二節 帰還4
◇
「──きる。起きる。ウェイド」
「うっ、重……」
翌朝、胸にのしかかる子供一人分の体重に息を漏らし、目覚ましが強制執行される。確か昨日は……と思い出す前に、寝惚け眼にカタリナの顔がずい、と寄せられる。
「おはよう、カタリナ」
「……髪、結んで。また、編み編みが、いい」
視界一杯に広がった紫の髪は、窓から差し込む朝日を反射して光り輝いて見える。
カタリナの眼球の件も相俟って一本一本が柱状晶のように思える髪の毛だが、彼女が覗き込んで垂れた毛先が俺の頬を撫でると、くすぐったさを覚えた。
「分かったから、一回降りてくれ。くすぐったい」
「……ん」
「お前、髪の毛伸びたか?」
「……分かんない」
おばさんの好意で置かれた水差しから水を口に含んで軽く目を覚ました後、部屋を出て顔を洗って戻ってくる。すっかり荷物が運び出されてベッドしかない部屋に戻ってくると、ベッドに腰掛けた俺の膝にカタリナが飛び乗ってくる。
「……早く」
「じっとしてろよ」
ゆらゆらと頭と足を揺らすカタリナの髪を櫛で梳いていると、以前はカタリナの身長ほどだった髪が、以前よりも伸びているように感じられる。
気のせい……、では、ないよな。
当たり前のことだが、時間の経過で髪が伸びるのは自然の摂理。俺だって伸びるのだが、数日で数センチならともかく、たった数日で数十センチもの長さが伸びているのは明らかな異常だろう。これだけ長い髪なら本人に自覚が無くて当然だと思うが、それにしても伸びすぎだ。
髪の毛が伸びる要因なんてそうそう無い。そういうアーティファクトだってあるとは思うが、それと思しき物には触れていないし。
残る可能性として考えられるのは食事として摂取したか否かだが、俺と同じ物を食べている以上、俺の髪に変化が無いため変な物を食べたとは考えにくい。となると、体質の問題か? カタリナの健啖っぷりが全て髪の毛の成長に促されているとしか考えられなかった。
「こいつぁ、腕が鳴るぜ」
「……編み、編み」
とは言え、だからなんなのだ、という問題はさておいて、俺は妹へのお土産になるかもと買っておいた櫛を使い、難敵と思しき髪に櫛を通してごくりと喉を鳴らす。
「……今日は、何、食べるの?」
「お前は食べ物のことばっかりだな。まあ、約束したもんな。今日は、帝都の屋台飯でも巡るか。陛下の使いがいつ来るか分からないが、来るまでは自由時間だしな」
「お使い?」
「昨日の話だよ。覚えてないのか? ……そう言えばカタリナ。お前、あの時……いや、なんでもない」
「……んー?」
陛下の御前だけでなく、リリスの時もそうだ。
バッカスというきちんとした医療知識を持った人物が、こいつは盲目だ、と診断を下したのにもかかわらず、機竜の上から帝都の光景を眺めてうっとりしたり、運び込まれてくる料理に目を奪われたりと、あからさまに目が見えている素振りをする。だけども、人から見ると盲目のように見える……。まるで、見えている面は側面でしかないような気分だ。紫水晶の眼球を隠したのと同じように、使い分けているとでもいうのだろうか。
そんなことを思いながら振り返るカタリナの目を覗き込んでも、茫洋とした目に疑り深い俺の顔が反射して映るだけであった。
「……昨日、俺が酔い潰れた後、変なこと言ってなかったか?」
「……リリスが、ウェイドのこと、好きだって」
「それは、まぁな」
「なんで、ウェイドはリリスのこと、好きって、言わなかった?」
「俺には、好きな人がいるんだよ」
「……リリス?」
「リリスじゃなくて……。もし村に帰れたら紹介できるんだけどな。俺の好きな人は、孤児院のシスターなんだよ。シスターフィオナ。その人が好きだから、好きを貫くんだ。リリスには、悪いと思ってるけどな」
「……じゃあ、リリスのこと、嫌い?」
「嫌いじゃないさ。あいつは、良く気が利くいい奴だ。士官学校で知り合ってな。平民の俺を、何かと面倒見てくれていたんだ」
「……へいみん?」
「色々あるんだよ。……何でもそつなくこなす奴だったけど、どうやら男を見る目だけは無かったみたいだけどな。……シスターフィオナが好きな俺がリリスに靡くのは、話が違うんだよ。そんなの、誠実じゃないだろ」
「……んー、分かん、ない。好きなら愛し合えば、いい。好きは、一つだけ、なの?」
「愛し合う、って……どこでそんな言葉覚えたんだ? 好き同士って言っても、好きには色々種類があるんだよ。その種類だけ数はあってもいいけど、一番大切な好きは、揺らいじゃいけないんだ」
どうして俺はこんな子供相手に好きだの愛だのを語っているのか。確かに、妹たちもまだ小さい頃から、ませていた気がする。俺に「大好き」だの「愛してる」だの、聞き心地の良い言葉を囁いてくるお陰で特に困った記憶がある。俺が一番身近な年上だったからだろうが、その時だけは弟たちからの視線が痛かった。
それと似たように恋愛ごとに興味を持つということは、小さくともカタリナは女の子、ということか。
シスター一筋な俺には、人の恋愛ごとなんて興味を抱く暇も無かったな。
「……んー? ウェイドは、わたしのこと、好き?」
「あー、うん。どっちかと言うと、好きだな。嫌いではない」
「……わたしも、ウェイド、好き。ご飯くれる、から」
「じゃあ俺たちが愛し合うかどうかと言われたら、違うだろ?」
「……愛し、合お?」
「しねーよ、アホ。そんなことより、あんまり動くなよな。手元が狂うから」
その後、昨日の食事で何が美味しかったかとか、食事に夢中だったカタリナにリリスとの会話の内容を話したり、帝都の名物を教えたりしながらカタリナの髪を弄ること、一時間。
「よし。イイ感じじゃないか?」
俺としては傑作とも言えるヘアアレンジ。
どうしてそんなことが出来るのかと問われると、帝都のファッションを気にする妹たちにせがまれて長い日なんかは日がな一日ヘアアレンジに拘束される、なんてことがざらにあったからだ。
お陰でヘアアレンジの腕前だけでも食っていけるんじゃないかと自負する程の腕前が確立されたが、ヘアアレンジを必要とする客なんて貴族くらいのものだ。貴族相手の商売なんて俺に出来る気がしなかった。
「……おお、編み編み。たくさん!」
「へへっ。ポイントはシニヨンを囲う編み込みと、シニヨン同士を繋ぐ編み込みの橋だな。それから──」
手鏡を覗き込み、自分の頭を指で突いたりして確認するカタリナは喜んでいるように見える。その様子に俺は満足して微笑みながら、得意げに語る。
特に苦労したのは、毛量だけでなく極めて長さの誇る髪の毛を如何にしてまとめるかという点であり、カタリナの頭上に輝く二つの大きなお団子ヘアはバランスも含めて拘った点でもある。大きすぎず、小さすぎず。参考にしたのは大きな耳を持つ魔物であり、その愛らしさだけを抽出した二つのお団子は、カタリナの可愛さを最大限に引き出してくれるだろう。
……そんな説明をしたかったのだが。
「……ご飯、行こ! 早く、早く」
当のカタリナは俺の長ったらしい説明になど耳を傾けず、正に色気より食い気といった勢いで俺の手を引いて部屋の外へと飛び出して行く。
なんだか遣る瀬無い気持ちになりつつも、カタリナが弾む度に揺れる二つのお団子を見て「まあいいか」と眉を上げるのだった。
「ウェイド。丁度良い所に来たね」
「あれ、おばさん」
「今呼びに行こうと思っていたところなんだ。ウェイド、あんたにお客さんだよ。……昨日と同じ、近衛のお方だってさ」
「え? か、カタリナ! ちょっとストップ!」
「……んぅ」
宿を出たところでおばさんとばったり遭遇し、呼び止められる。
そのまま駆け出して行きそうなカタリナを抱き上げると、足が空回りして前に進まないことに気付いたのか、不満げに口を尖らせる。こいつの食い気は底知れないが、今はそれを優先してやることは叶わない。……いつも後回しにしてごめんな。
俺はすかさず、カタリナを横脇に抱いたまま宿の外に飛び出して敬礼の姿勢を取る。宿の前で俺を待つ人物を素通りすることなど、平民の俺にはできるわけがない。最悪、おばさんもろとも首を刎ねられてもおかしくないからだ。
「失礼します。准尉官ウェイドであります」
「身を弁えているようで何よりだ。……その娘は、下ろさないのか」
「離すと、このまま走り去ってしまうので……」
「ふん、まあいい。陛下からは城下ではある程度の無礼は目を瞑れと言われているからな」
俺を待っていたのは、おばさんの言葉通り、近衛騎士様。
近衛騎士様は、俺に対して無感動な様子を見せながらも、敬礼する俺を品定めするような目線を向けてくる。
それを不躾とは言うまい。近衛として皇帝陛下、ひいてはこの国に害を為すか否かを見定めるのが彼らの仕事だ。ハリス様のように、何の品定めもしない方が稀なのだ。
「……なぜハリス様はこんな奴を……」
及第点ではあったのか、品定めを終えて何やらブツブツと呟いた後、近衛騎士様は返答するかように敬礼の姿勢を取った。
頭のてっぺんから指の先まで洗練された敬礼の姿は、俺のように数年かじった程度で繰り出せるような御姿ではなく、それこそまさに陛下の御前に相応しい敬礼の姿であった。
俺は息を飲んで拝聴の姿勢を取る。
「──皇帝陛下直轄近衛騎士部隊、モーリス・ローガンである。ウェイド准尉官、拝聴せよ。これは辞令である。お前の配属先は、帝国領南西部カヴセール自治領キリズミ郡と決定した。一月以内に該当地区へと移動し、第十五部隊と合流せよとのお達しだ」
「はっ!」
「以上だ。失礼する」
端的に辞令を告げたモーリス様は、それだけ言って踵を返していく。
昼前の人通りのある街中で、しかも宿の前でわざわざ言う必要は無いんじゃないかと思わなくも無い。ほら、通り過ぎる人が何事かと視線を向けてくるが、俺は近衛騎士様の馬車が見えなくなるまで敬礼姿勢を崩すことは許されていない。ただの辞令なんです。褒賞とかそう言うんじゃないんです、と心の中で訴えつつ、ようやく見えなくなったところで、俺はたっぷりと溜め込んだ息を大きく大きく吐き出すのであった。
ちなみに、カタリナは抵抗に飽きたのか手足から脱力してただぶら下がっている。
「……ウェイド、あんた……本当に何かしたのかい? 連日近衛騎士様がやって来るなんて、相当だろう?」
「褒められるようなことをした訳じゃないよ。俺もまさか、辞令に騎士様がやって来るなんて思っても無かったから驚いてる」
「それにしてもあんた、本当に軍人だったんだね?」
「おばさん、今更?」
「ウェイドったら、いつも酔っぱらって潰れて帰ってくるもんだから、てっきり金だけは持ってるろくでもない奴なのかとばっかり思ってたよ」
「失礼な。これでも結構階級高い方……、だったんだよ」
「それで、辞令の方はどうだったんだい? あたしには聞き馴染みのない地名だったからさ」
おばさんの言葉に、俺は辞令の内容を振り返る。
──帝国領南西部カヴセール自治領キリズミ郡、第十五部隊。
その地名を聞いてすぐに思い当たる人は、この帝都にどれだけいるだろうか。一割もいないんじゃないかと言われるくらい、マイナーな地名。要は、辺境の田舎の地名だ。
それだけ帝国の領土が広いということでもあるが、俺はその地名を耳にしてすぐに思い当たる節がある。何せその土地は、俺の出身地である『セナ村』と隣接する自治領だったから。
「俺の出身地の方角だ」
「へぇ、そりゃあまた偶然だね。貸し切りにした馬車が無駄にならず済んで良かったじゃないか!」
「本当にな。明日には発つよ。お世話になったね、おばさん」
「月末まではあんたの部屋だよ。いつでも帰ってきて、好きに泊まって行きな」
俺の次の辞令が、故郷の方。それをただの偶然で済ませるには、あまりに話が出来すぎじゃないか。何者かの思惑が間に入った人事に頭を捻るが、それを考えたところで既に決定した辞令を俺にどうこうできるものでもない。
俺はただ、軍人として上からの命令に従うのみだ。
……命令無視をして今この状況なった俺が言うと説得力が皆無だけども。
いや、あれは命令無視と言うか、上官の責任がうんたらかんたら。
きっとそれを訴えたところで、誰も聞いちゃくれない。だからこうして俺に一時の休暇にも似た辞令を陛下は出してくれたのだろう。せめてもの温情、というわけだ。
おばさんは「別れの挨拶は済ませておきなよ」とだけ言って掃除に戻って行く。
「……出発?」
「明日な。飯のついでに、買い出しも済ませておくか」
「ん! お腹、空いた!」
地面に降ろすと、途端に息を吹き返したかのように腹の音を鳴らすカタリナは、空腹を思い出したかのように走り出していく。
その背を追って、俺は帝都の中心街へと足を向けるのだった。
「本当に、食い意地だけは大人顔負けだな……」
補完と言う名の、言語解説。
【自治領】
帝国の属領になった内で、自治権を有したままの土地のこと。
法律や主教が変わり、帝国の人員が配備される事以外はこれまでと変わりない生活が望める、無血侵略の一つ。当然、自分たちの住む場所を奪われるよりはマシであるが、周囲からは帝国に服従したと見られ種族としての尊厳が傷付けられる以上、誰も傷付かない侵略などこの世には存在しない。しかし、後世のためにと苦渋の決断の末自治領になる選択をした種族は多くは無いが存在する。
自治領では皇帝陛下への忠誠を任ぜられるのみで、主教が聖神教に据えられるとは言え、信仰の自由は担保され、一定の裁量権を得られる。そんな自治領で、今の今まで一度として反旗を翻そうなどという事態が起こっていないのは偏に、帝国による厚い支援のお陰でもある。逆に属領では時折帝国に対する反対運動などが行われているが、アーティファクトを有する帝国によって繁栄の恩恵を受ける自治領では、そのような事例は少ない。




