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三節 変貌6

 

「ただの神獣……だから」


 凹凸の無い、平坦な体。

 子供の体躯はそのままに、身に付けていたもの全てがその場に脱ぎ捨てられたカタリナの体は、骨格と言う概念すら無いのか、向こう側が透けて見えている。

 その水晶体は、ただ頭の形をしているだけ。ただ手の形をしているだけ。

 ただ──、人の形をしているだけだった。


「しん、じゅう……?」


 神獣。

 それは、エルフが崇め、エルフが守る森に住まうと言われる超常の存在。

 歴史学者が言うには、神獣は過去に一度だけ姿を現し、一夜にして世界をなだらかに作り替えたと言われている。……つまり、文明を滅ぼした、ということだ。その文明というのが、アーティファクトを作り出した人類の過去の栄光であり、その神獣の再来を危惧した帝国貴族によって帝国はエルフの住まう森林国家への侵略を開始したのだと言う話を、授業で学んだ。

 いかにして一夜にて文明を滅ぼしたのか。神獣はどんな姿をしているのか。歴史学者の間ではさまざまな説が語られているが、その実態は未だ不明。

 ゆえに、目の前の紫水晶で形作られた人形が神獣を自称したとて、それを信じるのは不可能というわけで。


「は、ははっ……、そんな、馬鹿げた話が、あるわけ──」


 だがしかし、彼女が『神獣であること』を証明することができないのと同じように、彼女が『神獣ではない』ことを証明するのもまた、困難な話であった。

 実際に俺は、たった今、カタリナが、人を石に変えるという神の御業かと見紛うような真似をした現実を目の当たりにしており、その光景は俺の脳裏に深く焼き付いているわけで。

 カタリナは逃げ腰になった俺に近寄り、再び俺の顔を両手で挟んで顔を近付ける。

 彼女の冷たく硬い質感の手指は瞬く間に俺から思考力を奪い去り、甘い罠のような文言を告げる。


「……神獣は、願いを叶える魔法。だから、ウェイドの願い、叶えてあげる」


 だが、同じ手に二度もかかる訳には行かず、俺はその手を振り払う。


「だったら……! だったら今すぐに、三人を元に戻せ! 俺はこんなこと、願っちゃいない!」

「……無理、だよ? だってそれは、ウェイドの本当の願いじゃ、ないから。それに……三人、だけで、いいの?」

「は? お前……、何を、言っ、て──……ッ?! ま、まさ、か──」


 淡々と告げるカタリナの言葉に、俺は最悪を想起する。起こってはならない、最低最悪の現実へと思い至り、考えるより先に俺の体は動き出す。

 石になっていくシグとアキに駆け寄ることすら出来ずに竦んでいたこの足を動かしたのは、孤児院の長兄としての矜持だろう。二人を守ることすら出来なかったろくでもない矜持は、やがて、教会の中へと駆け込み、カタリナの言葉の本当の意味を理解すると同時に、音を立てて砕け散るのだった。



「──」



 子供たちが雑魚寝する寝床に駆け込んだ、瞬間──。

 俺の目に入り込んだのは、月明かりが乱反射して光り輝く、部屋の様相。

 幻想的にして情緒的にして──……、致命的な光景であった。


 乱立する紫水晶の彫刻を前に、俺は息をすることさえ忘れてしまえた。



「あ、ああぁ……、ああああ! ああぁ、ぅあ、あっ……、うっ、ぅおぇ……ッ! う、嘘だ、嘘だ、うそ、だ──……、う、うわあああああああああああああああああああああああぁぁぁっ、ああああああああああああああぁぁあああああああああああああぁぁぁ、ああああああああッ!!」



 喉が裂けても、吐瀉物を撒き散らしても、関係無い。

 村全体に響き渡る絶叫を上げたとて、この悲鳴を聞き届けてくれる人など、一人も居ないのだから。


 ……いや、居る。

 一人、いるではないか。

 カツ、コツ、と石の身体を弾ませて近付く足音に、俺は血も涎も涙も胃液も汗も、体から出る分泌液の全てを張り付けた顔で、そいつの首を掴んだ。



「ッ、全員だ! 全員……、石になった人たち全員を、元に戻せッ! それが、俺の願い、お前が欲した、俺の願いだ! 分かったなら、さっさと叶えろ!!」



 カタリナを床に押し倒し、子供の時と変わらぬ体躯に跨り、体重を乗せてその首に力を込めて叫ぶ。

 紫水晶の人形であるカタリナに抱いていた恐怖は、煮え滾るような怒りの感情によって薄れており、こんこんと湧き出る激情を、ただひたすらにぶつける。


 ……だが、どんなに力を込めようと、カタリナの首はびくともしない。

 食い縛る奥歯が割れんばかりの力を込めても、紫水晶にはひびすら入らない。

 こうして首を圧し折らんばかりに締め上げても、カタリナは苦しむどころか恐怖を感じる素振りすら見せずに、血の通っていない喉を震わせ、短く、簡潔に、俺の意思を切り捨てるかのように答えを発する。


「……無理だよ」

「どうしてッ! 俺の願いを叶えてくれるんだろ?! だったら、早く──」

「……願いは、一方通行。これが嫌だから取り消す、なんて、都合の良いこと、出来ないようになってる、から。もし元に戻したいなら、私とは別の神獣を探す、か、自分で、見つけるか、しかない、よ」

「な……っ、なんだよ、それ……」


 ──石に変えたのだから、元にも戻せるはず。

 アキが言ったことを、そっくりそのままカタリナに投げかける。

 とんだ暴論だと言わざるを得ないが、カタリナが神獣ならば、出来るはずだと勇んで告げた願い。この際、カタリナが何者だろうとなんだってよかった。弟を、妹を、家族を元に戻せるのであれば、悪魔にだって縋れる。


 ……そう思って、口したのだが、そんな俺の一縷の希望さえも、カタリナは淡々とした口調を変えることなく、いとも容易く切り捨てるのだった。


「……なんだよ、それ」


 俺にはもう、どうするべきか分からなかった。

 カタリナの首を掴んでいた手から、力が抜けていく。

 全身に漲っていた怒りが、霧散して消えていく。

 諦めきれない気持ちは当然あるが、人を石に変えるなんていう神様の所業とさえも思える事を為したカタリナが無理だというのだ。

 諦めたくなんてないが、諦めるしかないだろう。

 だって俺には、どうしようもないのだから。


「……」


 俺はカタリナの身体から降りて、フラフラとした覚束ない足取りで紫水晶の彫刻に近付いていく。


「……ん。肩、貸してあげる」

「……」


 途中、自分の足に躓いて倒れそうになるも、カタリナに支えられて地に足を付ける。

 感謝の言葉など、言わない。


「……ライル」


 ライルは、目を覚まして起き上がろうとした最年少の二人と一緒に動かなくなっていた。

 シグとアキに次ぐ、年長組。確か今年で九歳になる年だったか。

 五年前はやんちゃだったライルが、今や下の子の面倒を見るようになって。


「キッド、フィン……」


 キッドとフィンは、寝入った振りをして起きていたのだろう。何の話をしていたのか、楽しそうに笑ったまま、固まっている。


「ジェニー、ペニー……」


 寝相の悪いジェニーと寝相の良いペニーは、正反対な態勢でお土産に渡したぬいぐるみを大事そうに抱いた状態で固まっている。


「アイラ、グウェン、エド……」


 可愛い盛り、やんちゃの盛りである三人の子供たちは、無垢な寝顔を晒したまま、石にされている。


「……これを、俺が願ったのか? そんな……、そんな、わけが、ないだろう……」


 狭い部屋。押し詰められた寝床でも、家族みんなが一緒なら、寂しくなんてない。

 そう言い聞かせて過ごして来た孤児院での生活を思い出す。

 事実、弟妹たちと一緒にいられれば、例え貧しくとも、それだけで心豊かに生きて来られた。

 そんな子供たちが、皆一様に石にされた部屋の中で、俺は一人天を仰ぎ、止まることを知らない涙を流し続ける。

 零れ落ちる涙は、源泉が涸れるまで止まることはないだろう。潰れた右目から滴り落ちる赤い血もまた、同じで。


「……そう。ウェイドが願ったから、私がやったの。願ってくれれば、なんでもやってあげる。だから、もっと願って。もっと、私を求めて。もっと、私に縋って。もっと、私に諂って?」

「これ以上、願うことなんて、ない……! 願うとすれば、元に戻してくれとしか願わないし、他に言うことも、ない」


 もし仮に次に願うことがあればその時は、俺を殺せ、と願うだろう。

 元に戻す手段がないのであれば、俺もここで死ぬ。そうすることでしか……、俺の命でしか、俺の失態で石にされた弟妹たち、シスターフィオナに償うことが出来ないから。

 そんな俺の心を知ってか知らずか、カタリナは変わらぬ無表情のまま目を細めたかと思うと、一番近くにあった彫刻まで歩み寄る。

 そこには、ライルがいる。




「……そう。じゃあ……壊す、ね」




「なっ──?! や、やめろォっ!」


 瞬間、カタリナは握った拳を一切の躊躇なく彫刻と化したライルへと振るう。

 制止の声が間に合わなかった訳じゃない。そもそもそんな声など聞こえないとばかりに振り抜かれた拳は、寸分の狂い無くライルの石像に衝突する。


「あ……、あぁ……!」


 盛大な音を立てて崩れ散る、ライル……だったものの欠片たち。

 バラバラと地面に転がるそれらを、俺は無意識のうちにかき集めだす。


「ライル、ライル……! 嘘だろ、なぁ、おい……!」


 いくら呼び掛けたとて、その声に返事が聞こえることはない。腕の中に集まる尖った破片が肌を傷付けるが、俺は取り憑かれたようにそれをかき集めるのだった。

 もし仮に石にされた人を元に戻せたとして、全身を粉々に粉砕された人は果たして元に戻るのか。そんなことを考える余裕もなく。

 そして、そんなこと、考えるまでもなく分かる。

 不可能だ。

 かき集めた腕の中の欠片を見て、誰が元は人だったと分かるだろうか。

 俺にはもう、どこが目で、どこが口かさえも分からない。


「……な、なんで……っ、どうしてこんなことができるんだよ……。どうして、こんなことをするんだよッ!」


 ライルは五年前とは見違えるほど大人になっていた。

 夕食時には帝都の話を強請って、誰よりも将来帝都に出ることを夢見ていた。

 今だってこうして小さな子の面倒を見てやれるくらいしっかりしているというのに、そんなライルがこんな目に逢っていいはずがない。彼の人生が、こんな形で、終わっていいはずがなかった。


 だから俺は、純然たる憎悪を宿してカタリナを睨みつける。


「……ウェイドの願いを、叶えるためだよ?」


 しかし、カタリナは俺の疑問を謎に思うかのように、さも当然かの如く言ってのける。


「ふざけるな! 俺はこんなこと、願っちゃいない! こんなこと……願ってなんかいない! 願いを言えって言うなら、早く全員を元に──」


 俺はこの時、事態をまだ甘く見ていたのかもしれない。


 話せば分かってくれる。


 言葉を交わせば通じ合える、などという愚かな思考をしていたのかもしれない。


 だがそれは、両者が対等な立場でいるからこそ成し得ることであり、俺はいつから目の前の紫水晶の化け物と対等だなんて考えていたのだろうか。

 言葉が通じてしまうがゆえに、そう勘違いしてしまえたのだろうか。

 当然の権利だと思って振るっていた刃が、ただのなまくらでしかなかったことを次の瞬間に、嫌というほど思い知らされる。



「……それじゃあ、次はこの子、かな」



 一切の感情を宿さず、表情を変えることなく、カタリナは傍にあった子供の彫刻を、踏み抜いた。


「……は」


 一瞬、俺は目の前で何が起こったのかさえ理解できなかった。

 続けて、流れるような自然な動きでカタリナはライルの傍にあった別の紫水晶の彫刻を、顔色一つも変えずに破壊していく。


 三十秒にも満たない極々短い時間で、カタリナは二つの命を、ただの石片に変える。

 無慈悲だとか、非道だとか、そんな言葉では例えようがないほどにカタリナの動きは淀みがなく、それはまるで作業の一環のようにさえ俺の目に映った。

 人の……、それも、子供の命を作業感覚で奪うなど、理解できるはずがない。理解、していいはずがない。

 だがそれを為したカタリナの表情には、達成感も虚しさも何も宿っておらず、ただひたすらに無感情のままであることが何よりも恐ろしかった。


「テール……、ワッツ……」


 五年の間に増えた二人の子供、テールとワッツ。

 初めは俺のことを警戒して人見知りを発動していた二人だったが、それこそライルに背中を押され、夕食が終わる頃には打ち解ける兆候すら見えていた。

 明日の朝には完全に打ち解け、俺の新たな弟になるはずだったのに、その日の夜に、二人はただの石の欠片に成り果ててしまった。


「……まだ、足りない? なら、もっと」

「ま、待て! 待ってくれ!」


 ライルとテールとワッツ。

 突如として奪われた三人の命に呆然とする俺を見て首を傾げたカタリナは、次の犠牲者を選ぶために動き出す。

 その足に、俺は文字通り縋り付くのだが、カタリナの歩みは遅くなることすらなく、紫水晶の化け物と化したカタリナ相手に俺は力でさえも劣っていることを思い知らされるのだった。


「……これは、ウェイドのため。ウェイドが、お願いをする為に、するの」


 俺の、ため……?


 そう言いながら、一つ、二つ……、三つ、と紫水晶の彫刻と化した弟妹達を壊していくカタリナ。

 俺のためってことは、俺が何かしなければならないのだろうが、俺がすべきことは何か。何一つとして思い当たらない。

 思い当たるのは、カタリナの所業を止めることだけ。だから「止めてくれ」と強く願っているのだが、俺の力ではビクともしない破壊衝動に駆られたカタリナを止めることは、叶わない。


 俺のせいで、弟妹達が壊されていく。


 弟妹達が、殺されていく。


 彼らは、彼らが生きた証の一つさえ残せず石にされた。


 そして、一切の抵抗も許されずに砕かれ、散っていく。


 その全てが、俺のせい。


 極論だと分かっているが、そう判断せざるを得ない。



 ──俺が願ったせいで、カタリナが彼らを石に変えて。

 ──俺が願わなかったせいで、カタリナが彼らを殺して回っている。



 それが、現実。

 いくら目を逸らしても、変わることのない現実。


 俺の所為で、家族が、死んでいく──



「あ、あぁ……」



 愛していた弟妹達が壊される瞬間を目で捉えることなど出来るはずもなく、俺はただ、カタリナからも捨て置かれ、惨めったらしく部屋の真ん中で頭を抱えて小さくなって蹲ることしかできない。


 こんなこと望んじゃいない。

 こんなこと願っちゃいない。


 どれだけ自分を正当化しようと考えたところで、『俺の願いを叶える』という名目で動くカタリナが止まってくれるわけじゃない。

 現在進行形で弟妹達がただの石片に変えられていく音を遮断するために耳を塞ぐが、それでもカタリナが壊していく音は否応なしに聞こえてくる。



 ──ガシャン。──パリン。──ポキリ。



 何人目を壊した頃だろうか。

 壊す音に紛れて、壊れる音が聞こえてきた。


 ……心が、折れる音だ。

 堪えきれなくなったストレスに押し潰されたのだ。

 体の震えが止まらない。

 顔を上げることが恐ろしくてたまらない。

 だから俺は、自然と漏れる言葉をリピートするだけの、壊れた玩具と化す。



「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。許してください、許してください、許してください、許してください、許してください、許してください、許してください、許してください、許してください、許してください」



 誰に対する謝罪なのか。

 誰に対して恩赦を求めているのか。

 俺にはもう、考える権利すらも放棄して、ただ目の前の嵐が過ぎ去ることを祈ることしかできなかった。






補完と言う名の、言語解説。


【神獣】


エルフの信仰対象。

──以下、詳細不明。


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