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『勇者などいない世界にて』  作者: 一二三
第一章 二つの世界
16/25

第一章15 下衆


 洞窟内は数十年かけて、外からの侵入者の行く手を阻まんと迷路みたいに道が掘られて来た。

 もし、両の手に斧を握りしめて武術に攻撃魔法に回復魔法まで使いこなすオールバックのおじさんに落とされず、順当に道を歩いて進んでいたらこんな深くまで到達できていただろうかと疑問に思わざるを得ない。

 と、長々語る前にまず、現状の共有をしなければなるまい。


「おい、ここさっきも通ったぞ! あたしが棍棒で付けた跡が壁にある!」


「畜生このクソッタレ迷路が。なら次は右に行くぞ」


「これで右行って今度また同じとこに出たら、一旦来た道戻って別の分岐をやり直しってマジ?」


「そんな不吉なことを言うなブリアナ!」


 幸いなことにブリアナ・ネイビー、ゲミューゼ・シュトルム両名は生きていた。そして迷子になっていた。

 煌びやかな鉱石に囲まれて紺の髪を淡い青に赤に染め上げるブリアナは、鳩尾の辺りまで服を捲って結びつけていた。角刈り男のゲミューゼも上に着ていたものを一枚脱いで腰に巻いており、上半身だけ見れば軽装といった感じだ。


「あー、グランもいないしびしょ濡れだし、ほんとに解毒草見つけられると思うか?」


「いくら蜘蛛の巣みたいに枝分かれが激しいとは言え、いつかは突破できる。信じろ、自分をな」


「とか言って、実際は心底不安なんじゃないかぁ?」


「——黙って進むぞ」


「ふふん」


 ニヤニヤを隠しきれないブリアナの煽りに舌打ちすると、槍を握りしめながら先へと進む。慌ててゲミューゼの後を追うが、迷路は終わる様子を見せない。


(あのクソ強じじい、今に見てろよっての)


 両手に斧のおじさんに崖ごと落とされてから、二人もグランと同じく川の上に着水した。どうやら途中で川は二手に分かれたようで、グランとはその分岐点で離れてしまったと思われる。火属性魔法なんて使えないブリアナとゲミューゼは服を乾かすこともできないまま、絞ったり捲ったりで無理やり対処して歩いている訳だ。


 人の手が頻繁に加えられる洞窟だからか、魔物と遭遇しなかったことが不幸中の幸いだろう。

 けど、ここでの脅威は魔物に非ず。


「人がいたからと言って安心できないってことか。そうなると本当に心細いぞ」


 しらみ潰しに道を歩いて先行していたゲミューゼが振り返り指摘する。


「なんだ、ブリアナ。そっちこそ案外女々しいじゃないか」


「ああ? あたしはずっと乙女のつもりだよ」


「つもりか。主観(つもり)でいると、客観(げんじつ)とのギャップを理由に嫌厭されるぞ」


「あーね、優しいゲミューゼのことだから厳しい風して助言してくれてるんだろうな……とはならねえ! 貶されてるんだろうなって分かるからな!」


「ばれたか」


 人の手で掘られた道というだけあって、天井も高いわけでなく幅も広いとは言えない。せいぜい2メートルずつと言ったところだろう。対して分岐点は少々広く掘られているらしいが、どちらにしろ声は響く。

 ああだこうだと言い合っている二人の声もこだまして誰かに聞かれているかも知れないのに、随分と呑気なものだと思うかも知れない。ところが、どうも蜘蛛の巣のように入り組んだ道が幸いして声の起点が曖昧となるらしい。


「てか、『黙ってた進むぞ』とか言った癖にすぐ喋ったのな。やっぱ無言は寂しいか、不安か」


「……まだ言い合いを続けるつもりか?」


「退屈はしないだろ? 急いで戻らないといけないのは当然。けど、あたしは棍棒で壁に跡を残しておく必要もある訳だし」


 地図も何もない洞窟なんかでは、既に通った壁に印を付けておくのが鉄則とも言える。道に迷っても跡を辿れば元の道に戻れるし、何より同じ道を何度も気付かず回ってるなんて事故を防げる。


「シンダーズは今頃ひいひい騒いでるだろうな」


「けどルーシャが看病してくれてる。まったく、羨ましい限りだ」


 既に手慣れてきたか棍棒で次々と壁に跡を付けつつ、


「どいつもこいつもルーシャルーシャと……いやルーシャの美貌はあたしも認めるけどな?」


「さっきの自分も女々しいって話か。まあ、誰かにとって需要はあるんだろう」


 言外に含んでる意味はわかりやすいものだったが、需要がないとは言われなかったので許してやることにした。


「はあ」


 次へ次へと樹形図みたいに枝分かれする道を歩き、新しい所に出たと思えば一度通った道にまた合流と、一体どれだけの選択肢を進んだことか。


「はあーー」


「……。」


 歩き始めて一時間は経過しただろうか。体内時計的にはもう三時間は歩いてておかしくないが、辛ければ辛いほど時間は過ぎ去らないもので厳しい。確かどこかの学者が、歳を取れば取るほど時の進みが早く感じるなんて説を提唱したのを聞いたことがあるが。


「ッ! まさか、逆に考えれば、あたしゃまだ若い、まだまだ現役ですよってことか!」


「話してる方が『退屈しないだろ』と言ってた癖に今度はそっちが黙りやがってと思ったら……また変なことを」


「普段は全くと言っていいほど気にしねえんだけどさ、一度考え始めると中々止められないんだよこれが」


 若さを気にし始めたらそれこそもう危ういのでは、なんて考えは思っても言ってはいけない。トゲトゲ棍棒で頭蓋骨陥没させされても構わないならその限りではないが。


「お? おやおや?」


「……?」


 実は非常事態だというのに気分高めなブリアナが小走りでゲミューゼを追い抜いた。顔を上げて見れば、そろそろもう何度目かも分からない狭い路が終わろうとしているらしい。

 どうせ抜けても新しい分岐が待っているか既にと思った空間に出るかのどちらかだ、と思っていたが。


「おや」


「やっぱりその反応出るよな、だよな。あたしら遂に当たりを引いたか」


「不吉なことを言うなブリアナ」


 まだ道の先は暗くてよく見えていないが、確かに今までと違う感じはあった。

 どこら辺が違うかとなると難しいが、感覚的には、空気が澄んでいる。そんなこと気分次第で何とでも言えるだろうと思うかも知れない。だからもう一つ、視覚的にわかる相違点を挙げるなら、


「地質が変わったな。洞窟に入るからここは周囲と違う見た目をしていたが、俺らはいま、本来の洞窟の範囲から出たらしい」


 つまり、二人の頭の中に浮かんだ予測は。

 ブリアナが言葉を引き継ぐ。


「なら、この境目をきっかけに、人工的な枝分かれも一段落ついたとみなしていいんじゃないか」


 喉が鳴った。

 今にして思えば、かなり脱水していたらしい。激しい戦闘の後すぐ川に流され、間髪入れずに一時間も歩いていれば水分も失われるというもの。加えて緊張から一層強く喉の渇きを感じつつ、二人は道を抜ける。


「しかし、まあ、なるほど」


 地質が変わったことで散々煌めいていた鉱石の姿もなく、視界はやはり暗闇に戻されていた。極夜のようなこの世界。地表なら明かりがなくても暗視ができてしまう反面、どうやら洞窟内になると適用されないらしい。

 しかし、先程までとは違い頭上は大きな亀裂のようになっていて、カーテン状の光が差し込んでいた。高く地上まで続いているからだろう。一面闇のはずなのに光が差すというのもふざけた話のように感じられるが、ともあれ一部でも視界が保てるのは幸運だった。


「期待通り枝分かれは終わった、らしい。その代わり行き止まりという壁にぶち当たったんだけども」


「そこじゃない」


「ああ?」


 ブリアナの言った事実も捨て置けない。また道を戻る必要性が生じたのだから絶叫ものの情報ではあった。

 しかし、ゲミューゼは敢えて否を唱えた。


「引き返さなきゃならねえのは確実だ。だからって素直に下がれないんだよ。俺は見た、光の奥で何かが動くのを」


「——つまり」


「なんだぁ、穏便に隠れてやり過ごそうとしてたのにバレちまいましたかぁ。どうもどうも!」


 やけに明るい声が響く。

 光のカーテンに姿を晒したのは背の高い男だった。

 炭鉱夫の印象を抱かせる灰色の作業着姿と右手のピッケルが特徴的だが、上着は肩抜きで着崩しており全身かなり細いことが分かる。


「はは、道に迷ったってところですかねぇ」


 上半身を揺らしながら話しかけてくる。

 刈り上げた髪はひし形の連なったアーガイルチェック柄で、どうやら後頭部では複数のひし形の連なりが背まで伸びているらしい。


「貴様は誰だ。そして、俺らの行動を阻む者か」


「高圧的で怖いですねぇ。先に名乗るべきもそっちだと思いますけどぉ、いいでしょう。僕はガウシ・ナ・デンスっつう者でしてぇ。見ての通り洞窟を掘ってるだけなんでぇ、そちらの妨害なんてとんでもないですよぉ」


「……俺らが解毒草を採りにきたと言ってもか?」


「ああ、なるほどぉ」


 既にゲミューゼは理解していた。解毒草のたったひと言であれだけ酷い目に遭わされたのだ。だとしたらこの男も、同じく。


「ルナちゃんは人前に出ないはずだし、シルラプラも……可能性は無くないけどぉ、やっぱインティグキラールさんにこっぴどく叩かれましたかねぇ? そうでもなきゃ警戒心もそこまで跳ね上がるとは思えませんからぁ」


「どいつもこいつも知らない名前だな。それで? こんな迷路を掘るくらいだから、お仲間さん達はよっぽどの来訪者嫌いらしいが」


 解毒草の話をしなければ炭鉱夫に襲われる心配はなかったのでは、とは彼らの脳裏にはチラつきもしない。外から来たというだけで襲われかねないなら、そうなる前に情報を開示して様子を見るべきだと踏んだのだ。


 槍を構え、棍棒を肩から浮かせる。ただ微光に包まれた細身の男が揺れながら微笑むのを、黙って注視するのみ。

 暗闇に身を置くゲミューゼとブリアナは向こうからどう見えているのか。ずっと暗所で生きてきた相手ならば、暗視においてずっと利がある。

 ここで戦闘になったら、正直やり過ごせる自信は二人共にない。負けたばかりで苦い記憶もすぐ蘇るいま、どう状況が動くかは未知数。


「暗くて確かじゃないんですがぁ、もう一人、隣にいますよねぇ? つまり二人でここまで来たわけだぁ。インティグキラールさんが狩り損ねるたぁ、なかなかお二人も強いんですなぁ」


「狩り損ねる、か。なるほど俺らはかなりの強運の持ち主らしい。が、今は時間がねえんだ。話は後にしてもらおうか」


 ガウシは感情の読めない表情のまま頭を掻く。


「そう凄まないでくださいよぉ。僕は戦闘要員なんてやってはいますがねぇ、あまり解毒草に頓着ないんですよぉ。だから最初に言った通り妨害の心配は無用ですねぇ」


 本当に、襲ってこないのか?

 疑心暗鬼に思考を巡らす隣で、微かに強く棍棒を握りしめる素振りを見る。


「あ、なんなら途中まで案内しますよぉ。僕にも仕事があるんでぇ最後までお供できませんけどぉ、迷路を抜けるくらいまでなら手伝わせてくださいなぁ」


「……、」


「ま、そうですよねぇ。僕も戦闘要員なんて枠組みにいる以上は安心してもらえると思ってませんともぉ。ならぁ、今から僕は迷路を抜けて休憩しに行きますのでぇ。距離を取って勝手に尾行してくるのなら僕にも干渉の余地はないってことですねぇ。ちなみにこれは独り言ですよぉ」


 てことで間通らせてくださいねぇ、と言いながらガウシはゆらゆら光のカーテンを抜ける。警戒する二人の間をまるで何も無いかの如く、一瞥することもなく、煌びやかな鉱石の埋まる迷路へ消えていった。


『このままだと尾行しようにも僕を見失っちゃうかもしれないねーぇ』


 炭鉱夫の独り言がこだまして響く。

 ゲミューゼとブリアナは暗くてほとんど見えない互いの顔を見合わせて、頷いた。息遣いやら何やらで、相手の考えていることが同じだと理解した。

 つまり、


「警戒は解かない。けど、ここで見失って詰みになるくらいなら、追うぞ」


 そうして、疲れから痛みを主張してくる脚を叩いては呼吸を整えると、踵を返して動き出す。

 それはまあ都合のいいことに、細い腕に持っていたピッケルがカチンカチンと壁に当たって場所を知らせてくれる。蜘蛛の巣みたいな迷路でも、距離さえ近ければ音が散々迂回して音源を見失う前に方向を察知できる。


「グランがいれば敵意を察知してくれるのに」


 再びカラフルな微光に照らされ、棍棒を肩に乗せている姿が露わになったブリアナは楽しげに囁く。


「期待の新人なんだぜ、ほんと。ゲミューゼもそう思うだろ?」


「その期待通りにあの斧男も撃破してくれりゃ助かったんだがな」


「なんなら蛇野郎も一人で倒してくれたりしてな」


「それもそうだが、一体全体、やはり緊張感が足りないなお前らは。ここから生きて出られるかも分からん、解毒草を採り損ねて俺らもシンダーズも、それこそルーシャ以外が死ぬかも知れんと言うのに」


 先導する男がわざとらしく響かせる金属音を見失わないよう、ゲミューゼのお叱りも小声だった。


「あと何度同じことを言わねばならんのか……思いやられるな」


「何度同じことを聞いたか、数えるのも面倒だ」


 カンカンと鳴る方へ歩いて歩いて、いつのまにか壁に棍棒の痕跡を見つけることはできなくなっていた。

 そして耳に届く。洞窟表層から奈落へ落とされて目覚めたとき、最初に聞いたのせせらぎの音。


『さあて、僕はここで休憩でもしますかねぇ』


 あくまで独り言、されど案内。まだガウシの姿は見えないが、確実に進行方向から聞こえてくる。こうも上手くいくと(現状を良い方向に捉えてしまうのも異常だが)逆にどんでん返しを予想してしまう。


「迷路を抜けるまでって言ってたけどよ。これで行き止まりに案内された挙句『迷路は抜けてる』なんて屁理屈並べられねーだろうな?」


「だ・か・ら・不吉なことを言うな」


「へいへい」


 超短期間で流石に同じやりとりをしすぎてるとブリアナも反省する次第。

 律儀に壁に歩いた痕跡を残しつつ、狭い道を抜ける。


「おやぁ、僕は外からの方をここまで案内してしまってぇ。こりゃ失態だぁ」


「白々しい。それで、ここからどうすればいいか教えてくれたりしないものかな」


「おや、感謝の言葉もなしですかぁ。僕は独りで歩いて、あなた達は尾行して来たってテイですしぃ、感謝されるのもおかしな話ではあるんですがねぇ?」


 やや広い空間だった。

 正面奥の壁は横に大きく裂けていて、更にその奥に広大な風景が存在しているような雰囲気。その裂け目の下でガウシは腰掛け、両手を後頭部で組みながらゲミューゼとブリアナを迎えていた。


「さっきの暗い所でも思いましたけどぉ、語気の強いお方と一緒にいるのはやはり女性でしたかぁ」


「あの闇の中そこまで見えてたのか?」


「いえいえ勘違いなさらないでくださいなぁ。僕はただお二人の間を通らせてもらったとき、なんとなく女性らしい芳しい空気を感じたといいますかねぇ」


「なんだこいつ急にキモいこと言い始めたぞ」


「おやぁ失敬。しっかしぃ、そりゃ美しい女性がいたもんですなぁ」


「——ほう?」


「ほう? じゃねえよ踊らされるな馬鹿」


 ごつんと紺色の頭にゲンコツが飛ぶ。そしてブリアナの前に立ち、壁に寄りかかって座る男を見下した。

 実際、ゲミューゼがここで警告を飛ばしたのは正しい判断だったと言えよう。二人はまだ知る由もなかったが、このヒョロガリの炭鉱夫、ガウシには嫌な癖がある。


「警戒がまだまだお強いようでぇ。それで、お求めの解毒草ですがねぇ、もう少し進むと小さな川が見えてくるんでさぁ。それに沿って行けば辿り着けらぁ」


「それならさっさと行かせてもらう。念には念をで釘を刺すが、邪魔立てはするな。怪しい動きを見せようものなら、遠慮なく叩き潰してやる」


「ひえぇ〜。そうですかぁ……でもですよぉ」


 ブリアナに顎でやって先へ進ませようとした矢先であった。

 グランのような悪意を見抜く感覚が無くたって分かる、邪悪な微笑みがあったのだ。獲物を狙う目だ。


「僕はここまで親切に案内したんですぅ。もう独り言とかどうでもよくなって来ましたしぃ、正直に言いますねぇ? やっぱ僕は感謝の気持ちってのが必要だと思うんですぅ。そして僕が欲しいものって言うのはぁ」


「その(よこしま)な表情を見た上で、誰が貴様に物品を献上すると?」


「献上……いやいやそこまでは要求しませんともぉ。僕は一時的に貸してほしいんですよぉ。あなた、そう角刈りのあなたが解毒草を採りに行ってる間、僕は彼女と話してみたい」


「なんだって?」


 真っ先に反応したのは、ご指名のブリアナだった。対価として求められるのが一時的な人物の貸し出しという意外性故か、まさか自分が指名されるとは思わなかった故か。

 怪しみを込めて目を細め、妙なものを眺めるように言葉を返す。


「あたしと話すって言ったのか。そりゃあまた変なことを言う。あたしは別にあんたと話したいなんざ思ってねえよ」


「それなんだよなぁ。ルナちゃんにもメイアちゃんにも、どうも僕は仲間内からも嫌厭されてるようでぇ。なら、外から来たお方にも興味が向くってなもんでよぉ」


「それであたしが、ねぇ?」


 同情を誘っているつもりなのか、頭をゆらゆら揺らしながらつぶらな瞳(?)で応じてくる。

 なるほど改めて考えてみれば、感謝の気持ちは大事だ。スタミナのあるゲミューゼが速攻で解毒草の群生地まで迎い、その間にブリアナは休んでいればいい。これも世間一般では推奨されるのだろう。


「いいや」


 しかし、これはいつだって普遍的に成り立つ一般論ではない。時と状況が違えば、前提さえ違うのなら推奨など意味を為さない。

 ゲミューゼは鼻を鳴らす。


「目の前に座ってるのが友人だとかなら進んで預けたさ。そこには信用があるからな」


 なによりも。

 仲間内から嫌われていると吐き出したが、その口から飛び出た名前はどちらも女性ではなかったか。

 それこそが、ガウシ・ナ・デンスの嫌な癖であった。すなわち女好き。狙った女性を自分のものにする為に力を付けたと言ってもいい、不純な動機の結晶。それ故に、どんなにガウシが取り繕おうとしても、邪悪を塗り固めたような面を見せたことは見過ごせない。どんなに鈍感だとしても、仲間のこの危険は気付かなくてはならない。


「あなたの意見はいいんですよぉ。重要なのは本人の意思なんですぅ。だからほらぁ、目も眩む美貌をお持ちのお嬢さんの言葉を聞かせてくださいなぁ。少しの間だけ僕に付き合ってはくれませんかぁ?」


 危険性を重々承知しているのは、ブリアナ・ネイビーその人も同じである。


「言っておくが」


 訳あって全身びしょ濡れだった彼女は服を鳩尾辺りまで捲り上げている。しっかり全身を値踏みされていることを理解しながら、逆に堂々と仁王立ちして、睨みを効かせる。


「あたしはそんなに安くねえ。そりゃあ乙女たるあたしも恋路に悩まねばなるまいと思うが、お前じゃねえし今じゃねえ」


「安いなんて思ってな


「思ってんだよなあ。嫌われてる理由がビンビンに出てるぜ? お前はな、下衆なのよ」


 言ってやったり、という顔だった。清々しい断り様にゲミューゼも息を吐く。


「そう、ですかぁ」


 最初に出会ったインティグキラール、グランが出会ったシルラプラ・オ・ニといった戦闘要員とは違う理由ではあるが、この男もまた、話が通じない種類であったらしい。最初から友好的に接しようと心がけていたとしても結局は同じ結末を迎えた事だろう。

 なればこそ。


「大人しくべそかいて独り慰めとくんだな」


 拒絶し、辱め、突き放す。

 お近づきになりたかった相手に嫌悪され徹底的に侮辱されるのと同じ、並の人間では堪えかねる口撃。ただし、相手もまた熟練された女好きであることを忘れてはならない。


「そうだと思いましたんでぇ。僕はぁ、嫌われても突き放されても屈服させるための力を持ってるんでぇ。べ・つ・に・か・ま・い・ま・せ・ん・ね・え」


 瞬間。

 破裂音に似た音が洞窟に響き渡る。


「な、んッ!」


 ガウシは壁に寄りかかって座っているからと、警戒の中に余裕が混じっていたのがいけなかった。立ち上がる素振りを見せても早く動けるのはこちらだと思い切っていた。

 だから、遅れた。


「あなたの言うその下衆にぃ! 服従させられるんですよあなたはぁ!」


 どこをどうやったら瞬間的にその速度を得られるのか、その炭鉱夫は前屈みに屈んだ体勢のままピッケルの先を閃かせ、滑るようにブリアナの下へ一直線で迫っていた。その距離およそ十メートル。


(しかし、棍棒で合わせれば去なせるッ!)


 低姿勢のまま射程まで入り込んだ痩せた男の腕は頭上に伸び、ブリアナの頸かあるいは顔面を貫かんと迫る。合わせて、トゲトゲの鉄塊を逆さに構えて備える。

 そして更に状況は動く。


「女性の顔を傷付けるだなんてぇ、それはないでしょぉ」


 軌道はぐにゃりと曲がり下半身、すなわち脚に向かう。防御の範囲外へ出た凶器の先端が目下、拳一つ分前に到達していた。


(間に合……ッ!?)


 歯噛みするブリアナの様子などお構いなしに、直後。

 ぐしゃり、と血肉を突き刺す音が鳴った。


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