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『勇者などいない世界にて』  作者: 一二三
第一章 二つの世界
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第一章27 奥の奥


 血生臭い。

 多くの魔物を屠り、食事の為に解体もしてきたが、これだけ大きな切断面を間近で目撃する衝撃は大きかった。

 このまま放置すれば失血死で勝利できるのだろうかとも考えたが、弛緩した筋肉が締まると、まもなく首からの滝のような出血が止まった。


「畳み掛けるぞ! 首を落とした瞬間が一番のチャンスだ!」


「ふう、一息つく暇もねえな」


「いま一息ついたじゃん——とか言ってる場合じゃないんだってば!」


 闇夜に浮かぶ宝玉が十個に減っている。誰もが羨む富の象徴としての宝玉ではなく、誰もが恐れ慄く大蛇の眼なので、減るのは大変嬉しい。

 ブリアナの号声は正しく、今が最高の好機である。逃せば、喜びは束の間で終わってしまうだろう。


「残りの首も、一気に断ち切る!」


 言いながら息を整えると、湖上を疾走する。今までと打って変わって真っ正面から突っ込みはしない。狙うは蛇の側面。

 ギロリとあらゆる瞳が脅威の刃を握る青年に向けられるが、果たして蛇の脅威は彼一人だけか?


「首を刎ねる役は他にもいるんだよ。巨大な魔法球の警戒にも全ての首を動員することはなかった癖に、どうした? 焦って警戒対象を萎めちまったようだな!」


 ブリアナの大の得意と言えば、やはりパワーで全てを解決できる『棍旋(サイクロン)』にある。限界まで魔力を注ぎ込めばそれだけで大災害にも匹敵できそうな脳筋技(魔法なのに)だ。

 いま、それをゲミューゼの槍に付与していた。

 彼らの合わせ技。

 夜な夜な、簡潔な方がいいだの格好いい方がいいだの言い合っていた二人曰く、その名は、


「「『風刃』ッ!!」」


 直後に鳴ったのは風の音か、首を刎ねる音か。

 大きく伸びた文字通り風の刃が、よそ見をした罰とばかりに、二本まとめて大蛇の頭を破壊し尽くしていた。

 怪物の金切り声が鼓膜を震わせる。

 ブリアナの『棍旋(サイクロン)』により延長された部分も含めて「槍である」と認識することで、嵐をも巨大な剣にして見せた。そして、大雑把な嵐だからこそ、断面はぐちゃぐちゃに掻き乱されている。


「うげぇ、あれは痛いな。敵ながら叫びたくなる気持ちがわかる」


 仲間の快進撃を傍目に回り込んでいたグランは表情を引き攣らせつつ、敵の体躯に飛び乗っていた。胴体から脳天目掛けて更に駆け登る。

 『風刃』を使う二人と月を掲げる一人、どちらも目を離せない天敵。しかし、先程ブリアナも言った通りになった。


「今度は一気に二つも持ってかれたもんだから、あたしらに全神経を注ぐつもりだね!」


 自身が生態系の頂点ではないのだと、広大な湖という玉座にいつまでも腰掛けていられないと分かった途端だ。半数の首がもぎ取られ、ヘキサアナンタから確実に余裕の二文字が消え失せている。

 そうしてまた一つ。

 生温かく赤い滝が溢れる。


「最初の一つさえやっちまえばね、あっという間に四対二でおいら達の形成逆転なんだよね」


 先の一撃で膨張した熱波を受けたシンダーズが復帰。盾からは未だに陽炎(かげろう)が立ち昇っていた。


「それ、熱くないのか?」


「熱いに決まってるね! 鉄板の上で焼かれてるお肉の気持ちが分かるね。早く帰ってお肉を食べたくなってきたね」


「そうだな。立派な守護者がいるおかげで戦いやすい。最後まで頼むぞ!」


「……あ!」


 シンダーズには返事もすることもできなかった。三日月を携えた仲間は返事を待たないでひたすら動き続けている。伸ばそうとした手が、盾の重さで手招きするように下に宙を泳ぐ。


「すごいんだよね。一番危険なのに一番体力を消耗してね……それでも」


 あと二つ。敵に打てる手段はもう乏しい。

 そう、乏しい。

 最も有効打を挙げられるのは満身創痍の今じゃない。大蛇の最高潮は最初だけだ。だからこそ。


「もう、奇策を練らなくたって刎ねられる」


 エメラルド色の光が照り返し、三日月が狩りの宣言をする。今からお前を斬るぞ、と。

 既に牙を折られた一頭が正面から、まだ傷の浅いもう一頭が別角度から致命の一撃を狙う。あるいはグランを屠るには、全身の重量で押し潰すのが大蛇にとっては最善策だろう。無論、遠くで構える『風刃』に対抗できるなら、の話だが。


 ギリギリギリギリ!


(——あ? なんだこの音、どこから)


 初めて聞く音に訝しみつつ、グランは既に刃を振りかぶっていた。

 しかし、この違和感は。


「「「グランッ!!!!!」」」


 あと二つ。敵に打てる手段はもう乏しい。

 最も有効打を挙げられるのは満身創痍の今じゃない。大蛇の最高潮は最初だけだ。このままならば。だからこそ。

 ヘキサアナンタの快進撃はここから始まる。打てる手段が乏しいからこそ、()()()()()()という手段を選ぶ。


「みんなが必死で俺を呼んだ……つまりこれが、かつて先輩たちを葬った奥の手」


 モスキート音と金属音が混ざったような不快な獣の絶叫が、湖の周囲に潜む全ての生物の鼓膜を刺激した。癪に障る高音に意識を揺さぶられた瞬間、堂々と目当ての首がグランに接近。そのまま腹部にめり込んだ。

 自らの弱点を顧みない捨て身のなぎ払いで大きく湖上をバウンドし、転がされている間、まるで全身が雁字搦めにされた気分だった。世界が硬直していた。受け身も取る余裕がない程に。


「ぐ……あと、少しのところで」


 水と体の間に空気の膜があるとは言え、打ち付けられる時の衝撃は普通の地面を転がるのと大差ない感覚だ。内臓が悲鳴をあげている。口内に広がる酸味に目を細めつつ、なんとか顔だけ仰ぐ。異音の正体を見逃さないために。


「こらぁ……試練にもなるワケだ。醜い世界から脱出するにはこれくらいの絶望が当たり前って、そう知らしめる試練に」


 いまも拠点で帰りを待っているだろう黒龍は、本当に尊敬するほどの性格の悪さだ。そういう超常の存在だから躊躇なく試練を課せるのだろう。

 決してノーダメージとは言えない消耗戦を過ぎてみれば、そこに待つのは。

 水を注いだコップにストローで息を吹き込んだ時のように、切り落としたはずの首の断面が赤黒く泡立って膨らんでいる。


「よくここまで持ち堪えた。この絶望を乗り越えなくてはいけない。殊更、以前に大敗を喫した俺らはな」


「乗り越えてやろう、今回こそ。どうせなら一度で終わらせたかったけど、みんなの言う通りになった。やっぱり避けられないんだ」


「言うなればこれは第二段階。あんたの助けがもっと必要になるよ」


「そうだな」


 ひとまず回復魔法で痛みは引いた。ゲミューゼの魔力もまだ余裕はあるだろうが、頼ってばかりでもいられない。残りのダメージは継続回復で賄うしかない。

 とかく話している内に、事態は無慈悲に収束に向かおうとしていた。

 すなわち。


「膨らんだ血の泡が肉体になって、全ての首が五体満足に復活した——」


 生物の進化の過程で、一度切った部位が次第に再生して元通りになる種がいるとは、故郷の物知りに蘊蓄を叩き込まれたことがある。が、目の前で起きているのは『次第に』再生ではない、『即座に』再生。


「はは、蘊蓄に蘊蓄で返すその日が楽しみだ」


 文字通りの六頭大蛇が睥睨する。

 エメラルドの湖には夥しい赤が、湖上には嫌な血肉の臭いが拡散している。さて、これは互角だろうか。


「『風刃』ッ!」


 再生の瞬間を目の当たりにし、絶望に浸っている。そんな獲物を根こそぎ排除しようと早速動き出した巨躯を、既に一度経験済みの仲間たちが阻止する。


「まずい、躱わされた!」


「湖に全身を沈めた……!? 下から来るのか!」


 ずるずると全身が血に染まった湖面に沈んでいく。そこで気付いたが、当然と言えば当然か、奴の尻尾も元通りらしい。


「どこから狙ってきやがる?」


「既にこれが第二段階で、敵さんが勢いに乗って決着に持ち込もうってなら……俺らが先に仕掛ければいい。見え見えなんだよ、お前の敵意が!」


 首を全て復活させられると分かっているなら、復活した後に対策されないようにしなければならない。これも、二週間を通して計画されていたことだ。

 ここまでの戦術が彼らの限界だと思わせる。思わせたなら、不意を突いてやれ。


「爆ぜろ、『オリヘプタ』!」


 ドッ——と、青白い光が姿をくらます大蛇を追従し、静謐をとことん破壊する!

 水面のうねりを引き連れて大蛇は飛び出る。直撃を免れた部分こそあるが、爛れ抉れた箇所は見られる。しかも、四人の内の誰が魔法を行使したのか、まだ相手からは知られていないはずだ。

 ここからは刎ねるだけが戦法ではない。爆破して討伐することだって視野だ。


「決着は早けりゃ早いほどいいよ」


「だねだね」


 散っていた仲間たちが改めて集合する。膝に手をついて力を抜くグランを筆頭に、シンダーズが盾を構えてすぐ隣で警戒し、背後では『風刃』コンビが体勢を整える。

 過去に皆が再生を確認したのは一度きり。しかし一度しか再生できない、そんなはずはない。危機に立たされれば何度だって再生するだろう。


「逆に言えば、危機に立たされないと首を治さないのはなぜか。それは、急速な再生には首の本数にかかわらず莫大なスタミナを使うからだろうな。加えて、奴は失った血液の全てを賄えているのか? つまりは、向こうも完全じゃない」


「このまま行けば、お互いに消耗戦か」


 ゲミューゼの分析はおそらく正しい。あと何回、再生の余力を残しているかは未知数だけれども、こちらが先に魔素(マナ)も体力も尽きる未来というのがかなり尤もらしい。

 早くケリをつけないと厳しい。

 その意見に頷いた途端。


 ゾワリ、鳥肌がたった。


 見れば、ついさっき二つの意味で手を焼いた殺意の光が、大蛇の喉奥から噴き出ようと画策している瞬間であった。

 あれが来る。

 けど何かがおかしい。


「おいら、知らないね。レパルガは特別頭が良くてね、獲物の動きに合わせて戦略を変える天才なんだよね。でもね。普通魔物は初っ端全力を出すことに躊躇いはないはずなんだね。ヒトみたいな『理性的に考える』知能を持たない限りはね! だからこれは、おいら達の知らない別の『全力』ってことだよね!」


「お、おい、つまりどういうこと!?」


「あいつだってどこからか食料を調達する必要があるだろう? 今まで見てきた攻撃はどれも()()()()()()()()()()()()で行われてきた。食べるには固形物感が必要だからね。だからその範囲内において全力を出していた。でも、あいつは自らの生命の危機を感じ取って、()()()()()()()()()()()に切り替えようってこのなんじゃないか?」


 百聞は一見にしかず。ブリアナの解説を上手く飲み込むよりも早く、事実が先に目に飛び込んだ。

 溢れ出した光属性のエネルギーが、六つあるそれが一つに収束する。あれがもしぶっ放されたら、どうなる?


「逃げろッ!! これはシンダーズの盾でも弾き返せない、キャパオーバーだ!」


 英断。両者間の距離をものともせず吹きつける熱波が、莫大な白の威力を嫌でも想像させる。先輩を守れたかもしれない前回の敗走とは異なる、マジもんの撤退が余儀なくされた。


「待て! そっちは直線上に解毒草が!」


「気にしている場合か! とにかく、走れ!!」


 男二人が一目散に背を向ける。けど全くの恥じゃない。

 残ったブリアナも少しだけ逡巡の様子を見せて反対方向に踵を返す。


「ならあたしらは逆に逃げよう。それなら、向こうには何も大事なものは埋まってないよ!」


「——ッ!」


 グランは二つではなく三つの岐路に立たされている。

 一つ、ゲミューゼらと同じ方角に向かって走る。しかしこれでは破壊光線の直線上に解毒草を被せることになり、洞窟の民との約束を反故にすることになる。

 二つ、ブリアナと同じ方角に向かって走る。しかし四人が均等に分かれて逃げれば、ヘキサアナンタはどちらか片方を追従する形で光を吐くだろう。つまり解毒草もニブイチで散ることになる。

 そして三つ、それは。


(もう時間切れだ、迷いすぎた。どこに逃げようと俺は光の影響をもろに喰らう)


 三つ、その場に留まる。これならば、大蛇は目の前に鎮座する敵に焦点を絞るだろう。三日月を携えた、最も危険な人物を排除するために。仲間の誰も狙わせない、解毒草も保護する。それを時間が余儀なくした。

 仲間はグランが逃げていない事実にまだ気付いていない。振り返れば逃げ遅れる。全員が全力で退却していると信じているからこそ、振り返らない。

 そんな信頼をグランは裏切って、刮目するのだ。


「諦めないぞ。必ず元の世界に戻って、妹に会う!」


 遺言か、勝利宣言か。雄叫びを聞いてグランが一歩も動いていないことを悟る仲間たちを気にかける暇もなく。

 再生という奥の手の、更に奥。敵を消し炭にするためだけの、究極の必殺技。閃光の中に若干の不純物、闇属性を含んでいるのか、相反する属性の衝突でババチィ! と音まで不穏の寄せ集め。


 『光と影があればいい(モノトーンソート)』。


 白と黒の衝撃が湖を突き抜けた。森の木々をも抹消して、破壊光線がずっとずっと奥まで暴力的な力の奔流を見せびらかしていく。周囲の空気は灼熱となって膨張し、エントロピーはどこまでも跳ね上がる。

 熱の嵐に熱の波。周囲の環境をも変容させそうな余波もが、光線を免れて油断している万象に襲いかかっていた。とても一介の魔物が生み出せる被害ではない。認識を改めねばなるまい。ヘキサアナンタは、生きる災害だ。


 十数秒の結果。

 湖の上層が沸騰し、森が燃えた。おそらく、馬鹿にならない量の魔物も巻き込まれて消えた。大気圧にも影響が出ただろうか。

 そしてグラナード・スマクラフティの姿も、どこにもなかった。


==========


「ふん、ふん、ふふーん」


 食料庫からいくつかの材料を選抜し、それを抱えて回廊を鼻歌交じりに進む、全身を紅に染め上げた少女はご機嫌だ。知る人が聞けば、彼女の鼻歌が『他者(かがみ)』というある歴史上の学者の書籍を基とした曲であり、決して機嫌がいい時に歌うものでないことが分かるだろう。些細なところに、世界三大財閥の令嬢たる所以を漂わせる。


「皆さんが敗走する可能性なんて考えていても仕方ないですから、朝食こそ質素でしたけれど、夜はうんと嬉しい晩餐会にしなければ!」


 ミステルーシャ・アプスが『失踪』の被害者となって魔界に降りてきて、早くも三ヶ月になろうとしている。それ故に、昨年に仲間たちとその先輩が挑んだ試練を目撃していないし、当時この世界に来ていたとしても、戦う度胸はなかったろう。

 初めてブリアナらと顔合わせをしたとき、彼らは表面上は楽しそうに繕っていても、心の底では重すぎる荷に苦しんでいるような空気を感じた。実際それは正しくて、世界を自由に歩き回るための試練というあまりにも大きな壁に押しつぶされようとしていたのだ。

 だから新たな仲間を迎えた彼らが、ルーシャは戦えないという事実を突きつけられたときの、希望から一転した反応がルーシャの心にも痛く響き返っている。


(もう、あんな顔でいてほしくないです。けれど、やはり魔物に対峙するというのは怖くて、踏ん切りがつかない。私には何ができるのでしょうか)


 ご機嫌と不安の混ざり合った複雑な感情を抱きつつ、今夜開く晩餐会を夢想して気分を盛り上げる。できないことはある。その分、できることで努力する。これこそルーシャの哲学。


「何はともあれ、まずはご飯ですよね。ご馳走と言えばグモゥですけど、私ひとりで調理するのは難しいですし……そうだ! ゲテモノではありますが、寧ろ日常から遠ざかってご馳走感が出るかも?」


 と、そうやって自らを鼓舞して調理をしていた矢先、である。


————パリンッ!


 激震が走った。

 古い遺跡を拠点にしているものだから、どこかの一角が崩れたような地響きが心臓まで伝ってくる。


「ななな、なんですか!?」


 経験したこともない衝撃に顔面から倒れ、手に持っていた皿も収納していた器もまとめて割れた。

 痛む鼻を両手で押さえながら外の庭に出る。崩落の危険もあるのでおそるおそるだったが、ひとまず普段から生活で使っている共用部は定期的な補修が入っているためか無事に出ることができた。


「あ、ラグラスロさん! これは何の揺れですか!?」

 

「これは、我でも身構える破壊の力であるな」


「え?」


 遺跡上空で天使のような黒い翼を羽ばたかせる黒龍が、感情の掴みにくい声で語る。


「眼前に立ち塞がる者を獲物ではなく、命を脅かす天敵であると認識することで放たれる、ヘキサアナンタの究極の奥義。我とて久しく見たことのない、それこそ百年以上は悠に超えるだろう」


「そんな……では皆さんは!? 少し離れた拠点でも影響が大きいですのに、戦場にいる皆さんはもっと——」


「もし直撃していようものなら、人の子に耐えられるようなものではない。我儘に世界を白と黒で埋め尽くす粛清の線引き。過去に目撃した者曰く『白と黒があればいい(モノトーンソート)』。(いえど)も、目撃しながらも伝え帰った者が過去にいるのなら、或いは彼らが大蛇を追い詰めた実力者であるのなら」


「戻ってくる可能性はまだ、ある」


 そんなことを言われたって、簡単に信じられるものではなかった。

 現地がどんな壊滅的な状況に立たされているのかは想像に難いものの、例え号砲を避けられたとしても、その場にいるだけで命の危険があることは十分推察できてしまう。せめて凱旋した皆を笑顔で迎えたい。希望とは裏腹に、先程までの前向きさが嘘だったように悲観的に捉えてしまう。


「それでも……!! 例えば、また同一の一撃が行われた場合、この拠点に、その、直接命中する場合も考えられますよね。そうなれば私は……更には皆さんの帰る場所すらなくなってしまいます」


「我が身を案じる心情は察する、されど心配無用だ。この、異世界に連れ去られた者らの命と彼らが安寧と休息を得る拠点は、等しく保障する。粛清の号砲は我が身を持って塞がん」


「そんなことが、できるのですか?」


「我でも身構えると言ったであろう。返せば、身構えるだけで済むということに他ならぬよ」


 黒龍ラグラスロ。かつてこの魔界が魔界として継続するか否かという決戦を経験し、全盛の力を失ったという超常の存在は軽く言う。失ってなお余裕に振る舞うなら、またはどれだけの異次元であったのか。


「私は、私にできることは……」


 ここでもやはり、歌が脳内を駆け巡る。

 『智を喰らう大蛇が眠るとき、世はまた繰り返さん。箱庭の者々は無知ゆえに賢者を穿つ。それが何かを知らぬまま』という一節が離れない。大蛇の攻撃の存在を、正体を知らないから宴を開こうと思えた。しかし知ってしまったからには、無理をしても楽しい気持ちが生まれない。

 ヘキサアナンタという大蛇。

 皆が住まう拠点という意味での箱庭。

 色んな意味で重なってしまう、この歌が。


「考えすぎるな、ミステルーシャ」


 自問自答の末に、ルーシャの結論は変わらなかった。


「『知らなくてもできる』とは、『知ったらできない』を意味しない」


 アプス家に伝わる歌、もとい伝承の真意がなんであれ、紅を華奢な身体に宿す彼女は覚悟しなければならない。黒龍が大きく羽ばたいて空気を押し出すと共に、ブルーな感情も押し除ける。


「帰ってきてください——私はただ、祈ります」


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