第一章08 解毒草
拠点の門から入ってすぐ、遺跡の前にある大きな広場にシンダーズは座らされていた。
ブリアナ、ゲミューゼの他にラグラスロとルーシャも合流し、毒をどうするかについて話し合われている。
「すみません、私も解毒魔法までは網羅できてなくて……拠点に使えそうな薬とかあったりしないか見てきます!」
「あたしも手伝うよ。ゲミューゼ、悪いが様子を見ててやってくれ!」
「任せておけ」
ブリアナは立ち上がると、棍棒を放ったままルーシャの後を追う。
「待て、二人」
そこに黒龍が首を上げて呼び止める。
なんだよ急いでるのに、とブリアナが苛立ちを見せるが気にする素振りも見せずに続ける。
「確か、我の記憶では解毒草が置いてあったはずだ。乾燥させてあるが、少量の水に浸せばその汁でいくらかの解毒作用が見られよう」
「なんだって! それ、どういう草だ。特徴は!?」
「赤紫で分厚く長い葉だ。乾燥保存していることを考慮すれば、残る特徴は赤紫だけとも予想できるがな」
「それだけでも十分助かる、ルーシャ行こう!」
「はい!」
ラグラスロから特徴を聞いた女性二人はあっという間に遺跡の暗闇に消えていく。
老朽化した遺跡を拠点としている為、生活スペースも狭い。その中でどこをどう使うかは長い歴史の中で受け継がれていて、その解毒草もおおよそ所定の位置にあるのだろう。
「解毒草の方はそう苦労せずとも見つかる……か。問題はシンダーズの腕の血が固まった状態であとどれ程生きていられる?」
「そんな怖いこと言わないで欲しいね! 身震いが止まらないからね!」
「腕の血液が凝固したからといって死ぬとは限らないが、症状を聞くにそれは黒い猿——タロットによるものだな」
「ああ」
「そやつの毒が恐ろしいと言われているのは凝固だけが理由ではない。まあ、血が回らなくなって腕が壊死するだけで脅威ではあるがな」
「ちょっと!? 想像しただけでゾワっとするけど!」
真っ黒に変色した腕を見せつけて泣き叫ぶのも無理なかろう。目の前で自身がこれからどうなる可能性があるかを語られているのだ、平常でいられる精神が逆におかしい。
しかし非情にも、ラグラスロとゲミューゼの話は止まらない。
「だが、いま気になる情報が出たな。恐ろしいのは凝固だけじゃないとか」
「タロットの毒で固まった血液は、時間が経てば幾らか溶けて血がまた流れるようになる」
「てことは、壊死しないで済むってことね!」
「それはそうだが、いまラグラスロがそれより怖いのを説明しようとしてるだろ。多分、その毒が全身に回って死ぬとかだぞ。よく元気になれるな」
「ちょっとくらい楽観的にいきたいんだよね!」
また腕を見せつけるシンダーズ。今度はもっと誇張して腕を大きく振る。振り回していいのか怪しいところだが。
そしてゲミューゼの予想は概ね合っているらしい。
「続けるがよいな。溶け出た毒素は全身を巡り、それは各地で腫瘍となって現れる。そうなればもう手遅れだろうな。何故なら、今度こそ全身の血が止まるのだから」
タロットとは、そこまで出来る存在なのだと締める。
「だけどさ、なんであんなところにタロットがでてきたのかね?」
「だな。ラグラスロ、この事例について心当たりはないのか」
両者の疑問に対し一瞬の思考を挟むと、
「すまぬが、あの森の生態系内にタロットが介入する理由は思いつかぬ。あるいは、この世界で生態系の破壊者と呼ばれる巨獣バムゥドの影響とも取れるが……」
「生態系の破壊車?」
「彼奴は特定の居住を持たぬ。大陸を縦断、横断する中で無差別に多くの生物を叩き潰して食す、そういう類の魔獣よ」
「そうか、それでバムゥドとやらに追われた魔物が居住地から離れて生態系が崩れていく。タロットの件もその一種と考えられる訳だ」
逆に言えば、あれだけ強いタロットを追い込める肌の存在が近くに来ている可能性を示唆しているが、それに二人は気付かない。シンダーズを蝕む毒とその元凶に思考を集中させてしまっているのだ。
「グランは大丈夫なんだろうな……啖呵を切って俺らを逃しておいて今や死体も残らない状態なんて許さんぞ」
「つくづく悲観的な言葉が出てくる悪い癖だね。おいらは信じるよ、まだまだ魔法とか隠し持ってそうだしね」
「まあそうか。あいつ、戦闘スキルは俺らと同じか少し上くらいなものに見えちゃいるが、持ってるモノが違う。特殊な何かがある感じがする」
「だね」
敵意の察知に始まり『オリヘプタ』とかいう謎の無属性魔法、巨大な岩の針を隆起させたりと、今日だけでも多くの切り札を出してきたというのが彼らの印象だった。
タロットの一匹程度なら、まだまだ隠してる切り札で簡単に対処できてそうだと結論付けるに至る。
「シンダーズ!」
と、その結論を確固たるものにするが如く、声が響いた。
「グラン! 無事にやっつけられたんだね!」
「大丈夫か、汗が尋常じゃない気もするが……毒を負ったりはしてないな?」
「俺はなんて事ないさ。それより腕は大丈夫なのか、どんな状況だ?」
全身を滴る汗が、拠点まで全力ダッシュで戻ったからなのか、身震いするほどの恐怖の残滓から来るのかグラン自身も判別できずにいるが、それどころではない。
シンダーズの腕を染め上げる黒を見るとたちまち鳥肌がたつ。
「大丈夫だと思うね。いま、ブリアナとルーシャが拠点にある解毒草を取りに行ってくれてるからね」
「解毒草があるのか、よかった」
「ふふ、心配してくれてありがとうね」
ようやく安心できたからか、グランが膝から崩れる。
もともと脱力しそうだったところを堪えて駆けつけたのだ。よく耐えた方だと言えるだろう。
「どうやってあの場局を切り抜けた?」
グランが一息ついた頃合いを見計らってゲミューゼが質問する。
「切り抜けた……と言っていいのか分かんないな」
「どういうことだ」
「あの後、タロットは一匹どころか十匹以上にまで増えたんだよ。地獄みてえな空間だった」
「「え————??」」
静。
ただ場が凍ったように音と動きを無くしただけ。しかし唖然とするだけの情報が短い言葉に込められていた。
代わりに、唯一驚きの声を発さなかったラグラスロが口を開く。
「グラナード、一匹だけでも苦労するであろう彼奴らからどう逃げた」
「逃げようとはした、うん。でも、これを言ったらまた驚くだろうけど、散々俺のことを見下ろした挙句にどこかへ消えてってさ」
だから戦わずに帰ってくることができたんだ、と短く事の顛末を語る。
「俺たちを襲ってきたくせに、しかも三匹どころじゃなく沢山いたくせに、グラン一人を襲うこともなく消えただと? 魔獣らしからぬ行動じゃないか……」
「なあ、どうして突然タロットなんて猿が森に出てきたんだよ。それも関係してたりしないか?」
「そう言えばさっきその話題が出たよね。生息地を追われてこっちの森に逃げてきたんじゃないかってね」
なんとか脳内で情報を受け入れた二人もまた、ごちゃごちゃな情報を整理しようと会話に混ざる。
「逃げてきた……なら、奴らは食料を求めてもっと凶暴に振る舞うもんじゃないのか。俺の住んでる村でもたまに獣が迷い込んでくるけど、エサを求めて徘徊してるぞ」
「おいらだってそうするね。お腹ぺこぺこなんて耐えられないからね」
「正しそうだな。差し迫った状況なら、せっかく囲った獲物をみすみす逃すなど考えにくい」
ラグラスロが同意を表明するも、それはそれで各人の表情にも影が差す。どう考えても、急に生態系外の魔物が蔓延る理由が他に思い当たらないからだ。
「なにか思い当たることはないのか? これからどこへ行こうにも『ここにはこの魔物がいる』という傾向と対策が無意味になるぞ」
「艱難だな。悪を埋められている、それ自体では理由に直結するものはない。何か、他者の介入あっての事象とは思うが果たして」
「外からの影響、か。だとすれば、魔物らしからぬ動きを俺の前でしたことも説明ができそうだけど」
何せ情報が少ない上に、未曾有の事例。
ここで議論を続けても何の解決も生まないだろう。
だからこそ、この一瞬の無言も苦しい。何もできない、ただ女性陣が解毒草を持ってくるのを待つしかない状況が悔しい。
「にしても、まさか二日目でこんな非常事態に遭遇するなんてな」
なんとか、喉の奥から話題をつまみ出す。
なんてことない平凡な感想だなと自分で思ったところだが、ゲミューゼがこれに反応した。
「……何が起こってもおかしくない。それがこの異界が魔界たる理由さ。なんて、そうずっと心に留め置いてたってのに」
「おいら達は最初から『普通』の『異常』ばかりを目の当たりにしていたもんね。グランみたいに、『異常』な『異常』と出会うこともなかったね」
「ふん、毒を受けたままよく呑気に言えるもんだ」
「残念だけど、今も腕に異物感があって気持ち悪いからね! 血の気が引いてくね! ね!」
せっかく気を紛らそうとしてたのにね、と突っかかろうとしたが、ラグラスロが大きく天使のような翼を広げて風をつくる。やめておけという鎮静の合図に再び沈黙を取り戻す。
「おーいシンダーズ、見つけてきたぞ!」
一分の長い沈黙に暮れていると、遺跡の中から聞き覚えのある声が響いた。
「お、お、おおおお」
見れば、短い紺色の髪が汗で束感を強調しつつも爽やかさを保っているブリアナ・ネイビーが、快活さを損なわずに駆け寄っていた。
その腕には木製の大きめな器が抱えられていて、中のものが溢れないようにバランスを取りながら近寄る。
「言われた通り赤紫の乾燥した草とやらを水に浸してきたぞ」
「ありがとうブリアナ! これでおいらも生き返るね!」
「生き返るて、お前はもう死んでいたのか?」
活路が見出せたからか、安堵の表情とともに口数も回復する。さっきまでとは違う、無理やりの会話ではなく心からの会話だ。
「ま、あたしは水を汲むことしかやってないけどな。こらを見つけて器とかを準備したのは全部ルーシャさ」
「で、そのルーシャはどこにいるんだね?」
「あたしがこれを受け取って急いで来ちまったから、けどもう来るだろうさ」
言ったそのタイミングで、ひょこっと紅の髪をした美しさの結晶(男子陣の認識)が顔を覗かせた。グランも帰還し、全員が無事に生きていることを確認できたからか、表情を晴れやかにして全身を晒す。
「よかった、グランさんも無事だったんですね」
「おうよ、なんとかなった」
片手を軽く挙げて挨拶するように無事を知らせる。
と、何かよくない事でもしてしまったのか、シンダーズが小声で語りかけてくる。
「(ちょっとグラン、ルーシャが折角話しかけてくれてるんだからもっと話を膨らませないとね!)」
「ええ?」
「(そうだぞグラン。心配してくださってるのだからもっと元気を強調せねばなるまい)」
「そ、そうなのか……」
確かに彼らと比べて、ルーシャとは拠点でしか話す機会がないから、積極的にコミュニケーションを取った方がいいのだろう。
「ん? どうしました?」
咳払いをして、軽く呼吸を整えること数秒。
グランはそこそこの力こぶを両腕に浮かせて、
「元気一杯、超無事だ! 試練から何まで全部任せとけ! ってな!」
「は、はあ……急に声がでかくなりました、ね?」
「(ちがーーーう! そうじゃないよねグラン、元気は元気でも、それじゃ馬鹿みたいだね!)」
「(みたい、じゃなくて馬鹿野郎そのものだろ)」
冷たい反応に石化する。
なるほど……と内省する。
なにせアル・ツァーイ村で同年代の人間は親愛なる妹メイア・スマクラフティーただ一人だったのだから、人との接し方など知らぬが道理である。そんな背景を知らぬ人からすれば、ただの阿呆と映るが必定というものだろう。
「ふざけるのもいいが、さっさと解毒させてもらうぞ。ほれシンダーズ、腕を出しな」
「ほい」
俯いて落ち込むグランを気に留めず、ブリアナは器の中の液体を軽く手でかき混ぜる。器一杯に注がれているのではなく、ちょうど解毒草全体が浸るくらいだ。希釈しすぎは効果を薄めると判断してのことだろうか。
液体の色は解毒草と同じで薄い赤紫をしており、その成分の影響か少しだけ粘性を帯びている。
「ふむ、間近で見ると余計にグロいな」
「……ほんとに誰も彼も容赦ない言葉だね」
本人を目の前に顔を顰めながら、液体を掬い上げてシンダーズの腕に塗り込んだ。ひぃッと、引くような声が溢れる。
「痛いのか?」
「痛いのかって……そりゃ刃で切られてるんだからね、痛いよね」
「そうか、傷は傷ですもんね。水……それも薬物を染み込ませた液体を塗られたら」
感覚としては大きな切り傷に消毒液を塗りたくるのと同じだ。それを、ブリアナは次々と傷口に当てていく。
すると、悶々と唸りながら耐えるシンダーズの黒い腕に、変化が訪れた。
「黒が、赤に変わっていく?」
それを皆が確かめた瞬間、血が漏れた。
最初こそ驚きはしたものの、すぐにそれが解毒作用によるものだと分かる。凝固が解かれ、再び血が流れ始めた証拠だからだ。
「やった、治った……ね」
安堵の息がシンダーズの口から溢れる。
腕を支配する感覚が徐々に変化していくのを、彼自身が一番実感しているだろう。まだ薬液は残っているから、残りの凝固血液も分解させることができるはずだ。
「ブリアナ」
様子を静観していたラグラスロは尋ねる。
「解毒草の備蓄は、それが全てであるか?」
「あたしが見た限りはそうだけど……ルーシャ、見つけた時に周りにはもう無かったよな」
「はい、もうこれが最後のようでした。これからまた解毒が必要になる可能性を考慮すると、これから採取に行かないといけないってことですかね」
ルーシャの意見にブリアナ、ゲミューゼ、シンダーズ、グランは頷いて賛同する。
これから先、またタロットを始めとした毒を扱う敵に遭遇して、解毒が出来ないとなっては詰みだ。予備がない、なんてことは無くしておきたい。
しかし、
「必ずしも否とは言えぬが——時間が許すなら解毒魔法を習得することで解決もできよう。今後のことを考えて採取するなら明日でもよかろう」
眼前に座する黒龍は、言葉だけで不穏を奏でていた。
その言いようが既に、この後に逆説の語が続くと語っている。
「ただし」
ごくり、喉を鳴らしたのが誰なのかなど関係ない。その音が皆の胸中を代表したものであった。
「直ちに解毒草が必要な状況であることがたった今判明したと言えば、事態の深刻さを把握できるかね?」
「な——いや、どうして、だね」
「これだけじゃ、凝固した血液を分解できないって?」
「分解はできよう」
「じゃあなんで足りないって言うんだ。あたしらの不安を煽ろうとしてるなんてことじゃないだろうな!」
「いまここで煽るだけ煽って、なんの意味がある」
ラグラスロはこれ以上の追求を遮るよう続ける。
「まず、解毒草がどのようなものかを説明する必要があるようだな。とは言え簡単だ。それの効果は、凝固した血液を分解させ、再び血液と毒素の状態にすること」
「そんなことは、あたしがさっきから言ってる」
「本当か? ブリアナ、汝の言う『分解』とは毒素を綺麗さっぱり消滅させることではないか。恐らくこの考えは他の者にも当てはまる」
「……そうだな」
グランが頷くと、他の皆々もそれぞれの反応を見せる。そのどれもが同意を示していた。
「やはりな。我は言っただろう、『分解』とは血液と毒素に分けることだと。つまり、だ」
「まだ体内に毒素が残ったままだと?」
左様だ、とゲミューゼの解答を肯定する。
「ゲミューゼとシンダーズには先程説明したな。凝固したそれは、一度勝手に溶解して全身を駆け巡ると」
「あ、さっきのあれね。てことは、今おいらの腕は治ったように見えるけど、実は全身に毒素が巡ってるってことかね!?」
「解毒草で溶かされた毒素は全身を回ることはない。むしろ傷口の付近に停滞している」
我の言いたいことはこうだ、と区切りを付けて結論へ差し掛かる。
「自然に溶解したものが後に再び塊となるのなら、傷口に放置された毒素もまた同様、自然とシンダーズの腕は黒に元通りとなる」
これが至急追加の解毒草が必要になると言ったラグラスロの言葉の真意だった。
表面上目に見える範囲での状態異常が無くなっても、体内の分子レベルで見れば完璧ではない。毒などと言うものが絡む以上化学、あるいは薬学の知識が必要だったのだ。
「解毒魔法であれば一度唱えるだけで完璧に毒素を消すこともできようが、我らが使用したのは物理的な薬だ。薬とは、何度も継続的に使用されてこそ意味がある、そうだろう?」
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ヒュオオ——と風が耳元を流れている。どちらかと言えば、彼らの方が空気の中を流れていると表現するが正しいか。
グラン、ブリアナ、ゲミューゼの三人はラグラスロの背に乗ってとある場所を目指していた。
「その洞窟ってのは、ラグラスロには狭くて入れないんだったな?」
「うむ。改めて確認するが、解毒草は向かう先の洞窟の奥がその植生を持っている。洞窟由来の栄養価が成長に必要とされているのだろうな。他にも採取できる地はあるだろうが、我が知るのはそこだけだ」
急ぎ追加の薬液をシンダーズの腕に塗り込む必要が出てきたことを踏まえて、拠点に彼とルーシャを残し早速調達に向かったところなのだ。
「それにしたって、まさかラグラスロが解毒草の効果にそこまで詳しいとは思ってなかったよな」
高速飛行する中全身に空気抵抗の風を受けながら、案外普通に喋るブリアナ。前髪含め短髪が強風であらぬ方向へと流れているも、それを気にする様子はない。
「我の知る人間に、毒に詳しい者がいるというだけよ。借り物の知識故に誇示することはしない」
「そもそも自分の知識だろうと誇示しなさそうだけど」
拠点を発って三十分もしない内に、一行は目的の洞窟の手前に降りていた。
森を過ぎ平原を縦断する大河を越え、西方向にずっと飛び続けた先の丘陵地。斜面に沿う形で深くに彫られた空洞がある。
「上空から見た限りじゃ、この山は広い空洞になってるぽいな」
と言うのも、頂上付近には微かに亀裂が入っていて、そこから中の様子が見渡せる状態になっていたのだ。他の小山を軽く見渡した限りじゃ、このように特殊な構造をしているのは洞窟の部分だけのようだ。
「どう言う理由でここだけ空洞化したんだろうな」
「それかその逆だろうな。本来洞窟だった一帯が隆起や堆積などを繰り返して丘陵地になった、とか」
「ええい、そんなことはどうでもいい! ゲミューゼ、グラン、行くぞ!」
半ば強引に引きずられる形でラグラスロに別れを告げ、三人の姿は深い闇のなかに呑まれていく。前衛をブリアナ、その後方をグランとゲミューゼが左右に別れて陣をとる。
そうやって少しの間細い一本道を進むと、上空から微かに見えた広い空洞に出た。
「明るい……な」
「そうか、ここは様々な鉱石が採掘できる場所だったんだ。だからほら、そこらに橋が架けられている」
ブリアナが言うように、洞窟内は地続きの構造ではなく崖っぷちが幾つもあるような場所で、そこを渡れるようにと橋が繋がっていた。深淵の底は見えず、太い岩柱が深くから立っていたりもする。
「で、グランの言った明るさの正体は壁面に埋まってる水晶かな」
「魔力を浴びた鉱石の類もここで採れるのか、すごいな」
「そうだろう? 異邦からの闖入者諸君」
「「「——ッ!!」
知らない声だった。
そいつは、堂々として彼らの目の前に姿を晒した。
「おいおい、声を掛けただけで身構えるな若造」
「すまないが、あんたからは害意を感じる」
グランは断言する。
現れたのはおよそ四、五十代の人相の悪い男だった。顔は濃い髭を生やして深いシワも刻まれている。オールバックにされた深緑の髪は、ひと束だけ眉間に垂れ下がっている。
胸部が曝け出されているが、とても常人にはできないほどの鍛え具合なのが分かる。腕に見える大きな傷跡の数々は歴戦の証と言ったところか。
「それに、その手に握ってるものを見たら友好的だとは思えねえだろ」
「んん? おっとそうか、ガウシみてえにピッケルでも握っとくべきだったかな」
鉱石を掘りに来たのではないことは両手の斧を見れば一目瞭然だった。
「だけどよぅ、小僧。ここは俺が拠点にしてる場所なんだ。つまり、わかるか? 勝手に侵入してきた見知らぬ人間がいたら、迎撃体勢をとるなんざ当然のことだろ」
ブォン! と一振り。
左手の斧を縦に空を薙ぐと、風の刃がブリアナとグランの隙間に割り込んだ。
それは、被害者から加害者への警告だった。
「なんの用があってここへ来た、それだけは聞いてやろう。しかし俺が認めねぇ要件だった場合、力尽くでも追い返す」
「…………あたしらは、ここの奥に生えてる解毒草を取りに来た」
簡潔に、相手を刺激しないようブリアナが答えた。
男の生活の邪魔はしないと伝えたはずだった。
「解毒草だ? 一体どうして、ここに生えてるなんてことを知ってやがる」
相手の害意や殺意なんてものを感じることが出来なくても明らかなほど、言葉には不穏が詰まっていた。
男はブリアナ達の反応など気にも留めず、言う。
「もしかして、あの黒い龍の仲間か」
「黒い、龍」
そんなものラグラスロしか思い当たらない。
何故こんなところに人がいるのかとか、この男が誰なのかとか、どうして黒龍を知っているのに遺跡にいないのかとか。
気になることが沢山ある。
けど、そんなことを尋ねて答えてくれる確信というものが、一切として心の中に湧いてこない。
「無言は肯定と受け取る。毒に詳しい奴がいるもんな、あの龍の近くには」
(確かに洞窟に入る前にそんなことを言っていた……でも何年前の話だ? 今の拠点に、ましてや俺やブリアナも知らない失踪者となると随分情報が古いな)
昨日この世界へ来たばかりのグランは過去の失踪者のことを何も知らない。知っているゲミューゼとブリアナだけが男の言葉に首をかしげる。
「そうとなったら——闖入者諸君を追い返すなんてことはしないでおこう。ただし、ここで皆殺しだ」
「まずい、回避しろッ!」
ドガガガ————ッ!
直後、交差して構えられた両斧が虚空を引き裂き、鎌鼬のような空気が容赦なく、三人の足元を抉り取った。




