第26話「混乱する王都」
その男は、冷徹ともとれる口調で言った。我がもの顔で押し入り、遠慮の欠片もない態度とともに。
「何を言うのです防衛長官、いま動かなければ王都全体に甚大な被害が出ますぞ」
ホークが男の間近に迫りながら声を荒げる。
「もちろんギルドには王都防衛の任についてもらいます。ただしそれは我々からの依頼によるものと心得てもらいたい」
ラルコンと呼ばれた男は平然と言い放った。
「それは、どういう意味ですか」
「ギルドには、我が国の高貴なる方々や要人が多く暮らしていらっしゃる東区画の防衛にあたっていただきたいのです」
「――何を馬鹿な」
ホークは言葉を失ったかのように押し黙ってしまった。
シンでさえ、目の前のやりとりが異常な方向へ向かおうとしていることを理解できた。気づけば皆立ち上がり、息を潜めるようにしながら事の成り行きを見守っている。
「西外壁の外にいる人々をどうするつもりですか。全員が避難するまで持ちこたえるためには相応の戦力が必要です。襲ってくる変異種の数からしてもギルダーの多くをそちらへ向かわせるのは当然なはず」
ワルツが感情を抑えつけるようにしながら言う。
レイはワルツの言葉に同調するように頷いてみせた。
「西区画の守りといっても俺たちが向かう意味はほとんどない。門を閉じてさえしまえば今いる守備隊だけでも十分持ちこたえられるだろうし、じきに王宮からの増援も来る。おまえたちが危惧するような事態にはならんはずだ。しかし、街道のある西側はそうはいかん。今の刻限であればまだディケインやザナトスからの往来も盛んだ。何より外壁の外には住む家を持たない何万という者たちが暮らしている。お前たちとてわかっているだろう。いくら西側の守りを厚くしたところで外壁のどこかを突破されてしまってはそれこそ意味がないではないか」
レイの言葉を受け、ラルコンに目で合図された兵の一人が進み出る。
「先ほど王宮より、東西外壁の門および南北の水門をすべて閉じるよう命令が下りました。よって東外壁も既存の守備隊での防衛が十分可能となります」
「門を、すべて閉じるだと」レイが驚愕の表情を浮かべる。「王宮はその意味をわかっているのか、今そんなことをすれば外の者たちはどうなる――我が国の歴史に残る大惨事になるぞ!」
「王都を守るためです、いたしかたありません」
「だからこそ我々《ギルド》が出向くといっているのです!」ホークの声が室内に響き渡る。「東側こそ門を閉じたところでなんの支障もないでしょう、ギルダーたちがかけつけたとしても高みの見物にしかならない! 西側に防衛線を張ることこそ最も――」
「あなた方は!」
ラルコンの甲高い声がロークの言葉を遮る。
「我が国の高貴なる方々より、そして我が国の発展に大いに尽力されている方々より、王都にたかる蠅のような者たちの方が重要であると言うのですか! いくら外壁の守りが鉄壁とはいえ、万が一ということもある。その護衛のためギルドに依頼がいくのは当然でしょう。知能もまるでない変異種など、外壁の上から攻撃をしかけておればそのうち数を減らし霧散していくはず。下手に撃って出て戦力を減らすことこそ愚策!」
「……ずいぶん面白いこと言うじゃねえか」
突然、シンの隣からそんな声が飛んだ。
全員の視線が声の主のもとへ――フェイルへと向く。
「なんだ貴様は」
ラルコンは初めてフェイルを目に留めたかのように訊いた。
「外壁の外にいるやつらを囮にして確実に変異種どもの数を減らしてこうってんだろ? しかも自分たちは最も安全な場所で、かつ強靭なエーテライザーたちに護られながら」
「なんだと――」
「こんな状況で随分かったるいことやってんなあとは思ったけどよ、すでに全ての門を閉ざす命令まで下っていたとはね。さっすがお偉い方はやることが早えや」
「何者か知らんが、それ以上ふざけた口を利くとただじゃ済まさんぞ」
「ほう、どう済まさんというのかな」
「そのようなことを言い合ってる場合か」
レイの轟くような声に制され、フェイルとラルコンは互いに視線を外した。
「ラルコン、悪いがあなた方の依頼を引き受けるわけにはいきません」
ホークが再度ラルコンへ詰め寄る。
「ギルド長、この依頼は王宮からの――つまりはディファト王子のお言葉。今のあなたの発言は我が国に牙を向くことと同義」
「ギルドにそのような意志はない! 我々はただ命の危険にさらされている人々を守りたいだけだ!」
「ディファト王子の命に背くことになるのは一緒でしょう。いよいよもってギルドは王宮と対立するということになります。本当に、そう捉えてよろしいのですかな」
ホークとラルコンは互いに睨み合うようにしながら押し黙った。握りしめられたホークの拳が細かく震えているのがシンの目に入る。
今までの喧騒が一気に静まり、長い沈黙が続いた。その場にいた誰もが一触即発の気配を感じずにはいられなかった。
「――おれが行きます」
小さく息を吐くようにして、言った。あまりの体格差からレイの影に隠れるようになってしまっていたシンが、前へと進み出る。
「おれはラスティア王女のパレスガードです。ギルドとも関係がないので、どう行動しようと問題ないはずです」
突如目の前に現れた少年とその発言に、ラルコンは明らかに面食らったようだった。
「おまえは――」そう言いかけて慌てて口をつぐむ。「いや、あなたは」
「いいのかよ、シン」
フェイルがラルコンを無視したように言う。
「すぐにでもラスティアのところへ戻ったほうがいいんじゃねえか。今の話じゃ王宮にまで火の粉が飛ぶようなことにはならねえだろうが……」
フェイルの言葉にシンはすぐさま首を振った。
「ラスティアはきっと、『自分を守ってほしい』なんて言わない。この場にいたとしたら、間違いなく同じようなことをおれに頼んだはずだよ……ザナトスのときと同じ状況なら、なおさらね」
フェイルは一瞬何かを言いかけたが、すぐに笑みを浮かべる。
「確かにその通りだわな」
「王宮とギルドの対立だって、ラスティアが知ったら何としても避けたいと思うはずなんだ。フェイルこそ今すぐラスティアとレリウスのところに行って、この状況を伝えてきてほしい」
「言われなくてもそうしてやるさ、俺にとっちゃその方が安全だしな」
「一人で、出向くと?」
ホークが息を呑むようにして言う。
「変異種の大群を退けることができるというのか」
レイもその強面の上に戸惑った表情を浮かべた。
「正直、わかりません。そもそもおれは、その変異種ていうのを見たことがないし……」
真っすぐ向けられる二人の視線から逃れるようにしながら言う。
「でも、以前同じような状況をなんとかしたことはあります。今回も上手くいくかどうかわかりませんけど、やれるだけのことはやってみます」
そして、ラルコンへと顔を向ける。
「ギルドはあなた方の依頼を受ける、それで問題はないはずです」
強い口調でも、強く睨みつけたのでもない。むしろそれは、まだ幼ささえ残る少年の静かな物言いだった。
ラルコンはじめ後ろに控える兵たちは、シンの口にした言葉の意味とその姿との差に何とも言えぬ畏怖を感じたのか、あるいは何とも返答しようがなくなったのか、一様に押し黙ってしまった。
「ホークからの通達はあれど俺にはどうしても《《そう》》は思えなかったのだが……いやはや、どうして」
レイは自分を恥じ入るような素振りで首を振った。
「ギルドを代表し、ラスティア王女とそのパレスガードに最大級の感謝を」
ホークが深々と頭を下げる。
「やめてください、まだ何もできていないのに――とにかく今は東側の門に急ぎます」
「私も行くわよ!」
めずらしく黙っていたグレースが叫ぶように言った。
「私もギルドとはまだ何の関係もないし、シンについていったって何の問題もないはずだから」
シンはまじまじとグレースを見た。
「……なんだって?」
「おまえが?」ホークが目を丸くする。「確かにまだ所属申請はしていないはずだが――イレースがなんというか」
「破門されたって構わないわ、もう決めたことだから」
「君、ギルドに所属してもいないのにさっき『この依頼、私が引き受けます』とか言ってたのかい? おもしろすぎるね」
グレースと同じく完全に気配を消していたかのようなミュラーが笑みを浮かべながら言った。
「それに、気が合うじゃないか。僕も彼についていこうと思っていたところだったんだ」
「……なんだって?」
シンは馬鹿みたく同じ言葉をくりかえした。
「おまえたち、事の危険性と重要性がわかっているのか?」
レイは叱るというより困惑げな様子で訊いた。先ほどのやりとりを含め、ちゃんとした頭はもっているのかと言いたげっだった。
「もちろんわかってるわよ、変異種の討伐は何度もこなしてきたしね」
グレースが任せなさいと言わんばかりにふくよかな胸を叩く。
「護衛任務の傍らで片付けてきたような数ではないぞ」
「だからこそ、シンがいるじゃない」
さも当然のように言われ、冷や汗が出る。
「あくまで私たちはシンを補佐するために一緒に行くのよ。ザナトスで噂されていたようなことをシンが実現できるのだとしても、一人で対応できないこともあるかもしれないでしょう?」
「僕だって変異種をシンの近くに寄せ付けないくらいのことはできるしね。相当力になれると思うよ」
ミュラーが曰くありげな目でシンを見た。
「こう見えて強いんだよ、僕は」
「ちょっ、ちょっと待て!」シンが慌てて両手振った。「何の関係もない人を危険な目に合わせるわけにはいかないよ、ラスティアだってそう言うはずだし」
「あなた馬鹿なの。ここが襲われるかもしれないってときに関係ない人間なんているはずないじゃない。それに、あなた自身上手くいくかどうかわからないって言っていたし、一人で行くよりよほど心強いでしょ?」
言いながら、シンの目前にどんどん顔を近づけてくる。
「大丈夫、足手まといにならいことだけは保障するから」
ミュラーがシンの肩に手をまわしながらぐいぐい迫ってくる。
「え、え?」
シンはグレースとミュラーの顔を交互に見つめ、最後はフェイルに助けを求めた。
「ま、自分らが行きたいってんだから、別にいいんじゃね?」
しかしフェイルは、頭を掻きながらそう言った。
やがて『約束の子』ラスティアの最強の剣とまで怖れられることとなる三人の、これが初陣だった。
周囲の者たちから当時のことを語ってほしいと迫られたときのシンは、いつも苦笑まじりに言ったものだった。
「あの頃のグレースとミュラーは、とにかくめちゃくちゃだった」、と。




