エピローグ
鼠色雲から繊維状の雨がパラパラと落ちてくる朝、朝露が残る美しい芝生の上を歩く赤髪の女がいた。その姿はまるで若葉マークをつけた免許取立者が慎重に車を操縦するように。濃藍ジーンズは湿った芝生を揺らし、一層色を濃くしていく。
ここは人間と動物も共存する小さな憩いの場。
とくに気温が落ち着つく春から秋は、空のキャンパスに雲がお絵かきしているもとで、近隣の学生らがお喋りを楽しみ、またある老夫婦は木製ベンチで読書をしながら愛を確かめ合う。
リスは塀から木から木、塀から木へと飛びうつり、ウサギは芝生を駆け回る。しかし今日は雨と寒さのせいもあってか、兎は木の根元で小さく丸まり、リスは姿をみせることはなかった。
公園を通り抜け街のメインストリートにでる。そこには大型スーパー・雑貨・洋服・大学・美術館が立ち並ぶ。今日は日曜、道の両脇にずらっと並んだ店は重い鉄のシャッターがおりている。たまにあいている店を見つけると、重い心のシャッターがふっとあく。借り物の身体なだけにちょっとでも気を緩めると転びそうになる。歴史ある石畳、急こう配な坂道が、どことなく女の状態を嘲笑っているかのようである。
ようやく駅が見え始めはじめ、坂道をおりきる少し手前の横道を右へ曲がる。道沿いには車が整列し白い壁の高級住宅が立ち並んでいる。その道を真っすぐ5分ほど歩いたところに趣ある白い建物の大学にたどりついた。
女は柵に寄りかかり、授業を終え会話を楽しむ人々の姿をただじっと見ている。
その様子は見るからに誰かを探しているようである。
門から出てくる人の中には、女の姿に気がつき声をかけてくる者もいるが、女はニコリと挨拶も返事もせず、ただ蜻蛉のようにたっていた。まるでこの世の世界のものではないかのように。
声をかけた側も、気持ち悪さを感じ女の側をそそくさ離れていく。
そこへ長身で肩幅のある、がっちりした青年がでてきた。
女はその男の顔をみるやいなや、身体を硬直させた。
女の身体というより、その内側にいるもうひとつの意識がそうさせていたのだ。
右手に持っていたスノーボールを胸元へ持ち上げ、高鳴る心臓を静めるように、深い呼吸を数回し、ゆっくりとゆっくりと男性に駆け寄っていった。
✳︎
女の息はどんどん荒くなっていく。
雑貨、アクセサリー、アート店と個性溢れる店が立ち並ならぶアーケードの下を潜り抜け・・・、小道の突き当り、外観がツタで覆われた店があった。出入り口には魔よけのニンニクがかかっている。女が黒く光る扉を押すと「ギ―」と鈍い音をたてた。
部屋の中はカーテンで外の光が遮られ薄暗く、右戸棚には薬草瓶が並び、左の棚には表紙の題名が読めぬほどの埃を被った書籍が並んでいた。部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルの上には様々な色や形の天然石にハーブが置かれている。
その奥に一枚緑色のカーテンがある。そのカーテンを右手でつかみ上げ中に入ると、
赤い猫足のついたふかふかな椅子に、細かなシワが豊かな年を重ねたことを物語る顔に白髪まじりの髪の毛をバレッタでまとめあげた老婆がひとり座っていた。
女が入ってきたことに気づくと椅子のひじ掛けに手をやり立ち上がり
「楓に響、二人ともよく帰ってきたね。あと少しよ。」
そう言いながら、女の身体を支えるように抱え奥の部屋へと急がせた。
奥にある薄暗い部屋に入ると祭壇の前にある小さなベッド。
体を乗せたいのだが、身体をあげる腕力さえ残っておらず、ほとんど老婆の力によって女の身体はベッドに横たえた。
「△×・・・■%✳︎・・・」
「うおー」という喘ぎ声とともに “ふわっ”と、口から微かな青い光が立ちのぼる。
次の瞬間、ベッド横に置いてあった鏡の中に、光は吸い込まれるように入っていった。
暗い闇の中に一筋の白い
鏡の中にはベッドに横たわる少女の姿。その周りを心配そうに見ている、少女の両親と思われる男女二人と白衣を身に纏った男性がいる。
腕の脈をとり、左ポケットからペンライトを取り出し、少女の目を見開き確認している。
テレビドラマでよくみる、あのご臨終のシーンそのものである。
その一部始終を彼らの上から眺め
その光景を見終えた老婆は、今度は鏡の横で紅蓮の炎を手に取り祭壇の前のベッドに横たわる女の心臓部に置く。紅蓮の光は女の身体に吸い込まれる。女の背がそりかえり、そして静かにベッドへと重みを乗せると身体全体がまばゆく光だしたが、残念ながら女の胸の鼓動は動いていない。
「響!」
「もどってきなさい」
わずかに口から息がもれた。
「ひびき-------」
老婆はありったけの声をだし叫んだ。
次第にプリズムのように息が放たれていく。
そのたびに、ぴんぼけした鼠色の街が清楚な白から淡い桃色へとかわっていった。
女は
「おかえり・・・響。楓は多分もう・・・。」
「わかっているよ、おばあちゃん」
つぼみが色づき、瞬く間のように散っていく花のように。
「おねえちゃん、私の姉でいてくれてありがとう!また、会おうね」