第一章13 辿る道は二つに一つ①
二発目以降もなす術はなかった。
前面一杯に散弾のようなものを浴び、のけぞったところを背面一杯に三発目が突き刺さる。
「ぐぅぷ、がふ、がぁぁああああ」
もはや叫びをあげるような状況ですらなかった。
途中で炸裂することにかなりのエネルギーを消費するからか、魔力粒それ自体の破壊力は銃弾一発よりかは断然低い。それでも全身余すことなく破片が穿つその痛みは計り知れない。
脚を支える力が抜けて、膝と手が地に着く。
「かはっ、ごほ」
鳩尾にまで深く力が食い込んで咳き込む。粘質な血液が出るかと少し怖かったが、想像したほどの惨状には至らなかったらしい。
三発目の直撃から銃弾は来ない。
その絶妙なタイミングを見計らってか否か、グランを呼ぶ声があった。
「おにちゃん!」
「あ、マルネ! まだ危ないかもしれないから走らないで……あーもう!」
危険を顧みずに岩陰から飛び出したマルネ。いくら聡い子だとしても衝動が身体を突き動かしてしまうことは当然あろう。後を追う女性の方もマルネの保護者的立場として衝動のままに動いているのだろう。
しかしどうやら、彼女の心配するような危険性はもうなさそうである。
(殺意の線は、消えた。火の中での追撃と自分の命を天秤に掛ければ当たり前の判断だな。助かった)
魔法の自然治癒で痛み自体はすぐに薄くなっていく。それが何度も喰らっていい理由には決してならないが。
ぞわっと全身から汗を噴き出すグランの背に小さな手が添えられる。慈しみに満ちた温かい手のひらだ。
「メイア……」
「え、メイア? えっとそれ、誰の名前なのよ、彼女? あーはいはい、死ぬ直前の走馬灯ってわけね。あーあー可哀想に」
「おねちゃん『ちょーでつ』だね。おどろいてる?」
「ちょーでつ……ああ、饒舌? また誰かが言ってた言葉覚えてもう、変な言葉じゃなくてよかったわ……って全然饒舌になってないから! 動揺なんかしてない!」
「はは、走馬灯ね……まだ死ねやしないな。メイアは、妹の名前なんだ。つい先日離れ離れになって……向こうからしたら、そう、俺が行方不明ってな感じなんだろうけど。だから、また会えるまでは死ぬつもりはない」
ひょんなことで思い出された妹の存在で変な空気が流れた。マルネ達は互いに目を合わせながら、チラチラとグランにも目を向けたりしている。
「ふーん、そういうこと。彼女と離れ離れで悲しいとかいう惚気じゃなくて家族が行方知らずなのね。それは済まなかったわ。最初妹って言葉が出たときは『ただの妹好きかよキモー』って思ったけど、よかったわ」
「彼女はダメで妹なら許されるってその差は何だよ。あと妹はいつだって好きだぞ当然じゃね?」
「やっぱこいつシスコンかよクソ」
「ぶべ」
地べたに這いつくばるグランの頭頂部にゲンコツが下された。
グランとしては家族を愛することは歴然のことだし、約十年にも渡って妹と二人で生活してきたからより当然のことである。だから怒られてる現況に?マークな訳だが。
「初めて聞く言葉だけど『シスコン』ってのが見下されてるってことは分かった」
「ふん、言い換えれば過保護ってことよ。窮屈だと思わないのかしらね妹さんは」
ズガガガーーッ!
疲れたグランの脳に雷撃落ちる。
「な、なに……メイアは俺の愛を窮屈だと感じている? そんな、嘘だと言ってくれ……!!」
「なんだ、元気そうじゃない。そんなずっと這いつくばってないで立ったらどうなの不審者」
常にトゲのある彼女の言葉に節々を痛めていたグランだったが、そこに天使の言葉が下される。
少女マルネには後光が差していたと、後にグランは語る。
「おねちゃんだって、マルネのことすきでしょ? おにちゃんもおなじだよ。だいすきでいいんだよ」
「なッ……いいマルネ? 姉から妹への大好きと、兄から妹への大好きは別物なのよ」
「そうなの?」
「いいや! そんなことないぞマルネ。そうだよな、誰だって妹を愛する権利はあるんだ。ありがとうマルネ!」
グランは完全復活のごとく立ち上がった。
ひょっとしてシスコンじゃなくてロリの方……? などとまたも横から知らない単語が聞こえるが、元気百倍のグランには完全に無視される。
「そんなことより」
「そんなことより!? なんて切り替えの早さなの」
グランは衣服を叩いて土埃を払いながら、
「ここでじっと立ち止まってたら危険だ。折角退避させたのに体勢整えてまた照準定められたらもう逃げる手もなくなるぞ。早く安全なところに避難した方がいい」
「なら、わたし達は帰るわ。これ以上あなたといても巻き込まれるだけだかんね。あなたのことを黙認するだけでもありがたいと思——なによ」
「おねちゃん、マルネはおにちゃんといっしょにいくよ。やくそくしたもん、くさのばしょまであんないするって」
困惑の素振りを見せてすぐ、マルネに向けられる女性の眼差しが剣呑なものに変化する。対するマルネも、彼女の服をぎゅっと引っ張って譲らない。
どうも「私の為に争わないで」状態が勃発しているようだが、グランにその引き出しはなかった。
「さて、こういうときどうする?」
「どうするじゃないでしょ。まだ幼い子を導き危険から遠ざけるのが年長者の使命よ」
「マルネこどもじゃないもん!」
この二人に決めさせようにも、これじゃ埒が開かない。第三者たるグランの意見に委ねられているが、
「いや、マルネはまだ幼い子どもだよ」
「おにちゃん!?」
まずそう彼女の意見に一部賛同しておきながら、
「でも聡い子だ、ただの子どもじゃない。それにマルネも言った通り約束をしてしまってるからな。あんたとの約束は守ってるのに、それより先に結んだ約束を棄てていいものか」
「……つまり何が言いたいの」
「俺はマルネ側だ」
「〜〜〜〜ッ!」
刺さる敵意が痛い痛い。
一度不服ながらもグランに協力してしまって、もう部外者だからと一蹴できない。もう三人は関係者であり、ならばこそ善良な心が彼女を悩ませる。
敵意こそ剥き出しにされながらも、ただの不審者ではないと認識を改めてくれていることがグランにとっては喜ばしかった。
「ええい!」
なんて考えていると、彼女は手を叩いてビシッとグランに睨みを向ける。
「あなた達は解毒草を手に入れたい。わたしはこのまま安全な場所まで戻りたい。そうよね??」
「合ってる」
「なら手はあるわよ。本当はこんなことするべきじゃないけど、許されることではないけど……どっちの意見も叶えられる唯一の方法!」
マルネがパァっと分かりやすく顔を明るくした。純粋無垢で、状況を和ませてくれるありがたい笑顔。
けれど、許されることではないと彼女の保護者は言った。それを聞き逃さなかった。
「詳しく聞かせてくれ。何が、許されない?」
「解毒草の群生地に行くには二つの道があるの。一つはあなたも知っての通り、小川に沿って進む道。外から来た人が辿り着くには必ずこの道を行くことになる」
ただし、このルートを辿るとなれば先程の議論を繰り返すことになる。言い換えれば、通常絶対に使わないもう一つの道に焦点が当てられる。
「そもそも、なんで必ずなんて言い切れる。洞窟を迷いに迷った挙句にその道を発見するかもしれないだろ」
「忘れたの? その道は、わたしが安全なとこに戻りたいって意見も叶えられる必要があるんだもの。つまり、わたし達の集落のお偉方が集まる部屋——部外者を絶対に寄せ付けないその空間から繋がっているのよ」
ひとまず、グランら一向は狙撃手からの追撃を避けるために歩を進めることにした。
来た道を少し戻り整地された石の階段を上がった先、岩壁に沿って行く。これから向かうは洞窟集落の中枢とも言って差し支えない一室。
そこに外部の人間を、それも当該人物の撃退を依頼した本人が連れてくるという異常事態を持ち込むことになる。
「わたし達は、裏切り者として罵られるはずよ」
沈黙を保っていた道中で、ふと女性は切り出す。
「誰もあなたを歓迎しない。誰もがあなたを連れてきたわたしとマルネを非難する———そんな場所に今から行こうっていう準備はできてるんでしょうね?」
出会ってから常にグランを睨みつける彼女は、益々その目つきを鋭くしていた。その要因は、幼女マルネを肩車して隣を歩く、緊張感に欠ける光景にある。
「覚悟も無しに敵陣に乗り込む訳ないだろ」
「なのにそんなのほほんと戯れてるわけ!?」
「うん? そりゃ、どんなに俺が異端でここの人たちに受け入れてもらうのが困難で、それなのに無理言って道を開けてもらうのに心の用意をしているからって、道中からピリピリしてる必要はないだろ。というかこれはマルネが歩き疲れないような配慮であって怒られる理由が分からない」
「(はあ〜。ただでさえ不審者騒ぎのせいで疲れるのに、その不審者がこの調子じゃほんっと疲れるわね)」
傍らでグランに協力していることを本気で後悔しつつある女性の様子に、当のグランは気付いているのかどうなのか。
(最初はまともな人でも、外から来た人間はどこか破綻してるってキラールおじさんは結論付けてたけど……まさにその通りね)
マルネに髪の毛を荒らされて騒いでるグランを横目に、少女は歩みを止めた。
そして億劫そうに口を開く。
「着いたわよ」
「え」
グランがそんな意外そうな声を漏らしたのは、予想より早く着いたからとかそういう話ではなく。
「なんというかこう……他の住居? だか家? と同じと言うか、何の変哲もない感じなんだな。重鎮が居座るとこってのは少しでも目立つようになってる印象が」
「どこの物語の世界にいるのよ。こんな辺鄙な洞窟の中で、外から人を迎えるつもりもないただの集落なのにわざわざ豪華にする必要ないでしょ」
グランの世迷言はさて置いて、さあ入れとばかりに親指を立てて扉を指す。
同じ集落の人間じゃなくて危険人物扱いされてる方を先に入れるのかよ、と疑いの目を向けたら睨み返された。絶対に悪手だと思うが言うに言えない。
「は、入るぞ……」
緊張の面持ちで扉を開ける。岩壁を削った石をそのまま扉として調整してあるようで、かなりの重さをイメージして強めに押したのだが、
————ドガンッ!
「あ、あれ……軽かったな」
重かったらマルネ含む非力な人が生活するに困るだろうに、そのことは全く抜け落ちていた。
それよりも、だ。
前のめりに飛び込む形で室内にインしたから当然だが、それはもう怪奇様々な目が向けられた。怯え、敵愾心、困惑、あるいは不審者退治に出た仲間が帰ってきたのかと喜びを中途半端に宿して止めたもの。
「ただーま!」
明らかに知らない人間が入ってきた。
だけど何よりも注目を浴びたのは男の肩に乗せられて笑う幼な子と、後から居心地悪そうに忍び寄る少女だった。
「お前……それ、」
誰かが声に出そうとして、しかしどう言葉を続けるか分からず止めた。
見知った人間と知らぬ人間が共にいる。
しかし、不審者を捕らえて戻った様子ではない。むしろ結託しているような、少なくとも敵対はしていないことまでは理解しただろうか。
「まさか、まさかだけどさ……」
まとめ役のような風貌をした女性が口を開いた。ようやく考えが纏まったか、何か恐れるような口ぶりでその予想が語られる。
「そこの男は例の不審者、よね。それで、あなた達は、自ら危機が訪れていると報告しておきながら、その危機自体と行動を共にしているって訳よね」
「んじゃと? さては、わしらを裏切ったと捉えてもええんじゃっかの」
「裏切った裏切らないなぞ、そんなことは後だ。おい、そいつが不審者ならなぜここに連れてきた。一体何故、俺らの目の前に危険を持ってきた!」
部屋にいるのはグランらを含めて総勢八人といったところか。まとめ役風の女性、訛りのすごいおじいちゃん、凄い剣幕で鉈を腰に下げる男、ソファに腰掛ける小太りのおじさん、なんの変哲もない青年。
波に乗るように、それぞれの声が起爆剤であったように、次々と疑惑と叱責が向けられた。
「クァクァルナはどうなった。まさか返り討ちか? まさか最初からクァクァルナを負かすつもりで依頼したんじゃないだろうな!」
「だとしたらマルネはどうなるだい? 部屋から消えているのに気付いて探しに行くまでが決まっていたことだった?」
「どこからが計略の内かは分からんけども、実際に現在こうして、外の人間とつるんでおることが何よりの証ではないか」
「ルナが落ちたとなればここに来た理由は一つだろ。残りの戦闘要員の中でも居場所がハッキリしてるのがここだ。戦える人間が全員倒されれば僕らは反抗の余地もなくなる! だって、そいつにそれだけの強さがあるって証明になるんだから!」
大人による怒涛の疑惑罵倒の声に呑まれた。
小さな手が立ち尽くすグランの頭髪をギュッと握りしめ、隣の少女も拳を握って顔を歪めていた。
分かっていたことだ。部屋にはある前にも準備だとか覚悟だとかの話をしていた。想像の通り非難の嵐は現実のものとなったが、心はそれでも締めつけられるし痛む。
「なんとか言ったらどうなんだい!」
まとめ役っぽい女性が机を叩いて立ち上がる。発言や行動を見るからして本当にまとめ役なのかも分からないが、その疑問は一旦捨て置いて。
「急な来訪に驚かせて済まない。俺の名前はグラナード・スマクラフティで、まあ『よろしく』と言われてもよろしくする気が無いのは分かってる。だから単刀直入に言う。俺は、仲間を救う為にげ」
しかし、言葉は遮られた。
相対する複数人の中から突然、床を蹴って飛び出した男がいた。一秒と経たずに握られていた鉈がグランの首を刎ねようと銀色に光を反射し、
「危ないな。マルネに当たったらどうするつもりだよ」
「チッ、解毒草を摘みにき来たなんてことは知ってるんだよマヌケが。一体どんな理由があって、三人共にこの場に姿を現したんだって聞いている」
「……ッ、それは」
「いいわ、そこについてはわたしが説明するから。この不審者に協力するって決めたのはわたしだもの」
攻撃こそ回避したものの言い淀んだグランから言葉を引き継ぐと、彼女は胸に手を当てひと呼吸を挟む。
声は微かに震えて聞こえた。
「ここの集落では『アスタロの禍』以来、常に外からの人を除け者にする習慣があった。わたしもそうだし、マルネと同じかそれより後の世代の子達にも同じように習慣が定着すると思う」
まずそれが前提であることを確認して、それに否と唱える。
「でも全ての人が悪い人じゃないでしょ? じゃあ今のわたしは皆んなを裏切ったことになるけど、それで中の人全員が中に入ることが禁止される? されないわ、絶対に」
「悪いかどうかが問題なんじゃなからぁ。外か中。外の異端者であることが排除の対象じゃかな」
「わたしも詳しいことは知らないけど、元々おじいちゃんか、ひいおじいちゃんとかの時代には外でも活動してたって言うじゃない。なら、外の人であることは問題じゃない」
彼女は一歩も引かない。
年齢的にはグランとほぼ同じくらいの様子だが、果たして自分が同じ環境で過ごしていたらここまで反論できただろうかと、未だ首に刃を当てられたまま考えを巡らせる。
(多分、元から少しここの慣習に疑問があったんだろうな。けど誰に言ったところで受け入れられないからしまい込んでいたのを、俺との出会いが変えてしまった)
さっき出会ってさっき心変わりしただけなら、こうもスラスラも異を唱えることはできなかった。長いこと心の中で溜めていた疑問の塊があってこそ、頼もしくグランの味方として助力してくれている。
「結局、ここの集落は『アスタロの禍』を理由に洞窟に住む人だけを認める狭い場所なのよ。この不審者に出会ってわたしも初めて狭さを理解したわ。今だって隣で武器を向けられているけど、マルネを盾にすることさえしなかった。解毒草のことをどうやって知ったかは謎のままだけど、仲間を助けるためにここに来た。ルナちゃんからの流れ弾からマルネを守ってくれた。どれも事実としてここにある」
本当にグランが仲間を助ける為に来たのかは確証を持たないはずだが……でも、そう言うことにして話は進む。
「善悪が問題でもない。内外が問題でもない。じゃあ何が問題なんだろう」
「私らのところに駆けつけてクァクァルナに依頼した時にも自身で言っていたことでしょう。一度解毒草の採取を許してしまえば、情報は拡散して次は多くの人が流れてくる。例えその男が善人だったとして、次の人はどうなの? ってね」
最初に少女とマルネに出会った暗い川沿いの道でも言われたことだ。
長い目で見れば、貴重な解毒草という情報が回ることでそれを奪おうとする輩が出てこないこともない。あまつさえ世界が真っ暗に染め上げられてどこも余裕はないのだから、誰しもが利己的であって不思議ではないのだ。
「確かに、今も心配に思うところではあるわ」
「なら、結論は一つだね」
「そうよね。やっぱりこの不審者がこの先に行くことは黙認されなければダメよね」
「違うでしょ!!」
支離滅裂と罵られても文句ない言いようだった。反論を肯定してしまった時点で彼女の負けだと誰もが思ったのに、彼女自身は何も諦めていない。
トントン、とグランの頭が叩かれた。
少し首を傾けると、マルネが耳元で「降ろして」と囁く。今も首元に鉈を突きつけられている状況で危なっかしいところだったが、しゃがんで降ろすことは許された。
「ふう」
緊迫した状況下でよく耐えたと思う。
大人達の怒気を浴びて怖かったはずだ。それでも耐えれたことにはきっと、保護者の少女の勇敢な立ち振る舞いによるものだ。
だから、マルネは彼女の手を握り、加勢する。
「マルネはね、おにちゃんとやくそくしたよ。おねちゃんもおにちゃんとやくそくしたよ」
「……それが、どうかしたのかい」
結局それは、話の流れからしたら不適切な言葉だったかも知れない。けれど小さい子に大声を浴びせるのは憚られるのだろう。少し冷静になったような声色だった。
「おねちゃんはね、カカルナおねちゃんをたおさないでってやくそくしたんだって。だからおにちゃんはカカルナおねちゃんがまけないようにしてくれた。やくそくまもってくれた」
「え、ルナは負けてないのか? でもさっきルナの流れ弾からそいつが守ったって……戦ったのに、勝敗が付いてない?」
「キラールおじさん相手に逃げられることはあったけど、ルナちゃんに負けはあり得ない。これは前々から言ってたことでしょ?」
排他的な考えを貫いているくせに仲間の不敗伝説は信じ抜けないのね、と悪態で返す。
そんな傍ら、彼らの言葉をずっと黙して聞いていたグランだったが、節々に気になる名前があった。
「キラールおじさん……ってのは?」
「インティグキラール。この集落で一番強いおじさんのことよ」
「一番強い、ねえ」
グランが思い浮かべられる人物はひとりしかいない。
深緑のオールバックで、額の部分だけ少し髪が垂れ下がっているおじさん。両腕に斧を下げ、風魔法を得意とし、曝け出された胸部、筋肉の板を見れば彼の強さは一目瞭然であった。追い詰めたと思ってからの回復魔法は度肝を抜かれた。
洞窟の深くまで落とされ気絶していた時間がどれほどの長さか定かでないが、それでもまだ数時間の間の出来事は鮮明に思い出せる。
「これから帰るにしても、あの壁を越えなきゃならねえんだったな……」
濃くなった怒りの臭いを肌に感じ、考えたままを口に出した軽率さに気付く。喧嘩中の相手に突然何事もなかったかのように遊びに誘うような暴挙。まだ、目の前の問題すら片付いていないのに。
目の前の男が掴む鉈が、より凄みを増して首に押しつけられる。マルネを降ろしたことで躊躇はなくなっているらしい。だから許されたのかと今分かる。
「独り言をぶつぶつと、ずいぶんご気楽だな小僧」
「いや、すまない。まずは解毒草。その為に俺はみんなに許してもらわないといけない」
「許すはずもないんじゃっけどな。上手く話が逸れたつもりでいる様なら残念極まりねぇでが、おまえさんの善性をどれだきゃぁ強調しようにも意味はなからぁでよ」
「…………」
本筋はグランの後続という話に戻る。
解毒草の情報が回って奪いにくる人間がいつか訪れる不安。ここで不審者を帰してしまえば、早くて明日にでも襲ってくるかも分からない状況に見舞われる。
「もし今後、毒に侵された人に会ったら俺は無視できない。だから解毒の方法がその内広まって、ここに影響を与えないとは言い切れない」
「なら話は終わりだね?」
「でも、何か、何かあるはずなんだ。完璧な納得を得られる自信はないけど……譲れないんだ」
「往生際が悪いね。子供のわがままじゃないんだ、悪影響しかないお願いを受け入れる訳がない。女子二人を味方に付けられたからって自惚れるんじゃないよ」
もはや、何を言っても揺らぎそうにはない。グランもマルネの保護者の女性も目の前に聳えるモノリシックな難題に立ち往生だった。相手は大人で、こちらは子供。物事の頼み方すらままならない。
「だからさ」
それなのに。
言葉自体は、言っていることだけを見たら的外れと一蹴されかねないが、自分が正しいと信じて疑わない音を奏でていた。子供だからと言動が阻止されることはない。銅鑼が鳴ったような衝撃が心を打った。
「おにちゃんはやくそくをまもってくれたの。カカルナおねちゃんはまけてない。マルネのおねがいもきいてくれたし、きけんからもまもってくれたんだよ」
「いや、えっと……」
いまは味方してくれている保護者の少女もマルネの言い分にどうすればいいか決めあぐねているようだった。さっきも同じことを言ったのだ。もうそれは分かってる。
子供はときに自分の意見を主張するのに同じことを繰り返す。誰しも少女の言動はその一環だと結論付けただろう。でも一つ思い違いをしている。
(マルネは聡い子なんだ。ああ、わかったぞ。俺が何をすればいいのか、たった今マルネに教えてもらった)
つまり。
「俺はここの人達と、いや集落に対して約束を結ぶ。もう脅かされることのないように手を打とう」
グラナード・スマクラフティーは約束を守る人。
先の戦いで得た、この洞窟内で唯一使用できる不審者の武器だった。これを振るうことが、最後の活路となる。




