一節 発狂4
◇
『自分の手で人を殺した気分はどうだ? 世界の敵』
聞こえてくるのは、恨み節が効いた毒の声。
水の中にいるみたいに、反響して聞こえる声。
それでも言葉の意味をはっきりと認識できるのは、ここが現実では無いからか。
「……ここは、どこだ」
『場所が関係あるのか? 人殺し。次にお前が言うであろう、誰だ、という問いにも答えてやろう。俺が誰であるかは重要ではない。お前が今考えるべきは……お前の意思で、お前の手で、人を殺したという事実に関してのみだ。国としての意思、兵士としての役割ではない、事実上の殺人だ。それを犯した気分はどうだ、と俺は問うぜ。まぁもし、呼び名が必要であれば……そうだな、愚者と呼ぶと良い』
声の主は俺を踏みつけにして、上から見下すように言ってのける。
視界も淡く、俺が認識できるのは声の主のシルエットだけ。精々が人の形をしているという程度の、情報とも呼べぬ情報を手に入れる。
「殺したのは、初めてじゃない。兵士として、帝国のために、たくさんの敵を殺して来た」
『それは大義名分があったから許されているだけだ。だが、今回のお前が殺した相手は帝国の敵だったか? 違うな。お前の、敵だっただけだろう。そんなお前の言い分を信じてくれて、味方をしてくれる人はどれだけいるのだろうな? 全世界の住民を石に変えたお前のことを味方してくれる人は、どれだけいるのだろうなあ?』
「全世界? 何を、馬鹿なことを。俺が石に変えたのは、セナ村の住人だけで──」
『知らないのも無理はない。お前は現実から目を背けてあの居心地の悪い棺桶の中に閉じ籠ってばかりいるのだから。少し考えれば分かることだ。お前は最後、カタリナになんと願った? 忘れたなど、言わせない』
愚者はそう言って、俺の頭を指で掻き混ぜる。
比喩ではなく、物理的に。
現実ではないが、現実に起こっている現象は、それ以外例えようがない。
記憶の底の奥深く。
俺が意図して思い出さないようにしていた記憶を、愚者は当然のように探り当て、思い出させる。
「全部、終わらせてくれ……と、そう、願ったんだ」
『そうだな……うん、そう……。だから、カタリナは全部終わらせようとしたんだよ。文字通り、全部な』
「……」
『なぜ、そこで、お前は、目を、逸らす? お前が願い、実行に移ったことだ。カタリナの仕出かしたことは、お前の責任だ。カタリナが実行したからじゃない。お前がカタリナを連れて帰った時から、全て間違っていたんだよ』
「……だよ」
『うん? 声が小さいぞ?』
「……なら俺に、どうしろって言うんだよ!」
『クッハハハ! 良く、吠える』
「なら俺に、あの時どうするべきだったか教えてくれよ! 俺は、何度も願った! 止めてくれって、元に戻してくれって! それでも、カタリナは何も叶えてくれなかった! あいつは最初から、全部壊すことしか、考えていなかったんだよ……!」
『──だから俺は、悪くない、と?』
「……」
上に乗った愚者を振り落とさんばかりに叫んでみたものの、たった一言で俺の言い分は切り捨てられ、言葉を失う。
図星を突かれたわけじゃない。だってそんなこと、思ったこともないから。
シグが、アキが、シスターフィオナが石になったのは、俺のせい。
弟妹たちが無残に殺されたのも、俺のせい。
全部、責任を負っているつもりだった。
だから、そのせいで傷付いているというのに、愚者はあえてその言葉を選んで、叩き付けてくる。
『教えてくれと言ったな? なら教えてやろう。お前があの時、無残に殺されていく弟妹たちを前に成す術なく地を這うしか出来なかったお前が、何をすべきだったかを』
得体のしれない愚者を信じる訳ではない。
だからその言葉を信じるわけではないが、続く言葉を、固唾を飲んで待つ。
俺が耳を傾ける姿勢を取ったせいか、愚者が笑ったのが見えたが気にしない。
『……カタリナを、殺すべきだったんだよ』
「ッ?! そんな、こと──」
『出来ない、とでも? 死に体の状態でもお前は敵を討ったんだ。三人を石に変えられた時点で呆然自失になっている暇があるなら、切り替えて早々にカタリナを殺すべきだった。弟妹たちが殺されている場面でもそうだ。カタリナのことだ、あいつはお前が自分を殺すまで、抵抗もせずに待っていてくれただろうな。少し考えれば分かることだ』
トントン、とこめかみの部分を指先で叩いてこちらを馬鹿にする物言いに対して、俺は反論の余地すらなく、沈黙を強いられる。
──子供に刃を向けない。
そんなのは俺のポリシーの問題であって、こいつの言う通り、世界中に被害が及んだとするならば、どう考えたって釣り合いが取れていない。
セナ村は疎か、将来有望なシグとアキ、お腹に赤ん坊がいたシスターフィオナでさえも、俺の自分勝手なポリシーのせいで死んだのだ。
もしも俺が誰かの矜持のせいで……帝国貴族の矜持、安っぽいポリシーのせいで殺されたならば、きっと死んでも死にきれないだろう。
愚者の言う通り、俺はあの時、命を擲ってでもカタリナを止めるべきだった。殺すべきだったのだ。
『出来なかったんじゃない。お前は、やらなかったんだ』
「うっ……ああぁ、ああああ……!」
呼び起されたトラウマがトラウマを呼び、表情を苦痛に歪める。
苦しみに喘ぐ俺に対して、愚者は俺に俯き蹲ることすら許さずに、踏みつけにする足に更に力を込めた。
「ぐっ、ううぅ……!」
『悲しむ振りは止めろ。被害者面をするなよ。お前はどこまで言っても加害者なんだから。苦しむことがお前に課せられた使命なんだよ。それとも何か? かわいそうでちゅね~、と言われるのを待っているのか? ああ……ああ……! なんと惨めな。なんと哀れな。だがお生憎様。お前に救いは無いよ。だって、お前のせいでみんなが苦しんでいる。お前がカタリナを連れ帰ったせいで、お前がカタリナを殺さなかったせいで、大勢の人が死んだんだ。それがきっかけでこれから起こる悲劇も、全部! 全部全部全部、ぜんぶ! ……お前のせいなんだよ……!』
「ち、違う……! 俺は、俺はそんなこと……! 俺は、カタリナに止めろと言った! やめてくれと、何度も何度も願ったんだ! 全てを負うことなんて、俺には無理だ!」
『……それが、お前の本音だ』
「ッ! ち、違──」
口が滑ったとばかりに口を手で覆ったところで、吐いた唾は戻せない。
それを待っていたとばかりに顔を近付けてきた愚者だが、彼の顔が目と鼻の先にあるにもかかわらず、俺は愚者の顔を認識できない。
『違わないさ。ならば何故、あの連中を殺した?』
「か、家族を、守るため」
『物は言いようだな。家族を守るため。それはきっと間違いでは無いんだろな。だが、事の本質はまるで別だ。お前が意図して目を逸らす部分にこそ、本質はあるんだからな』
愚者の物言いは、まるで真綿でじわじわと首を絞められていくかのよう。
周囲から埋めてくるような言葉に、俺は恐怖を禁じ得ない。
『お前は自分の居場所を守るためだけに命乞いをした相手に手を掛けたんだ。最後まで殺意を失うことが無かったのはどうしてだ? 奴らは確かに紫水晶と化した人を狙っていた。だが、明確に奴らの狙いを聞いた訳ではない。あくまでも推測の内だ。話を聞く余地は充分にあったはずだろう? 何せ、先に手を出したのはお前なんだからな。……それは何故か。簡単だ。お前は、悲しみに暮れ、悲劇の主人公を気取るに相応しい箱庭であるあの教会という舞台から降りるのを、怖れていたからだ』
「……」
滔々と語られる言葉に、俺は口を真一文字に結んで黙り込んで目を逸らす。
自覚があるわけではない。
ただ、思い当たる節がないわけではないからこそ、俺は目の奥を震わすことしかできないのであった。
『あの教会だけが、お前を被害者にしてくれるもんな。あそこにいる限り、お前は、不慮の事故で家族を奪われた可哀そうな物語の主人公、で居続けられるもんなぁ?』
「……ッ!」
図星を突かれて愚者を、キッ、と睨み付けるが、俺には返す言葉は無い。だって、図星だから。
真一文字に結んだ唇から、血が流れる。
その感情は、悔しさなのか、羞恥なのか、それとも怒りなのか。
俺はもう、自分のことが自分でも分からなかった。
『お前は死にたいのに死ねないんじゃない。お前は現実から目を背けるのが楽だから死ねないんだ。あの場所で苦しみ藻掻くのは、楽だよなぁ? だって、何もしなくていいんだから』
「……やめろ、やめてくれ」
『全世界から敵意を向けられ、殺意に溺れるのはもっと辛くて苦しいだろうなぁ? ……お前は、そっちであるべきなんだよ。それを、何をぬくぬくと過ごして世界で一番不幸です、みたいな顔してるんだよ。えぇ? お前に帰る場所があること自体、烏滸がましいと思わないか? お前にお前を受け入れてくれるだろう家族がいること自体、間違っていると思わないか? 思わなきゃ駄目だよなぁ? だってお前は、大量殺戮魔法兵器を解き放った張本人。この世界の、敵なんだからさあ……』
耐え切れなくなって耳を塞いでも、愚者の恨むような声は聞こえてくる。
全身を這うような声が、纏わり付くような声が聞こえて、耐えられない。
『もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっと……もぉ~っと苦しまないと、駄目だよなあああ?』
愚者の手が眼前に迫る。
俺は堪らず、その手を突き飛ばして──
「──や、やめろおおおおおおおおおおおおおお!」
──目が、覚める。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ」
伸ばした手は、虚空を掠めるのみ。
目の前にいたはずの愚者の姿は、何処にも見えない。
「影、かげ、は……?」
夢にしてはやけにリアルだった沼男の言葉を、俺は一言一句違えず覚えている。
否、脳裏に焼き付いている。
「クソッ──痛っ……!」
夢で叩き付けられた言葉の数々をはっきりと思い出し悪態を吐こうにも、そこでようやく体中が痛むことに気が付き、自分の身体を見下ろした。
「包、帯……? と言うか、ここは……」
無理に上体を起こしたせいか、胸元から腹にかけて幾重にも巻かれた包帯が赤く染まっている。包帯の下で傷が開いたか。意識を失う最後の記憶を辿れば、痛みなんて感じていなかったはずが、目を覚ました今では目の奥がジンジンするような疼痛すら感じていた。
もちろん、俺が自分で応急処置をした記憶なんてない。
そもそも、あんな生死の境目で反復横跳びしているような状況で、ここまで適切な処置などできるはずがない。
とすると何者かの仕業である、と考えるのが妥当で、あの時の記憶をまさぐってその人物を推測しようと思考を巡らせた、その時だった。
俺の思考は、全く別方向に舵を切り出す。
部屋に置かれた花瓶に、棚の上に置かれた押し花が置かれた程度の清貧さを象徴するかのような数少ないインテリア。
部屋に残る嗅ぎ慣れない香り。微かな白檀の香りが、俺に息を飲ませた。
「ここは、シスターフィオナの、部屋だ……」
理解するや否や、俺は大きな音を立ててベッドの上から転がり落ちる。
一定のリズムを刻むはずの鼓動に歪みが生まれ、呼吸が上手くできなくなる。
シスターフィオナの生活が覗き見れるような空間を前に、動揺し、混乱し、焦点が合わなくなる。
パニックに陥ったことで前後が不覚になったまま、俺は部屋の外に繋がる扉に向かって床を這うようにして手を伸ばした。
「ああ……! 俺は、俺だけは、ここに入っちゃいけないのに……どうして……!」
シスターフィオナを石に変えた張本人である俺は、これまで溢れ返った罪悪感のせいでこの部屋に近付くことさえ出来なかった。
だと言うのにこれは神の徒か、それとも苦しみ藻掻けという神の悪意か。
傷付き苦しめ、というのが俺に課せられた使命だったとしても、未だに覚悟なんて微塵も定まっていない段階で試練を押し付けられたところで、俺に出来るのは地上に釣り上げられた魚のように無力にのたうち回ることだけ。
扉までの距離は、大の大人であれば二歩か三歩もあれば届く程度。
その短い距離すらも、俺は傷口が開くのも厭わずに這いずり回るしか能が無く、自らの呼吸不全で窒息しかけた、その時。
「ウェイドさん、目が覚めましたか? 何か変な音が──、って! キャアっ?!」
ぼやけた視界と詰まった耳で捉えたのは、開いた扉に立つ人影。
高らかに上がった叫声に顔を上げたのも束の間、その人は迷わず駆け寄ってきて、俺の頭を膝に乗せてくれる。
「だ、大丈夫ですか?! す、凄い汗、それから、熱まで……! 傷も開いて、ああぁ……。一度、ベッドに戻りましょう? 肩を貸しますから」
「いや、だ……ここ、は、駄目なんだ……。俺は、ここに居ては、いけないんだよ……!」
「い、痛っ……! お、落ち着いてください! そんな体じゃ、動くのも危険です! この部屋以外にウェイドさんを看病できる清潔な部屋が無いんです! 何があったかは分かりませんが、今は安静にしてください! でないと……ウェイドさんの身体が、持ちません!」
「ち、がう……、違う。違うん、だよ……! 俺は、俺は……」
咳き込み繰り返し、嗚咽に狂う俺は、脳に酸素が回らずに舌は酸素を求めてうわ言のように喘ぎを漏らすばかり。
俺を抱き留めてくれた人物の顔すら見上げることなく、ただひたすらに部屋の外へと向けて手を伸ばしていたが、とうに限界を迎えていた肉体と、全身に走る激痛によって再び意識を手放してしまう。
「ウェイドさん?! ウェイドさん! 嫌だ、お願い、死なないで──」
開いた傷を見て、涙を流す女性の顔だけがやけに目に焼き付いて、消えぬまま──
補完と言う名の、言語解説。
【セナ村】
帝都から馬車で二週間以上かかる帝国南西部に位置する、元・開拓村。
特産品、無し。広くもなければ狭くもない麦畑を管理し、税として納めるだけの月日を過ごす、子供の声だけが財産と呼べるような長閑な田舎の村。
隣町まで一日かかり、カヴセール自治領まで半日かかる村。となれば中継地点として栄えるのではないかと思いきや、カヴセール国が自治領になる際に、その隣街からの街道が敷かれたため、セナ村は打ち捨てられた村であった。
しかし、開拓村の扱いとしては正しく、カヴセールで侵略戦争が起こらなかった時点でセナ村は廃村になるはずだった。だが、セナ村を開拓した者達が勝手に住み着いたことで今に繋がっており、税さえ収めていれば帝国もそれを問題視することはない。




