二節 帰還5
◇
「今日も人が多いな……。はぐれるなよ」
「お腹空いた」
「分かった分かった。買い出しの前に、腹ごしらえだな。俺のお気に入りの店に行こう」
「……美味しい?」
「あぁ、カタリナもきっと気に入る」
帝都の中心は皇帝陛下の住まう帝城であるが、一般市民にとってみれば、各区域にある噴水広場こそ、帝都の中心と呼べるだろう。
祭りや祝い事があればここに集まって騒ぐし、それらが無くとも噴水広場では毎日のように出店やマーケットが開かれていて、常に活気に溢れている。年明けなんかはこの広場で皇帝陛下の新年の挨拶を国民全員で揃って聞くのが決まりのようになっており、俺も一度だけ参加したことがある。酔っぱらっていたからその時の記憶はほとんど無いが。
カタリナを連れて俺が向かう先は、俺が帝都にやって来てからずっと世話になっている串焼きの屋台だ。屋台としてはありきたりだが、俺はこの区画で……否、帝都で一番美味い屋台だと思っている。相変わらず、ボロい屋台だが。
「おっちゃん、やってるか?」
「よう、ウェイド! 久し振りだなぁ。任務帰りか? 飯食ってけよ!」
「ああ。串の盛り合わせを二皿……いや、三皿くれ」
通い慣れた屋台へと顔を出すと、気の良い返事と共に店主の髭面のおっちゃんが手際よく串焼きを網に並べていく。
秘伝のタレが炭で弾けて焦げる匂いが堪らなく食欲をそそる。
「……ごくり」
「美味そうだろ? 美味いんだよ、これが。帝都一美味い串焼きだな」
「カカカッ! 嬉しいこと言ってくれんね! うちの肉は独自のルートから仕入れてるからな。他じゃ味わえねぇ肉の味だ。タレも秘伝だから、ウェイドの言うこたぁ、あながち間違っちゃいねぇな!」
椅子に膝を立てて、多種多様な肉串が焼かれていく様を覗き込むカタリナは、飲み込んでもなお余りある涎を口端から垂らしている。その気持ち、良く分かるぞ。
帝都に来てから五年。毎週のように通っていても決して食べ飽きることのないタレの味に、俺はすっかり病みつきになっていたのだ。ちなみに塩も美味い。
「ところで……何だぁ、その子は。ウェイドの隠し子かぁ?」
「俺が幾つの年の子だよ……。色々あってな。拾ったんだよ、任務先で。それと、帝都を離れることになってな」
「色々って、なんだよお前。説明端折り過ぎだろ。まぁ、詳しく聞くなってことなんだろ? なんだよ、寂しくなるじゃねぇか。この店はウェイドの稼ぎで回ってる、ってのにな!」
「笑い事じゃないだろ……。店を綺麗にしろって言ってるだろ。こんな店じゃ、ガールフレンドも連れて来られやしねぇっての。おっちゃんの腕は良いんだから、呼び込めれば客はつくはずだろ」
「いいんだ、いいんだ。ここは所詮、俺の道楽でやってるようなもんだからな。それで、いつ帰ってくるんだ?」
「……さぁな。いつになるかは分からない。……もし戻ってきた時にこの店が潰れて、なくなってるのは嫌だからな」
「そいつぁまた、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。お前が帰って来るまでこの店の看板を残しておかねぇといけなくなっちまったな! ほらよ、まずは一皿目だ」
話している内に焼き上がった串焼きの盛り合わせを前に、俺とカタリナは揃って手を合わせる。これ以上待たされたら、足元に水溜まりが出来ているところだった。
「……むぅ、熱い」
「焼きたてだからな。ほら、ちゃんと冷まして、火傷しないように食えよ? 飲み物買ってくるから。おっちゃん、ちょっと見といてくれ」
「ここは預り所じゃねぇぞ~」
とかなんとか言いながら、カウンターから身を乗り出してカタリナが食べやすいように串から外してやっているのを尻目に、他の屋台に移動して果実水を二つ買って戻る。
少し行儀が悪いが、片手に持った肉串を齧り、口いっぱいに広がった濃いタレの味を、すっきりサッパリした果実水で流し込む。果実やスパイスをふんだんに使った秘伝のタレの味は、あの屋台でしか味わえない。
「くぅ~。これが、堪らないんだよなぁ」
本音を言えば、串焼きの濃いタレの味には麦酒がよく合うのだが、流石に昼間から飲むのは自重すべきだろう。……おっちゃんはいつ行っても酔っ払っているけども。
その代わりと言ってはなんだが、俺は別のものも一緒に買って屋台に戻る。
「へへ、面白いモン買ってきたぜ」
「あんだぁ? 丸パン? そんなもん買ってどうするよ。半分に割って……──って、まさか?!」
「あぁ、そのまさかだぜ、おっちゃん。ここに肉を挟んで、即席サンドの完成だ! ほら、カタリナもこっちの方が食べやすいだろ?」
「ん、食べる」
食べやすいだろ、とは言ったものの、俺が買って戻るまでの間に盛り合わせの半分も平らげているのだから驚きだ。
「んまー」
「そうだろ、そうだろ! 間違いないと思ったんだ。おっちゃんの分も買ってきてあるけど、食うか?」
「おー、くれくれ。自分の料理をアレンジするなんて発想は無かったからな。どれどれ──む! これは……、美味すぎるな。特に、肉の味付けが天才的だ」
おっちゃんが自画自賛する横で、俺もサンドを頬張る。
スープに浸して食べる黒パンほど固くはなく、けれども高価な白パンほど柔らかくはないからこそ、串焼きのタレが丸パンに良く染みて食べやすくなっている。肉の量も串一本分と丁度良く、果実水で流し込むことでより清涼感が増す様な気がする。
とにかく「美味い!」の一言に尽きるもので、おっちゃんは一口食べては何かを呟き繰り返している。
パンを買ってきて正解だったな、と思ったのも束の間、俺はその選択をすぐに後悔することになる。
「……もう一個」
「え?」
「もう一個、食べる」
「……ま、また買ってくるから、ちょっと待ってろ」
新たな味に目覚めたカタリナが一個で留まる訳もなく、黙々と食べ進めた先でお代わりを所望する。
そして、留まることを知らぬカタリナの食欲が爆発した結果、彼女のお代わりが一度で済むはずもない。注文した盛り合わせ三皿を食べ終わるまで、俺はおっちゃんの店とパンを売っている屋台を往復する羽目になるのだった。
「……美味しかった」
「俺は余計腹が減った気がする」
「ほらよ、こいつは俺からの餞別だ。ここが潰れる前に、帰って来いよ」
「せめて潰さないで待ってる、くらい言ってくれよ。でも……ありがとう」
タレで汚れたカタリナの口元を拭っていると、席を外していたおっちゃんが戻ってきて、帝都で話題のスイーツを俺とカタリナの前に置く。餞別、というやつだろうか。
入手困難という言葉が一瞬過ったものの、おっちゃんの気遣いを無碍にするわけにはいかないと思いそれに手を伸ばした。
「それで、顔馴染みには帝都を出て行くことは言ったのか?」
「あぁ。メアとワーグナーは俺の異動を知っているだろうし、リリスにも昨日それとなく伝えておいた。師匠は……まあ、言う必要もないだろうし、おっちゃんが最後だよ」
「ハッ、五年も帝都にいながら知り合いはそれだけかぁ? すくねぇなぁ」
「うっせぇ。勉強と訓練と任務で関係広げる暇すらなかったんだよ。軍人の宿命、ってやつだ」
「それで? いつ発つんだ?」
「明日だな。この後は旅に備えて買い出しに行くつもり」
クリームを口端に付けたカタリナが俺の手に残るスイーツに目を付けたのを見て、俺は一口手を付けただけのものを差し出す。甘い物は苦手というわけではないが。……なんだかんだ言って、カタリナの我儘に振り回されるのは嫌いじゃなかった。
「いつでも帰って来いよ。なんだったら遊びに行ってやるよ」
「来れるもんならな。帝都から馬車で二週間だぞ。なーんにもない、辺境も辺境だ。でもまぁ、来てくれるんなら歓迎するぜ?」
「ははっ! そりゃあ無理だ。この老体に鞭打って来いってか? 道中で野垂れ死んじまう!」
そりゃあ大変だ、と二人して笑い合う。
名前も知らない鉢巻と髭面が良く似合う気の良いおっちゃんだが、これが最後かと思うとどこか物悲しい。
いつかはこの店の味を思い出して懐かしく思う日が来るのだろう。その時を思って皿に残ったタレを指で掬って舐め取る。カタリナがスイーツに夢中になっている時にしかできないことだ。
そんなカタリナが鼻のてっぺんにクリームを付けて食べ終わったのを見て、俺はようやく席を立ちあがった。
「……世話になったな、おっちゃん」
「体が資本だぞ。無理しすぎるなよ」
いつもの別れ文句だ。おっちゃんにとっても俺にとっても、この別れはいつものこと。
そこに涙は必要ない。
「じゃあ、また」
「……ごちそ、さま」
「おう。また来いよ」
「ありがとう、ございました」
ニッ、と笑って手を振るおっちゃんに、俺は黙って頭を下げる。
おっちゃんは気にしていないだろうが、俺にはあの店のあの席でどれだけ泣かせてもらってきたことか。宿のおばさん以上におっちゃんにはこの帝都で世話になったのだ。礼を尽くすのが道理というものだろう。
わざと多く置いたお金にもすぐに気付くだろうが、俺にはそのくらいでしかおっちゃんに礼を示すことができない。
「……?」
カタリナも真似をしておっちゃんに向かって頭を下げるが、その顔は良く分かっていない顔だった。
顔を上げた時、おっちゃんは困った顔で笑っていた。その顔を見て、俺はもう一度頭を下げたい衝動に駆られたのだが、軽く会釈をする程度に留め、カタリナの手を引いて雑踏に紛れていく。
「……泣いて、る?」
「……ああ。少しだけな」
「抱っこ」
「ん? あぁ……って、くすぐったいぞ」
「よし、よし」
「リリスにでも教わったのか?」
カタリナの小さな手が俺の頭を撫でる。それに安心感を覚えたわけではないが、俺はフッと笑みをこぼした後、顔を上げる。
「ありがとな。よし、長旅の準備だ。いっぱい買うぞ?」
「……おー」
理解しているのかいないのか。気の抜けるような掛け声と共にカタリナを担いだ俺は力強く一歩を踏み出していく。
別れの悲しみを振り払うように。別れではなく門出なのだと言い聞かせるように。
出会いがあるから、別れがある。
最後に報告したのが、おっちゃんで良かった。おっちゃんは俺がこの帝都に来て最初に出会った人でもあったから。
別れがあるから、出会いがある。
その言葉を信じれば、もう後ろ髪引かれる思いも無い。
俺は明朝、帝都を発つ。
叶うのであれば、またこの場所に戻って来られるよう、願いを込めて。
補完と言う名の、言語解説。
【噴水広場】
帝都の民にとって憩いや交流の場となる噴水広場。
噴水はアーティファクトによって安全で綺麗な水を確保しているという帝都の徹底した衛生管理を誇るものでもあり、噴水の周囲では人々が話題に花を咲かす。
噴水広場から伸びる大通りでは帝都を彩る店が軒を連ねていて、噴水広場で開かれる露店や出店は大通りの色に染まる。ウェイドが訪れた十三区の噴水広場は比較的治安が良く、そこから離れた繁華街の方へ向かうと、がらっと雰囲気が変わる、なんてことはここ帝都ではよく見られる光景だ。




