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天の繋ぎはゆるぎの中にある  作者: いしかわ りん
2/2

人生ゲーム

「人間は死が近づくと、自分で死を悟るらしい。そして生きていたときにやり残していた事を思い出し、その悔やみを晴らしてからあの世に行きたいと思うものが多いのだと言う。そのやり残したことをどうしても解決したいと強く願ったものだけが叶えられる場所がある。」




水が張った鍋が石油ストーブの上で ぐつ ぐつ 音をたてている。

この時期特有の柔らかい陽光が教室にいる生徒たちを照らしている。


担任の青山が教室へ入ってきた。教卓に授業道具をおき、「源氏物語」教科書P130~とデカデカと黒板に書き終え、静かに白チョークを置く。

海が見える高台にある湘南渚高校は1学年8クラスある。うちの1~3クラスは私大の理数系。4~6組は推薦入試・短大。7~8組は国立とそれぞれクラスによって分かれていた。2組は理系・医療系が入り混じるクラスであった。11月に入ると自力入学にけりをつけた者が推薦へ切り替える時期でもある。そんな生徒において授業は消化試合のようなもの、かといってこれから入試を控えている者にとっては授業なんてやっている場合ではない。

誰が旗振り役といった決まりもないが、既に推薦で勝ち取った者が授業妨害をし、入試組はその話をBGMに赤本やら英単語に黙々と向き合う。


授業が中盤に差し掛かった頃、淡いピンクの花弁が教室を舞いはじめた。


「春にはまだ遠いはずなのに・・・。」


響は既に推薦で看護学校が確定している。

机に肘をつき繰り広げられている情景を後ろから二番目の

窓側の席に座りながら眺めていた。


教壇に立つ青山の足元に絡みつく赤子。天井のライトには四つん場に張り付いた濃茶色の猫が大きな口を明け赤いベロを出しながらジロリと見下ろしている。誰がどこからかもらってきた厄介ものが一匹か。


授業のテーマである源氏物語のエネルギーに誘われて、十二単の平安美人を乗せた唐車が生徒の間をすり抜けながら教室をあてもなく徘徊している。


授業を真面目に受けようとは思ってはいないが、そうぞうしくって集中なんかできやしない。ただこの状況を知り得るものは響、ただ一人だ。


響も口にしたら、きっと周囲から好奇な目で見られるに違いない。いや、それ以上に精神が壊れたと判断され、戻ってこられない病棟へとぶち込まれて一生を終えるのではないかと思うので、何もなかったようにいつも振る舞うのも慣れたものである。



教室の後方には後ろにあるロッカーの上には収まりきらない、教科書やジャージが山積みになっているあたりから、感じたことがない気配を感じる。


それらのほんの僅かな隙間に“ちょこん”と腰かけた少年が足をブラブラさせながら座っているではないか。白のボロボロ茶色になったシャツと緑色の短パン。頭は丸刈り。手足至る所に、傷と泥だらけである。


今の時代の子ではないのはわかるけど、何をしに、ここへきたのだろうか。

響の意識は完全にその子に釘付けとなっていた。


「響、どこみている!」と、担任青山の罵声で身体ごと後ろを向いている状態に気付かされた。不味いと顔を下に向けながら、現実に意識を戻すべく心身ともに前を向いた。


問いただされたら困るな、と思っていたところに救世主とばかりに授業終了のチャイムが鳴り、それ以上、咎められることがなくホッと胸を撫で下ろす。



「今日は朝のホームルームでも話したように、午後は文化講演会です。寒いですからね、皆さんスカートの下にはジャージをしっかりはいて、体育館にあつまってください。集合時間は午後一時。時間厳守です。」さらに念を押すように「いいですね」という青山の言葉で授業は終わった。




チャイムの鐘とともに「それではこれより、文化講演をはじめます。今日、お話いただくのは昨年まで校長であった、田中正弘さんです。」と担任の青山がマイクを通して甲高い声で開始をつげた。どうやら今日の講演の司会は青山のようだ。

今日のために事前に夜な夜な作成したのであろう、カンペを見ながら「田中前校長は幼い頃、フィリピンにて戦争体験をされています。その時のことを皆さんに語っていただきたいと思います。」と話した。


青山が紹介し終わると、田中が壇上にあがり演台の前にたつ。

「皆さん、こんにちは」の一声に、生徒たちが「こんにちは」と一斉に発した。


黄色い伸びやかな声が体育館中の壁を刺激するように木霊した。



響にとって田中先生は特別な存在であった。

人と違った能力を持っていることに僅かながら気づいてくれた一人であったからだ。


どんな生徒に対しても態度をかえることなく大きな羽で私たちを温かくで包み込んでくれた。

その変わりない姿に嬉しさが込みあげた。


「皆さん、スカートの下はジャージですか。その姿をみるとホッとします。渚丘にいると実感させてくれますね」というと会場がどっと笑いが溢れた。少し呼吸を整え、そして静かに言葉を選ぶように話し始めた。


「さて、皆さんに私の話をするのは初めてかと思います。現校長が是非とも生徒たちに聞かせて欲しいと、それで今回だけということでこの場でお話させていただくことにしました。もしかしたら、若い皆さんにとってつまらないと思うかもしれませんし、不快感をあたえるかもしれません。そう思ったら無理せず、退出してくださって構いません。退出することは校長はじめ先生の皆様にも、ご了承を得ていますから。ご心配なく。」と、やんわりと伝えた。



「私が教師になるきっかけを与えてくれたのは4つ離れた弟、義信でした。そう言ってももう既に他界しましたが。義信と約束したのです。義信がお兄ちゃん学校の先生になって、多くの子供たちの魂を導いてあげて、そして機会があったら僕たちの戦争体験を伝えて欲しいと。義信との約束があったからこそ、私はこうして渚丘女子のみんなとも、楽しい学校生活を送ることができたのです。私は義信に心から感謝しています。」



田中先生はそこまで言い終えると、

顔を体育館の前方に目を落とし、柔らかい笑みを浮かべた。


響は田中先生の目線の先をすぐさま追いかけた。


するとさきほど、教室で見かけた、あの男の子が体育座りをして壇上を見上げているではないか。

響は彼が、田中先生の弟さん義信さんだと感じとった。



「私の家族はフィリピンで麻栽培をして生計を立てていました。そうフィリピン移民家族。日本は明治以降「太平洋戦争」が勃発するまでの間に、東南アジアへの移住した日本人がいました。日本人の海外移住者の約10パーセントが東南アジア、その7割がフィリピンへの移民です。私たちもその一家庭であり、その理由は出稼ぎです。私たちは家族全員で渡りましたが、独身者たちは、土地を購入するため原住民の長の娘たちと結婚することもありました。しかし、太平洋戦争が勃発すると事態は一変。また、日本人を良いと思っていなかったフィリピン人はアメリカ軍と手を組み、日本人を適正外国人として扱いました。私の父もフィリピン武装勢力に暗殺されました。アメリカとの戦いで追い込まれた日本軍は内陸のジャングルへと逃げ込むこととなりました。麻を運ぶために川の上につくられていた大木を横にした橋をわたり、アカシヤの葉を抜け奥へと進みました。私たち住民も一緒です。残された私と母そして幼い弟は艦砲射撃をうけジャングルの中を逃げ回ったのです。それは悲惨そのもの。食糧も飲む水さえありませんでした。」



陽が沈む。

上空から落とされる爆弾。

ピカッと青光が頭上で輝くと、地球の皮膚がペロリとえぐられる。

木々は焼かれ、落ちた場所の土が噴火した火山のように上に土を舞い上げる。

鳥たちは恐怖ととみに飛び立っていく。

あたり一面が煙と土埃となり、舞い散るものを吸い込まないように口を押える。

どこに逃げても、逃げ場はない。

死に向き合うというより、死をいつも自分で抱えて生きているような気持ち。



「皆さんは人生ゲームというゲーム、やったことありますか?自分でルーレットを回して出た数だけ人生のコマを進める、あれです。進んでも、また戻れという指示があったりすると戻らないとならない。まさにジャングルを逃げ回るのはそれと同じようなものでした。前に進んでいるようで、またあとずさり、いつになってもゲームは終了とならない。ただ人生ゲームでは自分でルーレットを回してコマを進めることができたり、後ずさりできたりしますが、ジャングルでは自分ではできない。誰かがコマをまわしていて私たちは人生の舵をとさえゆるされておりませんでした。かつ人生ゲームではお金がもらえますね。でもそのお金さえも、逃げ回る私たちとは全く関係ない世界のあらゆるところで回っていくのでした。」


ここまで話しが進むと体育館全体が厳粛な空気に変わっていた。


「月が幾分大きく光り、淵が赤く燃えていた夜でした。ここ数日、なにも口にしていなかったので朦朧とした意識で戦火を潜り抜けていました。頭上に赤い花火が見え、私は、とっさに隣にいた義信の手を繋いで身を丸めました。目を明けたのは熱帯林の葉の間をぬうように陽がチラチラと差し込む朝陽でした。鳥のさえずりがなく、生臭い血の匂い。私自身の意識が戻りはじめる頭の激痛に気づき手をやると頭から血がでていました。顔も焼けたようでピリピリとし、味わったことのようない悲鳴でした。今の自分の置かれた状況を把握し終え、隣にいた義信が気になりました頭を動かさず目だけを向けると、義信は目をとじ眠っているようで、少し安心したのか私はもう一度眠りにつきました。

陽が陰ったころ、ようやく目をさましました。隣にいる義信は寝ているようにみえるのですが、朝みたままの姿。その時になってようやく、おかしいことにきづいたのです。やっとの思いで自分の身を起こし義信の身体をゆすります。しかし反応はなく、揺らすとまるで人形の首がゴロンと揺れ動くのみでした。」


冒頭で、田中先生は聞きたくなければかえっていいとさえ言った。でも、誰一人その場を立ち去るものはおらず、その反対に生徒たち全員、椅子から前のめりになり、話が終わるころには泣くものさえいた。



その光景を見届けるかのように、少年は水面がゆらゆらと揺らめくように、金粉が飛翔していき跡形もなく消えていった。


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