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一節 発狂2

 


「……みず」


 いつまでそうしていたのか、俺が起き上がってようやく動き出したのは何度目かの朝を迎えた時のことだった。


 俺の意思に反して勝手に動き出した体は、村にある唯一の水場、共用の井戸までやって来ていた。


「──っ!」


 飲み水を前にした俺は、何処にそんな力が残っていたのか不明なほどの力で釣瓶を引き上げ、直接口をつけて体に水を流し込んでいく。

 カラカラに乾いた喉はそれを当然のように受け入れ、一杯では足りずに二杯、三杯と飲み干していく。


「ぷはぁっ」


 殊更に水が美味いと感じると同時に、ふとした疑問が頭を過る。



 ──あのままいれば、死ねたのでは。



 人は水を飲まなければ三日で死ねる。

 内側から死んでいく結末など、俺にお似合いではないか。

 なのになぜ、俺は水を求めたのか。


「……なぁ、おい。今さら……、死にたくないとでも言うのか?」


 井戸の中を覗き込むと、どれだけ人の世界が移り変わろうとも変わらない水面が出迎える。

 そこに映った自分の顔を見て、俺はふと、ここから落ちたら死ねるだろうか、なんて考えてしまう。


「……酷い顔だな。殺人鬼には、お似合いだ」


 そう言えば、右目の辺りに違和感を覚えたんだったと思い出し、目を凝らす。

 水面には、右目の周りの肌がところどころ紫水晶に置き換わっている俺の顔が見えた。よく見ると、目の中、虹彩にまでそれは及んでいて、指先で触れてみると肌や粘膜とはまるで違う、正真正銘の石の感触だけが返ってくる。

 時が経てば、この紫水晶が侵食するのだろうか。

 そうすれば、弟妹たちやシスターフィオナと同じ末路を迎えられるのだろうか。

 そう思うと、愛した人たちを手にかけた最低最悪の殺人鬼にはお似合いの末路であるとすら思えてくる。


 俺は井戸から離れて、怖気すら走るような静けさに満ちた村の中を歩いて教会まで戻る。

 村の人は、みんな石にされて死んだのだろうか。

 俺の身勝手で愚かな願いのためだけに、殺されたのだろうか。

 そう思うと余計に気が重くなって、俺は俺自身の死を強く望むようになる。


「シグ、アキ。……シスター、フィオナ」


 罪悪感に押し潰される俺は、逃げるように教会の正面ではなく裏に回った。

 その先で待っていたのは、俺の罪禍の証でもある三つの骸。三つの彫刻だった。


「──ッ」


 それぞれが、恐怖、怒り、悲しみの表情を浮かべている。苦悶の表情だ。

 その三つの彫刻を前にするだけで、俺は呼吸が苦しくなってその場で膝をつく。

 俺が願わなくて殺された弟妹たちとは違って、この三人だけは……俺が願ったから、こうなった。

 だから正真正銘この三人は俺の罪の証であり、その姿を目にするだけで俺はその場で跪いて「ごめんなさい」と謝罪の言葉を繰り返すことしかできなかった。


 死にたいはずの俺は息をして、生きたかったはずの三人は石にされた。

 こんな惨いことが許されるはずがない。

 そうやって何度も俺は俺自身を傷付け、軽蔑する。


「……運ばなきゃ」


 だが、俺には死ぬ勇気も無い。

 だからせめて、三人を教会の中に運び込むことに決めて、動き出す。

 このまま外に置いて風雨にさらすわけにはいかないから。


「仲間はずれには、しないからな……」


 ズシりと両腕で持ち上げるのがやっとの石像を、一人ずつ教会の奥、ライル達がいる部屋にまで運ぶ。

 ただ息をしていただけの日々が続いたせいか、石像一つを運んだ程度で息が切れてしまう。それでも、俺は三人を運びこむ事を止めない。

 そうして三人の身体に傷一つ付けないよう慎重に慎重を重ねてじっくりと時間をかけて運んだお陰で、運び終える頃にはもう日が傾き始めていた。

 しかし、最早一日の長さになんの執着も覚えなくなった俺にとってはどうでもいいことで。部屋に揃った家族の光景を前に、限界を知らぬ虚しさだけが俺の胸を埋め尽くす。


「もう、いいよな」


 次に俺が取り出したのは、一振りの剣。

 兵士として帝国から支給された装備は返却済みであり、俺が持てる武器はただ一つ。エルフの戦士から借りたままの剣だけだった。

 その刃を向ける先は、ただ一つ。己である。


「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ──」


 喉元に突き付ける刃。じりじりと迫る刃先に、俺の呼吸は荒くなり、体の震えが増していく。

 後はその柄を押して、喉に突き刺すだけだというのに、その一歩がどうしても踏み出せない。

 魔法でコーティングされたエルフ製の剣であれば、人の身体など容易く貫けるはずだというのに、その先に待つ「死」を恐れて、俺は自分に剣を突き付けた状態から一切の身動きを封じられてしまったかのように固まってしまう。

 緊張して、柄に添えた手指が離れない。

 強張った全身が言う事を聞かず、体を反らすことさえ出来ない。


「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふー……っ」


 死に瀕した恐怖のせいか、涙が滲む。

 とうに涸れたと思っていた涙は、こんな情けないことで、再び流れ出した。


 ……死にたいと思っていたのに、いざ死を前にすると怖気づいて動くことすらできなくなる。

 大勢の人を石に変え、殺したというのに、自分が死に瀕すれば、恐怖に染まって死を受け入れられない。

 そんな身勝手な自分に殺された家族は、村の人は、どれだけ無念だったことか。


「あ、あぁ……あああ! あああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」


 だから俺は、俺こそが死ぬべきだと断じて、意を決して体に力を込め──



 カタン。



 ──ようとしたところで、不意に聞こえた物音に我に返る。


「ッ?! ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 脱力。


 弛緩した体は剣を取り落とし、カラカラと甲高い音を立てて俺から死を遠ざける。

 俺はまだ生きていることに安堵し、安堵する自分を酷く嫌悪する。

 ドッと溢れ出る汗と軽蔑する自分自身に気持ち悪さを感じながら、俺を死の淵から救った物音の正体に手を伸ばした。


「十字、架……」


 それは、俺が肌身離さず首から下げていた十字の首飾り。

 帝都に発つ一年前。シスターフィオナが誕生日のプレゼントにくれた大切な首飾りの紐が、自死を試みた剣の刃に触れて、千切れて落ちたのだろう。

 それはどこかシスターフィオナが助けてくれたかのようで、俺はすかさず床に落ちた十字を手に取り、駆け出していく。

 神の存在を妄信しているわけではないが、それでも、床に落ちた十字を見て、神を近くに感じなかったと言えば嘘になる。


 向かう先は、礼拝堂。



「……どうか、どうかお願いします。俺の命でもなんでも捧げます。だからどうか、どうか、全て、元に戻してください。お願いします、俺は、どうなってもいいから──」



 片田舎の辺境であっても、聖神教の教会には必ずある聖神ポラス様のステンドグラスと、大きな十字架。

 そこへ雪崩れ込むようにして、俺は膝をつき、狂ったように祈りを捧げる。


 ──ポラス様はね、決して人を見捨てたりしないの。信じ、祈れば、必ず応えてくださるの。だから毎日祈りを捧げて感謝を伝えるんです。


 敬虔な神職者、シスターフィオナから教わった聖神教の教えを実行し、祈る。

 都合の良い信者だと笑われてもいい。

 裸で踊って腹を裂けと言われれば喜んで言うことを聞こう。

 だから……。だからどうか。俺の全てと引き換えに、弟妹たちを、シスターフィオナを元に戻してほしい。

 ただそれだけを祈って、俺は聖神様の御前で祈り続けた。

 カタリナに願いを激しく訴えた時と同じように。

 けれども、祈りの強さは、今がずっと上で。

 俺は握り締めた十字架を握り潰さんばかりの力でもって祈りを捧げている内に、いつの間にか意識を失っているのだった。




「…………お願い、します」


 そうして俺は、目を覚まして弟妹たちのいる部屋に赴いては、その度に噎せ返るような虚しさと罪悪感を味わい、幾度となく自死を試みる。

 だけども決まって、俺はあと一歩というところで死を恐れ、怖気づく。

 祈りを捧げ、そしてまた自死を試みる。

 そうやってひび割れた心にカビが生え、原型すら残さずに歪んでいく日々を過ごしていた。


「……死ね、死にたくない。殺す、殺されたくない。生きたくない、死にたくない」


 そうして何も成し得ない日々を過ごしていく内に、手に持った剣は俺の血で汚れ、全身に増えた傷は膿んでしまっているという、生き汚い愚かな教徒が出来上がる。


「まだ……。まだ、祈りが、足りない……? 何が、足りない……?」


 十字架は俺を死の恐怖から救ってくれた奇跡を最後に神の奇跡は起こっておらず、神に対して疑念だけが募っていくばかり。

 それでも俺は、祈りを止められない。祈ることを止めたら、俺にはもう何も残されていないから。

 自分を騙して生き続けることすら、出来なくなってしまうだろうから。

 だから今日も、うわ言だけを繰り返して幽鬼のように生きるだけの俺は、聖神様に声が届くように祈り続ける。


 そんな折。今が昼か夜かも分からなくなった時間の感覚すら曖昧になった俺の耳が、物音を捉えた。


「……音? 小鳥……ではない。……人の、足音だ」


 妙な生活を続けたお陰か、俺は動くものの気配と物音に敏感になった。

 物音は、耳をそばだてなければ聞こえない程の小さな物音。

 久しく聞いていなかった自分以外の誰かの音に安心感を覚えたのも束の間、床に置いた剣を拾い上げて、足音を殺して音の聞こえる方に歩み寄る。


 体に染み付いた兵士としてのスキルは、弱り切った肉体でも十全に成果を発揮し、教会の表に繋がる扉の陰で、剣を構える。

 懐かしい感覚だ。


 聞こえる人の声と音に神経を張り巡らせ、教会の扉がゆっくりと開かれていく瞬間を狙って、俺は一切の迷い無く、剣を振った。






補完と言う名の、言語解説。


【十字の首飾り】


ポラス教徒の多い帝国では普遍的なアクセサリー。

教徒であることを示す手軽なもので、素材は鉄や宝石など、ピンからキリまで存在している。

その中でシスターフィオナがウェイドに送ったのは、金属製の一品。

これはセナ村の鍛冶師に頼んで制作してもらったもので、ウェイドのこともよく知る鍛冶師はその話を受けて満面の笑みを浮かべたそう。

帝都では、女性から男性への贈り物にそれぞれ意味を付けることが流行っていた。

宝石なら、宝石にちなんだ言葉の意味を。花束なら、花の種類に応じた花言葉を捧げるといった、貴族の戯れのようなものが市井に流れ、流行となっていた。

では、シスターフィオナの送った十字の首飾りの意味はと言うと。

旅立つウェイドに渡すというシチュエーション。彼女の身分に応じた一品。それらが意味するのは、「あなたの無事を祈っている」という大胆な愛の告白とも取れる内容。

しかし、シスターフィオナが帝都の流行を知っていたかどうかは不明。

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