第一章20 小さな友情は結晶のように
洞窟の下層、壁をくり抜いて造られた部屋の一つ。
まだ記憶に新しい刺激的な経験が、沈黙を貫く各々を密かに奮い立たせていた。
マルネ、メイア、その他洞窟の住民。彼らは『アスタロの禍』以来続く洞窟の慣習を破る形で、とある来訪者に協力した。
約束を守る、と息巻いて飛び出した彼に影響されない者はこの場にいない。とりわけ、シルラプラ・オ・ニこそ影響を受けないはずがなかった。
「あの野郎……俺の一瞬の隙を突いて形勢逆転しやがった」
拳を震わせ、鉈を手に取る。
初撃の不意打ちから見切られていた。刃が届くことは無かった。
「おにちゃん、もうかえれたかな?」
「まだでしょ。ルナちゃんがいたとしても迷路はそうすぐに抜けられないのよ」
「ほっほ。されだぁあの青年は、約束のためなら成し遂げらぁ若もんじゃらな」
沈黙を破ったマルネを引き金に会話が始まる。
来訪者との言い争いの段階で仲間たちに侮辱の声を上げてしまった身として、彼は同じ部屋にいるにも拘らず皆の方を向けていない。
ただでさえ息苦しいのに、延々と脳内を駆け巡る新鮮な映像が、悔しさを何倍にも膨らませている。
「約束、ね」
シルラプラは未だに青年を信用しない。どうせ善人を装って、それっぽいことを嘯いて解毒草を拝借しにきただけの盗人だと信じて疑わない。
排他的な態度を取る者の中でも過激派の彼だが、裏を返せば、それだけ洞窟という暗くて狭い故郷を重要に想っている。罵詈を吐いたことが嫌悪の証であるはずもないのだ。
「——仕方ない」
だが、一枚岩のように身内を重んじる文化だからこそ、侮辱の罪は思い。
シルラプラは部屋に残る老若男女に背を向けたまま、壁をくり抜いた岩を再利用した重そうで重くないドアに向かう。
「おや、どこに向かおうっつんじゃら」
「さっきは頭に血が上ってたから気の利いたことが言えなかったけどさ、ラプラ。あの青年の言う通り、私達は好悪に支配されているんだろうよ。素性の知らない人より、ラプラみたいに好悪の好で接せる相手の方が責めやすいんだ」
話しかけられても、どう返せばいいのか出てこなかった。信用ならない青年がいる時はあれだけ饒舌に罵っていたのに。まとめ役風の女性がやっぱり代表して言葉を紡いでくれる。
「でも、ラプラが私達を想ってくれたることは分かっているよ」
一枚岩に亀裂を入れる発言があったのに。両者を結ぶその亀裂を向こうから塗り固めてくれた。
だけど、シルラプラは振り返ることが出来なかった。代わりに、訛りの酷いおじいちゃんの質問にだけ簡潔に答えることにする。
「偵察に行ってくる」
閉じた扉を見てももうそこに彼はいない。
部屋を出た後だったが、シルラプラの怖い一面を目の当たりにしたはずのマルネでさえ、見送りの一声を贈った。
「いてらーしゃい!」
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結論から先に言うと、これが最後の関門だ。
この表現こそが最も適切で最も明瞭で、何も言うことはあるまい。インティグキラール・オ・ラとの再びと対峙がここに実現した。ただそれだけの事実。
しらみ潰しの迷路攻略を実行するとは正気かとも考えたが、ブリアナの気合いを見てしまっては文句の垂れようもなかった。
パワーで迷路を抜けたその先も、当然ゴールではない。川を遡り、途中に下ろされたハシゴを登り、崖と崖に架けられた橋を渡る。下層から上層への移動の旅は、突き落とされていなかった場合の正規ルートを辿るに等しい。
最後までクァクァルナが追いついてくることもなく、ガウシと何かあったのではと一抹の不安も過ぎるが、とにかく信じて、洞窟の脱出に専念した。
そしてようやく、であった。
「おい、おい、おい。まさか、本当に生きてやがるとは思わなんだ」
「そりゃあ、生きるさ。俺達にもまだ死ねない理由があるんでね」
「それで? 解毒草も手に入ったのか。そりゃ凄い。けどよぉ、闖入者ども。その過程で一体どれだけの住民に武力を行使した?」
インティグキラールは知らない。
彼らはは確かに武力を用いた戦いに巻き込まれ、少なからず洞窟の民を傷つけた。
しかしグランにおいては、もはや皆まで言う必要もないだろう。
「俺たちの間で決着が付いたあと、事の顛末は下層のみんなに聞いてみればいい」
「ハッ! ならソッコーでぶちのめしてやるよ小僧。ケツ槍野郎も女も同じだ。ここを通って帰ることはない」
唯一『アスタロの禍』を大雑把に聞いたグランだからこそ、インティグキラールのすごさが改めて分かる。
とある女性の形見を改良した双斧を始めとした、死角のない佇まいの全てが卓越している。
「なら——」
息を吸い、ゆっくり吐く。心を落ち着けて、臨戦の覚悟を決める。
どうやってこの局面を切り抜けるかは、既に軽く話をしている。勝てるか勝てないか分からないとしたなら、それなりにできることはある、と。
曰く、
「行ッけえええええええええええええ!!!」
「「応ッ!!」」
グランの咆哮を合図に、他二人が左右に分かれて駆け出した。挟み撃ちのような構図だが、そこに『オリヘプタ』の牽制を入れることで左右に手出しをさせない。
「小賢しい作戦だが俺にとって脅威なのは小僧だけだ。ケツ槍野郎も女も、決定打には欠けると思うが」
「言ってろ闖入野郎」
「決定打に欠ける砂粒だとしても、歯車の不良を起こすくらいの力はあるぜって言っといたげるよ!」
「それを含めても瑣末だと言っている」
すなわち、インティグキラールにはブリアナらを各個撃破することすら眼中にない。横から妨害されようものなら適当にあしらえばいい。それだけの存在としか映っていないのだ。
「ならよぉ、これでも無視できるかな?」
ブリアナが挑発的に言う。
ゲミューゼとともに斧の男を挟む位置に辿り着く。そのタイミングでどんな搦め手が披露されるのか。
答えは何もしない、だ。
「おい、闖入者ども……!」
二人は立ち止まらない。言ってしまえば敵前逃亡である。男の横を堂々と通り抜け、ただ洞窟の出口へ向かって全力でひた走る。
男は外からの来訪者が帰ることを許さない。ならば、「決定打に欠ける存在」ごときに意識を集中させなければならない!
「そう来るか。ああ、予想外だよ認めるさ猪口才な!」
「けど、お前の言う『脅威』とやらがお前を動かさせない」
「チッ」
七つの光球。魔法を反射させる斧ですら反射できない『オリヘプタ』がブリアナとゲミューゼに迫る男を阻害する。
戦いに身を置き、こと解毒草を狙う輩を排除することを使命とする修羅だからこそ、「戦わない」選択肢で意表を突いた。
道中、インティグキラールの背景を基に考案したグランの策である。仲間思いのゲミューゼからは反対を受けたが、絶対に負けないの一点張りで強引に認めさせた。
「『オリベルク』」
詠唱から秒すら数えるまでもなく、逃げる仲間を追おうとする修羅の前に、数本の巨大な岩の針が堂々と立ち塞がる。追加で狙うは相手の足下だが、
「やっぱクァクァルナの言う通りか」
地中からの攻撃だとしても、攻撃する人の敵意を含んだそれである以上、地中から向かう敵意も察知される。
よって、『オリベルク』が初見の魔法であろうがなんだろうが、グランと同様に察知能力を備えたインティグキラールも、足下から隆起する岩針を避けるに容易い。
「まだ隠し玉があるかよ、つくづく脅威的だ。この調子だと、無様にも逃亡しやがる闖入者どもにも何か隠されてたりするんだろうな」
「さあな」
「ふん、易々と情報開示しねえってのは当然のことだな。だが覚えてるかよ、俺が『戦い方がなってねえ』って言ったことをよ」
「それが?」
「俺は常にどんな搦め手が来ても対応できるように警戒している。小僧に……いや、あのケツ槍野郎どもも含めて隠してる技があるってことも想定の上で、だ。くどいようだが言っておくぞ。今の闖入者に、俺を越える術はない」
大層な自信家による根拠のない発言ならどれだけよかったことか。
インティグキラールの場合、この自信は宣告だ。絶対にお前を狩るという、根拠を伴った捕食者の目のような。
「いいぜ、やってやる」
「獲物を二匹逃した。この失態を胸に刻み、その反省の証としてまず、俺は小僧という強敵を屠るとしよう」
「なら覚えておけ。俺の名はグラナード・スマクラフティ。お前に、数十年ぶりの敗北の味を思い出させる男だ」
「いいだろう。インティグキラール・オ・ラ。外から来たる悪人を駆逐する、洞窟の護衛役」
両者、人生初の名乗りであった。
何か合図がある訳でもなく、直後死闘が再開される。一対一の構図ともなれば、怒涛とも言える双斧の全てがグランに注がれることになる。
事実、刃を起点として放たれる風魔法『刃突風』の波が迫る、迫る。
「どうしたァ! 魔力切れを心配してるようじゃ俺には届かんぞ!」
「はッ、もう綿密に地面を削る必要がないからって、無闇矢鱈に恐ろしい……!!」
岩針を矢継ぎ早に隆起させて風を凌ぐ壁を築くが、ただでさえ地面を削り骨をも粉砕する威力だ。たったこれだけで安全なはずがない。
しかし、その対抗策を既に知っている。
「何もかも燃やし尽くすぞ。『オリロート』!」
ボウッ! と恐ろしい風の猛撃であろうと飲み込む炎が巻き上がる。岩針を抱くように拡散させ、より範囲を広げて高く厚く、絶対的な防御性能を発揮させた。
「そのイかれた炎で俺ごと燃やし尽くそうとしねえのは何故だろうな? 甘いんじゃねえのか!?」
「人を燃やすなんて道徳に反するだろばーか!」
グランの意思により『オリロート』で人間を燃やさない。ただその事実が隙となり、幸運にもインティグキラールは自ら炎の壁に突撃する。だって、敵さん自ら距離を詰めてくれたんだもの。
そんなことはお構いなしと男は笑い飛ばすが。
「解毒草を奪ってこうと闖入した時点で反してるんだよ小僧!」
「何とでも言え! まだまだ行くぞ『オリベルク』!」
「おうおう、岩壁の次は岩の林か? 遮蔽物に身を潜めようなんざ無駄な話だと思い知らせてやるよ」
「身を潜める? 逆だよ」
乱立した岩針の陰から陰へと移動しながら、明確にインティグキラールへと敵意を向けていく。居場所をあえて明かすことで意識をグランに集中させる。
(クァクァルナには届いた作戦だが、どうかな)
次から次へと隆起した岩を破壊されて舞い上がる砂塵に紛れつつ、男の辺りを一周して。
「なるほど岩陰じゃなく砂埃に隠れるためにわざとらしく走り回っていたのか? だが——」
「だが、なんだよ」
「なんだ、もう一段仕掛けがあるのか。多少は考えて来たんだな」
「だろ?」
自慢げに笑うと、男の真正面から、堂々と砂煙から姿を見せて突っ切る。駆け足で距離を詰める。
「『オリヘプタ』!」
「出たよ、俺の唯一の脅威が」
いかに七つの光球を素早く、ダメージに直結する爆破に巻き込まれない距離で叩き起こすかが重要となる。魔法を反射する斧を無視できる、敵も認める凶撃。
ならば、
「不意を付けさえすれば、脅威は更に脅威に!」
瞬間、『刃突風』で対応するインティグキラールに突き刺さる脅威の指針が敵意の数と方角を確実に捉えた。
男を中心に一周した時に置いて来た、真に砂けむりに隠れていた『オリヘプタ』が、時間差で敵意を孕んで取り囲む。
「全く末恐ろしい小僧だ。ここで排除できて幸運だった」
「まだ俺排除されてねえし、無理して涼しい顔してんなよ」
「そうかもな」
計十四の、しかも内半分が死角より躍り出た光球による無双に手も足も……出るのが常人ならざるインティグキラールである。
「戦い方の基本は変わらない。『刃突風』!」
ズタッッ! という短い轟音であった。
オールバックの深緑髪が大きく乱れるくらいに回転しながら、仰角三十度に跳躍したのである。回転と同時に斧から射出される風が花火のように光球を吹き飛ばす。
「脚から風を……つま先に刃が仕込まれているらしいな」
「随分と目がいいな小僧。それとも、下層で誰かを脅して得た情報か?」
「お願いはしたけど脅した記憶はないね」
「同じことだろ」
相変わらず通じ合わない会話が繰り広げられている。一方は嫌悪の面持ちで、一方は真剣の中に逸楽を含んで。
インティグキラールが着地する。ようやく、あと少しで拳が届く合間まで近づいた(厳密には近づいてくれた、だが)。
「逆に、俺をここまで近づけていいのか? 接近戦で小僧に負ける理由はどこにもない。この何十年、あらゆる場合を想定して対策を講じてきた。人間相手は知っての通りだし、多くの魔物に対してもだ。この数時間で、魔法を反射できない場合の対応も考慮している」
「口数が多いな。簡潔に返すけど、この距離だから魔法も拳も使えるってもんだろ?」
その手の上に浮かぶ七つの光球。男にとって唯一の脅威。考慮済みと言われたところで詠唱をやめる訳がない。
指先一つで魔法の軌道を指示できる、洞窟の闇を拭う魔法が乱雑に男に突貫する。
「ケツ槍野郎と同じで同じ技ばかり。そろそろ飽きたぜ」
「ブーメランって知ってるか。ま、飽きたと言うならこれで終わりにしよう」
「とか言ってるが、もう全て爆散させ終わったんだよ。おい、小僧の目にはまだ魔法の光が見えているのか、おめでたいことだな! それに一つ、気を衒った魔球を放ったのが地面に着弾して——まさか」
その時インティグキラールの瞳に飛び込んだ足下の、的を外れた『オリヘプタ』の着弾点に見える光は。黄色。
——ガガガガガシャア!!
一際、小さな光球なんかよりも大きな衝撃が一帯を震撼させる。この広い洞窟が貧乏ゆすりをしているような、むしろ場所が悪ければ洞窟の一部が崩壊していたかもわからない程に。
グランもその破壊力に度肝抜かれる。
だが、正真正銘の不意をついた。グランの敵意を孕まないから察知されない、最適で最善な攻撃手段である。
「マルネに聞いたんだ。黄色い石は衝撃を受けると爆発するってな。ずっと懐に入れっぱなしだったんで、使わせてもらったよ」
「やはりな」
「は、、、ぇ」
気付かなかった。否、気付けなかった。認知した時には既に、グランの胴を破壊的な何かが穿って数メートル吹き飛ばされた後であった。
即ち、あの男は、完璧な不意をついた快進撃さえも。
「ったく、最後まで詰めの甘い。俺の足に刃が仕込まれていることを誰かから聞き出したならよぉ、俺が殺意を察知できるってことも知ってておかしくねえ。ああ、小僧の作戦も、ただ殺意を察知できるだけの人間なら通じただろうが……」
喜ぶべきか、インティグキラールは確かにダメージを受けていた。無傷ではない。
でも、彼に回復魔法があるという事実も捨て置けない。
「殺意の方向が分かるってのは便利だよなぁ。その方向だけを警戒すれば命の危険はねえだろうよ。だからこそ、小僧みてえな小賢しい罠は怖いのよ。敵意を感じさせない罠ってのは」
でもでも、もっと捨て置けないのは。
忘れてねえよなあ? と男が吠える。
「俺はあらゆる場合を想定してるんだよ。ガウシっつう、同じ石を使う奴が身近にいるなら尚更、俺の弱点を対策してるとは思わねえのか?」
「あ、ぐ……ぁ」
燃えるような痛み。五臓六腑が鷲掴みにされているような不快感が残る。
グランを襲った謎の衝撃からは敵意を感じなかった。なら、この破壊力は一体?
「考える脳までバグってるような表情じゃないか。ふん、これは小僧の作戦だろ。黄色い結晶には殺意が乗らないんだよなあ」
「ま、さ」
「そうだよ! アレは中に溜め込まれた魔力が暴発して大爆発するって仕組みだ。なら俺はそれを跳ね返すことができる。反射させただけであって、殺意の関係ない衝撃波をな」
虚を突こうとしたグランに虚で返す、完璧なまでの皮肉カウンターと言うわけである。
言葉の合間合間にも激しい怨嗟を飲み込んだ空気の流れが、刃を起点とした風がグランを打ち砕く。
「震えているな、小僧。ふん、ようやっと小僧らしく絶望に浸り始めたか。その表情……もう本当に策がないらしいな」
「あおおおあおおお、、あ」
顎の震え、四肢の痙攣は恐怖から来るものではない。痛覚を始めとするあらゆる感覚のバグ、それが引き起こした身体の異常。
十八歳の小僧がここまで策を練って戦ったのだ。褒められてしかるべき快挙ではないか。インティグキラールなら、そう言うかも知れない。
しかし。
「あ? どうした」
クァクァルナとの一連の衝突のときも傷だらけになって、それでも歩いた。絶望は絶望でも、イコール終わりではないはずだ。どころか、そう思うこと自体絶望ではない証なのか。
「『オリ……」
「…………やっぱり小僧、」
「ベル……グ』」
大地三六〇度のみならず壁からも岩の針を、全ての矛先を立ち塞がる男に集中させる。しかし即座に崩される。
表情を陰らせ、皺を増やすインティグキラールが何を考えているのか、おおよそ予想できた。
彼が外からの来訪者を嫌う理由のひとつは、それら全てが異常者であるとして、短絡的な帰納法を用いているからだ。然らば、ボッコボコに叩きのめされた小僧が虫のように再起する姿は異常そのもの。外を嫌う理由を助長してしまう事に他ならない。
「『ノイ、モン、ト』」
ごほごほと咳き込みながら、まだ抗う。
今まで一度も詠唱しなかった、最後の魔法。『オリヘプタ』とは真逆で暗い漆黒のような球体がひとつ。
しかし、それも余裕で弾かれる。
「もう甘い甘い時間は終わりにするぞ。解毒草を詰んだ人間を逃したが、その小僧の仲間への見せしめとして骸を堂々と飾っておいてやる」
「い、いや。俺は知って」
「もういい。聞くだけ無駄だ。直に、その脳天に刃を突き立ててぶち割るッ!」
「知ってるぞ。お前だって最後まで、折れた心と向き合って諦めなかったってことを!!」
自然治癒魔法で僅かに息を吹き返したグランが咆哮する。鉄の味滲む口の中で固唾を飲んで、叫ぶだけで鈍痛の走る臓器を労わることもせず。
残った魔力を練り絞り、岩の隆起で斧をかろうじて受け止めて、吠えて。
「『アスタロの禍』で、お前は仲間の為に立ち上がったはずだ! それと同じだ、俺は! 自分の過去を棚に上げて、人を異常呼ばわりしてんじゃねえぞ!!」
「——ッ! どこまで聞いてやがる。どこまで人様の事情に踏み込んでやがる。クソッタレの小僧ごときが!」
もう自分を護る手段はない。言いたいことも魔法も使い果たした。それでも男は斧を、殺意の集合体を振り上げる。彼を止めることは叶わなかった。
ガコンッ!! と。
何の音かと問われれば、多くの人が硬いものを叩き割る音と答えるであろう。
賽は振られた。
ただし、斧が脳天を裂いたのではない。
「は、?」
素っ頓狂な疑問の声はインティグキラールからだった。
ブリアナやゲミューゼが戻ってきたとかではない。仮にそうだとしても、彼は敵意を感じてすぐに対応を講じているはずだ。
ならば必然。敵意を感じさせず、ただ純粋にグランを助けようと介入できる人間が何らかの策を講じたはず。
ゴリゴリザラザリ……と。
各所を軋ませながらインティグキラールを掴む影が二つあった。しかもその姿かたちがインティグキラールとそっくりと言うサプライズ付きで。
「俺に似せた石人形、クァクァルナか!」
「助けに……来てくれたのか」
『やっほーキラール。そー怒らないで欲しーってのも無理あるかな。でも、今日だけは許してね』
「許してね、だと。自分が善ではないことを自分で表明してるってことだよな。小僧に下ることを悪と自認しておきながら、何故協力する?」
『人柄かなー』
「はんッ、単純明快な愛情表現かよ」
鼻で笑って、手の中で斧をひっくり返す。刃が自身の肘に向かう形だ。そうすれば、腕を抑えられた状態でも石塊に刃が届く。
「うお、石人形を反射させると崩れるんだな……」
熾烈な空気の中、つい感想がそのまま出てしまった。
「あぁ? なに呑気に観察なんかしてんだ小僧。助けがあるからって気ぃ抜いてんなよ」
『いーよいーよ、休んでなー』
「すっかり介護されちまって、いい身分だなぁ! ちょっと寿命が延びてそんなに嬉しいか異常者ッ!」
ガン、ダン、キン、ザン! と矢継ぎ早に供給される銃撃を容易く対処しながら、再び凶器が脳天を捉える。まだ動けるレベルには回復していない。助かる道は他力本願、己が命を含む一切を他人に預ける。
「ルナちゃんルナちゃんルナちゃぁーーーーーん!」
唐突。
凄まじい速度による慣性力で一気にインティグキラールを引き剥がす変態が参入する。
ドップラー効果の実感を得るくらい一瞬でグランを追い抜かしたものだから、それが痩せ細った炭鉱夫であると気付くのに遅れた。一体全体どうしてか、女好きのガウシが男のグランを救ったらしい。
「ガウシ、お前まで邪魔するっていうのか」
「事実としてはそうですけねぇ。僕はルナちゃんの為に動いてるだけでぇ、敵対の意思もないしあの男を助ける意思もないですよぉ」
「あー、それには納得だ」
『ふは、笑える』
槍に貫かれた傷もトゲトゲ棍棒突き刺し傷も綺麗さっぱり回復し、全快した炭鉱夫の速攻が止まらない。大好きな狙撃手っ娘への気持ちが物理的にもパワー全開となって現れる。
信用ならないラブを向けられた少女の狙撃もまた、止まらない。
ともすれば、相手方も同じく喰らいつくのは必然か。
「ははッ! 久々の大忙しだ! 負けやしないが、この手数を押し返すのは骨が折れる!」
とか何とか言いながら、インティグキラールは視線を逸らして、
「それで、なんだ。シルラプラ、お前まで駆けつけたってのか」
「なんですってぇ!?」
『え、うそーー?』
シルラプラ・オ・ニは岩に腰掛けながら戦況を眺めていた。驚きの声をあげるガウシとクァクァルナは元気あり余る双斧を食い止めるのに精一杯で、その姿を確認できていないが。
しかし、鉈を腰に提げた青年はその場を動く素振りを見せず、ただ首を横に振る。
「俺は結果を見届けに来ただけだ。そこで這いつくばってる野郎とキラール、どちらが勝るのかをな」
「お前……」
「それも結構だシルラプラ。それにしても、ここに戦闘要員が集結するなんざ滅多いないことだぞ小僧。それ程までに注目されて、さぞ嬉しいだろう!」
黄色い鉱石を駆使して、ブリアナとの攻防の中でも見せなかった速度でツルハシを荒ぶらせていたガウシだったが、ガス欠みたいに勢いが落ちてきた。それを機と見たインティグキラールがぐっと一歩踏み込む。
『そうはいかなーい』
「ほう、成長したじゃないか」
踏み込んだ地点に、膝下まで浸かるくらいの水塊が設置される。水に足を取られればその場を動けなくなり、一気に動きの幅が悪くなる。
ようやっと少しだけ、インティグキラールの口元が歪む。
『ガウシ、あとちょっとだよ』
「なんと! ほ、ほいほいほいほいほいほいほいほいほいほあほあほあああああああああああああイッ!!!!」
「調子のいいことだ。人柄であの小僧を選んだと言うが、人の本性などたった数時間で分かるわけがない。クァクァルナ、小僧に見せられているその人柄とやらが本物だと誰が言い切れる!」
『その話はもういーよ。もー、キラールが嫌うあの人が既に答えを出してるらしーから』
「答え、だと?」
ギラリと、憎悪を含んだ敵愾心がグランにふりかかる。こんな小僧にどんな答えが出せると言うのかと、無言の言葉があった。
そして、当のグランと言えば。
「すまんクァクァルナ……答えって、どれだ?」
『えええええーーーー!』
馬鹿丸出しであった。
「かはッ、まじかよ小僧! 説得力もクソもねえ。たはッ、がははははは!」
「だって、自分の人柄に自分で答えを出すなんてした覚えないぞ!」
『ちがーうよー。いーわるいの問題じゃない、でしょ?』
ああ、そうか。人柄がどうとか、この洞窟に蔓延している問題はそこにないのだ、と。下層の、壁をくり抜いて造られた部屋の中で偉ぶって話したじゃないか。
外は悪、内は善。したがって悪は排他し、中は受け入れる。これまでの洞窟の民の反応を見ていれば、およそ正しいと思われる帰納的推論。インティグキラールもその理念に従っているのか。言動だけを見ればそうらしい。
でも、本当に?
アスタロ含む外界が全て悪に染まりきっていないことは知っているはずじゃないか。一度の裏切りは確かに、全ての信用を失う結果を招いた。
「それでも、簡単に消えるはずがないんだ」
信じられなくなったとしても、アスタロと過ごした短い、しかし濃密な時間を無に帰すことができたか。まだ若かった彼が、修羅に染まる前の普通の人間が、思い出自体を悪と決めつけることができたか。
「そうだな。やっぱり、結論はこうだ」
ようやく、グランはひとつの解答に至る。
見れば、インティグキラールは石塊に四肢をがっちり掴まれ、ガウシにまとわりつかれ、荊の氷柱に囲まれて、なんかもうカオスだった。多分、彼らも最後のもうひと踏ん張り状態でなんとか繋いでいる。
「ありがとう、ふたりとも」
ならば、もう終わらせよう。
そうグランが強い決定を自分の内に下した瞬間、インティグキラールは一途に向けられた敵意——彼からすれば区別なく全て殺意に等しい——を察知した。
「今更、小僧に何ができる。這いつくばって他力本願に賭けるしかできない無能の闖入者風情が、想いの力なんかで立ち上がれるとでも」
「想いの力じゃ無理だな。けど」
インティグキラールは歯噛みする。彼ほどの男がなぜ苦境に立たされるというのか分からないがら確かに歯噛みした。
「小さな友情ってのが、俺に機会をくれたらしい」
「それがなんだ。魔素の枯渇した、武器も持たないひ弱な野郎にできることなんて無いだろう」
「無いのかもな」
あっさり認めて、グランは。
「さっきの答えとやらだけどさ。インティグキラール、お前も結局は内外でも善悪でもなく、好悪なんだろ?」
言ってやる。
修羅として数十年を生きてきた彼は、本当に常に「外」を理由に嫌っていたのか。それに否とメスを入れる。
あの甘美な思い出に浸るくらいなら嫌ってやると、そう自己暗示にかけているだけだと。根本にあるのは「好き」か「嫌い」だけで、別に来訪者を好ましく思うことだってできると気付かせてやる。
そうまでしても言葉が通じないなら。
まだ認めたくないと言うなら。
「——忠告だ。俺は怒ると怖いぞ」
詰め寄る、詰め寄る、詰め寄る!
一歩一歩進むたびに振動が伝わるかのような気迫で、臓器が締め付けられるような感覚など忘れて、立ち上がって距離を詰める。
「そうか『回復弾』のおかげだな!」
『気付いたところでもー遅いよ。ガウシ』
「人使いが荒いですねぇ。でもぉ、それでいいッ!」
疲れ果てて鈍足になった炭鉱夫が、グランを仕留めようとするインティグキラールに最後の足止めを施す。次の瞬間にはバテてしゃがんでしまう。
たった刹那の妨害だったけど、あると無しでは大きな差だった。故に、
「「るァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」」
凶刃と拳が交差する————!!




