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「嬢ちゃんに言わすと、俺らのこの嬢ちゃんを家族と思う感情は作り物だって言うのか?」
いつもと違う厳しく強い目とはっきりとしたその言葉。それを受け一瞬止まってしまう。言葉より強い真っ直ぐなナイの目が、あたしを見据えてた。
「俺らが考え感じていることは作り物だって言うのか?」
「違うっ、全てがそうなわけじゃない。それでも最初の根底に……」
「そこから考え経験し、また感じることもあるだろうが」
「そうよ。縁を思うこの気持ちに最初、縁の願望があったからって、それが今も全てではないわ」
「俺たちには俺たちの考える意思がある。縁が与えてくれた自我のおかげで俺たち自身が願えることがある」
「俺らは俺らの願いで嬢ちゃんの側に居てえんだよ」
「縁の進む道が私たちの道よ」
「俺たちはどこまでも縁の家族だ」
言い切る三人の目は強く、そして真っ直ぐにあたしを見つめる。それはどこまでも真実だと言うように、あたしに思いを伝えるように。
その言葉に救われそうになる、縋りつきたくなる。けれどもそれは、許されるべきではない。
手を握り締め、笑みを浮かべた。
「家族だからこそ、幸せになってもらいたい」
三人がいてくれて本当に助かった。三人がいてくれて本当に楽しかった、幸せだった。
この短い時間なのに大変なことも色々あったけど、それでも笑える時間があったのは三人がいてくれたからだ。三人がいなければ、あたしはとっくの昔に諦めていたかもしれない。
だからこそ、あたしは言うべきだ。
「あたしは三人が好きだよ。創った存在だとかそんなこと関係なく。嬉しかったよ、側にいてくれて」
「だったら」
「だからこそ、三人には幸せになって欲しい。自分たち自身の幸せを考えてほしい。こんな殺伐とした場所でなく」
これから先、ダンジョンは荒れるだろう。それは人だけでなく魔物側からの可能性もある。それを一人でどうにかするなんて不可能に近いことはわかっている。
それでも、それにこの三人を付き合わせることは躊躇われた。
この場所に縛り続けることを、躊躇わせた。
俯くなと、視線を下げるとな言い聞かせる。頬を上げ、口角を上げろと言い聞かせる。あたしは大丈夫だと、そう思ってもらいたいと、そう信じてもらいたいと、願ってる。
そのときヨルが一歩前に進み出る。そしていつものようにその長い指であたしの頬に触れる。
「ねえ、縁。愛してるわ」
そう言って優しく包み込むように抱き締めてくるヨル。
「縁の優しい願い、嬉しいわ。ありがとう」
「それじゃあ」
「ええ。私は選ぶは、自分の為に」
「おいっ」
ナイの止めるような声を無視してヨルが少し腕を緩め、あたしの顔を覗き込んでくる。そしていつも以上に柔らかな、それでいて優しい笑みを見せる。
「私の幸せは、ここにある。この縁のいるこの場所にこそ、私の幸せはあるわ」
そう言いながら、その指がまたあたしの頬に触れ動く。
「縁が私の幸せを考えろと言うのなら考えるわ。けれど今の私の幸せはここにあるの。この温もりにあるの」
優しく語り掛ける声、諭すような優しい目、包み込む温もり。それが全身であたしに伝えようとしてくる。
「縁が私たちを真剣に考えてくれているのは嬉しいわ。そして名前の意味も聞けて良かった。だからこそ余計に今私に頼って欲しいわ。そしてこれからも」
「それを言ったら俺もだな。俺は嬢ちゃんを守る者だ。嬢ちゃんの側にいるのが幸せだ」
「だったら俺は今まで以上に縁の補佐として、そして縁が間違わないように見ていないとな」
ヨルが微笑み、ナイが明るい声を出し、リツが頷き言ってくる。あたしはそれに一瞬止まり、戸惑い、そして激しく首を横に振る。
「違う、あたしのことじゃなくっ」
「違わないのよ、縁。私の今の幸せは貴女の側にあるの」
「俺の幸せもだな」
「ああ、嬢ちゃんとヨルやリツ、今はガスト様とのやり取りも面白いしな」
ナイのいつものと変わらない快活な明るい言葉と笑顔にリツとヨルが同意するように笑う。優しい空気が流れる。
けれど腕を突っぱねてその優しい温もりを無理矢理引き離す。冷めた風に身が震える気がした。それでも譲れないものがある。
「駄目だよ、そんなんじゃ。ここじゃなくてもっと」
「縁、これからが大変なことは自分でもわかっているんだろ?」
リツの目が諭すようにあたしを見つめる。ダンジョン内のことを基本任せ、見回りしているリツだからこそ思うことも多いだろう。
「それにこれからが本当に縁の危険になることも」
「だから」
「そうなったときには俺の出番だな」
「一応、俺も魔人で戦えるんだがな」
「ああん、人間族だからってなめんなよ」
あたしの言葉に被せ、明るい声でナイとリツが言い合う。
「だからっ、こんな危険に付き合わなくてもっ」
「付き合ってるんじゃない」
「ああ、俺らは嬢ちゃんと居たいんだ」
「私たち自身が、縁を望んでいるのよ」
三人の言葉が胸に染み渡る。俯きそうになる。
「縁、お前は最初から俺たちに個人として接していた。接してくれていた」
リツの声が、いつもより柔らかい。
「目覚めたばかりの俺たちに自ら手を差し伸べ、よろしくと言ったんだ」
「苦労を掛けることはわかってたからね」
「自我を持たせ、好きに発言しろと言った。好きに選べと言った」
「それが、ダンジョン成功にも繋がると思ってだよ」
「そしてその通りに、自由にやらせてもらってる」
「ああ、そうだな」
「そうね、その通りよ」
リツの言葉を繋ぐようにいつもの快活な声でナイが、そして柔らかな声でヨルが言う。
「俺とヨルはダンジョンに戻らないことも選べた立場だ」
「ええ、好きに外に出て街で行動できていた。縁は絶対に帰ってこい、とは命令しなかったもの」
三人はあたしに創られた存在だ。主であるあたしに命令で言われてしまえば言うことを聞くしかない。
「けど、戻って来ると選んでいたのは俺たちだ」
「縁はそれだけの自由を与えてくれていた」
「嬢ちゃんの喜びそうなものを見つけるのも面白かったな」
「そうね、ナイってば変なものか食べ物ばっかり選ぶんですもの。縁は女の子なのに」
「けどお前も楽しそうだったじゃねえか」
「だって楽しかったもの。縁が喜んでくれる顔、驚く顔を想像しながら考えるのは」
「ああ、本当にな。そしてそれはこれからも変わんねえ」
不意にナイの目があたしを見据える。
「嬢ちゃん、俺は純粋な人だ。けどな、俺の家はここなんだ。このダンジョン、嬢ちゃんの側が俺の家なんだ」
「仕事で街にいることが多くても、私とナイの家はここよ。このダンジョンに帰る場所があって、縁の側に居ることを望むわ」
その目がいつもと違って真剣で、その声があたしを慈しむように響く。
「縁、俺の家も居場所も、このダンジョン、お前の側だ。例えお前がいらないと言おうとも、俺にとってはお前が居場所だ。それを苦労と思ったことはない」
リツの目があたしを射貫く。真剣だと伝え、本音だと教えるために。
「俺たちは常に選べる立場だ、そう縁が創ってくれた」
「だからこれからも変わらず自由に俺らは選ぶ」
「私たちの意思で、私たちの考えで」
「考えるな、と言う気はない。けれど縁、俺たちの感情を否定しないでくれ。縁が俺たちに与えてくれたものを、否定しないでくれ」
リツのいつもと違う強い声。それはあたしに届けようとする言葉。感情。あたしが願い、あたしが求めたもの。
「これから先、どうなるかわからない」
「ああ、忙しくなるだろうな」
リツのいつもと変わらない、あたしを支える声。
「これから先、どんどん人がやって来る」
「狙われるだけの理由があるからなあ」
ナイのいつもと変わらない、明るく快活な声。
「これから先、……人を殺す」
「そうね、それは望んでダンジョンにやってきた敵だわ」
ヨルのいつもと変わらない、優しい声。
「その中には、ナイやヨルの知り合いもいるかもしれないんだよ!」
「それがなんだ?」
「自らが望んでダンジョンに入った者。それは彼らが選んだことよ」
どこか冷めた、それでいて強い目が四つ、あたしを見る。
「俺らに自由があるように、奴らにも自由がある。選ぶ権利がある」
「それでどうなろうとも、それは彼らの選択の行く末だわ」
「俺たちが縁を選び、ダンジョンを選ぶことと変わりない」
リツの言葉で堰き止めていた思いが溢れ出す。
「ナイとヨルはそれでいいの!!」
「ああ、良い」
「ええ、それで良いの。私の願いのため、私の望みのため、その為ならば私も人を殺すわ」
「その前に俺がするけどな。ヨルの手は煩わせねえよ」
「あら、ナイってば時々抜けてるんだもの。縁を危険に晒したらそれこそ大喧嘩よ」
ふふふ、と楽し気に笑うヨルと困ったように苦笑するナイ。その姿が自然で、無理している様子なんて欠片も見えなくて、あたしの目が彷徨う。
「縁が気にしていることはわかった。俺たちの幸せを考え、そしてナイとヨルの知り合いが死ぬかもしれないことを気にしてることは」
「だって」
「けど、俺たちは縁の側を望んでる」
「ああ、俺は俺の敵を許す気はない」
「ええ、縁の敵は私の敵よ」
三人の目が真っ直ぐにあたしを見据える。それが真実だと、それが事実だと、ただ伝えるように。
「縁の望みはわかった。俺たちはこれからも俺たちの自由に生きる」
「俺らは俺らの望み通り生きる」
「例えそれが、縁の望みに反するとしても」
「それでも今、俺たちが望むのは」
「嬢ちゃんの側だ」
「貴女の笑顔よ」
その優しさが、その温もりが、今は痛い。気づかず自分の奥底にある醜悪な願望で創られた三人。その三人に向けられるただひたすらに優しい思い。それが今は辛く痛い。
自我を持たせた。自由意思を持たせた。それは関係を築きたかったから。そしてそれは上手くいった。
けれども拭い去れない醜悪な自分の願望。それが邪魔をする。正確にそれが正しいことなのかわからなくなる。あたしの願いが、邪魔をする。
「縁、考えすぎるな。例え根底にお前の願望があろうとも、今を作り出したのは俺たちだ」
「一緒に暮らして一緒に飯食って、そして笑って」
「ええ、まだ短い時間だけど、思い出ならもうあるわ」
「そこに嘘は何もない。俺たち自身がその中で感じ選んだことだ」
握り締めていた手を、ゆっくりとヨルが開かせていく。
「すぐに納得しろとは言わないわ。けれどね、私たちをちゃんと見て」
「俺たちが無理していないか、縁の目で判断すればいい」
「嬢ちゃんは考えすぎなんだよ、もっと楽にいようぜ」
「ナイはもう少し考えた方が良いと思うわ」
「そうだな、それは俺も思う」
「何だよお前ら、ひでえな」
あたしの目の前でくすくすと笑い合う三人。その姿に嘘はなく、力みもない自然なもの。
それは、あたしが望んでいたもの。その姿にどこか力が抜けるような、そんな気がした夜だった。




