第一章幕間 『アスタロの禍』①
当時——グランがまだ誕生すらしていなかった頃——の人々はまだ、洞窟の内と外を行き来して生活をしていた。現在でも食糧確保のために数人が外へ繰り出すことはあるが、頻度や目的はそれとは大きく異なる。本当の意味で、彼らはまだ外の世界でも暮らしていたのだ。
世界が闇に染まり魔物や野盗の類が出没するようになってから、彼らは基本的な拠点を洞窟内としつつも、他集落との文化交流も行われて資源にも困ることはさほどなかった。
それは世界が魔界と化して九百年以上が過ぎてからも続き、協力を惜しむ心は失われることなく、これからもずっと、世界が闇に覆われ続ける限り変わることはないと誰もが思っていた。
「よおキラール、今日も精が出るな!」
「そんなことないですよ、俺は戦うことしかできないですから」
夜のように暗い空の下、朝のように明るい会話が繰り広げられる。ちなみに、この日は現在から数えて約四十年も前の事になる。
「はっは! 頼もしいこった! あんたはいつも謙遜するが、こちらとしては戦えることが大助かりなんだよ」
「戦えるって点で言えば、彼女の方が達人って感じですがね」
「だが、あんたみたいに話のデキる相手ってのも大事な要素なんだよ。あの女は……ちと怖いって印象が強いんだ」
「ははは……」
「…………聞こえてるんだよ」
「う、やべ」
魔物の襲撃に備え、他部族との交流を行う際は数人の護衛を引き連れて出かけるという不文法が地域一帯に根付いている。故に洞窟の民は毎度、護衛にインティグキラール・オ・ラとシャナイヴ・ナ・フールの二人を指名し、この日も当然両名が選ばれていた。
現在のインティグキラールを知っていると驚くだろうが、当時十六歳の彼は何も武器と呼べるものは持たず拳と風属性魔法のみで戦っていた。むしろ斧を両手に下げて振り回していたのはシャナイヴであり、その寡黙さと荒波のような戦闘模様から周囲の評価は総じて「怖い」で埋められていた程である。
「シャナイヴさん、今日もよろしくお願いします」
「……ああ」
いつも通りそっけない。
水色の髪を七三で分けて後ろに流した、見るも麗らかな相貌をしている。その美貌を台無しにしていると人は陰で話すが、全くもってその通りだと思う。
服装にしても露出は愚かスカートやフリルのような華はなく、上はジャケット下はズボン。影に紛れるよう黒を基調とした、完全に戦闘用の装い。
「今日の交流先はまた少し遠いですから、ペース配分に気を付けていきましょう」
「それは私のやること?」
「この中で一番手練れなのはシャナイヴさんですし、周囲の状況に敏感じゃないですか」
十歳近く離れている彼女をインティグキラールも怖がっていたが、同じ護衛として会話をしない選択肢は無い。毎回、連携をとる為の機嫌取りを任される身にもなって欲しいところだと若輩ながら思っていた。
しかしその努力は確実に報われており、予想外のトラブルに遭った道中も魔物からの防衛も切り抜け、今回の遠征も無事に引き返すのみとなる。
「それじゃあ物々交換も済んだことだし、狩りをしながら引き返すとしよう!」
「え、もう帰るんですか」
「たりめーよキラール! ただでさえ往路で行き詰まったりしたんだから、今回は急ぎ目で帰らにゃ」
「はあー」
洞窟から引っ張って来た馬車いっぱいに果物や日用品を詰め、御者を務める男性が呼び掛ける。
馬車と言っても速度は出さず、馬もただ荷物を運ぶことにだけ特化した耐久型だ。よって行きも帰りも護衛の二人は基本歩きだし、休憩時間もそんなになかった。
「ねえ、遅れてるんだけど。もっと早く歩いて」
「そんなこと言われても、体力が追いつきません、って」
「…………はあ。精が出るとか言われてたのに、事実はとんだ怠け者ね」
「くッ、くそぉ! ずっと歩きっぱなしなのに平然としてるシャナイヴさんが異常なんですってば」
相変わらず冷たいし怖い印象は拭えないが、シャナイヴが寡黙と言われる割には話しかけてくることをインティグキラールだけは知っていた。
その日の晩、帰路の七割地点で野宿となった際も、二人だけは周囲の警戒を続けなければならない。馬車の上によじ登り、互いに背を向けて監視をするのが基本だった。
「あなた、なんで護衛やってるの」
「え、どうしたんです突然。まあ、身体を鍛えるのは嫌いじゃないし、魔法も多少は使えるから、自分に出来ることと言ったら戦うことかなと思いまして」
「……鍛えてる割に道中息切れしてるようだけど」
「あれでも普通の人の数倍は持ち堪えてる方ですってば。はあ……そういうシャナイヴさんはどうなんですか」
「………………さあね」
「そういうところだけ寡黙になるの狡いよなあ」
見下ろせばパチパチと篝火が周囲を照らし、暗黒の世界で数少ない安心の象徴として佇んでいる。御者を務める男が近場で狩った小動物の肉を焼いているのを見るとお腹が空いてくる。
耳を澄まし、目を凝らし、魔物の類が接近していないことを確認すると、馬車から飛び降りてそそくさと肉を貰いに近づく。
「はっは。やっぱり釣られて来たな、キラール」
「まんまとおびき寄せられてしまいましたよ」
「ほらよ、あんたの分。そんであの人は肉を食べるのか? 一応焼いてはいるが、代わりに聞いて来てくれよ」
「自分で聞けばいいでしょう」
「だから怖いんだって」
「…………聞こえてるんだよ馬鹿ども」
ほらな? と男性が呟いたのを聞いてますます顔を陰らせたシャナイヴに、どうか逆撫でするのはやめてくれと内心頼み込む。
そんなこんなで、どっちかと言えば居心地の悪い毎回の護衛をこなしていたある日。
「すまないが、今日は私は行かない」
「え」
異例の出来事に開いた方が塞がらなかった。
彼女の口足らずな物言いに困惑したインティグキラールとその他洞窟に暮らす一向だが、後から聞いてみれば、彼女の斧の摩耗を補強するために休みを申し出たらしい。
「しかし護衛が一人という事実はいただけない」
暗黙のルールとは言え、そこはやはり遵守されるべきだと多くの人の声があがる。そんな訳で急遽補充された洞窟入り口見張りの男性と二人での護衛任務にあたる形に。
歳は上だが実力で言えば一般人には負けないくらい。見張りなだけあり魔物との実践経験こそあれど、正直言って戦力の大幅ダウンには懸念があった。
(しかし、今まで危機的状況になったことはないし魔物も大して強くない。むしろ成長のチャンスかも)
移動中、臨時の相方から話しかけられることの方が多かった。表情からは不安を紛らわそうとする必死さが滲み出ていたが、シャナイヴ相手とは異なり話しやすく、思いの外会話を楽しんでいる自分がいた。
そういう心の隙が事故を引き起こしたのだと反省するのは、今日も問題なく交流を終えて帰路を進んでいる時だった。
「ま、魔物の群れだああああああああああッ!」
東を川に、西を崖に挟まれた鬱蒼とする林の中だった。往復の道の中で唯一と言ってもいい、避けては通れない要警戒地帯である。
北に抜けようとする彼らを待ち構える何かが目を光らせ、虎視眈々と獲物に飛びかかる。
「『ウィンガ』!」
背後を取られた相方を魔法で救いつつ、早く体勢を整えるよう指示を出す。
馬が両前脚を宙でばたつかせ嘶く。普段の魔物相手なら慣れて大人しいはずなのに、珍しく気性が荒くなっていた。
「な、なんだよこいつら! 行きは会わなかったじゃないか、なんで急に……!」
「質問は後! 馬車を守るんだ、だから武器を取って!」
「そんなこと言われても、俺たち囲まれてるだろぉ!」
翼の生えたトカゲのような深緑の魔物が、木の幹や枝を滑るように移動している。気が立っているのか牙を剥いてシャーシャーと威嚇が絶えない。
(こういうタイプはすばしっこくて攻撃も当たらない……この人を守りながら……一人で戦えるのか?)
怯え切った相方を尻目に全方位を警戒する。最優先は馬車と御者の護衛だが、人を失うことは認められない。ただやるしかないという観念が思考を埋め尽くしていた。
「『ウィンガ』『ウィンガ』『ウィンガ』『ウィンガ』」
木々に息を潜めて命を刈り取る準備をしようというなら、風魔法でとことん葉を毟り、枝を折り、隠れ蓑を潰してしまえばいい。
全てを守るために視界は明瞭に保つべきと判断したが、しかし。
「うそ……だ」
普段なら正しい判断だったかも知れない。
目の前の魔物が連携して吹き飛んだ葉や枝を魔法で一箇所に集め、その巨大な魔物の爪にも似た塊を上空から降らすなんてしなければ。
「ああああああああああああああああああ!!」
無我夢中で馬車によじ登り、両手を枝の爪に向けて掲げる。翼を広げて群れで飛び回る影が、ただでさえ不気味な天をより黒く染めている。
油断が起因して魔物の接近・予兆に気付かなかったのだとしたら、もうそんな愚かな真似はしない。だから、この時だけは味方してくれと運命様に祈る。護衛として自分にできるのは戦うことだけだから、どうかその自身の価値を奪う真似をしないでくれと、願い。
「『ウィンガル』!」
突風が葉と枝の隙間に染み込んで内部からの瓦解にかかる。普段使いの『ウィンガ』より一段上の威力、それは爪が馬車を押し潰そうとするのを抑えるだけの仕事を果たす。
「『ウィン……ガル』ッ!」
若かりしインティグキラールに魔力消費が著しく、詠唱するだけで脱力感が全身を襲う。その分、消耗に見合うだけの結果は勝ち取れた。
打ち上げ花火という概念は彼らにないが、魔獣の爪が風に大敗を喫する瞬間はまさに花火のような光景であった。
心臓がうるさい。大破の響音も、砕け散った木片の雨が肌を引っ掻くのも、拍動の音には敵わない。
「お、おおおおい……キラール、上を……」
「はっはっはっはっ……まだ、はあ、まだ」
馬車の車輪にしがみつくように相方が空を指差す。
分かっている、そんなことは分かっている。小賢しい魔物の一撃を凌いだだけで、群れは依然として深緑の翼を羽ばたかせ、シャーシャーと憤怒の表情を向けていることは、知っている。同じ深緑色の髪を持つインティグキラールにとって、醜い深緑の魔物は、自分が魔に堕ちた後の姿に思えてくる。
「こんの、魔物ごときに」
シャナイヴがいれば。
こんな窮地には。
立たされなかった。
「くっそおおおおおおおおおおおおお! 来やがれ、魔獣どもおおおおおおおおおおお!」
死ぬのは怖い。だから命に替えてもなんて表現はしない。死なない程度に、しかし立ててる間は拳と魔法で撃退してやる。
その勇気を奮い立たせようと号した須臾の後。
魔獣よりも更に上空を、魔獣より数段巨大な真っ黒の影が横切った。天使のような翼を広げた長い巨躯だった。
「——————」
何かが、降りてくる。
巨大な影から飛び出た小さい何かが、魔獣の一匹を掴んで落ちてくる。落下の衝撃を飛行する魔物で和らげようなんて規格外の胆力を見せつけて現れる。
それは、人だった。
象牙色を纏い、痩せてはいないが太ってもいない。程よい筋肉を蓄えたような、一見したら一般人だが。
「おや、大丈夫ですか? あの[ɲaʃæʔ]は外敵を恐れ——おっと」
その手に掴まれたままの魔物が牙を剥こうかと暴れる寸前で、あろうことか突然降ってきた男は背負い投げの要領で魔物を地面に叩きつけ、頸を足で踏み折った。魔物の動きと対処法を的確に把握しているような綺麗な流れだった。
「[ɛniweɪ]、僕も手伝いますんで[ɲaʃæʔ]を追い払ってしまいましょう」
耳に違和感を感じつつ、とにかく生き残らなくてはいけないインティグキラールは臨戦態勢を取り戻す。膝に力を込めるのも一苦労だが、まだやれると拳を握って奮い立たせる。
事の顛末を語れば、それはもうあっけないものだ。
シャナイヴの荒波のような猛威はないのに、華麗な舞でも披露するかの如くして魔物を誘き寄せ、的確に致命傷を負わせることだけに特化した四肢捌き。頸を折るだけではなく、どこからともなく取り出した鉤爪のような何かで魔物の口内を抉ったかと思えば、傷を負った深緑のそれを投げつけて仲間内で衝突させたりとやりたい放題。
群れの大半を彼が引き受けてくれたことで、体内の魔素をかなり消費していたインティグキラールも素早い魔物相手に引けを取ることはなかった。
「お疲れ様です、いやはや[ʌnfɔtjʊnət, ju]。こんなところで[ɲaʃæʔ]に襲われるなんて」
「はあ……ひとまず、ありがとうございます。それで、えっと、あなたは?」
「私はアスタロと申します。しがない旅人ですよ」
「インティグキラール・オ・ラです。長いのでキラールで覚えてもらって構いません。アスタロさん、よろしく」
優しい声と喋り方をする、本当に不思議な人だと思った。
何はともあれ、簡単な挨拶を済ませてから馬車と人の無事を確認すると、アスタロと名乗る男性は洞窟まで護衛を引き受けてくれた。戦力に懸念があった身としては有難い限りだったので勿論了承し、林を一気に突っ切ることに。
「そうそう、言い忘れてました。あの魔物はバムゥドという一頭の魔物に縄張りを荒らされましてね、ここまで逃げて来た種なんですよ」
「初めて聞く魔物ですね。あんな厄介な群れを易々と追放できる魔物、ですか……」
「巨大で漆黒で、それでいて[ɹaʊnd]両目は恐怖の象徴って話らしいです」
「なる、ほど」
いわゆる生態系の破壊者のような存在とのことだが……確かに有用な情報ではあると思うが、目下インティグキラールが気にしているのはそこではなかった。出会い頭から既に気にっていた。
「あ、もしかして私の発音が気になりますか? 追加でもしかして、[ɲaʃæʔ]って聞き取れてなかったですか?」
まさにそこだ。眉を眉間に寄せて物思いに耽っていたのを見透かされたが、丁度いいタイミングだった。
「ごめんなさい、正直気になりますね。さっきの魔物の名前だろうってのは分かるんですが、ニャシェ……? てな感じに聞こえてます」
「こちらこそ申し訳ない。ニャシェ、悪くない線です。私の悪い癖でして、時折『異なる言語』の発音を混ぜてしまう節があるんです」
「異なる、言語」
言語が「ことば」を意味することは分かる。しかし、洞窟の集落でも他の集落でも言葉が違うなんてことは一回も見聞きしたことがない。
文字も、発音も、すべて等しく交流される。
それこそがインティグキラールの知る言語の全てだ。
「ふ、もっと混乱させてしまいましたね。[ɲaʃæʔ]についてですが、普通の言い方に直せばニャシャットが正しいところでしょうか」
「ニャシャット。どちらにしても、やはり初耳です。逃げて来たと言うだけあって、俺たちの行動範囲の外から来た魔物らしいですね」
「ではでは、この機に覚えてしまいましょう。もし再び同じ魔物が現れてもいいように。まず、あのタイプの魔物は——」
こうして知り合ったアスタロの魔物講座をありがたく拝聴しながら、一向は林を抜けてラストスパートに入る。
学習せず同じ轍を踏むような愚者ではないので、インティグキラールは話に耳を傾けながらも周囲の警戒を怠ることはしなかった。遭遇した魔物と攻防してる間もアスタロの講座は止まらなかったが、実践付きと思えば邪魔どころか有用も有用だと感じていた。
「ところで、バムゥドでしたっけ。ニャシャットと違ってそっちは最初から普通の発音でしたよね」
「魔物の名前でも普通の方が言いやすいのと言いやすくないのがありますから。けど[bamɯd]の場合はどちらの言い方でもほぼ同じ発音になるんです」
「なるほど奥深いんですね。おっと、アスタロさん、俺らの拠点が見えて来ました。
林を抜けた先にあるのは丘陵地。いくつかある山のように盛り上がった大地の一つに、拠点とする洞窟はあった。
同じ丘陵地に属していても、洞窟が行き届いていない範囲は地質が違うらしい。普段の生活に関係ないことだが、外部の人が訪れる際に時折聞かれることがあるのを思い出す。
ガタン! と揺れを伴いながら馬車が停まる。
「だあ、今回ばかりは死ぬかと思った……」
そう言って真っ先に崩れ落ちたのは臨時で護衛を任された男性だ。アスタロの助力もあって残りは安全だっとは言え、一度巣食った不安と絶望は彼をずっと蒼白にさせていた。
「本当にお疲れ様です、よく頑張ってくれましたよ。やはり護衛はシャナイヴさんに任せるのが最適らしいですね」
「あ、ああ、そうしてくれると頼む。あのひとの代わりなんて無理……うぐ。バケモノには、バケモノで応じないと、だめ」
「——聞こえているぞ」
「ひぎぃッ」
彼の言うバケモノに指摘され顔面蒼白度は最高潮に達した。ヨロヨロと馬車を離れ、岩陰からリバースの音だけが奏でられている。
「シャナイヴさん」
「なに」
「次からは絶対に護衛はシャナイヴさんであるべきだと分かりました。詳しいことはまた後で報告しますけど、もしまた今回みたいに辞退するのなら」
「……なら?」
「彼のような戦闘経験の芳しくない見張りとかでなく、護衛として活躍できるだけの人を育ててからにしましょう」
「…………そうね。彼の様子を見るに真っ当な意見だと分かる」
他者からの評価は「怖い」の一点張りでも、正しい判断を受け入れるだけの要領は兼ね備えているのをインティグキラールは知っている。自分が労力を支払ってでもするに相応しいか否かが判断基準に含まれているようではあるが。
そんなシャナイヴは話し相手から視線を外し、御者の荷物下ろしを手伝っていた象牙色の男を睨む。
「ところで、後ろの男は誰」
「おっと、ご挨拶が遅れました私はアスタロと申します。縄張りから出た[ɲaʃæʔ]……魔物を追っていたところ、キラールさん方が襲われていたので[pɹɒmpt]助けに入った次第でして」
「……? そうか、なるほど。凡骨どもを救ってくれて感謝する。私はシャナイヴ・ナ・フールだ」
「凡骨……」
「そうでしょう。自分は戦うことしかできないだの鍛えてるだの言っておきながらこのザマだもの」
否定する余地もない正論パンチを食らう。
威圧感多めのシャナイヴであったが、恩人である事実を知って怪しい人という印象を払拭したのか気持ち柔らかになった。それから彼女も疑問に思っていたアスタロの発音について、加えてインティグキラールも道中聞いていなかった、アスタロの背景についても話した。
動物や魔物の生態を詳しく観察することが彼の得意とすることであり、現在は諸事情により人語を操る黒い龍の庇護の下で暮らしていること。どれも洞窟で暮らす人々からしたら新しい情報で、すっかりアスタロの話に聞き入られてしまう。
まだ広い世界のことを何も知らないと思い知らされた気分だった。
「……事情はわかったわ。なら、護衛が活躍するための育成計画とやらだけど、あなたもその対象よね」
「え」
「あなたに窮地を打開する力が無いから、臨時護衛の彼はああして恐怖に縛りつけられた。そうでしょう」
「ぐぬぬ、饒舌になったかと思えば……」
「ふふ、楽しそうでなによりです。[ʌnfɔtjʊnətli]、私はこれからまた魔物の調査をするので失礼させていただきます。ああ——もしよろしければ、また、遊びに来ても?」
こうして。
了承を得たアスタロは手を振りながら闇の中に溶けていく。その背を見送るインティグキラール達は早くも彼がいた今日という過去を振り返る。
シャナイヴ抜きで出発し、戦力不足を痛感した動中。アスタロが空から現れ窮地を覆し、戦い方が重要と学んだ帰路。まさしく、洞窟の民に変化の兆しをもたらしたのはいつだと問われたら、今日この日だと、そう答えるに十分相応しい。
出会いの瞬間を、インティグキラールは今生忘れることはないだろうと心の内に予感していた。
アスタロの発音を表す際におかしな表記法を採用していますが、基本的には英単語をIPA(発音記号のようなもの)を用いて表記しているだけになります(厳密ではないので音韻論に通じている方はご容赦ください……)。
かと言ってアスタロが実際に英語を話している訳ではなく、あくまでも「普通と発音が違うことを示すためのマーカー」だと思っていただけると有難いです。
それでは、次話もよろしくお願いします!




