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『勇者などいない世界にて』  作者: 一二三
第一章 二つの世界
21/25

第一章幕間 『アスタロの禍』②


 こうして時は過ぎ、半年。

 最初は他集落との交流時に一緒する御者や護衛、そして洞窟周辺の見張りを任された者くらいにしか認知されていなかったが、月に何度か顔を見せるアスタロは既に、洞窟の民の間に知れ渡る人物になっていた。


 この時、外を嫌い奥に奥にと身を潜める必要のなかった彼らの住処は洞窟の上層にしかなく、下層には人の手がほぼ加えられていない状態であった。上層部は多くが崖に面しているため、外から集めた木材と中で掘った石材とを組み合わせて様々な橋が架けられている。

 すると突然、アスタロが人々のど真ん中でこう発言した。


「皆さん、洞窟の奥地を探検してみませんか? その必要はないと思っていることでしょうが、他集落との交流には多くの物資を要する。下層により高い価値を持つ鉱石などが眠っているとすれば、応じて交流に係る運搬量が少なくなって楽になるかも分かりませんよ」


 要するに安価な石材やらを多く運ぶか、高価な石材やらを少なく運ぶか、どっちが軽くて楽だろうかという話だ。

 彼らが現状で交流の際に馬車に詰めている物資も決して安価なものではない。魔素(マナ)を豊富に蓄えた結晶などを削ったりしているのだから、貴重な素材であることは疑いの余地もない。

 アスタロの話を聞く人々がざわざわと相談し始める。


「もし、下層にも同じような石ころしか眠ってなかったとしたら無駄足になるとお考えの方がいらしたら、こう考えてみては? 洞窟の奥地は安全か。これから先、もし必要になったとき、いざ奥地へ行かなければならなくなったとき、安全かどうかも分からぬまま行けますか?」


 今となっては、アスタロが何を考えてそう言ったのかは分からない。しかし、この時から、もしかしたら(わざわい)の胎動は始まっていたのかも知れない。

 結果として過半数の人がアスタロの主張に賛同をした。それからシャナイヴを筆頭に、彼女が半年間育ててきた護衛候補の者らを軸とした探検隊が組まれることとなる。

 

「言い出しっぺですから、当然ですが私も探検隊に加わらせてもらいます」


「で、俺は今回お留守番なんですね」


 シャナイヴにアスタロという二人だけでもう頼りになりすぎる戦力だが、そこに加われず不服そうに腕を組むのがインティグキラールであった。


「仕方ないでしょ。あなたには洞窟入り口の見張りって役目があるじゃない」


「そりゃあ……探検隊に見張りの彼がいるなら、代わりは俺が務めるしかないって話ですけど」


「なら文句言うな」


「はは、この半年間で最も成長したのがインティグキラールその人じゃないですか。[ɪnʌf(十分に)]任せられる人ということです」


 随分と適当に言いくるめられた気もするが、シャナイヴの威圧にはやはり勝てっこないのですぐに折れる。探検隊という響きに胸が躍る気分だっただけ落ち込みも相当であったが。


「行ってらっしゃい」


 そう見送ってから数日に分ける形で奥地の探索は行われた。

 毎日届く報告を聞くと、暗くて足下の悪いながら魔物はおらず、更に進むと広くて綺麗な空間が待ち受けていたらしい。鉱分と魔素(マナ)を蓄えた光る花々など、これまた心を惹かれる内容が多かった。


 そして最終日。

 探索から帰還した隊の者達は様々な素材を持ち帰ってきた。報告にもあった花は勿論のこと、地層の変化を思わせる上層とは異なる色の石など、多くの人の興味がその成果に向いていた。

 中でも、アスタロが嬉々として取り出したのが、


「なんですか、これ。紫色の……草?」


「これは解毒草です。[pəhæps(もしかして)]、他の綺麗な花とかと比べてショボいな〜なんて思いましたね?」


「イ、イヤソンナコト」


「…………図星だな」


 背後から忍び寄るようなシャナイヴの声に肝を冷やしつつ、アスタロに話の続きを促す。


「見た目の綺麗さで言えば花畑の勝利でしょうが、解毒草は読んで字の如く、毒素を分解できる貴重なものです。これがどれだけ重要か分かりますか?」


「いや……毒と言われましても、俺はその毒という現象に遭遇したことがないので。おそらく他のみんなも同じく」


「ですか。私は知っての通り、魔物の生態を調べていましてね。ですから、あまりり危険な毒を扱う魔物も知っている」


「はあ」


 いま自身を俯瞰したら「でも自分たちの行動範囲内にそんな魔物はいないから」という心の内が満面に出ている事だろう。自覚はあった。

 そして隣の女性をチラ見すればやっぱり、恐ろしく見下す瞳が顔面に二つ存在していた。


「いかなる魔物もいつ縄張りを離れることがあるか分からない、そうでしょう」


「そりゃあごもっとも、です」


「シャナイヴさんのおっしゃる通り、バムゥドを代表とした生態系を崩す存在も存在しますので楽観はできない」


 そして、と一拍置いてアスタロは続ける。


「私が知る毒を扱う魔物は一種のみですが、一種いるならば、()()()()()()より複数の毒の使い手がいると予想できるってことです」


 このような形で、月に数度のアスタロ訪問時には、少しずつ魔物についての座学のようなものが行われることが多かった。幾つかある交流ルートと魔物の生息地を照らし合わせ、遭遇率の多いものから対策を講じる。無知の状態から学び始めた甲斐あって、実際の戦闘ではより戦闘が楽になったとインティグキラールは肌で感じていた。


 人には人のやり方がある、というのは戦闘に於いても同じだ。それ故に、敵に合わせた戦法を執ることが今までの自分のそれと乖離するとき、とりわけ慣れるのが困難であったりする。

 しかし、冷酷な荒波とまで評されるシャナイヴがアスタロの助言を素直に受け入れ、更にその戦闘スタイルを極めているところを見て、周囲の訓練を受ける者たちも遅れを取らぬようにと活気に満ち満ちているようだ。

 暗黒に包まれた世界の、更に暗がりに潜む集落の人々はこの時確かに、周囲のどこの村や一団と比べても遜色ない程に輝いていた。


 この煌めく波に乗っている間の時の進みは早いもので、アスタロとの邂逅から一年が経つのも長くは感じなかった。

 彼にも彼の生活がある以上、毎日のように会っているわけではない。だからこそ、目線はより高くなり、体格は変わらないまでも筋肉質感を帯び、洗練されていく彼の姿を見逃す者はいなかった。

 当初の、ただの象牙色した特徴のない青年とは違う。たまにふらっと遊びにきて魔物のことを教えてくれるだけでなく、彼自身も相当な力を武器として蓄えていたのだ。


「一年前の姿なんて見る影もない」


「はは、それは言い過ぎです。ですが、シャナイヴさんとならいい勝負ができそうな」


「あの人もあの人で馬鹿にならないほど成長してますよ? いや寧ろ馬鹿です」


「風に乗って[ɹuːmɚ(ウワサ)]は聞きましたよ。なんでも荒波から怒涛に進化したらしいじゃないですか。近場に海なんて無いのに、よくここの人たちは秀逸な表現を思いつく」


「…………あのな、聞こえているぞ」

 

 いつも通りの会話、いつも通りの流れ。

 インティグキラール・オ・ラ、シャナイヴ・ナ・フール、そしてアスタロ。いつも通りの面子。

 しかし最後に挙げた一人、その彼だけは、今日この日を最後に現れることはなかった。

 突然のことだった。

 数ヶ月待っても来ないという異常。彼の身に、あるいは彼の親睦のあった別の誰かの身に何かがあったと判断するに十分な期間だった。


「確か、アスタロは最後こう言っていたよな」


 いつもと何も変わらない民族交流への道中、御者の一言で護衛たちはあの最後の日を振り返る。


『私は、近いうちに新しい魔物の調査をしようと思っていまして』


 そして、どことなく寂しげに語っていた。


『[pəhæps(もしかしたら)]ひと月の間は来れない可能性が高いです。けれど無事終われば、そう遠くない内にまた来るでしょう』


 ただの別れの挨拶だと思っていたその言葉は、思い返せば思い返す程に不穏を見出せてしまう。()()()()()()()なんて、無事以外の未来を予想していたような言い回しじゃないか、と。

 思考が逸る。思慮が浅くなっていく。

 いま自分たちは何をするのが正解なのだろうか?


「俺たちは、予想以上にアスタロのことを知らない」


「——ああ」


「黒い龍に護られた生活をしてるって話をしてくれましたけど、実際の拠点がどっちの方角なのかも分からない。無力にも、ただ待つしかできないんですよね」


「[ʌnfɔtjʊnət(残念ながら)li]と、彼は言うのでしょうね」


 シャナイヴ相手にも物怖じせずに振る舞うアスタロを最も気にかけていたのが、そのシャナイヴだった。その証拠に、彼女は透き通る水色の髪を掻き分けながら不思議な発音を真似する。

 インティグキラールは知っている。普段から装いも戦闘色で笑顔なんて見せない彼女でも、美貌を台無しにしていると評される彼女だろうと、関わりのある者を見捨てるような一貫した冷徹人間ではないことを。

 一層、彼女の凛とした面持ちを強張らせ、拳を握る。


————ひとつ、訂正すべきことがある。


 彼らの記憶に残る象牙色の青年は、ある日を境に(つい)ぞ現れることはなかった。

 しかし、これをいま改めなければならない。

 正しくは。

 何を隠そう、真実は。


「魔物だあああああああああああああああ!!!」


 数日後、洞窟入り口付近にて。

 奇しくも『それ』は、出会いの日と同じような叫び声から始まった。

 どうしてなのか、理由は全く分からないが、複数種類の魔物の軍勢が洞窟へと襲来したのである。現場は騒然とし、急ぎ一般人の避難誘導と防衛戦が展開される。


「理由なんて考える暇があったらまず動け! 逃げるか戦うか、二つに一つだ!」


 シャナイヴが号すると同時、この一年弱で育てられた護衛見習い達が反撃を始める。幸い、視認した限りの魔物は全てアスタロの講義のお陰で把握済み。

 陣形さえ崩されなければ、インティグキラールと怒涛のシャナイヴも加勢してなんとか防衛は凌げるだろう。

 みんな、成長していた。

 アスタロの乱入がなくても生きていけるくらいに。


「おや、おや、おや」


 誰もが必死に生きるため足掻いていると言うのに、そんな呑気な声で囁いたのは誰だったか。

 剣戟が響き、魔法が迸り、雑音乱れる戦況下。

 一体どうして、穏やかすぎるその声が耳に届くのだろう。


「お前…………」


 訂正すべき真実とは、このことであった。


「魔物の軍勢、巻き返す皆さん、とても[mɑːvləs(素晴らしい)]です」


 アスタロは戻り来た。

 誰もが待っていた。洞窟の民でなくとも、彼の影響力を思えば不思議なことではない。だからこれも喜ばしいこと他ならないはずだった。

 戦線に立つ護衛たちが彼の登場に感動を覚えながら魔物への対応で追われていた中、シャナイヴとインティグキラールだけは久々の姿に釘付けになる余裕があった。


「お前…………!!」


 先に注釈しておくが、見た目に変化はない。大怪我負ったわけでも著しい成長があったわけでもない。

 二人が目を見開いて愕然とした理由は別にある。


「どうしましたか、お二人とも?」


「それは魔物を研究しすぎた結果の産物、ですか? 一体どうして、アスタロ、堂々と魔物の群れの中で歩いていて襲われていないんですか!」


 待ち望んだ彼の来訪はこんなものじゃなかった。

 悪辣に富んだ蠱惑の笑みを浮かべる人間ではなかった。


「は」


 声が出ない。幾多の感情と言葉が混沌とせめぎ合って喉元に居座っている。粘質な食べ物を詰まらせたみたいな不快感が襲う。


「どうして」


「皆さんお強くなられた。それを知っているからこそ、私は今こうして剪定にやって来ました」


 アスタロが魔物でなく洞窟を狙って訪れたと明言する宣戦布告。かつてと同様に魔物の危機から救ってくれる存在ではないことが、彼の口から変えようのない事実として表れた瞬間だった。


「どうして」


「枝を回収すれば植物の風通しを向上させて形も整えられる。それが剪定というものですよ」


「そうではなく、どうして」


「インティグキラール、横着するな! 敵は目の前、討ち取る!」


 両手に構える斧を閃かせ、シャナイヴが真っ先に躍り出る。その勇気、果断に至る数秒までに強く歯噛みし、流した髪もまた乱れていた。

 いつになく冷静で、いつになく冷酷を保とうとしている。


「怒涛、シャナイヴさん。流石の対応力です。このメンバーの中で最も注意しなければなりませんからね。相手を私自身がするのは骨が折れる」


 だから、と言葉を結んでアスタロは構えることすらしなかった。


 ガコンッ! と、黒っぽい影が斧刃を防ぐ盾となる。


 倒しても倒しても外から押し寄せる魔物の軍勢、その一派が波のように、まるでシャナイヴが荒波と呼ばれたことに対抗する形で押し寄せる。

 あくまでも相手をするのはアスタロではない。言葉の意味が如実に表れていた。


「さて、他の護衛見習いも魔物たちに任せるとして。残す懸念といえば……[ʌnfɔtjʊnət(残念でしたね), ju(あなた)]」


「直々に、戦うんですか。この俺と、稽古だとか訓練だとかの一環ではなく、実戦を」


「そうです」


 即答された。

 シャナイヴの言う通り横着していては駄目だと分かっていたが、分かってはいるが、腹を括る英断がまだ出来かねる。


「そう悲しそうな顔をしないでくださいよ。剪定は別れではないのですから。ただ、[ɨnɛvɨtəbl(定められた)]宿命だったに過ぎない。また仲良くできると嬉しい、この気持ちは本当ですよ」


「宿命とか仲良くとか……そんなの」


 頭を抱えて、髪を握りしめて、インティグキラールは憤る。


「越えちゃあならない境界を越えた時点で、粉々にすり潰された関係値は不可逆だろうが……アスタロォォォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 宿命なんて言葉で正当化されてたまるか。

 どれだけ望んでいることでも、ここから修復なんてできるものか。


「『ウィンガル』ッ!」


 絶縁の一手を放ち、後に『アスタロの(わざわい)』と呼ばれる洞窟最大の激闘が幕を開けた。

 この拳と拳の交わし合いの詳細までを語ることはしないが、インティグキラールがこれまでしてきた訓練の過程を見届けていたアスタロの方が優位にあったことは言うまでもない。ただでさえ魔物の行動を精密に調べ尽くしているのだから、人間相手にも適用されると考えるのが妥当だ。


「憤怒に駆られて単調になっていますね? 余計に分かりやすい、避けやすいです」


「『ウィンガル』!」


「拳が駄目と見るにすぐ魔法を詠唱する辺り、まだ戦い方がなってないようで」


 不利なんて重々承知だ。それでも、一撃でもくれてやらなければ血液が煮え滾って蒸発しそうだった。

 それからしばらく、魔物の対処に精一杯のシャナイヴらと翻弄され続けるインティグキラールの構図は変わることなく時が流れる。

 膠着状態とは都合の良い言葉かも知れない。なぜなら相手は余力を十分に残しているから。膠着で済んでいる、済まされているだけなのだから。


「そろそろ、頃合いですかね」


「何が」


「剪定だ剪定だと言いましたけど、私の目的はもう一つ、解毒草の採取にありましてね。万が一にも魔物の毒を患った場合、アレは相当役に立ちます。解毒魔法が無くたって十分過ぎるほどに」


「アスタロ……解毒草の重要性はあなたが語ったことだ。それを、他部族との交流みたいな物々交換ですらなく、一方的に奪う、のか? まだ、解毒草を洞窟の外に持ち出したこともないのに。させない。それにまだ決着は着」


「なら、話を早めましょうか」


 あっさりと。

 目の前の「敵」が指を鳴らした次の瞬間には、もう自分がざらついた石の地面に顔面を擦り付けていたのだと気付けなかった。何かの魔法を使った、理解できたことはそれのみだ。


「な、に」


「これにて決着でございます。ああそれと、向こうで頑張っている皆さまにも休憩していただかないと」


「だ、めだ……くッ」


 這いつくばった状態ではアスタロがやけに遠く感じた。腕を伸ばし、足でもつま先でもいいから掴んで阻害しなければ。けど空気を掴むだけで何も成果は得られない。

 したがって、結末は。


「シャナイヴ、さ、ん! うしろおおおおおおおお!」


 今までどこに潜んでいたのか、全く悟らせなかった黒い猿型の魔物が忍び寄る。尾には見るも鋭利な凶刃が。

 全方位を囲まれて後手に迫られる彼女からして、その不意の一撃は避けられようもない。


「あ————」


 しかし、なぜだろう。

 背をザッパリと斬られたはずなのに赤々としたものが噴き出ることもなく、シャナイヴはそのままカウンターの斧で以って黒い猿の胴を両断していた。


「わからないが、これならまだ希望は」


「——いや、これは……毒か」


 シャナイヴの分析は正しかった。

 これを聞いてインティグキラールも思い出す。初めて解毒草の話題が出てから、アスタロが唯一知るという毒を使う魔物の話を聞いていた。

 曰く、そいつの毒は血液を凝固させ、血管という血管を塞ぎながらやがて全身を蝕んでいく。つまり出血しないため大した怪我ではないと勘違いしがちである、と。


「まだ少しくらいなら動けるでしょう。しかし動けば動くほど、血の回りが早くなればなるほど、毒の侵食も早くなるのです。すなわち、これにて[aɪ, ətʃiːv(終了です)]」


「ならば……この数瞬を、洞窟の敵の撃滅に注ぎ込む!」


「やはり[mɑːvləs(素晴らしい)]! 荒波は最後まで止まることを知らないようです。しかし、だからこそ」


 パチン、指が鳴る。

 誰もが恐れたシャナイヴ・ナ・フールに唯一、怖がる素振りを微塵も見せなかったアスタロは今日も。


「波は風の影響に左右される」


 特大の風という一撃を見舞いして、あと少しで頸に喰らいつくはずだった彼女を徹底的に吹き飛ばした。双の斧が両手からすり抜け、回転しながら放物線を描いて落ちる。インティグキラールの目と鼻の先、あと少しズレていたら脳天を割っていただろう場所に。


「俺を、一瞬で叩きのめしたのは、風だった……」


「同じ風の使い手であることを隠していた訳ではないんです。ただ魔法を使う機会が無かっただけのこと。いや、こればかりは申し訳ない」


 謝罪することがそれだけ、なんてことにはもう執着しない。

 目を奥に向ければ、突風に飛ばされて頭から地に落ちたであろうシャナイヴがいる。麗しい顔は真っ赤に穢れ、片腕が変な方向に曲がっていた。あの強者が、だ。

 それでも片目を全開にして「敵」を睥睨するのは最大限の戦士としての矜持からか。


「イン、ティグ……キラール」


 視線を「敵」から外すこともなく呼びかける声があった。


「あなたは、戦えるから護衛をしてると、言った」


「ほう? 随分と分かりやすい理由なんですね。今まで聞いたことなかった」


 口を挟む象牙色の男を無視してシャナイヴは続ける。


「なら、戦え。凡骨を脱却して、戦え。皆から恐れられた荒波はこの体たらく、だ。護衛は失敗、した。だから、戦え。あなたが、洞窟を……護れ。生き残って、怒涛を更に超えろ……インティグ、キラール!」


「は……無茶苦茶な要求ですよ、それは」


 この状況。

 大敗を喫したこの状況から、挽回の兆しがあるとでも言うのか。


(シャナイヴさんがいれば死ぬことはないって思ってた)


 けれど、それが間違いだと証明されてしまった。

 そんな彼女より弱いインティグキラールに、何が出来ると言うのか? わからないと、心の内で呟いた。


「聞こえているぞ。あなたの心の、叫びが。答えは『やれ』だ。窮地に立たされた者がやるべきは、足掻く、それのみだ」


「けれど、彼はもう心折れてしまってる。これまでの特訓の成果を完膚なきまで潰されて、当然の心象かと思いますが」


「そうか、それもそうか。これは強い者の、一方的な願いだったか」


 最後まで睨みを効かせていた彼女の視線が、脱力したように下がる。額を、頬を伝う血液が次第に少なくなっているのは気のせいか。もし気のせいでないとしたら、毒が全身に回り始めたことを意味するが。


「もう、いいでしょう。話が長引きました。彼女もとうに力尽きている」


 アスタロが振り返ると、呼応するように魔物たちがシャナイヴを囲い始める。


「何をするつもりだ」


「何度も言っていますが、剪定です。切った枝はこちらで持ち帰っておきますので」


 最後まで戦い抜いた彼女が、連れて行かれる。全身を打ち砕かれて毒にも侵された、見るも無惨な姿の彼女を、持ち帰ってこれ以上何をするつもりなのか。


「シャナイヴさんは名誉の人だ」


 インティグキラールだから知っている。

 長い間、護衛として一緒に戦ってきたからこそ。


「シャナイヴさんが護衛をしていた理由はわからず仕舞いだけど、これまでの行動が、洞窟を大切に思っていることを物語っていたんだ」


 そんな人が朽ちていく地が、この洞窟以外であっていいはずがないから。


「驚きを隠せませんね。まさか、折れた心を治して立ち上がるとは」


 足下に突き刺さる双の斧を引っこ抜いて、感触を確かめる。悪くはない。

 アスタロなんかどうでもいいから、今すぐシャナイヴを引きずろうとしている魔物どもを駆逐しなければ。ただ、それだけが全身を支配していた。

 そうはさせまいと別で待機していた魔物が一斉に向かって来たがこれを両断——とは流石に行かず、一匹を凌ぐと他の軍勢にあっという間に囲まれる。斧を振って改めて分かるシャナイヴの凄さ。それが一層の力をくれる。


「まさか、まさか」


 執念の突撃が次から次へと魔物を滅ぼし、邪悪な壁をぶっ壊していく。

 そして最後の壁としてアスタロが前に立つ。

 手加減を捨てた相手はまた指を鳴らす。戦況を一撃で打破できる風魔法が飛んでくる。


「『ウィンガトン』」


 今までの『ウィンガ』や『ウィンガル』とはまた違う詠唱が、死中に活を求めるいま、炸裂する。比例して多くの魔素(マナ)を持っていかれるが、効果はあった。

 

「本当に、まさかだ」


 アスタロの風を覆い尽くすことこそ出来ないものの、その大きな空気の流れに穴を開けて道を開くくらいはできた。


「行け」


 洞窟入り口で絶望感に溺れていた見習いの誰かが。


「行け!」「行け!」「行け!」「行け!」


「言われなくても」


 手中の刃が閃いて皆の目線を離さない。

 空気を引き裂いて食い破って押し除ける。

 振るわれた斧は、軽く後ろに避けたアスタロの一寸手前で宙を薙ぎ、


「ぐぶぅあッ————」


 しかし遅れて、アスタロの胴を透明の何かが打った。


「『刃突風(ウィンガトン)』」


 最大威力の魔法を刃に乗せることで、広範囲に拡散するはずの風を局所的に発生させて最大超火力とさせる咄嗟の破壊。

 斧という目に見える武器を使うことで相手の意識を操作する。刃の射程範囲から抜ければ安全だと思わせた、インティグキラールの勝利であった。

 最大の壁を突破したからと言って、それがゴールではない。


「ギィッ!?」


 敵愾心を極限まで塗り固めたお面を被り、シャナイヴを運ぶ不浄の魔物に迫る迫る。追儺(ついな)ではない。今度は鬼が追う番だ。

 奪還した彼女の身柄を抱え、距離を取る。

 予想外の一撃を受けた「敵」は蹲っていた。


「これで、もう動けないでしょう。斯く言う俺も、限界ですが……」


「ヒュウ……ヒュウ。恐ろ[θ]ぃ事態になンま、[θt]ね。ヒュウ……剪定は失敗。こらぁ、撤退が[bɛst(最善)]だぁ」


「いいや逃すか…………うッ!」


 片や肋骨に臓器をやられて呼吸も変に、片や膝が震えて力が入らない。

 両者限界であった。

 唯一自由に動き回れる気力を残したはずの魔物の軍勢も、何かの力が働いているからか動かない。寧ろ、象牙色の髪を引きずって退散の素振りを見せていた。


「もう俺は、アスタロ、お前を一生赦さないッ! 次、また俺の前に姿を見せようものなら、今度こそ地獄の底の底の底まで埋めてやるッ! 異郷の助けなど借りずとも、最後の最後まで生きて足掻くッ! 最後の瞬間まで、俺はこの怒りを忘れないッ!」


 怒りの咆哮がどこまでも。

 突発的に始まった魔物との攻防戦は、喉が外れるくらいの号声と共に幕を下ろした。ことの顛末は避難していたすべての民にも共有され、忘れてはならない歴史として、以後『アスタロの禍』として語られることとなる。


 また、彼らがアスタロについて知っていることは少ない。

 黒い龍の庇護の下で暮らしていること。積極的に洞窟の内情に関与していたこと。魔物についてやけに詳しいこと。

 その全てが怪しく、全てが訝しむに十分な特徴であることから、そう時を置かずして洞窟の集落全体で一つの結論が纏まる。


『黒き龍とは魔物の一種であり、憎きアスタロもまた魔物に従う異端者である。また、解毒草のことを知る者は総じてアスタロと繋がっていると考えるべし』


 それから。

 多くの者は此度の事件に精神を折られ、また他集落との交流も一方的にシャッターを下ろすことになったことから護衛見習いも解散となる。ただ意志の強い、一部の人だけがインティグキラールに師事する形で稽古を続けた。


 当のインティグキラールは、端的に言えば修羅のような人間に様変わりした。本人は弟子に取ったつもりもないので勝手に付いて稽古する者らを置いて外に出れば、一人わざと魔物に囲まれた状況で自らを奮い立たせているらしい。


——その両手にはシャナイヴの遺した斧。


 アスタロの魔法に対抗し、洞窟で採れる魔法反射作用のある鉱石でコーティングしている。また、魔素(マナ)効率と威力のバランスを鑑み、得意の風魔法は『ウィンガ』で固定。かつ、()()()()()()()()()()という縛りを設けた。更に、斧からの『刃突風(ウィンガ)』だけでは単調で対策されるからと、靴のつま先に小さな刃を取り付けることで隠し玉とする抜け目の無さも表れている。


「できることは、全て対策してやる」


 この一言がまさにインティグキラール・オ・ラの覚悟であり、この先四十年かけて殺意を感じ取ったり回復魔法も習得したりと完璧超人まっしぐらなのだからとんでもない。


 長くなったが、以上が『アスタロの禍』の全てである。

 現在、つまり事件から四十年後の今、この一連の流れを知る者も年老いて少なくなってきたが、それでもなお洞窟に排他の慣習が残るのはインティグキラールを始めとする被災者の影響が強いからだ。

 これから、彼らの疑いに塗れた人生に光が差すことがあるか否か。こればっかりは誰にも予想はできっこない。



==========



 洞窟の上層、入り口付近。

 かつて戦いが繰り広げられた広間。片側は崖のようになっており、つい先程外からの来訪者三人を突き落としたところである。

 辺りを囲っていた消えない炎(オリロート)が霧散し、痛む箇所を確かめながらインティグキラールは歩き出した。


 再び同じ場所で同じように解毒草を求める人間と戦うとは正直思っても見なかった。厳密に言えば、それはアスタロ以外にありえないと思っていた。

 深緑の髪はオールバックで視界を確保し、歳も歳で顔には皺が深々と刻まれ、腕や胴にはびっしりと過去の傷痕が残されている。時代が過ぎたことを明確に示す変化だが、それでも記憶は何もかもが新しいものに感じられる。


「黒い龍。奴らも、黒い龍のことを知っていた」


 たったの一度だけ、アスタロと出会った日にその影だけしか目撃したことのない存在。

 もし、あの男女が何かの目的のため急いで()()()()()のだとすれば、あるいは。

 インティグキラールは歩く。

 そして、出る。


「————よお」


「我は汝を詳しく知らぬが、その態度を見れば想像もつく」


 隠すまでもなく、これが黒龍ラグラスロとの初対面である。それにしては互いに笑顔の「え」の字も無いが、無理からぬことだろう。

 挨拶も名乗ることもせず、話題を投げかける。


「アスタロは、どうしてる」


「とうの昔に死したとでも言っておこう。逆に問うが、先刻洞窟へ足を踏み入れたはずの者を汝は知っているのか」


「はッ、ついさっき落下死したとでも言っといてやるよ、諸悪の根源」


「我が諸悪の根源か。だとしても、件の三人には悪意の一つも宿っておらん。ただ仲間を救う為に解毒草を求むる、それのみよ」


 毅然とした態度で臨む両者。そこに油断も隙も存在はしない。


「我を絶対悪と見ているにも(かかわ)らず、汝の内に宿る激情をぶつけて来ないのだな」


「自分の命を無駄にするようなことはしない主義なんでな。油断はしねえ、敵愾心は全開。だが俺は、夢にまで見た黒い龍を弑するために来たんじゃない」


 彼が生み出す濃密な殺気は、常人でさえも感じ取れることだろう。

 それを肌に受けても黒龍は鱗ひとつも動かさない。超常たる存在が人間に臆する道理などないのだから。分かっているから、インティグキラールも手を出さない。

 ただし、


「いつか、必ず悪は滅びる。光があれば闇がある? なら、この闇に彩られた醜悪な世界にも、必ず光は訪れる」


「返せば、その光もまた闇の温床となりかねないが?」


 自身が闇か光かなどに頓着していない様子の黒龍に苛立ちを覚えながら、元より議論するつもりなど毛頭ないインティグキラールは突き進む。


「それをどうにかするのは俺らの役目じゃねえ。ただ、俺は俺らの人生に害なす老廃物どもを消し尽くすだけだ。諸悪の根源には届かずとも、その伸ばされた手腕くらいは切り落としてやる。俺はそれを言いに来た」


 言うだけ言って踵を返す姿は、いつかの怒涛にも似た雰囲気だ。それを自覚してはいまいだろうが、斧と共に意思が受け継がれていることの大きな証拠であろう。


「戻るのなら、言っておくが」


 黒龍ラグラスロは、その天使のような翼を大きく広げてある種の忠告を残す。


「汝が殺したと宣う三人だが、用心することだ。あの者らの『生』への執着と探究心は、汝にもアスタロにも匹敵するだろうからな」


「————ふん」


 その言葉をどう受け取ったかは分からないが、鼻を鳴らし洞窟の闇に消えていく男の心には必ず響いていると、ラグラスロは確信した。

 嘆息の代わりか、漆黒の翼を羽ばたかせると寂しい風が丘陵地を吹き抜けて、対峙の後に残された憤懣を攫っていった。



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