第一章06 異界に生かされる者
戦闘も終わり、再び森に静けさが取り戻された。
地面にうつ伏せの体勢でめり込んで涙目のシンダーズをゲミューゼの回復魔法が癒すなか、ブリアナは目線を別の方向に逸らして感心の言葉を漏らす。
「まさかグラン、回復魔法まで使えたなんてな」
「間違いじゃないけど、普通の回復魔法みたいに便利なものじゃないよ」
「ほう、それはどういうことだ?」
通常、回復魔法として普及しているのは『シーフ』『シファ』『シフィム』『シフィミナス』の順で回復量が大きくなっていく。これらは単純に下級、中級、上級、特級で分けられていて、ほぼ全属性の魔法に於いても同様に効果の大きさに応じて区分けされている。
「俺の場合、これは村のおばあちゃんに教えてもらったマイナー魔法なんだ。だから下級とか上級とか、そんな区別の中に位置付けられてない」
「ふむ。俺の回復魔法も一般的な『シファ』だが、それとどこが違うんだ?」
「おばあちゃん曰く『サルヴ』って呼ばれてるこの魔法は、あくまでも自然治癒力を高めるものなんだ。だからすぐに傷を癒すことはできない」
「不便極まりない」
「なんという容赦ない感想……けど実際俺もそう思ってる。だから回復の要は変わらずゲミューゼだ、よろしくな!」
「その満面の笑みは煽りか?」
そうやって話している間にも獣から受けた(半分以上はグランの油断が理由の)傷は塞がれつつある。要するにリジェネ効果の魔法なのだが、その実これが便利な魔法であることに気付いていない彼らであった。
「今更だけど」
回復が一段落したところで、グランが口を開く。
「こんな森の真っ只中でゆっくり会話してていいのか? さっきの戦闘音とかで魔物をおびき寄せたりしてるんじゃ」
「奴らが襲ってくるまで平気で喋ってじゃないか。本当に今更だな」
「やっぱ辛辣」
「けど、そうだね。グランの疑問も決して無碍にはできないね」
グランとゲミューゼのやりとりに頷きながら参加したシンダーズが言う。身体の痛みも引いてきたのか上体を起こして笑みを作っている。
「魔物は自分たちの領域……彼らの認識では縄張りと言ったところかな、があるね。だけどもちろん獲物の気配がすればそこを飛び出して狩りに出るね」
だけどね、とシンダーズは指をふって続ける。
「いまみんなで戦った魔獣はレパルガと呼ばれているんだけど、あれはここら一帯の森じゃ食物連鎖の上位に君臨しているんだね」
ほう、とグランは相槌を打つ。
その情報は彼らが時間をかけて調査した結果なのか、それとも黒龍や過去の先駆者たちの努力の賜物なのかどっちだろうと思ったりもしたが、どっちでもいいことだと割り切る。主題は別にあるのだから。
「なら獲物を見つけたからと言って、自分が狩られるリスクを冒してまでレパルガとやらの縄張りに入ることはないってわけだ」
「もしレパルガが蹴散らされたんだとしても、領域に残ってるのは奴らを倒せるような更に上位の者だしな」
ブリアナが楽しそうにグランの言葉に説明を加える。向かうところ敵なしと言いたそうな爛漫とした表情で語るが、実際この周囲の魔物たち相手なら彼らは十分に戦えるのだろう。
ところが、三人の緊張のほぐれたような空気が急にピシッと固まった。
「グラン、昨晩俺は醜悪をみせてやると言ったよな」
「言ったな。そうだ、結局まだよく分かってないんだよな。戦いの直前にシンダーズが醜悪の一端が訪れるなんて言ってたが、魔獣が襲ってくることに対してそんなに強調するほどでもないように感じたぞ」
「その通りだ」
案外あっさりと感想を受け入れられてしまって一瞬思考が止まった。しかしこのゲミューゼの肯定がどんな意味を持つのかまでは測りかねて、それを聞こうとしたがいち早く口を開いたのはブリアナだった。
「まず前提として言っておこう。この世界が闇に包まれたのと同様に、世界各地の生命も同時に闇に染まってる」
「どういうことだ?」
前提から既に理解が追いつかなかった。
「世界をこんな異質にした犯人……まあそんな野郎が本当にいるのか知らんが、とにかく世界の魔物たちは心を闇に染め上げられて、奥底に眠る凶暴性をガッ!と爆発させてるって訳よ」
「でも、自由に全ての魔獣に対して闇を付与することはできないらしいんだよね」
「そう。さっき戦った奴らも、森にいる他の獣も、世界中の全てが死んでからそうなってる。超常的な能力も、生きている存在には適用できないってこった」
「ん? 死んでからじゃ意味ないじゃないか」
至極真っ当な意見だな、とグラン以外の三人が反応する。
既に骸となった存在に黒い部分が宿ることで、もし仮に執念パワーみたいなものが魔獣を再び動かしているのだとしても、あんな統率された群として成立できるとは思えなかった。
「いや……そうじゃない、のか?」
無理やりに起こしても魔物の強みが逆に消えてしまうようなら意味はない。でも世界がおかしくなっているから、普通じゃないことも正解になれる。
グランは思ったままのことを口にした。
「心に闇を与えられた存在は、生き返る?」
「そこまで考えられたなら上出来だ」
「でもちょっと惜しいね。もっと正確には死んでも死んでも同じ数だけ湧き上がる、だね」
「は、」
生まれるでも蘇るでもなく、湧くのだと言う。それもニュアンスとしては「補充される」なんて意味を含んでいるように聞こえる。
もはや生命——少なくとも子孫を産む、その工程を経て増加する生命に対して冒涜的なものを感じた。
「その、殺しても殺しても復活しつづける異常がどの程度の存在にまで適用されるのかはまだ判ってない。人間に対してはどうなのか、とかな。が、時間を置けばここにもまたレパルガが湧いてくることは確かな事実だ」
「そういうことか。ここでレパルガが襲ってくるのを察知できたのは戦闘の跡が残ってるからじゃなく、ここで何度も湧き続けてるのを知っているから」
「ご明察」
「跡があるイコール襲われるとは限らないからね」
それもそうだななんて風に頷く。
頭の中で今の話をざっと整理しようかと思ったところで、シンダーズとゲミューゼが重い腰を上げるように立ち上がった。もう身体の痛みの方は大丈夫なのだろうか。
「よしグラン、今日はまだ始まったばかりだ。もう少し森の奥まで付き合ってくれ」
「ここから更に奥地か……」
「なんだ、先の戦いでもう怖気ついたか?」
「な訳あるかよ。俺は至ってやる気満々、絶好調……ッてて」
言いながらふふんと鼻息鳴らして胸を張る。そのせいで治りかけの胸傷が開こうものなら馬鹿丸出しだが。
「爪でぐっさり肉を裂かれてるってのによく我慢できるよね。おいらそんな傷付けられたら駄々こねてまだ寝てるね」
「駄々こねるのは自由にしてもらっていいが、あたしらを護る盾が再湧きしたレパルガにこねくり回されて肉団子になられても困るよ」
「そりゃ恐ろしいね。おいらは肉団子を食べる側でありたいからね」
「なら、帰りにまたグモゥでも狩って肉をいただかんとな」
「うんうん、楽しみだね」
また聞いたことのない名前だが、どうやら美味しい肉を食べれるらしい。
闇に浸った獣の肉を食べて平気なのか? と頭をひねる。心身二元論者ならば心が闇に染まっても肉体に影響はないと言い張るだろう。
(なるほど確かに)
勝手に心の中の心身二元論者に感謝して今晩のディナーに心弾ませる。こんな異常な世界だからこそ、少しくらい心落ち着くものが欲しいところ。
「そのためにも、さっさとグランに奴を見せて、みんな無事にルーシャんとこに帰るよ!」
「「おうよー!」」
「お、おうよー?」
ゆっくりと、破壊され歩きづらくなった道を抜け出し、さらに奥地へと歩を進める一行。森の奥とは言っても、風景は特に変わらず昔に敷かれたままほぼ整備されていない、ただの一本道が続くだけだった。
会話も特になく、たまーにお互いのことを知るために質問したりされたりなどするくらい。
魔物に遭遇しても難なく撃破できた。レパルガとは違い、他の敵からは常に敵意を受けていたので戦いやすかったのだ。
と、総時間およそ一時間経ったかなというところで、奥に光が見えた。
繰り返すが、この世界は一面の闇だ。太陽も星も見えず、人工的に光源を作らなければ光も生まれない空間。それでいて、なぜか視界は明瞭であるという異常。
「もちろんこの奥に人工物は一切ない」
「なのに、明るい」
「驚くよなあ! しかーし、そこに広がる景色を見りゃもっと目を剥くことになるさ」
ブリアナが先導し、グランが後に続く。ゲミューゼとシンダーズは更にその後ろから着いてきている。後方を守るという役割もそうだろうが、グランに目下に迫る景色とやらを真っ先に見てもらうため、という意図が強い。
「さあ、着いた」
言いながらブリアナは振り返ると、お先にどうぞと手振りで語る。
真っ直ぐ続いていた道も、ここで途切れている。その境目からまた低い植物が茂っており、ここまで道を敷いておきながら敢えて先に行かせないようにしているようにも思えた。
「…………ッ」
茂みの手前から覗き込んだ瞬間、息をのんだ。
まず目に飛び込んだのは大きな湖。
故郷のアル・ツァーイ村は村と言っても百人は暮らしているし、それなりの広さがある——というのがグランの認識だが、少なくとも湖はその村程の大きさはあるだろう。
そして、
「光の正体は、湖を埋め尽くす水だったのか」
エメラルド色の光を帯びた液体が波紋を広げながら静謐を保っていた。神秘的で神聖な空間であることが容易に予想できる。
「こんな世界だから逆に異質に感じるだろ? 詳しいことはあたしらも知らねーけど、世界を覆う闇すら跳ね除ける強い力があるんだろうさ」
「けど、グランも見えるよね。すごい景色の中にあるひとつの問題がね」
問題、とシンダーズは語る。
美しい秘境と呼べる場所だったからこそ、だろう。湖のちょうど中央の辺りだろうか、光に包まれるなかに巨大な影が浮かんでいるのだ。
「ありゃ蛇、か?」
目を凝らすと、それはとぐろを巻いている。しかし、ただの蛇と言うにはまたおかしくもあった。
「厳密に何個かってのは分かんねえけど、頭が複数ある…………よな」
「む、離れたところから見てよく分かるな」
「村育ちが幸いしてか、視力はいいんだ。それはいいとして、まさか、これからアレと戦おうって言うんじゃないだろうな」
「違う」
ブリアナが即答で否定し、続ける。
「覚えているかグラン、拠点の壁に彫られた数々の嘆きの文言を。多くの人間が『帰りたい』と望んでいたあれだ。聞く話によれば、世界は約千年も前からこんな調子らしいじゃねえか。でも『帰りたい』は願望で止まってる」
「世界的未解決問題である失踪事件が未解決たる所以だな。帰れないから、失踪の正体を伝えられない。でもそれは帰る方法が分からないから……だけではない」
そう言ってゲミューゼが目線を向けた先にあるのが、湖に浮かぶ多頭の蛇だった。あんなに目立つ場所にいながらも堂々ととぐろ巻いて眠る巨大な魔物。
「ラグラスロは、危険な世界を渡り歩くための試練を俺たちに課した」
「それをクリアしないと本格的な冒険はさせないぞ、的な?」
「そうだ。試練の内容はあの蛇を倒すこと。そして俺らは、まだこれを達成できていない」
「そうだよな、つい昨日まで三人で行動してたんだし。明らかにレパルガなんかより強そうなのと戦うってなりゃ、それなりの準備がいる」
ただでさえ敵はデカい。一撃でも喰らえばどんな被害が出るか、予想するまでもないだろう。
そもそも、これが試練と称されるからには一筋縄で行くはずがない。だから、グランがやってきて戦略が増した今こそチャンスとみて湖手前まで連れてきた。
そうグランは考えた訳だが、
「違う、のか」
三人の顔は沈んでいた。苦い飲み物でも一気飲みしたかのように顔を歪めて、下を向いていた。
「戦ったんだ」
強く握りしめた拳を顔の前に持ってきながら、その言葉はグランの言葉を否定する。
「あたしがこの世界に飛ばされたのが二年前。こっちの二人は去年で、ルーシャはつい二ヶ月前だ。けど実は、数年前に飛ばされて拠点で暮らしていた人が二人いた。彼女たちはとても魔法に長けていて、あたしらともすぐに連携が上手く取れるようになった」
でも、負けたんだと。
優秀な先人を失い敗走したブリアナたちは、それから悲しむ暇もなく強くなり続けた。それでも一度戦った三人だから分かることがある。
「あたしら三人じゃ絶対に勝てない」
「待てよ」
けど、と言葉を続けようとしたブリアナをグランは遮る。どうしても気になってしまった。
「あの黒龍は俺らを護る存在なんだろ? なら、なんで死者を出すような試練になるんだ。失踪事件が少なくとも年一人の被害者を出してるって話なら、寿命が続く限りたくさんの人が拠点にいないとおかしいだろ」
「尤もだ。だが、やはりラグラスロの目的は守護であり保護で一貫しているのさ。拠点に匿うことで被害者の安全は確定される。それでも帰りたいと望んで勝手に外に出る奴に関しちゃ、そりゃ守護の範囲から外れるだろ」
「守護者だの自称しておきながら、その範囲は狭いってか……くそ」
思わず悪態が出る。
結局のところ、すべてひっくるめて世界は醜悪なのだと。
「それでも優しい方だよね。だって、無謀なことして死なないようにする為に、試練ってものを絶対してるんだもんね」
「護ってますよって言うための保険みたいなもんじゃないか…………」
まあまあとシンダーズが宥めるので、これ以上何か言うことは憚られた。
彼らも最初は同じように不満を抱いたのだろうか、それともそういうものだと割り切った考えができたのだろうか。それはわからない。
「グランの言いたいことはよく分かるが、自分の足で帰るなら自分が強くならなきゃいかん。納得はしなくていい、どうか理解はしてくれ」
「ああ……すまなかった」
「んや、謝るのはあたしらの方なんだがね」
ちらっと大蛇に一瞥をやってからブリアナは続ける。
「ここからまた何年も、人が揃うのを待ってたらいつになっても帰れない。だから、逃げ帰った敗者の分際ですまないが、頼む。あたしらからグランに試練を課させてくれ」
気付けば、彼らの瞳に映るのはグラナード・スマクラフティーただひとり。
「僅かながらに持ち帰った奴の情報を共有する。その上で一月後、奴に挑む。だからその準備を、心と体の準備をしてくれないか」
「一緒に倒そう」
三人は言う。
「「「六頭大蛇ヘキサアナンタを」」ね」