である強奪者たちに受けたクロスボウの矢は深々と刺さっており、間違いなく内臓を傷付ける致命傷だったというのに、俺は生きている。相当な体力の低下はあれど、死んではいない。それが、どう考えてもおかしい。


「……」


 その疑問を口に出すことはせずに、俺は死ねなかったことを悔やむ自分と、自分の身体の頑丈さに安堵する感情に板挟みにされながら体を拭き終えた。

 リリスに手伝って貰いながら包帯を巻き直して着替えを済ませた後、リリスの用意してくれた食事を食む。


 干し肉と野菜のスープと、黒麦の固いパン。

 どこでそんな材料があったのかと問えば、近隣の家から拝借してきたと返ってきて驚きを隠せなかった。

 リリスはてっきり怒られるものかと思って謝罪を口にしたものの、俺にはそれを注意する資格が無い。

 はっきりと、貴族のご令嬢が火事場泥棒のような真似をするのに何の抵抗もなかったのかと驚いただけだ、と伝えると、彼女は


 ──ウェイドさんを見捨てたりするくらいなら、他の人がどんな目に逢おうとも知ったことではありませんから。


 という返答に、俺は今度こそ口を閉ざさざるを得なかった。

 その後、手の震えが止まらない俺に代わってリリスが手ずから食べさせてくれたのだが、俺としては至極不本意だった。

 言い訳するようで忍びないが、食事の最中、机の下で握り締めた拳が、痛かった。


 ……この震えが一時的なものなのか、それとも一生残る傷なのか、時間が経たなければ判断付かないが、惨めな思いであることには違いない。

 それに何より、たった一夜にして多くの人の命を奪った俺に、まだ誰かに甘えられる環境が与えられている状況に対して、否定的な感情を覚えてしまう。

 俺には、苦痛だけが求められているというのに。


 ……求められている?


 誰に?


 ありもしない記憶に惑わされる中、片付けまで終えたリリスを前に、俺はようやく本題へと移ることにした。


「……リリス。帝都の様子を、教えてくれ」

「はい。……私も、あの夜のことを聞かせて下さい。礼拝堂で、何があったのかを」


 話が長くなる、と彼女は自分が入れたお茶を口に含んだ後、俺とリリスはゆったりとした口調で語り出した。

 リリスの口から語られたのは、あの夜のこと。

 語り部が変わると、こんなにも印象が変わるものなのかと思いつつ耳を傾ける。


 夜の曇り空に輝く、月のように燦然と光輝く謎の光球。

 突如として放たれた紫の可視光線。

 光が明けた刹那、石に変えられていく人々。

 帝都に響く、咽び泣く声。

 変わり果てた最愛の人を見て上がる悲鳴。


 一夜にして変わり果てた世界をリリスの口から聞かされる度に、俺は自分の顔色が悪くなっていくのを自覚していた。

 それら全てがお前の罪だと、誰かに言われているかのような気分がしてくる。


「リリスの家族は……無事だったのか?」

「お父様もお母様も、お姉様たちもみんな無事でした。使用人と従者が石になっただけで、後はみんな無事でしたよ」

「そうか……それなら──」


 ──良かった。


 そう言いかけて、俺は咄嗟に下を向く。


「ウェイドさん……?」


 俺は今、何を口走ろうとした?


 俺の所為であまねく人々の生活が乱れているというのに、あまつさえそれを、「良かった」だなんて言おうとしたのか?

 自分の罪に鈍感で、稀代の大事件の中心人物でありながらも未だに他人事でいる自分が、どこまでも憎い。どこまでも恨めしい。


「……いや、なんでもない」


 秘めたる感情は秘めたままに。俺は、リリスに見えない場所で体に爪を立てた。

 もしも今、手元にナイフがあれば、俺はそれを迷い無く自分の身体に突き立てていたことだろう。

 それくらい、自分の無関心さに反吐が出る。

 取り繕った顔を見せて心配そうに窺うリリスを誤魔化すと、彼女は話を続ける。


「それと、私もここに来る途中で知ったんですが、ロベリア陛下も石に変えられてしまったようで、新しい皇帝としてレオポルド殿下が即位したらしいです。きっと、今の帝都は一月前とは別物と考えていいかもしれません」

「陛下が……?!」


 リリスの言葉に、俺は思わず腰を浮かす。

 最後には期待を裏切ることになってしまったとは言え、俺に役割を与えてくれた大事な人だ。そんな人までも俺は石に変えてしまったのかと思うと、卒倒してもおかしくないほどの体調の悪化を感じる。

 慌てて駆け寄ってきたリリスの手を借りてどうにか椅子に腰を下ろすことが出来たものの、血の気の失せた顔面は、最早取り繕うことすらできずにいた。


「ウェイドさん、本当に、大丈夫ですか? まだ、休んでいますか?」

「いや、俺の……俺の話を、聞いてほしい」


 彼女の提案を断り、俺は意を決して口を開く。しかし、そこから先の言葉が、一向に出てこない。

 リリスは「はい」と一言だけ発して、俺の言葉を待った。

 俺は何度も口を開いては閉じてを繰り返し、静寂が二人の間に流れる。


「あの日──」


 ようやく言葉に音を付けられたのは、どれくらい経ってからのことだろうか。

 思い出したくもないあの日のことを、俺はポツポツと語り出す。

 途中で何度も言葉を詰まらせては聞き手の不安を煽るようなことばかり。語り部としては最低と言わざるを得ないだろう。そんな俺の話を、リリスは小さな相槌を挟むだけで、黙って聞いてくれる。

 それでも、話が進むと自然と感情が昂ると言うのが当て嵌まるのかは不明だが、今も鮮明に思い出せるあの日の出来事がスルスルと紡がれていき、輪郭が、そして真相が露わになっていく。

 もしかしたら俺は、誰かにこの話を聞いてほしかったのかもしれない。

 その思惑はきっと、最低な動機。

 一人で背負うには大きすぎる十字架を、降ろしたかったのかもしれない。そしてそれを、リリスならきっと咎めないだろうと知っての所業だとするならば、それがどれだけ不躾で無作法な事か。

 あらゆるリスクを自覚していながらも、俺は弾む口調と卑怯な涙を止められずに口を動かしていく。



 そして遂に、俺はあの日にあった全てのことを、打ち明けたのだった。







補完と言う名の、言語解説。


【白檀の香】


ポラス教において「聖なる香」と呼ばれる、ビャクダンの木を用いた香。

聖書には、本来であれば普遍的な木でしかなかったビャクダンに女神ポラス様が腰掛けたことから、ビャクダンの香は身を包み込むような甘い香りを発するようになったという。

ゆえに、白檀は修道士にとって身を包む修道服が如き存在。その香に身を包まれていることはつまり、神が傍に居てくれると考えられているからだ。

しかし、白檀の香は決して安価なものではない。そのため、その香を纏えるのは修道士としては一つのステイタスであり、シスターフィオナのような一介の修道女が手に出来る代物ではない、ということだけは言っておかなければならない。

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