第一章14 辿る道は二つに一つ②
「何を言っているのかしら? もう一度聞きましょう」
理解しかねる、という顔だった。
「俺はここで約束を結ぶ。ここの皆んなが、不安に苛まれることがないようにする為の約束を」
「ふざけているのか。信頼できない相手と約束など結ぶわけもない」
想像の範疇だ。少しばかり話が進んだ、これだけでも成果はある。
土を掘っている最中で硬い石に当たってスコップでは歯が立たなくても、物を変えて地道に削っていけばいつか貫通できるように、この洞窟の一枚岩もまた、話を通す穴を開けられるはず。
「信頼できない相手と約束を結びたくない気持ちはよく分かる。こうやって乗り込んでおいて何を言うって感じだろうけど……じゃあ約束って言うのは、本当に信頼してないとできないものなのか?」
「考えるまでもなく」
「いや、ちょいと待ちなさいな。あんたがそこまで言うのなら、聞こうじゃないか。どうしてこの不審者と約束なんかしたのかをね」
鉈を持つ男の即答を遮ってまとめ役っぽい風貌の女性が視線を向けたのは、先刻狙撃手から逃れる為に協力してくれた女性、まだグランと同年代くらいの少女だ。
グランから協力を持ちかけたとき、既に彼女から向けられた敵意には揺れがあった。洞窟全体が掲げる他者の排斥という看板と、悪人でない人を傷つけることへの躊躇いを天秤に掛けていた。結果として何故、彼女の中で後者の重みが勝ったのかを知るのは彼女自身だけ。
「それは……」
目を泳がせて、言語化しようと考えを巡らせる。
なのにそれを、少女の思考を遮るように鉈の男が茶々を入れる。
「どうなんだ」
「……待ってよ、自分の気持ちを整理してるの」
「外の世界がどれだけ悪意に満ちているかは、空の様子を見れば、魔物の様子を見れば分かることだ。それを、なんだ。なぜ信用しようなどと——」
「だからッ、待ってよ!」
誰よりもこの男が外の世界とやらに怨念を抱いているような、排他を掲げる思想にどっぷり魅入って危険な臭いをふり撒く信者のようであった。
というか、まとめ役風女性にまずは話を聞こうと言われたのに全く話を聞くつもりはないらしい。生まれつき植え付けられた価値観とは悪い方向に向かえばとことん不穏を孕むのだ。
「おい、なぜ話を聞かない?」
「聞くまでもないからだ。それは無論、不審者の小僧も同じだ」
「怖えって……」
グイグイ刃を押し付けられていつ首を刎ねられるか分かったものではない。グランは僅かに身体をずらしつつ、
「こいつだけに限らないけど、やっぱり言わせてくれ」
交渉や説得において、相手を否定すると益々相手の反感を買うことになる。だからもしかしたら悪手かもしれない。
だけど。
今にも鉈を振り抜かれそうで怖いけれど。
「最初の最初だ。俺がここに前のめりで入ってきてすぐからそうだ。なんで、その怒りの矛先は俺じゃなくこっちに向けられているんだ?」
これは基本的な確認だった。
あるいは初歩の初歩すぎて、もしくは無意識のことだったんで場の全員が首を傾げたのかも知れない。
「誰が、このクソ小僧に怒りを向けていないって?」
「あんたは例外だよ。正しいかどうかはさて置き、誰に対しても怒りを向けてる。でも他の人たちは……最初、全て俺じゃなくて俺という不審者を連れてきたその人に対して疑惑とか怒りを向けていただろ」
その人とはつまり、隣で顔を曇らせている少女だ。マルネに手を握られ、しかしその手を握り返せずにいる。
「誰にとっても敵対するべきが外からくる不審者だってんなら、俺に檄が飛ぶべきだろ。確かに裏切られたって感じたのかも知れないけど、この人は仲間だろ。優先して排他すべきは俺なのに、どうして真っ先に俺を罵らなかった!?」
決して罵ってほしいなんて思ってないけれど、そうあるべきだと最初から心の準備をしてここに来た。どっと皆の怒りが爆発したときは、その空気にグランも呑まれて自分も叱責されていると錯覚していた。
けど男がグランにも隣の少女にも構わずブチギレているのを見て遅れて理解できた。思えばあのときの注目は自分に向いていなかったと。
「確かさっき、善悪の問題でも内外の問題でも無いって話があったな。なら何の問題なんだろうって。勿論、一つには後続の不安って問題なんだろうけど」
話を聞くまでもないと言われた割に男の鉈が動かない。
だから聞く価値があると思わせられた証拠だと思って続ける。
「例えばそれは、好きか嫌いかの問題なんじゃないか? 外の人間が嫌い、悪い奴が嫌い。遠ざけてて素性が知らないから怖い」
銀色に周囲の光を照り返すマルネの髪を撫でながら、
「さっきマルネには口調を緩めてたよな? それは好きだからだ。俺に味方してるけど、それでも好きだから。内の人間は好きで、だから安心するんだ。だから、怖い外の俺よりも見知った好きな人の方が責めやすい。この人なら怒っても大丈夫だと知っているから」
全ての問題は「好悪」に集約されている。
それが齢十八ながら、幼い頃から読んできた分厚い本数冊の影響を受けて育ったグラナード・スマクラフティーの、導き出した一般化だった。
「裏切ったことの罪は消えなくても、裏切らせたのは俺だ。そしてみんなが憎むべきも俺だ。だから、彼女に叱咤を向けるのは」
「やめてくれ、とな」
「……そうだ」
「そらぁ無理な話っでぇよ。いま『裏切った罪は消えない』なんて言ったはそっちじゃっからな」
少し認識に齟齬があった、とグランは理解する。この罪を不問にするのでなく、伝えたかったことは、
「じゃっけども」
「……、」
「言いてえのは、この場で檄を飛ばさぁべきはお前さんっつう当然の話でえな。すまんかった」
その老人の言葉で、不満な面持ち一杯だった周りの人たちが口を噤んだ。罵る相手を誤ったことへの謝罪が誠実さを示し、これが尤もだと理解していたからこその沈黙と消沈。
「じゃあ、気を取り直して聞きましょう。なぜ彼と約束を結ぶに至ったのか」
「いいやその必要はねえな」
空気をぶち壊す。
「……まだ何かあるって言うのかい?」
「注目の的は小僧に絞るべきって話は納得だ。だけど勘違いするなよ。ここにいる他が勘違いしても、俺は不審者の演説には惑わされないッ!」
「ッ!」
空気を引き裂く。
何を隠そうその鉈が、グランの頸を刈り取る軌跡に乗って銀線を描いた。悪辣に満ちた敵意を強く向けられていなければ避けることは叶わなかったろう。
「チッ、また躱しやがったか。だが、のけ反り状態になったのは失敗だったな」
男の言う通り不安定な体勢が災いし、鉈を振った方とはは逆の腕で顔面を打たれ、硬い床に背中から倒れ込む。痛みを分散させる暇も与えられず、全体重を掛けるように全身を抑えつけられてしまう。
彼もまた集落の少ない戦闘要員の一人であり、数秒にも満たない一瞬の攻防がそれを証明していた。
「俺は言ったんだ、話を聞くまでもないってな。こいつを殺せば万事解決だ。たったそれだけなのに話を聞く? 舐めるなよ」
「なぜかって問うのなら……平和に解決できる策を見つける為だろ。不審者を徹底的に潰すのが確実なのは認める。けど、そんな不穏な方法を採らなくてもいいって言うなら、ここの人たちはそれを選ぶだろうさ」
「ふ……そうだろうな。戦えないからそんな甘い考えをするんだろうさ。俺やキラールの他数人の、ごく少数の戦闘要員に頼むことしかできない一般民だからだ」
「な、何を言っているんだラプラ!」
今まで部屋の奥で黙していた青年が耐えかねるとばかりに声を上げた。
男を呼んだラプラの名が、インティグキラールだとかクァクァルナ (確かマルネはカカルナおねちゃんと呼んでいたが、実際の発音はクァらしい)のように省略されたものなのか分からないが、とにかく。
「今のは手を取り合うべき仲間を軽視する発言と捉えていいのかい。戦えない私らに不満を言うのは分かるよ。けれど蔑視されるのなら黙っていられない」
「ならなんだ。俺を取り押さえるとでも? この中にそんなことができる奴がいるかよ。ここでは、俺が一番決定権を握ってる」
「血迷いやがりおって」
「そっくりそのまま返すぜ」
二項対立だったはずの趨勢が、過激な態度を見せる男によって三つ巴の様相を呈し始める。こんなことで争っている暇ではないと言うに、だ。
(光明が見えてきてるんだ、余計な争いを増やす訳にはいかない)
ふぅ、と呼吸を整える。腹に力を込める。
「おい、誰がお前を取り押さえられないって?」
「うるさい。小僧は黙ぶッ——!?」
グランにまたがる男の顔面を右手で掴んで、左脚で思い切り床を蹴り上げ、兎にも角にも全身で全身を回転させる。回転の推進力として魔法とは言えない程度の魔力を放出させながら、形勢逆転、今度はグランがラプラとやらの上に被さった。
「これでもう発言力は無い、それでいいよな」
「ぐ……力を行使した時点で小僧、もはや話し合いの余地は無いと判断することになるな?」
「ただしあんたに限り、だ。俺はあんた一個人にだけ武力を使っちまったが、ここのみんなに対してじゃない」
「そんな屁理屈、ここじゃあ通用しない! そうだろう、臆病者ども!」
「ラプラッ!」
もう説明の必要すらないだろうが、彼も他の人も、根底にある理念は同一のものだ。だからこそ、グランが男を組み伏せ拘束したこの状況は本来敵対の合図として見られてもおかしくなかった。
ただし、ラプラは一つ思い過ごしていた。
たった今「臆病者」と仲間を嘲った事実が、その仲間に与える影響を。洞窟内の結束力を信頼の錨とするからこその重大さを。
落ち着きを取り戻した青年が手を挙げる。
「ねえ、一ついいだろうか」
「駄目と止めても言うんだろうが」
「よく分かってるね。だから遠慮なく言うけれど、君はいま僕らの信頼に刃を入れたことになる。その分、君を取り押さえている不審者の方がまだ誠実で僕らと向き合おうとしていて、話を聞く価値があると思っている」
他の人たちはどうだい、という問いかけに渋々賛同するような顔がちらほらと。
「対話っていう基本の基本も忘れていたということね」
「そうね……争いや不穏を拒む拒むと言っておいて、あたしらの口から実際に出た対抗手段が話し合い以外にあるなんて、笑い話だったのかもしれない」
運がいい、なんて表現はこの場では悪役のそれのように聞こえてしまう可能性もあるが、確かに運のいい方向へ流れている。まあ、実際にずかずかと住居に乗り込んで慣習を忘れて協力しろと申し出ているわけだから、悪役で間違いなさそうではあるが。
ともかく。
感情の相対視、とでも言っておこうか。
何かを前に緊張していても、隣にそれを遥かに凌駕する極度の緊張を抱えた人物がいると案外大丈夫な気がするようなアレ。ずば抜けて過激な意見を披露したが故に、周囲の人々の間で「今までやり過ぎだったんじゃ?」なんて風な反省が伝播しつつあるのだ。
「俺は……認めない」
「……、」
土地に長く根付いた信仰や信念といったものは、たとえ他の土地の人から見て異様な光景に映ったとしても、現地の人からすれば重要極まりない事項であり、文化である。だから単に異様に見えることを根拠に否定するのでは悪手で、ラプラの態度はその分かりやすい例だった。
されど、この洞窟に住まう人たちは。
「こども達はまだしも、あたしら大人は前提が違った」
「『アスタロの禍』以前のわしらは、のぅ。世界がこんな風になろうっちゃがお互い手を取ることで生き延びてきてらぁで」
「そうだった。私どもの根底にあるのは『協力』。決してこの現状が本意かんかではなかったはず」
まとめ役風の女性、訛りのあるおじいちゃん、小太りのおじさんが過去を懐かしむように語る。
ちなみに最後のおじさん、今までずっとソファに腰掛けて一度も口を開いていなかったのに威圧だけは一丁前で正直怖かった。やっと喋ってくれて内心ホッとするグランである。
そう、この洞窟に住まう人たちは。
「助け合えることを知っているんだ、私達は。昔の自分達がいまの自分達を見たら異様に思うだろう。先程から不審者と呼んでいるそこの彼と同じ側に立っているはずだったんだ」
「っけど、それは何年前の話だ。少なくともこのシルラプラ・オ・ニが産まれるより前だろうが。そんな昔の話は既に論外の域に達している。掘り返すなんぞ馬鹿馬鹿しい」
「そうだね、少なくとも三十年は超えているよ。人間数十年も経てば考え方も変わるし、外の人間に優しくしようって思いも希薄さ。だけど懐かしいって思っちまったのさ。若い子達や、この意味が分かるかい」
質問に返したのはグランの隣の少女だった。
「あこ、がれ?」
たったそれだけ、シンプルな答え。
自信なさげな声。恐る恐る口に出した、あるいは出てしまったみたいな様子で狼狽えている。それでも、声にした以上は何かしら思う節があったのだろう。
そして、大人達はこれに頷いた。
「そりゃあ、ラプラの言う通り、今更になって無条件で解毒草を渡すような優しい人間にはなれないけどね。だからこそ、なのかもね」
どこか彼らの中で腑に落ちたらしく、落ち着いた声だった。
対し、これをいかに捉えるべきかと心中穏やかではない者が二人いた。その片方がもう片方の動きを封じながら割って入る。
「つまり、なんだ? 聞いてたけど、結局話の方向性が俺に協力的なのかどっちかわからないぞ」
「思えばかなり脱線したね、失礼したよ。端的に言えば、まだ不審者の枠を出ない君に対して『約束』を結んで欲しいと言っているのさ」
「え…………と、それほんとか!?」
つい力んで下敷きのラプラを床に、更に、強く押し込んでしまったことで下から抗議の声が漏れる。甘ちゃんのグランは咄嗟に力を緩めながら、
「というか、聞かなくていいのか? なんで約束したのかって」
拘束が解けた、少なくとも自力で解けるようになったからには男は当然起き上がり、
「俺がわざわざ言ってやる事ではないが小僧、自分にとって利のある状況に口を挟むのはどうかと思うぞ。話をややこしくするのが好きなのか?」
「うわっ! おま、急に起き上がるなよあとその鉈は回収させてもらうからな!」
「自分の飴のような甘さを恨むんだな。そして得物が奪われようといざとなれば拳で貴様を潰す。心配無用だ小僧」
この、このッ! と言い合って膝立ちのまま組み手をする男二人の滑稽な空気をよそに、まとめ役風の女性はマルネの手を握る少女に向き直し、ばつが悪そうに言う。
「ごめんなさい、さっきは強く当たってしまって。結局まだ話は聞いてないけど分かった気がするわ。心の底にある良心を秤に乗せて、足りない重さを補完するための約束だった」
実際に少女も同じ考えだったかは特に関係ない。人々が、その行いに正当性を見出せたという結果が重要なのだ。
「信頼できないからこそ結んで義務を負わせる。けど、もし契約を破られてもあたしらは不審者に罰を与えられるほどの力を持ってない。だからこれは、そうだね……」
「うん、自己満足かな」
少女と意見が合致した。
武器を取り上げられてなお暴れる男を牽制しつつ、グランは安堵の息を撫で下ろす。仲間の、シンダーズの命が危険に晒されていて時間が無いけれど、ここだけは譲れなかった。
「随分甘い部族になったんもんだな。これをキラールさんが聞いたら俺以上に怒りを爆発させるんじゃふぐぁ!?」
ラプラの意識が逸れた瞬間に再び押し倒す。
「隙ありぃ! キラールって人が斧二本振り回して戦うおっかねえおじさんの認識で合ってるなら、確かに対話するまでもなく殺しに来るだろうけどな。そん時はそん時だ。けど今この場じゃもう、あんたが何言っても変わらないよ」
「ふん。仕方ない、小僧をぶちのめす役はキラールさんに任せるとするか」
ここが誰にとっても折り合いの付け所。
したいしたくないを超えた、するかしないかの二択の選択。
「だから今度は君が君自身で、不審者を脱却した契約関係になるために何をするのか教えてくんな。十分な期待ができるなら、見返りに解毒草までの道を譲るよ」
グランが持てる唯一の武器。
「さあ、何をあたし達にしてくれるんだい」
「おにちゃん……」
鏡みたいな銀色の髪を靡かせる幼い少女が示してくれた活路を開拓して、前に進め。ここを逃したら全てが悪化する。誰にとっても良いことは起きなくなるぞ、と。
「ここにしか解毒草が生えてないんだとしたら、なら、俺から提案できるのはこれだけだ」
「言ってごらん」
「持ち帰った解毒草を、俺らで育てる。鉱石と魔素に富んだここだからこその栄養素が大事だってんなら、まずは洞窟から土壌を採取して様子を見る。それでもダメってんなら、必ず解毒草を育てるに合致する環境を見つけてみせる。魔素の豊富な場所は、何もここだけのはずはないから」
理論上は不可能ではない。
けどこの世の何処にあるかも分かっていない、なんなら昨日この世界に来たばかりの素人が言える話ではない。机上の空論も甚だしい。
「普通に考えたら当分の間、適した場所は見つからない、と思う。だから許容範囲の中でなるべく多くの解毒草を分けて欲しい。そうすれば、ひとまず外で暮らす人の間で『解毒草は俺らの手元にある』っていう認識になるはずだろ。これで時間は稼げるんだ」
「逆に言えば、時間が経てば解毒草の大元を探る人間が出てくる。時間稼ぎでしかないってことじゃっかな」
穴だらけと、そう問われているんだと直感する。至る所にしかめる顔あり。理解はできても納得に辿り着くまではいかない様子。
「これで、いいんじゃな?」
「ねえ不審者。自分で、あなたは約束を守るって言ったのよ。時間制限がある中で、本当にできることなのよね?」
マルネの保護者までもが疑いの目を向けざるを得ない、それだけ非現実的なことに映るのだろう。
しかしその疑問が、グランに再考の機会を与えた。見切り発車直前で線路が敷かれて事故を免れるように、目の前がただの暗闇ではなくなった気がする。
「そうか」
「…………?」
よしよしとマルネの頭を撫でてから、
「ひとつ候補がある。いるだけで圧倒されるような光景で、真っ暗な世界なのに光のある不思議な湖。この洞窟と似ている場所を俺は知っている」
目の前の問題に夢中になるあまり今の今まで思い出しもしなかったが、確かに数時間前グランは仲間に連れられ行っていたではないか。
アレはヘキサ・アナンタと言ったか。多頭の大蛇がとぐろを巻き待ち構える、神聖な空気を一面に広げる空間があった。
「みんな……多分、いける。解毒草を俺らで育てる環境は整ってるだろうと思う。『多分』『だろう』『思う』の三拍子で申し訳ないけど」
「いや、いい」
小太りのおじさんはソファに座る姿勢を正し、後頭部をさすりながら、
「こちらが予想していた以上の策を提示してくれた。こうやって偉そうに座っては眉間にシワ寄せているが、どうも何も思い浮かばなくてね」
苦笑する姿を視界の端に収めつつ、青年は小太りおじさんの発言の裏の意味を読み取って引き継ぐ。
「とにかく、もう話し合いはいいってことですよ。まだ長々と話しても退屈でしょう。こちらの負けです」
「おい、負けとは言っておらんだろう。こういうのは妥協……いや、譲歩と言うのだよガキンチョ。語彙を学びたまえ?」
「そうですか」
「なにおう! 真面目な助言を無碍にするとは何事!」
手を顔横で払う仕草をして青年はおじさんを軽くあしらう。年功序列は少なからずあるだろうが、青年に限らずマルネやその保護者まで大人の中に混じって言い合えるのを見ると、その絆の強さは鈍感でも感じられる。
「うるさい男どもは放っておいてだ」
言って、まとめ役風の女性が道を譲るように壁際に寄る。
洞窟の壁を削って掘って作られた部屋だから、綺麗に磨かれているとは言え部屋の壁は当然洞窟の壁そのままだ。
また部屋の中程に段差があり、数十センチ下にズレている。このズレにも起因してか、奥にくり抜いた壁を再利用しただけの扉があることに、グランも立ち上がって注視するまで気付かなかった。
「奥の扉は分かるかい? あれを抜けた一本道。これが、解毒草を採りに行くための二つに一つの道さ。クァクァルナは小川に沿ったもう一方を張ってるだろうから、いまなら安全にたどり着けるはずだよ」
小さく温かい手がグランの手を握る。視線を下に向けると、先ほどまで殺伐とした大人たちの雰囲気に呑まれかけて固まっていた表情も柔らかく。
(ありがとう、マルネ。お陰でここまで来れた。あと少し踏ん張れば、シンダーズに解毒草を届けられる)
「その様子だと、マルネも行くんだね?」
「うん! マルネもね、おにちゃとやくそくしてるの!」
「はは、そうなのかい。気をつけて行くんだよ?」
「わかた!」
素直で良い子だ、と少女の笑顔には皆が癒される。
ところでグランが立ち上がったので、既に鉈を奪われた男ラプラは解放されているはずなのだが、うつ伏せのままグランを睨みつけていた。和んだ空気をまた濁すことはしないらしい。
「じゃあ、皆さん……そろそろ行かせてもらいます。ありがとう」
頭を下げて、精一杯の感謝を。
「感謝なんてせんでええってんじゃわ。それよか、さっき『俺ら』なんて言っとったらぁが、他にも仲間がここに来てるんじゃっかな?」
訛りがあっても意外と何を言ってるか伝わるのが意外と嬉しい。と言うのは置いといて、洞窟にブリアナやゲミューゼがいることを伝えていなかったことが最後に裏目に出たかと焦る。
「ああー、うん。実は俺だけじゃなくて、あと二人いるんだ。その、イン……キラールっておじさんと戦って負けてから逸れちゃって。でも! 詳しい話は俺からして、ここのこと言いふらさないように説得しとくから」
「説得は約束の内じゃっから今はいい。それで、洞窟に来た仲間の中に、女子はおるか?」
おなご? と初めて実際に耳にする単語に脳内で単語を反芻する。
文字通りでいいなら女性という意味か。
「いる、けど」
トゲの生えた棍棒を振り回すブリアナ・ネイビーの姿を思い浮かべつつ答える。
するとマルネ、グランの二人以外全員、互いに顔を見合わせ意思疎通を図る素振りを見せた。良くない予感がする。
まとめ役風の女性が代表して話を進める。やっぱり風ではなくまとめ役なのかも知れない。
「そこで寝そべるシルラプラも然り、既に他の戦える人ってのに出会ってるようだけど」
「うん」
「私ら洞窟の民は母数が少ないから、戦える人らもっと少ない。現状、全部で四人しかいないのさ」
「四人……と言うと、ラプラにクァクァルナ、キラールともう一人か」
そうだね、と女性は頷いて続ける。
「その様子じゃまだ会ってないようだ。そいつの名前はガウシと言うんだけど、まあ控えめに言って困った人でさ」
仲間内の繋がりを重んじる人でさえ「そいつ」と呼ぶ人間とはどれだけの問題児なのか。そしてガウシと呼ばれた名前に聞き覚えがあった。
「もしかしてキラールが言ってた奴か? ピッケルがどうのこうのって話だったような……」
「合ってる合ってる! ピッケル片手に採掘から戦闘までこなしてくれる頼もしい仲間ではあるんだけど、これが厄介な癖があってねえ」
「厄介な癖……」
「優しい言い方をすれば、相当な女好きってところかな。若い娘が集落にゃ少ないから飢えててね。ガウシ自身かなり強いものだから、生半可な実力じゃ危険なんだ」
ブリアナは強い。特に『棍旋』の威力の凄まじさはキラール戦でも確認した。
だけど、それでもキラールには叶わなかった。洞窟内で一番の実力を持ったバケモンって話だし、魔法を反射してくるなんて予想外も予想外だった。そんな言い訳に託けてもグラン達は負けたのだ。
「ブリアナは強い。けど勝てるとは限らない、か」
今は信じるしかない。どうか遭遇しませんように、最悪出会しても無事でいますようにと。
すると青年が何か思い出したように、
「実際、身の回りに女子がいないからって遂にメイアに手を出そうとして、間一髪クァクァルナの威嚇射撃で退散してたっけ。あれは危なかったね、メイア」
「う……」
嫌なこと思い出したと言わんばかりに顔を歪める。
———誰が?
答えは当然、メイアと呼ばれた人がだ。いや、知りたいのはそんなことではなく。妹と同じ名で呼ばれたのが誰かという話なのだが。
(メイアって呼ばれて反応したのは、)
グランの隣に立っていて、マルネの保護者である同年代くらいの少女。
直後、全てを理解したグランの脳天に雷が落ち、戦慄が走り、激震が起こった。
「え、え。えええええええええええええええええええええええ!? おま、名前、メイアって言うのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!???」
大晦日の夜にギリギリ投稿!
年内最後の滑り込みが長話回とはこれいかに……




