第一章01 これはとある兄妹のお話
まず断っておくが、この世界に勇者などと言う救世主は存在しない。理由は単純明快で、世界を脅かす悪だとか破壊を招く怪物が跋扈しているだとかの危機が迫っていないからだ。
犯罪やモンスターの類は溢れていても、世界的に見て安寧であるのなら勇者は必要とされず、ならばいるはずもない。
でも、人類が一度は英雄だとかの存在に夢を想うように、勇者が悪を滅する旨の物語はこの世界でもありふれている。
神代の伝記から始まり、俗に言うライトノベル的立場に至るまで種類も様々だ。
特に『神殺し』という英雄譚と、それを軸として続く、作者不詳のシリーズ作は文学研究も盛んだ。書籍ひとつひとつはとんでもなく分厚いため読む人は少ないが、大まかな物語だけなら知っているという人はとても多い。
ところで、この世界は大きく四つの大陸に分かれている。その内、世界地図で見たところの西に座するは都市大陸と呼ばれる縦長の大陸。
そして、件の英雄譚に憧れを持つ者がひとり、大陸の更に西方の辺境に佇むアル・ツァーイ村——を、囲う森の中にいた。
「まさか、この二つの事件に山賊が絡んでやがったとはまた数奇な話だぜ……ったくよお」
青年は嘆息しながら天を仰ぐ。
空は一面真っ青と言いたいところだが、そうも言い切れない。七月真っ只中の昼間、天気は快晴。小鳥たちも囀って心地はいい。
それでも陽光は森の葉に隠され、視線を上に向けても一面の緑である。生い茂る枝がアーチを描くように頭上を覆い、地面には光のまだら模様が描かれている。
しかし、
「ケヒャヒャヒャ……おいクソ坊主ども、まさか虚を突いてその子を奪還したからって逃げられると思ったかな? ああん?」
汚らしく、そして邪悪な笑みを浮かべるは細く背の高い男。みすぼらしい装いとは裏腹に、その手に握られた鉈はよく手入れされた上物という感じだ。
そう、ピクニック日和とも言えるきょうび、青年を含む三人の男女を山賊が囲っていた。
「確かにここまで素早く包囲されると思ってなかった。案外山賊ってのも統率がとれてるものなのな」
そんな状況下でも、青年——グラナード・スマクラフティーは冷静に言葉を交わす。
ほぼ黒に近い髪色をしているが、光を受けると少し紫を帯びているのだとわかる。半袖の服には村の紋章が刻まれていて、円の上下左右に亀裂が入ったようなデザインだ。夏なのに紺のマフラーを巻いているのは彼独自のファッションである。
そんな彼は近隣のアル・ツァーイ村の住民で、人々から親しみを込めてグランと呼ばれている。
「ねえお兄ちゃん。お探しの女の子は見つけたんだし、さっさと帰ろうよ」
「わあ、メイアも随分と逞しくなってお兄ちゃん嬉しいよ」
「え、いきなり何なの怖っ」
メイアと呼ばれた少女はグランの発言に一歩分の精神的距離を置きながら返す。
彼女はグランの二歳下の妹で、齢にして十六だ。桃色のショートヘアをして、胸の下辺りまでしか丈のない上着には兄と同じく紋章の描かれていて、申し訳程度の赤いマントが靡いている。
その若さで山賊に囲まれても物怖じしない様にはある種の不気味さも伺えるが、それは兄にも十分当てはまる。
だが山賊にとって、まるでいないかのように扱われることは当然つまらない、あるいは癪に触ることだった。
「おいおいおいクソ餓鬼ども? その様子じゃ盲目でも難聴でもねぇようだが、ならこの状況わかってるよなぁ?」
「お頭ァ、こいつら一旦わからせてやってもいいすか」
「そうだぜお頭、こいつら生意気すぎるぜ。オレらが山賊で、そのなんたるかを知っての恐怖に怯える姿。そいつを見てぇのよ!」
早く痛ぶりたいとばかりに視線を向けるのは、毛皮のローブを身に纏った最も風格ある男。髭は濃く額に薄く皺が刻まれているがまだ現役という感じだ。もしかしなくたって山賊の頭領である。
彼もまたケタケタと笑みを浮かべ、品定めする風な視線で三人の男女を目で追う。
「いいだろう。女は貴重だ、丁重に嬲り鎮めてやってくれ。しかし問題は男の方。クソ坊主の割に身体は引き締まって筋肉も相当付いているし、俺らを前にして平然としているのも多少なりとも自信があるからだ。数で攻めりゃ大丈夫だろうが、テメェらも気ィ張れよ?」
「「「「応ッ!!」」」」
頭領の指示は的確だった。何も野蛮なだけの烏合の衆とは思っていないが、格好の若い獲物を前にしても冷静に動こうとする判断力があったとは。
( 面倒な )
悪辣な表情を浮かべる山賊らを睨み、心の中で罵詈を吐く。
そもそも、森の中でこんな状況になったのには訳がある。
青年——グランたちの住むアル・ツァーイ村には警備班という、名の通り村の警備を任されたグループがあり、安価気味とはいえ武器や防具も支給されている。ただ、班員が十数人とまあまあ少ない。
そこで、スマクラフティー兄妹の出番である。
理由は後に自ずと分かるとして、この日、ふたりは依頼を二つ引き受けた。その内の片方が山賊を対処すること——ではない。
まず一つが、兄妹の傍らで眠る少女だ。
朝方、少女を含む子供たちが村の外周辺りで遊んでいた際、少し目を離した隙に少女だけが消えてしまったのだという。
そしてもう一つが、謎の原石について。
警備班員が村の周辺を見回っていたとき、足下を転がる石の中に謎の蒼い光を見たと言うのが始まりだった。どこかの商人が落とした可能性もあったが、ならば森の中など歩かず道を辿って村まで来るはずだ。
「まず急務は少女の捜索。だから森の中を歩いていたはいいものの、まさか少女を連れ去ったのが山賊で、更に謎の原石も奴らが運搬中に落としたものだとは」
持ち込まれた原石が何のためのものなのか、それが分からない以上は無闇に砕いたりもできない。加えて少女にこれ以上被害が及ばないよう動かなくてはならない。
「ニヒッ」
ビリビリッと、メイアの身体を嫌な電撃のようなものが走った。身の危険……というより、敵の一人が漏らした声に純潔の危機を察知したのだ。
グランの妹は、その可憐さ故に視姦された。
「お兄ちゃん……この人たち嫌だ」
「————。」
ひと呼吸する間、兄はそっと目を閉じ、開ける。
双眸は既に闘志に燃えていた。
「おい、雑魚どもが」
兄の輪郭は、怒りを隠すよう僅かに震えていた。
「最大限の容赦だ。俺はこれ以上待たないぞ」
兄妹同士で目が合う。
「行くぞ」とグラン、「わかった」とメイアが合図を送る。
雰囲気の変化に山賊たちも対抗し、それぞれが武器を構える。包囲された男女と、十を超える数の山賊。兄妹に敵意が刺さる。
少しの沈黙を挟み、頭領の「やれ」の合図で互いが一歩、前に踏み出した。
メイアは両手に氷の槍、グランは自身を囲うように複数の青い光球を携えて。
————この世界には魔法が存在する。
細かい理論はさて置き、一言で表すなら体内魔素を塊として体外に放出させる術だろうか。いまでも魔法に関する研究は各地で行われ、そこが唯一、先述した英雄譚などの登場人物に一歩人類が近づける要素だったりもする。
なら至極当然のこと、魔法に関連した特徴をもつ物質だったりも存在が認められている。
それを利用して魔法具と呼ばれる、所持することで能力の向上、いわゆるバフを得られるものが製造されていたりもする。他にも属性を宿した武器に治癒効果を持つメスなど、挙げれば様々だ。
さて、兄妹が山賊たちと戦いを始めたのと時を同じくして。
「見つけた」
アル・ツァーイ村には資料室がある。
警備班と同じくここは村を支える重要な機関であり、警備班長・資料室司書の二人はどちらも代表者として村の運営を担っているのだが、
「鉱石の名はルノマル鉱。主に法皇大陸で採取され、濃く蒼い色をしている」
司書エスティア・シンシアは、警備班からの依頼を受けて謎の原石についての資料を見つけたところであった。
たった今原石を山賊が所持していることも、その山賊と兄妹が戦おうとしていることも、さらにはそこに消えた少女が絡んでいることも知らない彼女だが、たった今、その脳内に一つの推論が浮かぶ。
「たしか先週、ここより北の地域で他大陸から輸入したルノマルって鉱石が賊に盗まれたって記事があったわ。そしていま、例の石っころが村近辺に落ちていた……まさか、ね」
それは推論であり、悪い予感であった。
頬を滴る汗が資料を探して右往左往したからか、緊張と焦燥感から来るものなのかわからない。ただ、エスティアの読むスピードが早まる。
「これが持つ特徴として、魔法を反射させるというものがある。ただ難点なのが、鉱石のままではかなりの不純物を内包していて効果が低いことだ」
数行読み飛ばして続ける。
「よって、これを粉末状にして不純物を除いたルノマル粉を振り撒くことで、今度こそ蒼のカーテンはあらゆる魔法をはね返すことができる」
もし、グランとメイアが警備班からの依頼を追う中で山賊と出会ってしまったのなら。
もし、そのまま彼らが激突しそうになったのなら。
「早く……早くみんなに知らせなきゃ」
エスティアの喉を唾が通った。
兄妹が魔法を顕現させた途端、今にも武器を振りかざさんとした賊たちの足が止まった。
まさか辺鄙な村に住む子供が魔法など使えまい、と侮っていたからでないことは表情をみれば一目瞭然だった。むしろ、魔法で攻めてくるなら好都合だと言わんばかりの笑み。
「ふん、クソ坊主ども相手に使ってやるのは勿体ねえが仕方ない。袋ひとつ、解放してやれ」
「ケヒャヒャヒャ……こうなること予想して、既にここ用意しておいたんだねぇ! 己の不運を嘆きなね?」
笑う男の手には麻袋が握られていた。見れば他の二方でも同様の袋を持っている。何か、中の物を取り出されては厄介な気がすると、グランの勘が告げる。
( そんなことさせるかよ )
よって、先に動いたのはグランだった。
「大人しくしてろよ、『オリヘプタ』」
魔法の名を誦じて脳内にイメージを湧かせると、周囲を漂っていた手のひらサイズの光球が輝きを増す。七つ、それぞれが七方の賊の方へと散った。
たったそれだけの魔法。
何の変哲もない、光球を射出させるだけの。
「さぁ、やれ」
悪辣な笑みと共に下された頭領の指示の直後、向かってくる魔法攻撃を避ける素振りすら見せず、三人の男は手中の麻袋の中身を振り撒いた。
辺り一体を包み込んだのは、蒼くきらめく粉状の何かだった。
木漏れ日を受けて部分的に輝きを増すカーテンが、魔法の前に広げられたのだ。
グランの知るよしもないことだが、それは魔法を反射する。だからこそ山賊たちは避ける素振りすら見せずに堂々仁王立ちしているのだが、
スン——と。
光球は総じて、そのカーテンなど知らぬ存ぜぬと言わんばかりに通り抜けた。え、という風な素っ頓狂な声がどこかで漏れる。
その時点でもう、今更なにをしようと魔法の炸裂からは逃れようがなかった。
「な、なぜ魔法が反射さ——」
「爆ぜろ」
その命令が青年のものであると知覚した刹那、目と鼻の先まで接近していた青の光球が文字通り爆ぜた。
それからどれだけの時間が経過しただろうか。
ひとりの山賊が意識を取り戻したとき、蒼いカーテンは既に爆風で消え失せ、代わりに砂塵が舞っていることをまず認識した。影が複数動いているから、まだ交戦は続いているらしい。
つまり気絶していたのは数秒と言った所だろうか。
「いッつ——」
感覚を取り戻す内、自然と口から音が漏れる。
己が身体を見ると痛みに対して傷の方は大したことがない様だった。あの爆撃を受けてなお無事というなら、手加減されたに違いない。
何が起きたのか、彼にはわかっていた。
反射されるべき魔法が反射されず命中したということを理解してなお、頭は混乱していた。
ふと顔を上げると、舞っていた砂塵が晴れてきていた。
「やああああああああッ!」
少女の叫び声が聞こえる。
苦痛だとか恐怖からくる声でなく、勇敢な叫びだ。
「くそったれッ! なんつう異常な嬢ちゃんだこいつぁ。攻撃を、捌くので、精一杯だッ」
「まだまだ!」
「——お頭が、押されてる?」
まず目に飛び込んできたのは少女が頭領と対峙している光景。氷の槍で払い、叩き、突く。様々な方法で攻撃を繰り返す十数歳の少女に対して、お頭は鉈二本で守るに徹するしかなかった。
そんなリーダーが窮地に立たされていたところ、少女の背後から影が飛び出す。
「ヒヒヒャ、そうはいかせるかヨ!」
最初に放たれた光球は七つ、対して山賊は全部で十数人。
爆破を逃れた一人が刃を掲げて助けに入る。研がれた刃は人の肉どころか骨すらも傷付けるはずで、
「女だから傷は付けたくなかったが、仕方ねえときもあ——」
しかし、言葉の途中で彼は倒れた。
少女の兄であり、山賊にとっては予想外の状況を生み出した元凶が更に背後から攻め寄り、脇腹を殴り飛ばしたのだ。
視界は晴れた。戦況は知れた。戦力は大きく抉られた。
同じく最初の魔法を喰らった仲間たちも戦意を失ったように項垂れ、ただの観戦客となっていた。また、残党も次々と青年の素早い接近アンド打撃で負かされていく。
頭領が「あきらめんじゃねえ!」と叫ぶ声も、もはや無力に等しいものであった。
「こんの、ガキ風情が!」
声を荒げて、鉈を突き出す決死の反撃。
ただひとり諦めなかった頭領のそれすらもひょいっと避けられて、遂には木の幹に背中が当たるまで追い込まれていた。
「なんなんだ。なんなんだよこの兄妹は! ま、待ってくれ、お前らがそんなに強いとは思わなかったんだ!」
「最初に言ったろ。これ以上は待たん、とな」
「そゆこと。だからさっさと投降しな……さいッ!」
氷槍が迫る。顔面に迫る。鉈での防御は間に合わ——
「ぁ——」
メイアのひと突きは頭領の顔面を微かに避け、代わりに背後の木の幹を易々貫いていた。数秒遅れて、男の頬から微量の血が滲む。
「ありゃ、当てないようにしたつもりが少し刃が掠ってたや」
わざと外した。
その何気ない少女の言葉を聞き、今目の前に広がっている現状を見て、山賊一同は知った。自分たちは呆気なく敗北したのだと。
「てかさっきの発言……私たちが強いと思ってなかった〜ってやつ? あれ、力を持たない一般の人には平気で襲いかかるって意味で合ってるよね。私の槍が顔を掠めたのはその罰とでも思っておきなさい」
「あ、ああ……俺らもこれ以上足掻いて死期を近づけるような愚かな真似はしねえさ…………」
降参の意を明言すると、そこでグランが近づいてきて、
「おい、少しばかり質問させろ」
「……なんでも聞きや」
「さっき一瞬『反射』がどうとか聞こえたんだが。そりゃもしかして魔法を文字通り跳ね返すって意味で合ってるか?」
「その通りだ。折角ここより北方の地域で輸送中のところを強奪したってのに、何故かクソ坊主の魔法には効果がなくて不幸にも程があるぜったくよぉ」
あーあ、と小さく漏らして男は上空を見上げる。丁度その位置からだと葉と葉の間に隙間があり、青空が確認できるらしい。広い空が、いま自分たちのいる場所が森という閉鎖された世界であることを強く引き立てていた。
「お兄ちゃんの魔法って『反射』も敵なしなんだね!」
山賊たちが無力感に打ちひしがれているのなんか関係なしとばかり、メイアが目を輝かせる。
「ん、らしいな。しかしまあ、『耐性』だけでなく『反射』も貫通できると来たか。ますますこの魔法が分からん」
「でもデメリット無しに使えるんだし、この有用性は私たちの目標の為には不可欠だよ。そう、どんな敵が待ち受けているか分からないからね」
「そうだな。俺たちは、使えるものは有用に使っていかなきゃいけない」
兄妹の話を側から聞いていて、頭領は眉間を歪めた。双眸を輝かせたかと思えば、過去を顧みるような未来を見据えるような、どこを向いているか分からない虚空を眺めていたからだ。
兄にしても、自分で自分の使う魔法のことが分からないと言う始末。
集団を二人で軽く成敗してしまう実力もそうだが、それ以前に何か踏み込んではいけないものがあると彼は判断する。
「さてと」
「くたばってるところ悪いが、真ん中集まれー。警備班の人たちが来る前にいろいろ仕込んでおかねぇと、な?」
だが、考えていた「危ない要因」はこんなことではなかった。
まさかここから兄妹ふたりによる徹底的な教育——もとい脅迫じみた改心が始まるなんて、誰が予想できたか。
十数分の後に駆けつけた警備班の報告によれば、山賊は肉体的というより精神的にとても疲弊しており、反省の意思がとても強く顕れていたらしい。
それから全員が村へ撤収を始めるのは、攫われ、眠らされていた小さな少女が目を覚ますのを確認してからであった。
「もう暗くなってきちゃったね」
「折角の休日だってのに日中労働だなんて、なまじ頼られる存在ってのも疲れるもんだ」
高く昇っていた陽光もすでに落ちかけ。とはいえ夏の暑さに汗は滲む。
あーだこーだと文句を垂れながらも、こうやって日々兄妹で強くなっていけるのだろうと、互いに確信していた。無意識のうちにそうせざるを得ないのだということは、また別のお話としよう。
お疲れ様です。
前話の投稿日を見ていただければ分かるように、究極の遅筆です(もうこの作品のリメイク2回目なのに!)。これからも投稿頻度遅いかもですが、できる限り頑張ります……
では、次回もよろしくです!