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『勇者などいない世界にて』  作者: 一二三
第一章 二つの世界
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第一章24 寝れない夜


 朝には日が昇り、夜には月が昇る。

 光あふれる世界。


 時はグラナード・スマクラフティが村から消失した、その翌日の昼前。

 世界地図の西方に構える都市(シティーリア)大陸の、更に西方に位置する森に囲まれた辺境の地。アル・ツァーイ村がこれ程までに沈黙と悲しみに包まれたのは、約八年ぶりのことであろう。

 それでも、ただ一人。

 村の静寂を切り裂く権利を握りしめる少女がいた。


「な、んでッ……!!」


 なんで消えたのか。もう何度考えたかも分からない。

 兄を失ったことによる心の空白は、メイア・スマクラフティには耐え難い劇毒となって精神を破壊する。この心を蝕む毒には解毒草も解毒魔法も存在しない。


「ああぅあ、お、にぃぢゃッ! ああ!」


 部屋は昼間とは思えない程暗く、ただ赤く燃える灯火が唯一の光である。それは号泣する彼女を優しく慰めているような優しい明かりだが、彼女はそんなことには気付かない。気にも留めない。

 一日中慟哭が続いているかと言われれば、そうではない。一度泣き疲れ体力を失ったかのように眠り、つい先刻目が覚めて、これだ。目覚めた先に兄がいない。すなわち、日常が存在しないことの証左。

 言ってしまえば、彼女も彼女で暗黒の世界へと堕ちているようなものだった。


「お兄ちゃん、だけが。最後の、砦で」


 独りにならないための。


「一緒だから、今までも……一緒にいたから立ち向かえた、のにッ!!」


 愛する家族を慈しむための。

 今までの、ほぼ人生の大半をこれらに掛けてきた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 八年前の村に一度訪れたという悲劇とは、なんと非情な運命だろうか、彼ら兄妹の両親に関わることである。何を隠そうメイアが指す「また」とは、両親の死を意味していた。

 ある日の晩、村が未曾有の大嵐に見舞われた。家の外に出れば無事では済まないと嫌でも悟る、極限状態の闇夜である。

 母は嵐の気配を予感すると、すぐさま仕事に出ている父を迎えに家を出て行った。グランやメイアは、母が並大抵の風雨には負けないことを知っていたから、不安でいっぱいの心を押し留めて見送ったのだ。


 にもかかわらず。

 母は、父に庇われるようにして死んでいた。


 兄妹、及び村の住人たちがその事実を知るのは嵐の去った翌朝であり、この時も、兄妹だけが村の静寂を引き裂く権利を持っていた。

 しかし、彼らが悲惨な現場を目の当たりにする前。

 メイアは、兄のグラナードが不思議なことを言うのを聞いていた。曰く、窓の外の天高く、黒く渦を巻く雲の中に翼の生えた影を見た、と。それも伝説に現れる竜のような漆黒の影を。

 メイアには見えなかったが、目の良い兄のことだ。嘘で言っているとはとても思えなかった。だから、


「私たちは、復讐、するんだ。絶対にッ。お兄ちゃんと一緒に、成し遂げようって、約束してたのに!」


 兄は残された最後の(かぞく)であり、これまでの努力は全て復讐相手に立ち向かうという宣誓の表れなのだ。

 喪失の人生をこれでもかとメイアは恨む。

 自分が、仮に。

 復讐相手やその一派との戦いに於いて命を失くすのであれば、覚悟はしなければならない。もしそこで兄が死ぬのだとしても、それもそれで承知の上。悲しみは消せないが、受け入れられる。しかし両親の時も今回の兄の消失も、決して受け入れられるものではない。


 コンコン。

 気付けばまた長い時間が経っていたらしい。赤く腫れた、ぐしゃぐしゃの相貌もそのままに、カーテンの隙間から外を見れば空はすっかり暗闇に支配されていた。

 ぽっかり空いた家の扉を叩いた人は誰だろう。ご飯を食べているのかと心配している村人だろうか。


(なら、心配の必要はないよ)


 メイア・スマクラフティの生への執着は残っていた。家族という究極の希望はもうないが、そう思い返すだけで涙も溢れそうになるが、食欲はなくとも体が勝手に食べ物を口に運んでいるのだ。


「メイア? その、入ってもいいかしら」


「——え?」


 声からして、どうやら扉を叩いたのは村の資料室の司書をしている女性らしい。村長のハバキリおばあちゃんだとか、ご近所さんとか、てっきり落ち込む少女を慰めに優しい人が来たとばかり思っていた。

 わざわざ他の誰でもなく司書が来るなんて。

 頬に残った涙を拭って、久々に人と会話する。


「エスティアさんが、えっと、何の用?」


 返ってきた言葉は、またしてもメイアの不意を突く。


「話があって来たの。昨晩、ハバキリさんが少しだけメイアの話を聞きに来たでしょう? それで、何と言うべきかしら……ともかく、よ」


 扉の向こうでどんな顔をしているか分からないけれど、慎重な言葉選びをしているのだろうと分かった。だから、その一言は重い一撃を、メイアの心に叩き込む。


「あなたのお兄さん、グランを、救いたいとは思わない?」


===============


 あれから風呂上がりのゲミューゼと後片付けを終えたルーシャも合流して、みんなで焚き火を囲みながら、グランが戦う理由を、愛する妹との約束を隠さず伝えた。

 だからだろうか、小さな自室で横になっても眠れないのは。

 グランの炎は何でも燃やし、消えることはない。仲間の部屋を含め、拠点各地の石飾りに炎が小さく揺らめいて照明を確保しているが、上から光を遮る幕を被せてしまえば炎を消さずに明かりも消せる。いま、グランは暗闇に耐えかねて幕を取り払ったところだった。

 このたった数日間と言えど、忘れていた訳ではない。ただ激動の闇の世界に呑まれて、うつつを抜かすだけの暇がなかった——


「なんてのは言い訳で、敢えて考えないように押し込めてただけ、なんだろうな。メイアの存在なんて一日たりとも忘れられないってのに」


 今ごろ何をしているだろうか。普段明るく振る舞う妹だからって本当は弱いことを十分知っている。絶対に泣き喚いているに違いない。自分の身よりも心配になる。


「けど、そうも言ってられないのも事実か……」


 六頭大蛇に優れた先輩が散っていった話を聞いたからには、十二分の準備が必要だ。けれど今後この闇の世界を渡り歩くことを考えれば、もう長い間スタートラインの手前でもじもじしている暇はない。


「俺が生きて帰らなきゃ、メイアには会えないんだ。ああ、会いたいな」


 考えれば考えるほど眠れなくなる沼に脚を浸からせ、悶々と真夜中に蠢く。


「よし」


 このままではどうせ寝れないと、部屋を去ることにした。静まり返った遺跡に足跡を立てぬよう廊下をすすんで、庭に出る。風はなかった。ラグラスロの姿も見えない。

 しかし、拠点の門の外。森に向かう影をグランの目は見逃さなかった。


「あれは——」


「シルラプラさん、ですかね」


「だよな……えええ!!??」


 突如耳元に囁かれた声の正体は紅色の少女、ミステルーシャ・アプス。彼女も寝れなかったのだろうか、普段の紅の装いを脱いで部屋着姿であった。

 ルーシャは慌てて人差し指を口元に当てて、


「シーーッ。静かにしないと、みなさん起きてしまいますよ。まあ、忍び寄ってしまったことは謝罪させていただきます。グランさんも寝れないのですか?」


「妹のことを考えてたらつい」


「そうですよね。家族のことが心配でしょうし、逆に妹さんも、グランさんを心から心配しているでしょう」


「ああ……」


 音もなく背後に忍び寄られるとは。

 ルーシャの言葉とはまた別に、グランの中のビックリは継続している。当の彼女はそんな心情などお構いなしだが。


「それにしても、こんな夜中に一人で森の中だなんて、何をするつもりなんでしょうか。グランさん、シルラプラさんの後を追ってみましょう」


「追ってみましょうって、まさか」


「はい、私も行きます」


 グランが続きを言うより前に、であった。


「正直怖いですし、今後も外に出る覚悟ができたとか、そんなことはないです。それでも、あの森にはレパルガの群れがいますでしょう? シルラプラさんが怪我を負った時、私の回復魔法ならすぐに治してあげられますから」


 大蛇の見える湖の前で、何食わぬ顔で解毒草の周囲に結界を巡らせていたルーシャだが、あれで道中はかなり怯えた様子だった。

 そうなのだ。戦うことに免疫なんてないのが当たり前の世の中だった。だからグランは、このルーシャの一握りの勇気を無碍にする訳にはいかない。


「よし、行こう。あいつが何の為に森に入っていくのか分からないから、一応こっそり跡をつけるぞ」


「はいっ」


 夜の森は一見、静謐が一帯に敷かれているように錯覚するかもしれない。だが、魔に侵された者どもが眼光を滾らせ、縄張りを離れて徘徊する紛争地帯であることをゆめゆめ忘れてはならない。静まり返っているのは、格好の餌を我が物にせんと潜伏しているからこそであり、決して安全を保証するものではないのだ。


 さて。

 幸いと見るべきか、驚愕と言うべきか。

 道中、グランたちが魔物に襲われることはなかった。と言うのも、


「そこらに魔物の死体が転がっています。爪で抉られたような痕を抱えたものもありますが、他のいくつかは……」


「詳しいことはわからないけど、この一刀両断された脚。シルラプラの鉈でやられた可能性、あるよな」


「ですね。ここまで無遠慮に、むしろ雑に魔物を倒して進めるとは……レパルガも、もしかしてこの調子で突破してしまうんでしょうか」


 レパルガという魔獣の脅威は、一度戦えば十分に伝わる。殺気すらも隠して、統率された群れとしての連携には驚愕を禁じ得ない。それに加えた防御力の高さ、爪の鋭利さ、バランス感覚は卓越している。

 グランたちも数を束ねて立ち向かわなければ無傷の勝利は難しい。いや、そもそも単独で群れを全滅させられるのだろうか。それをシルラプラひとりでとは、正直言って信じ難い。


「…………まさか、ね」


 放り棄てられた獣たちを尻目に、まだ深く続く森の奥へシルラプラを追う。

 左右を石垣の段差で挟まれた道は、本来なら敵に上を取られる可能性が高く危険だが、荒々しく魔獣を狩る先行者のお陰もあり、ルーシャを死に晒す最悪のシナリオにはならなかった。

 安堵の息も一入(ひとしお)に、されど彼女の恐怖が拭われることはない。左右前方上下、視線が右往左往して常に身構えている様子だ。警戒ではなく怯え。大丈夫だよと、手を差し伸べてやりたいが、裾を掴ませたり手を繋いだり、そこまでできるほどの勇気も親密度も足りていない。だから、グランに出来ることと言えば身を挺して守るだけなのだ。


「——ルーシャ」


「はい」


 ただそれだけのやり取りだった。

 グランが目的の人物を視認して歩みを止める。もうすぐレパルガの索敵範囲に入る。そのど真ん中で、仁王立ちのシルラプラを見て確信した。


「あいつは……独りで戦うつもりだ」


「しかし、あれだけ統率の取れた、あの数ですよ。彼の実力は知りませんけれど、無茶と言わざるを得ません」


「それについては同意だよ。が、ひとまず隠れて様子を見よう。ルーシャ、こっちの石垣登れそうか?」


 魔物の縄張りを避けて木の陰に身を潜めると同時、あの恐ろしい獣たちの唸り声が暗黒の森を騒がせた。ルーシャが息を殺して口を強く塞いで、不意にグランの服を掴む。いつもなら吊り橋効果を期待したドキドキが襲い——正直一瞬襲われかけたが、それを覆す光景に、グランは目を奪われた。釘付けにさせられた。


「————」


 ほぼ背後からの、レパルガの常套手段ではあるが陰湿な襲撃だったはずだ。それを、身を屈めて後ろへ飛んだかと思えば銀線が閃いて、シルラプラの頭上を飛び越える形となった獣の腹がパックリ裂けていた。

 これがマグレでなかったことは瞬きを繰り返す内に明らかになる。あの男は、何度も魔獣の猛攻を避けて斬り込みを浴びせてみせる。


「ルーシャ、どうやら怖いことにはならない。あいつは本当に独りで勝つつもりなんだ。インティグキラールの意思を継いだだけじゃない、奴の戦い方までをもコピーしているんだ」


「すごい、まるで舞踏会のような。しかし、先日の洞窟での顛末を聞いた限りでは、シルラプラさんとグランさんでは実力はそう変わらないと……いえ、実力とは、そういう簡単なものではないのでしたね」


「あの時は狭い室内の力比べでしかなかったから。確かに、俺らがちゃんと戦ったとしても決着がどうなるか分からない。けど、とりわけシルラプラにとっては、ああいう多対一の構図の方が得意ってことなんだ」


 実際、グランは敵意を察知する只人ならぬ能力があったからこそ、シルラプラの鉈を受けずに済んだだけ。風を切る一振りと、攻撃までの動きの少なさは、彼の強みを最適化に導くものだ。

 先ほどルーシャに背後を取られたことと言い、拠点がどれだけ安全を約束されているとしても、敵意が察知できれば、なんて言い訳は通用しない。敵意云々がなくたって察知できる、それをシルラプラが証明している。


「あれを、目指すべきはあれだった。俺の魔法と、恵まれた便利な力。それに託けて、鍛錬した気になっていたけど、何もできちゃいなかった」


 全方位から飛びかかるレパルガの群れをあしらう、あしらう、あしらう。避けて切るだけ。あの、外の世界を忌み嫌う青年にとっては、コンパクトな動作だけで十分事足りた。


「グランさんが今まで積み重ねてきたものも、決して無駄ではないです。あれだけ危険なことに巻き込まれたにもかかわらず、今も無事にいるではないですか。ですから、これからです」


 肩にポンと手を添え、ルーシャは強張るグランに微笑みかける。初めて会った日、アプス家出身だからと悩む必要はないと慰めたグランへのお返しか。

 復讐を人生の目標に掲げている部分を含め、グランはインティグキラールと通じるものがある。そのインティグキラールの技術を模倣したのがシルラプラであるなら、目の前の光景を目に焼き付けなければ大損だ。


「まったく、この世界に飛ばされて、初めての強敵がおっさんでよかった。運命の出会いだろ」


 この場に本人がいたら、顰めっ面をする以前に両斧で胴を両断されていただろうが。


「——華麗に爪や牙を回避してるように見えるけど、完璧って訳じゃないらしい。十回あれば、その内ほんの数回、鉈で攻撃を受け止めて仰け反ってる。全てを捌くのはあいつでも難しい、か」


「私の目が悪いのか、グランさんの目が良すぎるのか……この距離からよくそこまでハッキリ分析できますね」


「そこで頸を掻っ切るのか。片手で振れる刃物だと小回りが効くけど、あのサイズだと大蛇の頭を落とすには心許ないよな。だからと言って大きな武器なんてないし」


「これ、私の声は聞こえてませんね」


「メイアの得意な創造魔法、あれを習っておくべきだったな。まあ『オリヘプタ』と『オリロート』があれば最悪どうにでもなると自惚れていたから、武器を持つなんて発想がそもそも」


「———」


 グランの呟きを聞きながら、目をよーく凝らしてシルラプラの様子に気を配る。細かい描写までは分からないままではあるものの、完全に無傷ではないらしいことは見て取れる。

 徐々に数も減って、レパルガの勢いも弱くなってくると後は簡単、だろうか? 数が多い最初が鬼門なのは勿論のこと、あれだけ群れとして十分な実力を持つ魔獣だ。減らされた分、新しい陣形を取り入れても不思議ではない。


「私の知る生物に、あれだけの戦術を切り替える種がいたでしょうか……広大で理不尽な自然を生き抜く術として、多くの種が、それぞれ固有の何かを持っているものですが」


 こんなに危険な魔獣が拠点の近場にいると思うと、ルーシャはやはり恐怖を抱く。回復や結界術に長けている。それが何だと言うのか。あんな爪と牙を剥き出しにされて、死の隣に並んで、それで平然と向き合える勇気はない。


「「恐ろしい」」


 このまま巨大な蛇に立ち向かえるのか、という恐怖。

 そもそも危険に飛び込める訳がない、という恐怖。

 それぞれの脳内で同時に恐怖が浮かんだ瞬間、シルラプラが遂に最後の一匹を、体の各所に血を滲ませながら仕留めた。


「まじか、一人で全部」


「終わらせてしまいました、か?」


「……そう思いたいところだけど、うっかりしてた」


 シルラプラは鉈に付着した魔獣の血を振り落として、ひと息つこうとしている様子だ。けれど、それでは駄目なのだ。


「まずい、シルラプラが危険かも知れない」


「え?」


 グランは木陰から出て石垣を飛び降りる。こちらにはまだ気付いていない。しゃがんで獣の死体を検めている。


「今までレパルガと遭遇した時、奴らは毎回、最後の一匹をさっきの俺らみたいに木陰に残して戦っていた。つまり」


「シルラプラさんを狙っている一匹狼が、まだ?」


「だろうな」


 危険を悟るグランから数十メートル離れて。

 妖しく、仲間を悉く切り殺した人間を捉える光が二つ。音も、息も、殺気も殺して暗い陰から構える。四本足の最後の一匹が、男の首根っこを的に定めた。


「まだ、いるな?」


 魔獣レパルガが幾ら賢い種であると言っても、人間の言葉までは分かるまい。目の前の人間が何を言ったのか、否——言葉という概念すらないのだろう。


「出てこい、畜生。今の俺は無防備に見えているのだろう?」


 故に、その言葉に釣られて、ではないはずだが。

 レパルガは格好の獲物を仕留めんとして木陰から飛び出した。瞬間、眼力凄まじい殺意の視線が獣を貫いて——


「シルラプラッ!!」


 踏み込んだ足は不幸にも、道の破損し凹んだ部分に吸われてしまい、シルラプラのバランスが崩れる。日々の戦闘の跡が残り、道の各地に凹凸ができているのだ。

 それに足を取られてしまっては、満足にレパルガの不意打ちを凌ぐことも許されない。優位から一転、痛恨の窮地に陥った、はずだった。

 しかし。


「シルラプラさんを狙っている一匹狼が、まだ?」


 数秒前にそんな会話が近くでされていたことなど、当の男は知らないだろうが。この時、グランの脳内ではいま自分がすべきことを高速で処理されていた。


(この距離からシルラプラを助けるには魔法しかない。でも、『オリヘプタ』と『オリロート』じゃ明るいから簡単に避けられちまう。かと言って『オリベルグ』で串刺しにしようにも、遠近感を間違えたらあいつも串刺しになっちまう。それなら)


 この暗黒の世界に失踪者として飛ばされてから、そう言えばあまり活躍の機会がなかった魔法がある。


 『新月(ノイモント)』。


 その名の通り、手のひらで転がせるような漆黒の小さな球体だ。グランを失踪に巻き込んだ暗澹の闇に似てなくもないが、人を攫うような能力はこの魔法にはない。


(暗闇に溶けて、しかも周囲が暗ければ暗いほど威力を大きく跳ね上げるこれなら……レパルガに気付かれずにぶち込める!)


「シルラプラッ!!」


 手の内の黒球を数十メートル先に向かって投じる。

 インティグキラールとの最後の一戦で放ったときは、周囲の鉱石の光で十分な威力を発揮できなかったが、今は違う。跳ね返されることも、威力が不十分なこともない。

 レパルガが飛び出た。シルラプラの足が窪みに取られた。

 そして、その新月が、魔獣の横っ腹をぶち抜いた。


「ふう、危機一髪だったな。大丈夫かよ」


 今更こそこそ尾行する必要もない。尻餅をついたまま睨みつけてくる男に駆け寄る。やはりと言うべきか、悪態が飛んできた。


「コソコソと追って来て助けましたと恩を着せるつもりか? 不覚を取ったのは事実だ。それは認めるが、これで胸を張って親しくなろうなどとは思うなよ」


「はいはい、でしょうね」


「グランさん、言うべき時は言うべきですよ。恩には感謝を、誤りには謝罪をです。シルラプラさんには人間力が足りてません」


「うるさいな。どうしてもと言うなら、腑抜け呼びは謝罪してやろう」


「ぐぬぬ……落ち着くのですミステルーシャ。財閥の娘たるもの、このような些事で心を乱すなど」


「ふん、差し詰め俺がこんな夜に何をしているのか気になって付けてきたのだろうが、もう用は済んだ。レパルガとやらを狩りに来ただけだからな。俺は帰る」


 そう言い捨てるとすぐ、鉈を手に握りしめたまま踵を返す。背後からルーシャが嫌そうに回復魔法だけ振りかけると、塞がった腕の傷をチラリと確認して、なお何も言わずに遠ざかった。


「もう、回復しても感謝の意も示さないとは強情な人です」


「あいつの信頼を得るのはまだ、難しいのかもな」


 ふう〜、とルーシャが大きく息を吐く。

 アプスという家名はこの世界と全く縁がないと言うのに、それでもアプスを背負って生きているらしい。精神衛生的にはどうなんだろうか。


「誰も無理しないでいられたらいいのにな」


「そんなこと言って、グランさんが一番苦難の道を歩んでいるのではないですか?」


「どうだか。それにしては毎日を楽しめていたつもりだよ」


 また魔物が湧いてくるより前に、寂しい夜の森の雑談も切り上げる。

 拠点に戻ってくる頃には眠気ももっと飛んでいた。魔獣の領域を散歩していたともなれば仕方なかろうか。庭でシルラプラが血濡れた鉈を洗っているのを確認しつつ、風もない外の世界と別れを告げて部屋に戻ることになった。


「グランさん」


 廊下で別れを告げる寸前、ルーシャの呼びかけで歩みが止まる。


「聞くかどうか、少し迷っていたのですが」


「遠慮はいらない」


「はい。先ほどシルラプラさんを助ける際に唱えた魔法ですが、あれは新月の魔法ですよね? どこで覚えたのでしょうか」


「えっと確か……星を見るのが好きなおっちゃんが村にいたんだ。『オリヘプタ』が星みたいだから見せろって何度も言うもんで、まあ、その代わりにって『新月(ノイモント)』について教えてもらったんだったかな」


 主力の魔法が本の受け売りの中、これと継続治癒魔法『サルヴ』だけは人に教わった異例だろう。しかし問題はそこではないようで、ルーシャは何かを思案する。


「何と言う偶然か分かりませんが、グランさんはアプス家の起源を知っていますか?」


「いや、申し訳ないけど……」


「まあ起源が何かなんて事はどうでもいいのですがね。夜中も夜中ですし、今日はこれだけ言ってお開きにしましょうか」


 何を言われるか全く予想がつかない。

 アプスの起源と『新月(ノイモント)』に何が関係があるのか? それすらも説明を飛ばしてルーシャは別れ際、ただ一言だけを残すのである。


「大蛇の頸を落とす、グランさんならできるかも知れません」


「それってどういう」


「おやすみなさい。今夜は寝れるといいですね」


——そんなことを言われて寝れるわけがなかった。


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