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第25話「王都強襲」

 夕陽が地平に沈みかけ、王都オルタナを流れる水源が赤き輝きに染まる頃。 


 いつもと変わることのない時を過ごしていた人々は、ある者は家族の待つ帰路につき、ある者は夜の商売の準備に勤み、ある者は己の趣味嗜好へと走り、またある者はその日生きていくための小銭を稼いだ。

 この日のオルタナもこれまで同様、皆、幸、不幸はあれど、当たり前の暮らしを享受しているのには変わりはなかった。


 王都を取り囲む外壁の上で見張りについた兵が、「今日ももう少しで終わりだ」と言わんばかりの伸びをした、そのとき。

 遠くから低い轟音が断続的に鳴り響き、兵は伸びをしたままの姿勢で遠くを見やった。


 異変に気付いたのは彼だけではなかった。にわかに集まり出した守衛の兵士たちは、ある者は目を細めながら、ある者は目の上に手をかざしながら、平野に目を凝らした。

 街道を往来する商人たちや西外壁の外に暮す大勢の人々も、普段聞きなれない物音を不審に思い、皆につられるようにして遠く地平へと目をやりはじめた。


 やがて蜃気楼のように揺らめく地平線から、長く連なる暗い影が姿を現したときも、しばらくの間はいったいそれが何なのか判別できる者はいなかった。しかし――


「……変異種だ」

 いったい、誰が漏らした言葉だったのか。確かめる間もないほど、その言葉の意味するところは津波のように周囲へと広まり、次の瞬間には凄まじい怒号へと変わった。


「なんだあのとてつもない数は!」

「な、何をしている! 早く伝令を走らせろ!」

「待機中の兵をすべて呼び集めてこい!」

「と、とにかく応援だ、応援を呼べ!」

「何を言っている、まずは状況を把握するのが先決だろう!?」

「数えられると思うか! あれはもう大群としか言えないだろうが!」


 まるで、地の底から湧き出てきたとしか思えない光景だった。


 西の地平に現れた変異種の大群は、黒い線となって王都へと突き進んでいた。今はまだその一体一体を目視できるような距離にはないが、完全なる夜を迎える頃には虚空な瞳と醜く腐敗した体そして――人を切り裂き食らうための爪と牙を持つ怪物たちが外壁の門へと押し寄せることは誰の目にも明らかだった。

 

 変異種の大群が地を這うことによって鳴り響く轟音は、耳にした者たちの鼓膜を振動させるばかりか、おぞましさと恐怖とによって全身をあわ立たせた。


 外壁に取り付けられている大鐘が甲高く鳴り響く。河川を挟むようにして築かれた西外壁の門に、我先へと密集した人々が周囲の者たちを押しのけながら集まってくる。


 一方、外壁の中で暮らすオルタナの住人たちは、まるで事体が呑み込めないまま、いったい何事かと、鳴り響く鐘の音と沈みかけの空を見上げていたのだった。



 §§§§§



 これからどうしよう、そうシンが悩み始めたときだった。


 慌ただしい、いや、乱暴ともいえるノックのあとが響き、全員の視線がそちらへと向いた。

 誰かが応える間もなく扉が開く。


「シン殿、レイ様!」

 登録簿を調べていたはずのワルツが前のめりになりながら飛び込んでくる。

「変異種の群れが――とてつもない数の変異種が西の方角より迫ってきているとの報告が!」


「変異種の群れだと?」レイが立ち上がりながら言う。「どういうことだ」


「言葉通りの意味でございます! たったいま西外壁の兵から伝令があり、王都全体を取り囲もうかという程すさまじい数の変異種の大群が向かってきていると!」


「馬鹿な――」

 レイが言葉を失うかのように立ち尽くす。


 変異種――この世界に来てたびたび耳にするその怪物を、シンはまだ目にしたことはなかった。

半獣ラクターたちの成れの果て」とも呼ばれるその存在は、人に対し異常なまでの執着をもち、ひとたび姿を見せれば躊躇なく襲い掛かってくるのだという。


 先ほどグレースたちは、マールズを変異種と見間違えていたのではないかと話していたが、確かに変異種は人を食らう。それも、骨すら残さずに。


 ラスティアとレリウスからその話を聞いたとき、最初シンは二人が冗談を言っているのだと思った。だが、変異種の存在をこの世界の常識のように話す二人の様子を見て、ぞわりとした感覚を味わったのをはっきりと覚えている。


 しかし今ではエーテライザーをはじめとする腕利きたちによってその多くが討伐されてきており、よほど人里離れた場所へ行かない限り遭遇することはないとのことだった。シンの関心も時間が経つうちに次第に薄れてしまっていた。というより、目の前のことに対応することだけで精一杯であり、これから遭遇するかどうかもわからない変異種について考えたり想像したりする余裕などなかったのだ。


 時折話の中に出てきたとしても、今知っている以上の知識を求めようともしなかった。なぜならこの世界(エルダストリー)ではシンが知っていることの方が少なく、いちいち説明を求めようものなら、あっという間に一日が終わってしまうからだ。そのためシンは、今の自分にあまり関係がないと思ったことに関しては聞き流すくせがついてしまっていた。


 しかし今、変異種という怪物は、確かな存在としてシンの前に現れようとしている。事態についていけないシンは、フェイルと顔を見合わすことしかできなかった。

 

 何かと我が物顔で話に入り込んでくるグレースとミュラーもさすがに面食らったのか、黙ってワルツとレイのやりとりに聞き入っている。


「少数の群れならまだしも王都オルタナを取り囲むほどの数などと……到底信じることはできんぞ」


「確かに今の話は正確ではない」

 突然、ワルツの後ろからそんな声が飛んだ。


 アインズギルドの長ホーク・スタンリーだった。抑制の効いた口調とは裏腹に、その表情には焦燥の色がありありと伺えた。

「今届いた東外壁からの報告では、さほど多くは確認できていないとのことだった。ワルツが聞いた西側の状況とは明らかに異なっている。オルタナ全体が大群に囲まれているというわけではなさそうだ。それに統率がとれているとも言い難い――変異種にそのようなことができるはずもないが」


「いずれにせよ、一刻も早く討伐する必要がある」

 レイが言うと、ホークは即座に頷いた


「もちろんだ。王宮への救援要請はどうなっている」

「すでに人を向かわせている」

「外壁のない南と北については把握できているのか」

「さすがに河を遡ってくる変異種がいるとは思えん。が、出来る限り詳細な情報を集めるよう、共感念波パルスを使える者を向かわせている。詳しいことがわかるまでそう時間はかからんだろう――ワルツ、いま動ける管理官をかき集め、ギルドに所属する全エーテライザーたちへ『緊急指令』を出せ。任務水準はむろん白銀プラティウス、種別は変異種討伐だ。特に変異種の数が多い西側に戦力を集中させ、アインズ兵と共に西外壁前面に防衛線を敷く。門を守り抜くのはもちろん、街道周辺を始め外壁の外にいる人々が避難を終えるまで変異種を寄せ付けるなと伝えよ」


 ホークの言葉を猛烈な勢いで書き取ったワルツは入って来たとき以上の勢いで部屋を出て行こうとした。しかしその瞬間、数人の兵を伴った男が立ち塞がり、ワルツは体をのけ反らせるようにして止まった。


「ギルド長。その指令、直ちに引き下げていただきたい」

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