プロローグ2
世界はいつも理不尽で、不条理だ。
微笑みを浮かべたまま一先ず辺りを見渡してみた。
一言で言うなら何もない、本当にただ無機質でたぶん正四角形な空間。
広さも六畳ほどだろうか? もうちょっとあるのかもしれないけどけっして広くなく狭いと言い切れない空間。
見える感じの壁も全面繋ぎ目も凹凸も見えず、コンクリートとも違って滑らかにつるりとしていてタイルか何かだろうか。と考えてからあたしが見たことない物の可能性も考えた。
けれどそんなことは今はどうでもよく、無骨とも言えない何もないがらんとした空間、ただそこにガストだけが見える空間。
そしてあたしが座る何故か金細工と白のビロードが美しい豪奢な椅子。それがまるで自分のように異物で浮いているように思えた。
「今から一カ月だっけ?」
「はい、その通りで御座います」
「それまでに最低限の整えか……」
知らず溜息のようなものが零れる。
まあそれも仕方ない、と苦笑して見せたがガストは表情一つ変えず視線も向けてはこない。
「どのように整え、どのように運営するかは主様次第です」
その言葉で人好きするような微笑みを見せたガストに苦笑がまた洩れる。
「ねえ、主様ってやめない?」
「主様は主様ですから」
あたしの言葉に笑みを深くするガスト。これは何を言っても変わらないだろう。それにまた苦笑を見せる。
「縁って呼んで。様も敬称もいらない」
「私は主様の補佐。下僕で御座います」
「うん、思ってもいないことを言わなくても良いよ。あたしの信条に嘘はいらないってのがある」
にこりと笑い言えばガストの表情がぴたりと一瞬固まった。その反応に少し驚いたがそれ以上そこには触れず考えをすぐに切り替える。
「知識は、うん、ちゃんとあるね」
「それはよう御座いました。第一期魔王様。過不足がありましたら私にお伺い下さい」
そう言って恭しく頭を下げるガスト。それをどこか現実感なく見つめてしまう。
あたしはこれから、違うな。もう、魔物を導く者なんだ。あのはた迷惑な神様曰く。
―――――――――――――――――
――――――――――――――
――――――――――
「とりあえず私の世界に行ってもらう」
「決定系ですか?」
「ううん、断定系」
にこりと優しい慈愛が溢れるような笑顔を見せながら、残酷な言葉を簡単に吐かれる。
自らを神と名乗ったその人は確かに神々しくも美しく、中世的な面立ちに性別の判断は出来そうもなかった。
全ての者を包み込むような神秘的な光を纏い、美しくも慈愛を感じる表情と声。神、と言われ疑う余地などない圧倒的な存在感。
だが、だ。
「そう言われましても、あいにく現状も状況もわかっておりません」
はい、そうですか。なんて誰が言えるだろうか?
どこかもわからない空間で、一先ず人とは思えない存在の神と自己人称する相手。
後者は自分で疑い辛いと思っていても、その全てに、言われることに、呑まれるわけにはいかない。
世界は常に理不尽で不条理だ。だったら雰囲気などに呑まれるわけにはいかない。
「一先ず色々とお伺いしたいのですが」
「ああ、そうゆうのは面倒だから君の魂はこの世界の神から借り受け私の世界に行ってもらう」
「借り受け?」
「許可を貰って契約は済んでいる。成すべきことが終われば帰れるよ」
にこりと微笑まれ一瞬理解が及ばず固まった。
帰れるらしいが、あたしは知らず社畜のごとくに出向させられるのか?
「ちゃんとこっちの神に説明して相談したんだから。しないとダメだからって契約内容もきっちりと作って契約したんだよ?」
まるで褒めてという子供のように、大変だったが頑張ったと言わんばかりの無邪気な様子の目の前の者に言葉をなくす。あたしの意思はどこにあるのだろうか?
そんなあたしの様子など目にも入っていないように神は嬉しそうに
口を開いた。
「私の世界はまだ幼い部類に入ってね、その進化を手伝ってほしいんだ」
神の声とはそれすらも美しいらしく、誰もが聞き入りそうになる声が響く。
「その世界は君の世界で魔法と呼ばれる技術のある、君からしたらファンタジーのような世界だろう」
「……魔法」
「けれどまだ問題も多く、生き物同士が日々争いを重ね、魔物種と呼ばれるようになってしまった生き物が劣勢に追い込まれている。簡単に言えば君にはその者達の導き手になってもらいそしてそこで、そうだな、わかりやすく君臨者、魔王として勢力を率いてもらう」
「意味が分かりません」
「後はエネルギー問題、これも解決してほしい。劣勢に追い込まれているのはこれのせいでもあるし、けれど魔石は必要だし」
どこのゲームかラノベか。訳の分からない世界で君臨者、権力を持ち統べる者なんて救いがなさそうなものにはい、そうですか、ってなれるわけもない。
それに古今東西、魔王なんて倒されるべき者として描かれる者だ。なりたい奴なんていないだろう。
なのに目の前で語るこの神はこちらの言葉など何も聞いていないようで語り続ける。
「あのですね」
「もう決定事項だし変更は無理だよ」
小首を美しく傾げながら笑みを崩さずに事も無げに神は言う。その言葉が独裁的すぎてあたしの思考はどうすればいいのか。
理不尽を通り越して不条理の権化ではないだろうか。
「いや、色々とわからないことだらけなんですよ。なぜ力も知識もないようなあたしなのか。なぜそんな存在を選んだのか。何よりもなぜ、そんな者にならなければいけないのか」
どれをとってもあたしじゃなくていいんじゃない?ってことしか言ってない。けれど結局あたしが言いたいのはそこだ。
けれどさすがは理不尽と不条理の権化。
「君になったのはたまたま引っ掴んだ者が君だったから。とりあえず誰でも良かった。そして重要なのは私が困っているから」
言葉をなくす以前の問題でさすがは理不尽と不条理の権化、なんて納得したくない。
説明どころか一方通行過ぎて返す言葉も浮かばず、本人の承諾も得ずに事後承諾でもないこの感じ。ああ、どうすればいい。
「さっきも言ったように私の世界はまだ幼い。それに問題も抱えてしまっているのでそれを解決してほしい。このままではあの世界の生き物は消え去り世界が滅亡してしまう可能性もある。それだけは避けなければならない」
急に表情を硬くして強い目をした神。それについ目を取られ見つめてしまう。
「私としてはある程度生き物が消えたところでしょうがないけど、その生活は核、魔石に頼って生活している。生き物の減少は生活に関わってしまうためそれはそれでは困る」
「種の絶滅はいいんですか?」
「種全体だと減点になってしまうこともあるけど世界の進化過程で起こり得ることでもあるから、減点になる形では起こっては欲しくないね。ただ多種の生き物が絶滅しすぎると始末書以上の厳罰すらあり得る。それは何よりも嫌だ」
酷く真剣に、それでいて深刻そうに神は言うが、如何せん内容が内容だ。あたしの頭は酷く混乱する。
「……減点、ですか?」
「そう、それは避けなければならないし私は嫌だ。できる限り楽をしたいし面倒なことは避けたい。だから魂を借りたんだ」
美しい微笑みを見せ神は告げる。それだけ見たら何かの啓示、天啓のようだが、これまた内容が内容だ。
「あまり生き物が絶滅すれば世界そのものが壊れる可能性が出てくる。そうなればもう始末書どころの騒ぎじゃない。だからこそ君たち他の世界の魂を借りたんだよ」
神々しくもうっとりするような表情と声で神はあたしを見つめ言う。
一瞬呑まれかけたが待て、内容を考えろ。警戒心を上げる前からずっと頭の中で警笛は鳴っている。
「仰っていることの全てを理解したわけではないのですが、魔物種と呼ばれている者達を絶滅させないようにしたらいいだけですよね?」
「ああ、そのための君達だからね。そして魔石の供給も上手くしてほしい」
あたしが受け入れたと思ったのか上機嫌でにこにこと笑う神に狼狽えそうになるが、ここで負けてはいけない。あたしの本意を言わなければ。
「そこは神のお力と言うか、啓示的や天啓などで解決とか」
「なぜ私が動かなければならない? それに私が動く場合は定期的に確認まで必要になってくるじゃないか。」
何を言ってるんだ、と理解できない様子で憮然と神は言うが、なら神って何をするためにいるんだ?
その前にどちらにしても確認って必須じゃないのか? んん?
「私だって動きたくはなかったのに、こうやってわざわざ魂を借りるために動いたんだよ」
そこでドやらないで頂きたい。こちらとしては何言ってんだ? しかないんだから。
なのに神はぶつくさと部下が行けって言ったから、とか昼寝の邪魔、だとか色々言っている。
突っ込みどころが多すぎて頭が追い付かないどころか不安しかない。
神の存在に不安しか残らないしその存在の意味に疑問しか沸いてこないが、今はそんな場合ではない。
とりあえず自分の安全を、と口を開こうとすれば先手を打たれた。
「さっきも言ったけど私は楽をしたいんだ。部下達が自分達には魂の契約はできないない、私にしか無理だと言うから、だから面倒でもわざわざ私が動いて魂を借り受けた。そしてその魂には魔物の導き手となって復興してもらう」
「待って! 待ってください」
「契約は完了している。成すべきことをして帰ればいい。面倒だから知識は入れとくし補佐も付けるから、後はよろしくね」
「いや、無理でしょ!!」
「やるべきことも知識に入れとくし、失敗したところで君が壮絶な痛みをもって死ぬだけだから」
「はぁっ!?」
「大丈夫大丈夫。君以外もいるし君が失敗しても君がとんでもない痛みを伴って死ぬだけだから」
うっとりするほどの微笑みでとんでもない爆弾を落としてくる暴虐なる神。神とは理不尽と不条理の権化なのか。
それに唖然としていると神はこてりと首を傾げ、然も当然と続ける。
「だって、真剣にやってもらわないと困るもの。私が」
にこりと微笑む姿の後ろからは後光が差している。その美しさは確かに言葉にならぬほどの美しさだろう。
だけども、だ。しかし、だ。
如何せん内容が内容なだけにどうしていいかわからない。
「君達には導き手として創造の力を与える。それを使って自分のテリトリーを作り保護するなり繁殖させるなりやってくれ。ただし、そのテリトリーは君の心臓を核として成り立たせるもの。それを壊されるということは君が死ぬと言うことだ。痛みを伴うのは当然だろ?」
にこにこと微笑む神の横暴さに眩暈がしてきた。眩む頭に手を突くが考えが纏まらない。
会話しているはずなのに会話になってないこの感じ。話が通じないようなそんな感覚。言葉が違う、言語が違う、何もかもが通用しない。
「死ぬときには壮絶な痛みを感じるように設定している。痛みを知りたくないのであれば必死になればいい。さっきも言ったけど知識も説明も入れておく。後はよろしくね」
微笑みを絶やさぬまま軽やかに言い切ると、こちらの返事も待たずに視界がゆっくりと霞むように闇色に染まっていく。
視界が真っ黒に染まり、聞こえてきたのは「もうちょいで昼寝できる~」と軽やかで楽し気な神の声だった。
――――――――――
――――――――――――――
―――――――――――――――――
酷すぎないだろうか。横暴どころの話ではなくないだろうか。理不尽も不条理もすっ飛ばして何だあれ?
あれが神だというのであればどこに救いがあるのか本気で疑問に思う。とりあえずあたしは神に見棄てられてるんじゃないか? あ、掴んだとか抜かしてやがりましたが。
色々思うこと言いたいことは山ほどあるが、それでももうこの世界に送られたことはわかっている。理解してしまっている。
その空気が、目の前の現実が、全て事実だと理解してしまっている。
ガストと名乗る男をちらりと見て考える。
神との会話の記憶もしっかりある。知識もしっかり頭に入っているようだし説明という名の神の要望、指令もきちっと理解させられている。
あたしがやるべきこと、必要とされていること、この世界の基本知識、この世界の理。その全てはあたしにしっかり刻まれているようだ。そのことに気が付けば溜息吐きたくなるがそうもいかない。
嫌だろうが逃げたかろうが、あたしはすでにこの世界に連れて来られた。そして拒む間もなくこの命を懸けた役割とやらを押し付けられた。
痛いのは嫌だ。壮絶な痛みだなんて知りたくもないし経験したくない。それならば、やるしかないのだ。
例え望んでなかろうとも、例えやりたくなかろうとも、この世界はあたしを敵と見なして襲ってくる。さすが、あのえげつない神の考えた設定だ。逃げようも避けようない設定だ。不条理極まりない。
だからこそあたしはガストにも笑みを向けよう。その目の奥に映る感情なんて知らないふりで、今は融和的な笑みを見せ続けよう。