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三節 変貌3


 

 ◇



「なんだか、長い一日だったな。まさか、あんなことになるとは」

「……ん。大変、だった」

「……他人事みたいに言うなよな。全部お前のせいなんだから」


 夜でも関係なく昼間のように明るく眩しいくらいに輝く帝都とは違って、セナ村の夜は暗闇が支配する。

 だがそれも今日みたいな満月の日は別で、俺はカタリナを膝の上に乗せたまま、降り注ぐ月の光を浴びるように教会の裏手でのんびりと夜空を見上げていた。


 孤児院で過ごしてた時もこうして夜に眠れない時はシスターフィオナと一緒に空を見上げ、何の気もない会話を交わしながら少しだけ夜更かししていた記憶が蘇る。

 今頃弟妹たちは俺の土産にあった人数分以上のぬいぐるみと共にベッドの中だ。

 俺はどこまでもマイペースなカタリナに呆れた視線を向けながら、夕食時に起こった事件を回顧する。


「こうなることは……まぁ、その、なんだ。あらかじめ予想していたつもりだったが……。まさか俺の危惧した通りの結末になるとはな」

「……ウェイド、困ってる?」

「あぁ、困ってるよ。主にお前の異常な食欲のせいでな」

「……よしよし」


 結果だけ言うと、孤児院は……、ハーヴリー神父は、カタリナを拒絶した。

 満天の星空の下、その事実に俺は今、現実逃避しているのであった。


「神父様があんな顔してるの、初めて見たぜ……」


 ──夕飯時、寝入っているシスターと祈りを捧げる神父様の代わりに、俺が弟妹達にご飯を振舞った。


 士官学校のカリキュラムには、軍備での野営も評価の一つで。

 そこでは何故か料理人紛いの試験が出されたこともあり、腕には自信があった。カリキュラムと言うか、担当教官だった師匠が変わっていた、というのが大きいだろうが。結局、機竜小隊では潤沢な配給が望めたため培われた野営スキルは陽の目を見る事が無かったのだけが不服であったのは秘めたる事実だ。

 だがそれも、今日この日のためだったのだと思えば、漫然と蓄積していた不満も晴れるというもの。

 そう考え、せっかくだからと腕によりをかけて作った結果、弟妹達からも大好評。そしてもちろん、俺の膝の上で知らん顔をしているカタリナにも好評であった。


 ……それが、いけなかった。


 遅れて姿を見せた神父様にカタリナのことを説明し、ここで受け入れてくれるようお願いしていると、神父様の顔がみるみるうちに強張って行ったのだ。神父様の視線の先を追って振り向くと。

 そこでは、ちんまりとした紫の髪の少女が、その可愛らしい見た目とは反して脇目も振らずにがつがつむしゃむしゃと、食べ進めているではないか。その様は、正に一心不乱。子供たちと歓談する時間すら惜しいとでも言うかのように、口元が汚れていることも一切厭わずにお代わりを要求するその姿に、神父様は一度だけ俺の方を向き直って、一言。


『……身に余る贅沢は、うちでは手に余ります』


 それだけ言って、シスターフィオナの元へと料理を手に去って行ってしまうのだった。

 今晩の夕食は俺が隣街から買ってきた食材が大半で。寄付と支援金のみで賄っている教会の運営費では、普段の食事でこれだけの量を用意するのは難しいと分かっての言葉だろう。

 あの場で食事に勤しむ子供たちに向かって「こんな食事は今日だけですからね」と言わなかったのはせめてもの慈悲なのか。


「はぁ……。また空回りしたのかなぁ」

「……ウェイド、泣いてる?」

「泣いてねぇよ。ただちょっと、正解が分からなくなってるだけだ」


 孤児院に対する善意が全て空回りしているような感覚に、深い溜め息と肩を落とす。俺はただ、弟妹達に笑顔でいて欲しかっただけ。けれども、その為にやったことは全て孤児院にとってはマイナスなことだったようで。

 俺のやったことは迷惑でしかなかったのかと後悔に襲われる最中、落ち込んだ背中に声が掛かった。



「──ウェイド」



 振り向かずとも分かる、澄み切った声。

 五年前と変わらない声に勢い良く振り返った俺は、彼女の名前を呼んだ。


「シスター、フィオナ……っ!」


 夜風に攫われてしまいそうな、そんな儚い印象を抱かせる彼女と、シスターフィオナと目が合う。

 シスターフィオナは柔らかなストールを肩に掛け、俺の顔を見て微笑んだ。


「おかえりなさい、ウェイド。出迎えれなくて、ごめんなさいね」

「た、ただいま……! ただいま、フィオナ……!」


 彼女に会えたら、言いたいことがたくさんあった。

 それはもう、たくさんあったはずなのに、俺はそこから先の言葉を失ってしまう。

 五年が経過して大きくなった子供たちが経過した時間の分だけ成長したのと比べて、シスターフィオナは成長した、と言うよりも、成熟したと言える変化を遂げており、帝都でも類を見ないような白皙の美貌を手に入れた姿に、俺はすっかり見蕩れてしまっていた。


「ふふっ。ウェイド、大きくなりましたね」

「あ、え、と……シスターフィオナも、綺麗に、なって」

「帝都ではそんなこと覚えてきたの? って、あなたは五年前から変わらず、ずっとそうでしたね」


 言いながら、当たり前のように隣に腰を下ろすシスターフィオナ。

 彼女は俺の二つ年上で、今年で十九歳。

 五年前の時点でずっと大人に見えた彼女に、五年が経てば俺も大人になって、自然と追いつくものだと俺は考えていた。だが、蓋を開ければどうだ。こうして五年の月日を重ねたシスターフィオナと対面して、俺の考えがどこまでも浅かったことが、幼稚であった事がよく分かる。


「……」

「急に黙ってどうしたの?」


 まるで別人のように見えるシスターフィオナだが、呆然とする俺を揶揄うように鼻先を摘まんでくる仕草は、俺の知っているシスターフィオナのまんま。それが否応なしに彼女の成熟さを示しており、俺は伸ばした手が届かないままであることを思い知らされる。それなのに、俺の目の前にいるシスターフィオナは、俺の記憶に残る彼女の姿と比べて、まるで違う。


 あの時ですら手が届かないほどに大人に見えたというのに、五年経った今でも俺はシスターフィオナに追い付けない現実に恥じ入るばかりだ。

 それでも、いつまでも地面とにらめっこしているばかりでは、わざわざセナ村に帰って来た意味が無くなってしまう。そう感じて、俺は緊張の抜けない顔を上げた。


「体調悪い、って、聞いたけど……大丈夫、なのか?」

「……程々、ですね」


 頭の傾きで垂れた一房の髪を耳に掛ける仕草が、やけに艶っぽい。

 頭の後ろで一纏めにされた日に焼けた栗色の髪。彼女の振る舞い一つでふわりと香ってくる彼女の香りに鼻孔がくすぐられ、胸の鼓動は早くなる。

 緊張でカラカラに乾いた喉を精一杯開いた結果、ぶっきらぼうな口調になってしまったのは許して欲しい。こうでもしなければ、舌の上で言葉が絡まって詰まってしまうのだから。

 そんな風にドギマギする俺を他所に、シスターフィオナは俺の膝の上に乗ったままのカタリナと触れ合っている。


「神父様から聞きましたよ。この子を連れてきた、って。ウェイドは昔からちっとも変わってないですね。見た目だけは成長しても、中身は昔のまま……。シグとアキ。あなたがあの二人を拾ってきた時から、なぁんにも変わってない……」

「それは、褒めてるのか?」

「ふふっ。どうでしょうね?」

「……」


 シスターフィオナの指先に弄られるカタリナは、シスターフィオナをジッと見つめたまま、膝の上で微動だにしない。神父様の時と同じで、彼女の目には一体何が見えていると言うのか。

 俺とシスターフィオナの付き合いは、俺が五つかの頃からの付き合いだ。まだ俺と同じくらい小さい子供なのに、神に仕える身として教会に派遣されてきて、神父様の下で神職を全うしようとする姿に、俺は段々と惹かれていった。それが実は精一杯お姉さんぶっていたのだと後から知って、余計にときめいたのも事実。

 だから村の大人を真似して何度も何度も彼女に対して愛を繰り返し伝え続けた。

 けれども、俺の告白に返ってくるのはいつも決まって、


『神に操を立てた身ですので』


 という決まり文句のみ。

 五年前に俺が村を出て行く日も、俺はこれで最後にすると決めて告白したのだが、シスターフィオナの口から吐かれたのは決まって同じ返答だった。


 ……だけど、あの時だけは、特別な思い出として俺の記憶に残っている。


『……立派になって帰ってきたら、考えてあげます』


 初めて聞けたシスターフィオナの言葉に、俺は爛々と瞳を輝かせたのを覚えているし、今も思い出すだけで興奮して滾ってしまう。

 だから今でも彼女のことは大好きだし、初めて感じた恋のトキメキは新鮮なまま、胸に刻まれている。

 帝都での生活は楽しいだけでなく、むしろ苦しいことの方が多かった。俺のような出る杭を打たんとする帝国貴族の連中に蹴落とされ、嘲笑される日々。

 そんな生活の中でも腐らずにいられたのは、シスターフィオナがくれたその希望の言葉があったからこそ。

 だから今こそ、あの時の答えを聞くべきなのだ。


「シスターフィオナ……俺、俺──」


 ……なのに俺は、そこから先の言葉を紡げない。

 今の俺は、立派になって帰って来た凱旋とは違うからだ。

 特別騎兵として役職を得ていた一か月前とは違い、今の俺はただの兵士。

 士官学校を卒業した身でありながら官位を得られていないのは、官位の階級は貴族にしか与えられないからである。

 ゆえに俺は「特別騎兵」という中尉相当の特殊な役職を与えられていたのだが、それを失った今の俺は、ただの下士官。新しい職場では、准尉官としての立場を求められるのだろうが、それ以上の地位に就くことはまずもって不可能なのであった。

 言うなれば、今の俺は帝都から逃げ帰ってきたというに相応しく、弟妹達に囲まれて褒め称えられるには相応しくない、負け犬に等しいのだ。

 そんな今の俺を立派だと俺自身が言えないからこそ、俺はシスターフィオナに想いを伝えるのに躊躇してしまうのであった。

 情けない姿を晒す俺の手を取るように、シスターフィオナは穏やかに声を掛ける。


「……ねえ、ウェイド」

「は、はいっ!」

「ふふっ。そんなに緊張しなくていいのに。私とウェイドの仲でしょう?」

「それは、そうだけど……」


 大人びた眼差し。丸みを帯びた顔付き。そして、漂う色香。

 シスターフィオナはリリスと一つしか変わらないはずなのに、五年間最も近くにいたはずの彼女からはそんな色香など感じたことなど無いというのは、どういうことなのか。

 彼女も一年後にはこうなるとでも言うのだろうか。人体の神秘である。


「この五年の間、あなたが何になって、何をしたか、聞かせてくれますか? 私は、私の知らないウェイドのことをもっとよく知りたいの」

「う、うん! 話すよ! じゃあ、何処から話そうかな……。そうだ! 帝都には──」


 前のめりになって顔を覗き込んでくるシスターフィオナから、俺は大きく目線を逸らして話題を引っ張り出す。


 彼女と目を合わせると途端に上がる心拍数に、これ以上は俺の体がもたないと鳴り響く危険信号に歯噛みするも、俺はこの瞬間を噛み締めるように捻出した思い出話を語っていく。

 一つ話題が増えれば、そこから後はスルスルと話の種は芽吹き、俺の話でシスターフィオナの顔に笑みが浮かべば、俺も楽しくなって話題が弾む。


「──そのリリスちゃんのこと、嫌いじゃなかったんでしょう? 嫌いならこんなに楽しそうに話していないもの。それなのに、どうして彼女の想いに応えてあげなかったのですか?」

「ッ……?!」



 ──あなたが好きだから。



 それが言えたらどれだけ楽だったか。

 むしろ、なぜあなたがそんなことを言うのか、俺は一瞬、頭の中が真っ白になる。

 まるで俺の告白を無かったことみたいな口振りで話すシスターフィオナの言葉に、俺は胸を深く抉られたような感覚を覚えた。


「うっ……! それ、は……。ほ、ほら、俺ってば軍規違反した身だし、ただの下士官の俺と一緒になっても、彼女は幸せになれないから……」


 けれども、俺はそれを追求できる胆力は持ち得ておらず、ただただこれ以上傷付きたくない俺は、日和見主義の言い訳を並べていく。

 そして、あの時、あの場所で、俺に好きな人がいると分かった上でも逃げることなく「好きです」と言ったリリスの胆力の強さを、俺は事ここに至って思い知る。


「それは、ただの言い訳ですよ。私が知りたいのは、ウェイドがリリスさんを好きか、嫌いかということです」

「でも、リリスは貴族だし、平民の俺とは絶対に結ばれない」

「……そんなもの、平民の俺でも幸せにしてやる、くらい言えないんですか。……ウェイドの意気地なし。私はあなたをそんな風に育てた覚えはありませんよ」

「いっ?!」


 口を尖らせ、薄眼でこちらを睨み付けるシスターフィオナの口から飛び出して来た言葉に、体を反り返らせる程の反応を見せてしまう。

 なんてことを言うんだ、と。

 それでも尚も、シスターフィオナの口撃は止まることを知らず。


「身分なんて、愛の名の下には不要なのです。聖神ポラス様も仰っていますよ。『愛に貴賎無し』、と。……ウェイド、あなたがリリスさんを拒絶したのは、彼女を幸せに出来ないかもしれないと思ったからですか? 真実の愛とは、好いた相手の傍にいるだけで幸せな気持ちに浸れるということです。それが愛情というものです。もし仮にウェイドがリリスさんのことを愛していなくとも、人が結びつくのに必要なのは、情です。友情でも人情でも、相手のことを思い測れる尊敬の念と多少の情さえあれば、そこから愛は生まれるのです。……生まれて、しまうものなのです。……だからウェイド、あなたに必要なのは……、彼女でした。あなたのことを本気で愛している彼女なら、あなたはきっと幸せになれたはず。……なのに、どうして彼女の告白を断ったのですか? ……どうしてあなたは……、ここに、帰ってきてしまったのですか?」


 シスターフィオナの独白のような言葉の羅列を前に、俺は口を挟むことができなかった。

 もちろん、反論すべきことはいくらでもあった。

 だけど俺は、彼女の言葉を受けても一切口を開かず、消えゆくような彼女の言葉を最後まで受け止めるしかなかったのである。何故なら、


「……どうして、泣いてるんだよ」

「泣いてなどいません。……あなたは、帝都で幸せになるべきだったのです。素敵な女性と、結、ばれて……! こんな……、私のことなど忘れて──」


 シスターフィオナの目の端に浮かんだ、光の粒。

 言葉を遮る代わりに俺は手を伸ばし、指先でそれを拭う。

 嗚咽が混じり始めたシスターフィオナは、声を震わせて静かに呟く。

 俺はもう、これ以上黙っていることなど、できやしなくて。


「シスター……いいや、フィオナ! 俺は……俺は!」



「……満ちた」



 彼女の手を強く握り、涙を湛えた二つの宝石の如き瞳を正面から見据える。

 見つめ合う、俺と、シスターフィオナ。

 情緒が高まり、俺の口が遂に五年振りに想いを告げようとした、その瞬間。これまで沈黙を貫き続けたカタリナがぽつりと呟く。その言葉の意味を理解しようとする間もなく、俺たちの背後に浮かんだ二人の影に、気がつく。


「ウェイド兄ちゃん? 一緒に寝ようよ……」

「……ウェイド、どこぉ?」


 間が、悪いというべきか。

 俺を探していたのだろうか。

 寝惚け眼を擦りながら姿を現したアキとシグの二人を見て、シスターフィオナと二人、お互いの目を見合わせてフッ、と笑みを零す。


「あー……。なんか、そういう雰囲気じゃ、なくなっちまったな」


 二人が邪魔をした、というわけではない。

 五年前の時点で俺がシスターフィオナに懸想しているのは周知の事実であり、なんならセナ村の住人全員が知っているくらい公然で告白しては玉砕してを繰り返していた。

 だから二人が見ていたとしても俺は構わなかったのだが、やはり、本気の告白をするならばムードが必要だろう。俺も、それくらいは分かるようになった。疑ってしまったとは言え、五年と言う月日は俺を、確かに大人にしてくれているらしい。


「……ふふっ、そうね。カタリナちゃんも、アキとシグの二人が起きて来てるのに気が付いていたんですね」


 跡も残さず涙を拭ったシスターフィオナもすっかり元の余裕のある姿に戻っており、横目で覗き見る彼女の目の色は、「今じゃない」と訴えてきているのが分かった。

 それなら次の機会を待とう。次の夜を待ってもいい。教会を発つ前に必ず、この想いはきちんとした場所で伝えよう。

 カタリナと戯れるシスターフィオナを見て、その思いが募る。

 五年ぶりにシスターフィオナと再会して興奮していた頭が冷えていくのを感じると同時に、俺は溢れ出る思いを再確認した。

 今度は、きちんと伝えられる。

 今のやり取りを見ても、シスターフィオナは必ず受け入れてくれるはずだ。今のはただの確認作業。次はうまくやれるはず。



 そう考えていたのだが。



 その、「また今度」が二度と訪れないことを、俺は知らなかった。



 カタリナが、俺たちの浮かれた気分を凍えさせるような一声を口にするまでは。



「……二人、いる。お腹の、中? 赤ちゃん、いる」







補完と言う名の、言語解説。


【聖神教徒】


ポラス教の信者。

ポラス教の戒律に厳しいものは無く、食事前の祈りや善行に感謝をすると言った、日常生活に溶け込んだ戒律が多い。本格的に信仰するとなると、祈りを捧ぐ十字架であったりステンドグラス、日に三回霊峰に向かって祈りを捧げると言った行動が必要になってくるが、それらは寄進で賄えるとあって大陸で最も信者の多い宗教である。

ただ、それらはあくまでも信者への戒律。

神に操を立てる修道士への戒律は、話が違ってくる。

司祭、司教、教皇を含む修道士は男女関わらずなることが出来るが、結婚は許されていない。また、清貧を良きものと尊ぶ聖神教では修道士が私財を持つことを禁止させられており、全て寄付金で賄わなければいけない(教会で孤児を預かると大聖堂からの寄付金や修道士の派遣が増える)。

ただ、ポラス教では近年、修道士の還俗に寛容で、一度還俗してから結婚し再び信仰の道に戻ることも許されるようになりつつあった。

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