第一章18 喧嘩は仲直りのきっかけ
夢なんて見ることもない熟睡だった。
目を覚ませば、全身カラフルな顔の整った少女と銀髪に光を映し出す顔の整った少女が顔を覗き込んでいた。彼女らの背後に映る水晶の輝きがここを天国かのように装飾している。
「めさました!」
「おはよー不審者さん。ちょーしはどーかな?」
なんだか凄腕の狙撃手までもが心配してくれているように聞こえるのは気のせいか。あれだけバンバン銃撃してきた相手がこの調子だと、ますます天国説が濃厚に——
「よく分かんないけどあたしの手を握ってくるのやめてねー」
「あれ、幻覚じゃない、のか」
「はあ、見ず知らずの男が少女に手出しするーって、やっぱり不審者は不審者だね」
柔肌の質感を手のひらで確かめ、頬に軽くされたビンタが目覚ましになる。天国でも何でもなく目の前が現実であることを認知した瞬間、反射で飛び起きた。
「わっ!」と、マルネを驚かせてしまったのは申し訳ない。
「どうして俺、生きて……てか体が痛く、ない?」
「カカルナおねちゃんがね、ケガなおしてくれたんだよ!」
「なんだって? 俺を負かして洞窟の集落を安全にするってのが役割なんだろ。なら回復なんてのは——」
「皆まで言わなくていーよ。順序立ててせつめーするけどいい?」
質問の形をとっているが、寝起きのグランが返事をするのを待つことすらなくクァクァルナの説明が始まってしまう。
「まず、あたしはみんなから依頼を受けてあなたを襲撃した。さっきマルネから聞いたけど、その時には既に岩陰に隠れてマルネがいたらしいね」
初めて「約束」という単語が切り札としての属性を帯びた瞬間、それがクァクァルナとの初戦闘でもあった。途中参加のメイア、ここではマルネの姉に当たる方の彼女が所持していた魔法拳銃により、事なきを得た次第。
「そして火に囲まれて耐えかねたあたしは場所を移して、川の前であなたを待ち伏せしていた。でも一向に来ない。普通、ここに辿り着くにはあの川に沿って進まなきゃなのにね。だから、別の可能性に賭けることになった」
「俺が、もう一つの道を進むため協力を仰いだ可能性だな」
「うん。で、予感はてきちゅー。けどー、あなたがみんなから手助けされたとしても、あたしの役目は不審者の撃退だから。構わず狙撃を始めたってわけ」
ここまでグランの認識と相違がある部分は何もなかったし、本当に彼女がグランを退治しようと攻撃していたことの裏付けにもなった。
それ故に、一体どんな心境の変化で敵を回復させるなんて行動をしたのか、理解が追いつかない。最後の最後まで、本当に敵対視されていたはずなのに。
「そんなジロジロ見ないでねー不審者さん。見ず知らずの男が少女の矮躯を凝視するなんて。やっぱ撃ち殺しておくべきだったかなー?」
「ちょいちょい、なんて物騒な! 言葉っつう弾丸で心臓抉られてるよ俺は」
「カカルナおねちゃんとおにちゃん、なかよし?」
「え、マルネちゃん何を言ってるの」
「『刎頚の交わり』ってひょーげん知ってる? お互い首を切られても文句言えないくらい親しー仲って意味らしいよ」
「初めて聞く言葉だけど本当に使い方あってる?」
撃ち殺せばーなんて目の前で言う相手と仲が良いなんて誰が言えるか。もしかしてグランが冗談っぽく返したから物騒がマルネの中で希釈されてしまったのか。
とは思いつつ、ツッコミを入れたことで寝起き特有の思考の停滞から抜け出せていた。ありがとうと念じておく。
「はあ、本題に戻るけど、これから俺は急いで帰らなきゃ駄目なんだ。それも見送ってくれると考えていいんだろうな。でも、どうして心変わりしたのか知らないと、やっぱり安心はできない」
「よーじん深いのは感心だね。二回目のしゅーげき、とことんあなたを追い詰めたつもりだったのに、死角からの奇襲にやられたでしょ。あれはメンタルやられたよー。それで思った。私の負けだって」
想像の斜め上の発言に目を見開く。
「『負け』って言ったのか!? それは違うだろ、飛躍しすぎだ。最後に倒れたのは俺なんだし。いや、そもそも……ならどうして最後俺の前に出てきて『出し惜しみはしない』だなんて……」
「うん、出し惜しみはしなかった。あと一種類だけ使ってない弾はあるけどねー。けど、それってさー、ほんとーにあたしが沢山の種類の手札を出せばあなたを倒せてた?」
「どういうことだよ。何度も言うけど俺は」
「実際にはあなたは倒れたけどー、本気でやるなら最初から閃光弾撃って目潰ししてから、殺意マシマシの氷柱弾で串刺しにしてれば簡単に勝てた話でしょー」
「な、んだよ。つまり手加減されてた、とでも?」
信じられないという目つきで、相手の双眸に圧を掛ける。あの十歩にも満たない、一分にも満たない時間の中で受けた攻撃の数々が、もはや彼女にとって勝利の為のそれでなかったなら。
「もう一つ教えたげる。あなたは全身の感覚を狂わせて立っていられるのも不思議なくらいの状況だった。なのになんで最後の最後で踏ん張って拳を突き出せたのかなー?」
「それは……火事場の馬鹿力ってやつじゃ」
「ちがーう。回復弾を一発、あなたの肩に捩じ込んだのはそれだよ。あたしが多彩な手で攻め続けたのは、あなたが回復弾を避けない・防がないと確信できる時を待ってたから。最初の数発くらいなら、お得意のまほーで防がれちゃうかもだし」
クァクァルナは人差し指を立ててこう続ける。
「だからほら、最後の一弾からは殺意を感じなかったでしょー? それとも感覚がバグっててそれどころじゃなかったかなー」
「え、、、」
「あたしは負けてるから、もー依頼は果たせない。なら痛々しい傷を治してあげて、あなたがマルネたちと一緒に目的を達成する手助けに回るほーが合理的かなーって」
待て待て待てと、グランはその一つ前の情報で思考を停止させている。
合理的だのなんだのは置いといて、このクァクァルナという少女。ゆったりした話し方でまるで何もおかしな事は無いみたいな雰囲気しているのに、さらっと大事な発言が出た。
「殺意を感じる感じないって……」
「あれー? 回復しよーって思って回復弾撃ったのに、殺意漏れちゃってた?」
「そうじゃなくって!」
よくよく考えれば、今までの戦いでグランは何度もどこから狙撃されるか分かってる風に動いていたから、何か特殊な技があることを怪しまれるのは分かる。
だからと言って特殊な技の正体はこれだ! と断言できる材料はないはずだ。グランが的確にクァクァルナの位置を特定できたのも、殺意以外をトリガーとしていておかしくない。あまつさえ、「殺意の察知」と聞いたところで、単純に殺気を感じて警戒する程度のものとしか普通は思わないはずなのに。
「うん、言いたいことは分かってる。あなたは多分、不幸なことにキラールとの戦いも避けられない。だから教えてあげる。キラールがあんなに強い理由の一つはね……」
「待てって。どうして、いきなりあのおっさんの話になる? 論点はどこに行ったんだ」
「まーとりあえず聞きなって。キラールって心の底から戦いにくい嫌な奴なの。で、その理由ってのがなんと、殺意を感じられるからなんだよ」
だからあなたがキラール同じだって気付けたんだよと、クァクァルナはそう淡々と説明してみせた。兎にも角にも、彼女の口から出るあらゆる情報が驚きを生み、ついでにマルネも話に着いてけないらしかった。
驚きは驚きだ。
けど、村育ちの十八歳のガキができる芸当を、この魔界で、この人間不信の集落で強くなり続けた彼にできない理由はない。そう思えばすんなり落ち着いた。本当は少しまだ動揺しているけれど。
「ただぁし! クァクァルナ、お前が負けたとは認めねぇ
!」
「えー?」
それとこれとは話が別である。
指差して訂正を入れてやらねばならない。
「俺はメイアと約束してるんだ。クァクァルナの『負けなしの弾丸』伝説を絶対に破るなってね。だから勝つでも負けるでもない結果にするつもりで戦ってきた。当然! さっきの接近戦も『引き分け』で終わらせようとしていた!」
先程も言及した通り、実際のところ倒れたのはグランだった。よって、むしろ負けたのは自分の方だと信じている。
その強い、怒りとも焦りとも同情とも違う、熱い視線に穿たれては少女も言い返せず。
「負けなしって冠に拘泥するつもりはないんだけど、仕方ないかー。そーだね、あたしとあなたの戦いの結果は互角で、しょーはいが付かない高度なものだった、と」
グランは満足げに頷くと、両手を掲げるマルネと両手を合わせて喜びを露わにした。ついでにクァクァルナにも両手を差し出してハイタッチをさせた。
「一応補足しておくけど、あたしは『負けなし』より『十色』を推してるの。十種類の弾を使うから十色の弾丸。覚えときなー」
「かっこいいなそれ。俺にも自分で肩書き欲しくなって来る」
どこまで意識しているかは本人のみが知ることだが、クァクァルナの奇抜な服装も込みで十色を自称しているとしたら相当似合っていると思うグランである。
「あなたは『奇襲のまほー使い』とかでいーんじゃない?」
「それ、卑怯者って言われてるみたいで嫌だが」
「ほんとーのことじゃん。不審者じゃないだけ感謝してほしーくらい」
「マルネはマルネは!?」
「マルネちゃんは……『白銀の天使』とか」
「うわー、なんかセンスが子供っぽーい」
「はくぎんのてーし! なんかすごそう!」
クァクァルナからの評価は酷いものだが、要はマルネが喜んでくれればそれでいいのである。
ひとまず情報の整理もできたし、これで、本当の本当に折り返し地点を過ぎたと言って差し支えない。
「二人とも、本当にありがとう」
「不審者扱いされてうれしーの?」
「ちげーよ! そうだとしたらマルネちゃんは対象外だろっての。この解毒草は必ず持ち帰って、有効に使ってみせるから」
少女たちに背後を見せて、これから戻る道を見やる。果てしなく長い帰り道かも知れない。正直嫌気も差す復路だが、人の根本にある温かさに触れることができて、元気をもらえた。
傷は治っている。視線を下げれば、あの身の毛もよだつ痛みを錯覚できてしまう赤が染み付いている。でも、それを越えて来た。
だから、苦悶の表情ではなく凛々しく進める。
そうやって、
「元気になれたのはいーけど、あなた、少しは休んでいきなさーい」
そうやって出端を折られることだって当然ある。
格好良く再スタートとは行かないことだって、泣きたいけどやっぱりあるのだ。
「じ、時間がないと言ったじゃないですかクァクァルナさん?」
「ふーん。あなたの仲間の状況はどんな感じなの?」
「予備で置いてあった解毒草じゃ足りなくて、一度分解された毒素がまた悪さする前に持ち帰らないといけない」
「なら大体の制限時間半日ってとこかなー。じゃー、あなたが仲間のところを離れてどれくらい時間がたった?」
「え、えと、イン……ティグキラールに崖から突き落とされて気を失ったりしてるし何とも……気絶してる時間を入れないなら三時間とかか?」
体内時計だって完璧じゃないし、戦いの最中で時間なんか気にしていないから全く自信はない。それでもグランの答えを聞いて考え事をする少女の横顔を見て、疑問符が浮かぶ。
「ちょーどマルネとメイアがあたしたちに不審者情報をきょーゆーした少し前、川を監視してる人から大きな岩が流れ着いたって連絡があったんだー。マルネ達があなたを見つけたのは川の支流だから、本流で落とされたあなたと岩がとちゅーで分かれたんだろーねー」
「……それが?」
「川の早さとか岩が落ちそーな箇所から踏まえて、監視台の人は二時間か三時間前に川に落ちて流れたんじゃないかーって。よーするにー、多く見積もって今まで七時間としてもまだ時間はある」
「だからって休んでる暇は」
「だからこそ休める時に休むんだよー。そんな疲れてる中、あのキラールと戦うの?」
その一言には冷静を引き寄せるのに十分な力があった。
どうやら明らかに強すぎるあの男の姿が脳裏に散らつくと、心に宿った焦燥感を押し留める作用があるらしい。このまま疲弊した状況で勝てる相手では決してないから。
「ほら、そーと決まればあなたと約束を結んだってゆーみんなのとこに戻ろー。シルラプラはあなたを見るなり鉈で襲ってくるかもだけど、あたしが返り撃ちしてやるからさー」
少女たちに背中と肩をそれぞれ押され、三人は仲良く(?)螺旋の道を登る。往路では途中で一層分落下する形になったが、戻りの道ではそうしたショートカットもできないから長く感じる。
「おにちゃんはシララプラおにちゃんにもまけないくらいつよいんだよ!」
「へー、そーなの?」
「別に戦ったわけじゃねーし何とも」
グランが説得を試みたあの部屋でシルラプラとやったのは押さえつけたり押さえつけ返されたりの力比べだ。あれで勝敗を決めようものならあの過激派は再び激昂することだろう。
「ふーん」
興味なさげに反応だけしたクァクァルナだが、片方だとすぐ肩を痛めるからか狙撃銃を担ぐ肩を左右定期的に入れ替えている。
様子を改めて横目で見ていると、とてつもなく華美な格好で、狙撃銃を持つには小柄で、しかし話してみると結構温和な人柄で、何かと属性がごちゃごちゃしている少女だと思う。
「あ、そーだ」
「ど、どどどうした?」
また凝視していて不審者だの何だの言われるかと思って焦ったが思い過ごしだったようで、
「あなた、どーしてあたしたちが外から来る……特に解毒草を求めて来る人を嫌ってるか、詳しくは知らないよね?」
「過去に対人トラブルがあったみたいな話だろ? まあ、そのトラブルの詳細は何も知らないな」
「そーだよね。きゅーけーがてら後で話したげるよ。いわゆる『アスタロの禍』、あたしたち……より前の世代の人たちが体験した物語。当事者たちのせんにゅーかんたっぷりな話だけどね」
「マルネもね、たっくさーんきかされたよ!」
「あー、そりゃ聞かされる。想像できる」
耳にタコできるくらい話をされて、それでもグランの側に立っていてくれることの有り難さを噛み締める。
クァクァルナにしてもそうだ。他の人が協力しているから合理的に……なんて理由で洞窟に染み込んだ「排他」の習慣を脇に置いてくれている。
「『アスタロの禍』を知れば、あなたもキラールの心境が少しは分かるはずー。だからって手加減でもしたら瞬殺だけど」
「瞬……それもそうか。あいつは、本当に強かった。手札勝負になって、やっと追い詰めたと思えば回復されたときは度肝抜いたよ」
「もうなんじゅーねんも戦いに身を投じているから、頭ん中には沢山の戦略があるんだろーね」
十年間村でひっそり成長した少年なんかと違って、そもそもの経験から段違い。『戦い方がなってない』とインティグキラールは何度も呟いていたが、そこに嘘偽りもなければ過言でもないに違いない。
「マルネよくわかんないけど、おにちゃんとカカルナおねちゃんはなかなおりしたでしょ? じゃあ、キラルおじちゃんとも、けんかのあとはなかなおり! できるよ!」
「ははー、マルネったらいーこと言うー。キラールと仲直りするなら負けてられないねー、不審者さーん?」
「おいおい、マルネちゃんに言わせれば俺たち仲直りしたんだろ? なら不審者呼びはやめようや」
「でもでもあたし、あなたの名前知らないよ?」
「そっか、俺が一方的に知ってるだけだったか」
互いに敵対している際中はもとより、目覚めてからも名乗るタイミングを逃していた。言われてから気付いた通り、既に互いの名を認知しているものとばかり。
「遅くなって申し訳ない。グラナード・スマクラフティ、これが本名だけどグランって呼ばれることが多いかな。以後よろしくな」
「あたしの名前はもうご存知のとーりクァクァルナだよ。せーしきにはクァクァルナ・オ・ドだけど。よろー」
ここに繋がれた手のひらが示すところは友誼の証か。
生死を賭けた諍いだったけれど、果てに生まれたのが憎悪でない、その事実は揺るがない。言葉で繋いだ「約束」の為にも揺らがせてはいけない。
「てことはー、もーあたしたちは他人じゃないんだし、言ってもいいよね?」
「ん? 何かあるなら言ってくれ」
何かを見定めるような視線。瞳と瞳が絡み、カラフル少女は微笑んだ。短く数回に分けて鼻をすすり、空気を吸うよりも臭いを嗅ぐような仕草で微笑んだ。
「戦いが終わって、あたしに被さるように倒れたあなたをどかす時に思ったんだ」
言うと、隣に並んで歩いていた彼女が前に出て振り返る。
後ろ歩きで坂を登るなんて体力使うだろうと呑気に考えるグラン。笑みの理由なんて考えもせず、ただ呑気に。
「あたしね、」
「うん」
「——その、あなたの下半身、なんか湿ってて臭うなーって思ってて」
「あ、カカルナおねちゃんそれ!」
「————うん」
なんか思ってたのと違った。
真っ黒背景に白い糸がピーンと額を通り過ぎる、心象世界で起きたのはまさにそれだ。友好的な会話をしてくれるなんて楽観視はせずとも、なんかもっと、真剣な話になるのではと思っていた。
川に流されて上着だけは乾かした。けど下は……裸を避けるために乾かさずに着たままだった。それがこうして、クァクァルナは手で口元を隠しながら目を細め、
「女の子に被さってー? しかもなんか臭くてー? やっぱり不審者なんだなーって思うなー」
「こ、こいつ……ッ」
「カカルナおねちゃん!」
グランを煽る発言にマルネが抗議の声をあげるが、真っ先に反応したのは隠すまでもなく銀色の少女だ。その時点で擁護になっていないことはお察しである。
ほんわかムードの中に波乱が起こるとは人生で頻出のことではあるが、幸運にも新しい敵が現れたとか背後から少女に刺されたとか、危機的状況には陥らなかった。とてもいい方向に進んでいる。
「だからって、だからって……」
地底に堂々と構える大結晶が壁に阻まれ見えなくなる。大きなカーブを描く暗い狭路はさながら、言葉を失う男の心境をそっくり反映したような顔付きで睨みつけてくる。
不憫な男に反抗の余地は無し。
ただただ解毒草を入れた麻袋を強く握り、自身の幸先の良さを噛み締めて勝利の咆哮を轟かすのであった。
「ああああああああああああもぉぉーーーーーーーーーーーーー!!」




